「支店長」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 支店長とは

2011-06-29

http://anond.hatelabo.jp/20110628215657

俺がその「代わりに入ってきた支店長」なんですがw

2011-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20110628130749

馬鹿だなーお前

ホント馬鹿だなーwwwwwwwww

顔出し実名アカウントで、会社の将来を考えるだの大見得切ってるツイート書いて、

昼間もiPhonetwitterチェックやってる、

そんな暇があったら、

そして本気で会社を良くしようとか考えているんだったら、

まず部下とか同僚とよくコミュニケーションとるべきだろって話だろうが。

こいつ支店長なんだぞw

40人の社員抱えてたんだぞwwww

それが毎日一人で飯食ってiPhoneツイッターなんだぞ?

どういう浮き方してるか分かんねえのかよお前w

ホント、馬鹿だなーwwwwwwww

リア充を装うって大変だね

twitterでうちの会社名前プロフィールに入れて実名出して自分顔写真まで出してる人がいる

もちろんフェイスブックもやってる

そんなひとが、有名どころのアカウントをフォローして、なんかかっこつけたことばっかつぶやいてんだけど、

実際問題、会社じゃ浮いてる。

もともと支店長だったんだけど、誰もついて来ない。

大体さ、昼休みに休憩室で一人飯だよ。

俺らはOLだの派遣だのとなりの部署の社員とわいわい飯食ってんだけどさ、

支店長ぼっち飯ってどう考えてもおかしいだろ。そこは部下と一緒に飯食いに行くべきだし。

んで、ぼっち飯しながらiPhoneツイッターですよ。おめーの友達ネットしかいねーのかって思ったわ。

で、こないだ人事が出て、支店長降格になったのね。

でもプロフィール直ってないwww

未だに支店長のつもりらしいwwwww

もうお前が座ってた場所に他の社員がいるだろっつーの。

んで、相変わらずtwitterでは会社未来を考えるだのどーだのこーだの、

なんかかしこまったえらそうなツイート書いてる。

おめえこないだ降格になったばっかだろってw

会社飲み会ではドレスコード間違えて来るし。

なに一人でラフな格好して来てんだよw

事前に相談する同僚もいねーのかよw

んで、twitterでは飲み会で浮いちゃってたなんて一言も書かずに、

やれ感銘を受けただのなんだのしゃーしゃーと書いてやがるw

おまえどうみてもあれ場違いだっただろうがよwwww

なんで専務とか常務が来てる飲み会で、周りスーツなのに、

一人でジーンズTシャツで来てんだよ、バーーーカwwwwwwwww

それでも本人はリア充のつもりなんだから、周りは大変だよねこれ。

2011-02-18

気が早いけど都知事選立候補者のリスト作るね

立候補者に不満がある方は被選挙権を行使してください。そうでなければ「ぐぬぬ」とでも言っていてください^^

記者会見による発表のみ。

※随時刷新するけど、選挙中は消えます

山口節生

職歴:不動産鑑定士政治倫理学者、童話作家
株式会社日本経済研究所代表取締役飯能支店長
政治団体東西冷戦後又左右のイデオロギーの終えん後、イデオロギーを超えてカントの『永遠平和のために』の反改憲論をよく読み、ヒットラー的自由な解散権の恐怖と核爆弾徴兵制を目指す改憲政治的強さの立場から絶対阻止する団体(略称:カント平和で親ナチ改憲阻止最高裁訴訟会)」代表
佐賀県生まれ
最終学歴日本大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程指導認定満期退学(ただし、多くの大学大学院を経ているため詳細はwikipediaを参照されたい。一般的には橋大と東大卒をアピールしている)
参考:前都知事選政権公約放送 http://www.youtube.com/watch?v=G1CR1LbGsSc

小池晃

職歴:日本共産党参議院議員、党中央委員会政策委員会責任者(政策委員長)、常任幹部会委員、医師
革新都政をつくる会」より立候補要請を受け、2月9日都知事選への出馬を正式に表明
東京都世田谷区生まれ
最終学歴東北大学医学部卒業
政治的な見解wikipedia


渡邉美樹

職業ワタミ会長学校法人郁文館夢学園理事長岸和田盈進会病院理事長
みんなの党推薦での立候補が噂され一度は否定したが、2011年2月15日に「政党の支持を受けない」と無所属での出馬を正式表明
最終学歴明治大学商学部
出馬の理由としては自分の培った経営能力企業を超えた枠組みで活かしていきたいことを挙げた。公約の一つとして「高齢者が安心して年を取ることのできる社会の実現」としている。また、高校生10人に1人を1年間留学させる構想などを教育改革として語った

2011-02-09

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110208/k10013932541000.html

石川議員裁判支店長が証言

民主党小沢元代表の政治資金を巡って石川知裕衆議院議員らが起訴された事件の裁判で、検察小沢元代表の資金を隠すための偽装工作だと主張している銀行から融資について、銀行の元支店長法廷で証言し、「土地の購入資金を詮索されないためだと思った」などと述べました

衆議院議員石川知裕被告(37)は、小沢元代表の資金管理団体陸山会」が、土地の購入資金に充てた4億円を巡り、元秘書2人とともに、収支報告書にうその記載をしたとして政治資金規正法違反の罪に問われ、7日の初公判無罪を主張しました。8日の裁判では、石川議員土地の購入代金を支払う前日に、預金を担保に4億円の融資を申し込んだ銀行の元支店長法廷で証言しました。この融資について、検察は、小沢元代表から提供された4億円を隠すための偽装工作だと主張していますが、元支店長「通常は不動産を担保にするので、一般的ではないと思った」と述べたうえで、陸山会土地の購入資金を持っていることを詮索されないためだと思った」などと、検察の主張に沿う証言をしました石川議員側は、この融資について「不動産を購入する場合陸山会で以前から行っている方法だ」などと述べ、全面的に争う姿勢を示しています。裁判では、今月24日から石川議員らの被告人質問が始まります

これって、銀行から4億円の融資を受けるために手持ちの4億円を担保にしたって事?

そんな事した金利の分だけ明らかに損すると思うんだが、こんなやり方を「以前から行っている方法だ」と言ってるの?

2011-01-09

投信を通じて日本労働環境に一石を投じてみる提案

どうやらエコロジーかに注目した投信運用成績が芳しくないらしい

まあ、2010年は「CO2が温暖化の原因である」という前提自体が崩壊するような事件がいくつもあり、エコロジー自体がなんか胡散臭いイメージを醸し出し始めた年でもあった。それと、きれい事だけで株価は上がらん、ということか。

さて本題。

世の中では「ブラック企業」とやらが幅を利かせていると聞く。ブラック企業とは http://jobranking.sakura.ne.jp/black.htm

サービス残業休日返上が当たり前の社風

・その割に給料が安い、残業代が出ない (年収は30歳で300万円前後

・入社後の離職率が高い(大量採用、大量退職を繰り返している)

・他人に勧められない。

・体力勝負で数年後にボロボロになってポイ捨てされる

病気になる、倒れる、過労死する、仕事絡みで自殺した

・30歳近くになって給料が上がってくると首を切られる

労働組合会社の言いなり。

社員の吊るし上げ、イジメ見せしめがよくある

親族・友人の冠婚葬祭への出席もままならない

社員同士の裏切り(告げ口、チクリ)をさせている

会社の諸経費を社員が自腹を切り、会社に請求できない(その額が多い)

理不尽だらけの仕事内容。

社員を、恐怖感、危機感、不安感で操ろうとする(暴力もあり)

社員は恐怖心で、自由にモノが言えない、凹ませられてオドオドしている

恣意的な人事があり、金儲けの為なら、当然クビになる社員不祥事を揉み消す

支店長の一声で突然解雇労働基準法違反見せしめ解雇濡れ衣解雇、悲惨な解雇がある

・辞めると決めた社員ノイローゼ寸前までいじめて、精神的な打撃を与えようとする

・辞めた社員の悪口やウソを、残った社員に言う ネットなどで辞めた社員を中傷をする

・「○○に住めなくしてやるぞ!」などの脅し・嫌がらせをすることがある

・辞めた社員転職や次の仕事邪魔・妨害をする

・辞めた社員に心の傷(トラウマ)が残る

労基署警察事情聴取が入る

自殺過労死で遺族に訴えられた

まあこんな感じなのだが、このブラック企業、いつまで経ってもなくならない。1つは労働基準監督署が怠慢だということもあるのだが、もう1つはブラック企業の方が一般的に利益率が高く(社員から搾取してる分な)、株価が上がる、つまり株主にとって有り難いからだ、ということも挙げられると思う。

で、証券市場からブラック企業に圧力をかけることはできないだろうか、と。

そこで考えた。投資信託を組成して、こんな運用をしよう。

愛称 ■ 黒熊

国債などの安全性の高い資産ベースにして、ブラック企業の株を空売りします。

・おおむね、当該ブラック企業の値動きの正反対の値動きを目指します。

また、発展系として、

愛称 ■ 黒熊Super

・当該ブラック企業と同一セクターに属する、比較経営健全性の高い企業現物株をベースにして、ブラック企業の株を空売りします。

てのも。後者は大ざっぱに説明すると「NTTドコモ株を現物で持って、ソフトバンク株を空売りする」ようなもんだと理解していただければかまわない。

で、これらの投信が好成績を出せるかどうかと言われると、短期的には正直微妙かと思う。

というのは、景気後退時には、短期的にはブラック企業の方が耐性が高いと思われるからだ。

それでも、このような投信がある程度の資金量を集めてまとまった動きをすれば、長い目で見ればブラック企業の株を買うという行為のリスクが上がるため、株式市場を通じてブラック企業群にダメージを与えられたりしないだろうか。

なお、ブラック企業の選定は、目論見書には「消費者参加型サービスから企業の評判を抽出ネガティブ企業を空売る」などと最もらしいことを書いておくが、ぶっちゃけ2ちゃん就職レベルで行うw

