はてなキーワード: 優等生とは
夜中までラジオつけて勉強してると、テレビじゃ流れない様な面白い音楽がたくさん流れてて
ただただ楽しそうで憧れて、何度か通いましたよ
通ううちに、適当に入ると酒が恐ろしくまずいことや煙草臭い事、服が汚れる事、
早めに始まるパーティーでも、大本命の真打ちは12時を回る頃からしか出ない事、徹夜がそもそもきつい事なんかに気がついてだんだん通わなくなったけど
あーあと、トイレの壁に「覚せい剤や麻薬を見つけたら通報します」って張り紙がしてあったのも自分がいる場所じゃない気がした
クラブ・風営法関係で一番びっくりしたのは、意外にクラブって優等生が興味を持つものなのね、と。
クラブという言葉で勘違いされるけど、「クラブ」を既存のクラブと合わせるのは間違っていて、彼らが望んでいるのは「踊れる場所のある居酒屋」だったりするのね。居酒屋だと考えるならば、サラリーマンが梯子して朝まで飲み明かすというのは、割と分かりやすい話であるわけだし、それなりに社会的に認知されているよね。
そりゃ居酒屋に出入りしているだけで「あいつら不良だ!」みたいに言われたらたまったもんじゃない、というのが、そういう層の実感なんじゃないかしら。あとは、聞きたい音楽を爆音で流したいというナルシズムだよね。それは悪いことじゃない。都会じゃ、音楽を爆音で聞ける場所なんて限られているしね。ヘッドフォンよりスピーカーのほうがいいっていうのはあるでしょ。仲間内でやる分にはいいんじゃないかな。
「そんなのクラブカルチャーじゃないよ」って言われても、居酒屋だって居酒屋カルチャーじゃん、と思うところはあるけどね。酒でしか発散できない人間がいるように、音楽を爆音で聞くことでしか発散できない人間もいる。
何でクラブにこだわってるのかなーって本当に思う。クラブじゃなくていい。日本ではへたくそな歌を共有するためにカラオケというものが発明された。とするならば、クラブじゃなくて、カラオケみたいなのがあればいいんじゃないかな。むしろ「クラブ」がそういう「カラオケ」として享受されているってことなのかしら。
なんかクラブを合法化すればいい、だとか、警察の定期的な検査をすればいいっていう辺りで、警察とか法律とかが、自分の都合のいいように解釈されるんだろう、と思っているところなんだよね。それに対してどういう風に対処されてきたのかは知らない。24時以降にダンスをするな、って話でいうならば、そりゃ不当だよなと思うんだけど、クラブを厳しく取り締まれっていうのは、むしろ優等生にとって嬉しい知らせなんだよね。だってそれで表立ってクラブに行けるわけでしょ。
普通の真面目な優等生は大学に進学するし、学生結婚もしないでしょ?
少なくとも学生結婚は推奨されてない。
独り立ちして、ある程度稼げて、貯金も出来てから結婚しろって教育を受けてる。
だから結婚が世間的に後ろ指さされないようになる年齢が若くても22歳以上。
しかも就職してすぐに出産なんて会社に申し訳ないから出産年齢は20代後半以降。
真面目に考えてるとどんどん晩婚化、高齢出産化してくよ。
真面目な優等生って 俺の知る範囲では
ちゃんと将来のことを考えて、経済力とか、性格とかいろいろよく見て婚活(つか自由恋愛)していたぞ?
すくなくとも『真面目な優等生ほど婚期が遅れて苦労するような教育』ってなんだろう?
婚期が遅れている問題だとか、晩婚化問題とか、幼稚園の問題とか、いま、子供を持っている人の生んだ時から逆算しても、その頃から問題になっていた気はするよ?
