はてなキーワード: 博物誌とは
多分、18世紀半ばだな。
ドラゴンやユニコーンなどは、1世紀に書かれた大プリニウスの『博物誌』に記載があり、これは15世紀に活版印刷技術によってヨーロッパの知識人の間に広く読まれたが、
18世紀半ばにフランスで編纂された百科全書などには記載がない。
18世紀半ばは、くしくも博物学が発展してカール・リンネによる分類学など近代的な生物学があらわれた時代でもある。
おそらく、「いるかどうかわからん」扱いだった動物は、大航海時代と科学の発展によって「いるっつーなら伝聞じゃなくて証拠持ってこいや」という試練を受けて「実物がある」と「実物が無い(判断保留)」に分かれ、
とりあえずいると分かっているものを対象に生物学上の分類研究が系統的に行われるようになっていった結果、いつまで経っても実物が出て来ないから「まだ見つかってないようなモンを大昔の人達が見つけてたわきゃない。こりゃもういないだろう」という扱いになったのだろう。
1世紀の大プリニウスは、『博物誌』の中で、カエサルの名前の由来をこう記している。
Auspicatius enecta parente gignuntur, sicut Scipio Africanus prior natus primusque Caesarum a caeso matris utero dictus, qua de causa et Caesones appellati.(母の死によって産み落とされるとより幸運である。そのようにして生まれた初代のスキピオ・アフリカヌスのように、また母の子宮を切ったことによってそう呼ばれた最初のカエサルのように。また同じ理由でカエソもそう呼ばれる)
カエサルが長じてから生母アウレリア・コッタに宛てた書簡が存在することから、実際にカエサルが帝王切開で生まれた可能性は極めて低い。また、カエサル家はカエサルが初代ではない。
7世紀のスペインでイシドールスによって記された『語源』では、因果関係が逆転して記されている。
カエサルという語はユリウスに由来する。内戦が勃発するや、彼はローマの貴族として最高の地位を得た。他方で彼は死んだ母の切り取られた(caeso)胎内から引き出されたために、もしくは生まれつき豊かな髪(caesarie)を靡かせた子供だったために、カエサルとも呼ばれた。それ以来、彼の跡を継いだ皇帝たちもカエサルと呼ばれることになった。そして切り取られた子宮から取り出された者は、Caeso あるいは Caesar と呼ばれることになった。
イシドールスによる『語源』は後世に典拠として採用されることが多かったため、caesarという単語は、本来の意味と誤りを含んだ由来を併せ持ちながら、16世紀以降成立した帝王切開の技術を追うように、ラテン語のsectio caesareaという名称へと結び付いたと考えられる。
このあたりの話じゃないの
アナクシメネス(前585年 - 前525年)
アナクシメネスはミレトスの人で,アナクシマンドロスの一門であった.彼自身もまた,師と同じく基体なるものが単一かつ無限であると言ったが,しかし,アナクシマンドロスのようにそれを無限定的なものとはせず,限定されたものであるといい,空気がそれであると述べた.そしてそれは希薄さと濃密さの違いによって,あり方を異にする,という.すなわち薄くなると火となり,濃くなると風となり,次いで雲となり,さらに濃くなると水となり,そして土となり石となり,またこの他のものもこれから生ずる,というのである.
