はてなキーワード: 菜の花とは
明日は新三郷のコストコに行こうと思うんだが、あの辺りも渋滞してるよな。
まず高速道路で来る場合だ。三郷西ICはほぼ間違いなく混むから使っちゃダメだ!
そもそも、ICの構造と交差点の位置の関係で、交差点を左折するのが大変なんだ。渋滞している車をかき分けて、数100メートルの間に左に2車線移動しないといけないからな。
場合によっては草加ICも使えないぞ!だから外環に入る時の電工掲示板に注意しつつ、草加で降りるか川口東で降りるか考えろ。
一般道で来たとしても、三郷西IC付近は混むからオススメしないぞ!
しかし、そのちょっと上の八条橋はもっと混むからもっとオススメしないぞ!
けど、中川を越えないとコストコにはいけないからどこかで橋を渡る必要がある。
そんなときには北なら吉越橋を使うのがオススメだ!イオンレイクタウンの方を迂回するわけだな。
だが、レイクタウンに直接向かっちゃうとレイクタウンに向かう車、特にヘッタクソな主婦の車やノロノロのジジイの車にイライラさせられるから、中川沿いまで出てしまうのがオススメだ!
南なら都道・県道67号だ!共和橋以外の橋はあまり混まないから、橋はどこで渡っても大丈夫だぞ!
松戸方面や野田方面から行くとしたら、流山橋と三郷駅近辺の渋滞に注意だ!そこでオススメなのが江戸川沿いだ。春先は堤防側が菜の花でいっぱいになってきれいだぞ!
そして信号がほとんどない!とばしすぎて鼠取りに引っ掛からないように注意しろ!
もっと上、春日部方面から行く奴は広域農道を使え!この道も信号がほとんどないぞ!ただし、佐川急便でもいない限り通る車のスピードが凄まじいから注意しろ!
料理をするとき、クックパッドやら何やらでせっかく調べても、レシピ通りに作るということが皆目できない。
まあ、なんとなく気分で方針転換しながら料理しても、自分一人で食べる分には美味しいしいつも満足しているのだが。
それでも自分はなんだかんだでレシピ通りにしないだけでやろうと思えばできると思っていたのだけれど、
週末に、よーしレシピ通り料理しちゃうぞー!とかなり意気込んで用意していたのに全然できなくてちょっとショックを受けた。
数日前からアジアンテイストな鶏の炊き込みご飯的なものを作ろうと意気込んでいて、タブレットでレシピを表示しながらキッチンに立ったはずなのに気付いたら立派な焼鳥が完成していた。
どうやら料理に関して、そもそも当初の想定通りに事を運ぶということが全然できないらしい。まあ、だから何ということもないのだが。
調べもせずに雰囲気で焼鳥のタレ的なものを作るのに醤油みりん砂糖に思い付きで水飴とかほんだしとか鶏ガラスープの素なんかを投入しながら煮詰めたり、
もも肉の塊から皮だけ剥いで軽くゆでたり、切った肉や皮に串を打ったりという割と長い作業の間、欠片ほども炊き込みご飯のこともレシピの事も頭をよぎらなかった。完全に忘れていた。
途中で炊飯器のスイッチ(炊き込む予定だったから具材待機で)押してないやんけ!とキレ気味に炊飯スイッチを押した記憶がおぼろげにある。
まあ、タレが思いのほか美味しくできて、結局炊き込まれることなく白ご飯になってしまった2合の白米も一食で全て消えたので食事としては満足度が高かった。
ご飯を炊いたことを忘れてパスタをゆでてしまったりすることもあるので、そういう失敗に比べれば、まだちゃんと鶏肉繋がりだし消費した食材も概ね一致していたからマシな方かな……。
しかし気合が入りすぎて、お前は美味しいアジアン炊き込みご飯になるんやでと買う時点から言い聞かせていた鶏肉さんにはちょっと悪いことをしてしまった。
今夜は昨日特売になってた菜の花が家にあるのでうまく使っていきたい。ちょっとした季節のものとか食べるとウキウキするよね。
