はてなキーワード: 週刊ジャンプとは
起業周りで真に求められてるのはエンターティメントだからでしょ。それは数だけ増やすためにおバカが乗ってくれないかを狙うお役所様含めてね。
正直週刊ジャンプやらを読むような感覚で興奮させるエンターティメントを求めている。
そこに、バカをおだてれば、金も時間もかけないでも革新的な技術/ベンチャーが生まれるんだという連中が乗っかる。
でも、仮にそのいかがわしい奴が消え去ったとしても、まともなスタートアップやらは生まれないと思うよ。
起業が増えないってのは博士過程進学者が減っている、大学の研究力がどんどん落ちてるのと同じだと思うわ。
素人から見てよくわからないものに金を出したくない。探せば、素人にもすぐわかって金も時間もかけないでも大成果を出すものが生まれてくれる。
更に、挑んだバカは使い潰せばいいと
エンタメ的に興奮させるために金も時間も出さなくても1クールで成果が出るような求める風潮がああいうのを産んだからというのはあるだろう。
だからといってあれは一つの姿にしか過ぎない。だから、ああいうのをなくしたからと言って、夢や希望のない、博士アライさん、ポスドクアライさんみたいな起業しか残らんって。
なにを言いたいのかさっぱりわからなくなってしまったので、ただ書き散らかした文章になってます。ごめんなさい。
・ジャンプについて
週刊ジャンプに女性が配属されたことはない(はず)。週刊ジャンプ編集部はバイトもほとんど入れていなくて、ほかの部署ならアルバイトさんに作業してもらう
作家さんへの発送作業とかも自分たちでやる(前に聞いたときは)。
ダイバーシティとは程遠い状況ではあるけど、女性にめちゃくちゃ受ける作品は定期的に生まれているので問題視していないのでは。
逆に+に女性が配属されたのがホントなら驚き。もともとジャンプから派生した部署だし。
でも、WEBとアプリ、という媒体の特性上必要と思ったのかもしれない。
あと、ジャンプといえば純血主義。新卒の時にほかの部署に配属された人がジャンプに異動することは基本的になかった。
鳥嶋さんみたいに、一回出てまた戻る、とかはあるけど。基本出ていくだけ。
これは確かにある。ラッキースケベ、覗き、いろいろと女性性を搾取している、と取れる表現。
読まなければよい、という反論はできるが、ほかの作品目当てで読んでも目に入る可能性はある。
そこは賛同する。
編集者は創作者ではないけど、その周辺で創作の手伝いをする立場。
で、基本的には創作者は生活のほとんどを割いて作品を生み出す。
それに対峙する編集者がなかなか適正な労働時間で帰りますんで、とは言えないよね。
もちろん荒木先生とか秋本先生とか、きっちりしている方はいるけど、例外だからこそよく取り上げられるわけで。
少なくとも、集英社に限らず、自分で生み出せない立場で創作者の都合を優先しないと思われる人間は、採用されないよね。
最近すっかり嫌われてしまったはてな民の前にヨッピーさんはすっかりはてな周辺に顔を出さなくなりましたね
ここで記念碑的に「ヨッピーさん下半身露出強要事件」をメモ代わりに残しておきます
簡単に言うとTwitterでとうとつに「◯◯◯見せろ!」と女性ユーザーに詰め寄り鍵垢に追い込んでしまったセクハラ事案です
リアルタイムで見ていたのですがこの時には流石に驚きました
他にもヨッピーさんは六本木には◯◯◯◯しかいないと地域差別発言を行ったり
週刊ジャンプで女性差別をテーマにしたマンガ連載を行いたいと発言してみたり
はてな村とは相容れない男性優位社会の権化のような人なんですが
いつか ツイ消しを行ったら「なんで存在に気づいているのに謝罪しないんですか?」と指摘しようかと思い貯めた魚拓も100を超えてしまいましたよ。
どうするんですか。
今回は少年ジャンプ+
ああ、終わった。
本作のテーマを大まかに語るなら、“役割”や“虚構”みたいな話になると思う。
