はてなキーワード: テキストサイトとは
日本におけるTwitterの歴史って意外とWeb上に記録されていないのでは?というあれ。
軽く検索してみたが見つからない。断片しか見て取ることができない。
「テキストサイトの歴史」なんかは無限にまとめられているのだから、あってもいいよね。
2010年ごろまではユーザー数もそこまで大きくなく、クラスタ間の境界も曖昧であったために詳細な記述ができそうだ。
それ以降は大きなトピックだったり、流行だったりを追えるとそれっぽい歴史記述になる気がする。気の所為かもしれない。
自分の記憶は不確かなので、とりあえずニコニコ大百科で「Twitterユーザー」に合致する記事を見てみると、なつかしい単語が出てくる
https://www.google.com/search?q="Twitterユーザー"+site%3Ahttps%3A%2F%2Fdic.nicovideo.jp
・ふぁぼ界隈
・わさらー
・戀塚昭彦
・まいんTL
あとは何らかの単語で検索してFav数が多いものは注目されている。たとえば「面白い」という単語で検索すると、以下のようになり、懐かしい老人が出てくる。
https://twitter.com/search?q=面白い%20min_faves%3A10%20since%3A2007-01-01%20until%3A2008-01-01&src=typed_query&f=live
2007年 (10fav以上でフィルタ、はてな界隈やらギーク系が出てくる)
・bulkneets
・NStyles
2008年 (20fav以上でフィルタ、破滅クラスタって懐かしいよね)
・eigokun
2009年 (30fav以上でフィルタ、インターネットおじさんが気づきだす)
・takapon_jp
・yukatan
・TomoMachi
こんなことを書くとWeb老害のようで自分が嫌になるが、昔のテキストサイトやブログは良かった。最近のWebサイトの風潮がとにかく嫌いだ。
あるものが好きで好きで仕方ないやつらの熱のこもった文章を読めるのは最高だった。そんなやつらの足しになるなら広告ぐらいいくらでも挟んでいいが、いつからか主従が逆転してしまった。広告収入のために使ってもいないもの、好きでもないものを宣伝文句のコピペで書き立てるようなものばかりだ。特に「スペックレビュー」ってやつは最悪だ。やり口をこれ以上広めたくないからどんなものかここで解説はしない。検索してみてくれ、反吐が出るぞ。
俺はあの頃のインターネットの残滓を求めて暇さえあれば弱小サイトを読み漁るのが好きなんだが、今日見つけたサイトの自己紹介?みたいなページを見て久しぶりに嬉しくなった。
「レビュー記事は『体験』を伝える」https://elibom.net/about/
これだよ。これ。こいつもたぶん俺と似たような不満を今のWebに抱いてるんじゃないかな。まだ新しいサイトのようで肝心のレビュー記事は載っていないんだが、俺は早くこいつのレビュー記事を読んでみたい。応援してるぞ。クソアフィどもに負けんなよ。俺は上で待ってるから。
去年ぐらいから流行っているVtuberってコンテンツがある。
テキストサイトから続くネット文化の進化系+日常アニメの延長の生きているキャラクターでバーチャルな姿をした新人種。
去年の今頃から嵌っているが、自分に取っては日常アニメの進化した姿という認識で特に変わっていない。
だから好きなアニメのキャラがライブやったり、バラエティやドラマに出てるっていう長年の夢みたいな物が叶いつつあり、
アニメのキャラが現実を侵食するなんて光景を当事者として見れるなんて楽しくて仕方がなかった。
が、同時にこの考え方が界隈ではマイノリティではないかとずっと感じていた。
その一番大きな違和感が押しって言葉と異常に生放送を神格化している界隈全体。
僕は未だにファンの事を敢えて押しって言っている意味が分からないが、みんな使っているのでそんな物なのかと思っていたが違和感しかしかない。
そして1時間の生放送ってよくよく考えたら正直コンテンツとしてとんでもなく重たい。
シットコムが20分、アニメなら25分、ドラマなら50分、映画なら2時間ぐらいが普通の中で1時間が普通で、それ以上も当たり前ってコンテンツとして見るとありえないレベルの重さだとずっと思っていた。
