はてなキーワード: 自由化とは
海外のフェミニズムは女性の解放(liberation・社会的慣習からの)を目指してる自由主義(liberalism)的な平等・自立方向を向いてるのに対し、
日本のネトフェミは女性性を女性以外が扱うことへの嫌悪から表現抑圧の方向へ向いてる。
それは女性が自身を性的に表現する自由すらも抑圧し忌避させかねない、自由主義とは真逆の、社会主義的監視社会を理想としているように見える。
保守的なイスラム圏みたいにヒジャブで体を隠す方向の思考法と本質的に同じで、イスラムですら自由化しているのに、もともと自由を手にしていた日本女性自らが偏狭な倫理感をこじらせて自縄自縛しにいってる狂気も感じる。
現在主なやり玉にあがるのは創作上の表現物ではあるが、これが進めば現実の「性的にゆるい女性」にも矛先が向かい、名誉男性だのなんだのと言ってリンチされるようになるだろう。
そういう権威主義的な極右に向かいかねない過激なノリでやってるわけよ。ネトフェミは表現者や消費者の理性を信じられないから、その思想を通すためには独裁者のように強大なパターナリズムを振るう権威に成り代わるしかない。
まあ日本人は思想を学ぶ機会があまりないから、ネットとかで悪意を煮詰めてしまうとこのような大衆を愚者と断ずる独裁者思考へと寄って行きがちではある。
正解だが間違ってる。
宗教に、社会を維持したり、倫理をもたらしたりする機能がある(かのように働く)のは間違いないよ。
でも宗教があるからそれらの効果が得られる、とか、それらの効果を得るために宗教が作られた、とかではないんだよね。
例えば、火山が爆発する→なんで爆発したんだろう?→山の神が怒っているからに違いない→山の神宗教の発生、このように宗教は作られたはず。
重要だったのは、「なんで爆発したんだろう?」と疑問に持つ能力、因果関係を類推する能力を、人間という生物が保持していることが、宗教の発生原因だ(と思われる)。
で、疑問を持つ能力が起点にあるという話は、他の全てとに言えて、
なんで子供を育てないといけないんだろう?→神がそれを正しいと言ってるからです
なんで地域で助け合うべきなんだろう?→教会が伝統的にそうしてきたからです
このような説明がされる。
結果的に人々は「宗教があるからそうしている」ように見えるのだが、
別に宗教が無くなるまえからそれはやっていた。宗教が無くても持って生まれた善性や教育で、そういうことはやっていたはずだと思われるのだね。
宗教が無くなったことで、なにか倫理が無くなったかのように思われるのは、実際には無くなっているのは「宗教」ではないはずだ。
表現の自由戦士を自称する人たちが嫌ってるのは「コンプラ」であり「規制」は嫌ってないのよな。規制の度合いうんぬんの話は昨日はてブで見かけた記事が参考になる。
ここには20世紀の規制で守られてきた日本と、小泉構造改革後の21世紀のコンプラ重視による自由化社会の違いが述べられている。
「昭和は自由、令和は窮屈、窮屈なのはコンプライアンスのせい」は本当か? 『不適切にもほどがある!』の社会学(伊藤 昌亮) | 現代ビジネス | 講談社(1/12)
それまでの日本では、行政が人々の活動にさまざまな規制をかけることで、企業が不祥事を起こしたり、市民がトラブルに巻き込まれたりすることをあらかじめ防いでいた。これが「事前規制」というやり方だ。
しかしそうしたやり方では、人々の活動が規制の網の目に阻まれ、自由な競争が起きにくくなってしまう。また、規制のためのコストがどんどん膨らみ、財政が圧迫されてしまう。新自由主義的な考え方に照らすと、そうしたやり方は望ましいものではない。そこで打ち出されたのが、「事前規制」を緩和するという方針だった。
しかしそうすると、それまでは規制の網の目があることで防がれていた問題が顕在化してきかねない。たとえば規制が弱まったのをよいことに、企業がやりたい放題にやって不祥事を起こし、そのためのトラブルに市民が巻き込まれるような事態が頻発化してきかねない。そこで打ち出されたのが、「事前規制」を緩和する代わりに「事後監視」を強化するという方針だった。
しかしそうしたやり方では、どのような問題が事後に起きるのかの予想がつかないので、そのための対処のコストの予測もつかない。それを行政が一手に引き受けることは、やはり望ましいことではない。そこで打ち出されたのが、監視の機能を全面的に行政が担うのではなく、むしろその大部分を民間に任せるという方針だった。つまり人々が自分たちで自分たちを監視するようにする、という方針だ。
その結果、「何をしてもよいけれど、自分たちの行動は自分たちで監視し、自分たちで律してください、そのために自分たちで行動基準を作り、そこから逸脱しないよう心がけてください」という方針が打ち出された。そこで導入されることになったのが、コンプライアンスという考え方だった。
BPOが出来たのもこの頃よね。
それはいわば、上からの規制に守られてきたそれまでの日本人が、自己責任に基づく自由競争に乗り出していくために要請される、自律的な主体を作り出していくための手立てだった。
その後、2001年1月には内閣府に「コンプライアンス研究会」が設置され、9月にはその報告書が発表される。それを受け、経団連などの経済団体を中心にこの概念の普及が進められていき、2006年5月に施行されたいわゆる新会社法には、その扱いが明記されるに至った。こうしてこの概念は日本社会の中に急速に定着し、普及していった。
両性というのが、男女、というのはゆるがしがたい解釈であったとする。
