はてなキーワード: 環八とは
3パターンくらいあると思う。
1つは、普段よく使う道が「○号線」とか「○○通り」だって自然に覚えるパターン。運転中、標識をよく見て「この通りは○号線なのか~」と意識しながら運転してない人はそりゃ覚えられるわけもないと思う。
もう1つは、会話でよく出てくるから覚えるパターン。都区民なら環八・環七くらい聞いたことあるだろう。
あと1つは、地図を見て能動的に覚えるパターン。トラック運転手とかタクシー運転手、あと趣味で地図読む人なんかもこれだと思う。昔は職業運転手じゃなくても、カーナビなんかなかったから、遠出する時は予め地図を見て、○号線の○○交差点で右折して○○通りへ、とかいう風に計画立ててたから、それで覚えることも多かったように思う。
神戸のクリスマスツリーの件で思い出したことをダラダラと書き殴っていく。
当時自分は専門学校生。高円寺のとある商店街の飲食店でアルバイトをしていた。
クリスマスシーズンに店長は1~1.5mくらいのなにかの針葉樹の鉢植えを買ってきて、ツリーの飾り付けをした。営業中の店内は暖房で乾燥しタバコの煙も充満。
植木には過酷な環境だった。水やりをするくらいしか世話もできなかったが、一ヶ月あまりのクリスマスシーズンをその木は枯れずに乗り切った。
クリスマスが終わると店長は飾り物をはがし、裸になった鉢植えの樹を指差し、粗大ゴミ※に出せと命じた。
は?生きてる木ですよ?なんで捨てるんですか?しかも粗大ゴミってなんなんですか?捨てるならなぜはじめから造花を買わないの?
怒りで目がグルグル回った。一通り抗議したが無駄だった。十人ほどの従業員のなかに賛同するものはなく、ただドン引きされた。
誰か別のアルバイトが街角の粗大ゴミ置き場に木を持っていった。
収集日まで数日の猶予があることを確認し、翌朝レンタカーを借り、荷台にツリーだった木を横たえ、環七、目黒通り、環八、第三京浜から横浜新道を通って、藤沢の実家までひとりで運んだ。
親に頼み込んで北側の庭に植えてもらった。幸い根付いた。強い木だった。今も生きている。立派な枝ぶりになった。垂れ下がるような茂り方なのでモミではなくトウヒのような気がする。庭木なので植木屋さんに剪定してもらっているから樹高は二階の屋根より低くなっている。あと100年生きるのだろうか。自分の死後こいつはどうなるだろう。
クリスマスが終わればゴミとして殺される木はあの頃も今も、毎年何万本も存在するのだろう。
バブルの頃から時代は流れ、サステナブルとか自然との共生とか生物多様性とか言われるようになったけど
今回の神戸のツリーのニュースを見た瞬間、あの高円寺のときと同じ怒りがふつふつと沸き上がってきた。なにも変わってないじゃん。
いやもっと悪いよ。鎮魂とか復興の象徴とか輝けいのちとか、心にもないお題目ならべてるところがね。樹の命なんて毛ほども考えてないくせに。
いっそ正直に、集金集客のため大木を引っこ抜いてツリーにするけど用が済んだらバラバラにして売るからね、樹には被災者の鎮魂のための生け贄になってもらったってことでいいよねって言ってた方がここまではムカつかなかったよ。
でもしかし割り箸だって材木だって同じことだろう?いや同じだろうか?間伐材は仕方ないよな?
食べる野菜はどうなんだ?牛や鶏は?かわいそう?矛盾してないか?
ずっとずっと、考えてきたが答えは出ない。
他の生き物の命を奪わないと生きていけないのに
時として他の生き物に愛着を持ってしまうのはなぜなのだろう?神が与えた罰なのか?
人は生きていくために樹木の命をもらってきた。雨露しのぐ快適な住居のため。暖をとる燃料のため。箸や器、さまざまな家具や道具。
集客のためという経済活動、お祭りで神に供える宗教的行為も広義では生きていくために入るのかもしれない。
イベントで巨木を抜いた。乱暴なやり方だしたぶん枯死するよ。でも経済活動のため。うん、それはわかるよ。時には仕方ないよね。
でもどうしても腹が立つんだ。理屈じゃないんだ。抑えられない怒りがこみ上げてくるんだ。DNAに刷り込まれたアニミズム、精霊信仰なんだ、きっと。
少数派か多数派かはわからない。今はネットで自分に近い意見を探せる時代だから多数派と錯覚することもできる。
古いものには霊魂が宿る。老木は神になる。長生きした猫は猫又になる。(なってほしい)うちも築100年を越え、梁に愛国婦人会って金属のステッカーが貼ってあるけどなんなのこれ。よくわからないけどこわくて剥がせない。
栗の柱は黒くてつやつや。100年前にうちを建てるために先祖が殺してごめんなさい。これからも大事に住むから許してください。
クリスマスツリープロジェクト反対署名のサイトも見た。7千人以上集まってるじゃないか。すげえ。
結構いるんだ。自分だけが頭おかしい人なのかとずっと思ってたよ。
経済学者が、コピーライターが、役人が何を言っても変えられないよ。
土着信仰だ。原始人だ。老害だ。田舎者だ。うん、その通りだね。嗤いたければどうぞ嗤って。
店長は売り上げをちょろまかしていたことがオーナーにバレて闇社会の人に追われていると聞いた。
そのオーナー自身も千葉でのゴルフ場開発にからんだ揉め事で商店街のビルを手放すことになった。
糸井重里はバブルのころからあんなだったし、自分も上で書いた通りあの頃と同じだ。
時代が変わって糸井のやり方は受け入れられなくなってきたのだろうか?
もう少し推移を見守ろう。
※当時はごみの分別は今よりずっとゆるかったし粗大ゴミも申し込み制ではなかった。確か。(あるいは資源ゴミだったか記憶が定かではない)
11/30追記 署名8500人越え。樹木の一部を使ったバングルを販売する予定だったフェリシモは、販売中止を発表。主催者は後出しでいろいろ発表。当初は「植樹」と言っておきながら「移植は無理だった」ウソつきか。知ってた。あと、樹木の命について考えるきっかけを与えてやった、みたいなことを言ってやがるのも腹立つ。こちとら1970年代から今日まで考えてるわ。答えは出ないがな。
12/1追記 「嫌なら見に来るな」あ?公園に晒しといて何いってんの?・・・急に署名が増えて1万人越えに…まとめサイトおそるべし
12/2追記 1万5千人
明日勤務先が変わるかもしれない
今度は羽田かもしれない
しかし、年収300万円の俺らはそんな贅沢なものをもっていない
また東京の外に向かう
エイトライナー、メトロセブンという路線を作る計画があると知った
わてら年収300万円以下の犬畜生は環八よりも内側に住むことなど一生叶わないだろう
気が狂うほどに、いやもうすでに?
誰にもわかりはしない
わてらが牙を剥き獣になりかわろうとしているなど…
それはさておき、
満員電車はエイトライナーとメトロセブンで大きく改善が見込める。
ホームから落とされる人、痴漢に苦しむ人、多くの人が異常なストレスの中で通勤通学を強いられている。
これらの根本的な解決は難しいが、リスクを低減させる方法して満員電車を解消させる事が考えられる。
その方法は以下のように考えられる。
・二階建てにする
二階建ても、ホームを長くするのも、解決にはいたらないだろう。
結局の所いまの動脈ではどんなに積載量を上げようがキャパオーバーを起こす。
草木が根を張るように、人の血管のように、
ではなぜ、作らないのか
彼等は下っ端でさえ、年収は1000万円を下らない。
そんなものはない。
彼等は乗らない。
わてらの気持ちなどわかりやしないのだ。
どんなに満員電車がひどくて、ホームから人が落ちようが、ホームドアを長年付けてこなかった守銭奴の集まりだ
どんなに痴漢被害があろうが、冤罪事件があろうが我関せずを貫いてきた鬼畜だ
彼等は金があってあって困らない
そしてわてらは金が無くてなくて困ってしまい、今日も満員電車に揺られて出稼ぎだ
例えば彼らが皆、
年収300万円になってくれるのであれば、
政府はこの両路線が開通するまでは、私鉄各社に自殺幇助、多発幇助の罰を与えられないだろうか?
例えば、彼等全員が年収300万円以下になるような罰でいい。
3)2に加えて吉祥寺などは都会に含む――上京者。過去を振り切るように田舎者弾圧をする。
4)2に加えて銀座有楽町からお台場あたりのウォーターフロントは都会――トレンディドラマの亡霊。月9好き。
6)5に加えて浅草中心史観――急進的江戸教徒。隅田川文化を喧伝して上京者に優しくすることで優越感を得る。
7)環八の内側は都心部――マイホーム購入族及びその末裔。いいようのない不安感にさいなまれている。
8)山手線に1時間で接続できるのは首都圏――大宮や赤羽、我孫子などをふくむ。若年層は地元アイデンティティが薄く自分を首都圏民という奇妙な生き物だとみなす。
9)帝都北方の武――具体的には北区と足立区の住民。武力と都会度の区別がついていない。
a)地方の大都会で疲弊してる人お疲れやす――京都民。東京方面に住んでいるやつはみんな坂東の田舎侍。馬でも育ててるんだっけ?
