はてなキーワード: 東洋とは
あの透けている「宝石感」と硬質な感じとCGが完全にマッチしていて最高のCGアニメーションだったよね!!
原作が白黒だと見た目似てるから混乱しやすいところを、アニメだと色と声がついて見やすくなってるのもいいなー!
さらに曲も最高なんだよ…サントラよく聞いてる。世界観がそこらへんにあるものではなく、東洋の文化を感じるところもいいよね!
面白いところで終わるから是非アニメの続きも原作で見てほしいな。
あのときアニメを見たあと原作を読んだんだよねぇ…懐かしいな!
石には血も涙もないけれど、心はあるんだ。
何度世界が滅びようとも宝石は美しくあり続け祈りは世界を照らすだろう。そう願ってならないのである。世界は残酷で心も残酷だ。人はいつだって何者かになれると信じている。もがき、あがき続けた結果でるのは成果ではなく間違いかしれない。誰かのためを思ってやったことは全て間違いだったのかもしれない。しかし止まることはできないのだ。人間とは愚かでおぞましく、だからこそ美しい生き物だから。でも石は救われない。輪廻転生には含まれない。石はただそこにあるだけ。どうにもならないのだ。そこに魅力を感じたり感じなかったりする。シンシャかわいい。
正しい排便、残便感のないスッキリ排便は、多くの人民にとって興味深い事ではないだろうか。
最近吹聴されている良い排便フォームとして、ロダンの彫刻「考える人」の姿勢をとることが推奨されている。
つまり、片肘を腿に付けるような深い前傾姿勢が排便に適切なのだそうだ。
基本的に牧畜民族であった西洋人と違い、農耕民族である平地部の東洋人は、基本的に姿勢が悪い。勿論モンゴルなど東洋においても中央アジアは牧畜民族であるから、基本姿勢は良い。
牧畜民族は広い平原を見渡しながら羊や牛を追っているので背中はまっすぐに伸びるが、農耕民族は地面に向かって作業を続けるので猫背になる。
だから農耕民族は基本的に姿勢が悪い。その中でも特に床に座って生活する文化の民族はさらに姿勢が悪くなる。床に座って胡座をかいたり壁に寄りかかると、背中は湾曲し猫背となる。
東洋の農耕民族を主体としていても、例えば中国大陸においては床に座らず椅子に座っている地域が多い。これはカンフー映画や中国時代劇映画などを観ると分かるが、室内でも椅子に座っており、床や地べたに座ってはいない。だから自然と姿勢は良くなっている。
東洋の農耕民族でありしかも長年にわたって床に座ってきたのが日本民族である。
日本においては何かというと「背筋を伸ばしなさい」「姿勢を正しなさい」と口酸っぱく言われるのが、それは日本人の基本姿勢が極めて悪いことの裏返しなのだ。元々背中がまっすぐ伸びている中央アジア以西の牧畜民族の世界ではそんなことをいちいち言うことは稀である。
さて、話をうんこに戻そう。
言うまでもないが、「考える人」は西洋の芸術作品であるから、元来は牧畜民族でしかも椅子に座って生活している西洋人の姿勢である。だから実際には背中は比較的真っ直ぐに伸びているのである。あれをリラックスすると自然と猫背になる日本人が真似しても、外見上は似ていても実態は異なる状態になることは最早言うまでもない。
日本民族にとって、もっとも排便しやすい姿勢は、あの和式便器の姿勢である。これは俗に「ウンチングスタイル」と呼ばれていたがこれは不適切であり、より正しくは「ウンチングフォーム」と呼ぶべきであろう。この状態では比較的に背中は真っ直ぐに近くなり、それでいて膝や腿は胸のすぐ前に来るのである。
我々日本民族は、この状態を洋式便器上で再現すべきなのだ。以下にのその方法を示す。
1. 便座に座り、受勲式に望む軍人のように背筋を伸ばし胸を張る。
2. 上半身のその姿勢を崩さずに、乳首を膝の方へ近づけていくように前傾する。