しかしながら、この条文の立法趣旨は、婚姻の成立条件を、家父長制等とは決別し、意思のみに変更する―――つまり、自由化する、ということである。
決して、「男女2者婚以外の婚姻概念があり、それが一般化したときであった場合であっても、決してそれを婚姻としては認めてはならない」というような立法趣旨ではないのである。
憲法、法律の解釈にあたり、立法趣旨を踏まえる、というのは、法学部レベルであれば必ず学ぶこと。
ちなみに、一部の憲法学者のいう、「同性婚はこの条項のカバー外だ」という主張は、同性婚法制化と矛盾はしない。憲法は、同性婚を禁じてはいない、から。
自由主義には、大きくわけて2つの側面、社会的自由(個人的自由とも言う)と、経済的自由がある。
経済的自由は、これを推進する場合、いわゆる自由化、民営化、規制緩和、減税、といったように、商業主義的な施策を推し進めて、格差や痛みは生じるがトータルでの経済のパイを拡大して強い国にすることに重点を置く。
これは右派の思考。一般的に右派は保守と言われるが、経済に関しては進歩的なのが本来の右派であり、保守性は主に、社会的自由を伝統や慣習などの堅持によって抑圧する方面を見たときの印象となる。
共産主義においても、実態としては経済的自由に関しては右派的な施策をとっていることも多く、つまり商業主義的なイケイケドンドンで公害のような負の外部性を顧みずパイを広げていこうとしがちだ。
テレビ局は社員・退職者に他の業種と比較して高額であると言われ[注釈 1]、
入社から退職まで手厚い福利厚生があるため放送業界に冠する既得権益(電波利権)があると批判されている[11]。
フジテレビが3468億円、
企業でいう「仕入れ」の電波利用料は1993年から導入されたが[12]、
NHKが18億7800万円、
フジテレビ系が3億9920万円、
日本テレビ系が4億3260万円で、
日本テレビ系0.18%で
NTTドコモ201億円、KDDI131億円、ソフトバンク165億円に対して、
既存政党による政治腐敗、数が多いだけの老人のためのシルバーデモクラシーに辟易としてきたので、新党を結党します。その名も若者党です。
若者党は、主に40代までの働き盛りの支持を得るために「若者のための政治」をスローガンに掲げ活動していきます。
マニフェストは以下の通りです。
老人は多すぎます。今の日本にはこの老人を支えていくような財源も人手もありません。そのため、75才を超えた後期高齢者に安楽死という選択肢を開放します。これにより、社会保険料の上昇を抑えます。
なぜ後期高齢者にもなって犯罪を犯すのか。万引き、窃盗、交通事故。生きている価値がありません。刑務所で余生をすごしてもらいます。
・政治家の75才定年導入
なぜ民間企業には定年があるのでしょうか。それは歳を重ねることで能力が下がるからではないでしょうか。それなのに、政治家は組織票や党利党略により年齢関わらず当選してしまいます。後期高齢者が政治家になっても、能力低下、会議で居眠り、何の役にもたちません。そのため、75才定年制を導入します。あらかじめ定年が設定されていれば、世代交代もしやすいのではないでしょうか。
子は国の宝です。死にゆく老人に金を持たせても何にもなりません。子供出産につき1,000万円のお祝い金を支払います。もちろん、オムツ代、子ども手当も拡充させます。ベビーシッターも頼みやすくします。
まだまだ、子どもファースト、若者ファーストの施策を考えていきたいと思います。ぜひご意見ご要望あればコメント下さい。よろしくお願いします。
決済手段が自由化されれば、既に成功している大手アプリ開発企業は大喜びだろう。
では弱小アプリ開発者はどうか?手数料払えば今まで通りの待遇でアプリを公開できるのか?
出来ない。
Googleがテスター20人確保しなきゃアプリ公開できない制限を導入したのはその流れだ。
成功者がより利益を得て、成功していない者がその余波で切り捨てられる。
公平な競争を、という号令でより強固な独占体制が組み上がっていく。
それも無理だ。
ストアの多様化はAndroidユーザーが既に一度潰している。
サードパーティーストアはよほどのことがなければファーストパーティストアに勝てない。
windowsのように絶望的なほど出遅れるとかいう失敗をファーストパーティストアがやらかしたりしない限りね。
サードパーティーストアが独自性出そうにも、OSの仕様を他社に握られてて手出しできないんじゃどうにもならん。
だから、Androidでサードパーティーストアは死んだんだ。
Googleがサードパーティーストアをこっそり潰そうとしてたのがバレてEpicに裁判で負けたが、そんなことしなくたってユーザーが潰したのにな。
俺個人の予想としては、スマホのストア開放は無駄になるかスマホアプリ市場を瓦解させるかどちらかの結果にしかたどり着かないように思う。
その通り!!!
あんまり処女にこだわるわけではないけど、性交をもっと重いものとして扱い直した方がいいよね
「セックス」や「睦まじき恋人生活」を女が簡単に量産するからその価値がだだ下がりしてる(それでも得られない僕たちは…)
そのだだ下がりしたものを得るための対価として女性の人生を背負い込むのって圧倒的にコスパ悪いよね、ってのが今の男の考え
だからヤリ捨てに近いような短期的な付き合いが最適解になってしまっている
「女とヤった責任??取る必要ないよね?だって簡単に誰とでもヤってるじゃん」ってそりゃ思うよ
余談だけど
なんでそうなったのかというと、セックスを餌にいい男を釣り上げようとする女が悪なんだよね
一人が抜け駆けしてセックスを餌に男を得る
そうしたら他の女も対抗してセックスを餌にせざるを得ない