はてなキーワード: ボンボンとは
ボンボン率が高いのは確かだけど、地方底辺からでも勉強さえ出来れば出て来れるじゃん?都内の家賃がちょっときついけど、寮入って、学費免除あればなんとかなるし。
3年からはバイトと奨学金でそれまでに溜めたの加えてなんとか。
でも、アメリカとかの入試の話を聞くと、トップ校がそもそも私学で、奨学金出るっても、もともとの授業料が日本の私立医学部レベルだったりで、
そのうちの何割かが免除ってくらいで、実質普通のレベルだと400万くらいは最低限かかるみたいで。
入るにも、ボランティア活動だとか課外活動が求められるけど、聞いてる限りそんなの貧乏じゃ無理、って話ばかり。
10年くらい前のことを思い出したので、中身のない文章をただ書いてみる。
漠然と大学を卒業するだけでは、社会でやっていけないという危機感を持ってた。
働くということは、俺にとって未知のことだった。
遠からずそこから弾かれることになるのではという感覚を持ってた。
ともかく、特定の人間層と上手く人間関係を作る術を、俺は持っていなかった。
中高の頃から、そういう自覚はあった。
10年前には登録型派遣という仕事があった。今もあるのかな、よく知らない。
そこに登録して、暇な土日に働くことにした。
青汁のアルミパックを3つ揃えて別の袋に入れる仕事、いろんなところを見た気がする。
一緒に入った中年のおじさんと一緒に、高卒で入社したのであろう同年代の社員に怒鳴られることもあった。
一緒に働くのは、いい人も嫌な人もいた。
平日は大学だから土日に働いている、と言うと感心されることもあったし、
大学生のボンボンに何ができるんだと陰口を叩かれたこともあった。
その通りではあるし、今思えば反発されて仕方ないコメントだ。
そこで得た教訓としては、予想通り俺は「向こう側の社会」で生きていくことは難しい、ということだった。
それを知ることができたのは、大学時代の大きな収穫だった。
「こちら側の社会」で上手く行かなければ、後がないということを理解できたからだ。
危機感を肌で感じた、ということかもしれない。
俺は大学院に進学し、勉強した。研究職として企業で働くようになった。
そして最近、「こちら側の社会」で落ちこぼれに近い存在であることを感じるようになった。
俺は努力が足りない。行動力も足りない。仕事をしながらそんなことを考える。
賢い人間に憧れ、賢い人間が話す言葉が面白いと思うものの、賢い人間には程遠い。
本質的にどこの社会に属すと気楽に生きていけるのか、まだ俺には分かっていない。
ただ、大学時代にそういう経験をしたことは無駄じゃなかったと思ってる。
実家に帰って家を継ぐとなったら仕事がなかなか見つからないだろうし、
あったとしても「向こう側の社会」の仕事しかないであろうことが想像できる、というのが最近の悩みだ。
落ちこぼれと感じながらも今の職場で働き続けるのは、こちら側の社会に属するためなのかもしれない。
でも落ちこぼれから抜け出さなければという危機感を、まだ持てていない。
何をやればいいのか、あるいは何もやらなくていいのか、よく分からない。
論理的に考えきれていないからこその落ちこぼれなのかもしれない。
ここから抜け出すための危機感は、どうやって持てばいいのだろう。
話のオチはない。すまない。
時間掛ければ、ってのはもちろん実際のテスト時間内という意味ではなくて、もっと一生懸命1週間くらい考えれば、という意味だよ。
例えば、今ググって見た
の第1問とか、うーんって眺めると漸化式が線形変換になっていることに気づいて、
(x_n+1, y_n+1)^t = ((a,b)^t, (-b,a)^t) (x_n, y_n)^t
みたいな感じで、変換行列の行列式がa^2+b^2だってことに気づくから、ベクトルを延ばす変換と回転(直交変換)の組み合わせになってるなって気づいて、
この辺でもう終わったみたいなもんだけど、P_0=P_6なら6回変換して元に戻る必要があるからa^2+b^2=1でないといけなくて、あとはP_0 .. P_5が全部異なるので2*π/6ずつ回転すればいいんだなって感じで答えが分かる。高周波解もあるかも。
高校生なら線形変換について馴染みが薄いだろうから(エリート層は余裕で慣れ親しんでるんだろうが)難しいかもしれないけど、理系の大学生以上なら割と直感的にすぐ分かるように思うんだよね。
大人だって俺みたいな理系のオッサンはいっぱいいるわけで、1%くらいのボリュームは全然あるんじゃないかって思うんだよね。俺自身は上位1%に入るかって言われると自信無いくらいだし。
