はてなキーワード: 貧乏とは
私は、単なる会社員であり、自分と自分の身の回りの人の幸せを一番大切に思っている。それ以外のことは正直どうでもいい。
なので、立候補なぞする気はまったくないし、しようと思ったことは一度たりともない。また、完全な無党派である。
なぜなら、マニフェストとか、理念とか、想いとか、それ以前に、お前に投票しても絶対勝てないだろう、という気持ちになるからだ。
日本の選挙で勝つにはどうしたらよいかを全く理解せずに、当たって砕けている候補者があまりにも多すぎる。
日本の選挙についてすでにわかっていること、あるいはわかってきたこと。
・新自由主義的・自己責任的な価値観が今の日本では多数であり、その前提に沿わない政治家が選挙に勝つことは一部の例外を除いて難しい。
・つまりイデオロギー的にはネオリベラリズムの価値観が薄く広く浸透しており、政治家は自身が政治家であり続けるためには、建前上はその前提に立つ必要がある。
・多くの無党派層の人間は政治には関心がないが、経済と自らのお金の損得には極めて具体的な関心を寄せている。
・政治に関心がない、選挙に行かない人が多いのは、その結果が自らの損得にどう影響するのかを具体的に実感できないことに起因する。
・有権者は自らの損得に関わらない多少の悪に対して、目をつぶることはいとも容易に行う。
・政治家の具体的な実務能力を図る指標は存在しないが、その実務能力は経験や実績によって担保される、と多くの人は考えている。
・特定の世代以上の旧来メディア型の人間は、もはや何を言われても旧来的な政党組織の枠組みでしか投票を行おうとはしない。
・逆に特定の世代以下の人間の多くは、もはや旧来的な政党組織に対して何も信用をしていない。
そのうえで、一人の若者が、自分とその周りの人たちだけの幸せを追い求めるのではなく、都道府県レベルの自治体もしくは日本という国自体を良くしていきたいと考えて、
民主主義という枠組みの中で選挙に勝利し、政治家になることを志した場合に、取るべき手段を考えてみよう。
・イデオロギーとしては、新自由主義の前提に立ち、過度な再分配を控える立場を取るべきである。
・強みは経済にするべきであり、その経済に対する知見や能力を具体的に指し示すビジネスの経歴を有するべきである。
・貧乏でない、子どものいない、病気でない、マイノリティでない、困っていない、そんな人にどんなメリットをもたらすことができるのかを示すべきである。
・小さくても何らかの政治関係の経験を積み、経歴としてアピールことで、抽象的な実務能力を想起させるべきである。
・特定の世代以上の年齢の人が名前を聞いて安心できる政党組織からの後押しを掲げるべきである。
・そのうえで、政党政治とは明確に異なることを指し示し、特定世代以下の年齢の人が既存政治とは異なるという印象を抱くように仕向けるべきである。
だが、それだけでは十分ではない。これはあくまでも投票するときの最後の選択肢に残った場合に、上記であればあるだけ優位なだけであり、
そもそも最後の選択肢に残るかどうか、という点については、上記の要素は全く関係がない。
最後の選択肢に残るためには、最低限でも名前を見て顔が想起できるレベルの知名度が必要で、
さらにいえば政治家や選挙と聞いて顔が想起できるレベルであることが望ましい。
加えて、直感的に投票の選択肢に入れてもいいかなと思えるレベルの好感度が必要となる。
知名度を上げるためには、様々なメディアで有権者に対する情報接点を作り出すことしか方法がなく、
それを意図的に行うとすれば非常に多くのお金がかかることが推測される。
知名度と好感度をトレードオフにすることは基本的には意味がないのでやってはいけない。数多の泡沫候補がそのことを全く理解していない。
重要なのは、知名度であり、知名度は極端な話を言えば金で買えるものである。
新自由主義は多くの富める者を生み出した。
その中には、もはやどう放蕩しても使い切れない金を持ちながら、日本という国の未来に対して、何らかの政治的な働きかけを行いたいと考える者がいるかもしれない。
そういう人を探し出し、実際に会い、話し、説得し、協力を取り付け、金を引き出すことができるならば。動かした金で知名度を引き上げる手段はいくらでもあるだろう。
