はてなキーワード: 小皿とは
さっきラーメン食べて来たんだけど、もやしが好きで必ずトッピングするんだけど
たまたまそこはもやしのトッピングをやってなかったので何故か聞いてみたら、
題名の通りの事を言われた。
そこまで変わるのか?
もやしを入れる位で変わるのならトッピングで味の付いたもやしを麺の上に乗せる程度でなら問題なくないか
それともそうしてもダシの味が変わるなら仕方ない、別の小皿に入れて食べれば良いんじゃないか。
でも何度かもやしをトッピングしてラーメンを食べてるけど、自分は一度もダシの味が変わったなんて思わないんだけどね
単にもやし嫌いの人が勝手に想像して決め付けてるんじゃないか?
そう思えてならない。
会社から徒歩五分ほど。最近オープンした雰囲気で、オモテに大きめの水槽がある海鮮居酒屋風の店。
どれも850円。
スタッフは、店主と思われる20代後半ぐらいの茶髪の男性がキッチンに1人
全員カラーのロングヘアで、髪留めとかもなし。
お釣りを渡されるとき、手が触れないように高い位置から落とされました。おじさんは悲しい。
店名の入ったお揃いのTシャツを着用。
店員同士でずっとおしゃべりしてて、大学生ノリの延長ぽい店だなぁという印象。
肝心の海鮮丼は、赤身が一切れも乗ってなくて、米もあんまり酢が効いてない。味噌汁も具がネギしか入ってなかった。
ここまでなら、もう来る事はないなぁ。ぐらいで終わりだったんだけど、
1番気になったのが、海鮮丼のフタの上にたくあんが乗っていたこと。
丼の上に、漬け物の小皿を重ねてるとかじゃなくて、フタの取っ手部分に直置き。
取っ手の丸い溝の中にたくあんがすっぽり入ってる感じ。
嫌がらせか何かか?と思って状況が飲み込めなかったんだけど、他の客にも同じように提供してた。
とりあえず食べるか。とフタを開けようと思ったけど、困った。
この状態だとフタを開けたあと、裏返して置けないので、フタの内側の湿った方を下にしてテーブルに置くことになる。
たくあんを先に回収してから、裏返して置いたとしても、たくあんが乗ってた部分がテーブルに着くことになる。
たくあんに箸をつけたくなかったので、前者にしたけど、いったい何が目的であんなことしてるんだろうか。
学生時代はひょろひょろと痩せていたが社会人になり一人暮らしになりそのうち料理が趣味になりで寄る年波には勝てずメタボ体型までになった。それでも健康診断(の結果)はガチ無視でやってきたのだが、さすがに最近いろんな異変が出てきた。といっても痛いとかキツイとかではなく、
・前は昼間眠かったのに最近は4時間くらいしか寝てないのに眠くない
・小さい頃から酷い近視で、40代になって老眼になったのだが、その視力が急に落ちてきた
・なんか指がパンパンになってる
それで去年の健康診断の結果で産業医に呼び出され、結果を見られて一言、「専門のクリニックに行ってくださいね」。
結論から言えば生活習慣からによる糖尿病。2型。1月に近所の糖尿病専門のクリニックに行って女医さんにバッサリ、「インスリン打って治療しましょう」ということで、セルフ治療デビュー。そのあと食事指導も入り、「とにかく炭水化物食べ過ぎダメ、甘い物ダメ、芋とか人参とか土の中から取れたモノはカロリー高い」。体重を落とすために1日1700kcalくらいにしましょう。と言われ、素直に従うことになりました。
毎日仕事のストレスで、ガムは5日で1箱(100粒)、グミ1袋、そのほか甘い物、帰宅が遅いので夕方に社食でそばかラーメン、て嗜好品を全てストップ。毎日の食事のご飯を大盛り→半ライスにし、(アラカルトで選べる)おかずも一番カロリーの低いやつを1つだけ。その代わりにサラダ小皿と豆腐(冷奴)を必ず付けて、昼飯は600kcalくらい、夕飯は800kcalくらいに。それに毎食直前に即効性のインスリンをトイレへ行って注射。寝る前にもうひと種類注射。朝イチと夕食2時間後の血糖値を測るメニューになりました。
いま4月末。始めてから3ヶ月。BMI25から23くらいに(実体重でいえば8kgマイナス)。血糖値も200くらい余裕で超えるのが120くらいまでには下がってきました。それに伴い、視力は戻りつつあるし、昼間眠いし、いや低血糖だった学生時代を思い出す感じで。来月の健康診断までにはBMI22までは下げたいところ。血液検査の結果も危機は脱出しつつあるし、インスリン注射から一部錠剤にも変わったし、ココロ穏やかに治す所存である。
いやぁ、インスリン注射は注射嫌いでない人でも結構ガーンとくるよ。ストイックに惑わされず回復できることを願ってひたすら毎日の決まりを守るだけだよ。
普通どうする?
