2020年06月08日の日記

2020-06-08

anond:20200608231933

まあ正直いって経験からすると姫抱っこだの腕枕だのフェラだのにめちゃくちゃな夢みてるやつみんな処女童貞だとおもうんだよね

そんなええもんちゃうぞーー でもトライするのは盛り上がるけどな

anond:20200608201202

性的消費という単語意味はよく分かりません。この言葉は、あまり英語圏では見ないため(日本語訳と原語がかけ離れているのかもしれません)、性的搾取以上によくわかりません。もしかしたら日本まれ言葉なのかもしれません。

一応、性的販促/Sex sells (女性、たまに男性、の性的魅力による商品ないしメッセージ等の販促)あるいはそれを是として推進する性的消費主義/Sexual consumerismなんて言葉もありますが、それでしょうかね?

せっかくなので、同じようによく使われる上、ある程度定義も見つかる性的搾取という言葉についても解説したいと思います

性的搾取/Sexual exploitationという言葉は、特に近年の乱用により様々な意味付与され、具体的な定義をすることは難しいです。

しかしながら、ある程度の基本ラインは維持されております

性的搾取基本的意味(基本形)は「他者の性を利用して(不当に)利益を得ること」です。ここでいう利益金銭のみを指すのではなく、性的満足なども含まれます

具体例を挙げますと、

強制的(騙したり、地位を利用したりすることも含まれる)に売春従事させる

強制的ポルノ従事させる、あるいは演者許可を得ずにそれを流通させる

リベンジポルノ

盗撮映像流出販売

児童売春、およびそれを保護者/監督者が看過、許可、ないし奨励する

児童ポルノ

などです。

基本形に対して搾取者の地位/立場濫用を加味する場合も多いです。「自身地位/立場濫用であって、他者の性を利用して利益を得ること」

多くの場合児童性的搾取/Child sexual exploitationにおいて地位立場意識されます。多くは保護者、少なくとも大人という、子供よりパワーのある存在によって、それが為されるからです。

その性質上、児童性的搾取児童虐待/Child abuseの一形態として扱われます

法的、国際的議論において性的搾取という場合、これを指すことが多いです。

具体例を挙げますと、

児童との性交

児童売春、およびそれを保護者/監督者が看過、許可、ないし奨励する

児童ポルノ

などです。

国連性的搾取という言葉意味定義しています

国連定義性的目的での(相手の)弱い立場、力の格差あるいは信頼の濫用行為またはその試みである他者性的搾取から金銭的、社会的または政治的利益を得ることも含まれるがこれに限定されるものではない。Any actual or attempted abuse of a position of vulnerability, differential power, or trust, for sexual purposes, including, but not limited to, threatening or profiting monetarily, socially or politically from the sexual exploitation of another.

後段は分かりにくいかもしれませんが、例えば児童売春場合あっせん行為もまた性的搾取になるということです。


上記の3つはかなり似通っていることがわかると思います。これらはある程度明文化された領域(法令や国際条例等)で用いられる定義なので、差が少ないのですね。

これらは主に実在人間に対して使われますが、児童ポルノ(二次)等も児童への性的搾取を推奨する物として規制されることがあります

ちなみに、話は変わりますアメリカにはExploitation fiction/filmという言葉があり、エログロドラッグ背徳系のB級作品に使われていました。


さて、上記定義日本ネット界隈でカジュアルに使われている性的搾取とは、どうも違うような印象を受けます

考えてみましょう。基本ラインはおそらく通底しています。「他者の性を利用して利益を得ること」でしょう。

エロい絵で、褒められたり、それを売って金銭利益を得る

性的表現で購買意欲を誘う

などです。

さらに付け加えるなら、アンチポルノフェミニスト的な観点悪魔合体しているように思われます

性的表現により女性蔑視を助長することで、家父長制というイデオロギーを存続させるという利益を得ている

・性産業従事者はすべて強制されている(本人が自分意志従事していると考えている場合でも)

・"性的"という言葉レンジが非常に広い(例えば、キャサリンマッキノンは女性が抑圧されている描写があればそれはポルノであると述べました)

まとめると、性的搾取定義の基本ライン踏襲しつつ、被搾取者を非実在存在にまで拡張させ、さらに"性的"および"強制"という言葉を非常に広くとったものが、日本ネット界隈でよく使われる"性的搾取"と言えるのではないでしょうか。

