はてなキーワード: 建築家とは
いつも自分に何かが足りないような気がしている。
高校入試のときも、終わってすぐに、もっと勉強しなければと思っていた。
大学に入ってからも、トップの学校に入れなかったことで、自分には何かが足りないと感じていた。
その一方で、努力をしてこなかった。
頑張らなければと思うわりに、適切な努力をしてこなかった。
高すぎる目標をかかげ、目標を達成するための計画を立てても実行はしなかった。
図書館で本を借りても、読まずにそのまま返していた。
計画を立てるだけで満足し、本を借りるだけで満足してしまっていた。
実際の行動に移すのをさぼっていたし、本を読みとおす努力をする根気もなかった。
何も積み上げられないし、努力が足りていないのを誰よりも自分でわかっていて、だから自分に何かが足りないという感覚は増すばかりだった。
学生時代に抱いていた夢や目標に近づくにはあまりにも辛いいばらの道を歩かなければならないと知り、断念した。
もともと何かを達成するために、すべてを投げうって努力できる性質ではないらしい。
医者になりたいとか、建築家になりたいとか、小説家になりたいとか、身の程知らずの憧ればかりが心に浮かんでは消えた。
ただ、まったく努力をしなかったわけではなく、ちょっとした挫折ですぐに諦めてばかりというほうが正確かもしれない。
成功した人たちは多分、挫折を知らないのではなく、挫折したとしても、少なくとも諦めなかった人たちなのだろう。
とはいえ、成功したと思われている人たちの中にも、何かが欠けているような感覚に呪われている人もいるのかもしれないが。
自分は社会に出てからこれまで二回、大きなキャリアチェンジをしている。氷河期世代ということもあるかもしれないが、あまり恵まれた職業人生とはいえない。それでも正社員として働けた時期もあったし、なんとか食うに困らず生きてこられたのは運が良かった部分もあったのだろう。
だが、仕事があることに感謝し、多少嫌なことがあろうと耐えて同じ仕事を続けるということが自分にはできなかった。家庭の事情で辞めたこともあるが、それも、必死になって続けようと思えば続けられないこともなかったかもしれない。ただ、目の前の仕事に対する執着が足りなかったように思う。
自分にとっては、どの仕事も、いつかたどり着く最高の仕事への踏み台に過ぎないという感覚が続いていた。今でもその感覚がなくならない。いつか、今よりももっといい職場でいい仕事に就けるんじゃないかと期待してばかりいる。
仕事を見つけるにしても、自分が就職できる先がいつも限られていて、妥協するしかないからこんなことばかり考えるのかもしれない。新卒のころから、未経験はお断りと言われ続けてきて、最近では年齢で切られることが多い。そんな自分でも雇ってくれるところがあるのはありがたいが、そういう職場はそれなりに難ありだ。
フリーランスになるとか、起業するとかにも憧れるが、自分には手に職もないし、アイデアもない。どこかに雇ってもらって時間を売る以外に、生活の糧を得る方法はない。健康で働けるうちはそうやって仕事を続けるしかない。
それなのにいつも夢を見てしまう。
実は最近もまた大きな夢を見始めてしまっている。いい年なので、これはミッドライフクライシスなのだろうか。いや、自分はずっとクライシスだからこれは違うのか。
それはさておき、その夢とは何かというと、博士課程に進学したくなってしまったことだ。
いい加減に落ち着けばいいのに、諦めがつかない。
自分の人生はこんなもんだと、得られたものに感謝して生きることができない。
あれはこんな感じなんだろうか。
あの話がミッドライフクライシスの話だなんて先生は教えてくれなかった。
研究したい内容はある。といって学者になりたいわけではない。もともとは進学が目標だったわけじゃなくて、やりたい仕事に必要な専門知識がまったくないことから進学を考えたんだが、これもまた、なんでこの年で、と自分で激しく突っ込みを入れているところだ。
なんでこんなに年寄りになってから、専門外の分野に手を出そうとしてるんだ。
頭も若くないし、体力も落ちる一方だろう。さらに言えば、大して頭脳明晰でもないだろう、自分。