2010-10-16

支店長が閉店モードっぽい。目先の数字操作がついに破綻した模様。俺には関係ないか。

2010-08-17

2年勤めた会社を辞めて、1年経った。

別に面白い話じゃない。

25歳、男。

工業高校出て、専門学校行ったけど色々あって、工業高校先生に頼んで就職した。

その会社で割と居心地は良かった。今思い起こすと、だけど。

自分が「使えない子」だったのが悔やまれる。

そもそも働きたくなかったし、会社で何をするのかとかもよく分かってない。

でも、中途採用だったから、研修とかも無かった。

事務所に居るときは、基本的に「仕事は無くても自分で考えて仕事しろ」

上司に何か聞いても「今の君に預けられる仕事は無い。資格かなんかの勉強すれば?」

先輩方は「掃除でもしてれば?」「掃除するなら仕事しろよ」「俺から渡す仕事は無いけど、給料もらってんだから働け」

最終的に自分の机でじっと座って、定時を待つ日々になった。

おはようございます」「お疲れ様でした」しか、会話ないのが何週間とかざらだった。

たまにコピーとか、データ入力とか頼まれて、時間が潰れて嬉しかった。

時間あるんだから、何かすれば良いのに「必要とされてない感」が凄くて自暴自棄になってた。

現場に出ると「何も分からない」

でも、やることがあるのは嬉しくて、結構楽しかった。

分からないことが多くて途方にくれることもあった。

しばらく続いた現場が終わると、事務所に戻ってPCの前に座る。

現場に行ってたときに気になったこととかを、最初の一ヶ月は調べたり勉強したりする。

でも、すぐに朝からPCの前に座って定時を待ってた。

何ヶ月かおきに現場と事務所が続いた。

ずっと現場に行きたかったけど「費用がかかるからダメ」だった。

現場に行ってた方が何倍も良いと思ってた。

呼ばれないのは、たぶん事務所での勤務態度が悪かったせいもあると思う。良くは無いだろうし。

一日中2ch見て帰ったりしてた。

会話は「おはようございます」と「お疲れ様でした」だけ。

ああ、会話じゃないな。挨拶だけだった。

それに、別に現場に行って何かできてるわけじゃなかった。

現場会計的な事もあるから、一概には言えないけど。

自分から積極的に学習できなかった。

昔からやらされる勉強は嫌いだった。

でも、読書は好きだった。

あの頃は、漫画ラノベ自己啓発本ばかり読んでた気がする。

自己啓発を読んでは「明日はがんばろう!」って、出勤して「いつも通り2ch見てた」

それに、居眠りもしてた。

上手く言えないけど「居眠りするつもり無いのに、気がついたら寝てた」ポルナレフ状態。

前の晩寝不足とかそんなレベルじゃない。いつ寝ても変わらない。

寝そうなときは、抵抗することは不可能。

少しすっきりしながらビクっと起きて、何も無かったように仕事を続けた。

午前10時頃や15時頃とかが、多かったから食後だから眠いんだろうとか思ってた。

実際デスクワークで、単調な時くらいだったし。

上司に注意されたときも「ちゃんと寝てるんですが、すみません。気をつけます」としか、言えなかった。

気になって睡眠時無呼吸症候群検査をしたけど、関係なかった。

念のため精神科睡眠薬を貰った。

改善しなかった。

その時貰った一ヶ月分飲んで、その後行かなかった。

しばらくして、少し大きなプロジェクトで、出張になった。

飛行機で移動して、行った事もない地域支店に勤務することになった。

建前は「他の支店からの応援」

実際は「ほとんど素人だけど、出張手当はつく奴」

お酒が飲めなくて、そこまで社交的じゃないから、色々大変だった。

特には、自分とは別の支店からの応援者と寮で同じ部屋になった事。

その応援者と同じ部門、同じ部屋、同じ車で通勤

その人(以下、Aさん)とは、最初にあった日焼肉屋で晩ご飯を食べた。

Aさん曰く

「俺は後輩がふざけたことして、現場仕事バックれたとき、会社まで行ってぶん殴ってやった」

「でも、俺に処分は無かった」「俺は、寮での生活は仲良くやって行きたい」

「少しでも気になったことは、すぐに言ってくれ。俺もそうするから。」

嫌いなビールを飲みながら話を聞いていたが、社会経験の乏しい自分にとって強烈な印象だった。

後半の寮の生活の話はいいと思うけど。

前半を言う必要があるのか分からなかった。

前半を踏まえると、後半も意味をなさないじゃないか。

結局、強い奴には低く、弱い奴には強く当たる。スネ夫社会人にしたような奴だった。

案の定、毎日のストレスの原因だった。

さくっと省いて一年後、プロジェクトも終盤になってきた。

自分はどうしようもない状態になっていた。

のび太レベル

もともと、仕事できないのに加えての色々なストレス

寮は3ヶ月で出た。(異例。普通なら出られない)

引っ越して、安い軽を買って、一人で通勤するようになった。(一人通勤も基本的には禁止)

しかも、居眠りも続いていた。

そして、一日バックれたりもしてた。

確実に「居ないほうがいい金食い虫だった」

頭を使わない仕事を、1日やっても終わらなかった。

量も多少あったけど、集中力が低下しすぎて、何回やっても修正点が出た。

一日バックれの理由も、昨日の仕事が終わらなくて家に持ち帰ったけど、終わらなかったから。

その時の仕事量は、本当に2~3時間で終わる量。

居眠りも、ナルコレプシーを疑ってリタリンを飲んでも、普通に寝てた。

半分覚せい剤っぽい扱いのリタリンで効かないのはショックだった。小麦粉かとか思った。

内科に行っても「居眠りなら前のちゃんと日寝るか、昼休みに走ったりすれば?」で、馬鹿にされて終わった。

睡眠時の脳波とったりしたけど、異常なし。

でも、かくんかくんって居眠りしてた。

そんな時、先輩の一人に心療内科を紹介してもらった。

病院に行くこと自体面倒がだったけど、そこで貰った薬は効いた。

まず、居眠りが無くなった。

コレだけでも、嬉しかった。

そして、仕事が次の段階に入り、デスクワークから現場が主になった。

現場に入るようになって、自分デスクワークで「何をしていたか」が分かってきた。

自分が居る部署を班分けして、厳しい大先輩と一緒になったが、むしろ嬉しかった。

「その仕事ぶりを盗んでやる!」とか、思ってた。

1週間ぐらいで、自分がしている仕事の内容が把握できて来た。

正直遅すぎたけど「今から挽回してやろう」って思った。

その時は基本的には、すぐ上の先輩と後輩とで3人で動いてた。その後班で動いた。

現場備品管理とか、図面の準備とか、毎日の雑務

そして、自分支店への報告書をまとめ始めた。

先輩への報告もしてるうちに、先輩からの指示が集まってきた。

大体の動きが分かると、二人への指示をするようになった。

一方の大先輩との仕事も、楽しかった。

すごい人だったし、自分がやった所を褒められたりしてた。

で、このまま、調子のいいまま終わりを迎える。なんてことは無かった。

Aさんが邪魔してきた。

細かいことは多々あるけど、よくわからない。

たぶん「Aさんを頼りがいある先輩として扱わなかった」からじゃないかと思う。

てか、自分は関わりたくなかった。

嫌いだった。

「教え方」「普段のシモネタ」「毎日聞こえてくる不気味な笑い声(寮に居たとき)」

「フロで湯を抜いた後垢まみれで放置する(最初に洗って入るから、出るときは洗わない)」

全部嫌いだった。

最初の日の武勇伝が引き金だと思う。

「後輩からは尊敬されたくて仕方ないのに誰も居ない」そんな人に見えた。

(曲がりなりにも先輩の一個上の先輩に対して、指示をすること自体Aの怒りを買っていたらしい)

(「三人で動けとの俺の指示を無視してやがる上に先輩に指示とかありえん!」って、でも自分では必要だった)

自分からは、関わらないようにしてた。

そこが一番の原因だったかもしれない。

そして、現場喧嘩になった。

現場の単三電池が切れてるんだけど?お前が備品担当だよな?」

「それは連絡済です」

「いや、今無いんだから、ダメだろう」

すみません自分のは電池ありますんで使ってください」

「今は使わないよ」

「はい?今必要ないんですか?なんなら発注の確認とりましょうか」

「そうゆう問題じゃねーだろ!取りに行ってでも用意しろよ!」

口論の末、腕に怪我を負わされた。(軽かった、擦り傷レベル

単三電池はライトか計器に使う奴。

電池が切れても他の機器で代用できるし、緊急で使うなら、あるところにはある。(最悪コンビにもあるし)

けど、自分はぶちぎれた。

その場は、自分は手を出さないで終わらせた。

「コレで合法的にあいつにダメージ食らわせてやる!」とか思ってた。

言われる事はやってたし、自分仕事もしてたつもりだった。

上の先輩や、出張先の上司にまで「俺は悪くない!あいつがいちゃもんつけてきたんだ!」って、敬語で説明した。

でも、怒られたのは自分だった。

「結局、Aが怒ったんだから、お前が悪い」だった。

その上「回りに喋って面倒くさくしやがって、何してくれてんだ」って、雰囲気だった。

自分子供過ぎたんだと思う。

失望と絶望で、余計にムキになった。

労働基準局とかあの辺に相談したりした。

結局、上の人から煙たがられる事になっただけだった。

そして、プロジェクト終了前に突然の出張終了。

でも、いい出張だと思った。

Aさんがすごいむかつくけど、備品段取りは大切だし。

ある意味、先輩の対応ミスった自分が悪い部分もある。勉強になった。

最後最後は濁したけど、途中得るものは多くて、次に生かせば問題ないと思ってた。

次は無かった。

まあ、その前に辞めたんだけどさ。

後は薬を飲み始めてから、動けるようになった事が問題だった。

居眠りは収まってたし「いつも飲んでるビタミン剤」だと思うようにしてたけど。

「薬のせいで、調子に乗りすぎたんじゃないか」とか。

だんだん量を減らせばいいんじゃない?」とか。

「薬なんて飲まないほうがいい」とか。

家族からは心配された。

でも、薬を飲んでから頑張れた自分を、否定されたような気がした。

飲んだ時と飲む前とどっちがいいのか、今でも分からない。

出張が終わり、もと居た事務所でしばらく過ごしていると。

社長から「この先10年の計画」なるものの会議があるらしく、そのための支店会議が始まった。

薬のおかげか調子に乗っていた自分は、割と乗り気で会議に出た。

自分が何かする訳じゃないけど、どんな風に上役達が会議をするのかとか、楽しみだった。

けど、期待はずれだった。

会議の内容は「社長が変なこと始めたから、上手い回避方法考えようぜ!」だった。

学校学芸会か何かじゃないんだぞ?って思った。

期待してたぶん落胆も大きかった。

そんな流れで、支店長と話をした。

支店長のことは好きだった。

結果を出してきた人で、言うことに説得力があった。

感極まったのか、支店長に思いのたけをぶちまけてしまった。

すると「俺の任期は長くない。俺がもう少し若ければ、お前に「少し辛抱してくれたら何とかしてやる」と言えるんだが」

それが答えだった。

気がついたら、辞表を出していた。

こんな所になんて居られない。

誰かをどうこうするなんて、悠長なことやってられない。

ってゆうか、そんなこと無理だろう。

じゃあ、辞めるしかない。

自分でやればいいだけだ。

支店長は「お前の決断を、俺は支持するよ。俺個人としてな」

すんなり辞表は通った。

整理をした後、実家に帰った。

自分勝手に辞めたのに、両親は優しかった。

辞めてすぐの半年は何をしていたか思い出せない。

今年の年明け頃から、遊び始めてた。

6月頃に、薬を辞めた。

医者には通っていたが。

嫌になって辞めた。

副作用があったけど、無視した。

そして今に至る。

最近、何もやる気が起きない。

何か仕事を始めようとしても、その分野の欠点を調べて言い訳の材料にしたりしてる。

就職するにしても「空白の一年の説明できないな」とか。

ネットで知り合った人と話をしても、その時満足して終わることが多い。

昔から、口だけだった気がする。自分が。

特に実績を残してないし、残せる保証も無い。

とゆうかそもそも、俺のび太だろ。

ダメダメだろ。

何かをやり始めるきっかけを待ってるだけのか。

何だこれ。

白馬王子様待ってるのと同じじゃないか。

待ってるだけじゃ意味ないのに。

自己啓発本は買ってるけど、半分も読めてない。

最近何も手につかなくなってきた。

惰性のブラウザゲーム2ch時間をつぶしている。

実際、やりたくないことしないで好きなことできる状態なのに、やること無くて不満とか。

なんなんだよ。

そして、この匿名日記のことを思い出して書いてみた。

次に動くことのきっかけになればと思って。

あれ、コレすらも、ただの雑記であって、何も変わらないだけなんじゃないか。

この煮詰まりを打破したい。

2010-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20100624211123

なんかいろいろと俺の意見が叩かれてるみたいだから

きちんと説明しなきゃいかんかな。

それぞれの個人の意見に相違があって不利益が生じるとき、

それぞれ個人の範囲内で不利益が完結するのであれば、

意見を戦わせてもお互いの価値観がわからないなんて状態も問題はない。

(↑これもかなり重要)

