私の4組はオタク集団だった。
逆に1組は優等生集団。
先生のいうことを守る真面目君ばかり。
クラスごとで違うのは生徒だけではなかった。
帰りの会がふつうは15分のところをオーバーして20分、ときには30分と説教は続いた。
「またJ先生が切れてた」と笑いながら。
J先生は私たちの国語の教科担任でもあるのだが、授業のとき一度も怒ったことは無い。
ときどき生徒にこう漏らした。
(ちなみに上の学年も下の学年も、やっぱり1組の担任は切れる先生だったよ。)
授業のやり方もいろいろだった。
授業の初めにいつも問いを出し、生徒に考えさせ議論させ、実験で確かめる。
それが2年になったら同じS先生が不真面目になった。
授業の前半は雑談でつぶれ、後半は「みんな寝てていいよ」。
みんな不思議がったが、つまりは「怠慢先生役」に変わったのだ。
「どうしてこんなに悪いかなあ・・・。このクラスはちゃんと教えたはずなのに。」
“このクラスは”???????
ってことは、不真面目に教えたクラスもあったってことだよね。
つまり「ちゃんと教えたクラス」と「不真面目に教えたクラス」とで有意な差が出ないと、文×省に提出するレポートが上手く書けないってことなんだよね。
社会のH先生はテスト返却の時、うちのクラスの平均点が学年平均より20点近くも高かったのに、不機嫌だった。
でもしゃあない。
だってうちのクラスの面々は、先生がちゃんと教えないので不安になって、みんな塾に通うようになったので、テストでいい点数を取ったのだから。
結局。
「真面目な生徒」を「切れる先生」が教えたらどうなるか??
このまえこれ http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.php 読んで うんうん納得だなーそうだよなーって思ったんだけど ランダムにグループ分けして、こちらにはA高校の教育をほどこし、こちら...
でも現実には「うまくいかない教育法」も存在するだろうし、「教育において「実験」は許されない」ってのは、それから目を逸らす言い訳にしか思えないなあ
生命保険はどうした
実験って、1つだけ要素を変えて他の条件は一緒にしてやらないとあまり意味がない気がするんだけど、 このやり方に意味があるのかな