今日でプリパラ10周年らしいとXで知り、この10年間をプリパラに伴走してもらった元女児の一例として、振り返りを書き残したくなって、湯上がりにサーキューレーターにあたりながらしてみんとてするなり。
中くらいのお友だちだった放送開始当時、3DSのニコニコ動画で最新話無料配信をしていたプリパラを見ていた。その数年前にNHKで放送していたアニメ「日常」にハマったことをきっかけに、絵柄が好みな感じがするサムネのアニメをとりあえず片っ端から見るという数打ちゃ当たる戦法を取っていた中での出会いだった。
歌、ダンス、少し日常から離れた衣装(コーデ)、人と人の感情を描いた物語と、いろんな種類の好きなもの・関心が高いものがたくさん詰まっていて、週を追うごと目が離せなくなり、「来週のお話が楽しみ」な状態が続いた。
高校生になると買い与えられたスマホでニコニコを観るようになった。そして、Twitterに公式アカウントというものがあると知り、プリパラについての最新情報を得られるようになった。
ニコニコで視聴してるとライブ中のガヤみたいなのがいっぱいいてアニメを1.3倍くらい楽しめたし、Twitterで検索すると放送話の感想がたくさん見られた。でも現実の生活圏内にはプリパラを観ている人はおらず、「高校生から見てもこんなにおもしろいのにな〜」と自分だけが知る宝物を撫でながら、少し寂しく思っていた。
私が高校を卒業すると同時にプリパラは終わったが、家でも部活でもまあまあ大所帯の集団の中でいろんな人間とうまくやりながら生活していたので、中高の生活においてプリパラでの気づきが活かされることもあったし、反対にアニメに共感して悶えることや鼓舞されることも多々あった。元々の自分の思想に近い部分があったから、余計に沁みたということでもあるが、中でもプリパラが一貫して描いた「み〜んなトモダチ、み〜んなアイドル」「I friend you」という心の持ち方は私の心に深く根付いたし、それを目指していいのだという励ましにもなった。そして、その心持ちのうえで、周りに迷惑をかけるようなことをするとシステムというなにやら大きな仕組みによってそれなりに罰されるのも好ましかったし、安心できた。
大学生になると、いろんな趣味の人がいた。これまで知らなかった世界に出会えておもしろかったし、手に入れた新しいメガネを通して再びプリパラを観るとまた違った見え方をするのもおもしろかった。
大学生は基本的に暇でおもしろいものに飢えているので、最近プリパラにハマったという人とも出会えた。3年目にコロナ禍となり人と会えない日々も続いたが、そのおかげでプリティーシリーズのライブが配信ライブになり、地方住みの交通費さえ惜しい貧乏大学生にもプリチケが届いた。近くのカラオケ店でパソコンが繋げられるらしいという話になり、プリパラを通して友達にもなれたトモダチと、一緒に配信ライブを観たり感想を話したり続編制作決定に泣いたりした。バイトしたお金で、幼い頃は指を咥えて眺めてるだけだったアーケードゲームもした。プリチャンのマイキャラはいつの間にか3人もいた。
高校も大学も学校選びはうまくいったので、非常に生きやすかった。それぞれが自分の中に大切なものを持っていて、他人に興味はあるが過度にありすぎず、どうしたら自分の人生がなるべくおもしろくなるか?に各々が向き合っていた。まるでプリパラみたいだった。
働き始めると、プリパラ的な心持ちが全く意味を持たない場面が増えた。私の人生に関係ある人の種類が一気に増え、へ〜この資本主義社会というやつは、いろんな気持ちで出勤してくる人がいるんだなと思った。
そんな中で、始まりそうで始まらないアドパラが少し始まり、プリパラについて考え直すきっかけができた。もう最後にアニメを観てから時間が経ってしまったので、細かいところは忘れてしまったけれど、プリパラの物語の大筋は4年間&アドパラのどれも、大きくてよくわからなくて理不尽なシステムに改善を求める物語だったように思う。