性的社会的あるいは政治的利益を得るための創作物(フィクション)中の表現であって、視聴者あるいは読者の主観に基づき"性的"である判断されたもの、およびそのような表現を含む一連の創作物

※これはあくまで私の考えた定義に過ぎず、私の観測範囲依存していることをここに記します。

anond:20200608201202

「ターム」とは「専門用語」と「期限」の意味を持つ言葉ビジネスにおいては「期間」の意味で使われ、覚えておくべきビジネス用語ひとつです。

みんななんで当たり前のように横文字使うん?

おじさんはもうついてけへんわ

子どもまれから配偶者とのS○X

増田ニキたちは奥さんとの夜の生活ってうまくいってるんですか。

二人目作ろうか、という程の熱意ではなく

夜の生活配偶者としたいんだけどさ。

子育てしてたらどうやってそんな時間作るんだ?マジで無理なんだが。

ちなみに子供と妻と3人暮らし

朝は保育園の用意と自分たちの出勤準備。

帰ってきたら子供が寝るまで世話。

子供は一緒に横にならないと眠らない。

んで妻がだいたい一緒に寝かすのだが仕事育児疲れで大抵寝落ちする。

そんな生活から妻は自分趣味時間とかもとれないので

仮に子供がうまく寝たとしても、空いた時間がようやく妻の勉強なり趣味時間になる。

俺も正直、妻のその時間を冒してまでS○Xに誘うのもなんだか気が引けてしまう。

何度か誘ったこともあるが、全て疲れてるから拒否された。

そういうことが何度かあって俺ももう誘う気力を失ってしまった。

妻のことは好きだし触れ合いたいと思ってるが、子供のために1日のほぼすべての時間がなくなっている妻の時間を、

俺が妻を抱きたいという本能的な欲望や男女としてまた触れ合いたいという願望

そういったことに割かせてしまうことにまず申し訳無さが浮かんでしまう。

なんかもう付き合ってた頃ってどうやってS○Xの流れになってたんだっけとか思い出せない。

そうして俺は今日も隠れてトイレでオナって毎日欲望をどうにか消費してる。

はー好きな人とS○Xしたい。胸が張り裂けそうだ。

人間は弱い

例えばね、腕を頭の下に敷いた状態で一晩寝てしまったとする

翌朝どうなるか? 腕がハチャメチャに痺れてしばらく使い物にならなくなる

それだけで済めばいいんだけど、悪い時には橈骨神経が損傷して数ヶ月くらいダメージを引きずることがあるらしい

 

弱い 弱いなあ人間は 弱すぎる あまりに弱い 雑魚だ ゴミだ ウンコだ 貧弱・惰弱・軟弱 ひ弱なカス 能無し 生きる価値なし 二足歩行けが取り柄のキモいツルツルの猿 最低生物 進化のどん詰まり 神の失敗作 智恵の実を食ったのにやったことはといえば服を着ただけ 救いようのない馬鹿  

 

彼女と寝ててね、こう愛しさ余って抱きついたまま寝ようと考えるわけだ

どうなるか? 腕が痛む 暑い やってられない

「剣を握ったままでは お前を抱きしめられない」じゃないの 剣とか握ってなくても無理なの なぜなら人間は弱いか

まりに弱いんだ 自分の頭さえ支えられない腕でどうして人間ひとり支えられようか 抱きしめあって眠るなんて高尚な真似は人間には無理

 

弱い弱い弱すぎる カスなんだ根本的に 種として致命的に劣ってるわけ だからこういう世の中にもなる

精神は醜い 肉体は脆い 体臭臭い 体毛は薄い 寿命ばかり長い ゴミゴミゴミ

全員ゴミだ 死んだ方がマシ

anond:20200608231620

人類もっと喉を退化させていこう

「そういえば3ヶ月くらい人と話してないわ」ができる世の中、理想でしょ?

https://www.tokyo-np.co.jp/article/33432

 世界経済フォーラム公表した昨年のジェンダー格差指数で百五十三カ国中、百二十一位と過去最低を更新した日本若者の怒りは、岡村発言社会問題として考えようとしない私たちに向けられている。