ちなみに俺は東大卒じゃないし、生まれた家庭がアレだったので高校まではかなり頭悪い環境で過ごしたよ。
周りの毛並みの良い奴らは俺なんかとは比べ物にならないくらい上等な世界で育ってきてるし、普通のボンボンくらいの奴なら人数的に腐るほどいるよねって思う。
最近電車乗ってるとよくLINE POP遊んでる人見るんだけど、必ずと言っていいほど同じような遊び方してる人しか見ない。
どういう遊び方かっていうと、一心不乱にスワイプしまくってるだけ。
どの玉をどう動かしたら連鎖が出来る、とかそんなの一切関係ない感じ。
俺が見かける人たちがたまたま神レベルのLINE POPerで、フラッシュ記憶で玉の位置を全部把握して
一瞬にして最適解を選んで玉を動かしているっていう可能性も完全に否定はできないけど、
やっぱりあれはパズルとして遊んでない、って考えて間違いないと思う。
何か、エアキャップのシートを雑巾絞りしてるような感じに見えてしまうんだよね。
あの人たちは多分「考え抜いて何連鎖組めるか」っていうパズル本来の楽しさは求めてなくて
適当に動かして玉がボンボン消えていく感じだったり、高スコアを目指したいけど
しっかり考えてやるほどのことでもない、みたいな感じなんだろうなぁ。
最近スマフォのゲームでも「本格的なゲームの楽しさを追求しました系」のタイトルって結構出てきてると思うんだけど
全くない、とは言わないけど、商売ちゃんと成り立つレベルなのかなぁ、って
ゲーム専用機が元気を取り戻す前にカモに逃げられたら俺が困るんだよなぁ。
在特会とレイシストしばき隊のデモとカウンターデモが激化していましたがついに双方に逮捕者がでましたね。
両方とも共感できないのでどうでもいいです。平和な日本のため潰し合ってフェードアウトして下さい。
で、名前だ。
在特会は正式名『在日特権を許さない市民の会』
双方ともストレートなネーミングですね。
在特会について
今言われている在日特権については都合のいいように使われてはいるところがあるものの、過去彼らが受けた不当な差別を是正するためには必要なものである部分は否めません。
なので本当に特権と言えるか僕は疑問です。通名でなく本名で普通に生活できることが一番の幸せでしょうからね。
なので在日特権を許さないという在特会の名前も、彼らのやってることも共感出来ません。
レイシストしばき隊について
まず『レイシスト』
これは彼らにとって「新大久保や鶴橋でデモやってるネトウヨ」でしょうかね?
「いや違う」って言われそうですが外野からはそう見えます。そして「なんだこいつらもネトウヨをレイシストというカテゴリーに入れて攻撃してんじゃん。差別じゃん」って感じです。
次、『しばき隊』
本人たちは非暴力を掲げてるつもりみたいですが非常に暴力的な名前です。
隊は「~したい」という願望の表現と集団である「隊」をかけてるんですね。ダジャレです。寒いです。
なのでこの「レイシストしばき隊」からはふざけ半分で差別的かつ暴力的な行為を行う集団という印象を受けます。
今後在特会に関するマスコミ報道で僕が注目しているのは『市民団体』という言葉がどう使われるか?ってとこです。
『市民団体』って【決まりはありませんが】左翼に使われることの多い言葉ですね。
しかし在特会は『在日特権を許さない市民の会』です。
ここでマスコミが「在特会を名乗る右翼グループが」というと、『市民団体』とは左翼のためにある言葉と暗に認めてしまいます。
そうなると左翼に対しての見方が厳しくなりつつある昨今他の「市民団体って言われるところはやっぱ左翼だね、胡散臭いね」ってより多くの人が思っちゃうんじゃないかな。
逆に『市民団体』と言うと「ほれみろ市民団体なんて胡散臭い連中ばっかだ」ってなっちゃいます。
名前だけなら『何らかの政治思想のある団体VSチンピラ』です。
まぁどうでもいいのには変わりないので平和な日本のため潰し合ってフェードアウトして下さいと重ねてお願い申し上げます。
さて
「うるせーよこのノンポリ野郎の卑怯者!」って声も聞こえてきそうですね。
なんで僕の立ち位置はどこかと言っておきましょう。
『レイシストやネトウヨではない保守より』といったところです。
かの国と戦争はしたくないけどテキトーに経済破綻で自滅してくれんかなって感じです。
僕もロックが好きで10代の頃は反体制の思想にかぶれたこともありますよ。
でもね、日本のカウンターの皆さんを知れば知るほど「ダセェwww」って思っちゃったんですよね。
崇高な思想を掲げていた学生運動のはずが内輪もめで別れてお互いしばきあってねぇ、挙句の果てはテロリストですよ。
