はてなキーワード: 知る権利とは
朝日新聞の値上げ記事に対するはてなのブコメにすごく悲しい気持ちにされた。
先に言うと私は産経の方が論調は合うし、朝日の姿勢には冷めて見てしまう側だ。それでもあの記事に寄せられたコメントには朝日に対して同情的にさせられた。
購読料が高すぎるとの意見が多数だった。それ自体は自分も同じく高いなと感じてるんだけどその理由が違うことに正直打ちのめされた。
私は自身の家計能力から高いなと感じているのであって、新聞というか報道記事自体には決して高すぎる値段とは思えなかった。
しかしながら多数のコメントで新聞や記事自体の価値を低く捉えていた。
質が悪かったり興味がない記事と広告が合わせて掲載されていることの不満や電子版での単独記事の購入が求めているコメントは納得出来る面もありビジネスモデルの転換が必要と思う。
それでも。
あまりに報道に対して、自分では集めることのできない情報を取材する記者に対して敬意を持たなさすぎると思ってしまった。
そして情報に対して対価を払おうという意志を全く持たない人が無邪気でいることに私はすごく傷ついた。
千代田区永田町のビルの一室で官房長官や政府閣僚が話した内容を知れるのも、
どこかの企業が自分にとって見ず知らずの他人へ不当に圧力をかけたことを知れるのも、
外国人が知らぬ間に名古屋市で治療を受けさせてもらえずに亡くなったことを知れるのも、
知る権利は私たちが国民主権を維持するためにとても重要な権利だ。しかしその権利を一般生活で行使することはとても難しい。
仮に永田町の一室で政府が毎日発信していて国民なら誰でも見に行けるとしても、私は生活を放り出して見に行くことはできない。
この国の行動を決める一票を私たちは持っている。この国の主権内にいる全ての人に権力を行使するとても強力な力だ。
私たちが運営を委任した政府が恣意的に運用されないように監視しなければならない。
その責任を代わりに果たしてくれるのが報道の持つ役割の一つだ。
有権者が、各々が望んだ形で権力を行使する政府を選ぶために、取捨選択するための判断材料に情報がいる。
自力ではアクセスできない情報にアクセスさせてくれるのが報道機関だ。
新聞の購読料は、情報にアクセスする価値に対して払う対価であり、新聞社が用意したビジネスモデルだ。
前述の通りこのビジネスモデルへの批判は分かる。新聞社は情報に対して対価を支払う方法を幅広く用意してほしい。そうすれば私の家計能力でも払えるから。
各々の新聞社の姿勢への批判に関してはここでは言及しない。それは当然あってしかるべきだから。
私たちに必要な報道をしてもらわなければならないのもまた事実だから。
私がすごく残念だったのは、はてなにはネットリテラシーが高く情報の真贋や価値を評価している人が多いというのは単なる思い込みにすぎなかったことだ。
ネットや図書館で記事が見れるというのは、新聞社がなくなれば記事が見れなくなってしまうことを忘れないでほしい。
テレビといった代替手段があるのも分かる。それでも情報を得るために自分で対価を払う重要性を認識してほしい。
最後にそれぞれのweb記事の有料会員の一カ月会員の最安値を掲載する。
毎日 980円
息子が父親を監禁し暴力をふるった事件で、警察は被害者を匿名で発表、息子を父親の知人だと説明し親子とは発表しなかった。
事柄の本質にかかわる重大な事実の加工だと新聞協会は指摘している。
恐喝未遂事件の容疑者が逮捕されたときに、警察は被害女性を匿名にしたうえ、実際は30 歳代であったにもかかわらず46歳であると虚偽の発表をした。プライバシーの保護が理由であった。
新聞協会は、「匿名発表」は容易に進化すると指摘。見過ごしているうちに拡大し、やがて意図的、組織的な隠ぺい、ねつ造に発展するおそれがあると警告している。
「実名発表」は「事実の核心」であり,実名があれば「発表する側はいい加減な発表や意図的な情報操作はできなくなる」として、読者や視聴者の「知る権利」に応えるために「実名発表」が必要だと主張している。
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/focus/118.html
たとえば遊園地に行ったとき絶叫マシンに乗るかどうかは個人の自由だ。SNSで不快なユーザーの発信を受け取らないようにするのも自由だし、嫌いなテレビ番組を見ないのも自由だ。