うちは鍋の具が少なくなってきたら最後にうどん入れる家庭だったけど最近雑炊に変えることになって
今回が2回目の雑炊
母親が雑炊を作ってる途中で急に連絡が入って母親が友達と一緒に遊びに行くことになったんだけど
台所に行ったら大きい鍋の横に小さめの片手鍋があってその中に卵でとじたおかゆが入っていた
卵がゆを全部大鍋に投入しようとしたけど、待てよこれ全部入れていいのか?と一旦手を止めた
少し残して明日の朝食べるって話になってて
今日食べる分だけ大鍋に入れて片手鍋に半分ほど残すのか
片手鍋に個別に作ってあるってことは卵がゆと鍋を別々に食べるのが母にとっての「雑炊」なのか
それとも片手鍋に大鍋の具を入れるのか。いやいやそれはないか
うどんの時はうどんを全部大鍋に入れてたし前回の雑炊もご飯が全部大鍋に入っていた気がする
もしここでどういうことか聞きに行ったら「何でそんなことも分からないの!!早く全部入れなさあああいい!!(もしくは「全部入れる!!??何考えてるの!!!!」)」とギャアギャア怒鳴り散らして
こんなことも一人でできないなんて頼んだ意味がないと憤慨しながら洗濯を中断して台所の方までのしのしと歩いてくる可能性が高い
でも早く決断しないと風呂場から戻ってきた母親が台所で固まってる自分を見て「何をやってるの!!!?いつまで時間かかってるの!!?何なの!!!?」とキレてしまうだろう
迷った末に片手鍋の中身を全部大鍋に投入して食べていたら
風呂場から帰って来た母親が鍋を覗き込んで顔をひきつらせて「全部入れたの!!!!??何で全部入れたのおおおおおおお!!!!!!!???????」と叫んだ
「器(小皿)に入れろって言った!!!!!!!!」「せっかく別々にして作ったのに!!!!!!」「あーーあ!!!!!!!!」「分からなかったら聞けばいい!!!!」「質問したら怒る!!?そんなことで怒るわけがない!!!!!!」「(片手鍋に別々に入れて作ってあるんだから小皿にちょっと卵がゆを取り大鍋の中身をちょっと取り小皿の中で雑炊にすることくらいそんなの)言わなくても分かる!!!!!!当たり前!!!!!!!!!」
当たり前?そんな食べ方聞いたことがない
雑炊ってそうだっけ
食べられなくなるのなら代わりに始末しておいたからと言って出かけた母が帰るまでにゴミ袋の中に詰め込んで捨ててしまったら発狂するだろうか
鍋の底で殴ってやったら解決するんだろうか
父は貧しい個人商店の長男で、奨学金を貰いながら大学に通った。やがてお見合い結婚をし、母との間に私と妹が生まれた。妹が生まれる直前に、土地付きの家を買った。家族旅行にもよく連れて行ってくれた。私も妹も、名の通った私立大学を出ている。
専業主婦の母と娘二人を養ってくれた、世間的には平凡だが立派な父。
理屈ではそんな風に考えられるのに、私は父を愛することが出来ない。30歳になった今でもだ。
子供の頃、我が家には大きなピアノがあった。私がピアノ教室に通い始めてすぐ、音楽の心得のある父が付きっきりで練習を見てくれたことがある。幼稚園児だった私にとっては、トラウマと言ってもいいような記憶である。
私がうまく弾けないでいると、父は厳しく叱り付けた。正しい運指を見せて、この通りにやれ、と言う。殴られたわけではないが、涙が出る程度には恐ろしい口調だった。両手が塞がっているので、涙も鼻水も垂れるがまま、いつ間違ってしまうかと怯えながらピアノを弾いた。見せてもらったばかりのお手本の真似も出来ない自分は、きっと出来の悪い子供なのだと思った。
その後も父にはしばしば、「同じところで何度も間違うな」と注意されたことを覚えている。間違えると叱られる。私にとってのピアノとはそういうもので、演奏を楽しんだり、褒められた記憶はない。今でも鍵盤を前にすると、誰かに監視されているような気がする。弾くことは、もう一生ないと思う。