何やってんだか。
流行りの学生運動やってりゃ女とヤレるなんて不純な人もいっぱいいたでしょうね、青春ですから。
そのうちの多くの人は学生が終わると同時に体制側に吸収され日本の発展のため身を粉にして働いたんですね。
ありがとうございます。ご苦労様でした。
やめなかった皆さん
僕の通ってた大学にもその残党と残党に捕まった若者が沢山いらっしゃいました。
彼らは僕が10年前でも「闘争」「革命」「団結」と威勢のいいタテカンをキャンパスのアチラコチラに設置し、折にふれてコート、白ヘル、ゲバ棒の伝統的装束に身を包み、正門で難しい言葉で僕のような意識の低い学生に説教を説いていました。
「立ち上がれ」と
僕は思いましたね
他にも某音楽グループに所属していた時に知らず知らず左翼的な活動に引きこまれたこともありました。
グループにその色が濃くなった時僕を含むメンバーは逃げましたね。ついていけないもの。
反原発運動も最初は支持してたんですけどね、彼らの色が濃くなって離れました。
「そうか、反原発は名も無き個人の声を届けるものから左翼の新しい戦いの場にシフトしたんだね、ああ、止まっていた彼らの時間がまた動き出した。青春は終わっていなかったんだな。彼らの瞳を見ろ、青春の喜びでキラキラと濁ってる」
やり方も相変わらずですね。
敵認定をしたものに屈辱的な名前をつけ悪いイメージをつけ己の行為を正義とする。
過激なパフォーマンスの先鋭化。
ついていけなかった人々にそっぽを向かれ、支持しいたはずのその人達にすら石を投げる。
そして待っているのは蛸壺化とカルト的地下活動に精を出す日々でしょう。学生運動からの40年で何も学んでない。
しかしまぁレイシストしばき隊のやることは火に油を注ぐことしかやってないでですね。
本人はそれで低収入のネトウヨに屈辱を与えたかったそうですがそれで「悔しい!負けた!」なんてなるはずありません。
しかしね、これがどんどん大きくなっていく背景ってのは確実に不況なんですよ。
ドイツの若者の間でネオナチが支持されトルコ移民が迫害された事がありましたね。
本当に在特会の活動を封じ込めたかったら使うべきではなかったですね。これを使うことで『レイシスト・ネトウヨ=在特会』の構図ができちゃった。
でもね、今韓国への悪感情は多くの普通の人達にもジワジワと広がってるわけですよ。
そんな時に上の構図ができると
「俺は中国も韓国も嫌いだけど在特会じゃないからネトウヨでもレイシストでもねぇよ。」って解釈が成立しちゃうんですね。
はい、もちろん僕もそれですよ。
本当にこの問題を解決しようと思うなら『レイシスト・ネトウヨ=在特会』の構図はフェンスの向こうの外野を作った悪手。大失敗だと思います。
世論を形成しているのは大多数の問題意識の意識の低い普通の人、つまり外野の人ですからね。
そういう人を味方に付けマジョリティになり勝利するってのは選民意識のたかいエリートさんには何十年たっても学ぶことができなかったようです。
さて、長々と書きました。
在特会の皆さん、韓国も眼中になくなるくらいお給料増えていい暮らしできるようになればいいですね。
僕も給料安いっす。
頑張れアベノミクス!
レイシストしばき隊のみなさん、言葉のセンスをもっと磨きましょうね。
大丈夫、知的エリートで文化人がたくさんいるあなた達ならできるわ。
そして3度めになりますが
在特会の皆さん、レイシストしばき隊の皆さん、これからも元気に潰し合いより一層のフェードアウトを期待します。
では、さようなら!
少し、重たい荷物でも運ぼうものならすぐに筋肉痛に見舞われる。
そして、非力である。
内には幸い、子供がいない。
そこで僕は閃いた。
そうだ、嫁と二人きりで家にいる間は、駅弁スタイルで過ごすのはどうだろうか?と。
まず、僕の筋力が鍛えられる。
そして、嫁と四六時中イチャイチャできる。
双方、気持ちがいい。
デメリットについて考えてみよう。
単純にはこれぐらいしか思いつかない。
トイレとか風呂はさすがに離れる必要はあるが、嫁も四六時中イチャイチャできるのだから断る義理はないだろう。
さっそく提案してみよう。
痛い。
非常に残念な事だが、うちでは駄目なようである。
でも、よく考えれば、うちには子供はいないどころか、まだ嫁がいなかった。
この駄文をもし読んだ方がいたとすれば、申し訳ない。すべての文の語尾に(脳内で。)の一言を付け忘れておりました。
大変申し訳ない。
重ね重ねお詫びしようと思う。
そして、もう既に実践していたり、こんな事が許されるような嫁がいる人間がいるとすれば、
ゆるせない。ムカツク!