しかし、会社とかそういう集団で

社会に対して価値を認められようとしたときは別だ。

……………………………

例えば、生まれつき茶髪の人が保険屋の営業だったとする。

ご年配の方々を対象とした保険プランを、

飛び込みで持っていったときに怪訝な顔をされたとする。

でそこで、「あなた髪染めてるの?」と聞かれ

「いや、コレは地毛なんです」と応え

「あらごめんなさい私てっきり染めてるのかと」という

応答が出来る状況ならまだいい。

相手が勝手に「この人染めてるんだわ」と解釈して

契約がとれなかったとする。

社内で、その契約がとれなかった理由がわかったときに、

「ほかの契約がとれない理由もそれかもしれない」という状況で

リスクを軽減すると言う意味

「黒く染めた方がいいんじゃないか」と言う人がいるとする。

「いやでも、生まれつきの髪を染めるなんておかしいですよ」と

周りの人が言ったとしても、

「じゃあ今回の件のように説明する暇もなく契約がとれなかったらどうするんだ」

という質問に、

「そういう茶髪に対して偏見を持つような客の契約なんてとれなくてもいいですよ」

支店長がいえるだろうか?

まず言えない。少なくとも俺が支店長だったら言えない。

それを非寛容、近視眼的と言われるのもどうかと思う。

……………………………

茶髪が原因で契約切るような客なんて確率的に低すぎるよ」

といっても、1件でも契約が欲しいのが普通

考えられるリスクは軽減するべきだと思う。

それでも生まれつき茶髪の人を不当に染めるなんておかしいと思えれば、

何かしらの方法で、茶髪でも問題がないような対策をとる。

例えば、クールビズというイメージ認知されたことで

営業の人でもネクタイをしめなくても良くなってきた。

そういう風に茶髪イメージが変わればいいんだけれど

その啓蒙は誰がやるんだ?

……………………………

別に、茶髪が受け入れられる職場だって世の中にはあるだろう。

そこで働くならなにも啓蒙する必要もない。

自分の周りの人に自分茶髪が認められて、

それでいいと言うなら俺も批判しない。

でも、元記事の対象が「差別社会日本」だからな。

これは不特定多数に対して訴えてるわけだ。

日本全体で見るなら、そう簡単にはなくならないと思うよ。

クールビズだって、認知されてるのにもかかわらずネクタイはなくならないんだし。

上の例のような不利益を、元記事の文章を読んだだけでは

俺は先天性茶髪よりもささいな問題としては考えられない。

多くの人に共感してもらえるように言わないとだめじゃないの?

と言いたい。

……………………………

先天性茶髪があるという事実に対して否定的なんじゃない。

「それを認知させる方法」や「不利益なことを避けるための対策」

を考えるときに、寛容な精神だけでは心許ない、ということが言いたいんだ。

例えば「先天性茶髪がどれくらい多くいるのか」ということも

認知させるのに十分な説得力を持つだろう。

そういう啓蒙の仕方がいいのではないか、と言いたいんだ。

……………………………

長くなってしまったので、

「顔真っ赤w」とか言われるかもしれんけれど、

ちゃんと読んでくれればまあそれでいいや。

それでも俺が曲解してたりおかしいこといってると思うんなら

ぜひとも教えて欲しい。

2010-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20100520105953

いじめっ子の話にインスパイアされたので書く。


僕は子供の頃、いじめられっ子だった。

体も小さくて足も遅く、引っ込み思案で一人の思索の世界に漬かりこむタイプだったからだ。

学校でも目立たない。体育もできないし、面白いテレビの話もできない。得意なのは国語と算数だけ。



小学校2年生の時、ひどいいじめにあった。

いじめっ子が3人組で、いつも一緒の方向に4人で帰って、その途中でやられるのだ。

殴る蹴るとかではない。耳をよじったり、腹をつねり上げたり。

そしてどぶ水を舐めされられたり、犬にキスしたら許してやる、という。

いじめっ子ちんちんも舐めたし、猫の肉球も舐めた。

好きな女の子には馬鹿にされたし、クラス中が僕のことを指してひそひそ噂してた。

いつも後ろめたく生きていた。



4年生になってクラスが分かれて、いじめっ子と離れた。

彼らのことは深く怨んでいたし、そこに誰も手を差し伸べてくれない環境自体を恨んだ。

その恨みは内面に向かい、僕はいつまでも引っ込み思案だった。

得意なのは国語と算数だけだった。国語と算数だけはそんな僕が唯一達成感にひたれる場だった。



6年生になって、担任の先生が、中学受験を勧めてくれた。

僕は、近所の中高一貫私立に合格し、小学校の頃の、あの、冷酷な環境から離れた。

新しいところは、学力ヒエラルキーだけが支配する砂漠だった。

幸い、勉強ができた僕は、その環境の中で、人に評価され、尊敬され、人に優越し、人に上から接することをはじめて覚えた。

小学校の時のことは記憶の底に深く沈んで行った。



嫌な思い出が多い田舎から離れたくて、大学東京に行った。

国立大学法律を専攻した。体育会系運動部に入った。

人に高く評価され続けるためには、その道が一番手っ取り早いと思ったからだ。

そのころには、小学校の時の恨みはもうなくなっていた。

誰はばかることない社会的評価。真正面から僕をバカにできる人はそう多くない。

基本的に自分存在に自信を持てる自分になっていた。

にこっと笑いながら「小学校の時は、いじめられっ子だったんですよ」というと、誰もが驚いた。



銀行就職した。振り出しの支店も良好、支店長は役員当確と言われた男だった。

僕は割に早い段階で本店に戻され、それ以来、まだ支店に出たことはない。

多忙だが充実感のある仕事をしている。日々解決すべき課題は多く、そしてそれぞれが重要だ。

一つ一つの決定はよほど重要なものでない限り瞬間に行う。そうでなければ仕事が回らない。

どういう決断をしたかは全て思い出せるけど、いちいち細かいことにかまってはいられない。

そんな日々をもう十数年続けている。



そんなある日、不良債権査定案件が来た。決算書を見て、ぼろぼろの会社だった。

誰が見ても厳しい対処が必要になるよね、そう思ったところで、案件を持ってきた部下が言った。

ガッツがある経営者なんで、なんとかならないか、と店から言ってきてます。」

経営者名前と経歴を見たら、まぎれもなく、小学校2年生の時のいじめっ子の一人だった。



僕は即座に答えた。「駄目だよ。一目瞭然だ。早く対処しないと。」

それは、いちいちかまっていられない、日々の案件の一つだった。

うちの銀行が切れば、多分終わるだろう。彼の家族も路頭に迷うかもしれないし、本人もどうなるかは分からない。自殺するのかもしれない。

でも、僕の職業ルーチンの一つとして、それは処理されていく。



僕は、その時の判断に私情はこめていない。

日々数限りなく、瞬間にかつ合理的に行われる判断の一つだ。

僕は判断する側であり、彼は判断される側の人間だ。

ただそれだけのことだ。



彼が死を選んだと知ることがあったら、僕はどういう思いでその知らせを聞くのかどうか、とは思うけれども。

2010-04-19

「金くれ」サイト銀行窓口のお姉さん

去年の10月ころ、「金くれ」というサイトが、はてなブックマークを賑わせていた。

http://kanekure.ssig33.com/

http://b.hatena.ne.jp/entry/kanekure.ssig33.com/

金を乞うメッセージとともに自分の口座番号を晒し、見ず知らずの見物人から、現金振込があるのを期待するという趣旨だった。

「金が欲しい人リスト」を見ていたのだが、大手メガバンクネットバンキングで、つい興味本位で口座の照会を何十回もしてしまった。支店名と口座番号を入力すると、口座の名義が表示されるだけなのだが、どんな名前の人が「金くれ」に登録しているのか知りたかっただけだ。名前だけしか知ることができないから、何に利用できる価値もないのだが、とにかく面白半分で立て続けに口座番号を入れては、本人と思われる名前が表示されるのを見て、薄気味悪い笑いを浮かべていた。一人だけ、心打たれるメッセージを載せていた人がいたので、数千円だが、恵んでみたりもした。それからまた口座照会してニヤニヤ。

すると、何十回かくりかえしたあるとき、

「所定回数を超える口座確認を行ったため、お客さまの口座名義確認取引をロックしております。」

とのメッセージが表示された。それからというもの、ネットから本来の目的での振込をしようにもできなくなってしまった。最寄の本支店窓口にて口座名義確認ロック解除を申し出ろという旨のメッセージが表示されて、いっさいの処理を受け付けてくれないのである。口座を持っている支店電話すると、代表口座の届出印と、キャッシュカードまたは通帳、それに本人確認書類を持参して窓口に出頭せよと指示された。なんという面倒なことに……。

ネット三昧のひきこもり昼夜逆転の生活で、銀行が開いている時間睡眠時間と重なるのだが、あれから半年ネットで振込ができない状態が続いたため、無理して早起きし、通勤中の会社員に混じりながら、朝一番の銀行に出かけた。

窓口に呼ばれると、「口座確認ロック解除依頼書」なる書類が差し出され、これに記入せよというので、住所、氏名、口座番号を記入する。捺印欄がありそこに押せば書類は完成なのだが、印鑑を私から受け取ったお姉さんはなかなかそこに押してくれない。肌の具合を見ると30歳を上回ってはいるだろうが、ハッと息を呑むような端正な顔立ちの女性で、僕はちょっとめまいがした。こんなふうな美人と口を聞いたこともなかった。ふだんは活動時間外で、朝の銀行に来ることなど考えもしなかったが、来てみるものである。