子供にも音楽をやらせたい、最初に正しい型を叩き込むのが肝心。それは父なりの愛情表現だったのだろう。ピアノは高価な買い物だったはずだし、月々の月謝も安くはなかったはずだ。何より、わざわざ時間を割いてくれた。練習の様子も気に掛けてくれてはいた。
家族で食卓を囲んでいても、父は原則として、人の話を聞いていない。「お父さんはどう思う?」と水を向けても、大抵は無反応である。
テレビを見ながらの大人同士の雑談なら、それでもいいかと思えるが、毎日の出来事を話したい盛りの子供には辛いものがあった。進路や学費といった相談事まで無視されるのには辟易した。仕方なく何度も話し掛けたり、大きめの声で注意を惹くと、ものすごく不機嫌になる。金は出してやるから好きにしろ、とだけ言って背を向けてしまうので、どのみち会話は成立しない。
そのくせ父の方は突然ウンチクを語り出したり、つまらぬオヤジギャグを飛ばし、望んだような反応が得られないと機嫌を損ねるのだ。
そんな壊滅的な父の対話能力は、酒が入ると完全に消滅する。自分語りやお説教を垂れ流すのはともかく、好意的な反応を返さないと拗ねたり怒鳴ったりするのが厄介である。
体のためにも酒量は控えて欲しいと、家族がどれだけ注意したところで、ネットショッピングで無尽蔵に取り寄せられてしまう。それでも家計に響かない程度に稼いでいるのは父自身なので、経済的な切り口から禁酒を勧めることも難しい。健康診断は既に要注意項目が複数あるのだが、どれも「危険」の一歩手前であるため、「これくらいは大丈夫ってことだろ」と言い張って毎日のように飲む。
酔った時の父について、私は子供の頃、まるで人語の通じない別の生き物みたいだと思っていた。大人になり自分自身が酒を嗜むようになった今でも、その印象は変わらない。お酒は楽しい時間を過ごすためのもので、酔って記憶も正体もなくすのでは本末転倒だと思う。
私は思春期を迎えると共に、夕食を食べ終えた後は子供部屋に引きこもるようになった。妹は部活動やアルバイトで、なかなか帰って来なくなった。
父の帰りが遅かったある日、嫌味を言われたことがある。
「俺の金で生活出来てるくせに、女同士でだけ楽しそうにしやがって」
何も言えなかった。父がいない日は妹も早く帰ってくるし、私だって居間で宿題をやった。
父はたぶん、精神的には幼児のまま、体と職能だけが立派になってしまった人だ。父方の親戚や祖父母の家を見れば、経済的にも精神的にも恵まれない育ちだろうと想像はつく。発達障害の特徴もある。それでも一家の大黒柱として、アルコール依存症気味になりながらも私たちを育ててくれた。
立派だね、頑張ったんだね、育ててくれてありがとう。
きっと、そう言えるのがいい娘であり、いい大人だ。
分かっていても、気持ちが追い付かない。虐待を受けたわけでもないのに、愛情を注がれてきたはずなのに、肉親を愛せない自分に失望する。
食卓に出された料理を、自分が欲しい分だけ取ってしまう父。一人二つずつだからね、と食べ始める時に母が釘を刺したにもかかわらず、無視して三つも四つも食べる。それが久しぶりに帰省して来た娘の好物であってもお構いなしだ。酒が入ると、もう手が付けられない。
だから小皿に分けてって、いつも言ってるのに。ごめん、大丈夫だと思ったんだけど。母とは目と目でそんな会話をして、肩をすくめた。
父は視野の狭い、ただの子供だ。悪気はないんだ。ならば歩み寄れる、愛せるようになるはずだ。