プリパラの登場人物に悪役はおらず、敵のように感じる人は、ただこちらとあちらで考え方が違うだけとして描かれていた。その違いで衝突が起きたり悲劇が起きたりもするが、それら含めた1年間の大きな物語は最終的に「でもこんなことが起きちゃうこの仕組みって、システムって、おかしいんじゃないか?」という気づきに繋がり、「え、やっぱおかしいよね」「変えた方がよくね?」とざわざわしだして、「みんなで変えちゃおうよ!」になる。これはちょうど今の、社会人ランクかけだし研究生の私に必要な励ましだった。
これから先、50年も100年も生きるかもしれないが、おかしいと思ったことにはおかしいだろと言い、1人でできないことは人を巻き込み、生きてる間はなるべく楽しく過ごす、そんな有象無象の中のある1人の"アイドル"に私はなりたい。森脇監督によると、プリパラは100年も1000年も続いてるらしいですからね。いつからでも目指せます。
ハイブランドは中国人が作ってる、国内産のものは最低賃金ギリギリの貧乏職人が作ってる。そういう工芸品を買って「自分はいいもの買ってる」つって悦に入ってる人って人間性疑う。
ツイ廃は暇なんだよ。
今は貧乏でも働かずにそれなりに暮らせる。
これはイーロンになるずっと前から
変わってない。
ユーザーが先鋭化するからインプ稼ぎのライターやインプゾンビがXにおいて幅を利かせることで
それまで暇潰しに馴れ合ってた貧乏で頭の悪い弱者は淘汰されていってる。
かと言ってコイツらは自分の意思で他のプラットフォームに移住する決断力も無いから
ダラダラとXに居座るけどな。
…なんて絶対に考えるなよ!なんたって「テロは許されない」だからな!
日本が30年以上も貧乏続きなのは政治家やマスコミや世論を操っている緊縮増税カルトの財務官僚が原因で、
もしも増税クソメガネ(※特定のry)をブチ殺しても、次の総理大臣が「増税○○」になるだけだけど、
だからといってブチ殺す対象を財務官僚(※特定のry)に変更しようなんて考えるなよ!
そもそも財務官僚(※特定のry)は政治家みたいに護衛のSPベタ付きじゃないからブチ殺すハードルは一気に下がるけど、
それでも絶対にブチ殺そうなんて考えるなよ!
事務次官級の財務官僚(※特定のry)にパイプ銃やパイプ爆弾をブチ込んで物言わぬクソ袋にしてやろうなんて、絶対に考えるなよ!
存命中の事務次官経験者の自宅を特定して、宅配業者を装ってお宅訪問して一家皆殺しにしようなんて、絶対に考えるなよ!
登庁中の財務官僚(※特定のry)の群れにトラックで特攻したりガソリンをばら撒いてダース単位でブチ殺そうなんて、絶対に考えるなよ!
【免責事項】
養護施設に行ったほうがよさそうだけど親の思想が強くて通常学級に入れられているような、お世話が必要な子、
こういう子のお世話係にされている子は「無能の武器化」が下手な子ばっかでした。
世話好きってよりは、嫌なんだけど嫌がりながらもそつなくお世話をこなせてしまうせいで、担任から「よろしく」されてしまうんだよね。
この場合、通常学級に入れる親が最も悪くて(これだけは譲れない)、次に子供に子供の世話を押し付ける担任が悪いんだろうけど、
誰が悪いとか言う前に子供は自衛のスキルを身につけなきゃいけないみたいなところがあって。思想が強い親は存在するし、学校の先生が人手不足なのも現実だから。
ここでお世話に「失敗」するとか、「いじめる以外の方法で養護っぽい子になんとなく嫌われるのが上手い」とか、
うまいことお世話係・貧乏くじから逃れる方法がうまい子というのはいて。
それが企業において、評価される仕事は全力で取り組むけど、昇給や高評価にまったく繋がらない雑用的なものは他人に押し付ける、というムーブのうまさに繋がっていく。
基本、マイナスをゼロに戻す系の作業って、評価されにくいしカネにならないんだよね。
だから「無能の武器化」で妻に家事育児負担を全部押し付ける夫…という文脈が出てくるのも、家事育児というものがマイナスをゼロに戻す系の作業だから。
子供ってある程度育ってヒトのていをなしてくるとかかわる楽しさもあるかもしれないけど、乳児なんかマイナスをゼロに戻すのと危機回避だけだからね…失敗したとき叱られるだけっていう、地雷業務なんだよ。
「無能の武器化」がうまい夫にイライラしている妻が多そうだけど、「無能の武器化」ができない男だと、会社でも雑用係にされて出世できないかもね。
