はてなキーワード: オロとは
佐々木もや
そこまで悪いことしたか?
渡部もそうや
川谷もええわ
上原もええわ
東袋もええわ
中田もええわ
粗品もええ
せいやもええ
堤下もええ
西野もええ
綾部もええ
中川ええわ
浜田もええ
脳なんとかはあかん
木下もええ
門倉もいろいろあったんやろな
板東もええ
御法川もええ
三田もええ
沢尻はもう少し待てや
伊勢谷もや
アスカはもうええわ
マツキはあかん
徳井もええ
岡村もええ
友井はあかん
海老蔵もええ
唐田と東出と矢口もええ
なっちもええ
加護もええ
一場と桃田もええよ
内田もええよ
園田も
谷岡も
小保方もええわ
堀江もええ
西村もええか
前園もええよ
沙知代もほんまはあかんけどしゃあない
清原もええよ
田代もええよ
押尾はあかん
琴光喜もええよ
式秀もええ
朝青龍もええよ
山本山もええよ
貴ノ富士もええ
日馬富士もええ
佐村河内もええよ
草彅と稲垣もええ
小渕はあかん
中川ええ
野々村はええよ
河井はあかん
朝起きたら水分が足りなくて1L以上水を飲んで塩飴をなめたのに、まだ水分が不足していたらしく、電車の中で頭痛と吐き気がした。さすがにおかしいと思ったので最寄り駅で下りて駅員さんに救急車を呼んでもらったが、車中で嘔吐。診察後、少し休んでから退院して無事帰宅した。
久し振りに後輩とオンラインで雑談していたが、妙に眠気を感じたので早めに切り上げて10時ごろに就寝。冷房は弱めにして扇風機はつけていた。比較的すぐに寝入ってしまった。
猛烈なのどの渇きと共に目を覚ます。すぐさま枕の脇に置いてあったペットボトルの水を飲んだがそれでも足りず、もう1本分を続けて空けた。朝食を普通に食べ、念のために塩飴をなめて外出。相変わらずのどが渇いていたので鞄に水を補給したペットボトルを忍ばせた。
ホームで電車を待っていると軽い頭痛がする。明らかに脱水していると思い、さらに塩飴と水を飲む。車内は冷房が効いているので少しは楽になるだろうと踏んだが、電車の中で本を読んでも内容が頭に入らない。10分から15分で急に息苦しさが悪化し、マスクをつけているのが非常につらくなる。水もほぼ飲み干したが吐き気までしてくる。これはただごとではないと思い、最寄り駅で下車した。
外の熱気で具合が悪くなる。ひとまず、キオスクでスポーツドリンクをもう1本買って飲み干す。ついで経口補水液はないかと外のコンビニに当たるが無いとのこと(後で調べたら薬局併設の所でないと売っていないらしい)。飲食できるコーナーがあったので席を借りてスポーツドリンクを飲む。そこで買ったものではないので申し訳ないと思いつつ過ごす。しかし、吐き気はまったく収まらない。スマホで検索すると、熱中症を防止するサイトやスポーツドリンクの会社のページに、吐き気は熱中症がだいぶ進んでいる状態なので受診が必要と書いてある。職場に遅れると連絡し、家族には病院に向かうと伝えた。
駅員さんに事情を話し、救急車を呼んでもらう。おおよそ5分から10分で到着するとのこと。みんなのトイレのベッドで横になることをすすめられるが、間が悪く空いていない。代わりに車いすに乗せてもらい、氷嚢を借りた。駅員さんの目の届くとこにいたため、少し暑かった。
救急車が来ると車いすから1、2の3でストレッチャーに運ばれる。ストレッチャーで運ばれるとこういう景色なのか、とぼんやり考える。ここで駅員さんに氷嚢を返す。よく考えればそのまま持っていればよかった。
子どもの頃に一度だけ救急車で運ばれたが、その時に比べると車内は狭く感じられた。
搬送されながら、向かう先の病院名を説明され、氏名や住所、服用している薬などを質問される。それから、家族に電話するのでスマホでかけてほしいとのこと。通話して渡すと、緊急隊員さんが病院名と住所を伝えた。車内は冷房が効いていたがやはり暑さを感じた。氷嚢はもらいっぱなしにするべきであった。
ところで、意識ははっきりしていたので会話に支障はなかったが、それを文字で書いてくれと頼まれると途端に具合が悪くなった。仕方がないので口頭で説明する。救急車に入ったときに、腹の上に洗面器を乗せてくれたのだが、そこに二三度嘔吐した。病院までの道がでこぼこしていて酔ったせいもあるかもしれない。本当に嘔吐するとオロオロとうがいのような音がするのだなと妙な事に感心した。そのまま吐瀉物を抱えたまま病院の緊急用入り口に入っていった。洗面器が吐瀉物で8割ほど一杯になったので、運ばれる中たぽたぽしてこぼれやしないかと気が気でなかったが、意外と段差が少ないので平気だった。