当初期待されていたような、悲しき宿命を背負ったヒーローの活劇ものでは決してない。
むしろそういったものを虚構とし、その偶像に翻弄され、各々の役割に苦悩しつつも時に順応し、時に戦い生きようとする者たちの群像劇みたいな感じ。
話は二転三転しつつも、実はこのテーマ自体はちゃんと一貫していたりする。
最後のサンとルナの邂逅だって、二人は本来のサンとルナではないわけだからね。
そういったテーマや作者の伝えたいであろうことを踏まえたうえで、私が本作を面白かったと思っているかというと……うーん。
展開は行き当たりばったりのように感じるけれども、連載当初の作者のインタビューから解釈する限り、大まかなプロットは決まっていたっぽいんだよね。
それであの始末なのだとすると、構成力不足か読者との意識のズレがあるのかなあと思う。
私もよく感想書いていたから、少なくともある程度は本作を評価していたのは間違いないんだけれども、喉に小骨が刺さっているような気分だ。
主人公が部活に誘われて、最初のうちは渋るものの最終的に入部する、まあ紋切り型。
とはいっても紋切り型が悪いわけではなくて、大事なのはその型に何を入れるかだからね。
その点で「書道」などといった選ばれにくい題材をチョイスしたのは妥当な判断だと思う。
難点は主人公の苦悩が陳腐で、思春期特有の漠然とした虚無感の延長線上でしかない点かな。
だから身内の死という要素を付け足して、その動機の希薄性を緩和しているわけだけれども、そのせいでかえって主人公の苦悩が身内の死のせいなのか若者の陳腐な万能感からなのか有耶無耶になっている。
そもそも芸術的な話って、一般人から見て「何がどうすごいのか」についてアカデミックな解答がないと共感しにくい。
その状態で、肝心の「なぜ書道なのか」について観念的なことばかり並べられても、結果として雰囲気だけで描いているという印象から抜け出せない。
まあ一番悪いのは謳い文句書いた人だよね。
「衝撃作」とか謳っておいてこれといったインパクトがないんだから肩透かし食らう。
キャラクターの描き方が上手いなあって印象。
主役はタイトルにもなっているノリなんだけれども、言動の突飛さと激しいスケート(?)シーンを同時進行で見せることによって、「変人だけどすごい」という説得力が増す。
コメディやギャグ漫画でも、絵の説得力って大事だなあと改めて実感した。
まあノリの造形はあんまり好みではないけれども、見せたいものが伝わっている時点でデザインとしては成功だと思う。
それぞれが「友愛か、恋愛か」みたいなことで悩んでいるんだけれども、これが三者三様であることを改めて見せてくれたなあっていう。
他の主要人物が一応の答えを出して立ち回ろうとしているのに対し、二葉の場合はそこら辺が漠然としている状態。
YESにしろNOにしろ相応の立ち回りをするべきなのに、二葉の消極的な性格もあいまって上手くできない。
それが前半の、二葉の将来に対する煮え切らなさと本質的な部分では重なっているわけだね。
学生たちが進路について考え始める時期に設定したのは、話がゴチャつくか空気設定になる可能性もあったけれども、なんか上手いこと繋げていくなあ。
まあ、タイトルからしてアンドロイドの人格に焦点を当てた作品であることは明らかだから、話は最初からスッと入っていく。
SF要素や哲学的な話は希薄で、矛盾はしていないように見えるけれども陳腐だとは感じる。
そもそも主題は「過去に辛い経験のある二人が、共に前向きに生きることを決意する」といった話だろうから、まあ作りはこれでも良いと思う。
期待していたものとは違うけれども、ストーリーと紡がれるドラマ自体は割と嫌いじゃないよ。
週刊ジャンプで連載されてたのに、コミックス発売記念の漫画をジャンプ+でやるのかっていう印象はあるけれども、まあ本誌でもジャンプ+の宣伝はよくするから細かいこと気にしたって仕方ないか。
この手の転移モノの話で未来に飛びたがるってのが逆に珍しい気がする。