そう思うと不安で胸がいっぱいになって動けなくなる。もう何もできないような気がしてくる。
後悔だらけの人生で、後にも引けない、前にも進めない。
どうすりゃいいんだ。
こんなこと、親には言えない。誰にも相談できない。こんな話をまともに聞いてくれる友達もいない。占い師にでも相談するしかないか。
もし運よく入試がうまくいって、新たに学業をおさめられたとしても、進学を志すきっかけになった仕事に就けるかはわからない。その仕事に就けたとしても、そのとき自分はそれを本当にやりたい仕事と思えるのかもわからない。
なんなんだ自分。
本当に馬鹿だな。
こんなに先が読めないやつ、ほかにいるんだろうか。そのときは一生懸命考えて将来を見据えて動いたつもりでも、結局は暗闇で手探りをしていただけだと、あとからわかる。
どうして自分のことなのに、こんなにわからないことばかりなんだよ。
これでも、昔に比べると自分のことがわかるようにはなってきた。学生時代なんて、本当に悲惨な自己認識で、現実が少しも見えてなかった。理想と自分が本当に求めてるものがずれているのに気がついてなかった。失敗を繰り返して、やっと少しずつ自分の価値観みたいなものがわかってきたときにはもう遅かった。もう20年ぐらい前に自分のことをわかっていたかった。
人生100年という説もあるが、実際のところ人生って期限がわからないのが辛いところよね。わかればもう少し計画的に生きられたかな。
どうだろうな。
何かを成し遂げた人が羨ましい。自分は何もかも中途半端で何も成し遂げられないまま人生を終えそうな気がしている。
だけど、やりたくない仕事をずっと続けるのは耐えられないんだ。
今の自分に足りないものを補えば、いつか満足のいく職場で幸せに働けるって思っていたいんだ。
適切な努力はしなかったものの、それなりに頑張ってきた自分が、こんな職場で腐っていくなんて思いたくない。全然共感できない経営者のもとで、都合よく使われるだけなんて嫌だと思ってしまう。
どこかに自分の理想の職場があって、理想の仕事がある。自分の天職がある。いつかそういう仕事に就ける。そう思っていたいんだ。
仕事に多くを求めすぎているんだろうな。そうそう理想の仕事なんてないんだから、仕事は仕事と割り切って、私生活を充実させるようにするのがいいのかもしれない。
でも、なんで自分の人生の時間をやりたくない仕事にとられないといけないんだと思ってしまう。幼稚でナイーブでどうしようもない。いつまでたっても大人になれない。自分で自分を不幸にしている。
頭ではわかっているのに、現実を受け入れられないまま、この漂流人生は続くんだろうな。
いい加減、落ち着かないと、もうどこも雇ってくれなくなりそうだ。そうなったらどうしようか。迷惑かけないようにひっそり死のうか。
これもう「飲みニケーション」をやめるしかないっていうことじゃないかな。
「仕事終わりにみんなで飲むことと仕事の効率化は無関係だよ」ってことじゃないかな。
それに気づいていない人たちが感染していくと。
3月下旬に深夜まで行われた23人が参加した厚生労働省老健局の宴会に出席していた3人を含む6人が新型コロナウイルスに感染した問題で、田村厚労相が国会で火だるまとなっている。
厚労省とほぼ同時期に30人もが参加した総務省出身の愛媛県庁のキャリア課長の送別会が開催されていたことが、AERAdot.の取材でわかった。
関西で変異株が猛威を奮う中、大規模な送別会が開かれたのは、愛媛県松山市の道後温泉の超有名旅館「A」だ。道後温泉は夏目漱石の小説「坊っちゃん」の舞台として知られるが、著名建築家が設計した旅館Aはひと際目を引く豪華さだ。
その宴会場で愛媛県庁の送別会が開かれたのは3月24日夜――。参加したのは愛媛県庁の職員30人で、主催したのは同県市町振興課だった。
「課を離れる人が3~5人おり、その送別会でした。送られる主賓は総務省から出向中のキャリアのB課長でした」(愛媛県関係者)