アリストテレス(前384年 - 前322年)
アリストテレスの気象理論で重要なものの一つに、太陽の熱によって生じる蒸発物がある。地とそれを囲んでいる水そして、地と水を覆っている空気が太陽の熱で温められると、二種類の蒸発物が生じる。一つは、煙のように乾いた熱いガス「煙状」、もう一つは湿った蒸気、つまり「霧状」である。
この乾いた熱いガスが、火と空気の間のあたりに上昇すると、そこに流れ星や銀河が発生する。今度は、湿った蒸気が上昇すると、空気と水の間のあたりに、雲や霧が発生し、それが凝縮すると、雨、露、雪、あられなどが発生する。
セネカと同時代の博物学者である大プリニウスは、どのように風の概念を捉えているのか。彼は自らの書物『博物誌』の第2巻の 42章のなかで、風の現象を以下のように記述している。
わたしは雨や風がこれらとは違う原因によって起り得ることを否定しようとは思わない。大地が湿った霧を、またときには水蒸気のために煙った霧を吐き出すこと、そして雲は高いところへ昇る湿気または凝縮して湿気になった空気でできることは確かだ。
https://anond.hatelabo.jp/20220630040756
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長い道
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働かないふたり
変身のニュース
足摺水族館
夜とコンクリート
無限大の日々
最果てアーケード
鞄図書館
バーナード嬢曰く
つづきはまた明日
雨柳堂夢咄
クレマチカ靴店
放課後保健室
GA学園
棺桶担ぎのクロ
夢の博物誌
二度寝してた……すまん
夢幻紳士(何篇かは忘れた)
あかりや(無料公開しているのにAmazonで買ってから気づいた)
https://www.mangaz.com/book/detail/46061
最果てのソルテ(水上悟志作品は完結済みだとサイコスタッフ、惑星のさみだれ、戦国妖狐読んでて戦後妖狐大好きだけど児童書よりは少年漫画寄りかな?と思って上げなかった。ソルテは児童書感が一番強いので一番に好きになりそう!)
銀のニーナ
なんてないことのふつうの夜に
春と盆暗
回転銀河
となりのロボット
ゆうてテガミバチもネウロもハガレンも大好きな人間なので別にとにかく面白いけどマイナーな漫画でも投げてくれて全然かまいません!小説映画曲アニメゲームドラマでも可
③なんでもいいので知らないおすすめ作品ぐらいの優先順位でお願いします。
児童書とラノベ読んで育ち漫画描き出してからは漫画ばかり読んでいるので他分野
ゲーム、映画、ドラマ、アニメ、女性向けの漫画は知識が薄いです。
つーわけで漫画に詳しいブクマカ頼みましたよ……私は寝ます……
無事本日の漫画増田になれたようで沢山ブクマでお薦めしていただきありがとうございます。
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今日、ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃に遡ると考えられている。物語は、その草創期においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられるホメーロスの二大叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に位置する傑作とされる。
巨体は星々と頭が摩するほどで、その腕は伸ばせば世界の東西の涯にも達した。腿から上は人間と同じだが、腿から下は巨大な毒蛇がとぐろを巻いた形をしているという。底知れぬ力を持ち、その脚は決して疲れることがない。肩からは百の蛇の頭が生え、火のように輝く目を持ち、炎を吐いた。
半人半蛇だけど「炎を吐く邪悪な蛇」のイメージにはなっているかも。
ラードーン(古希: Λάδων, Lādōn)は、ギリシア神話に登場する、林檎園の黄金の林檎を守っていた、100の頭を持つ茶色いドラゴン。
(中略)
口から炎を吐き、一説では顎の関節が尾にある為、体全体が口のようになっており、百の首を持つといわれている。
と、Wikipediaには書かれているが、ラードーンが火を吐くかどうかは定かでない。
何が出典なんだろ?