おそらく、教育としては国家は、比較的早めに結婚して欲しいし、家族を大事にしてほしい。という方向で教育しているが
社会としてh、『自分が楽だ』という観点から、核家族化や晩婚化が進んでいって、それをみて、周りがそうだからという理由で『ちょっと安心して』しまい、結婚が遅れている。
んじゃないの?国家が教育としてそういう事をしているという事実はないと思うし・・・
家庭を持つことや、子供を生むということについて知識のない親が、増えていて、その子供がまた、不十分な環境で子育てをしている。という問題については、やはり同様に問題提起されていると思うよ。
正直、俺が若い頃に 俺の親にやって欲しかったよ。
福岡市内には数多くのラーメン屋がしのぎを競っているので、どこに行けばいいのか悩む観光客も多いと思う。
ぐるなびや食べログでも見れば、いくつものラーメン店舗が紹介されているけれども、どれもそれらしい感想が書かれているので、どれを信じればいいのかわからない。
そもそも、何千人もの人々に支持されるラーメン屋って、最大公約数に好かれた、特徴のないものになってしまいがちだ。
それに、今では東京にも数多くの博多ラーメン店が進出してきている。
でも、どうせ福岡市を観光するならあまり全国展開していないラーメン屋で、ラーメンを食べてみたい、という人々も多いのではないか。
そこで、東京在住の元福岡市民として、地元で数多くのラーメン屋に足を運んだ私が、本当においしい福岡市内(主に中心部)のラーメン屋について、紹介したいと思う。
ほぼ赤坂周辺のラーメン屋に限定したので、今日は天神、明日は久留米、明後日は直方……などと遠距離を移動する必要はない。
これは王道でしょう。福岡市民にとってみれば、地元のラーメンといえば「博多ラーメン」ではなく「長浜ラーメン」のことを指す。
そもそも福岡市民に博多ラーメンと言って思い浮かべるのは「うまかっちゃん」という即席麺だ。縮れ麺で、濃厚で、美味しいけれども、屋台で食べるラーメンではない。
http://www.ganso-nagahamaya.co.jp
はっきり言って、味は洗練されていない。臭い。生臭い。味も大味だ。昼にこのラーメン屋の周囲に行くと、黒く油で変色していて環境もよろしくない。
それでも、何度も通ううちに、癖になる。独特の味わいがあり、たとえるならばスルメのようなものだ。元福岡市民で、数年ぶりに地元に帰った人間が、この店に行かずに東京や大阪に戻ることは決してないと断言できる。
とんねるず等が昔猛プッシュをしていたので、知っている人は多いと思う。
ここのラーメンも、癖があるけれども、うまい。油がのっていて、くどいので、好き嫌いはあると思うけれども、普通にうまい。
ちょっと奥まった場所にあるので、ファミリーマートを目印に、その周辺をぐるりと一周すればみつかると思う。
ここのとん吉は、長浜ラーメンオブ・ザ長浜ラーメンとでも形容しようか。スタンダードのうまさ。それに、いくらでも紅しょうがを入れ放題なので、寒い夜にはおすすめ。
臭くない。
臭みをかなり抜いているのだと思うけれども、元祖から欠点を取り除いたラーメンとでも言えば、分かるだろうか。
そのため、やや優等生的であり、物足りないと感じる人も多いかもしれない。
味は濃厚、腹持ちもいい。
2種類のラーメンを楽しめるので、それもこの店に通う理由になる。飽きたら赤のれんを試してみればいい。
http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2012-05-28-1
ここの辛ネギラーメンは絶品といえる。目の前で作ってくれるのだが、どういう仕組みかわからないものの、ネギの上に油を垂らすと、ジューという音がするのだ。
この音が食欲をそそる。そして、うまい。そして、煮玉子が絶品だ。
ややわかりにくい場所にあるので、いろいろな人に尋ねながら行くのがいいと思う。
細い路地にあるし。
http://s.tabelog.com/fukuoka/A4001/A400103/40003396/
ここのスープが絶品だ。実は、二位の郷家と一位の鈴木商店は、どちらもトンコツではない。福岡の人間は、トンコツに食べ飽きている。そこで、普段よく食べるラーメン屋として挙げる場合はトンコツラーメン一択なのだが、もしもお勧めのラーメン屋を挙げろと言われたら、それ以外のものになってしまうのだ。私もそう。そして、ここは、たしかにうまい。
