はてなキーワード: 数字とは
キューバ危機で動かんかったのは、キューバ危機を引き起こすような状況になってた時点ですでに進められてたからやろ
具体的な数字を早く出そうね
何となくふわっとした所感だと、男性向け同人は商業の感覚に近くて、女性向け同人は同人の感覚に近いってことなんじゃないかという気がする。男性向けは数字が出れば正義だし、買う側も市販の本を買った時みたいな、買ったけどこれは合わんかったわーという感覚で、作者と読者の距離が比較的ある。感覚的に遠いから、作者に直接文句を言いに行くには、ちょっとハードルがある気がする。
女性向けは同好の士と楽しむもので、伝わる人に伝われば良いって感じで、だからぷらいべったーとか伸びるためじゃないツールも使うし、作者と読者もすげえ距離が近いと聞いたことがある。作者が近いというかもう同じ土俵だからお互い文句を言い合う、配慮し合う文化が生まれたんじゃないかな?
もちろん界隈とか個人によってめちゃめちゃ違いはあるし一概には言えないけども。
その発表した資料に裏付けのある客観的に信頼できる数字が示されてなくて
全て「〇〇ほど」とか「少なくとも」みたいな主観的なドンブリ勘定で
後付けでどうにでもなるような説明がなされてるだけだからスルーされてるんですよ
というかそこもう通り過ぎてる段階です
悪い意味のオープン、とにかく売れて動いて数字が出ればいいねっていう思想がたいへん強い。
抜きが目的のカジュアル消費者が女性向けの多分1000倍くらい居て勝手に刺さってくれて自尊心満たす手段として成立してる。
わからない人間が入ってこれないようにという配慮は基本的にない。お前もそうなんだろ?合わなかったら合うのを探しなよという文化。
ただし創作するのが目的な人や創作する人とツルみたい人は相応のハードルがやっぱりある。露骨ではない符牒だってあるからあんまり雑な事言わない方がいいよ。
僕のバスケ歴は割愛するが、一応、最低限はバスケを語れる資格を持つ経験者だ。
スラムダンクは漫画は全巻持ってたし、連載当時に週刊少年ジャンプでも読んでいた。
でも、他にも色んな漫画をたくさん読んでいたから、特に好きな作品な訳では無いが、スラムダンクを語れる資格も持っている筈だ。
プロ選手になるという夢が存在しない分、現実的な折り合いを付け易くなる。
社会人になった元経験者達が資本主義の世界の中で大人になって、自分の取り組んでいたアマチュアスポーツを盛り上げようと画策する。
例えば、バレーボール。
そこまで人気でもないのにも関わらず、毎年、日本では世界大会を開催。
試合中に今のスパイクは何mの高さだったと計測された数字がリプレイと共に表示される。
人気に見合わない大袈裟な演出は、野球やサッカーと比べても遜色ない練習の過酷さが当たり前のバレーボール経験者達がサラリーマンとして社会で活躍しながら競技を後押しし続けた結果だと思う。
一方、バスケットボールはバレーボールと異なり、野球と同じで日本に強い影響力を持つアメリカ合衆国の4大スポーツの一つだ。
サッカー、野球、バスケットボールは、日本が戦後から続く海外への憧れを象徴するスポーツだと思う。
しかし、野球やサッカーと比べて、バスケットボールはようやくプロ化に辿り着いたが、まだまだ日が浅い。
野球ほど社会的影響力は無いし、サッカーと比べて世界的人気は少ない。
だから、プロバスケ人気を盛り上げるための苦心の策として、 数年前にLEDパネルのコートで行われたBリーグ開幕戦の試合中継なのではないかと思う。
しかし今のところ、バスケは観るよりもプレイした方が楽しいスポーツだと思う。
現状の日本バスケ界に不足している重要なピースの一つが、世界観作りだ。
サッカーにおけるキャプテン翼のように、日本バスケ界でその一役を担うのが、この映画『THE FIRST SLAM DUNK』なんだと思う。
今のスポーツ中継のカメラワークは、どの競技も完成形だとは思うべきでは無い。
ドローンなんて現時点のテクノロジーによる妥協の産物に過ぎない。
モーションキャプチャーのCG合成をリアルタイムで処理しながら無制限のカメラワークをコントロール出来る時代を待つしか無い。
それが実現するのは少なくとも100年先の未来になるだろう。
でも、CG作品ならば、フィクションの試合を無制限のカメラワークで演出することが可能だ。
『THE FIRST SLAM DUNK』は100年後の試合中継のカメラワークだった。
かつて映画製作を学んでいた僕は、映画を観るためではなく、バスケの試合を観に行くつもりで数年ぶりに映画館へ足を運んだのだ。
そんな僕の判断は間違ってないと思った。
当初、ジャイアンの声優の人が桜木花道であることを知って、困惑した。
