はてなキーワード: あったらいいなとは
勝手にいろいろなことを書きました。
①「どんな想いを抱えて 女性だけの街 なんてことを夢見たのだろうか?ということを少しでもいいから考えてほしい。具体的な経験からきているのではないか。差別的な意味で全ての男性を跳ね除けようとしている訳ではないはず。これは悲しいこと。」という主旨のツイートがある
→読みました。共感しました。(上記の要約については歪曲や勝手な読み取りを含みます。)
②女性だけの街を実現する為の手立てを具体的に考えている方々もいらっしゃる
→私は非現実的だと思ってしまうのですが、夢を本当に叶えにいこうとする姿勢はパワフル。この記事では「あったらいいなと思うんだ、なぜなら〜」という話題としてお話します。
③なぜ「街ごと」なのか?
→外干しの洗濯物への視線、駅で明らかにわざとぶつかってくる人、上司による威圧または変に柔らかい態度、夜道の足音、そういう様々な場面において、性別による頻度の偏りや質的な差があります。せっかくの夢ですから、「その全てに男性いなかったらどんなに変わるだろう?女性だけの街…」と、そんな風にこの話題の発端の方は考えたのではないかな、と私は想像します。発想としてフルスイングなので、その分反応が大きかったのだろうと思っています。
→私は、これについては③のフルスイングと明らかに矛盾するので全く同意しません。変な意見だな、とも思います。また、②のように具体的な検討を目指す姿勢でもないので、以後触れません。
⑤他
→2018年頃に目にしたこの話題ですが、あらゆる意見や表現、その経緯については把握しきれていませんのでご了承ください。
→男性からの加害を受けたことが複数回あるので、男性に対して身構えている部分があります。これについてムカつく!と思ったら読むのをやめることをおすすめします。
→この記事では、女性・男性という身体の性別の2枠でお話していきます。私の文章能力ではこれが精一杯です。
では、私が女性の日常からみた女性だけの街をどう捉えているかを、フィクション混じりに書いてみますね。
会社員女性の独り言みたいな拙い文章ですが、書きたいので書いてます。
◆ ◆ ◆
男性全員が加害者ではないことは分かっていても、被害を受けた経験は消えていない。もう自分の非を探して悲しむのは嫌だから、気を付けて過ごそう。でも、被害を受ける可能性が消えるわけでもないのに気力を使うのって、あんまり意味ないかも。そもそも警戒をされることに対して怒りを覚える男性もいるらしい。怖い。
帰りの夜道は、3分ほど1人で歩く。
ふと、背後に足音が聴こえて心臓が跳ねた。そんなに近くはないが振り返ることもできない。そっと早足になろう。あとは道の反対側に渡る形でそっと後ろを振り向こうか?
足音に耳を澄ましながら、ポケットの中のスマホと防犯ブザーを確認する。歩いているだけなのに緊張して息が浅くなる。
… … まあ、結局、何もなかった。後ろの人は普通に信号待ちをして、道を曲がっていったようだ。
いつも通り背後を確認しながら自宅のドアを開けて入り、すぐに施錠した。勝手に神経質になって、無駄に震えて、私ってなんなんだろう。
誰もお前なんか狙わねえよブス、という声が聞こえる。
でも私、昔あの夜道で被害を受けたんですよ。背後からスタスタと近づいてきて、手を出して、走って逃げていった卑怯者の後ろ姿が焼き付いている。
実行のチャンスさえあれば、顔を見ずとも誰でもいいんですよね。性的に狙ってだけじゃなく、加害欲で手を出す場合もあるんですよね。そんな風に思います。
普通の男の人はただの帰り道では心を擦り減らしたりしないらしい。羨ましい。
被害にあったことのない女の人もそうなのかな。被害のことを意識はしてるだろうけれど。
何年か前に見た、「女性だけの街」という話題を思い出した。私も、そういう場所で暮らしてみたいなと思う。
あらゆる行動の制限も緩んで、性別を気にせず働けて、振る舞いに注意しながら歩く必要もない。私でも、警戒せずにベランダに普通に洗濯物を干すとか、防犯ブザーも持たずにほろ酔いでのんびり夜道を帰るとか、そんなこともできるかもしれない。
ただの空想話。実現する為の手立てなんて考えているわけじゃない。
そもそも、私の願いは「女性だけの街が実現すること」や「男性と一切関わらないで生きていきたい」などではない。