岡村もこの機会にジェンダー格差指数をどうやって上げるか一緒に考えて欲しい。

ジェンダー平等上位の国で性風俗のようなものが認められると思うか。

いっきり歌いたい

カラオケが3密の頂点みたいになってて歌う場所がない。

多分カラオケ解放されるのは一番最後だろう。

早く歌わせて。大声出してスト発させてくれええええええええええ!!!

anond:20200608230749

事実、困難や危険は多いだろ

健常なみの子育てを目指すなら人手も必要だろうよ、断言する

それを知って子供に辛い目をさせるなら産まないほうが幸せという考え方も広まってしまっているよね

増田にもしょっちゅうきているよね

男親だの目の見えない親へ、ヤレばデキると根性論をどんだけ並べられても女親にワンオペ育児押し付けるヤツと根幹はかわらんw 少子化が進むだけだよ

どうやって助け合うかを考えたほうがよい

anond:20200608231153

ワイは暗愚州に住むワイはキリギリス教徒やで

ユナイテッドステーツオブアリ化の国民としては異端らしいやで

anond:20200608225723

強い意見に乗っかるだけだからあいつらにそこまでの気概は無いよ

anond:20200608225130

日本だと一般的じゃないが男同士のカップル子育てしてたり、離婚して男親が親権を持ってる家庭なんかはなんだとおもってんだろ

女がやる仕事なのに男なのにやらなきゃいけなくて大変だな...て素で思ってんのかな

設定改変が分かってるメディアミックスを観るための準備運動



 観たら絶対自分は怒るだろうなと分かっている映画がある。原作小説がとても好きで、映画化の際に「そこは変えちゃ駄目だろ」と思うような根底の部分にドひどい改変をされた映画だ。予告CM開始3秒でそれが分かったので公開当時は絶対観ないと決めていたし、観るような気分になる日が来るとは思ってもみなかった。

 しか最近、「公式との解釈違い」のような文言を用いて苦しむ人々をよくSNS上で目にするようになってその映画存在を思い出し、いい機会だから観てみようかなと思った。何かコンテンツとの付き合い方における知見を得られるかもしれないし。原作版を大事に思いつつも、派生版も楽しんで愛せるような人間になれるならなりたいし……。

 観た後では感情が大きく動いて今の気持ち100%は思い出せないだろうから、観る前に今抱いている改変ポイントについての思いを書きとめておく。

 (ひとつその映画について鑑賞前から確実に言える腹立たしい点は、原作者が亡くなった途端にその映画が作られ、「映像化は不可能と言われていた名作が遂に!」みたいな売り文句付きで世に出された事だ。映像化を何度も断ってきていた作者だから余計に……今までは作者が止めていた設定企画を、もう止める者がいない+追悼とか言える勢いから好き勝手にやっただけではないのかと思う。せめて存命中の公開なら「作者はこの映画化を了承したんだな」と思えたし、そうしたらきっと作者は何かしらのコメント映画へ寄せるだろうから、それを見られればもうそれで良かった。原作レイプ(こんな言葉があったのを久々に思い出した)を通り越して屍姦みたいだ。大切な人の墓に立小便をされた気分だ。)

 映画タイトルは『悪童日記』と言う。原作小説も同題だ(海外文学の中では普通によく知られてる方だと思うので、勿体ぶった言い方をしてしまって少し恥ずかしい)。

 十年以上前、私は好きな作家たまたま雑誌でこの本に言及するのを読んで、高校夏休み中に手にとったそれに首ったけになり、ひと夏の間何度も何度も繰り返し読んで過ごした。だからこんな、映画を観るのに支障をきたすほどに思い入れが強くなってしまったんだと思う。

 しかそもそも映画化されたものをこき下ろしたい訳ではなく、映画映画として楽しめる作品にするためには原作からの多少の改変もやむを得ないというのは充分承知の上だ。だからこの作品についての改変もなんとか納得したいという思いから、今自分は何に納得いっていないかを整理して考えたく、文章に起こしている。