身分を証明できるものを出して欲しいというので、免許証を財布から取り出し、おずおずと渡した。僕の名前、住所を、この美人のお姉さんが頭の中で読み上げていると思うと、胸がざわついた。

「それで、事情を聞かせていただきたいのですが」と、彼女は切り出した。「どうして口座照会を、既定の回数を越えるほどなされたんでしょうか」

瞬間、「ごめんなさい」と頭を下げ、いたずらをして怒られる小学生に僕は戻っていた。デスクの上に目を落とすと、お姉さんの指がそこにはあった。爪はマニキュアで綺麗に整えられ、ネイルアートがほどこされていた。お姉さんは、この綺麗な爪を、男の背中に立てたりするのだろうか?きっと綺麗だから、彼氏だっているのだろう。向こうにいるイケメンの既婚者と不倫を楽しんでいるかもしれない。それに引き換え、ネットに引きこもっている僕と来たら……。

「あの、か、か、金くれって……」 と言いかけて、やめた。お姉さんはとてつもなく怪訝な表情で、僕を上から見下ろしているようだった。ネットの出来事を説明して、このリア充っぽいお姉さんにとても伝わりそうになかった。

「口座番号を何回も入れてしまったのです」としか言えなかった。ところが、「誤入力を何回もしたってわけじゃないんですよね?」となかなか引き下がってくれない。納得させなければ、書類に捺印してくれないので、いつまでたっても銀行を出ることはできない。しかし、むしろそのほうがいいかなと心のどこかで思い始めた。なぜなら、綺麗なお姉さんと間近でしゃべる幸せを僕は今手にしているのだ。ちょっと答えに窮した態度をとったり、机の下を見てモジモジしてみたり、われながらキモイなあと自嘲気味の薄笑いを浮かべてみた。小学生のころ、わざといたずらをして、おっぱいの大きな音楽先生に叱られる快楽を僕は知っていた。誰にも関心を払われない子供でも、いたずらをすれば注意を自分に向けることができるのだ。この瞬間だけは、舞台に上がれるのだ。

お姉さんは首をかしげたり、小さなため息をついて、うっすら軽蔑の表情を浮かべているように見えた。それがまた心地よかった。できれば罵倒してくれないだろうか、口汚くののしってくれないだろうか。

しかし、支店長らしきオッサンが奥から出てきたので、あわてて重い口を開き、下らないゲームを終わらせることにした。

お姉さんは、やっと許しを与えてくれ、きらきらと爪のラインストーンを光らせながら、僕の印鑑を書類に押した。銀行の外に出ると、春の太陽がまぶしく、それぞれに目的を持って歩いているらしい人々を照らしていた。

「そろそろ働こうかな」と思った。

2010-03-22

阿久根市長はたいしたものだが、京都市長も負けてはいない。

たとえ話

(1)

客 「おい、チーズバーガーチーズが入ってないぞ。」

店長新人がヘマしました。すぐにクビにします。」

客 「そんなことじゃなくて、これ交換しろよ。」

店長「私がしたことじゃないですよ。交換はできません。責任は取らせますから。」



(2)

客 「修理をしてもらった車にキズがついていたよ。」

店長「あの車は新人がやったんですよ。すみませんね。工業科卒のくせにだらしない。」

客 「タダで直してよ。」

店長「そんなことできません。その新人は辞めさせます。」



(3)

預金者「この間、預けたお金と通帳の額面が合わない。」

支店長新人行員の不始末です。使い込みがありました。」

預金者「補償はしていただけますよね。」

支店長「窓口のことまで私は知りませんよ。お気の毒ですが、銀行責任はありません。」



(4)

顧客「あなたが責任者ですか。納期遵守率と不良率のどちらも水準以下ですよ。」

部長担当者を変えました。」

顧客「それでは説明になっていない。改善できなければ、取引を打ち切りますよ。」

部長「・・・。(俺の責任じゃないのに。次の担当者次第だな。)」



(5)

警部「あんたの組員がやった事件だ。来てもらうよ。」

組長「たしかにアイツはウチの新入りだが、不始末を起こしたからには組のものではない。」

警部「あなたが指示をした証拠もある。ご同行を。」

組長「組長だから命令はするさ。やったのはアイツだ。ワシは知らん。」【※1】

トラブルが起きたなら責任組織が負うものだ。上のような話は常識的にありえない。

商品もサービスも、店(組織)に依頼をしたのである。担当者能力、外部の状況に関わらず、店は依頼を履行する責任がある。店長に当然責任があるし、謝罪した上で相応の責務を果たすものだ。さらに上位の組織会社)が対応する場合もあるだろう。そもそも組織のトップが逃げていては部下はついてこない。


しかし、公務員にはそんな常識が通用しないらしい。

最高裁の決定から1ヶ月が経とうとするが、あまり話題にならない。

京都市に納税をして子供学校に通わせる親として、これでは不安が募るばかりである。

教諭分限免職取り消し確定 最高裁、市側上告受理せず



 京都市小学校で2004年4月から1年間の条件付きで教員採用した男性(36)について、「指導力不足」を理由に分限免職とした市教育委員会の処分の適否が争われた訴訟上告審で、最高裁第1小法廷金築誠志裁判長)は27日までに、市側の上告を受理しない決定をした。男性の処分を取り消した一、二審判決が確定した。決定は25日付。

 2008年2月の一審京都地裁判決は、男性が受け持ったクラスが「学級崩壊」状態になった点に触れ「指導が不十分な面はあったが、適格性に欠けていたとはいえない」と指摘。「市教委の裁量権行使は誤りで違法」として処分を取り消した。

 昨年6月の二審大阪高裁判決も「分限免職を検討する際には、将来成長していくだけの資質能力があるかどうかとの観点から判断すべきだ」として、一審の判断を支持した。

 二審判決によると、男性は04年4月に採用され、5年生の担任になった。市教委は「指導力が著しく不足しており、保護者の信頼を喪失した」などとして05年2月、男性本人に同3月31日付の分限免職処分を通知した。

http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010022701000596.html

2010/02/27 17:55 【共同通信

この事件をまとめるとこんな感じ。

他の自治体講師経験を積んだひとが、2004年に京都市小学校教員として採用された。どの組織でも同じことだが、新卒より中途採用の門戸は狭い。水準以上の能力は見込まれて採用されたはずである。

ところが、最初に担任をした5年のクラス学級崩壊が進む。学校教育委員会もこのクラスに効果的な支援ができずに、クラスを立て直すことに失敗した。先のたとえ話で言えば、学級崩壊はこの学校組織責任であるが、上司である校長は、教育委員会に担任教師に全責任があると報告。教育委員会はこの教師に自主退職を勧告。その後「分限免職処分」、つまりクビにした。



この教諭は前の職場では日教組社会党民主党系)に加入していた。京都市日教組はないので組合未加入だったが、免職後に京都市教組(共産党系)の支援を受けて分限免職の取り消しを求めて提訴。

 ↓

公判中に京都地裁和解を勧告。(行政裁判和解勧告って?市側の敗訴が見えていたから、裁判所が配慮したのでは?)

 ↓

何を勘違いしたのか、京都市は勧告を受け入れずに裁判継続

 ↓

市教委が主張する複数の免職理由が「免職理由に当たらない」「事実でない」「管理職客観性がない」と京都地裁が認定して、さらに管理職責任も問われて、市側の全面敗訴。

 ↓

京都市控訴。これまでの主張を繰り返す。

 ↓

大阪高裁京都市側に不利な認定を付け加えられて、市が全面敗訴。

 ↓

京都市が上告。

 ↓

最高裁があっさり棄却京都市の敗訴確定。

 労働法規の常識から考えてこの裁判京都市が勝てるはずがない。日本は末端の担当者をクビにすればいい国ではないからだ。【※2】

 教育委員会は「主張が認められず残念」とコメントしたらしいが、最高裁を相手に反省がないのは立派なものである。教育委員会が無能な職員を免職するという立場をそれほど強硬に主張するならば、無能なこの校長教育委員会裁判担当者と労務担当者をまとめて分限免職にしたほうがよい。自分たちは特別だから、法規を守らなくていいと考えているのだろうか。学校社会の中で特別に位置づける態度があるならば、それ自体がひどい慢心である。

ここからはぼくの推測だ。

 京都市はなぜこの勝てない裁判を強硬に続けたのだろうか。この裁判のようなケースは京都市にとって(特殊事例ではなく)良くあることなのだろう。裁判になったのは氷山の一角で、同様のケースをすべて法令遵守するとおそらくは体制が維持できないのではないか。この裁判からは上司が部下を追いつめるだけという、京都市の惨めな職場環境【※3】が想像できる。教育を担う組織が、部下・後輩の人材育成に興味がないなんて異常事態である【※4】。学校組織を活用するという考え方があるなら、教育の質を教員個人の資質に偏重して求める「スーパーティーチャー」なんて制度を市が作れるはずがないし、この裁判の流れからは、京都市教育委員会における人材の払底ぶりが見えてくるのである。

さらに邪推する。

 学級崩壊は担任教師の資質だけで起こるものではない(これはあきれた幻想である)。仮に「頼りない教師」であっても、組織校長教頭、教務、主任、学年団)で対処できるし、しなければならない【※5】。もちろん、児童集団の性向は重要な要素である。小学校クラス分けは、学級運営が上手くいくように慎重に割り当てすることが常識になっている。例えば1年生をクラス分けするために、近辺の保育園幼稚園への聞き取りだって広く行われている。児童の質を見極めて、適切な教員を配置するのは給料が高い管理職仕事である。

 しかし、学級運営を学級担任個人の責任に負わすことができるならば、問題児対処の「悪魔の方法」が管理職の手に入る。学校で手に負えなくなった学年ができたとき、問題のある児童(軽いADHDとかね)を集めたクラスを編成して、新任教師を担任に付ける。新任教師は他府県からの中途採用者でであれば、うってつけである。学校の状況をよく知らないこの教師がうまく運営できればしめたもの。失敗した場合は、新任は試用期間中だから仕方がないと、保護者教育委員会に報告して、年度終盤で教師に退職を迫る。退職しなくても、その教師を指導力不足として免職すれば、犠牲者一人で学校は丸く収まる。保護者も納得する。校長責任もない。問題は1年先送りできるし、いったん崩壊したクラスであれば、後任担任も言い訳がつく。