男の人も女の人もいるこの街で、安全に、もう少し自由に、震えずに、暮らしていきたいということだ。
◆ ◆ ◆
普通に安心して過ごしたいという話に「夢」とか「理想」とかいう言葉を使いながら極端な想像をしてしまう、そんな現実を分かってほしいな。という文章でした。
勝手に安心して無警戒で歩いても大抵は安全、世界的に見れば治安は良い国、とお思いかもしれませんが、「安全じゃなかった」「その数分の無警戒を一生後悔する」そんな現実はあります。
被害者は悪くない、でも、後悔して苦しむのですよ。
そしてそれは、全ての人が自分の身に起こるかもしれないこととして想像できることだと思うのです。
安全に過ごしたいという気持ちは命に関わる重要な望みのはずです。
そのレベルの望みを軽視することは、恐ろしいことです。全くやさしくないです。
以下も私のお気持ちです。
「女性だけの街なんてのは実現しない」「女は3kの仕事しないくせに」「成り立たねえぞ」
→男が支えているんだぞー!という主張は汲み取りました。私としては女性だけの街を実現するための話はしていないので、ここではちょっと…。
→排斥ではなく身の安全を求めての話だから、違います。女湯に男性が入れないのは差別ですか…?と思う。つまり、「女性だけで好き放題したい、特別な権利がある」などという話ではないはず。
→そうですね。街における犯罪件数0を求めることは女性だけの街の実現よりもさらに無茶でしょう。
でも、男女の犯罪率の差などを見て、明らかに減るだろう、と想像しています。性犯罪も比べるまでもなく減りますし、妊娠のリスクもなくなります。
(実現はしませんが…。)
今回少し見ていて気が付いたのは、
「(この話題一定以上前に見たことがあるぞ)オイオイまだ同じこと言ってんのかようぜーな」
からの
「そんなに言うんだったら 実現に向けて進めてみろよ」
という方向のご意見がちょっと目につくような気がする…かも…?ということです。
だから、私としてはですけれども、そもそも女だけの街を本当に作ろうとしているわけじゃないんですってば。
「男性がいない方が安全に決まってる!男性のいない街ほしい!」なんて言葉を見たら「そりゃそうだろうけど断言してるのを見ると居心地悪いわ 男だって100%危険なわけないだろう。例え自分に言われてるわけでなくても引っかかる そもそも街なんてどうやって作るんだよ」と、思いますよねー。
一部の男性は、女性だけの街の話題で言わんとしていることは分かっている上で、皮肉を言っているんですよね?ほら行動に移してみろよ、できないだろ、とそういうことですよね?
でも女性(特に男性からの被害を受けた経験がある女性)からすると、
言い方伝え方の強さや良し悪しの幅や個人差は大いにあれど、「男性に警戒心あり」はきっと迷いなく本当。
見知らぬ男性を強めに警戒している。
とはいえ、現実として、男性と関わらずに生きていくことはかなり難しい。
ということで、女性の私(達)は「日々安全を脅かされたり嫌な思いをする中で、叶わない夢は何度でも空想してしまうものよね〜」とそんな感じで今後も呟いていくのではないかと思います。
別の場所で暮らしていても、街の建設はしていなくても、各々が現実への対処をして生きているのだろうと思いますよ。
女性のみなさま、どうかご無事で。
それが今回私が思ったことです。
まあ保育園で言われたのは1歳というのは食べ物を選り好みする時期らしく食事の廃棄も多いんだとか。
ならしょうがねぇか~と理屈の上では納得するんだけど、作ったものを頑として口に運んでもらえないという圧倒的な現実には毎回少なからず打ちのめされる。
これなら食ってくれるだろ!と当て込んで買った食材を大人用に転用も出来ず捨ててしまったことも1度や2度ではない。ファックSDGs。すまんな国連。
0歳のうちはベビーフードも食べてくれてたんだけど、ある日突然食べなくなった。それまで鉄板だった和光堂のアレやピジョンのソレも全部。
都には赤ちゃん関連のカタログギフト10万円分が貰える赤ちゃんファーストっていう制度があるんだけど、それで貰ったベビーフードが余りに余った。
ベビーフードのリメイクも色々試したんだけどダメ。仕方ないのでフードバンクに送った。すまんな百合子。そして始まった手作りの日々。
当該の1歳児は米、パン、麺食べる。芋はまちまち。何かしら形がハッキリ残った具材が入っていると食感が嫌なのか実に器用に取り除く。あら~上手ね~(怒)!