現代だと、むしろ旧文明な異世界とかのほうがポピュラーなイメージがあるし、磯兵衛が過去に飛んで原住民相手に知識をひけらかしてドヤ顔するほうが“らしい”気もしたから。
でも、ここで「未来のほうが楽ができる」っていう発想は確かに“らしい”。
それに転移ものとしては最低限のツボは抑えていて、ジェネレーションギャップ(?)や、順応しようとする描写、肝心なところは大体「母上」というチートで解決っていうのも(笑)
とはいえ新鮮味は薄く、周りの登場人物が明らかに子孫で実質同一人物なので、現代を舞台にしつつも空気感はいつも通りだね(まあ、本作はもとから現代の話がちょくちょく入り込むことが多かったけれども)。
最後に磯兵衛はちょっとした成果を出すけれども、いわゆる枯れた技術の水平思考になっているのはちょっと感心した。
近年の異世界転生・転移もののマンガ読んでいる私からすると、現代の文明を旧文明の世界で活かすパターンが多かったから、その逆パターンもポピュラーになってもいいよねと思った。
子供を主人公にして過激なことやらせるってのは、まあ鉄板といえば鉄板。
主人公であるギコの序盤のアクションはケレン味が強く、まああんまりマジになって見るべきものじゃないことはすぐに伝わる。
ギコの人格を成熟させるのではなく、あくまで年齢相応に設定したのは良かったと思う。
アクションとのギャップでメリハリが出るし、分かりやすい未熟さはキャラクターとしては魅力にもなりうる。
反面、プロットは前時代的な勧善懲悪ものにしかなっていないのは残念。
結果としてはギコの一方的な勝利で終わるので、バトルシーンは総じて面白みが薄い。
例えるなら、小学生向けの漫画誌で描いていた作家がちょっと過激な描写に挑戦してみたものの、その頃のクセが抜けていない作風っていう感じ。
ボクシングを題材にはしてあるものの、スポーツものというよりは青春ものって感じ。
ほとんどモノローグ調で語られる主人公のセリフと、反して明朗快活なヒロイン。
だが本質的には同じ苦悩を抱えており、互いが想いを分かち合おうとすることでトラウマを払拭するという構成は良いと思う。
気になるのは、主人公の設定がボクシングシーンと噛み合っていないというか、分かりにくいところかな。
今までは防衛本能で殴っていたけど、共有できる仲間がいることを自覚したので冷静になれた、みたいな感じに解釈したけれども。
部活モノとして表面的に見るならば、今回感想書いた『I WILL ROCK YOU』と似ているんだけれども、テーマによって印象は大分変わるね。
損してる。
まずひとつ言っておきたい。お前らが知らんことだ。知らんかもしれないことだ。
スニーカーのほうは、登場人物やMSのイラスト付きで、そうでないほうにはそれがない。
つまりは、そういうことだ。ラノベだどうだと言っている時点で面倒な奴なのだ。
それでもラノベかそうでないかは、一定数の人間にとっては重要だろう。
だが、考えてもみたまえ。
ジブリ映画を見て、ハヤオ監督だから面白い。そうじゃないから面白くない。
それはあるだろう。
ハヤオでなくても面白ければ、よいだけの話であり、ハヤオが監督しているかどうかは関係ないはずだ。
ただ単に、ハヤオが監督してれば面白い確率が上がるというだけのことではないか?
迷わず読めばいい。
ラノベであれ、なんであれ。
西尾維新であれ、森博嗣であれ、ラノベと言われればそうだし、そうでないといえばそうだ。
所詮、ジャンプっぽい漫画やサンデーっぽい漫画があり、たまにマガジンにサンデーくさい漫画が掲載されているような程度のものだ。
俺ってマガジンしか詠まないから。サンデーとかジャンプとかマジわけわからん。とか言っている奴ってきもくない?
そういうことじゃない?
週刊ジャンプは読まない程度に大人になった人間であれば、ラノベは読まないかもしれない。
でも
ワンピースの続きとかハンターハンターとか楽しみにしてたりしねえか?