これはロードバイクの乗車姿勢における俗に言う「やまめ乗り」に似ているかもしれない。だから言い換えれば「やまめうんこ」である。
アレン・ネルソン『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』より。
(貧困と黒人差別から抜け出すために海兵隊に入り、ベトナムで戦闘と残虐行為に明け暮れた著者が、帰国後に深刻な後遺症に悩まされることになった回想録)
実戦さながらのはげしい訓練をのぞけば、沖縄はわたしたちアメリカ兵にとって毎日がカーニバルのような楽しい島でした。
ただし、それはあくまでもアメリカ兵にとってであり、沖縄の人々にとっては悲しく屈辱的な島だったはずです。
ベトナムで戦火が拡大していた時代でしたから、沖縄のどの基地も、ベトナムに行く兵士、ベトナムから帰ってきた兵士で
あふれかえっていました。明日には死んでしまうかもしれない兵士たちは、ありったけのお金を使って酒を飲み、
女性と遊ぼうとします。そんな兵士たちが遊ぶことができる場所がたくさんあった沖縄は、まるで巨大な遊園地のようだったのです。
太平洋戦争最大の激戦地であったということ。多くのアメリカ兵がそこで戦死したこと。
しかし最後にはアメリカが勝利したこと。その結果、沖縄がアメリカのものになったこと。
わたしたちが教えられるのは、そんな勝者の視点から見た沖縄であり、何万人もの沖縄の人々が死んだことについては
いっさい教わりませんでした。
当時、沖縄はまだ日本に返還されておらず、アメリカのものでしたので、アメリカ兵は沖縄は自分たちの国の一部という感覚でいました。
しかし、そこに住む人々は、アメリカの島でありながらアメリカ人ではなく、それは東洋人であり、
つまりベトナム人と同じ人種で、住む国がちがうだけなのだと思っていたのでした。
わたしたちは東洋人の一人一人を見分けることができませんでした。みんな、同じ顔に見えましたし、それでもまったく問題はなかったのです。
なぜなら、わたしたちは東洋人を、そして沖縄の人々を人間として見てはいなかったからです。
アメリカ兵はベトナム人のことを「グークス(gooks)」という言葉でよんでいました。
それは東洋人をバカにして言う言葉です。サーカスの見せ物小屋にいる異形の人間。そんな意味もあります。
アメリカ兵が沖縄の人々をよぶときは、この「グークス」ではなく、「ジャップ」という日本人をさげすんで言うときの言葉を使っていましたが、
その意味するところは「グークス」とそれほど変わりません。そこからも、わたしたちが沖縄の人々を
どんなふうに考えていたかがわかるでしょう。
たとえば、街にくり出して飲んだくれたときなど、キャンプ・ハンセンにもどるにはタクシーを使いましたが、
料金をふみたおすのはしょっちゅうでした。タクシーの運転手が支払いを催促しても、わたしたちはニヤニヤ笑って無視します。
それでも、運転手がしつこく請求すれば、わたしたちは運転手を車の外に引きずり出し、気絶するまでめちゃくちゃになぐるのです。
それは女性と遊ぶときも同様です。女性がお金を要求しても、はらう気がなければ無視しましたし、
それでもしつこく要求してくれば、女性でもようしゃなくなぐりつけました。
街を歩いていても、わけもなく沖縄の人々をバカにしたり、おどしたりしました。
そんな悪行のかぎりをつくしても、アメリカ兵は逮捕されることはありませんでした。
基地のゲートをひとたびくぐってしまえば、わたしたちは安全であり、沖縄の警察の手がおよぶことはなかったのです。
軍にとがめられることもありませんでした。
アメリカ兵一人一人は莫大な国のお金によって兵士として育てられ、そして戦場に送られるべく沖縄にいるのですから、