なので2~3mm角以下に粉々に刻んで混ぜて食べさせてる。ピラフ、チャーハン、ドライカレーは定番。スープは飲んだり飲まなかったり。
なぜかチヂミは食べる。結構固めに焼いても大丈夫なのは不思議だ。フルーツ、ヨーグルトは大好き。お菓子の類は外出時にしかあげないが大好き。
歯の生え方は問題ない。上唇小帯がちょっとあるくらい。胃食道逆流症とかはない。健康優良児で何よりだが食の選り好みはなんとかしたい。
レシピ本もクックパッドもYoutubeも各種レシピサイトも打率が低い。検索の時間ばかりかかって仕方がない。これと見込んで作ったものがダメだと徒労感ハンパない。お財布にも優しくない。
だからさ、保険の見積とかAI学力診断みたいに、なんか情報入力するだけで「これなら食べるかも」みたいなサジェスト出してくれるようなサービスが欲しい。打率3割あればプレミアム会員なります。
■年収
・300万くらい
地方の県庁所在地に住んでて自分と同じくらいの年収があったらいいなと思ってる
ペアーズでは年収の区切りが200〜400、400〜600と200万単位なので自分で検索するときは400万〜で検索してる
うそ 高いと嬉しい(800万以上だと怖い)
他人と生活したこととか子供がいたことがないのでどれくらいお金が必要なのかわかってないだけかも
■年齢
・自分よりちょい下〜7個くらい上まで
■身長
・自分が検索してる条件は170〜(時間に余裕があるときは168〜、ないときは178〜)
■喫煙
・非喫煙者のみ
一回会ったけど「恋人がかわいくおねだりしてくれたらやめる」と言ってて喫煙に対する意識が自分とは違うなぁとなった
■婚姻歴
・未婚のみ
■国籍
・日本人
■趣味
・インドア寄りの人
・スポーツ一筋じゃない人
アウトドアが好きでももちろん良い、自分と異なる趣味を持ってるなら新しいことをするきっかけになるし
ただどうしても最初の3回くらいまでは会ったときに共通の話題があったほうが盛り上がりやすいと思うので気にしてる
スポーツに興味が持てないので他に趣味がある人とのほうが会話しやすい
マッチングアプリの検索条件になってる部分だけ書いてみたけど結局性格なんだよなぁ
性格が合わないと長いことやってくの難しいだろうし
でも性格って会わないとわかんないし(会ってもお互い猫被っててわかんないかも)アプリ上だと殊更わかんないし
負けないわ!
なんやかんやで無事終了なのかしら?