そう自分に言い聞かせようにも、欲のままに飲み食いする還暦過ぎの酔っ払いは視覚的インパクトがあり過ぎる。卑しい、醜悪だ、という感情を打ち消すことが出来ない。自分の血肉の半分がこの男から受け継いだものだと思うと、身の毛がよだつ。どうして母は、こんな男と一緒に暮らして正気を保っていられるのだろう。
私には、父を愛することが出来ない。
Iが死んだらしい。
ここ一年間は会っていなかった。IはM子というつまらない女と浮気したからだ。それ以前は私達はとても仲が良かった。
葬儀から帰って、ふと思い出した。Iは私にアレを預けていた。記憶を頼りに引き出しを開けると、カメラのフィルムケースが3つ出てきた。
一つは葉っぱ。一つは錠剤。そして、白い粉。
葉っぱはフィルターが無いし買ってきてまで使いたくないので誰かにあげることにした。
とりあえず錠剤を噛み砕きコーラで流した。家にあったストローの先を潰し、小皿に粉を出し潰さなかった方の先を鼻に当て、思い切り吸い込んだ。
錠剤が効いたのか、粉がいきなり効いたのか分からないが、蛍光灯が激しく点滅し、壁紙の規則正しい線が踊り出した。こんなときはいつも、Iに抱きついて笑い転げるか怯えるかしていたなーなんて思い出した。私はひとりの時にこれをやった事がない。
ふと、気づけば2日経っていた。その間にうさぎを2匹飼って一緒に暮らしていたような気がしたが、あったはずのうさぎのゲージもうさぎ達もいなくなっていた。うさぎたちなんて元から居なかったのだと思う。
そして、そんな事を話せる相手ももういなくなってしまったことに気づいてわんわん泣いた。
床にはIが好きだったリバティーンズのライブDVDとかが転がっていて、DVDデッキは24hourpeopleを吐き出していた。
それを見てIが会いに来てくれたのだと思った。
もう、フィルムケースには手を出さない。残りがまだまだあるこれらはIの友人のHにあげよう。
昨日は健康的なごはんを作り、ジョギングし、サウナにいった。今日も健康的なごはんを食べ、ジョギングしシャワーを浴び女友達と買い物に行った。彼女はIの事は知らない。
充実したGWだった。
Iが死んだらしい。
ここ一年間は会っていなかった。IはM子というつまらない女と浮気したからだ。それ以前は私達はとても仲が良かった。
葬儀から帰って、ふと思い出した。Iは私にアレを預けていた。記憶を頼りに引き出しを開けると、カメラのフィルムケースが3つ出てきた。
一つは葉っぱ。一つは錠剤。そして、白い粉。
葉っぱはフィルターが無いし買ってきてまで使いたくないので誰かにあげることにした。
とりあえず錠剤を噛み砕きコーラで流した。家にあったストローの先を潰し、小皿に粉を出し潰さなかった方の先を鼻に当て、思い切り吸い込んだ。
錠剤が効いたのか、粉がいきなり効いたのか分からないが、蛍光灯が激しく点滅し、壁紙の規則正しい線が踊り出した。こんなときはいつも、Iに抱きついて笑い転げるか怯えるかしていたなーなんて思い出した。私はひとりの時にこれをやった事がない。
ふと、気づけば2日経っていた。その間にうさぎを2匹飼って一緒に暮らしていたような気がしたが、あったはずのうさぎのゲージもうさぎ達もいなくなっていた。うさぎたちなんて元から居なかったのだと思う。
そして、そんな事を話せる相手ももういなくなってしまったことに気づいてわんわん泣いた。
床にはIが好きだったリバティーンズのライブDVDとかが転がっていて、DVDデッキは24hourpeopleを吐き出していた。
それを見てIが会いに来てくれたのだと思った。
もう、フィルムケースには手を出さない。残りがまだまだあるこれらはIの友人のHにあげよう。
昨日は健康的なごはんを作り、ジョギングし、サウナにいった。今日も健康的なごはんを食べ、ジョギングしシャワーを浴び女友達と買い物に行った。彼女はIの事は知らない。
充実したGWだった。