 (このカッコ内は余談なのでとばしてくれて構わないが個人的に、映画化された作品映画原作の順でふれた方が大抵の場合はどちらも楽しめるように感じる。原作映画の順だとカットされた箇所や改変部分が気になってしまって映画100%楽しめない事もままある。例えば私は『ジュラシック・パーク』に映画から先に入ったおかげでスピルバーグのあの映画メチャクチャ最高不朽の名作だと思っているが、もしも原作小説を先に読んでいてファンだったら、そこまで手放しで褒められたかは分からない。映画原作では構成人物もかなり別物だからだ。原作ではティムレックスティムの方がしっかり者の兄でレックスは足ばかり引っ張る幼い妹だし、Tレックスは二頭いて小さい方がかなりチャーミングだし、グラン博士最初から子供に優しいし、ハモンドさんはかなり嫌な感じの爺さんでコンピーに集られて無残に死ぬのだ。)

 改変箇所について書いていきたい。

 映画の予告から分かる改変箇所は主に「父親存在」「日記帳というアイテム出自」だ。私はこれがこの物語においてかなり重要パーツだと思っているので、予告CM開始3秒で見られる改変にガタガタ白目をむき憤死する羽目になった。

 原作小説主人公双子少年)の一人称「ぼくら」で書かれた日記形式をとっている。彼らが母親に連れられて小さい町の祖母の家に疎開してくる所から話は始まる。詳しいあらすじが知りたい人は原作wikihttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E7%AB%A5%E6%97%A5%E8%A8%98)でも見てくれ。ラストまでネタバレされてるから気をつけて。別にあらすじを知らなくてもこの文章を読むのに支障はないと思う。そういうふうに書けていることを願う。

 父親云々の話に戻ろう。

 主人公家族について、母親は冒頭から登場するし、すぐに主人公たちを置いて行ってしまうがその後、他の男の赤ん坊を連れて二人の前に現れ、どうこうなるくだりがある。二人が母親に対して色々思いを抱いていることが分かるような描写もある。

 描写があるという事は、書き手である主人公双子がそれを必要だと判断したという事だ。詳しくは後述するがこの日記はそういうルールの元で書かれている。主人公が無関心もしくは不必要だと判じたものは書かれず、必要ものけが書かれる。例えば作中の時代設定は戦争なのだがそれが一体いつの戦争なのか、年号国名地名人名などの固有名詞ほとんど出てこない。<大きな町><さな><解放者たち>などの言葉しかからない。関わる人々も名前はなく、ほとんど代名詞役職あだ名などでしか呼ばれない。双子自身名前も出てこない。彼らは大抵はあんた達、時に祖母からは雌犬の子などと呼ばれる。

 父親は出てこない。ラスト数頁まではほとんど。

 「父親の不在・不干渉」が、この小説(というか作者であるアゴタ・クリストフ作品はわりとどれも)に通底するテーマひとつだと私は思っている。そして出てこないということはそれは「書かない」という姿勢主人公たちの無関心を示しているのだから映画にも変にひっぱり出してほしくなかったのだ私は。しか作品の根幹である日記に関する部分で。一原作ファン気持ちを言わせてもらうならば。

 以下は物語終盤のネタバレとなるので、知りたくない人は読まない方がいい。

 原作の終盤、国境付近にある双子(主人公)の家に、国境を越え亡命したいという一人の男が訪れる。双子その男自分たちの父親だと気がつくが、父親は二人が自分の息子だとは気付かないまま、亡命の協力を頼みこむ。双子はそれを承諾する。国境までの間には地雷があちこちに埋まっているし、軍の見張りもある。双子は彼に地雷が埋まっていない道筋や、見張りの目の外れる時間帯などを教える。

 亡命決行の日、父親国境へたどり着く前に見事地雷を踏み抜いて死ぬ。すぐにその足跡の上を双子の片割れが辿り、その死骸も踏みつけて国境を越え、亡命を果たす。地雷国境と平行して並べられている。一度爆発した地雷国境を結ぶ線上にはもう地雷は無いので、先に一人立てるのが最も安全亡命のやり方だ。

 原作小説ではこの場面がラストだ。一人は父親の死骸を踏み越え国境の向こう側へ渡り、一人は残ってそれを日記に記録する。父親殺しと、それまで一心同体のようだった双子別離が同時に強く印象づけられて終わる。

