はてなキーワード: 迷信とは
従順を美徳として反抗を悪徳と見る、無垢に神聖性を帯びさせてそれに反するものを俗物と見る、とか、文化的に論理と親和性が低いんだよ。
そう。興味ないんだよね。
前回も「無関心なことにいちいち構ってらんない、後回しだそんなもん」的なこと書いてくれた人いて、納得しちゃったよ。
でも今回の判決は、そういう無関心さにつけこんだ「みかじめ料支払えや」案件だから、とても怖い。国家ともあろう主体がヤクザみたいなことするなんて信じられない。
しかも、今までのニュースを時系列で追ってないような無関心な人まで叩いてくる。
満たされない承認欲求の八つ当たりなのかな?自慰行為はTPOを弁えてほしい。
法律は憲法に沿う形で運用するべきだし、それに対する批判は論理的であるべきで、感情論や迷信が入り込む余地があってはならない。それは言い過ぎか。
でも、刺青差別、他にもいろいろ思い当たる話はあるんだけど、それらの無自覚な差別心って誰にでもあるものだとは思う。
極論、効果があるかどうかだと思う。体罰がいけない理由の半分は、効果がないからじゃないかな。もう半分が倫理。
なんかぶん殴ることによって反省とか改善といった不思議な効果があるという蛮族的な直感があって、それは動物の骨を砕いて飲むと病気が治るみたいな迷信なのだけど、多くの人はそれを無自覚無批判に信奉してしまっているから、「体罰の効果は定量化が難しいが、効能を最大化し副作用を減らすにはどうすればよいか」という風に考えてしまう。いくら殴っても蹴っても反省などしないし、切れる若者や切れる老人を増やすだけなのだけど、それにまだ合意できていないと「程度問題」という言葉が出てきてしまう。倫理だけではなくて「理由があれば殴ってよい」という意見に本当に「理由」があり得るのかを説いていかないといけないんじゃないだろうか。
そういう意味ですか。「ブス」ではなく「ブサイク」だったので、男性に向けての発言だと思い込んでいました。どうもすみませんでした
女の敵は女なので、そんな発言するのは男性ではなく女だろう、ということですが
これが例えば日本人の女性お笑い芸人や、好感度の低い女性タレントがセクハラを訴えたなら
悪意を持って、皮肉や嫌がらせの意味で「あんたみたいなブスが男に相手にされてよかったじゃんw」と言う人は男女問わずいると思います
その国では「アルビノをレイプするとエイズが治る」「赤ん坊をレイプするとエイズが治る」といった迷信があり、その迷信のひとつに
「老婆をレイプするとエイズが治る」というものがあり、黒人のお婆さんが黒人男性にレイプされる事件が後を絶たないそうです
治安の悪い国ですから、「許可なく体を触られて嫌だった」「ベッドの上でちょっと強引にされて不快な思いをした」程度ではなく、通りすがりに押し倒され、その辺の地面の上で、黒人男性のとんでもない大きさの性器を無理やり挿入されて血まみれになりながら犯されるのでしょう
そんな迷信を信じる程度ですからレイプ魔に倫理観も何もあったのもではなく、下手をするとその場でボコボコに殴られて死姦に移る可能性も大いにあります
何の面識もない、特に恨む理由もない外国の黒人のお婆さんが命の危機に晒される日常を目にして
「レイプされるなんてお婆さんにとってはご褒美だね、よかったね~w(ババアざまあw私はブスが大嫌いなの!醜いババアは性病で苦しめw)」という考えに至りレスをする女性が2chの実況スレに複数人居合わせるとはちょっと思えません
そもそも、「お婆さんにとってはご褒美だね、よかったね」とレスした人は、元増田にも記述したように、悪気があるようには思えませんでした
自分よりずっと体が大きく力が強い人間に生殺与奪を握られることや医療機関もろくになさそうな国で性病に感染する恐ろしさに思い至らず、
皮肉でもなんでもなく、悪気もなく、心から「セックスの相手に選ばれてよかったじゃん」と祝福している男性(と思われる)を見て、こういう考えの男性が一定数存在していることに驚いたという話のつもりだったのですが、伝わらなかったですね
https://anond.hatelabo.jp/20170801020729
だったら「ミミズにおしっこかけるとチンコ腫れる」っていうののほうが、きっと詩経とかよりずっと前、ことによると人類が言葉を話せるようになったすぐ後くらいから言われてると思うんだよなーw