現時点ではからし和えを作って食べたいのだけれど、なんかまた気付いたらチャーハンとか全然違う何かになっていそうな気がする……。
夏はまったく行く気がしなかったが、寒くなってきてからたまに行く。
釜揚げうどんが美味しいのだけれど、麺の上から大量のネギをかけるのが好きでぶっかけ系ばかりを選ぶ。
天ぷらは、ちょっと前まで野菜かき揚げを選んでいたが、ここ1年であの量を食べられなくなり、季節と気分にあったものを選ぶようにしている。
肉が生の状態から調理していたんだけど、赤みの多めなのにやわらかいちゃんとした肉で感動。
高かったけど、またやってくれれば食べたい。
この間は、たまたま肉玉あんかけうどんが半額の日(夜鳴きうどんの日、というらしい)に店に入ったので、頼んでみた。
半額で290円だったかな?これはお得感があった。肉も卵も優しい味わいで、定価で食べるかというと・・・食べないかな。
丸亀製麺は、自分にとって「うどんを外食で食べる」概念を作った店。胃腸の調子が悪くても行けるのがとても助かる。
すきや
週1以上の頻度で利用。
いつからか、牛丼豚汁おしんこセットが490円になっていて、お気に入り。
割引きキャンペーン扱いでメニューに載っているのだけど、かなり前から割引きになっている気がする。
なぜか牛丼限定で、豚丼豚汁おしんこセットは500円をオーバーする。ワンコインかどうかは大きい。
おしんこ、最初はちょっと野菜をと思ってつけたのだけど、案外癖になっている。塩分控えめで、シャキシャキ感が楽しい。
豚汁は、野菜の冷凍感がすごいけど、豚肉もちゃんと入っているし、満足できる。
ただ、コンニャクだけは冷凍後して弾力の全くない、コンニャクとは別の食べ物になっている。
最初、豚汁の中のコンニャクを食べたとき、この日はたまたまなのかと思ったけれど、何度注文しても、コンニャクには全く弾力がない。
山芋はネバトロ感があるのに・・・。そんな弾力のないコンニャクにも慣れてくると、なんとなく愛着がわいてくる。
「今日もコンニャクは・・・やっぱりね。」てな具合に、お決まりを楽しんでいる。
豚汁はいいか、という日は、気分によって、ネギ玉にしたりおろしポン酢にしたり、かつぶしオクラにしたり、高菜明太にしたり。
せっかくトッピングするので、牛丼だけでは不足しそうな野菜分に少し気を遣う。
チーズ牛丼、美味しいと聞いて一度食べたけれど、ジャンクっぽさに寄りすぎて自分はちょっと。
季節ものとしては、最近は牛すき鍋定食があるけれど、吉野家より割高だし、時間もかかるので食べないかな。
今年は野菜15%増量とアピールしているけれど、よっぽど評判がよくなければ吉野家で食べる。
それから、すきやで外せないのは朝食。
ごはん、みそ汁、オクラ、温玉、かつおぶし、ミニ牛皿で320円。
自分は、朝そんなに食べられないので、ごはんをミニにして、290円。
これよりコスパのよい朝食を知らない。しかも、注文したら本当にすぐ出てくる。
最近メニューが変わり、アスパラベーコン朝食なるものも加わったので、機会があれば食べてみたい。
すきやに行く楽しみは、食べることだけでなく、客層の広さにもある。
外食を楽しみに来た人、仕方なく来た人。
どこに座っても、だいたい店内が見渡せる。
牛丼が運ばれてくるまでの短い間、この人たちがどういう状況ですきやにやってきたのか想像する。
仕事帰りにも、休日の朝食にも、大変お世話になっています。これからもお世話になります。
かつや、幸楽苑、吉野家、松屋、半田屋、大戸屋、サイゼリヤ、マクドナルド、セブンイレブン、ローソン、ミニストップ、デイリーヤマザキについても書きたかったけれど、
思ったより長くなって疲れてしまった。気が向いたら続きも書く。