 それなのに映画ではどうして、別れる息子達に日記帳を与えるような父親像に変え、それを受けて日記を書く子供たちに設定したんだ? 原作では双子自分たちの稼いだ金と自分たちの意志で紙と鉛筆を買い、自分たちの定めたルールの元で事実だけを、ただ必要と思われた事だけを淡々と記録し続ける。彼らは感傷感情は不必要とし、そういったウェットなものが取り払われ切り詰められた文体はこの作品の特長の一つだ。彼らの考えのもと自発的に書かれていくそ日記こそが『悪童日記』という作品となっているのだから日記帳というアイテムとその経緯は何というかかなり……成り立ちの部分ではないのか? この作品の根幹において、重要位置を占めるはずだ。

 それが映画はいきなり、別れる父親から最後プレゼントという陳腐でウェットなしろものとなる。双子は父の言いつけを守り日記を書き出す。制作側はそこに何の違いもないだろうと思ったのかもしれないが、違うのだ! と言わせてもらいたい。強く。

 日記帳は、それにものを書き続けるということは、戦時下に父とも母とも別離し粗暴で抑圧的な祖母宅に身を寄せねばならなくなった主人公双子が、初めて自分たちで選び獲得した、何かそれこそ父親教師代わり(彼らは学校にも行かない)のような、「この世界で生き抜く上で己の力になり、時に導いてくれる(と彼らが信じ掴んだ)モノ」だ。繰り返しになるがそれを「彼ら自身が」、彼らの面している世界であるところの小さな町で、そこの文具店で「身銭を切って」獲得した点が肝心なのだ。この話は平たく言えば庇護されない子供たちが、彼らの対峙する厳しい世界の中で、自身の力で何とかやっていこうとする物語からだ。

 「父親から与えられた道具」では過ぎ去りし想い出のよすがであるばかりか(感傷双子がつとめて日記から排除してきたものの一つだ)、それが上の者から与えられたという性質上、彼らにとってただの環境の一つに過ぎない。それでは全く意味が違ってしまう。そうでは無いのだ。彼らは道具がたまたま得られたから書くのでは無く、もちろん父親に言われたから書くのでも無い。書くことは彼らが生きるために必要で、だから彼らは道具を求め、書いた。「書くこと」自体彼らの周りには教えてくれる者がおらず、二人は一冊の聖書を使って独学で読み書きを学んでいった。

 「彼らが巻き込まれしかなかった環境に逆らって、初めて自分で望み獲得したモノ」であったはずなのだ、この日記帳は。「書く」という行為は。そういう意味合いがあったのだ、原作の中では……。

 そしてこれは作者の生い立ちや創作の源泉とも重なることが多いので(この作品を含めた彼女作品群は半ば私小説と呼べるものが多い)、私は映画でこんな改変をされた事について作者の気持ちを思うと、勝手にやり切れないものを感じてしまう。作者はもう亡くなっており、死者が尊重されないのは彼女作風からするとむしろ合っている事なのかもしれないが……。

 とりまとめて言えばまだ子供な上にただでさえ不自由が多い戦火の中、それが主人公たちにとっての武器であり糧であり強く生き抜くためのモノだった日記帳が、映画ではまるで父親から受け取った愛みたいなものに、ともすれば別れた父親を想って書かれているようにも受け取られるものすり替えられてしまった。かなりアイデンティティぶっ潰れではないか? どうしてそんなことをしたんだ? この日記は彼らの「書く」という意志のもとの話でしかないのにその根本を摘み取り別な物に置き換えたのは何故? 映画を観れば何か納得できる答えは得られるだろうか。頼む、納得させてくれ! 煽りではなく心からそう思っている。

 観たら本当にメチャクチャ怒り狂ってしまうかもしれないので心の準備をするためにいくつか映画レビューを読んだのだが、映画では日記帳パラパラ漫画が描き込まれている描写があるという。パ……パラパラ漫画!? と二度目の憤死をした。あの全ての無駄を省き贅肉を削ぎ落としたような原作文体淡々事実の記録しかしない所に物語的にも大きな意味が込められている事を知っているはずの制作側はどうしてそんな付け足しを? 主人公(ひいては作者)が定め、遵守してきたルールを踏みにじるような真似を……どうして……。

 