でも、証拠はないww
https://anond.hatelabo.jp/20170731142310
詩経が載せる詩句は、以下のとおりであったとされる(邶風第五《終風》第三章)。しかし、数百年も経てば、その意味は分からなくなってしまう。
終風且曀 不日有曀
寤言不寐 願言則嚏
そこで、後漢の鄭玄(AD 127-200)は、第四句「願言則嚏」の意味を「あなたが私を思ってくれたら、私も嚏をするはずなのに。」という意味であると解釈し、その旨の注釈を加えた。いわゆる「鄭箋」である。元増田のいう「今俗人嚏云人道我、此古之遺語也」は、その「鄭箋」中の語句である。
この鄭玄の解釈が正しいなら、元増田がいうとおり、詩経の時代から「噂をすればくしゃみをする」という考え方があったことになる。
しかし、この第三句、第四句について、単に「あなたのことを思って夜も寝られず(寤言不寐)、体調を崩して風を引いて嚏をした」という身も蓋もない解釈もある。
この解釈が正しいとすると、「くしゃみをしたら…」の迷信の存在は、差しあたって鄭玄の時代にまでしか遡れないということになろう。
もとより、この迷信について、鄭玄の上記解釈を前提とする説明自体は、万葉集の和歌と絡める部分を含め、江戸時代から指摘されていたような話のようであり、その点に関する元増田の理解を間違いと断じるわけではない。
しかし、ソースをググれば、例えば「《箋》今俗人嚏云人道我、此古之遺語也」と一発で出てくるのに、「《箋》」でピンと来るような前提知識がないと、この点に不正確な部分を残したまま、トリビアとして広まってしまう虞もあろう。
しれっと21世紀でも生き残っているが、もともとは『詩経』に出典がある。
今俗人嚏云人道我、此古之遺語也。
嚏がくしゃみ。今俗諺に、ある人がくしゃみをしたら、「誰かが自分のこと噂してるな」という。
これはとんでもねー話で、そもそも『詩経』は成立段階も分からず、周(紀元前1046年ころ~紀元前246年)の時代に成立したともいわれる。
東アジアでもっとも古いテキストの一である『詩経』に、古い言い伝えだ、と書かれてる。
そんなのが21世紀もいまだに俗諺として生きている。
もしかしたら卑弥呼(紀元239年に魏に遣使、周の時代が去って約500年)だってくしゃみして
「てめー難升米、私のこと噂しただろッッ!」
とか言っていたかもしれないのだ。
万葉集の時代には、くしゃみで噂、は確実に日本に知られていた。
眉根掻き 鼻ひ紐解け 待てりやも
返歌
今日なれば 鼻ひ鼻ひし 眉痒み
思ひしことは 君にしありけり(巻11-2809)
「鼻ひ」がくしゃみ。くしゃみをするというのは、相手に想われている、という俗信があった。
眉を掻いたり紐が解けたりってのも、相手に想われたり、相手に会えるという予兆なのだそうだ。
ここでは、相手の女の子が眉を掻いたりくしゃみしたり、紐が解けているんだろうな。そんで私がいつ来るか来るかと待ってるんだろうな。
なんか今日はくしゃみはでるし眉はかゆいしで、あなたが想っていたからこんなことになっていたんですね。
ということで万葉集の時代には、ほぼ確実にくしゃみで噂は日本に来ていた。
で、21世紀の私たちもなんとなくこれを受け継いでいる。これってかなりすごいことだと思う。
最後になるけど、『詩経』に載る情報がなんらかの手段で日本にもたらされてから、連綿とこの俗諺が息づいてきたか、はわからない。
今はくしゃみで噂、は多くの人が知っているけれど、たとえば、江戸時代のある時期はそうじゃなかったかもしれない。あるいは、足利尊氏はしらなかったかもしれない。
『詩経』のテキストはずっと古典としてあるから、くしゃみで噂、は一旦絶えても、古典を読む人がいる限り復活する可能性がある。
だから、連綿と、卑弥呼の時代からずっと私たちがくしゃみで噂を知っていたかは疑問だ。
これと関連して、私たちはくしゃみで噂、をあるていどみんな知っているけど、なぜこうなったのか。これは調べなくてはならない。
なにかみんなが見るような教科書や雑誌や、あるいはテレビドラマやコメディがあって、それでみんな知るにいたったのだろう。
字画判断や姓名判断が賑わせてるが、俺はそれよりもずっと害悪だと思ってるものがある
正月に神社にお詣りして、いきなり目に飛び込んでくるのは、厄年の年齢と生年リスト。
あれ酷くないか?