今回は全回しっかり見ていたというか、
見てない貯まっていた分を一気に観て寝不足という感じ。
さすがに週まとめて5回を1回でお風呂で全部見るのは喉が乾くわ。
温泉お盆ライド熱燗お猪口お酒のみスタイルで水分補給でもしたらよかったのかもね。
でもまあ
とりあえず1週間以内なら早い内に見てしまわないとってのもある反面
TVerはシーエムがどうしても流れるみたいなのでさらなる時短をかねて
これはしばらくアーカイブされているので、
結構すぐに飽きるかな?って正直思っていた
お風呂も入って動画も見れて一石32鳥は充分な威力を発揮しているわ。
でも最終回は待てなかったので、
ネッツがあれば
どこでも視聴ができるって便利ね。
だから本当に
なんか車にノートパソコン乗せてどこか知らない半島の岬にでも行って
それだったら最低限のお仕事だってその間は出来るわけじゃない。
フィジカルなものを除いてインターネッツでできることはすべて旅先で!って
夜まで待てない我慢できなかった朝ドラの最終回を見ることが出来たし
なんか充実したお昼休みだったなぁー久しく思ったワケなのよ。
なんだかんだ突っ込みどころ満載に搭載してたけど
なんとか最後は無理矢理に終わらせたって感じを
シベ超の人が言ってたけど
本当に朝ドラって良いですね!って言っちゃいそうよ。
あまりにも、
都合良い主義で進んでいったご都合主義的なツッコミ箇所多かったけど
終わり良ければ全てよしまくりまくりまくりすてぃーってことかしら。
でも無事終わってよかったわ。
無理矢理ホッとさせられた感じね。
うふふ。
まあ毎回毎回飽きずにお粥は秋が美味いってことは間違いないみたいね。
久しぶりのレタスサンドイッチも改めて美味しくて良いなって思ったわ。
朝やっぱり今日の今朝なんか寒くって
なんか羽織るものがあったらいいなって思うぐらい小林製薬だったわ。
あったらいいなでお馴染みじゃない。
だんだんと
水も冷たくなってきて顔洗うのも水だわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
本日は国際行方不明者デー、ペルーではリマのローザの日、矢沢の日、そしてハッピーサンシャインデー
太陽のような明るい笑顔の人のための日、この日に生まれた人は笑顔が素敵な人が多いから生まれた記念日だの、明るい笑顔で過ごせばハッピーな気分になれるだの。
まぁ別に一日顰めっ面でもいいと思いますよ。怒り続けたい日も感情が揺れない日もあっていいと思います。
この日を作った人もきっと毎日笑顔で居たら幸せになるみたいな事じゃなくて、たまには笑顔だけで過ごしてみると気も紛れるんじゃねえかって思惑があったのなら色々誤魔化せそうな気もします。
あったらいいな、です。この日を制定した人達がそんなこと考えてるという記述を見た覚えはありません。
ただ『八月三十日はハッピー(8)サンシャイン(30)だからハッピーサンシャインデー』という記述を見て“なんじゃこれ”と思って調べたら更に“なんじゃこれ”だったので必死に気持ちを誤魔化しているだけです。
ということで本日は【適度な気晴らしよいか】でいきたいと思います。
適度な気晴らしよいか!適度な気晴らしヨシ!
それが気持ち悪くない文脈もあるにはある。「教養としてのワイン」なら分かる。「あーワインの味よりも歴史を知りたい人向けだなー。ワインのうんちくとかも書いてあるんだろうなー」とか想像できる。
でも「教養としてのデータサイエンス」は気持ち悪い。「なんかそれっぽい単語を使ってドヤりたいだけ(と本音では思っているけど自覚がない)人向けで、そんなの売れるの?」とか思ってしまう。
教養に価値がないとは言わない。でも「教養としての...」という冠には、「これはあくまで教養としての本であって、読んでも役に立ちません。それを理解してお買い上げください。」というエクスキューズと、「あなたはこのテーマをよく知らないせいでコンプレックスを感じていますね?この本を読んでもそれを理解して使いこなせるようにはなりませんが、知ったつもりになれるし、あなたが今感じてるコンプレックスは解消できます。なんならドヤれますよ」という下世話なオファーが透けて見える。
「世界のビジネスエリートが知っている 教養としての茶道」は、そういう意味でも意味不明。目次を見たら
とか書いてあるけど、それが教養なのか?エクスキューズと下世話なオファーに加えて、そうであったらいいなーという願望が混ざっていて、歪みまくっている。複雑骨折してる。