はてなキーワード: ホワイトとは
中学時代の友達から久々にメッセージが来て、会ってみたら某A社の勧誘だった
結果としてはきっぱりお断りした
→自分も都内一等地の老舗企業務めだけどクソみたいな会社なんだよなぁ
→会社の良し悪しはともかく、現状ホワイトに働いているんだよなぁ
→知らないおじさんとよく知らない外国人とのドヤ顔ツーショット見ても思うことはないなぁ
→コミュ障だからパーティは行きたくないし、多趣味だからいろいろ経験しすぎて既にキャパオーバー気味なんだよなぁ
→ものは不足してないし、今使ってるものにどれも不満はないし、病気持ちだから下手に切り替えたくもないなぁ
ただ、おっとりした良い子だった友達がこうなってしまった事実には胸が痛くなった
あの頃と変わってしまったな…と少し落ち込みながら地元に帰ったら、別の中学時代の友達にバッタリ出会った
ヤンキーに憧れていた彼は心身ともに見事ヤンキー風な大人に成長していて、とても安心した
変わった人、変わらなかった人、どちらもそれぞれお幸せにね
ホワイト、と言うか妊婦に甘い職場だと妊娠を理由に全く働かなくても首にならないので
(同僚の妊婦に仕事全て押し付けられて耐えられず辞めた知り合いもいる)
子供理由にろくに働かず楽々育児と仕事の両立(というか育児も保育園に丸投げだし専業よりよっぽど楽だろ)なママ&それを認める職場も知ってるし
3人産んで1人3年ずつ育休取って10年近く出てこなかった幽霊ママも知り合いにいる
結局そういう所に就職出来ないってのは全部まとめて「就職失敗」なんだと思う
まあ世の中全てがそんな職場ばかりになる訳もないんだけど
元増田はホワイト企業に転職できてマタハラされることもなくなったから良かったじゃん
家庭も仕事も自立もお金もホワイト環境も手に入れられたんだからもうそれでいいじゃん
10年ちょっと勤めて、それなりに仕事もこなし、ある特定の顧客・分野については割と自信を持って仕事もできていた。
先に復帰していた方々から「フルタイムで復帰すると責任ある仕事を多く任されて大変」と聞いていたので、まずはスモールスタートしようと思い、時短で復帰したかった。
復帰してすぐの上司面談で言われたのは、「まさか時短とかしないよね?」
復帰前に散々キャリアプランについて話していたのに圧がすごい。
「時短で復帰すると、開発の若手から結構不満が出るんだよねぇ・・・」
夫と相談し、やむなく残業時間制限(月12時間まで残業できる勤務体系)で復帰。
休んだ日も、自宅に持ち帰っていた会社のPCで資料を作り、子供が昼寝している間に電話で会議もした。
休み明け、同僚に「客向かいで仕事してるってことお前ちゃんと理解してる?ダンナは何やってんの?」と詰められた。
ちなみに夫は私の倍以上有休を使い会社を休み子供の看病をしていた。
私が休まず出社している裏で、夫が休んでいる事実をこの同僚は知らない。
「今日は言い過ぎてごめん。自分にとっての優先順位をよく考えてほしい。俺も家庭が第一優先だから、君の気持ちはわかっている。」
夜22:00にそんなSMSを送ってくる同僚が私の気持ちをわかっているとは到底思えず、自己顕示欲と承認欲求が透けて見えたので無視した。
正直うざいなとしか思わなかった。
もうこの時点で退職することは考え始めていた。復帰して1ヶ月くらいしか経ってなかった。
入会金が3万、月会費が6千円かかった。
同じ部署には育児休業を取得したAさんという先輩女性社員がいた。
私の上司である営業課長はことあるごとにAさんの仕事ぶりを糾弾し、私には「Aさんみたいにならないでね」と言った。
その後、子供が病気をすれば病児保育を頼んだりしてしのぎながら働いていた。
先述の男性同僚など夜23時にメールを出している始末だったし、課長も深夜に平気でメール出したりしていた。
人事部に異動を打診したら、女性社員が面談と銘打って出てきた。
「私は20:30まで子供を保育園に預けてます。子供がもう少し大きくなれば保育園で夕飯まであげてもらっても大丈夫だから、今はもうちょっと頑張ろう」
人事部が出してきた女性社員の人生観は、私の価値観と異なるものだった。
もう辟易した。
転職活動をはじめ、家からほど近いところにオフィスを構える企業に内定した。
年収は8割ほどになるが、女性比率も高く、面接での印象も良かった。
19時をすぎるとオフィスにはほとんど人がいないというホワイトな状況に、目を丸くした。
20時過ぎてから仕事の調子が上がる~!とか言っていた若かりしころの私が聞いたら秒でバカにしそうな会社だ。
引き止めにあったが拒否した。