民間企業では考えられないが、採用経費が潤沢にあって、顧客に対して責任が無くかつ組織自分の体面を重視する公務員であれば十分にありうる仮説である。

行政の長と裁判

 さて、ここまで読んで頂いたかたには、「タイトル阿久根市長は釣りだよね」と思われるむきもあると思う。

 この裁判での京都市責任者は当時の教育長 門川大作氏だ。門川氏は、教育長としての手腕を買われて、安倍内閣時の教育再生会議メンバーに唯一の行政出身者として選ばれている。その後、この裁判のさなかに京都市長になったお方である。京都新聞Web版)は、この裁判の経過を高裁判決以降黙殺した【※6】。国の委員や市長までなった人を、非難することはいけないのである。たとえ高裁最高裁の指摘であっても、行政長であれば反省する必要もないということなのだろう。

裁判の結果からは、京都市教育について少なくとも組織での対応は期待できないので、子どもには良い担任とその人が処理可能なクラスメイトに当たることを祈るだけだ。

京都の私立小学校が繁盛しているのは、公立小学校の低レベルオペレーションへの失望の現れである。



  1. 暴力団員であっても、法的に組長の「使用者責任」を免れることはできない。それ以前にやくざなら。組織としての対応はある。
  2. そういう国もある。京都市教育委員会は反組合的立場を主張しているようだけど、その管理手法がいちいち共産党的なのである。だから今回の裁判市民の目から見れば、「内ゲバ」にしか見えない。
  3. 職場がこんなバカ上司天国だったら、部下は昇進試験に精を出すしかないよね。
  4. 京都市学校でも「教職員組織の一員として」「学校としての組織教育力」「教職員一丸となって」「組織体としての総合力を発揮して」とか校長挨拶に書かれていて、まっとうな管理職も中にはいるとは思うけど、京都市裁判姿勢を見る限り言動不一致ですわな。この裁判に登場する校長程度の人間管理職にして処遇するぐらいなら、学校管理職の半数ぐらいを民間人出身者にしたほうが子ども社会のためですよ。
  5. 学級崩壊がおきれば上司である校長から主任までは手当分を減給するなり責任取るのが筋だと思うのだが、寡聞にしてそのような制度を聞いたことがない。その一方で新任教員の免職は簡単にできるらしい。組織制度設計にも問題がありそうだ。
  6. マスコミ市長に味方している点では阿久根市とは異なる。読売や毎日は報じているけどね。

2010-01-20

小沢一郎第一公設秘書大久保隆規氏について

ttp://antikimchi.seesaa.net/article/115120957.html

130 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 07:25:43 ID:+3rijH2NO

秘書大久保実家パチンコ屋です。



その嫁の実家テキ屋です。



以上、地元からスネークでした。




131 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 07:27:45 ID:QSIxBset0

»130

すごいねそれ。




133 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 07:32:14 ID:+3rijH2NO

»131



パチンコ国際」と言う名前釜石で営業中です。



135 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 08:07:49 ID:jQ8MsI3P0

どうみても総連パチンコ屋です。

本当にありがとうございました



140 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 08:33:01 ID:txfB0aBR0

»130

»133




国際会館」じゃないか?



カテゴリー パチンコ

ttp://24u.jp/info/index/town_id/694553/



国際会館

都道府県 岩手県



→ 釜石市大町2丁目●●




ttp://www.e-shops.jp/local/lsh/an/3/520326.html




→ 有限会社大久保」興業



→ 住所 : 岩手県釜石市大町2丁目 ●●




143 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 08:42:29 ID:+3rijH2NO

»140

すいません。正式名称は「国際会館」のようです。



地元では「コクサイ」としか呼ばなかったので。

勘違いしていたようです。すいませんでした。




145 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 08:45:47 ID:txfB0aBR0

»143

じゃ»140でいいの?



住所が大体同じかどうか分かるといいんだけど



大久保がいっぱいいる可能性もあるだろうし




159 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 09:13:38 ID:+3rijH2NO

»145



はい。間違いありません。

本人も鍵番として働いていました。

その後、某住宅会社就職市議会議員になり、市長落選小沢秘書という流れです。

嫁と息子二人は今も釜石に住んでいます。秘書になってからずっと単身赴任状態です。




164 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 09:21:48 ID:txfB0aBR0

»159

黒すぎるwwwww

朝日が資料隠していた理由はこれかwww

小沢擁護だけが理由じゃないんだなww秘書があれかwwwww



社会逮捕の「側近中の側近」秘書小沢王国岩手ゼネコンを統率 「小沢氏の権威かさに着て恫喝するようなタイプだった」

ttp://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1236109423/




朝日新聞が入手した大手ゼネコンの「極秘資料」。

>そこに名前が何度か出てくる大久保秘書の役割は、

小沢代表地元岩手県を中心とする東北地方で、

>迫りくる総選挙に向けた実務を取り仕切る大久保秘書の姿とは明らかに異なっている。

>資料はゼネコンが01年前後に、

東北地方全域で展開した公共工事受注のための活動内容を詳細に記したものだ。

>そのなかに「盛岡(営)の所長より、県立病院」と題されたページがある。

>「小沢氏の考え、大久保氏を育てたいという意向を持っている」

>「仕事の話は大久保秘書にし、ほかはあいさつだけにしておいたほうがいい」



>「まず、大久保氏(小沢党首の秘書)を通じて根回しをする。その指示を待て」

>「営業所長は大久保氏を通じて今年度中に

ゼネコンのしかるべきトップと支店長で直接小沢党首に面談し『お願い』をすること」

>「大久保秘書段取りした会見は小沢党首も従う」



>別の大手ゼネコン関係者

>「口利き依頼、陳情……。最も力を持っていたのが大久保氏だった。

大久保氏の意見なら小沢氏も聞く。小沢氏の番頭だ」と証言。

2010-01-19

ttp://nihon9999.blog77.fc2.com/blog-entry-3969.html

704 :伊58 ◆AOfDTU.apk :2008/05/15(木) 07:27:42 ID:GVlcdg2c

阪神大震災の時に、自販機が稼働しているのに硬貨が無くて渇きに苦しんでいる人がいたので

日銀支店長は、1000円分の硬貨を詰めた袋を4000袋作り「義捐金です」って配った。



そうすると自動販売機から買った飲み物をみんなで回しのみ始めたので、配った人間は感動したそうな。



ついでに2500袋が後日ありがとうございましたと返却された。

義捐金だから返却の必要は無いのだが。



で、問題はそれをやった遠藤支店長を、

独断専行だって懲戒にしようとした動きがあって

日銀を二分する騒動になった。



結局、遠藤支店長エライって派が勝って、遠藤支店長は昇進したとさ。

2010-01-14

祖母が倒れたので休みます。

都市伝説だと思っていた。




本当にこういう嘘言うやつが居たなんて逆に感心した。

いや、無断で来なくなる奴もいるのでそれにしたら良心的かも知れ無いが。




自分が不在の時に面接したらしいのだが、もうね、見るからにダメ人間オーラに溢れてる。

で、俺にあてがわれて、自分でやる倍の時間掛けて仕事教えて、こいつは3日もたないなと

思ったら、2日目に電話




「ホントかも知れ無いだろ!」って?




じゃあなんで次の日から出社しないんだよwwwwwww

祖母が倒れたら辞めろなんて誰も言ってないし、そんな規則もネーヨ。




ニートが、本人にしたら物凄いがんばって面接受けたんだろうなー。

で、「俺は1日がんばった!」

俺が納めてる市民税が将来お前の生活保護支出されるのかと思うといたたまれない。

社会のために親が死んだら一緒に死んだほうが良いと思う。




他にもこんな人が居た。これも自分が居ないときに面接

50代の見た目ビシッとした七三分けのおっさん。あまりに仕事が雑なので、一応年上

だから丁寧に指摘してあげたんだけど、何回言っても直らない。指摘といっても小学生

レベル

ちゃんと、あなたの仕事はこれこれですよと責任範囲を明確にしてるのに、簡単にすぐ

終わる仕事だけやって、あとは放置。下手したら定時前に帰ってる。外に出たりするこ

とも多いので、さりげなく出て行けば分からないと思って悪用。

さすがに切れていい加減にしろと怒った。




「私を誰だと思っている。」(中途の平社員で、俺(27歳)の部下です。)

「私はかつてなんとか(忘れた)の支店長をやっていたんだぞ。」(で、リストラされたんでしょ?)

「勤め先はいくらだってあるんだぞ。」(マジすか! じゃあすぐ辞めて! お前のせいで残業増えた。)




採用した所長に文句言ったら

「そんな事言ったって、右から左へ首を挿げ替えることなんかできねーよ。」

「だったら、まともな人採ってくださいよ!どんな面接やってるんすか!」

「・・・。(ふくれっ面)」

それ以降、本人にはいちいち指摘したら過去の栄光自尊心が傷ついたらしく辞めた。

あれじゃあリストラされて当然だわ。勤め先はいくらでもあるけど、あんたはどこでも勤まらん。

2009-12-14

http://anond.hatelabo.jp/20091214122120

続き

http://mainichi.jp/life/money/kabu/eco/tohonseiso/news/20091212org00m020005000c2.html

鳩山政権は緩やかな崩落過程に 統治能力が疑われる普天間問題(2/2ページ)

 13年前、普天間返還で米側と合意した故橋本龍太郎首相首席秘書官を務めた江田憲司衆院議員みんなの党)は、メールマガジンで怒りを綴っている。

 「普天間返還が、鳩山政権の口先だけの、机上だけの、パフォーマンス政治台無しにされようとしている。最も致命的なことは、この政権で誰一人、当時のように血ヘドを吐き、地べたをはいずり回るような調整もせず、沖縄の声にも真摯に向き合わず、やれ『県外だ、国外だ』『いや嘉手納への移転だ』と『ほざいている』だけのところだ」

 首相の執務室には、毎日のように寺島実郎日本総合研究所会長からファクスが届くそうだ。首相官邸では「寺島メモ」と呼ばれている。寺島氏は、首相と同じ1947年生まれで、かつ首相選挙区のある北海道出身リベラルの立場から「対等な日米同盟」を唱えてきた。このメモを仲介しているのは寺島氏の紹介で住友銀行(現三井住友銀行)のシカゴ支店長代理から民主党職員に転身した須川清司氏。外交が専門の須川氏は現在内閣官房専門調査員として官邸で勤務している。

 外務省防衛省は「寺島-須川ライン」が首相外交判断に大きな影響を及ぼしていると見ている。官僚機構が「日米関係が危ない」とどんなにアラームを発しても、聞く耳を持とうとせず、懸案を先送りするのが「政治主導」の実態である。

 ◇「心が折れたのでは」と質問された首相

 社民党が普天間について「県内移設阻止」を党是としている以上、決着は10年夏の参院選後までずれ込む可能性が高くなってきた。

 ただ、これは民主党単独過半数を得て、社民党との連立を解消できた場合の話だ。しかも、10年1月の名護市長選で受け入れ反対派の市長誕生したら、参院選後に「やっぱり辺野古でお願いします」と言っても通らないだろう。首相の判断は普天間の固定化に道を拓いている。