雑用回避しつつ出世できそうな案件はガッチリホールドできる、というタイプの男ですらなく、社内ニートだった場合はご愁傷様です。それが最も地雷案件。家でも会社でも何の役にもたたない、ただの搾取者。
客層はいい方だったから、大体のお客さんは会計が終わった後「ありがとうございます」とか「どうも」とか言ってくれるんだけれども、目を合わせてまでそれを言う人は全然いなかった。
今日スーパーでのバイト時代の夢を見て、それをきっかけにそのことを思い出して、ふと疑問に思った。
そういや、なんで目を合わせないんだろう。
街中で買い物してても、大抵みんなスマホ見ながらお礼言うか、下向きながらお礼言ってるんだよね。
かく言うわたしも、お礼をいってても目を合わせていないことの方が多い。
まあレジにいる店員なんてさ、会計のための装置の一部であって、お礼言ってるだけマシなんだろう、と元レジ店員としては思うけれど、でも、小学校とかでさ、しっかり目を合わせて笑顔で挨拶しなさいって習うじゃん。
だから目を合わせてみようって思った。
ちょうど今日は職場のサボり野郎の分のカバー残業をしたことへの詫び休日をもぎ取った日だったので、スーパーに買い物に行った。
いっつも使っているスーパーは安い割に新鮮で種類も多いチェーンスーパーなので、黄ばんだランニングシャツをきたじいさんから、グッチのカバンにきゅうり入れてエコバックにしているマダムまで、社会階層ボーリング調査して各層から無作為につまんでみました〜みたいな幅広い客層がいるんだけど、今日は特に混んでた。勿論レジも。
わたしもレジに並んで、会計してる人眺めてても会釈してたりお礼は言っててもやっぱ目を合わせていない。
でも彼らにとっちゃそれで十分なほどに礼儀正しい行いで、それに疑問にも思っていないんだなって。
一応、それが悪いとはいってない。
過度な礼儀は卑屈だし、逆に恐怖だし。
でも、お礼言うついでに目を合わせてみるぐらいいいじゃんねえ。
そしてわたしの番が来た。
店員さんはカゴに視線を落としたまま言った。わたしは視線を店員さんに向けたままメンバーズカードを差し出した。店員さんはサッと受け取ってカゴを見つめたままありがとうございます、と返してくれた。
そのまま商品が流れるようにわたしのマイカゴに受け取られていく。たまごをカゴの底に置いて、潰れやすいオクラはあとで積み上げるように避けて。
無数の人の中の一人であるわたしが、バラバラに、法則もなく選んだ組み合わせの商品が、一番最適な形でテトリスみたいに丁寧に詰められていく。
「4623円のお買い上げです」
店員さんが言って、わたしは5000円を差し出した。店員さんはチラとわたしを見てお金を受け取った。
「377円のお返しでございます」
カルトンにお釣りを返される。わたしはそれをさっさと財布にしまうと店員さんの方を見た。
わたしがそう言ってから、店員さんは0.5秒ほど目を伏せたままだった。が、わたしの視線に気付いたのかパッと顔をあげてこっちを見た。そして少し驚いたように目を見開いて、小さな会釈を2回して、そして「ぁりがとうございました」と言った。
レジを去りながら、驚かせてしまったかと少し脇汗が出た。別に悪いことしてないのに。
振り返ると、店員さんは次のお客さんの会計を進めていた。やっぱり目を伏せて淡々と会計を進めていた。トマトを避けて、キウイを避けて、潰れにくいものから順番にカゴに入れていく。
機械のように精密に。
それを見てて、みんなが目を合わせないのって、邪魔しないためだったのかもな、と思ったりした。
たとえばだけど、陶芸家が集中して作品作ってる時、覗き込んで話しかけたりしたら手元狂うじゃん。
そういう気遣いの形でもあったのかなって。
もしそうなら、悪いことしたかもな。
10年以上前、高校生のときに自分のお小遣いで買った3枚で300円のトランクスが破けた。
ゴムなんてとうに伸び切ってるから自分で紐を買って縫い付けて使ってたトランクス。
お母さんから貰ったお小遣いを握りしめて近所のライフに行った。
2階の衣料品コーナーにパンツはあった。でも値段がおかしい。3枚セットで1500円。
どうなっているんだ日本は。
余ったお金でお菓子でも買おうと思ってたのに!というか、お小遣い1000円しか貰ってないから買えないじゃん!