もしも博多らしいラーメンを一度だけ食べたいと思うのならば、5位から3位までのラーメン屋に行ったほうがいいと思う。でも、福岡市内の中でももっとも勉強熱心で、美味しいラーメン屋に行きたいと思うのならば、郷家か鈴木商店に行くべきだ。
ここがまた、わかりにく場所にある。地図を片手に行くことをお勧めする。地元の人間でも必ず迷う場所にある。
福岡市中心部では、うまいお店はわかりにく場所にあることが多い。目立つ角地になくとも、うまければ必ず固定客がつく。固定客がつけば、店の経営は安定する。福岡の人間は律儀なので、好きになったお店には何十年でも通う。固定客にとってみれば、行きたい時に観光客で混んでいるお店は敬遠したいので、その意を組んでか、味に自信のある店舗は、路地裏に店を構える。こうして、ラーメン屋は路地裏に多くなる。まあ、匂いがきついので、大通りにお店をつくりにくい、という理由もあるけれども。
ここのあごだしのスープは、とにかく絶品だ。
http://s.tabelog.com/fukuoka/A4001/A400104/40000502/
以上。
※2014/03/26 はてなトップに大分前に書いた記事が上がっていたのに気づいた。
ブクマで「リンクが死んでいる」という指摘があったので修正(Googleで上の方にあったアドレスを貼り直しただけだけど)
ステマではなくて、当時「福岡に行くから美味しいラーメン屋紹介して欲しい」と言われ、友人に紹介した店を、需要があるかと思ってここに書いただけ。
ブログに書きたいんだけど、匿名で書いているので、福岡出身とバレるのが嫌だからこちらに書いた。
トップ二つがマイナー過ぎる、という声もあるが、かなり食べ歩いて選び抜いた結果なので、通好みとなり、いわゆる「大手」にはならなかったのはしょうがなかやろうもん。
中学・高校は「君みたいな生徒ばかりだと助かる」って言って貰える子供だった。
真面目で成績もそこそこで目をつけられることもない。
大学はそんなに頭が特別いい!ってほどではないが、希望していた学科に入れた。
4年続けていたアルバイトでも勤務態度を咎められたことはない。
他の人の見本になってくれて助かるよ、と社員が私に言った。
大学の講義で割り当てられたプレゼンの日には阿呆みたいに練習して、教授にお褒めの言葉を頂いた。
部屋にとじこもって、何度も練習して、推敲を重ねて、そんな風に作り上げたプレゼンだった。
私の試験や発表は、いつもそんな感じで、
馬鹿みたいに練習や勉強をして、人から「そこまでしなくてもw」と笑われるくらいに繰り返した結果の上にあった。
失敗したくない。笑われたくない。詰まりたくない。時間の無駄だった。
そんな風に思われたくない一心で、人の目が気になるのかもしれない。
「なにが一体そんなに不安なの。何も失敗なんてしたことないのに」
何人かの友人が私に言う。けれど私の中の漠然とした不安は消えない。
「貴方は真面目で努力家なんだろう。だが、いい子すぎる」「優等生のような人ですね」
ショックだった。生まれてこの方、自分のそんなところは長所だと思っていた。
素の自分を出せと言われても、一生懸命考えた志望動機も自己紹介も、相手に届かない。
就職できた会社は、教授の尽力に依るものが大きい。推薦を貰ったからだ。
研修中に、上の人から注意を受けた。「貴方の挨拶は原稿を読んでるみたいに不自然」。
ある部署の長が私の一日の総括スピーチを聞いたあとに言った。「よくできました」。
消えてなくなりたい
自信なんて人生の中で持てない
私の4組はオタク集団だった。
逆に1組は優等生集団。
先生のいうことを守る真面目君ばかり。
クラスごとで違うのは生徒だけではなかった。
帰りの会がふつうは15分のところをオーバーして20分、ときには30分と説教は続いた。
「またJ先生が切れてた」と笑いながら。
J先生は私たちの国語の教科担任でもあるのだが、授業のとき一度も怒ったことは無い。
ときどき生徒にこう漏らした。
(ちなみに上の学年も下の学年も、やっぱり1組の担任は切れる先生だったよ。)
授業のやり方もいろいろだった。
授業の初めにいつも問いを出し、生徒に考えさせ議論させ、実験で確かめる。
それが2年になったら同じS先生が不真面目になった。
授業の前半は雑談でつぶれ、後半は「みんな寝てていいよ」。
みんな不思議がったが、つまりは「怠慢先生役」に変わったのだ。
「どうしてこんなに悪いかなあ・・・。このクラスはちゃんと教えたはずなのに。」
“このクラスは”???????