 米国は今なお国政治での巨大パワーだ。対米関係を適切にマネージできないと日本政権不安定化することは、過去歴史が教えている。鈴木善幸内閣しかり、細川護熙内閣しかりだ。日米協調は、太平洋を挟んで米国と向き合う日本地政学的な宿命であり、安易な対米自立論は日本を破滅に導く危険がある。

 10年度の予算編成は、切り立った崖を登るような作業になる。30兆円台が確実の税収見通しでマニフェスト政権公約)をどう実現するのか。事業仕分けの結果を機械的に反映させたら、景気を傷めかねない。辻褄の合わないことが、一度に噴出してくる。虚偽献金、普天間、矛盾した予算を抱えて鳩山政権通常国会を乗り切れるとは考えにくい。崩落過程に入ったとはそういうことだ。

 11月30日の参院本会議首相は、実母からの資金提供について「違法子ども手当だ」と自民党議員に指弾され、狼狽の表情を浮かべた。記者団との珍妙なやり取りがあったのは、翌12月1日朝だ。

 記者最近、総理の元気がなくて心が折れたと心配する声があるが」

 首相「全然折れてはおりません」

 トップリーダーの心が折れたかどうかが平然と話題になる状況に、日本は置かれている。

寺島の存在が産経以外でまともに取上げられるってのが収穫かなあ。

今後は日米関係崩壊の共犯っつー事で袋だたきにされるだろうね。

2009-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20090720211415

訪問販売系の個人営業ってほんとことごとくどうしようもないな…。

その女の子はどうせ支店長かなんかに鬼詰めされるのを想像して泣いたとかだろう。

2009-07-16

ついに中国高官の海外逃亡が一万人を突破。持ち出した金は6500億人民元(9兆円)

中国外貨準備高2兆ドル突破の影で。

異様に膨れあがる中国外貨準備高、ついに2兆ドル突破した。2兆1316億ドル。これは第一四半期に404億ドルだけの増加で当面は停滞と見られたのに、第二四半期はいきなり1779億ドル増。それも五月単独で806億ドルという急膨張となった(フィナンシャルタイムズ、7月15日)。

これは、輸出回復より資金流入と保有するユーロの評価高が原因だ。

普通は経常収支が外貨準備高を押し上げるが、中国の場合は「熱銭」と言われるホットマネーが主役である。

投機資金がどっと中国へ流れ込んで、このため冷却されていた不動産株式が上昇に転じ、セメントなど商品が時の対象となる。

過去二年半という僅かな時間のなかで、中国は一兆ドルを積み上げた。ドルに代替する通貨をと叫びIMF改革とSDR債権購入を主唱しつつ、自らがドルの罠に落ちた。

さて中国に入ってくるカネもあれば出て行く金もある。海外鉱区や米国企業買収などで流出するカネは合法的な投資行為だが、不正にでていくカネがあとを絶たない。

典型の事件は中国銀行開平支店長一味が巧妙に海外へ移し替え、カナダ経由で米国へトンズラした事件で、かれらが持ち出したのは5億ドルだった。この類いの経済犯罪、偽インボイス、でっちあげプロジェクトによる不法な投機などにより海外資産を隠匿し、出張と称して逃亡する中国共産党高官は、ついに公式統計で一万名を超えた。

7月14日付け「博訊新聞網」によれば、かれらが中国から持ち出した不正なカネは、6500億人民元に達しようという。

邦貨換算で9兆円が帳簿から消えている。全外貨準備高のじつに4・5%が海外へ蒸発しているのだ。

2009-04-23

社会絶望しているとかの話

http://anond.hatelabo.jp/20090415074829

これの続きようなモノ。



私は「会社」というモノに絶望をしていた。

絶望の始まりは多分初めて社会人になって入った会社だろうか。

初めて入った会社ハローワークで見つけた契約社員だった。

大学を「学校に行けない病気」で退学した私は学校で学んだことを生かせる仕事を探していた。ただ、学んだ分野が環境化学というあまりメジャーじゃなく仕事も少なそうな分野だったので探すのにかなり苦労した。

それでも農薬を作っている会社研究所に潜り込む事に成功した。

仕事は元々興味ある分野だったし、残業も殆ど無いような負荷も少ないもので学校で学んだ知識と新しく学んだ事でのびのびと仕事することができた。幸いなことに評価も良く順風満帆な日々を過ごすことができた。




しかし、半年ほどして異変が訪れる。

学校に行けない病気」が再発したのだ。いや、増悪したとも言うべきだろうか。

当時、通勤電車バスを利用していたのだが、バスから降りられなくなったのだ。

降りるべき停留所が近づくと段々呼吸は速くなる。動悸もして息苦しく頭が真っ白になる。それは停留所に近づけば近づくほど強くなり、停留所を超えると段々収まり今度は自責の念が私を責め立てる。

死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ…(以下延々繰り返される)」

と云う言葉で頭の中が支配される。

始めのうちは先の停留所から引き返して遅刻、ということで処理はできていたのだけど、それも数が増えると話は少しややこしくなった。程なく上長から注意を受けた。怖いタイプの人ではなかったので大したことは言われなかったとは思うけど、それが自責の念を増長させた。


注意後は引き返すことすらできなくなり、途中の停留所で降りて、音のしない場所を必死になって探して勤務開始ぎりぎりくらいに休む旨の電話携帯からした。なぜか解らないけど「音のしない場所」というのを必死になって探していたのを覚えている。

そんなのが一週間くらい続いて、また上長から注意を受けた。今度は上長上長もやってきて注意を受けた。

いわゆる厳重注意に当たるものだと思う。同時に何か精神的に何か問題は無いか、とも聞かれ初めて精神科を受けることになる。

診断は「鬱病」で抗不安薬を処方された。

薬を飲むようになってからは少し落ち着き二ヶ月くらいは普通に出社できた。

このまま何事もなければ今頃私はその研究所正社員として活躍していたかもしれない。



だけど現実はそんな風にはさせてくれなかった。

年が明けてすぐ再び「病気」は再発した。また一週間くらい行けなくなった。

二度目はなかった。

程なく無理矢理呼び出され、所長と上長上長上長の3人と面談となりその場で「今日付で自己都合で辞めてくれ」と言われた。

当たり前と言えば当たり前。でも当時の私には裏切られた思いでいっぱいだった。あんなに評価してくれて良くしてくれたのにあっさり辞めさせられるんだ…って。

病気」とは別の形で頭が真っ白になりつつその場で辞表を書かされた。



その後、ふと思い立って辞めた大学に復学したけれどこんな状態じゃ学業もできるわけもなく、元々辞めた理由の「学校に行けない病」も再発し半年で再び辞めた。

入学金諸々200万をドブに捨てた。


大学復帰の道も閉ざされた私は仕事を探しては何とかどこかの会社に潜り込み

朝起きる→朝食食べる→着替えて外出る→電車乗る→漠然とした恐怖・不安目的地駅で降りられない→どこかで降りて休みの連絡を入れる→休み多くなる→呼び出しの電話→クビ

と言うプロセスを面白いように繰り返していた。

そこに休養という文字はなかった。なぜなら家族が「病気」に対しての理解がなかったから。

父曰く「サボってるだけじゃないのか?」

ナチュラルに言うのだから休養なんてできるわけがなかった。



この辺で「社会は、会社は誰も私を救ってくれない。絶望した!」みたいなことを思うようになっていた。

で、その絶望が決定的になったのが次の仕事先だった。



派遣で潜り込んだ会社宇都宮世界の誰もが知っているメーカー研究所派遣された。

派遣先上長が私をえらく気に入ってくれたらしく「5年以上の長いスパンで働いて欲しい」とまで言われ、場合によっては正社員雇用も…みたいなことまで言われた。

仕事化学とはあまり関係のない分析評価の仕事だったけど、仮に在籍していた5流大学新卒してでも入れなさそうなメーカー正社員も夢じゃない…みたいな話だったので殆ど二つ返事でその仕事を受けた。



宇都宮はさすがに通勤できないので転居して一人暮らしをすることになった。

初めての一人暮らし不安だったけど、恐怖の対象であった父や口うるさい母もいないのでむしろ好都合だったし、住環境も周辺環境も恵まれていたし、仕事場まで車で10分。車がないと不便な場所ではあったけど日用雑貨からPCパーツまで車で20分も走らない場所で揃えられたので今思っても最高の環境だった。

そんな中で最近(2009年現在)世に出た製品のさらに次の製品に向けての技術研究という最先端中の最先端仕事ができた。職場環境も居室が機械だらけで動作音がうるさい以外はまさに最高。言うことがなかった。

そんな最高の環境の中で多少の休みはあったけれど半年くらい仕事をすることができた。



しかし、そんな最高の環境の中でも異変は起きた。

トリガーはなんてことのない物だった。簡単に言うと部署間での私の取り合い。

私がいた居室は3つの部署が共有していた。

一つは私がいたところ、もう一つは私たちの一つ前、最近世に出た製品技術関係を手がけていた部署。もう一つは良くわかんないけど別の事していた。

その最近世に出た製品技術関係を手がけていた部署の係長が「ちょっと最近忙しいから一月くらい手伝ってくれないか?」と言ってきたのだ。今所属している部署の係長もOKしているみたいなことを言われたが、正直行きたくなかった。

と言うのもその係長生理的に受け付けられないタイプでその部署もあまりいい空気ではなかったからだ。それでも「一ヶ月くらいなら」と、言うことで異動することに了承した。



そこで話が終わればもうちょっとそこでの仕事が長続きしたかもしれない。



いざ異動してみるとその係長から「ここに来たからにはもうずっとここにいてもらうからね♪」みたいなことをナチュラルに言われた。

話が違う!

抗議した、猛烈に抗議した。その抗議は部長を引っ張り出す騒ぎになったが、その決定を覆すにはさらに上の役員を引っ張り出さないといけないらしく、覆すのは事実上不可能だった。

元いた部署で一番お世話になった主任は「あの人はそういう人なんだよ。」と自嘲的に言っていた。結局決定は覆らず、「なんか語弊があったけどこういう事だから頑張ってね♪」みたいな係長二人のサイン入り書面を差し出された私はその日早退した。



そして一週間休んだ。



一週間して今度は派遣元支店長がやってきた。

「ちょっと精神科行こうか」

みたいなノリで支店長同行で精神科に行かされることになった。

当時、すでに近所のメンタルクリニックで投薬治療を受けていたけど、それは会社には隠していたので通っている病院とは別の精神科になんとか行くことになった。

そこで「鬱状態」と診断された。



翌日、派遣元支店長から「支店にちょっと来いやと」いう連絡を受け、宇都宮駅前の支店事務所に向かった。そこで支店長から言われたのは「派遣先から撤退する。お前会社辞めろ」と言う事実上解雇通知だった。

は?