ジャイアンを襲名したからには、ジャイアンの色が付いて回る宿命をスラムダンクに持ち込んで欲しく無いと思った。
監督がリアリティを追求した結果、出刃庖丁を持った2mの巨漢が全国大会のコートに乱入する大事件はオミットされた。
桜木花道は終始、バスケ歴4ヶ月のフィジカルモンスターだった。
デニス・ロッドマンそのものだった。真っ赤な坊主頭が試合を引っ掻き回してた。
かつて緑川光が演じた流川楓も、味方にパスをしない異常プレイヤーだったし、寡黙なキャラに合った雰囲気さえあれば声優なんて関係なかった。
急展開過ぎる。
もう少しモーションキャプチャーの演技でスタミナ消耗の下降線を丁寧に描けよって笑ってしまった。
バスケットボールを描くに当たって、ボールのドリブル音、バッシュの音にしっかり拘りを持った演出をするのは明らかだった。
けど、屋外を歩くだけのシーンでも露骨に足音を鳴らすのはやり過ぎ。この一点だけは偏執過ぎる。まさに勇み足だ。
僕の記憶が正しければ、バスケのルールとして、敵陣のゴール下の台形ライン内に3秒間ずっと入りっぱなしだと、3秒ルールが適用されて相手ボールからのスローインになってしまう。
湘北高校のオフェンス時の桜木花道の立っている位置は台形内っぽいことが多い気がした。
桜木花道は何度も3秒ルールを食らってないとおかしいと思った。
渡米していた宮城リョータの出現にえっ!?と一瞬、頭が混乱した。
というか、この映画自体がスラムダンク奨学金のための伏線だったのか…と思った。
その中での90点だ。
100点じゃない理由は原作漫画を読まないと理解出来ないからだ。
当時、原作漫画を読んだバスケ経験者の親達は、この映画を観た感動を情熱に換えて子供と日が暮れるまで沢北の父親さながらの1ON1を続けるだろう。
原作者であり映画を監督した井上雄彦は、バカボンドのヒット後にどこかの寺の襖だったか屏風に直筆を描いて日本画の領域に進出した。
結果は散々。漫画は所詮は漫画であり、漫画絵が日本画と肩を並べることは叶わなかった。
かつて、日本映画界はアニメーション映画を日本映画として認めていなかった。
日本映画界が斜陽が限界点を突破した結果、映画産業を水増しするためにある時期を境にアニメーション映画を渋々受け入れた印象がある。
日本のアニメ界はファンタジー性や虚構に拘り過ぎている節がある。
だから身勝手に3.11を風化している扱いにして傲慢なアニメ作品で大プロモーションをしちゃったりする訳よ。
『THE FIRST SLAM DUNK』のようにモーションキャプチャーと2Dライクな3DCGを使ったリアルアニメーションこそ、次世代の日本映画だと思う。
ちなみに、小学2年生になる息子がいる。
高校時代は山王戦でメガホンを持っていた奴らのような惨めな3年間を送った過去のある僕は、子供に運動部の残酷さを味わせたく無いと思っている。
でも、たまに、自宅の庭でバスケットボールを使ってドリブルやパスの練習をして遊んでやってた。
昨年、小学校の七夕に「バスケがしたいです」と書いていたことを耳にした時は狼狽した。
で、今回の映画鑑賞は息子を初めての映画館に連れて行った訳だけど、感想を伺ったらバスケに目覚めなかったらしく、内心ホッとしている。
全員が暇空茜の賛同者では無いんだろうけどライブ配信では結構凄い数字で、人気Youtubeチャンネルの音楽ライブ企画とか大会企画のライブ配信では同時視聴が万人桁に至ることはあるけど、そんな人気Youtubeチャンネルを持ってるYoutuberの日常的な配信は今回の暇空茜のプレミアム公開同時視聴と同等規模なのよね
この規模感を超えるには日本のYoutuberのトップランカーじゃないと無理なレベルで、暇空茜は少なくともYoutubeでは人気Youtuberと表現しても差し支えないユーザーを獲得してしまっていることになる
ライブ配信(またはプレミアム公開)ってのは時間的リソースを食いがちで、だからこそ昨今はいわゆる「切り抜き動画」などが人気なわけだが、暇空茜はそんな時間的リソースを食うコンテンツで同時視聴5,000人を達成できる注目度を持っているわけだ
しかも、暇空茜の裏では人気Vtuberトップグループのにじさんじが、それこそ人気ゲームタイトルのマリオカートのグループ内大会(第5回マリオカートにじさんじ杯/同時視聴14万人)がライブ配信されている状況で5,000人を集めてしまった
普段はてな界隈で沸騰する話題の規模感を暇空茜は越えてしまっていると言って過言でなく、はてなやTwitterだけに留まらずYoutubeで注目される話題と言えるレベルになってしまった
趣味の相談ではあるけど、統計やデータ分析のスキルは持ってたほうがいいと思ったりはしてる。
弊社、バカばっかりで、1,2,3、いっぱい、くらいしか数の概念がない。