『ヨブ記』(ヨブき、ヘブライ語:סֵפֶר אִיּוֹב)は、『旧約聖書』に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教の伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされているが、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る。
『ヨブ記』によれば、レヴィアタンはその巨大さゆえ海を泳ぐときには波が逆巻くほどで、口から炎を、鼻から煙を吹く。
(中略)
その姿は、伝統的には巨大な魚やクジラやワニなどの水陸両生の爬虫類で描かれるが、後世には海蛇や(それに近い形での)竜などといった形でも描かれている。
ドラゴンになったのは後世。
プリニウスの著作で唯一現存しているのが、自然と芸術についての百科全書的な37巻の大著『博物誌』である。自然界の歴史を網羅する史上初の刊行物であった。
(中略)
プリニウスの『博物誌』10巻には、サラマンドラは斑点を持つ小さなトカゲで、雨が降ると現れるが晴れると姿を消し、体が冷たく火に遭うと溶けると記録されているが、これはサンショウウオに関する記述と考えられている。
また、『博物誌』11巻にはピュラリスというキプロスの炉の炎の中でしか生きられない動物が登場しており、精霊のサラマンダーはこちらに近い。上記の通り、炎を操る特徴からファイアー・ドレイクと同一視され、ドラゴンとして扱われることもある。
『ベーオウルフ』が成立した時期は、作品内部にも外部の言及としても成立の時期を特定する記述が存在しないため、必ずしも明らかではないが、8世紀から9世紀にかけての間に成ったと考えられている[3]。
第一部でベーオウルフは巨人(ドラゴンとも言われている)グレンデルとその母親と戦い、第二部では炎を吐く竜と死闘をかわす。 なお、インパクトが強くかつ謎の多いグレンデルとその親に関しては言及されることが多いが、炎を吐く竜に関してのものは少ない傾向にある。だが、同時にいわゆる「ドラゴンの約束事」(財宝を蓄え守っている、翼を持って空を飛ぶ、火を吐くなど)をほぼそろえている珍しいドラゴンでもある。
スラヴ民族は文字を持たなかったため、伝えられた神話を民族独自に記録した資料は存在しない。スラヴ神話が存在した事を記す資料として、9世紀から12世紀の間に行われたキリスト教改宗弾圧の際の「キリスト教」の立場から記された断片的な異教信仰を示す内容の記述が残るのみである。スラヴ神話は地方により様々なバリエーションがあったことが近年の研究により明らかになっている。
ズメイ・ゴルイニチ(「山の息子の竜」の意)の場合、3つ首以上、多ければ12の体幹を持つと表現され、火や毒を噴くなど、歴然とした一般の「竜」のイメージで描かれる。
『アングロサクソン年代記』はアングロサクソン史を古英語で綴った年代記の集大成である。編纂は9世紀後半のアルフレッド大王の治世に、恐らくはウェセックスにおいて行われた。
「火の竜」を意味する名前の通り、炎をまとい、口からも炎を吐く。空を飛び、それが現れる時は辺り一面、昼のように照らされる。曇天の空に不思議な光が走る時はファイアー・ドレイクが飛んでいるのだとされた。
隕石という説があるらしい。
『イヴァンまたは獅子の騎士』(イヴァンまたはししのきし、Yvain, le Chevalier au Lion)は、1170年から1181年頃にかけてクレティアン・ド・トロワにより著作された散文騎士道物語であり、アーサー王伝説を主題にした5作品のひとつである。
イヴァンは旅の途中で火を吐く大蛇と獅子が戦っているところに出くわす。イヴァンは問答のすえ獅子に加勢し、大蛇を倒した。これに恩義を感じた獅子は、イヴァンと行動を共にするようになり、イヴァンは獅子を連れた騎士とだけしか名乗らなくなる。
『黄金伝説』(おうごんでんせつ、羅: Legenda aurea または Legenda sanctorum、レゲンダ・アウレア)は、ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃 – 98)によるキリスト教の聖人伝集。1267年頃に完成した。
その時代、エチオピアの町では一人の魔術師が権力を持っていた。彼は常に恐ろしい二匹のドラゴンを連れていて、自分にはむかう者にけしかけていた。あまり大きなドラゴンではなかったが、口や鼻から火や燃える硫黄を噴出し、人や家を焼きつくしたので誰も魔術師に反抗できなかった。その噂を聞いたマタイは魔術師の元を訪れた。魔術師はマタイにドラゴンをけしかけたが、マタイが十字を切るとドラゴンは地面に倒れて眠り込んでしまう。
同じく「黄金伝説」に書かれている、有名な聖ゲオルギウスが退治したドラゴンは、毒を吐くが火は吐かない。
聖マルタが退治したタラスクは、「燃える糞を撒き散らす」と言われているけど、これ英語版では確認できなくない?
タラスクは、レヴィアタンとボナコンの子供なのだが、ボナコンの特徴である「燃える糞」が、日本語訳されるときに混同されたのでは。
といったところから考えると、5世紀くらいまでは「火を吐くドラゴン」概念は薄かったが、
8〜9世紀頃から伝承として語られはじめて、10〜12世紀頃にはすっかり定着していたという感じだろうか。
なぜ火を吐くようになったのか?