そして何より、うらやましい!!
では、これにて失礼!ドヒューン!
オッス、元増田です。ご検証ありがとうと礼儀としちゃ言うべきなんだろうけど、そんな話じゃないんだけどなーという印象。
「僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね」は主語が大きすぎてなんともですが、個人的には少年チャンピオンで「ブラック・ジャック」終了後も「七色いんこ」や「ミッドナイト」はよく読んでました。「ゴブリン公爵」は忘れてください。
また手塚クラスになると過去の名作に触れる機会も多く、「火の鳥」(「太陽編」の前まで)は朝日ソノラマ版で読んだし「ブッダ」も床屋で読みました。
ここで全称命題の話にしますか(笑)。前世代、前々世代に比較すればあながち的外れな考察でもないと思いますけどね。もちろん統計データなんてありませんけど、クラスのほとんどが読んでいた、半分くらいは読んでいた、5人くらいは読んでいた、と比較すればほとんど読んでいないという大きな主語は、この場合、個人的にあれも読んでいた、これも読んでいたというのよりはよほど実態に即していると考えます。それともそれこそ何か統計的なデータでもお持ちでしょうか。
1971年生まれで、チャンピオンを追いかけている人は相当稀少だったのではないでしょうか。何といっても同時代的には「ドラゴンボール」「北斗の拳」「聖闘士星矢」「キン肉マン」などのジャンプ黄金時代だったわけですし、6割ジャンプ、2割マガジン、1割サンデー、残りの1割でその他というのが実感です。70年代黄金期を過ぎてのチャンピオンの凋落ぶりは言うまでもなくて、看板作品でも老若男女誰でも知っている作品というのがもうここ30年ないですよね。
たとえば週刊ポストには「弐拾手物語」が長期連載されていましたし、週刊プレイボーイが本宮ひろ志の「俺の空」を載せたり平凡パンチは岡崎京子の「ジオラマボーイ パノラマガール」を連載してました。
「漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね」は勇み足というか、元増田の興味に引っかかるのが「アドルフに告ぐ」だけだったものと想像します。
ま、これは確かにそうですね。一般週刊誌は文春、新潮、朝日のみというのが感覚的には正しいと思います。この三誌とそれ以外では、オーソリティがまるで違うからです。この三誌がクオリティマガジンとは言いませんが、WILLに連載するのと、中央公論に連載するのとでは全然意味が違うのと同じです。ロッキード事件やリクルート事件など社会的な問題でたびたび尖兵となってきた雑誌と、スポーツ新聞に毛が生えたような雑誌とでは社会的な意味が違います。それは現在に至るまで、掲載されている作品の内容でも歴然と異なります。
特に80年代は、週刊文春は花田体制の下、絶頂期にあって、100万部を毎週越えるような規模としても内容としても一軍でしたから、基本的には政治経済、時事的なトピックでそれだけ中心的に扱われているメディアに漫画が乗った(プレイボーイならいざ知らず)ということ自体がトピックであったという意味で、アドルフの例は出しましたけどね。ただしアドルフ以後、この三誌での漫画連載は定着しませんでしたが。
ブコメで「サンコミックスが昭和40年代に出るまで単行本はハードカバーが普通、ただし人気作しか単行本化されなかった」とあります。
純粋にハードカヴァーの作品自体であれば貸本屋の漫画は基本的にハードカヴァーでしたし、店頭でよく見かけるものとしては、学研の「ひみつシリーズ」もハードカヴァーでした。ただしサンコミックスなんてほとんど誰も知らないように、社会的な景色の話ですからマニアックな話をしてもしょうがないわけです。平積みにされて、多数の人が「おお、漫画もハードカヴァーになる時代なんだな」と認識することが重要であって、消費物としてではなく作品としての漫画、芸術としての漫画という意味合いを一般化したのは手塚がやはり尖兵であったという、そういう話です。「火の鳥」と「のらくろ」のどちらが先なのかは分かりませんが。
赤塚さんはあと、コロコロでは「花の菊千代」を連載しています。その後、ボンボンでも何作か連載していますが、知る人ぞ知るという程度の作品で、連載作家として仕事はしていたわけですが、雑誌の主力になるようなパワーはなく、その仕事自体が大御所としての余暇的なものであったと思います。
ボンボン感すげえなw
好きな事だけやって親の金で一生遊んで暮らすのがいいと思うぞ。
念のため言っとくけどマジだよ。できれば親の金を全部使い尽くすくらいの勢いでやって欲しい。