朝7時起床。お風呂にお湯を貼りつつ、彼女の朝食を作りはじめる。
ケールの新芽が売ってたので、簡単にフレンチドレッシングと和えたサラダ。
朝7時半。彼女が起きる。おはようのハグをした後、彼女は風呂に向かう。
朝8時。ドライヤーで髪を乾かしている音を聞きながら、俺は朝食をテーブルに並べる。
そうこうしている内に部屋に戻ってきたので、一緒に朝食を取る。
「やっぱりベーコンは買ってきたのとぜんぜん違うね」と嬉しそうに食べている。
朝8時半。化粧を始めた彼女を横目に後片付け。
上着が決まらないらしく、こっちかなー、あっちかなーとわちゃわちゃしている。
「今日はかなり暖かくなるらしいよ」と俺が言うと、
「ありがと!じゃあ、こっちだな」と決まった模様。
朝9時。二人で一緒に出勤。といっても、俺は特に行く先は決めてない。
近くのバス停まで彼女を見送った後、晴れていて気持ちが良いので買い物を兼ねて電車に乗って少し遠出することに。
丁度、初ガツオの美味しい時期らしい。
「美味しそうなの、1本ください」
「うちのはどれも美味しいよ。これが大きくていいかな」
というやり取りを魚屋の親父として、持ってきた保冷バッグに氷と魚を詰めてもらう。
数分後、受け皿に溢れるほど乗せられた赤身のまぐろ丼が運ばれてきた。
「このマグロ丼、盛りヤバい!?今度一緒行こうねヽ(=´▽`=)ノ」
晴れた日にベランダに洗濯物が干し終わった瞬間が家事の中では一番楽しい。
お米を研いで夕ごはんの準備。
カツオは1本を下ろして4本柵取りにする。
「すごい助かる!!大☆歓☆迎☆」とのことなので、おすそ分けに行く。
切った薬味をセットをつけて上げるのが優しさ。お礼に苺をもらう。
「ごめん!ちょっと今日遅くなりそうー。21時くらいには上がれると思う!」
とのこと。
「了解ー。夕飯に初ガツオが待っているから頑張って(`・ω・´)ゞ」
と連絡をして、夜の散歩に出かけることに。
夜19時。彼女の職場の近くのTUTAYA併設のスターバックスに行く。
雑誌や料理本、エッセーなんかを見ながら、苦くて渋いコーヒーを飲む。
ドトールも本屋さんと併設してくれたらコーヒーおいしくて良いのに。
などと思いながら、時間をつぶす。
夜21時半。彼女からLINE「遅くなってごめん!今終わった」
こないだ見逃した映画のDVDがレンタル開始してたので、借りて帰る。
夜22時。今日はだいぶ遅めの夕ごはん。メニューはカツオののっけ盛りと、コゴミのおひたし。菜の花の味噌汁に、切り干し大根のはりはり漬け。
彼女の部下がやらかしたらしく、そのフォローにあたってたとのこと。
お酒を飲むと会社のことを話したくなるようで、俺は彼女の周りの人たちに一度も会ったことが無いのに、全員名前まで覚えてしまった。
夜23時半。洗い物をして、苺を食べながら借りてきたDVDを一緒に見る。
彼女は部屋着に着替えて、メイクもばっちり落としてリラックスモード。
DVDがあんまり面白くなかったので、彼女にちょっかいを出しはじめる。
夜24時半。コトが終わって、あっという間に眠りについた彼女を横目に俺はお風呂。
今日も充実した一日だったと噛みしめて、湯船につかる。
朝ごはん: 納豆、焼き魚、ご飯、味噌汁。洋食の時は、トースト(パンはペリカン)にバターとジャム。あとはハムエッグ。目玉焼きは中濃ソース。週末の朝食は、フレンチトーストやスクランブルエッグだった。すごく楽しみにしていた。
昼ごはん:お弁当はオムライス、タンドリーチキン、牛肉のしぐれ煮、玉子焼き、昆布の佃煮など。ロールパンにケチャップで炒めたソーセージとサニーレタスを挟んだサンドイッチもあったな。