「家庭と仕事の両立がこの環境では難しい」と伝えたところ、「Aさんを見てればどっちも中途半端になるのはわかるよね。賢明な判断だと思います。」と言われた。
家庭と仕事の両立がどれだけ大変なことか、この人は1mmも理解していないが、管理職として機能すると会社が判断してこのポストに置いているのだから気色悪い。
そのほか、会社を辞めると伝えた男性上司の多くが「やっぱり専業主婦になるの?」と聞いてきた。
つくづく、辞める判断をして正解だったなと思った。
就職活動をしている時は、大手企業だし、子供を産んでも働ける会社だと思っていた。
クライアントとの定例会議が17:00から設定されていたり、昼夜問わず連絡してくるクライアントに真摯な姿勢で対応しないといけなかったり、そういう状況に、子育てをしながら適応するのは難しい。
学生で就職活動をする時からこうしたことを見極めるのは難しいと思うけれど、「この会社キモいな」と思ったら辞める勇気と行動力を持つことが大切だと感じた。
https://togetter.com/li/1225465
を見て思い出したので懺悔も兼ねて。今はやってない。チビハゲデブの三重苦をかかえた俺の黒歴史である。(三重苦は今も治ってない)
今から数年前、35歳非正規雇用、職場では毎日のように上司に罵倒され深夜までのサービス残業で心身ともにすり減ってるある日、ぼーっと歩いてたら女性にぶつかった。
尻餅をついた彼女を見てビビりの俺は逃げた。通報とかされて急に警察に肩を叩かれたらどうしようとか思いながらも、ちょっとぶつかったたけで簡単に倒れる女性に大袈裟じゃね?という若干の不満と、なんというか征服感のようなものを感じてしまった。
気付いたら日々の鬱憤を晴らすかのように、わざと女性にぶつかるようになっていた。老人はやらなかった、大怪我して最悪死亡とかになったら怖かったので。ベビーカー持ちはよくやった、邪魔だからいいじゃんという考えもあったと思う。
そんな救いようのない日々を送る俺だったが、ある事件を切っ掛けにぶつかり屋をやめた。
二、三年前だったか当時の俺は歩行者だけでは飽きたらず、自転車にまでわざとぶつかるようになっていた。怪我はしたくないのでゆっくりめで走る自転車に横からぶつかるのである。もちろん女性が乗ってる自転車、うーん俺最悪だ。
いつものように深夜残業でへとへとの帰り道、前から自転車が緩い坂道をゆっくり登ってくるのが見えた。乗ってるのは小柄な20代くらいの女性で、しめたと思った俺は慣れた足捌きで横からぶつかった。
自転車は倒れはしなかったもののバランスを崩して、俺は爽快感とか征服感とかがごちゃごちゃになった良い気分でそのまま歩いて去ろうとした。
「お兄さんさぁ!!」
背後から聞こえてくるドスの効いた女の怒声に心臓が跳ねた。歩きながらも横目で後ろを見ると、先程ぶつかった女性がこちらを見ていた。
「今わざとぶつかったよね!?」
彼女は俺に言っている。そう確信してビビりの俺はパニック状態。逃げるために早足で歩き続ける。
「逃げんじゃねえよてめぇ!」
後ろから自転車が走ってくるのが分かった。俺は走って逃げる。後ろから怒鳴り声をあげながら追いかけてくる女性が怖くて怖くて、信号も無視して走り続けた。
数十分か小一時間くらい追いかけられたかもしれない、最後に「逃げるならこんなことすんじゃねえよバカ! みたいなことを言われて、彼女は去っていった。
走り続けて足がガクガクになった俺はその場にへたりこんで、泣いた。怖さ9割、情なさ1割である。
よく周囲から「増田君まだ実家にいるの?いつ出てくの?」と揶揄される。
俺だって、出れるならさっさと出たい。けど現在の自分の状況を見ると、実家に留まらざるを得ない理由がある。
まず自分は最近派遣社員で働いているけれど、当然いつ契約終了を言い渡されるか解らない立場にある。
現行法だと失業保険を貰うには、離職の日以前1年間に雇用保険に加入していた期間が満6ヶ月以上でないといけない。
派遣だと1ヶ月から3ヶ月で契約を切られる事があるので、失業保険のセーフティネットにかかる事が出来ない可能性がある。
「じゃあなぜ派遣で働いているの?」と思うだろうが、大抵の企業の正社員にはみなし残業代が設定されている。
昔、自分は自分の会社にみなし残業代が敷かれている事も知らず、
自分には大事にしている趣味があるのだが、その趣味の時間もこの残業のせいでなくなってしまった。
断れればいいのだが、現行法では残業を「趣味や余暇の時間を取りたいから」という理由で断ると、
この働けば働く程、自分の時間毎の給料が減っていく、みなし残業代システムにはモチベが下がらざるを得ない。