吐瀉物が持ち去られてから、病院でも改めて氏名を確認され、腕に指名の書かれたシールを貼られる。嘔吐して楽になったせいだろう、もう自分で症状を説明できる程度に回復していた。内科の検診のように胸や腹に聴診器を当てられ、舌の裏を見せてくれとか、上下左右に動くお医者さんの指先を目で追ってとか頼まれたりした。これは脳梗塞など脳や神経の病気ではないことを確認するためらしい。診断によれば、入院が必要な病気ではないらしく、熱中症・立ちっぱなしによる疲れ・混雑による体調不良などの複合要因らしい。
ベッドに運ばれ、横になって家族の到着を待つ。席を立つときはナースコールを押す必要がある。一度排便のために立ち上がったが、ここでも個室に鍵を掛けないように頼まれた。また、ベッドに戻るときにもトイレの呼び出しボタンを押すようにと指示された。
点滴はされなかった。体温も高くなかったので、その必要がないと判断されたのだろう。
寝ていると家族が来て、再度お医者さんからの説明があった。それから、もう少し休んだら退院してもよいと言われた。意外と早かった。最近は具合がよくなったら早めに退院するのは本当らしい。
それから、ベッドから降りて廊下のソファで休んでいる間、家族が病院の診断書を作ってくれた。保険証を常に携帯していてよかった。
ところで、妹が持ってくるべき荷物を手早くまとめてくれたらしく、経口補水液だけでなく着替えまで準備してくれていた。おかげでゆったりした服で帰宅することができた。これが非常に楽だった。妹は冷静沈着である。それから、帰宅したら父が大量のスポーツドリンクを準備して待ってくれていた。
その後、一日中横になっていた。夕方には読みかけていた本を読み終えるほどには回復した。
大したことなかったのに救急車を呼んでしまってよかったのだろうか、という反省もあるのだが、呼ばかなったら悪化していた可能性もある。
元々私は片頭痛持ちであり、半年に一度くらい猛烈な吐き気を伴う強さの頭痛に悩まされる。今回の熱中症はその時の症状によく似ていて、ほとんど区別できなかった。もしかしたら、片頭痛と熱中症に同時に悩まされたのかもしれない。
普段から定期的に運動しているのにもかかわらず、比較的熱中症にかかりやすい体質のようで、この時期少し外出しただけで頻繁に頭痛に襲われる。単純に微妙な体調の変化に気づきやすく、敏感なだけかもしれないが、今後も直射日光は避けたい。調べてみると、暑さに慣れるには運動だけでなく湯船につかることも大切らしい。私はシャワーで済ませがちなので、案外原因はそこかもしれない。
また、お医者さん・看護師さんの動きには無駄が一切なかったのも心強く感じた。
ところで、母は危うく別の病院に向かいそうになっていたらしい。救急隊員さんが住所もきちんと説明してくれたおかげで、行き違いになることが防げた。確かに○○総合病院、〇〇労働病院など、似た名前は多い。
妹から聞いたのだが、最近のスマホはログインしなくても個人情報や緊急連絡先を表示できる機能があるそうだ。万一私が倒れてもこれで家族に連絡できるそうで、さっそく登録した。アンドロイドの場合は以下の方法で設定できる。
https://support.google.com/android/answer/9319337?hl=ja
以上。
無知ックス好きが喜びそうなネタで小学4年生(9歳)の時の授業参観が思い起こされるわ
まぁその子の親はありがちな過干渉な親で子どもが見るTV・マンガ・本すべてに干渉していた
学校が終わった後は塾があるからといって友達とも校外では遊べない
で、その子は授業参観の時、命を扱ったテーマの授業で赤ちゃんについて作文を書いたんだ
そして大真面目な顔で「精子と卵子を受精させるにはお医者さんの立ち会いの元で行うのか」と
作文を読み上げたんだ
「何にも知らないピュアピュア❤︎無知ックス萌え〜」でいいけどさ、これって現実なのよね
失礼なこと書くけどこの女の子はぶっちゃけあまり可愛い方ではなく、
身長も小学生にしてはかなり高くて、ツンツンして近寄りがたかったので、
この事でしつこく揶揄うヤツはいなかったけど、たぶんトラウマになっただろうね
可愛らしいとかそういう話じゃないのはわかるかな?
anond:20210623192822 anond:20210623163722 anond:20210623202046
お世話になっております、去年に「両親が不仲だった自分語り」( https://anond.hatelabo.jp/20200211234011)を書き起こした増田と申します。
実はあの日記を書き起こしたことで自分のボトルネックになっていたことがハッキリ浮き彫りになり、拗らせて、寝込みました。
意識はあるのに体が起き上がらず会社に頼んで1週間休みをもらい、なんとか回復するまでに至りました。
みんなが当たり前に持っていて自分には無いものをどう補うか、屈折しすぎた性格をどうするかを寝込んでいる間ずっと考えていました。
そもそもなんだか調子が悪く、体力的に疲弊すると過去の嫌な思い出に尾ひれがついた妄想や、起こりえることのないネガティブな妄想をするようになり既に病んでいたようにも思えます。
自分はホームドアの無い駅までふらっと行って、ホームのベンチで1時間ほど座り込む生活をしていて、その合間にスマホのメモに自分の過去の話をぽつぽつと書き起こしていました。
今思えばもしかしたらそれは遺書で、誰か宛ての手紙で、誰かが言うように私小説になっていました。(書いていた当時は私小説だと思わずに書き起こしていました。)
それが「両親が不仲だった自分語り」だったわけです。死ぬ前に書き起こした内容が両親の話だと思うと、表面上そんなに気にしていなかったはずなのにやっぱり根に持っていたんだなというのが自分でわかりました。
今回は前回投稿した「両親が不仲だった自分語り」を投稿した後の話です。
投稿後、たくさんのコメントを何度も読みました。稚拙でダサいと自分で思っていた文章を褒められてた事が何より驚きました。
自分で気づけなかった事に気づかされた気がしました。ありがとうございます。
ボトルネックは結構重い話らしいのでまだ見ていません…。今は全くその気はないけど何かの拍子に結婚して幸せだなぁと思うようになったら見ようかな…?
そのあと1週間寝込みました。徐々に声が小さくなっていって、職場の人に心配されており、ちょっと休みたいですというと職場は問題ないから休んでいいよと言ってもらえて丸々1週間寝込みました。
コロナが日本でも話題なりはじめ、外に人が出なくなっていた頃の話です。
薬を飲んで、ご飯を食べて、寝て、ゲームをして、絵を描いて、ゾイドを組み立ててまた寝る。という生活をしていました。
投薬をするとだいぶ楽になったのもあり、声が出るようになったので職場に復帰。
1週間もすると、本格的にみんな外出しなくなったのか仕事(接客)は軽かったので、仕事をこなしてさっさと寝る。というルーティンになりました。
夏頃、妹が鬱になったと母から報告がありました。
状態は1週間寝込んだ自分より酷く、二人目を産んだあとのノイローゼから来ているようです。
自分が鬱になっていたのは母には伝えてなかったので、妹が鬱になったという報告があった時点で伝えました。
自分の子供二人そろって鬱になったという報告を受けて、母がどう思ったかは分からないままです。
遺伝的なものもあるらしいので、自分はあまりそこで深く考えませんでした。
妹には二人の娘がいるので妹の旦那が楽になれるよう、仕送りをしたりもしています。姪っ子たちには不自由をさせたくない一心でした。
妹は姪っ子たちを母に預けて入院をしたり、実家に帰って母と過ごしたり。
自分の性格からわかってはいたけど、自分は母に甘えられないと思っているので深く触れずにただ姪っ子たちに仕送りだけしています。
向こう十数年、連絡の無い父は死んだことにしました。
養育費の件は法律上でももう無効になっていて取り立ても出来ない状態でした。
それを知らなかった自分にも落ち度はあったので、責めることも憎むことも出来ないように父は死んだことにしました。
みんなに文章を褒められたので、文章を描いてアウトプットすることを始めました。絵は描けるので挿絵付きで。
これはまだ成果は出ていませんが、思っていること、考えていることを校正しつつ続けています。
格ゲーも本格的に本腰を入れて勝ちにこだわるようにしました。来年あたりにグラブルVS部門でEVOにも出ようと思います。
ストリートファイターVも少しやっています。好きだったダンが妙に強くて笑っています。オロもすごく楽しみです。
好きだった魔界村シリーズの新作「帰ってきた魔界村」の発売も燃えました。
RTA(リアルタイムアタック)も始めました。格ゲーのトレモ(トレーニングモード。ひたすらコンボ練習をしたりする。)と似ていて突き詰めることが楽しいです。
コロナ禍で仕事が早上がりになり、自炊を始めたら案外自分の料理がおいしいことに気づいて体重が増えたり
学生時代の友人(専門学校を自分に進めてくれたゲーセン仲間)と久しぶりに連絡が取れたり。
原因はセクハラとストーカー行為でした。加害者側はなんとも会社的にいないと困る人というのもありましたが何より妻子持ちでした。
父が仕事をしていないと困るのは身をもって体験しているので、鬱から立ち直り始めているとはいえあれからぼんやりすることの増えた自分がだらだらここにいるのも気持ちが悪く
あまっちょろすぎる。自分でもそう思います。それ以上に関わりたくなかったのもありますが、加害者の娘さん(彼女は6歳。あったことある。)が
何も知らずにそのまま居られるのであればと真っ先に思ってしまい、職場に疲れていたのもあって辞めました。
寝込んでから低気圧の影響をモロに身体で感じるようになったし、昔の家庭環境を思い出して泣き出したり
せっかく専門学校に行かせてもらったのにそれなりの仕事すらしていなくて勝手に申し訳なくなったり。
これ書いていたらなんだか楽になってきました。本当は昨日、「なぜ自分は自殺しないのか」というタイトルで文章を書こうとしていたところでした。