 もちろん、映画化された事によって現代日本の読者から想像もつかないような、主人公たちが生きた当時の暮らし風土感覚などを凄いリアリティで感じられる事などについては大変嬉しく思う。そういった映像表現についてはきっと素晴らしい映画であるだろうと感じられるのだ、予告からだけでも。

 主人公双子を演じる少年たちのビジュアルも、原作から受ける印象そのままと言っていい。もうそれだけでも十分以上のものだし、納得出来ない点があっても他に目を向けて感謝して観れば良いのだ……と思えるようになるまでに何年もかかってしまった。映画が公開されたのは2013年のことだ。

 私は本当にこの映画を観て納得したいし、納得出来なくてもそれはそれで良かったと思えるようになりたいと本気で願っているが、どこまでまっさら気持ちでこの映画を受け止められるかが分からない。願わくばこの物語に関する記憶を消して映画を観られたら、その後で初めて原作を読めるのなら、とても幸せなことだと思う……。でも、それは無理な話だ。

 だから私はこれから記憶思い入れも抱えたまま歯を食いしばってでも全部観て、自力で噛み砕いて納得するしかない。きっとそれはこの先の自分にとって有意義ことなんだろうが、こんな文章をジタバタ書いて整理しないと腹がキマらない位には苦しいものがあった。長くなってしまったが、読んでくれた方は本当にありがとう

 せめて映画ではラスト父親ちゃん地雷で惨たらしく死んで、主人公はその死骸を踏んづけてくれるんだろうなあ!? などとうるさく言いながら観ることにする。そういう観方でもしなかったら多分無理だ。その後言える感想があったら追記する。怒り狂っていたらすまない。

☆いきなり管を巻きまくってしまったが、小説悪童日記』はマジの名作の上にアッと言う間に読めるので、気が向いたら是非読んでみてほしい。もし面白かったなら続き(『ふたり証拠』、『第三の嘘』)もある。全三部作で、全て読むと分かる構成が本当に、本当に素晴らしいんだ。

スミスアンドウェッソン

どうにかして手に入れたら死んでる場合やない沸る

anond:20200608223816

https://anond.hatelabo.jp/20200608141818書いた増田だけど、

コンビニ人間が売れた理由は、あれを見世物小屋に群がるような人間が消費したからだ」

という前提がそもそもおかしくない?ってのはスルー

そして、私はネット感想を探し、先のような感想に満ちていることを確認して、確信に至る。

どこで見たの?それ。

コカコーラ仮説

コカコーラ仮説とは、認知されたブランドロゴを変更した場合には短期間の批判を受けるが、消費者ブランド離反は生じないとの説。

anond:20200608230332

anond:20200608225130

めちゃくちゃな理屈だな

そんな理屈だと目が悪い人間は親になれないのか

体が弱い人間は親になれないのか

anond:20200608230339

文化ってのは必要があっていきのこってるわけだ

たとえば手洗いうがいマスク病気を防ぐなんて文化

以前は真偽不明といわれていたが、今となってみればそこそこ理由があって残ってたわけ

突拍子もないふざけた文化そもそも残ってないよ 一般論として男はあんまり育児に向いてない(個体差はある)

いちおう色覚にも触覚にも根拠はあるといわれてるよ

http://plaza.umin.ac.jp/~PQJ/%E3%80%90%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E7%94%9F%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%B1%86%E7%9F%A5%E8%AD%98-%E7%AC%AC%EF%BC%93%E5%9B%9E%E3%80%91%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AF%E7%94%B7%E6%80%A7%E3%82%88%E3%82%8A%E8%89%B2%E5%BD%A9

それを勝手に変えたいのなら身体上の性差を補える大発明でもしてくれ、それこそAI育児マシンとか

男親と女親のうちどっちが繊細に現状の子供に対応できるか正確に診断できてスイッチングできる社会制度とかでもいい

虐待含めてあらゆる人間体調不良発見して通院指示や救急車をよべるスマホでもいいかもしれん

でもそんな都合のいいものはまだないよ

男親に根性論をどんだけ並べられても女親にワンオペ育児押し付けるヤツと根幹はかわらんねw 少子化が進むだけだよ

anond:20200608140825

会社ペットボトルのラベル剥がして捨ててたら会社が入ってるオフィスビルの清掃やってる人に「剥がさないで捨ててください」って言われたよ?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん