その青年は特に際立った特徴もなく、かといって不真面目と呼べるような人間ではなかった。ようするに平凡な人物なのだ。ある日、青年がいつものように会社への道を歩いていると、突然、青年の心に語りかける声が響いた。
「あなたは惜しいことをしている。あなたには時間をさかのぼる能力が生まれつき備わっているのだ。こんな素晴らしい能力を埋もれさせていたのでは実にもったいない」
「そんなにいうのでしたらどうです、ひとつ証拠でも見せてもらえないだろうか」
「いいでしょう」
そんな声がして、視界は一変して青年の部屋の天井へと移った。青年はベッドに横になっていた。
「これはどういうことだ」
青年は首を傾げた。確かいま会社への道にいたのだ。どうして自分の部屋に戻ってきたのか。これは夢なのだろうか。そう考えるのが一番自然だろう。青年は確かにベッドの中で横になっているのだ。
しかし、青年はテレビをつけて驚いた。なんと今日ではないか。青年はいつも出勤前にニュースを見る習慣がある。キャスターがあいさつをして、今日が何月何日なのかを告げる。すると不思議なことにほんの一時間前にみたものと内容がぴったり一致する。新聞の朝刊をみても確かに同じ日付…正夢になったとはいいがたかった。
「どうしてしまったんだ」
しかしそんな青年の問いかけに答えてくれる人物などどこにもいない。答えられるのは…
「どうです…?」
青年の心にまたもや声が響いた。
「これは信じるしかないようだな」
「分かっていただけましたか」
「ご安心下さい、その能力は初めからあなたに備わっているのです。戻りたい時間のことを強く念じていただければそれだけでよいのです。ちなみに先程やったのはあなたの潜在意識に呼びかけて…」
「そうなんですか」
「ただし、注意していただかないとならない点が一つあります。それは残り一度きりしか使えないということです。それではよく時を考えて…」
そこまで言うと、声は響かなくなった…
「これは素晴らしい能力に目覚めたぞ」
青年は胸をワクワクさせ、この能力をどう使ったものだろうかと考えはじめた。
それからも、青年は色々とこの能力の使い道を考えていた。そして考え付いた結果が、出来るだけたくさんの知識を持ち、もう一度過ぎ去った時をやり直すというものだった。はじめから何が起こるかを予め知っていれば、どうしたものかと考えられる。これから先、いつそんな事件があるか分からないのだ。そのような点に注意深くならなければ…
青年はそんなわけで何事にも注意深く、積極的に、熱心に取り組むようになった。すべて未来のためにと思っての行動だが、青年のまわりの人間はその変貌ぶりにただ驚くばかりだった。あれほど平凡でパッとしなかった人間が、様々なことに情熱を注ぎ、そして意欲を持ち、いきいきと取り組んでいるのだ。友の中には、どうしたらそんなふうになれるのかと問いかけるものもあった。そんなとき青年は決まってこういうのだ。
「素晴らしい未来のためだよ」
もちろんこの言葉の意味するところはもっと別のところにあるのだが、その言葉に感動し自分も目標を持って生きようと意気込むものもあった。
しかし、やはりそんな目先だけの目標ではいつまでも長続きするはずもなく、途中で音を上げてしまうものがほとんどだった。
そんな生活を続けて数年たったある時、青年は重大なことに気がついた。それまでは知識を書き込みという作業によって蓄えられたと考えていた。しかし、良く考えてみると過去に戻れるのは自分の記憶だけなのだ。つまり、こんな紙っ切れに書き込んだところでどうしようもない。
そんなわけで、さらに青年の熱心さは増していった。記憶法を学び、なるべくたくさんの知識を記憶に詰め込むことに努めるようになった。多方面のことに手を出し始め、ついには新聞社に転職した。そのほうが情報が入りやすいと考えたのだ。そして着々と成果を上げていった。
いまや青年は新聞社の社長にまでなっていた。青年としてはそんなつもりはなかったのだが、その熱心さやら積極性やら努力やら、他色々と認められ、驚くほどのスピード出世劇をやってのけた。世の中からも注目を浴び、いまやテレビにも度々登場する有名人となった。多くの業界の知識人とも知り合いになれた。そうなると、入ってくる情報量もますます増え、青年にとっては嬉しい限りだった。
能力に目覚めてから色々なことがあった。いまではそれを全て覚えている。これだけの知識があればそろそろ…とも思いもしたが、いざ能力を使おうとすると、もう少し待ってから使ったほうが賢明というものだと考えてしまい、知識は溜まる一方だった。
もちろん青年もその間人並みに恋をし、そして結婚にまでこぎつけた。社会的地位は高いのだ。自分から求めずとも自然と相手は寄ってくる。その中で互いに心惹かれる相手に出会い、そして結婚した。青年はやり直したその時も、この人とまた結婚したいと考えていた。子供も二人産まれ、まさに幸せの絶頂といえるであろう状態になれた。
気がつけばもう50代後半になっていた。青年はもう青年とは呼べなかった。青年は夕日が差し込む社長室の椅子に一人で腰掛けていた。
どっと疲れた感覚、体内の節々が老朽を訴えていた。世間一般からみればまさに恵まれた人生だっただろう。幸せな家庭を築き、社会的には高い地位に就いている。子供らもスクスクと成長していく。
しかし待てよ、いま思えばそんな事をする意味はあるのだろうか。そんな事をすれば、確かに今より遥かに多くの金や地位を手にすることだって出来るであろう。
しかし妻はどうなる?会社は?子供は?この世界はどうなる?青年はふとそんなことを考えて始めていた。こんな寂しい事は今までなかった。今までやってきたことを全て捨て、全く新しい世界で果たしてうまくやっていけるだろうか。そんな気力が果たして残っているのだろうか。
突然秘書が部屋に入ってくる。そしてこう言った。
「社長の奥様とお子様二人がたった今、交通事故に遭われまして…重症で三人とも助かる見込みは…」
いよいよ決断に迫られたようだった。しかし青年の心は既に決まっていた。青年はほんの数時間前に戻り、買い物に出かけようとする妻と子供らを止めた。もちろん事故も起こらずに済んだ。妻と子供らは不満の声を漏らしたが、青年はただ優しい微笑みを浮かべるばかりで何も言わなかった。妻はこんな微笑み方をする夫を見るのは初めてだと思った。
その一年後、青年は長年の疲労などが祟り、病に伏しそして逝った。
これで良かったのだ。人生なんて一度きりで十分だ。この世界を離れるなんてこれ以上の哀しみはない。最期に青年はこういい残した。
「素晴らしい未来のために…」
(ファミチキください)
こいつ直接脳内に・・・!
そして結婚までにこじつけた。 惜しい。