夜ご飯:家族が呑んべえなので、基本白米は無し。焼き鳥、酢の物、すき焼き、近所の店から買ってくるおでん、刺し身、菜の花のお浸し・・・大体居酒屋メニュー。
今振り返ると、鍋物意外、全て小皿に取り分けられて出てきたなあ。
カレーといえば、鶏の手羽先の、スパイスがきいたスープカレーだった。パスタといえばペスカトーレ。ホワイトソースのマカロニグラタン(底にごはん入り)の日が一番うれしかった。
うん。そうだとおもう。
自分は未婚。まー結婚はしないというかできないんじゃないか?昔母親のせいで結婚が破談になったことあるし。相手の父親もモラハラだったので結果的にはよかったわけだが…結婚するとかなったらよほど理解のある人じゃないとダメそう。別に逃げ切ってるわけじゃないし、最近妹がうまくいかなくなってるので気を付けないと全力でからまれそうだなー
自分は搾取子で、妹は愛玩子というやつだったんで、自分はさっさと見切りつけて逃げたが、妹は逃げ切れなかった感じ。
今になってかわいいペットが反逆してきたのでどうしたらいいかわからんのだろうね。
搾取子は十五くらいから反抗しっぱなし+仕事がくそ忙しいことにしている+適当に餌を投げ与えて被害回避中です。トたださすがに弱ってきたのか最近賄賂がわりの食いもんがよくおくられてくるw野原でつんだ菜の花とかww速攻ごみ箱ですけどww
とりかえしのつかぬ世界
二度と返らぬ宇宙
永遠に流れ去りゆく夢
冬の夜の酒場で
酒を酌み交わした友人達
何一つない闇の夜空を飛ぶ飛行機
永遠に過ぎ去りゆく夢
とりかえしのつかぬ
二度ととりかえしのつかぬ夢
浦添の夏の闇の中に
咲き狂う菜の花
闇の中に浮かぶサトウキビ畑
そして時を忘れた愛欲の時
すずめ達がさえずり飛びかう夜明
幼き日に住んだ家から
夕方の空に立つイチョウの大樹
すずめ達がさえずり飛びかう夕方
二度と返らぬ日々
蚊取り線香の匂う小さな部屋
日に日に暑さを増す夏の夜ふけ
二度と返らぬ人間達の日々
懐かしい人間達の日々
過去も
現在も
未来も
いとしさに気も遠くなる人間達の夢
気の遠くなった私は
限りなく広がる虚空に溶け込む
かつてしたたか酒に酔った私は
上石神井の静かな夜道を歩いていた
今、したたか酒に酔った私は
二度ととりかえすすべもない夢を
夢見つづけている
この今も又
二度ととりかえしのつかぬ夢であれば
今、したたか酒に酔った私は
夢を見続ける
そもそも、花を見て「きれいだ」と感じる子どもなんて、いるかな。
いるかも知れないが、それは、大人が感じる「きれい」とは、かなり違うだろうね。
だいたい「きれい」とは何のことだろう。
大人の世界では、「花はきれいだ」ということになっている。
それぞれの咲き乱れる様はきれいなものだと、一般的に言えそうな気がする。
しかし、ラフレシアあたりはどうかというと、あやしい、と思う。
東南アジアの人は、もしかしたら、きれいだと感じるのかも知れない。わからない。
ばぁーっと咲いて、ばぁーっと散る、そういう花じゃないとダメなのだろうか。
だが、ラフレシアが、ばぁーっと咲き乱れるのも、ちょっといただけない。
一輪の花が美しいということもある。
いや、ラフレシアでなくてもいい。向日葵なんかを間近でみたら、アレはきれいなものだろうか。
しかし、個人的にはどう思っても、向日葵には、「きれい」と誰もが認めるような一般的認識が、ある。
誰もが認めるような、一般的認識。
「きれい」を支えているのは、あくまでそういったものだ。
一般的に「きれい」とされるものを知ることによって、
で、一般的認識に即して言えば、「(ある種の)花はきれい」なのだ。
「この花はきれいだとされている」と子どもに教える際に、
「子どもが『この花はきれいだ』と思っていない」とガッカリする人がいますか。
もし「花はきれいだ」という感性を育てたいのであれば、