土地関係の法律の趣旨では、防火防災の観点から駐車場にしかならない土地は、新築が限りなく不可だったり、大幅に建坪が削られたりするわけで、本来なら隣の家が買い取って敷地を倍にふやしてゆとりのある家を建ててねってことだと思うんだけど、日曜夜の「匠」みたいな業者がリフォームと称して、狭小地の家を維持してしまう。
今の法律だと土地の所有者に無理強いはできない。関東大震災のときのように一度焼失して、復興時に再建築不可にして換地しないと無理だろう。
極論をいうと都内の環七の内側とか環八の内側とかを、耐震防火の高層建築と緑地に再編できたら、「住」と「通勤」の問題が解決できそうと論を飛躍してみる。
しかしまた、鉄道事業者も混雑度の高い列車の運行で利益を出しているのだろうから空いている列車でらくらく通勤みたいことにはならないのだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20130605071026
同業他社がルールを守らずダンピング(労働者に払うべき分を削ってでも安く仕事を受注)してるから自分とこもダンピング(もちろん労働者に払うべき分を削って受注)しないと競争にならない、だから奴隷労働は必要悪という企業側の考えを根本的に変えないと無くならない。
そのためには労働者に労基に駆け込まれたら割りに合わないように制度を変えないと。
でも今、現実には解雇の自由化や準正規とかブラック企業を推進しようとしてますね。
まぁ確かに工場なんかは実際の競争相手が人件費がくそ安い外国だったりするから理解できないこともないですよね。
だから僕個人としては国内を守るためにはある程度ブロック化していく必要があると思うのですが、合衆国の外圧によってTPPを推進するより他ない状況です。
で、企業も可哀想だと好意的に解釈できるのですが、現状国内需要は長期的には見込めない(実体経済の回復が無い限りアベノミクスみたいなのも所詮はカンフル剤)し、フロンティアと呼べるアフリカも中国にそうとう出遅れて先日慌てて阿部首相が「アフリカに投資は今!」とか言ってるわけですよ。
大企業でも多くのとこは利益を出すためには、実体経済(実際に物を売る)ではなく金融マジックにすがるしかないのが実情です。
もちろんそんな考えでは、長期的には衰退するに決まってると思いますけどね。
でも、判っちゃいるけど目の前をどうにかしなきゃって状況なんでしょうね。
内容についての正否はそれぞれの意見があるでしょうが、新規受給しづらくするという意図はこれから困窮する人が激増することが絶対だと明確に判っているのでしょう。
今から考えると、全体に占める率1.8%額にして128億7425万円(全体に占める率は0.38%)の不正受給に対する世論の盛り上がりは不自然で巧妙でしたね。
だって、完成しても環八道路の渋滞をたった5分短縮できるか微妙な外郭環状道路の総予算は1兆円超える勢いですよ。
もちろん、これからイケイケの高度経済成長があるなら、経済効果として何十倍にも跳ね返ってくるでしょうが…
自動車の交通量って21世紀になってからずっと減少してるんですぜ。
でも、同じお金を配るなら広く薄くしても効果は同じというかむしろ市場に出回るお金は増えると思うんですが、どうして自民党のセンセイ達はあんなにゼネコンにお金を配りたがるんでしょうね?
これもブラック企業推進政策ですよね。
いざというとき生活保護を受けられないとなれば、ブラック企業でもクビにされないように奴隷になるしか道がない。
結局政策として、絶対に餓死者を出さないか、少しは餓死者が出ても仕方ないから平均を上げるか、という二つの選択肢のどちらを国民が選ぶかです。
最近車で出かけることが増えた。というのも表題のようなことをするとストレス解消になるからだ。
外車、特にベンツがカモ。ちょっと混み始めると無理めの車線変更繰り返す人、いるよね。
そういう車の前に出る。出た瞬間巡航速度を20キロほど落とす。ルームミラーをみる。
いらついた表情が見える。ストレス解消のはじまる瞬間だ。
車線が複数あると、速攻ぬかそうとしてくるが、こちらもこのときは機敏に動く。抜かれそうになったら
スピードを上げて並走。向こうが前の車に接近したらこちらも減速する。
クラクションをならし始める輩もみる。ならされたら巡航速度を5キロずつ落としていく。
右折するときは曲がれるタイミングでも曲がらない。信号が変わるタイミングでゆっくりと右折する。
ベンツのドライバーストレス死に直前の表情。こちらのストレスがどんどん解消される。
ストレスって解消できないけど人と人の間を移動するものなのかも。