もちろん僕は生配信を否定する気もないし、別にそれはそれで構わないと思っているけど、いくらなんでもコンテンツとしてそこまで生放送を神格化しているのはおかしいともずっと感じていた。
で、気づいた。「押し」って言葉積極的に使っている人達と見てる世界が違うなって。
僕はあくまで究極に進化したコンテンツ産業の一つで漫画とかアニメの仲間だと思っているVtuberだけど、アイドル声優さんとかアイドルさんの代替として見てる層がいてそれが実は大多数なのが実態だったりするんじゃないかなって。
僕もアイドル文化に詳しく無いので分からなかったが、パリピとヒッキーを同じ箱に入れるような物で本質的に別の種族だったのに同じ物が好きってだけでわかり会えると勘違いしていた。
結局、その事に早めに気づいた人達はさっさとVtuberと距離を取って、残っているのはそういう層ばかりって事だ。
なので、長々と書いたが僕は1年間やってきたVtuberファンってカテゴリをやめる事にした。
別に今ファンをやっている人達のファンをやめる気はない。ただその人達をVtuberとは今後認識せず、数あるコンテンツの一つって認識に改める事にする。
何が変わるかは分からないが、とりあえず界隈からは距離を取る。生放送中心の人はカテゴリーエラーなので近づかなくて良くなる。新規発掘はできなくなるが、本当に力があるコンテンツなら目に着くところに上がってくるだろうと信じている。
今私が非常に面白がっている人物で宇野常寛さんという人がいます。
この人はネット上でサブカルチャーへの評論を展開し、その文章を買われて(?)ライターとしての活動を開始、現在はSFマガジンという雑誌で評論「ゼロ年代の想像力」を連載しており、オタク評論の新たな地平を切り開いた巨人・東浩紀と敵対したり、一緒に酒を飲んだりしています。
要は上の世代にもある程度期待されている新進気鋭の評論家さんです。
その主張は苛烈で痛快です。「評論の世界は十年遅れている」と言い放ち、その十年を取り戻す作業が自分の仕事だと宣言しています。上の世代の評論家はすべて「現状認識できていないノスタルジー中年でもはや害悪」、萌えに耽溺するオタクは「『酸っぱい葡萄』状態のどうしようもない奴ら」と無手勝流の撫で斬りで片っ端から斬り捨てます。
この人の活動の遍歴をまとめてみると面白いのでは? と思いこの記事を書いてみました。
北海道にて全寮制の男子校に入る。ここでの経験がその後の宇野さんの方向性を決定付けます。元々オタク率が高い田舎の進学校、加えて異性がまったくいない寮生活という住環境……。それは寮生の九割がキモオタという地獄絵図。ここで宇野さんは大嫌いなファンタジー小説を新刊が出るたびにむりやり読ませられて感想を聞かれる、などの地獄のような責め苦を受け続けます。富野信者でサブカル系の宇野さんには美少女がビキニアーマーを着て大冒険をするような話は耐えられなかったのです。
なぜ宇野常寛があれほどまでに萌えオタを敵視するのか? それはこの寮生活でのトラウマがすべての原因なんです。宇野さんが萌えオタを攻撃するのはこの頃の復讐なのです。
寮生の半分は卒業後に「引きこもりのギャルゲーマー」になったそうですから相当屈折した人たちが集まっていたことが覗えしれます。そして、「恋愛したくてもできないからギャルゲーに逃げるオタク」をいっぱい見た宇野さんは「性愛コンプレックス」にこだわるようになります。
同じ嗜好性を持つ人間がまったくおらず、一人で古本屋に行き「アニメック」のバックナンバーを買い集めていた宇野さん……。この時に趣味を共有できる仲間に出会えていればその後の人生は大きく変わったでしょう……。
この辺の話は旧惑星開発委員会のコンテンツ「善良な市民のオタク黒歴史」というエッセイに詳しいです。
高校を卒業し、宇野さんは寮生活から解放されて浪人生活に入ります。ここでどんな風に過ごしてたのかはあまり語られませんがPLANETS第四号によると「楽しすぎてさらに浪人した」と書いてありますので、キモオタ軍団から解き放たれたのがよっぽど嬉しかったのか勉強せずに遊んでいたようです。
しかし、そこはやはり浪人生。二年間もの浪人生活でキャンパスライフへの憧れはどんどん膨れ上がっていきます。未だに「大学生活」や「サークル」に拘るのはここに起因があるとみて間違いないでしょう。
ところで思春期を男子校で過ごし、その後二年間浪人……ってことは宇野さん、ヤラハタですか?