なんで?

確かに「病気」の事は隠していたけど、事情事情だし…というかなんで休養とかそういうのもすっ飛ばして辞めろとかになる訳?

抗議した。そんなのおかしい、何で辞めなきゃいけないんだ?

猛烈な言い合いは4時間を超えた。

で、痺れを切らしたのか支店長はこう言った。



精神障害者は使えないんだよ!!!」



あぁ…。

何かが崩れ落ちた気がした。

支店長がどういう意味でそういったのかは知らない。でも、その言葉はあまりにも無情で残酷で…世間の正論過ぎた。

会社とか社会絶望をした瞬間だった。



程なく辞める旨を伝え、それから数日で宇都宮から実家へと帰還となった。



あの言葉絶望は私の病を大いに増悪させた。

それから仕事を探しては数日でいけなくなってクビになると言うのを何年も繰り返した。

一番行くところまで逝ったところだと、静岡の某宇都宮で居たメーカー同業他社で、そこはお世辞にもいい職場環境ではなく仕事をした時は2週間くらいで会社に行けなくなった。

で、また数日会社に行けなくなって派遣元から「これ以上休んだらクビにします」と言う最後通告の電話を受けた直後殆ど自動的にアルコール抗うつ剤その他100錠近くを一気に飲み込んだ。

服薬自殺人生の幕を閉じようとしてしまった。



結果は…今ここに私が居るわけで未遂に終わった。

友人や家族派遣元会社に多大なる迷惑をかけた。

友人と家族は…多分許してくれたと思う。そう思いたい。

でも、派遣元会社は違った。



46万円。



退職金という名目だったけど、書面を見ると事実上の手切れ金だった。

「46万円やるからさっさとここから消え失せろ」

コンプライアンス事業部のえらい人が放った言葉は穏やかだったけど実質そんなものだった。

労基とかそんなの以前に服薬の影響で記憶曖昧な状態でろくな判断能力もあるわけが無く46万円押しつけられて派遣元会社をクビになり、再び実家へと戻ってきた。

心底会社という物に絶望した瞬間だった。


その後も会社は行ってはクビになるを何回も何回も繰り返していた。

「休養しろ」とか言われると思うけど、当時金銭的な問題で月に10万以上金を稼がなくてはならない状況で何が何でも仕事をしなければならなく、その上家族も多少の理解は得られたとはいえ病気に関してはまだ「怠けだ、甘えだ」と思っている節があるらしく家にいても正直休まらなかった。



そんな感じでこじれにこじれて今に至り、前述の「会社に行けない 」のエントリーに繋がるわけです。

ちなみにこの会社もクビになりました。

仕事内容は化学とは関係ないけど、趣味を実益にできる物だった

熱意はWebエントリーで落とされても社長に直訴の手紙を出すほどにあった。

技術も気がつけば新入りではずば抜けてあったらしく、赴任先事務所でも即戦力になるほどだった。


でも、会社に行けない、と言う社会人として当たり前のことができなくてクビになった。



結局何やっても、どんな事しても「会社に行けない病」をどうにかしない限り私は社会生活を送ることができないらしい。そもそも社会が私を受け入れてくれないようなのだ。



最近になって金銭的な面が法的にどうになるようになり、少し休養する時間ができるようになった。精神科に通院投薬治療は続いているし、障害者手帳も取得することができた(ただしあまり役に立ってない)

ただ、家庭経済面で休養、はできないらしく、父母からは「最低アルバイトはしろ」と言われてしまった。そんなわけで今アルバイトを探している。なるべく負荷の少ないコンビニとかそんな仕事をいくつか面接入れている。

三十路過ぎて大学中退、しかも職歴むちゃくちゃな私をどこが雇ってくれるだろうか?

しかもフリーターという身分。結婚以前に恋愛もできやしない。そして何より、この先這い上がるチャンスという物が事実上ゼロだという現実直視しなければならない。



この状況で社会という物に希望を見いだすことができるだろうか?

正直今の私には無理だ…。

2009-02-12

世界不況下の中国並びに日本外貨事情

 1月末、春節休暇で帰国中のかつての部下3人が拙宅を訪ねてきてくれました。

2人は中国での支店長経験を経て銀行退職。今は日系メーカー中国生産現地法人責任者として各々香港、深せん(土へんに川)で働いており、他の1人は銀行上海支店で働いています。3人が最近中国情勢について見解を述べ質疑が交わされました。その中で以下の点が印象に残りました。

○ Lehman Brothersの破綻以降のアメリカ発の世界不況中国の輸出は激減、生産縮小が続いており、人員解雇が行なわれている。

中国当局外国企業を含め人員解雇についてはそれがスムースに行なわれるようにしており協力的である。

 ○温家宝首相は頻繁に地方を訪れており広東省など華南への訪問が目立つ。

 ○政府内需拡大による景気刺激策として4兆元の支出を公表しており更に積極的な金融緩和を望んでいるが中央銀行人民銀行)は極めて慎重で両者の間に軋轢が 生じてる

 ○当局は従来ホット・マネーの流入を監視・規制の姿勢であったが、最近はホット

 ○マネーの流出への警戒へと監視・管理対象は転換した。

 ○ 従来中国企業による海外投資奨励されていたが最近では抑制が強まっている。

以上は世界経済俯瞰するためには不可欠な情報と思われます。

ここで大雑把な数字を挙げながら中国日本、そして最期にアメリカの現状にアプローチしてみたいと思います。

昨年の中国GDPは30兆元で1元13円 で換算すると約400兆円と日本GDPの8割にまで達しています。輸出はその35%以上ですから約10兆元、内2兆元約3000億ドルが対米輸出です。

外貨準備は2兆ドルに近づいています。

こうした外貨準備の源泉は貿易黒字などと中国への海外からの直接投資、その他資金 流入などです。今回の世界経済不況はこうした図式に大きな影響を及ぼしました。

中国の成長を支えてきたアメリカ向けを中心とする輸出は大きく減少し、どうやら資 金も流入から流出へと変調を示し始めているようです。

ここでは外貨準備に絞ってアプローチしたいと思います。

中央銀行が為替市場に全く介入しない場合には外貨準備の増減はありません。

中国外貨準備世界第一位になったのは、輸出額が巨大なものとなり、為替市場で輸出業者の持ち込む外貨中央銀行外貨高・元安相場で買い取り続けた結果です。

これはアメリカの非難を浴びていたために中国は徐々に元高方向に動かしてきたことはご承知の通りです。

中国生産活動を行なう外国企業投資資金を持ち込み為替市場外貨を持ち込み売却しますからこれを中央銀行が購入すれば同様 に外貨準備が増大するわけです。元が徐々に切り上がる状態だから今後 も元は上るであろうという予測でホット・マネーが流入するというのが今までの情況でした。しかしそれが今変わりつつあるようです。

輸出激減、工場操業率の低下、人員解雇外国企業の撤収すら懸念される。

そんなことを避けたいために当局も人員整理には協力的なのでしょう。

このような変化に、入り込んでいたホット・マネーも元安を懸念し始めます。

昨年12月一時的に元安に相場が動いたのもこうした資金の流出の証となるものでしょう。

その後、相場は元の水準に戻ったそうですが、それ以降中央銀行は介入を今までとは 逆に外貨売り元買いに転換している可能性が強いのです。介入は外貨準備を減少させることになります。 中国当局がホット・マネーの流入への警戒から流出への警戒に変化し、奨励していた対外投資抑制にきりかえたのも外貨準備の減少への懸念からであり、中央銀行金融緩和に慎重なのも緩和による元の流動性の増加が元売りドル買いの要因になりうるといった懸念からです。

こうしてみると今後中国外貨準備の増大は余り望めそうもありません。

したがって仮にアメリカが今後発行が予想される巨額の米国債中国に引き受けを依頼してもそれはかなり難しいことになるでしょう。

日本はどうでしょうか。

07年の日本の輸出は83兆円、輸入は73兆円、それが08年には輸出77兆円、輸入73兆円と貿易黒字は縮小しました。(貿易外収支を加えた経常収支では黒字は16兆円)この間円安から円高に移行していますが、これは今回の危機が始まる前には各国の金利に比べ日本金利が低く、所謂「Yen carry」のためで、金融危機後各国が金利を引き下げたために日本金利 との格差が縮小し「Yen carry」が消滅したからです。ここ数年日銀は介入を殆ど行なっておらず、外貨準備米国債の保有も増加していません。

今後も外貨準備が増大し米国債の購入余地が増えるとは考え難いのです。

アメリカ国債政策》

アメリカは膨大な国債を発行しておりそのかなりの額が中国日本に引き受けられていることはご高承の通りです。

金融危機とそれに伴う不況に対してアメリカは積極的な対応策を進めようとしているようです。金融機関からビッグ・スリーにいたるまで広範囲な救済策が講じられ、つい最近は8250億ドルの景気刺激策下院を通過しています。

問題はこうした政策の財源となる長期国債をどのようにし引き受けさせるかと言うことです。

巷間言われていることは結局中国日本に奉加帳がまわされてくると いうことです。

しかしどうでしょうか。

以上見てきたように日本にも中国にももう今までのような余裕はありません。 そこでアメリカは今後増発される国債を自国内で引き受ける枠組み に作り変えつつあるのではないでしょうか。

以下三つに分けてアプローチしていきます。

!) 先ず金融機関企業への資本注入に係わるものです。

当局は再建が可能であると認定した銀行保険会社、その他の企業に対して資本注入を 行なうでしょうが、こうしたケースでは次の様に行な われるのではないでしょうか。先ず政府資本注入する。資本注入を受けた金融機関企業はその資金で政府から国債を購入し、そこで一応完結する。

ここで当該金融機関企業バランス・シートは資産勘定には国債が記帳され、資本負債勘定には政府出資が記帳されます。

一方、政府バランス・シートでは資産勘定には出資金が、負債勘定には国債が記帳されます。

この方法ではFRB国債保 有は無く、したがって紙幣の増発によるハイパワードマネーは生まれません。

金融機関への資本注入の目的資産の劣化による損失の発生による自己資本の減少がBIS自己資本比率規制により自動的に資産圧縮を生み貸し渋り貸しはがしをもたらすことを防止するためのもので、この国債を用いての自己資本注入で十分目的は達成せられます。

この方法は既にアジア通貨経済危機の際にIMFの指導にもとインドネシアで実施されています。因みに私は1999年から2001年の間貿易金融再建のためインドネシア中央銀行派遣されその間のIMF施策について東京リサーチインターナショナル東京三菱銀行子会社)の月刊誌アングル」に寄稿しましたが、このスキームについても触れまし た。