花がどうきれいなのか、ということを子どもにも伝わるように頑張って教えてやるしかない。
まあ、実際に伝えるのは、とてもむずかしいでしょうが、
それは「この花を見て……」と質問するよりも、よほど教育的なことだと思う。
ただ、そうした内実とは別に、とりあえず「この花はきれいだ」という決まりを覚えることも、役に立つ。
「よくわからないが、この世の中では、この花はきれいだということになってるらしい。」
そう思って、それで文章が読め、話が聞けるようになれば、まあマシじゃないか。
twitterなどで菜の花、ひまわりを植えようという運動があるようです。
しかし、菜の花、ひまわりを植えたらすべてが解決するわけではありません。
放射性物質を土壌中から吸収して植物体内に蓄積されるものであり、放射性物質を消滅させるものではありません。また、土壌の浄化には、植物の除去・運搬などの処理を行う必要があります。植物を植えたから問題が解決するというものではなく、その処理まで含めた対応が必要であることに御留意いただきますようお願いします。
残念ながら、今のところ生体は原子自体をどうにかすることはできません。
しかし、吸収させることで処分がしやすくなるかもしれません。
放射性物質を吸収した菜の花やひまわりを放射性廃棄物として処理しない限りは、半減期で減っていくのを待つしかありません。
放射性物質とは、原子核の中性子の数が異なるために放射線を出す能力(放射能)がある物質です。
放射線が出てくるのは、原子が不安定な状態から安定な状態になろうとするためです。
放射性物質は安定な状態になれば、放射性物質ではなくなります。これが崩壊です。
つまり、放射性物質は原子の話なのです。分子の話ではありません。(分子 = 原子の集団)
分子であれば構造を変化させれば無毒化できます。(構造によって分子の性質は決まる。)
しかし、放射性物質は原子なので、たとえその原子が分子にとりこまれても「中性子の数が異なるので不安定」という状態は変わりません。
子供たちは花が好きです。 → Children are like flowers.
子供たちは葉っぱが好きです。 → Children are like leaves.
子供たちは根が好きです。 → Children are like roots.
■■■■主語が入れ替わる壁■■■■
子供たちは茎が好きです。 → I like to stalk children.
子供たちは菜の花が好きです。 → I like to rape children.
ちなみに「です。」を外すと
子供たちは花が好き → Children are like flowers
子供たちは葉っぱが好き → The kids like leaves
■■■■like と love の壁■■■■
子供たちは根が好き → Children love to root
子供たちは茎が好き → Children love to stalk
子供たちは菜の花が好き → Children love to rape
もう訳がわからない。なんだこれ。
最高潮の気分だぜ。
いっぱいいっぱいだぜ。
ひらめき。夏の次に来る春のような。
都会でみるオーロラのような。
反応が無くてもやり続けるんだぜ。
それが俺の生きがい。なぜならこれこそが
これこそが俺の楽しみだからだ!!
なんとなく考えているそんな今という時間を
捨て去って希望すらも捨てていって
もう全部失った先に見える微笑。
暗黒微笑。
自分を卑下することはないよ、黒ひげのように運命に生きるのさ。
狂った等間隔。これが最高の究極の。
僕はただ書く。書き記す。
闇に紛れた記憶。
一面の菜の花。
資格?なにそれ△?