わたしたちが牢屋に入れられるのはアメリカにとって割に合わない、ばかばかしいことなのです。
どんなことがあっても、わたしたちには戦場に行ってもらわなければならないのです。
そのためには、わたしたちの犯した罪ですら、アメリカは見て見ないふりをしたのです。
むしろ、アメリカは、わたしたちがじゅうぶんに暴力的な兵士に改造された証だと、沖縄の人々へのアメリカ兵による犯罪に
大いに満足していたはずです。
そういうわけで、基地のフェンスの中に逃げもどることさえできれば、どんなにひどい犯罪を犯したとしても、それを笑い話や手柄話にできたのです。
「日本は独り身に優しい」っていうのは尤もだ。
カップル文化のない(プロム何それ美味しいの?)東洋の島国においては、ファストフードはおろかイタリアンや日本料理、高級フレンチはキツいか……?と思いきや、案外ひとりでボトル開けてる人もいる。
こういった「おひとりさま」文化は素晴らしいと思う。増田もコロナ前までは心赴くまま、同行者にあれこれ煩わされることなくグルメを堪能し酒を飲みに出掛けたものである。流石に今のご時世では頻度が減ってはいるが。
ちなみに好きな番組は吉田類の酒場放浪記で、BSの再放送を見ながら「あー、これ前に放送したの覚えてるわ。あっ、ここ行きたかったんだよなぁ、メモメモ」と独り言ちながら晩酌するのが月曜夜の少なくない楽しみだ。
最初の10分くらいは煎餅屋とか甘味処で舌鼓を打ったり鉄道模型屋を散策したりと飲酒には関係ない前座的なVTRが流れるのであるが、たまに待ちきれずに一杯やってしまうこともあり苦笑してしまうことがある。
やはり周囲の目は気になるし、女の一人客だからとプークスされることもあった(これは時代も多分にあったと思う)。それも自意識過剰なんじゃないかと思い悩み、中々気軽に出歩けないでいた。
新規開拓はしたい、されど嫌な思いはしたくない。そんな思いを抱えながら鬱屈していた時、ふと銀座ライオンの前を通りがかった。
ちょっと気になってるんだよなぁ、ビール大好きでサッポロ党だし。個人店は入る勇気が出ないんだけど、チェーンだし大丈夫そうかな……?と、店内の様子をウィンドウ越しに窺った。
すると、おばちゃんが!!!一人で!!!呑んでいるのである!!!!!
有閑マダムといった風情ではなく、そのへんにいそうな主婦って感じのおばちゃんが一人で呑んでいるのである(今思うとジロジロ見られて気味悪かったよね、ごめんね)。
なんということか。今までは年配の女性といえば家庭に入っている専業主婦か商店のおかみさんみたいな人くらいしか知らず、しかもそういった人たちは夕飯の時間には家に戻り家族に食事を作っているというイメージしかなかった。
それなのに、私の見たおばちゃんは特に何ということもなく、ごく普通にビールを飲み干しツマミを食べているのだ。そう、周囲のサラリーマンと同じように。
(余談だが、土山しげるの「荒野のグルメ」2巻を持ってる人は作中の「神谷バー」にてジョッキの下にハンカチを敷いていた粋な老婦人を想像していただきたい。あんな雰囲気である)
そして導かれるようにして入店しエビスの中ジョッキと何かツマミを頼んだのだが、あいにく当時の詳細は覚えていない。
とはいえ、それを契機にして一人で飲み歩くようになったのは確かである。羞恥心もかなぐり捨て、気になる店には臆せず突撃……は、たまに敷居が高くて出来ないこともあるけど、割かし勇気を出してチャレンジするようになった。
そしてキッカケとなった銀座ライオンや系列のエビスバーには今でも通っている。通ってみてわかったのだが、他の飲み屋に比べて圧倒的に女性の一人客比率が高い。遭遇すると勝手に仲間意識を抱いてしまう。