先の関係者によれば、和室にテーブルが4列並べられて、料理は8000円のコースで飲み放題が3000円プラスされ、消費税込みで1人12000円ほどだったという。旅館Aのホームページをみると、春の会席料理のメニューは、地元の名産品、オレンジの食前酒や前菜、刺身、鍋、デザートなど12品と豪華なコースだ。
愛媛県では送別会が開催された前日の3月23日、松山市内の歓楽街でクラスターが発生し、23人もの新規感染者が出ていた。開催当日の感染者は24人、翌25日には県内では過去最多、59人まで激増していた。
愛媛県の中村時広知事は3月24日の記者会見で「松山市では第4波の入り口にいる、本県最大のクラスターになる可能性がある」
「影響を最小限に食い止めるために、感染の広がりを何としても食い止めなければなりません」と危機感を訴えていた。
その舌の根も乾かぬうちに決行された送別会には、問題点が多々あった。
愛媛県庁では県職員への「飲み会の場での注意事項」として、<大人数、長時間とならないように年度明けの歓迎会等は、おおむね10人以内に留める>などと周知していた。
日本語でも、医者・医師という、建築士・建築家といい、者・士・家の区別はいいかげんです。それと同じように、英語の -er、-ist、-an の区別もそれほど厳密な区別があるわけではありません。
例えば引き渡しのときに
みたいな話が出なかったし
開館してしばらく経って、本が焼けてきたときに
「紫外線遮るシートとか貼りませんか?」
みたいなこと考える人もいなかったわけでしょ
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 89 | 12068 | 135.6 | 36 |
01 | 73 | 7948 | 108.9 | 34 |
02 | 59 | 3522 | 59.7 | 34 |
03 | 36 | 4823 | 134.0 | 42 |
04 | 16 | 3049 | 190.6 | 112 |
05 | 18 | 1308 | 72.7 | 36.5 |
06 | 11 | 895 | 81.4 | 53 |
07 | 50 | 1861 | 37.2 | 22 |
08 | 85 | 9556 | 112.4 | 38 |
09 | 166 | 11882 | 71.6 | 33.5 |
10 | 208 | 14238 | 68.5 | 34 |
11 | 203 | 19881 | 97.9 | 43 |
12 | 225 | 17133 | 76.1 | 35 |
13 | 180 | 11422 | 63.5 | 36 |
14 | 169 | 12340 | 73.0 | 38 |
15 | 201 | 14200 | 70.6 | 34 |
16 | 168 | 16155 | 96.2 | 37.5 |
17 | 239 | 15510 | 64.9 | 29 |
18 | 131 | 21994 | 167.9 | 32 |
19 | 121 | 14187 | 117.2 | 49 |
20 | 174 | 14912 | 85.7 | 39 |
21 | 139 | 13267 | 95.4 | 45 |
22 | 170 | 16273 | 95.7 | 44 |
23 | 138 | 17381 | 125.9 | 39 |
1日 | 3069 | 275805 | 89.9 | 37 |
公立図書館(4), ライダイハン(4), 建築家(15), 郷土史(3), マサラタウン(3), 扶養照会(12), 増益(4), ETH(4), none(4), TF(4), 創意(3), ウイグル(16), 森(41), 沈黙(15), 建築(11), 失言(11), 図書館(30), 二階(11), 建物(18), 会長(12), ボランティア(15), 共産党(18), 異世界(11), 市民(15), 読書(11), 絵柄(10), 保存(14), オリンピック(18), スルー(19), 本(78), パン(14), 人権(25), かつて(14), 高卒(11), トラバ(20), 描く(14), 去年(14)