サラマンダーは、火をより大きく燃え上がらせる能力があり、火山の溶岩の中に住んでいるという伝承もある。
ズメイや、ヤコブのドラゴンは、吐く息から硫黄の臭いがするといい、火山を連想させる。
ドラゴンには「地を這うドラゴン」と「空を飛ぶドラゴン」の二種類のイメージがあるが、
蛇や蜥蜴からは空を飛ぶイメージがしづらいことを考えると、隕石からの連想には説得力がある。
そこから火を吐くように変わっていったことを考えると、これも自然な解釈に思われる。
うーん、わかんね。
追記。
「フンババの咆哮は洪水であり、彼の口は火を意味し、吐息はまさに死である」というのは単なる比喩なのでは。
つい最近1巻読んでハマって漫画全巻新品で揃えた、感想書くついで宣伝
宝石の擬人化という時点ですでにかなりキャッチーなのに、登場人物の宝石たちは上半身は少年・下半身は少女をイメージして描かれており性別もないので見方によってはBL・百合っぽい部分もあり、上品な色っぽさも兼ね合わせていて少女漫画寄りの絵柄でありながらもストーリーは主人公が努力して強くなる少年漫画的要素があり、さらにポストアポカリプスな要素もあり、みんなが好きなもの全部詰め込んだ感じ。
だけどすごくバランスがいいし、強欲な感じ?がタイトルの宝石らしくて良いと思う。
作中初期で主人公に与えられた「博物誌を編む」仕事もなんちゃって理系としてはグッとくる(あまり本筋ではないけど)。すごくメジャーな宝石は設定上?少なめなのもまた良い(鉱物詳しくないけど割とマイナー寄りがメイン張ってると思う)。ストーリーもダイナミックに話が変化するけど設定のおかげでスッと入ってくるし、細かい部分も練られている感じがする。
独特なタッチで万人受けする絵じゃないと思うけど、ハマる人は結構いそう。
映像だと綺麗な色が映えるだろうし10月からのアニメが楽しみだ。放送局少なくて見れるか心配したけどネット配信充実してそうで一安心。
そんなに嫌いじゃなかった。博物誌を読んだことはなかったけれど、漫画で追体験できるなら悪くはないかなって思っていた。
テルマエ・ロマエも嫌いじゃない。最後あたりはどうしてもご都合主義に走る嫌いのある作者だけれど、それでも致命的ではなかった。
そもそも全部本棚に並んでいるし。
でもプリニウスの新刊でトランプ大統領の揶揄をやったのはダメだった。すっと冷めてしまった。
ああ、あんたもあのリベラルとおなじなのか、あのクソ連中と同じことをするのかって思ったらもうダメだった。
黒板に落書きしてみんなで笑い飛ばすクソみたいな時間と同じことをするのがあんたたちリベラルなのか。
散々綺麗事を言いながら、あんたたちは気に入らない相手にだったら平気でひどいことをするのか。
オカルト要素が入ったのは新刊からだから既刊の分では問題なかった。
でも、クソみたいなリベラルが、誰かを揶揄するということを何の疑いもなく描くような漫画なら、それを読み続けるようなリスクはおかせない。
漫画でも小説でも、楽しむということは同化するという行為を含む。そして自分はこの漫画と絶対に同化したくないと思ってしまった。
私の住む街には伝書少女がいる。
そうした勘違いは微笑ましいものとして街の人間は許してしまう。
その家の人間は「あの子はあの子なりに一生懸命なんだから」と思い、
それは伝言板であり、あるいは詫び状であったり
スープが冷めていないか実際にスプーンを渡して確かめてもらったり、
煮物を味見してもらったり DVD と一緒に千円札を手に渡したりする。
それで彼女は生計を立てている。
道路標識の意味や料理のさしすせそとは何かなどを教えていた時に、
一行の詩を説明してあげたことが全ての始まりだった。
「蝶」に対する説明に心を奪われてしまったのだ。
「二つ折りの恋文が、花の番地を捜している」
彼女は花の番地を探している恋文に、早くどこに行けばいいのか
それを三日三晩知恵熱が出るまで考えるようになった。
それが長じて伝書少女となった。