ってことは、不真面目に教えたクラスもあったってことだよね。
つまり「ちゃんと教えたクラス」と「不真面目に教えたクラス」とで有意な差が出ないと、文×省に提出するレポートが上手く書けないってことなんだよね。
社会のH先生はテスト返却の時、うちのクラスの平均点が学年平均より20点近くも高かったのに、不機嫌だった。
でもしゃあない。
だってうちのクラスの面々は、先生がちゃんと教えないので不安になって、みんな塾に通うようになったので、テストでいい点数を取ったのだから。
結局。
「真面目な生徒」を「切れる先生」が教えたらどうなるか??
お世辞的やんわり発言意外は認めないってのは逆にコミュニケーションに対するネガティブ思考だと思う。
ネガティブなこと言い合っても攻撃にならずに辛い時はお互いに楽になる程の仲もあるし、仕事や趣味のライバルで、批判をしあっても、それがお互いに向上心から来るものだと分かっていて高めあう関係もある。信頼の上に成り立つお世辞だけじゃない本音の言葉を言えるのは素敵な事だ。まあそういう発言は普通@付きだけど。
@付きではない、社会全体や別集団(会社や小説やアニメの製作元かもしれない)への批判的発言をするときには、何について語るかと自分の立場をはっきりさせておけばそうそうややこしいことにならない。
一番大事なのは、自分の有利のためだけに人の陰口を言うような人物と取られない様に、普段から一種の信頼感を感じさせているかどうかなんじゃないかな。優等生的な人物であるとか、常に多数側の意見に付くという意味ではなく、立場や言動の根本に一貫したスタンスが感じられるかってこと。ころころと日和見でスタンスを変えるのが良くない。そこがしっかりしている人は、尖った発言をしても、炎上しにくい。同じ事を言っても陰口に聞こえる人と、有意義な評価や議論に聞こえる人がいる。
優等生のみなさん、こんばんは。
知的にはつまんない授業ばっかの退屈な学校生活を送られてきたことと思われます。
「いやいや、知的に充実してたよ」って人、あなたはすっっっっっごく恵まれています。おめでとう!
でもね、そうじゃない人もたくさんいるんだよ。
分かりきったこと延々と聞かされるの、嫌じゃん。
未習事項は使うなって、理不尽じゃん。
今の学校教育って形骸化してるじゃん。学力向上を塾にどんだけ頼ってんだよ。もっと人間的になろうよ。
なんかどこかで見たことある感じだね。でもこれは本当に理想的だと思うよ。
20歳の博士がいても良いじゃん。20歳の小学生がいても良いじゃん。
自分に合った適切な教育を受ける権利が皆に平等に与えられるべきだよ。
こういうことを考えるといつも受ける反論は「落ちこぼれが可哀相」という感情論。知るかそんなもん。
落ちこぼれは落ちこぼれ、ただし勉強に関してのね。それで良いじゃん。
勉強の意味を勘違いしてきたからこんな風になったんじゃないんですか?社会評価とか、もっと考え直したら良いのに。
学校なんていう形だけの存在を頑に守って来たからそう思うんじゃないんですか?