どうでもいいってことよ!!
どうでもいいな、これしかないな、
正確には面白いな。
びっくらこいて、なんでもかんでもぶち壊す。
くらくらくるような正確無比の攻撃に、
めいいっぱいの感謝を。
おお神よ。およしよぉおお。
何でもかんでも、持って帰る、そう、世界が俺を産んでいく。
心が広がり、一つになる。エブリデイイズホーミング。
ホッピングサイトアテンショナリー。誰もがこの文章にありがたがる。
アリが集ってありがたがる。
あのふざけた野郎にぶちのめしてやるのさ。
自分で金を稼ぐのさ。なんとかしてやる。今に見てろよ。
shake your money makerか?ふざけろよ?
はっきりいってドサイドン。辛くても頑張る、実はそれほど辛くもない。
金を手に入れるしかない。頑張れ俺。夢と決めたのであれば。
ふっふー↑最高潮の気持ちは輪を帯びて・・
何度も何度もしつこくいくぜえええええええええええええええええええ
生きている証拠がここにあるじゃないか。
生きている、それだけで幸せなんじゃないのか。
死んだほうが幸せなのか。どうでもいいけどさっき地震あったよね。
「どうでもいいけど」「なんでもいいけど」このフレーズ便利だね。
話題変えたくなった時にいつでも使えるね。どうでもいいけどおっぱいは男の夢だよね。
すぱっちゅ!!と声を荒らげて攻撃態勢に入る!今だ!いくぞメリケンダッシュ!ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
うわーリッチマンだすごーい。なんでもいいけどトドメをさせよ。
実際、二つのフレーズさえ覚えてりゃなんとかなるってのもまた面白いもので。
くだらねぇって笑うかい。笑ってくれたら儲けもんだぜ。
何の反応なくてもそれはそれでいいんだぜ。俺は俺でしかない。
ぐちゃぐちゃだ。げろげろのぐちゃぐちゃだ。
面白いほど流れていく日々、日々。
ぶばいっしゅ!!べろべろばろしwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ばーろーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
あーあばらがいてぇ。
僕はタイピングをする気力も失って、ニヤリと笑う。
ただ自分の納得のいくものをひたすら創り、より多くの人に食べて味わってもらうという大きな志をもっている。
いや、もしかしたら、彼の志は全く別のところにあるのかもしれない。
料理を通して何かを成し遂げたいのかもしれない。
だが、彼の大きな志がなんであるかは、料理に詳しくない私には知ることできない。
私は、偶然その大衆食堂に立ち寄り、目立たないが、きびきびと洗練された彼の仕事ぶりにひかれた。
木訥ではあるが、手抜きのない緻密な仕事ぶりを誰もが誉めた。
彼の食堂にはメニュー表がある。
客から見れば、ずいぶんと細かなメニュー表であるが、彼はそれではまだ満足しないようだ。
客の年齢、人数、雰囲気、行事などを察し、日替わりメニュー、お勧めメニューも変わる。
もう一つ、彼の大衆食堂の特徴はデザートもあること。
和風、洋風、中華風、そこには季節の果物も必ず添えられている。
もちろんすべて彼の手作りである。
食後にくつろぎを与えてくれるお茶のサービスも専門店に劣るものではない。
一見目立たない、彼の大衆食堂のすばらしさを噛みしめることができるのも、私が客の少ない午後二時~四時頃まで訪れることができる環境にいるからだろう。
彼のさりげないティータイムの心配りはあらゆる客層に向けられていた。
少しだけ夏に手の届く春の日差しの強い日には、冷たい菜の花入りリンゴジュースとさくらんぼケーキのセットを(恋人達は注文した後、チェリーがペアになっていることを初めて知る)、