■一方的に建築家を叩くべきなのか /20210209101313(27), ■最近、読書って必要じゃね?と痛感させられることが多い /20210208221008(23), ■霞が関を去ろうと思う /20210209141953(18), ■こういうのを見て男性は傷付くのが正解なんだろうか /20210208215333(17), ■【追記アリ】 森喜朗会長の性差別発言を受けて、自民党女性局・自民党女性国会議員はどう反応したか /20210209083036(14), ■高次元の知的生命体がヒトを飼育するSFありませんか? /20210209171306(14), ■長い旅をするファンタジーを読みたい /20210208162226(12), ■郎って漢字さ、名前専用じゃね? /20210209104724(12), ■同居の母親に言われて腹が立った言葉ランキング10 /20210209083602(12), ■性別なしで話せないかな? /20210208205411(9), ■異世界ホビー物ってそういや見たこと無いな /20191001233906(8), ■現代でニーチェが刺さる要素ある?マジレス希望 /20200916172040(8), ■恋愛経験ゼロの惚れっぽいクソオタクやめたい /20210209232601(7), ■世の男性が女性差別発言をするたびにアチャーってなる /20210209001343(7), ■一次産業のおばさんだけど /20210208152609(7), ■口調がやわらかい男性Vtuber教えて /20210209142634(7), ■昔夕方でやってたアニメって何を販促してたの? /20210209145230(7), ■森喜朗会長の性差別発言を受けて、自民党男性衆議院議員はどう反応したか /20210209180904(7), ■〇〇はネトウヨって言う人に見てほしい /20210209082939(7), ■ /20210208111933(6), ■ジャンプってなんで「少年向け」にこだわってんの /20210209171923(6), ■象印の印象(回文) /20210209112942(6), ■戦国時代の物語は何を読めばいいの? /20210208144224(6), ■もう流石に森いじめはやめようぜ /20210209221960(6), ■え!?!?!?これが教養なの? /20210209193153(6)
別に知らないから言ってるわけじゃないし、教養がないって煽りはボキャブラリーなさすぎ
建築家の領域でエンジニアの領域を超えるのは工業デザインと、せいぜい都市計画くらいまで
同じ土木建築分野でも橋の設計者は、設計もデザインも両方やるけど芸術家とよばれることはほとんどない
建築がある種の芸術性を持っていることは否定しないけど、公共施設において税金から多額の設計費を払うほどの効用があるのかい?
国立競技場のデザイナー選定騒動はばかばかしいものだったし、都庁だっていまさらあれを芸術だといって愛でる人や、優れたデザインによって都民のシンボルになっていると主張する人はほとんどいるまい
だから(日本では蔑ろにされがちであるが)司書のような高度専門職の人もいたりする。地域の歴史的資料なども扱うことが多い。市民の憩いの場所といった感覚で作るような気軽な施設ではない。もちろん今回の失敗は建築家にすべて責任を押し付けられるようなものではないが、だからこそその社会的機能や重要性を理解していない人ばかりだったという点で問題の根は一層深いことが顕になっている。
でもじゃあ逆に建築家や建築ファンが自己批判をするかというとしないんですよね
この手のハコモノ建築家なんてコンペ通るかだけが問題だからそれ以外の利害関係とか一切無視やん
それでずっとゴリ押しでやってきたのがネット時代でようやく批判されてる
「一方的に叩く人間」と「一方的に褒め称える人間」がいるだけじゃん
こういうところが卑怯くさいんだよね
「批判は言い方気をつけろ!」みたいなのって
言い方気をつけた批判は「貴重なご意見ありがとうございます」でスルーする気満々やん
褒めている人間にも是々非々の意見を述べろといちいち言うんですか?