もっと、自由に考えるべきなんだよ。
既に情報源が古い気もするが、「ヤンキー文化」について触れているような記事を何度か見たことがある。
「地元志向」とか「身の丈にあった生活」とかをピックアップして触れたような内容である。
で、自分と照らし合わせてみた。「地元志向」とか「身の丈にあった生活」とかいう考え方には当てはまると思う。
ではヤンキーかといわれると、自分の学生時代はそのイメージとはかけ離れていた。
別に優等生ではないが、そこそこの真面目キャラを演じ、校則は守るほうだったので、おそらく先生からも悪い印象はもたれてなかっただろう。どっちかというとオタクっぽく見えるが、実際はそこまでないというタイプともいえる。
自分は長男で、地域の繋がりや家族も大事にするもんだと思って育ってきたので、ずっとここで暮らしていくというのが大前提だった。
大学は県外に進学したものの、運良く地元で就職を決め、Uターンし現在に至る。
前述の通りいわゆるオタクとも違い、テレビとネットで自宅での娯楽には困らないという感覚。たまに友達とも会うとき、昼なら中学高校の頃からの馴染みの店かファミレス、夜なら居酒屋。仕事の関係で専門的な本が必要なときは都市部の書店に行くかネットで買うかになるが、他の買い物は地元で十分という感覚。車は移動手段という感覚。基本趣味に金はかけないというより、趣味は何かと聞かれてもわからない。
さて、ちょっと前の同窓会でのこと。
いわゆる典型的なヤンキー上がりの奴を見ながら一人が「あいつ、一生この町から出ていけないタイプだろうな」という趣旨の発言。
非常に違和感があった。この発言の背景に、どういう前提があるのだろうかと、問い詰めたくて仕方なかった。(勿論やめておいたが)
ついでに、自分はどう見られているのかも気になった。
そのとおり。年齢は30代後半。ヤクザなどの負け組。公務員にボロクソいじめられてるため、言うことが公務員みたいだが、公務員ではない。優等生に負け続けて性格が荒んでおり、子供や若者には想像できないほどの超絶化け物に進化している。チャンスがあれば平気で犯罪や殺人を犯す。息を吐くように嘘をつき、飯を食うのが最大の楽しみ。嫉妬深く、人をいじめるのが好き。ともかく心の中心にあるのは、公務員に対する許せない、うらやましいという感情。口から出てくる言葉は、嘘であることすら証明できないほど精巧に鍛え上げられた嘘であり、相手を利用して食うための手段としか考えていない。化け物。犯罪者。その醜悪な性格を体制に存分に利用されている悲しい地上の客。世の中には健全で理性的な人間がいることが理解できない危険人物のため、体制によって社会の一定区画に厳重に管理されている。
http://anond.hatelabo.jp/20110226105942 を書いた増田です。レス全部読んだ。近況を書く。
親に連絡を取る決心を出来ないでいた。携帯の番号は教えていない。住所が変わり前の電話番号が不通になってから数ヶ月経っていてこのままでも良いかとさえ思ってた。世の中いつ何があるかわからないので、現実的に考えてそりゃよくないだろとはわかっていたのだけども、うやむやにしていた。
色々思い出してたら、怒りもないけど考えが整理つかなくて増田に投稿してた。
仕事が終わったら、リビア情勢に張り付いて世界中のツイート追いかけて歴史の動いているスケールに心を飛ばしてた。国連の組織に募金して、大きなことに加わっている空気を感じようとしていた。一方で、自分の足元の事はうやむやにしたくて、ただ何もしたくなくて、明日でいいまた明日でいいと一日が過ぎていった。
昨日いた友人が死んでいく。俺にははかりしれない遠い国の話だ。なんでもシニカルに澄ましてるのが優等生に見られるこの社会で、俺が自分の過去にクソみたいな印象を抱き、クソの癖にリビアの人達に何かを感じてるなんて誰にも話せなかった。ことなかれ主義ってやつだ。ただ現実逃避したくて、そのためにエジプトやバーレーンやリビアへの想いを利用してただけかもしれない。
http://twitter.com/TrablesVoice/status/43018260886724608
彼に明日も明後日もその先もありますように。自分は、明日も明後日もその先も足元の問題はうやむやにしていくだろう。本当にクソだ。ああクソいクソい。なんだってんだ、マジクソい。俺は最低だ。
こんなクソならいまさら連絡してもしなくてもどうせ何も変わらない、失うものも得るものも無いよ。どうせクソなんだからさ。と、何かものすごく投げやりな気持ちになり、数年ぶりに親に電話で連絡して電話番号と住所を伝えた。
住所と電話番号だけ伝えたあと、「ほかに何かあるのか」ときかれたのだが「何も無い」と答えて俺から電話を切った。一分足らずだった。まだ何も俺から話せる気がしない。クソい。
クソいが連絡する前より少しは気が楽になったかもしれない。