大好きな規制要件に「統計的に証明しろみたい」な文言があったりすると、フリーズしてる。
偉い人がガイドラインの説明会を聞いてきて、俺なんかより馬鹿だから理解できず、そのくせ、「ガイドラインは順守しろ」という感じで工場にぶん投げる。
pdfになってるレポートの数字から手打ちでExcel、デタラメな数式にデタラメな解釈。
数字はわからんのに、ガイドラインばかり読んでる言葉の定義にうるさいジジイ達ばかりなんで、どうでもいいところで会議は紛糾。
本来、俺なんかがやるべきじゃない、データ分析が俺のところにきてたりする。
本当は、専門家に投げるべきなんだろうけど、弊社社員はなにをどう分析したいかというのが言語化できない(言語化できたら分析は終わったようなものだし)。
結局、21世紀の資本を文学として読むか技術書として読むかの違いなのだろうね。
文学として読むなら、原著にあたりながら細かなニュアンスまで可能な限り訳すべきとなるから、重訳では訳し落ちる部分があるという批判はよくわかる。
一方で技術書として読むなら、論理の流れや数字が合っていれば細かなニュアンスまでは不要となるから重訳でも問題ないし、ニュアンスなんかよりテクニカルタームを良く知っている専門家に訳してほしいのはよくわかる。
ややこしいのは21世紀の資本が経済のことを歴史から実証しようとする啓蒙書であるので、文学しても技術書としても読めるということ。
もちろん、フランス語に堪能でかつ経済学にも詳しい人が訳すのが最善なのだけど、そんなニッチな人が居るのか、居たとして引き受けてくれるかという問題がある。
次善の作はフランス語に堪能な人が訳した文を、経済学に詳しい人が(英訳を参考にしながら)監修することだけど、ただでさえ出版不況が言われている昨今で、数千部出れば御の字の学術書にそこまでコストをかけられるかというと出版社としては厳しいわな。
21世紀の資本はベストセラーになったけど、それはあくまで結果論でしかない。
個人的には、21世紀の資本では細かなニュアンスよりは論理の流れや数字の方が重要だと思うので、重訳に全く問題がないとまでは言わないが、大きな問題はないと思う。
何が何でもColaboをぶっ叩きたい人や、何書いても単芝で煽ってくる当たり屋、いつも何かに怒ってる人など、人生楽しくなさそうな人が増えた気がする。
2年ぐらい前まではもう少し楽しい話やしょうもないアホなネタなど、読んで楽しくなる話題も今より多かった気がする。
どこで数字見られるかわからないけど、増田もアクティブユーザー減ってんじゃないかな。
単体でお金稼げるサービスじゃないし、はてブに記事を供給する役割しかないヘイトの温床の増田をいつまで維持してくれるんだろうな。
で、具体的に数字聞いてるだけどないの?
一応専門サービス業だし、国家資格持った従業員がサービスを提供してて、ワイもその資格は持ってるけど、
なんかよく考えれば誰でもできる仕事内容なんだよね。
別に高い志を持って仕事してるわけでもないし、人生の暇つぶしって感じ。
そもそも先々代が頑張って広い土地を購入してて、そのおかげで適当な経営しててもまあまあ金が残るってレベル。
どこまでいってもすべてがどうでもいい。
先代社長とかろくに数字読まないし、利益が先期より上がったか下がったかしか見てなかった。
上がれば喜ぶだけだし、下がれば部下に「下がってるぞ!もっとしっかりしろ!!」って言うだけ。
そんな会社でも70年は続いてるんだから、経営なんてそんなもんだよ。
スペイン代表監督は、「所属クラブでPK1000本練習しろ」と言っただけであり、代表の練習でPKを1000本練習させたわけではない。つまり各選手の自主性と所属クラブの善意に任されていた。
さらに、こういうネタが出るならその前後で「実際に選手が所属クラブでPK練習をする姿」の報道が出てしかるべきだが、これまで一つも出てきていない。
これから導かれる推測は、こうなる。
『スペイン代表選手達はPK1000本練習をやったかどうかは不明。報道状況を鑑みると、むしろ誰一人として1000本どころかPKそのものを練習していない可能性の方が高い』
見出しの数字に釣られるんじゃなくてちゃんと中身も見て欲しいね。今に始まったものじゃないが。
ちなみにスペインのPK戦はひどいの一言だった。GKの動く方向に合わせて蹴ってしまうキッカーと、相手がたいしたフェイントしてないのに蹴る1秒前に動き出してしまいコースをガラ空きにするGK。20年前のJリーグのPK戦(Jリーグチャンピオンシップやカップ戦など)で良く見られたシーンでもある。スペインがPK戦4連敗の理由が良く分かった。スペインはPK戦だけならFIFAランキング3桁になるんじゃね?