となると、ホワイトが約束されている派遣社員で働くのが有効な選択肢になる。
であるので、実家に住むという選択肢は有効な選択肢の一つになる。
非正規を続けるか、ホワイトな所の正社員になれるように努力するつもりだが、
最近この国では高度プロフェッショナル制度という名の「残業代0法」「定額働かせ放題法」
を通されようとしている。もうそうなったら日本中が「みなし残業代がデフォ」な状態になるので、
そう考えると移民の準備せざるを得ない。だから最近は着々と移民をする準備をしている。
ただこの為だけに、ここまでの努力をし、
運良くまあまあ大きくてホワイトな会社に入ることができたのだが、同期が意識高くてしんどい。
私は就活に向けて真面目にコツコツ頑張ったというわけではない。
大学での制作活動がたまたまメディアに取り上げられたりした。それで、「ラッキー!」ってことで、就活のネタにした。すると、思いの外ウケちゃって、うまいこと第一志望群の会社に内定が出てしまった。
なので、大規模なセミナーや就職説明会に顔を出したり、OBOG訪問などはしていない。就活自体はそれなりにしんどかったが、本当に運が良かったのだと思う。(ここら辺の用語間違えて使ってたらゴメンなさい……)
この間、同期の真面目な男の子に「将来の夢」を聞かれた。
特にやりたいこともない。
今のところの目標は、遅刻せずに出社し、給料を貰って好きな服を買い揃えたいこと。あと、副業で創作活動をしているので、それ、頑張りたいなあ。そんで、何年か後に適当に結婚できれば最高。
「特にないし、好きな仕事は頑張ってあとは副業やりながらクビにならないようにしたいなあ。あまり、媚びへつらって出世とかは考えてないなあ。」と答えた。
すると、相手の顔色が変わり、「それってどうかと思うよ。のらりくらりとやっていきたいってことでしょ。上司に媚びへつらいたくないって言っても、好きなことをするには出世しなきゃならないでしょう。それに副業のことを話すなんてどうかと思う。自分は残業続きでも好きな会社だから頑張るし。」
あと、研修の一環として、社内でグループを作り企画のプレゼンをしあう大会があった。これは、順位も出す。
別の同期に「どんな感じでやった?」
と聞かれ「ビリじゃなきゃいいね、って班の中で言ってて、真ん中くらいだったから良かった」と答えた。
すると、「そういうの真面目にできないのどうかと思う。やっぱりキチンとやるべき。うちは居残りしたし1位だった」
などと言われた。
私にも悪いところがあるのはわかるけど、細かなことが積み重なって、もう、人間関係がしんどい。小学校に逆戻りしたみたいだ。
悪い事してないし、サボろうとしてるわけじゃないし、いいじゃん。
あと、こういう人って何年たってもこんな感じのままキープできるもんなのかな。
大学時代のゼミ、新卒で入った1社目、そして2社目まで見事にブラックを引き当てた。
どれも対外的には評判のいい組織だったが内部ではパワハラが蔓延。己の引きの悪さを心底恨みながらも、なぜか不思議なほど上手く立ち振る舞うことができた。ハラスメントを振りまく張本人である教授や上役の顔色を見て、要領良く動くことに長けていたのだと思う。在籍期間はいずれも1~2年程度だったが、成績は優秀だった。
いくら気に入られていたとはいえブラックな環境で働き続けることへの抵抗はあり、なんとか2社目を辞めたのが1年前のこと。
直後に入社した3社目は初めてのホワイト。声を荒らげる役員もいなければネチネチ責め立てる連中もいない。ここが天国かと思った。
えびす顔のリーダーに「もっと君の好きなように動いていいんだ」というようなことを言われ、自分の無能さをここでようやく悟ることになった。ずっと自分は仕事ができるものだと思って生きてきたが、上役の顔色を見て動く以上の能力が全くもって欠けていたのだ。
転職から1年が経った今もなお、この会社でどう振る舞えばよいのかわからないでいる。
うちの社員たちは期待や失望を一切表情に出さない。スピーディーに穏やかに働いて、健康的な時間にさっさと帰っていく。
自分は物事をひとつ決めるにも己の正しさに自信が持てず、見えない周囲の顔色を伺いながら恐る恐る進行する、その繰り返しだ。面談では「よくやっている」と言われるが、それが上辺だけの言葉だということは自分が誰より一番わかっている。同年代の社員たちは自分で仕事を見つけてきては、クリエイティブに楽しそうに働いている。自分はパワハラ上司の顔色を見ることにステータスを全振りしてきたので、自分だけはうまくやっていると自惚れているうちに、どうやら大切なものを落としてきてしまったらしい。