受験間際の制服組の女子中学生には、たまたま手に入ったという10種類以上もの果物を載せたハニーパイとレモンの香り入りのローズヒップティーを、
秋のお宮帰りの老夫婦には、梅昆布茶と銀杏のカケラの入ったきんつばを、
雪の日に来店した子供が皿の上に見たものは、トトロの形をしたバニラアイスクリームだった。
昨日は大変な目にあったわ、と思ってみて、そもそも昨日がどんな日だったのか忘れていることに気がつきました。どうもこの頃もの忘れが激しいようで、夕方になると今日の朝のことまで忘れている始末で、例えば洗濯機に入れていた洗濯物のことを忘れて生乾きの服を夜に家の中に吊り下げて乾かさなくてはならなくなったり、昼にカレーライスを社員食堂で食べてくるから、とお父さんが言っていたのを忘れてハヤシライスを作ってしまったり、同じ週刊誌を発売日に買って、違う日に「あ、これ買ったかしら。面白そう」ともう一度買ってしまったり。そういうことがよくあるのです。お前はボケてきたんじゃないか、とお父さんは言い出すのですが、反論できないのが悲しいです。自分自身、やっぱりとぼけた人間なんだなあと、今日買ってしまった三冊目の月刊誌の最新号を見ながら、つらつらと思ってしまうのです。
ところで、初春を迎えたからかどうか、ともかく暦通りに世界ではなべてこともなく時間が過ぎているようで、二月になったこのあたりでは既に河川敷や土手にたんぽぽや菜の花が咲いているのが目立つようになってきました。時折雪が舞い散ることがあるのですが、雪に半ば埋もれて凍ってしまったたんぽぽというのもなかなか趣深いものがあります。そう言えば昔、推理小説で夏なのに島に雪が降るという出来事の起きる作品を読んだことがありました。あれは何だったかしら……向日葵畑に降る雪のことを想像すると、なんだかとても素敵な風景に思われてきて、わたしは思わず自分の膝の上に乗せた美代子に万歳をさせて、雪が降ったらお前はやっぱり炬燵の中で丸くなるのかにゃ? と話しかけてみました。美代子は軽く欠伸をして、わたしの体から離れようとするので首根っこをがっちり掴んでやりました。ネコの分際で人間に逆らうとはふてえ奴。
あ、あらわたしったら。すみません。
ともあれ、美代子とわたしはそうして縁側に座って外の光景を眺めています。そうすると空から何かが降ってきたので、また雪が降ってきたのかなあ、お前はなんでそんなに寒いのが嫌なんだいねえ、と美代子に話しかけていると、それが雪ではないことに気がついたのです。それは家の裏山に生えているダイオウスギの花粉でした。ダイオウスギといってもわたしの家の裏山にしか生えていない突然変異種のスギですから皆さんは御存知ないかとは思います。ダイオウスギの花粉というのは普通の花粉よりもずっと大きいのです。
なにしろダイオウスギ自体が普通のスギよりもずっと大きいのです。空に突き刺さるかと思うほど太くて鋭くて大きくて、わたしが五人いてやっと樹の幹を囲えるかどうかというくらいの樹です。近所の人からはダイオウスギが他のスギや木々の栄養を奪い取っているんじゃないかと何度も伐採されそうになりましたが、わたしが必死に思いを敢えて何も言わないという形で伝えるべく無言電話を町長の家に500回ほどかけたところ、やっとおとなしくなってくれました。そのことをそもそもダイオウスギを植えた死んだ祖先のことを考えると、誇らしくなります。美代子の体に生えている毛を毟り取りながらそんなことを思います。美代子はすっかりぐったりしてしまったようですが、毛を毟られるとびくん、と痙攣しギャン、と大きな声をあげます。可愛い子です。