!) 次は今米国で検討されている景気刺激策8250億ドルなどのために発行される国債の引き受け先です。考えられるのは年金基金、保険会社などの機関投資家、個人です。

所謂"金融ハイテク商品"の多くが投資対象から消滅していることもあり、国債はそうした商品にかわりうるものであり、奨励策もとられるでしょう。

金融機関自己資本の減少による貸し出し余力の減少、貸し出し審査の厳格化、貸し渋りもあり従来の借金による高い消費性向は急激に低下しており、借金返済が進んで いますが、同時に貯蓄性向は向上する筈であり、国債の保有の余地も拡大して行くで しょう。

!) 第三点ですが、今回の100年に一度と言われる世界不況の中で最も注目されるアメリカ経済 政策なるものはFRBによる国債引き受けです。

ややもするとこの中央銀行による国債引き受けは景気刺激策のために発行される財源として、つまり受身のものとして議論されます。

しかし今アメリカで行なわれようとしているFRBによる国債引き受けは景気回復のための重要金融政策の手段としてつまり景気回復の「決め手」とアメリカの政策当局に位置づけられているのです。今度の金融危機経済不況の最も重要な要因は、金融システム破壊され銀行部門による信用創造機能が働かず流動性が収縮し経済マネーという"血液"がまわらなくなっていることとされます。

こうした非常時に国債FRBが引き受けることで紙幣増発によるハイパワードマネー供給経済を立て直すというものです。

1929年ニューヨーク株式市場暴落に始まる世界大恐慌に際してこうした政策を採用して成功したのは日本高橋是清蔵相であったそうです。

大恐慌労働力設備などが余剰になっている状態のときにはこうした政策が有効であったとされます。

その後、我国では戦時中に戦費を賄うために日銀による国債引き受けをおこないますが、完全雇用の下で実施したために戦後のハイパーインフレーションを招いたとされます。(高橋洋一著「さらば財務省」)FRBバーナンキ議長は大恐慌研究第一人者だといわれていますが、彼の上記のような理論に基づくFRB国債購入の方針は1月28日FRB金融政策にも公表されています。

中央銀行による国債引き受けは学問上の議論の段階から実施される段階に移ったのです。

今後発行される膨大な米国長期債はこのFRBの引き受けを軸に展開され、既述の資本注入を受ける金融機関企業による引き受けなどを含めあらゆる手段が動員されるで しょう。

それは従来の中国日本による引き受けに依存する枠組みからは全く異なる自国内中心とするものとなると考えられます。

1月末アメリカ議会下院は8250億ドルの景気刺激法案を可決しました。同法案には法案に基づく公共投資使用される鋼材はアメリカ国内からのものとするとされ、保護主義的であるとの非難の声が海外で上がっています。

そこには「自分の金はどう使 おうが勝手自分の国の鋼材を買って何が悪い」といったものが窺えますし資金は自国内で調達するということを裏返しているように見えるのです。

《変化する経済システム世界政治

アメリカ政府が今後発行する膨大な長期国債の引き受け先が従来の中国日本ではなくFRBの引き受けを含むアメリカ国内での消化に移ることで、今までの世界経済システムは極端に変わらざるを得ないでしょう。

長い間、世界アメリカが垂れ流す貿易赤字により流動性を拡大し成長してきました。

そのスキームが変わろうとしているのです。

それは衝撃的な変化であることは間違いありません。

このことはさらに国際政治にも大きな変化をもたらすことになります。ポールソン財務長官が揉み手をしながら巨額のアメリカ国債を引き受けてくれる中国を何度も訪問していた図式もすっかり変わることになります

2009-02-06

飲み会メンバー部長クラス。私は主任。

えぇ、私だけ主任。管理職vs被管理職

なにそれ?アホでしょ。

つーか、バカ。

だって、隣は無口な支店長。反対は総務部長と工場長がドツキ合い。向こうでは社長が営業部長説教

絶対アホ。

つーか、溝に100円落したorz

2009-01-26

不定期連載 『観光行政』 プロローグ0 「銀行

※この話はフィクションです。実在の団体・組織・個人・事件とは一切関係がありません。

下町再生コンサルタントコンサルタントはんが当行に何の御用ですかな?」

四菱UAJ銀行亀沼町支店支店長の飯沼哲朗はズレ落ちそうになる黒縁眼鏡を戻し、

不信感を含む視線をその男に向けた。

この忙しい時期に・・・。

飯沼の視線には八つ当たりのような苛立ちも混じっていた。

亀沼では長い間、四菱銀行とUAJ銀行そしてあさひ銀行の三つ巴となっていた。

亀沼は、亀沼天満という江戸時代から続く一代観光資源を持つ。

その亀沼天満から駅までの商店街には優良個人商店が多く、そのほとんどをあさひが押さえていた。

それに対して旧四和銀行から派生したUAJは個人顧客を押さえ、四菱は中小企業を相手としていた。

しかし、長引く不況高齢化からUAJの個人顧客高齢化で先細り、建設業が多い四菱もまた苦戦していた。

こうした背景から、四菱UAJ銀行沼有町支店では優良取引先の拡大と芳しくない中小企業を相手とした不良債権の処理が当面の急務であった。

こうした背景から、暴力的とも批判されるその豪腕を見込まれ、飯沼は大阪から東京下町亀沼へと呼ばれたのだった。

この日、飯沼を苛立たせていたのは日経新聞の記事である。

虎ノ門でのUAJ支店と四菱支店統合の際に、不要になった四菱支店土地を売った。

その売った先が良くなかった。

後ろに反社会的勢力、つまるところのヤクザがいたのだ。

ここ亀沼でも他人事ではない。

四菱側の店舗へと統合したため、UAJ側の店舗土地が余った。

この処理をどうするかが飯沼の課題の1つであった。

売却まであと一歩のところで、虎ノ門での一件から地元警察から待ったが掛かった。

それどころか、同じ匂いを嗅ぎつけたマスコミの対応まで降ってきたのだ。

せっかくの取引も振り出しへと戻ってしまった。

この不景気に誰があんな土地を買う金を持ってるんだ。

その不満と苛立ちが、普段は隠している飯沼の関西弁をところどころに出させていた。

「我々は四菱銀行さんにちょっとした提案をお持ちしました」

鷹津恭介と名乗ったその男は猛禽類を思わせるその細い目をさらに細めたように見えた。

亀沼出身の有力都議会議員の紹介で来た為か、その提案に相当自信があるのか。

飯沼はその上からの目線に不快感を感じた。

合併でいらなくなった亀沼天満へと向かう蔵通りの交差点にあるUAJ支店跡。

あの跡地の活用案を提案させていただきたいと思いましてね」

鷹津の横に座る若い男がファイルングされた一つの企画書をうやうやしく飯沼の前に差し出した。

その企画書の題名と1ページ目をめくった飯沼の顔色が変わった。

「鷹津さん、もっと詳しく聞かせていただきましょう」

無理やりにでも標準語に変え、飯沼は座りなおした。

2009-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20090111152339

要するに、安易に中小企業を選択するなと言いたかったのだ。

大企業は入社するのも歯列な争いで、入社しても競争の日々。一方で中小であれば入社は楽チンMARCH程度でも社内で重宝される。

更に中小企業だったら俺も役員くらいにはなれるかも・・・などと考えていてはいかんということ。

ちなみに、こういう企業社員モチベーションは著しく低い。従業員は所詮頑張ってもポストは全て銀行の奴が座ると分かっているし、天下ってきた銀行員らも支店長くらいまで上り詰めて左遷された人々なので、仕事は投げやりだ。

2009-01-03

[][]日本経済新聞2008.12.30 小宮隆太郎 「多数派」と言われるという事は、もうあまり斬新な意見を述べる舞台には登場しないと言う事で、現役ではなくなったわけであろう。

私の履歴書 小宮隆太郎

私はマクロ経済問題、貿易、国際金融産業政策、独禁政策、公共部門のスト権の問題等々、応用経済学の様々な分野に関心を持ってきた。器用貧乏揶揄された事もある。

金融政策も私が長年にわたって関心を持ち続けた問題のひとつである。私は日銀エコノミストたちと真っ向から対立して論争した事が何回かあった。

1回目は1960年代前半の吉野俊彦氏との論争である。当時の私はマクロ経済と国際金融関係は万事ケインズ的に考えていた。他方、吉野氏は金本位制主義だった。J・M・ケインズにとって、金本位制は「大嫌いなもの(bête norie)」だったが、吉野氏にとりケインズケインズ経済学は”bête norie”だった。生意気若造であった私を相手に議論に応じてくれた吉野氏に、私は深く感謝している。しかし、基本的な経済哲学が違っていた。

2回目は「73-74年の大インフレーション日銀が起こした」と言う趣旨の76年の論文金融政策を厳しく批判した。当時の日銀幹部が田中角栄首相の「日本列島改造論」に遠慮して金融引き締めが遅れ、マネーサプライが膨張して石油危機以前に大インフレが始まったと私は論じた。

3回目は77年以降の私に対する外山茂理事(当時)の厳しい批判と、私の反論である。「日銀派」を代表する外山氏は欧米の標準的な金融理論以前の古い考え方で、手品のように恒等式から様々な結論を導くが、私にはその論理がわからなかった。

80年代後半から90年代初めにかけての「バブル」現象についても、日米経済摩擦の下で日本の黒字をさらに増やす恐れのある金融引き締めを日銀がためらった事が一因であると私は考えた。

しかし政治行政からの独立性を大幅に強化した新日銀法が98年に施行された後の日銀金融政策は、「100点満点に近い」と私は述べた。

これに対し、今度はかなりの人数の経済学者が反発した。要するに「もっと早くゼロ金利にしろ」とか「為替介入の効果を『不胎化政策』で減殺するな」という主張だ。私が大学院で指導し共著もある岩田規久男さんや、かつての東大の同僚の浜田宏一さんが一番厳しかった。ゼミOB山本幸三衆議院議員日銀叩きで名を馳せてきた。

私はあまりにも「日銀バッシング」がひどいと感じ、白川方明さん(当時日銀企画室審議役)と相談して八代尚弘さん(同日本経済研究センター理事長)にお願いして、討論の場を設定してもらった。論争は「金融政策論議の争点」という本になった。同書には小宮ゼミ仲間が日銀批判と反論の両方に何人も登場した。

日銀の政策委員会支店長会議写真で、小宮OBの白川総裁大学院で教え「現代国際金融論」の共著者でもある須田美矢子委員の二人のお姿並んでいるのを見ると、私は不思議な気持ちになる。



私はいつも始まりは「少数派」であり、今もその気持ちは変わらない。しかし、しばらく前にマル経の若い人に「小宮さんこそ多数派でしょう」と言われて驚いた。「多数派」と言われるという事は、もうあまり斬新な意見を述べる舞台には登場しないと言う事で、現役ではなくなったわけであろう。(日本学士院会員)

- 転職ならen
- 派遣ならen
2ページ中1ページ目を表示(合計:36件)