2024-06-23

みんな電波少年見てたんだ…

1978年まれだけど、バラエティー番組視聴禁止の家庭で育ったので友人から話を聞くだけだったのでなすび惨状はほぼ知らなかった。

懸賞生活と聞いても「なるほど。懸賞で米とか当ててるのか。切手代とかどうしてるんだろ?」くらいしか思わなかった。

というか今でもよく理解していない。

 

 

ちなみにバラエティー番組視聴禁止だったので当然クラスの友人とは話が合わなかった。

小学生の頃はマモーとかミモーとか、ウッチャンナンチャンとか言われてもサッパリからなかった…

けど、ジャンプの話は通じるからそれで何とかなってた。

もっと自転車も買って貰えなかったから友人の行動に着いていけずにわりとぼっちだったな…

今思うとわりと毒親家庭だったな…(パチスロに負けた腹いせに親父は殴ってくるし)

 

 

バラエティー番組を楽しむ素養が幼少期にできてないせいか社会人になって北海道出身の友人が見せてくれた「水曜どうでしょう」も何が面白いのかさっぱりわからなかった。

大泉洋(当時は知らなかったが、後に真田丸に出てきて俳優として認識した)に無茶振りして振り回すという印象なんだけど、20年後コンプラでまた海外から叩かれるんじゃない?

どちらにしろ水曜どうでしょう」を楽しむ同期の輪に入れなかったのは、小学生の頃と同じ疎外感があったな。

そして社会人になるとジャンプ話題で繋ぐことができないのである

 

 

職場での話を円滑にするにはバラエティー番組野球ドラマあたりはやっぱり便利なんだなぁ、と社会人になって知った。

野球は、幼少期にアニメが観たいけどナイターが見たい親父が許してくれなくて泣いてたら「うるせー!」と殴られて家から追い出された過去が多々あるせいで大嫌いなっているので見ない。

ドラマ刑事モノと時代劇は見てたけど、社会人になって見なくなった。

なので、わりと詰んでた。

 

 

結局ネットで知り合った同じ漫画好きとオフ会を含めて交流したお陰で友人ゼロという悲劇回避できたんだけどね。

やっぱりインターネットは私にとって救いだった。

職場転職して関わる人が変わったことで、仕事関係する話とか、近所の飲食店の話とか当たり障りのないものコミュニケーションはある程度取れるからわりと何とかなってる。

 

 

とはいえ、やはりバラエティー番組視聴禁止の家庭育ちっていうのはわりと人生デバフとして効いていると思っていたんだけど、

はてブでの見苦しいコンプラ意識なすりつけあいをしているのを見ていると、視聴したことがないというのも、割りと有りなのかもしれない、と思えるようになりました。

ありがとうはてブ

  • 見てないやで

  • 観てなかったのに、マモーとかミモーとかぱっと出てくるか?俺そんなん忘れてたよ。 むしろ観てなかったから覚えてんのかな。

    • クラスの子がモノマネしてたの印象に残ってる もし彼らと再会したら(あ、マモー!ミモー!の・・・!)ってなると思う

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