そして、立命館大学に入学し関西に移住。大学に入った宇野さんはサークルの自己紹介名簿を見るのが趣味となり、サークル内での「立ち位置」や「キャラ設定」について考察するようになります。おそらくは自慢のコミュニケーションスキルを生かしてサークル貴族となり、カーストの下位にいる人間(宇野さんによると「毎日辛いけどサークル抜けると友達がいなくなるから抜けられない人間」)を苛め抜いていたんじゃないでしょうか。
そして在学中、おそらく三年生か四年生の頃に「善良な市民」というハンドルネームで2002年1月に「惑星開発委員会」というウェブサイトを開設します。それまでのテキストサイト(単なる日常を痛々しいほどの過剰な修飾で必死に面白話に仕立て上げようとするサイト)に違和感を持っていた宇野さんは一人ではなく友人を誘って複数人で運営。
主なコンテンツはアニメ・漫画作品を複数人でレビューする「クロスレビュー」、90年代のサブカル文化人や事件を考察を加えて紹介する「惑星開発大辞典」、宇野さんが出会った痛いオタクを面白おかしく描くエッセイ「善良な市民のオタク黒歴史」などです。
複数人で運営していること、宇野さんの広範なサブカルチャーへの知識、ひたすら萌えオタを攻撃する芸風、まったく洗練されてないごちゃごちゃしたサイトデザインなどで話題になります。
特に萌えオタへの強烈な煽りは当時のオタクたちを刺激し、某掲示板でスレッドが立ち「萌えオタは現実逃避してるのか?」と論争が巻き起こるほどでした(当の宇野さんは萌えオタ批判は「過剰な方が面白いからエンターテイメントでやってる」と掲示板でネタバラシしていました)。
しかし、おそらくは就職でメンバーのプライベートが忙しくなり、クロスレビューを更新することが難しくなります。また、萌えオタ批判がマンネリ化し、一本調子になってしまい、読者にも飽きられ始めてしまいました。そうして宇野さんは更新への意欲を失っていき、更新を止めてしまいます。活動停止、実質の閉鎖です。最終更新は2003年4月になっています。
続き
面白かったよね、蜃気楼的なのもそうでないのも。今のラノベというとハーレムもののイメージがある(私が今持っている・またはそういう文脈で使うことが多い)けど、私にとってラノベはコバルトとかホワイトハートとかだった。女の子向けエロ。母に「こんなマンガみたいな本!」と全部まとめて捨てられてた本。中学生ながらこっそり作家のサイン会に行って、サインしてもらった本も含まれてたんだけどな……所詮子供が大事にしたい気持ちなんか大人には関係ない。捨てさせられながら呆然とライトノベルとそうじゃない本の線引きを理解した気がした。……いや待て、なら長野まゆみやら宮部みゆきやらはなんなんだ。あと小野不由美。というか母としては表紙がマンガ絵だからアウト判定してただけで中身がマンガみたいだったかどうから知らないと思う。であれば十二国記はセーフなはず……ってコバルト関係なかった。
閑話休題。
引き込まれるとか読みやすいとか、文章が上手いのは圧倒的にコバルト文庫だった。他の文庫や、テキストサイトを巡ってきても、やっぱり安定して面白い安心感ある文章なのはコバルトだった。オーラバとか『作家の人間性がー』みたいな話を同人誌だかペーパーだかで読みつつ、でも話は面白いから作家の別作品も追ったりしてた。音楽のやつが好き。ちょーシリーズもとても好きだった。ちょーも好きなんだけど、なんだっけ、黒魔法も白魔法も「魔法に善悪はない」ってずっと言ってたのは。コバルト文庫の何かだっけ? ……ちょーシリーズの子世代編の気もしてきた。あれはとても私の価値観に影響した。魔法じゃなくても、道具そのものに善悪はない。うん。あの人の、全体的にしっかり考えてるのにあっけらかんとした口調で気楽に読ませてしまうの本当にすごいと思うんだ。好き。あ、マリ見ては嗜む程度、多分1冊もちゃんと読んだ(借りた)ことないと思う。アニメイト方向からの知識だけで構築されてる気がする。姉妹と書いてスールと読むんだよね。あと破妖? 途中から読めなくなってしまったけど。
ああでも、こんな懐古に浸って、あの頃読んでた何も今読んでない。新しいシリーズなら尚更。コバルト文庫はコミュニティで読んでいた。布教文化というか、教え教えられ前提で読んでいた。くるりんFAXで盛り上がったりとか。高校卒業してからは面白い本をその場で貸して翌日返ってくるなどというやりとりはなくなったし、自分の気になるものしか読まないから自ら新シリーズの開拓とかしなくなった。友達に勧められないとマンガしか読まない人間だったんだ、私は。今コバルト文庫を読んでない。かなり長い間読んでない。読みたいな。読もう。