そう問いたいですけどね
茅野市民館について、確かに本の背が焼けてしまうような場所に本棚を設置したのは完全に設計ミスで、配慮すべき問題だったとは思う。でもそれをもって、はてなでもTwitter上でも「だから建築家はダメなんだ」「建築家なんてオナニーばかりしてる傲慢な奴らは消えろ」「プロとして失格」と鬼の首でも取ったかのように建築家叩き(この設計者だけではなく、建築家という職業叩き)が行われているのを見て、近所に住むものとしてすごくモヤッとした気持ちになった。
茅野市民館は、建築家がオナニーで建てた建物じゃない。基本構想策定の段階から茅野市民が携わり、市民と何度も何度もワークショップを重ねて出来た建物だ。https://www.city.chino.lg.jp/soshiki/shogaigakushu/899.html
市民がどのような場所が欲しいのかを一緒に考えただけあって、地元ではきちんと愛用されている建物になっているし、実際私もすごく心地いい空間だと感じる。近所にこんな建物があってよかったなと思っている。
「受験生や市民が多く利用している」「自分の家の様な気持ちになれる空間を提供してくれる」
「市民が憩いやすい環境を整えて、多くの学生が勉強に励む姿も見られる」「地域の集まる場所として良く考えられている」
「地域住民の創意をなるべく回収/発露させる場となっている」「図書館ライブラリーは最高です。半日は過ごせます。」
「随所に、茅野市は芸術文化に前向きだというメッセージを感じる建物だと思う」
と、この建物についてポジティブに捉える人の声がたくさん集まっている。私の周りでも市民館を利用する人は多い。これは設計者の「この建物を地域の人が交流する場にしたい」という思いが見事に機能した結果だと思う。
もちろんレビューの中には「本の背が焼けている」「西日が強すぎで図書スペースは春先ですでに暑い」というネガティブな声もあるし、その部分についてはさらなる考慮が必要だったと思う。確かに館内が暑いなと感じる日もある。でも、その一点のみを取り上げて「これだから建築家は」と断罪するのが果たして好ましいことなのだろうか。みんなに利用される交流の場としてきちんと機能するものを作った、地域に愛されるものを作ったという点だってきちんと評価されるべきなのではと思ってしまうのは、おかしいことなのだろうか。なにより自分が好きで愛用している建物や、それを考えた建築家がクソ味噌に言われるのがこんなに悲しいとは思わなかった。
本を守るという機能面だけを考えたら、行政が一方的に計画しゼネコンに投げただけの建物の方がずっと好ましいのかもしれない。でもそうやって出来た建物に、このgoogleレビューのような声が集まるだろうか。なにより地域住民に愛される建物になりうるのだろうか。私は建築家が必要な理由は、時に哲学的に、人が建物の中でどのように過ごし、どのような交流を発生させるかを考えることができるからだと思っている。建築家と言うと外側のデザインを考える人みたいなイメージがあって、実際そういう人も多くいるとは思うんだけど、優れた建築家ってどちらかと言うと建物を利用する人の動きをしっかり考えられる人なんじゃないかと思っている。ただ機能を整えることの先に、人が建物に触発されて新しい何かが始まる...そんなことを考えることが出来るからこそ、建築家という職業に価値があるんだと思う。
ここまで建築家が叩かれるのって、これまで好き勝手やってきた人達がいたことの蓄積があるんだろうなと思うし、実際建築家業界での馴れ合いや選民意識みたいなのもあるからなんだろう。そういうのと今回のような分かりやすい失敗がかけ合わさって、建築家全員死ねみたいな空気が作られてしまうんだろうけど、私は目に見えない豊かさを提供してくれる(こともある)建築が好きだし、そういう価値がより理解される世の中になって欲しいと思う。そのためにも建築家の人は反省するところは反省して欲しいし、私たちも分かりやすい点だけで建築家を一方的に叩くことはやめていけたらいいなと思う。ダメなところはダメと言い、いいところはいいと言う。そうやって世の中を豊かにしていけたらいいのに。