嫌なものは、それが法律で義務化されていたり、それをしないことで他者の権利を侵害するのでない限り、しない権利がある。
政治だって同じだ。一定数の人は日本の政治には辟易としている。
国会の会議やマスコミの報道では連日、政策の内容と何ら関係のない政権批判が繰り返されている(これ自体が国民の知る権利を侵害していると思う)。
いい年こいた大人同士が一般企業の会議や取引であればまず相手にされないような幼稚な言動の応酬をしている様を見るのは、気分を害する人がいるのも当然である。
そんなものを真剣にフォローするくらいならば、趣味や仕事に熱を入れようと思うのは自然であるし、当然認められるべきことである。
政治に無関心でいることは当然認められる権利であって、そうすることによって当人が不利益を被ることはあってはならない。よく、
などと嘯く連中がいるが、見当違いも甚だしい。これは「税金から給与を貰っている人は、国民が承認したこと以外に金を費やしてはいけない」というくらい滅茶苦茶な理屈だ。
私の好きな人は遠くに住んでいる。
昨今の世の中ではおいそれと会いに行ける距離ではない。
私はともかく、彼女は忙しくしているので、lineでのやり取りこそは出来るが、声を聞ける機会はあまり、ない。
とはいえ、お互いに予定の合う時には通話をする。平気で一時間二時間喋る。
文字でのやり取りではなかなか言えないことや聞けないことをやり取りができるので、少なくとも私にとっては貴重な時間だった。
私はさほど俳優に興味はない人間だが、それでもその俳優の名前は知っていた。
ただし、その俳優がどのような作品に出演していたかとか、代表作とか、そういったことは全く知らなかった。
もしかしたら知っているのかもしれないが、ぱっと思い出すことが出来ない程度の理解度だった。
彼女にとってその俳優がどのような存在だったのか、私は知らない。
ただ、私の決して誇ることのできない記憶力を頼りにしても良いのであれば、彼女からその名前を聞いたことはなかった。
数秒前とは明らかに異なる、戸惑い、動揺し、沈み込み、落ち込んだ声色で。
私と彼女の楽しいはずだったお喋りは、そうしてあっという間に閉幕した。
彼女に話したいことがたくさんあった。
悩んだ末に買った靴の履き心地。
くだらない日常と笑われるかもしれない。
けれど、私は彼女とそれを共有するのが好きだった。
共有した時の、彼女の頷く雰囲気や、喜んでくれる様子や、ちょっと掠れる笑い声なんかを聴くのが好きだった。
私と彼女は、少しの間あたりさわりのない会話を交わし、結局気落ちした彼女を元気づけることもできないまま、通話を終えた。
そうなると分かっていたから、私は彼女に訃報を伝えなかったのだが、私の小細工なんて意味がなかった。
そして、またしばらく、私は彼女の声を聞くことが出来なくなった。
どうしてそんなことをしたのか、私には分からない。
そのうち、ワイドショー辺りが取り上げるのだろうけど、正直に言えばどうでもいい。
それを知る権利があるのは、某俳優に近しい人達だろうし、その人達だけで充分だと思う。
ただ、出来れば亡くならないでいて欲しかった、と勝手なことをつい、考えてしまう。
私は某俳優のファンでも何でもなかったが、それでも自殺しないで欲しかった、と思う。思っている。
もし、某俳優が亡くならなければ、私は彼女といつものように通話が出来ていただろう。
彼女は、落ち込んだりするようなこともなかっただろう。
私と某俳優の間には、全く接点もなければ、私からの一方的な感情もなかったけれども、そんな私にさえ、某俳優の存在は大きな影響を与えていた。
きっと、私以外にもそんな人はいるのだろう。
きっときっと、たくさんの人が影響を受けていたのだろう。
自殺を考えるなんて相当なことに違いない。
ましてやそれを実行してしまうなんて、とてつもないことだ。
それほどまでに追い込まれていた某俳優に、自殺をしないで欲しかった、踏みとどまって欲しかった、なんて軽々しい白々しいと自分でも思う。
それでも、私は某俳優に亡くなって欲しくなかった。
たぶん。
私よりも、強くそう思っているであろう彼女は、今頃落ち込んでいる。
とても不誠実だし、下心満載だとは思うけれど。
私は、貴方の死が悲しい。