1年の初めから、あなたの1年(または半年)は終わってますよ。
と冷酷に言い放つポスター。
ネガなイメージで1年という長いスパンを開始させられてしまう害悪だと思う。
これも厄年と似たような迷信だとは思うけど、やっぱりネガテイブなイメージを引きずってると日常もネガテイブに寄せられていくと思う。酷い話だ。
個人的にはそもそも外国に厄年が無いと認識した瞬間、俺は厄年を全く気にしなくなったし、むしろ厄年という制度自体が厄だと思い始めた。
「なるほど」
「睡眠にも周期があるとは」
海原雄山「お前はまたしても基本を見落としたようだな」
山岡「6時間は少なすぎる。9時間は長すぎる。ならば7時間30分しかないだろうが!」
海原「ふん…」
海原「お前が見落としているもの…それは昼寝だ」
「!!!」
海原「お前のことだ。調べもせず昼寝は身体に悪いなどという迷信に流されていたのだろう」
海原「私に言わせれば一日に一度睡眠を取り、残りは起きている方がよほど健康に悪い」
「なるほど」
「昼寝が健康にいいとは」
「お昼過ぎは眠くなるのよね」
海原「8時間だ」
山岡「俺の言った睡眠時間に昼寝の時間を足しただけじゃないか!」
海原「まだ分かっていないようだな!!!」
海原「私の理想とする睡眠時間は、6時間+1時間30分+30分の8時間だ」
「睡眠を3回に分けるとは!」
海原「そんなことはない」
海原「睡眠時間を分割しても合計の睡眠時間が十分であれば問題ないという研究結果が出ている」
海原「私の考える睡眠時間とは、夜から朝に6時間、昼に1時間半、夕方に30分だ」
「どういうことだ!」
「不可能だ」
山岡「流石にそこまでは寝ていませんよ」
山岡「海原雄山!昼に1時間半の睡眠が取れるのはフラフラしているお前ぐらいだ!」
海原「つまりお前は、働いている人間でも実現可能な睡眠時間でないから私が間違っていると言うのだな」
山岡「そのとおりだろうが!」
海原「はっはっはっはっ!皆さんお聞きになりましたか。語るに落ちるとはこのことだな士郎」
海原「お前のように会社人として働きながら可能かどうかは元々議論の対象ではない」
海原「何よりだ。理想的な睡眠を取ることよりも、会社で消耗することを優先しようというその発想が負け犬そのものだ。だからお前は駄目なのだ」
年代別の性格の違いは月別より大きいし、12種類に分けるのだから星座や血液型より的を射た占いが出来るように思うが干支占いは流行らない
何故か考えてみた
1.学校の同級生が全て同じ干支なので盛り上がらない、クラスメイトのあいつと自分が似たような運命や性格な訳がないと気がついてしまう
2.干支は人に言ってしまったら正確な年齢がばれてしまう、いい歳になってきたら気軽に人に言えるものではない
3.有害である、占い信者がディスられ担当の干支で子供を生むのを控えるようになり少子化に繋がる
丙午は火災の多い災いの年だとか丙午の女は夫を食い殺すと言われていて、丙午に生むのを避ける為に皆が避妊中絶していたので出生率が
丙午の1966年出生数は136097人出生率は1.58
前年の1965年の出生数は182370人出生率は2.14
1967年出生数193565人出生率は2.23
このように丙午だけドンと下がっている
自分の知る丙午の女達は実際気が強く夫を食ってる人が多いのであながち迷信ではないかもしれないが、丙午に産み控えるのがバカバカしいという親を持ち、周囲から気の強い丙午の女だと言われ育ちバブル世代なのも大きい気がする
まぁ今もこの年に生んだら確実にB型の子供が生まれますと言われたら産まない血液型信者とか普通に居そうだし干支占いが広がったら少子化に繋がり害しかない
考えてみたら流行らなくて正解すぎた