特に好きなのは真鯛のカルパッチョと大人のポテトサラダ(エビスバーでは少しずつチョイスできる盛合せがあり、酒飲みのアフタヌーンティーセットという風情だ)、野菜のピクルス、マグロだかカツオの角切りを生姜仕立てで甘辛く炊いたん(店によってあったりなかったり、またメニューが入れ替わってる可能性あるかも)
また、ランチとかに出している「銀座ライオンのよくばりプレート」は、その名に違わず欲張りで『大人のお子様ランチ』を冠するに相応しい内容とボリュームである。オムライス、ハンバーグ、エビフライが大人の舌に合うようにアレンジされワンプレートに乗っかっている。
それを真昼間からビールで流し込む(当然、昼も呑める)のだから、情報の洪水というか背徳感マックスというかサービスされた机の上を何が何やらと呆然と眺めること請け合いである。
ダイマついでに言わせてもらうと、特に会員登録とかしなくても700円以上飲食した会計のレシートに記載されてるアンケートに答えると、次回来店時に小ビール(あるいはソフトドリンク)1杯無料という太っ腹なサービスまである。
有効期限は利用日の翌月末日まで(つまり8/1に飲食したら9/30まで有効)しかもしかも、系列店を問わず使えるのでエビスバーで飲んだレシートを安曇野庵で使う、という芸当も可能なのだ。
ついつい熱弁を振るってしまったが、社員というわけではないので事実誤認などあったらご容赦願いたい。何ならトラバやブコメで突っ込んでくれ。
そして自分がおばちゃんになった今、一人呑みしたいけど勇気が出ないというお嬢さんが、席にいる増田の姿を見てフラフラと入って愉しさに目覚めてくれたら嬉しい。(でもコロナとか、くれぐれも自己責任で気を付けてくれよな)
昨日、銀座ライオン行った帰りに「あ~、久しぶりに楽しいなぁ」って沸き上がった気持ちの赴くままクソデカ感情を書きなぐっただけの増田がホッテントリに入っててビックリした。
色々とお見苦しい部分もあると思うが、酔っぱらった勢いということで何卒ご容赦を。こんな形で話題にされるのは初めてで、なんというか面映ゆいというか恥ずかしいというか……恐れ入り谷の鬼子母神ですわ。
ブコメで創業祭を教えてくれて、ありがとう! ビール半額とか最高かよ。こんなん、明日も飲みに行かなきゃじゃん。普段ポップとか見ず行きたい時に行ってる感じなのでね、昨日も会計時にポイント2倍つくって言われてたまげた。
あとレシートについて補足してくれたブコメもあるけど、財布見たら確かに! レシート引き換え方式から変わったんだね。いつも、次に店行った時に呑みながら回答するのが常なので気づかなかった。
あと言い忘れてたけど、勿論ソーセージとザワークラフトも本格的で美味しいし、あと最近ハマったのは金華さばの生ハム。いい感じに生臭くてビールに合うのでオススメ。すぐ出てくるよ
色んな店舗の情報もありがとう! 時期柄、遠出は暫く出来ないからコロナ落ち着いたら行きますね。それまで地元で各系列店をハシゴして回ろうかな。
それじゃ、またどこかで
「新型コロナワクチンはビルゲイツの人口削減計画で……ウクライナにディープステートの生物兵器工場があって……トランプとプーチンは世界的陰謀と戦う光の勢力で……」
僕にとって「占いで~と出たから~」とその日やるべき事やってはいけない事を決めたりラッキーアイテムを身に着けていたりする女は、陰謀論者の男と同じぐらい嫌悪感を抱かせる存在だ。
昔の彼女がホロスコープと風水が趣味で(西洋と東洋の占いが合わさることで最強になると思ったのだろうか?)「勉強」を重ねるにつれて、ただの遊びやファッションを越えて僕の行動に注文を付けてくるようになったので耐えられなくなって別れてしまった。
今は占い全般を「アホくさ」と嘲笑う女性を妻にして幸せに暮らしてる。結婚は同じ物が好きな相手よりも、同じ物を嫌い蔑んでいる相手とした方が良いのかも知れない。
男の人ってなんで占い嫌いなんだろ