スギから放たれる花粉が少しずつ積ってきます。そう言えば花粉症に悩まされる人がこの時期は多いとか。国民の一割の人が花粉症に悩まされていると聴くのですが、ダイオウスギの花粉はそれこそ手で摘めるほど大きい粒なのでそれが鼻の穴に入ることはあまりありません。あったとしてもマスクをして歩けばそれだけで十分防御できます。わたしは花粉症のニュースを見るにつけて、我が家の先祖が植えた突然変異体のダイオウスギを世界中に植えれば花粉症は壊滅するのではないかと思います。もっとも花粉そのものを全身に被ってしまったことでアレルギー症状を起こして毎年死者が出ることもあるし、宙を舞う花粉が眼に入ってよく学校帰りの子供たちが自転車で転んで川に落ちたりしています。帯に短したすきに長し、というものなのでしょう。
こう思っていると何故か、とても裏山に行きたくなりました。子供の頃のようにダイオウスギの根元に行って、空から降ってくる花粉を浴びたいと思いました。わたしは別にダイオウスギの花粉でアレルギーを起こすことはありません。もみ殻と同じで、ちょっと体が痒くなるくらいです。わたしは美代子の首根っこを掴んだまま、サンダルを履いて外に出ました。
外に出ると広場で何か火の手が上がっています。騒ぎになっています。火事? でも広場だから燃えるようなものなんかないと思うのですけど、一体なんなんでしょう。わたしは行ってみました。すると、広場で中学生たちが花粉が降りしきる中、暴れていました。中央に燃えるものがあって、それが子供たちに囲まれているという状態です。何かしら?
それはリムジンでした。中学生たちはリムジンを真ん中において、シートかどこかから火をつけて、そのリムジンの燃える中を囲んで踊っているのです。ブランキー・ジェット・シティの歌そのままの光景です。あらあら、足元にいくつか瓶がありますわ。火炎瓶もあるのでしょうけれど、男の子たちが飲んだテキーラの瓶も幾つか見られます。テキーラの瓶の中にはトカゲが入っています。あの子たちったら、酒屋に強盗に入って上物の酒を奪い取った後、リムジンを盗んで広場で火をつけて遊んでいるのですね。若いというのは羨ましいものです。すっかりおばさんになってしまったわたしにはそのやんちゃさがとても好ましいもののように思います。
あの子たちったら若いわ。素敵。好き、大好き!
わたしはさっそくその広場に行って、おばさんも混ぜて頂戴、と彼らのひとりが持っているテキーラを手に取ろうとしました。すると男の子のひとりが、クソババアは縁側で玄米茶でも飲んでろ、と言ってテキーラをわたしから遠ざけました。なんて素敵な罵りの言葉なんでしょう。こうした言葉が吐けるのも若さならでは。だったらわたしは大人としてこの子たちを調教、いや矯正してあげなくてはなりません。
大人を舐めるんじゃねえぞこのションベンタレが! とわたしは絶叫して、広場の隅っこにあった金属バットを(その広場は子供たちがよく野球場として使っていたので、そうしたバットがたまたま置いてあったのです)降り回し彼らの脳天をジャストミートさせました。ひとりだけ逃げようとするヘタレな野郎がいたからそいつには特別に手足の四本の骨が折れる音がするまで痛めつけてやったぜ、けっ、大人を舐めるなこの糞ガキが。
あ、わたしったらやだ。すみません。
いったい何の話をしていたのでしょう。すっかり忘れてしまいました。私は手に持っていた美代子を火の中に放り投げると、悲鳴を背後に夕食のピザトーストを作るべくまた家に戻りました。振り向くと花粉は倒れた中学生たちの身を包み、そして覆い隠してしまいました。日に触れた花粉が燃えて火の粉となって舞い散る光景が素敵です。お父さんのトーストに睡眠薬を仕込んでくたばったあとにまた来てゆっくり眺めようと思って、私は家路につくのです。明日はどんな日になるのでしょうか。そうです忘れてしまった昨日ではなく明日のことを考えましょう。私のおじいちゃんの口癖でもありました。明日が楽しみである。