ラノベには外れも多いが、当たりは凄いぞ。
漫画読むより有益だ。ブックカバーつけたら通勤電車でも恥じることなく読める。
そういうことだろ?
実際のところ、「風評被害」とやらがいくらになるのか算出することについては、今の日本の若手の「スター」の経済学者は十分に計測する能力を持ってる。たとえば福島県産を食べることの危険について、消費者がきちんとリスクの計算ができるのではなく、そのきちんとした情報がないゆえのおびえをもってるんだって理論は、イギリスの日本人某准教授が理論的検討をしている。そして、本来の需要がどれだけであるべきかっていうことにかんしては、最近ぽんぽん日本人の若手がそれでメキメキと頭角を示し、イェールとかエリートの学校に助教授として就職している。だから彼らの実力をあわせれば、風評被害の計測なんてきちんとできるはずなんだ。にも関わらず、なんかJRの駅での日時データをコネで手に入れてどのドリンクをプッシュするべきかわかりました、週刊ジャンプを研究費で何十年も買ってそれで何歳が漫画家の旬かわかりました、なんてことしかやってない。
http://anond.hatelabo.jp/20130415122030
本当の真実を見抜ける眼を持つということは世の中のフェイクなんかに惑わされないということ
小手先の虚勢などお見通し ただせっかく能書き垂れて威嚇しているのでつきあってはあげる
ただこっちはそれが疑問なんだ 本当の実力というのは確実に相手に効果がある一撃のはず
俺はそういう一撃を数多く知っていて あえてここでは出さないが おまえは出さないのか?
そうか それが実はおまえの精一杯か なぜだろうなあ そんな弱い力で掛かってきても勝ち目は無いのにな
すごいなお前 まじ文才あるわ
着眼点に価値観に言い回しに明確な目的と達成のための方法論や伝える文章力
憧れるわ
みならうことにするよ
とりあえず文末を か にすればいいか?
雑誌が崩壊の一途を辿っているのは、一つはインターネットというメディアに押されて現代人のライフスタイルの中で存在できる場所を失っているから、というのはもちろん大きな原因の一つだろう。だけど、あまりにも多様化するニーズに追われて雑誌自体が細分化し過ぎて行ったのも雑誌を自ら崩壊させた原因の一つだと言うことができる。
マンガ雑誌を例にとると、『少年週刊ジャンプ』は今やオジサンとなってしまった世代の絶対的な存在であった。週刊少年ジャンプこそが『ジャンプ』であり、今でこそ月曜日になってしまったジャンプの発売日は、以前は火曜日だったのだ。火曜日はブルーマンデーを乗り越えた少年たちへのご褒美であり、ジャンプを読まない火曜日なんてそれは火曜日ではなかった。そのくらいの存在感をジャンプは示していたのだ。だがいつの日かジャンプはいくつかの成年誌へと派生し、分裂し、細分化されて行った。マンガ家は多くの活躍の場所を得て、『ジャンプ』でマンガを描く必然性は無くなった。多くのマンガ家は色んな場所へ分散して行った。宇宙が膨張していくように、多くの生物が進化して細分化されるように『ジャンプ』は多様化し、細分化して行った。それは時代が求め、消費者が求めた変化なのかもしれない。だがいつの間にか、『ジャンプ』は細分化された事で力を失って行った。毛利元就の三本の矢が一本になるように、多様性がもたらしたものは脆弱性であった。
携帯電話も同様だ。いつの間にか細分化、多様化のスピードについていけず、脱落している現代人が多くなっている。時代の最先端の製品について行っている者は極僅かだ。早すぎる進化によって、ユーザーの分布はロングテールになりつつある。8メガピクセルのカメラ付き携帯をCMで見かけるが、そこにはカメラ付き携帯が初めて出た頃のインパクトも需要も無い。今までと同じような開発費、広告費をかける意味合いはあるのか。これ以上の多様化がユーザーと業界を幸せにするのか。考えるべき岐路に来ているのではないだろうか。
現在求められているものを例えるならば、Web3.0ではない。Web1.5だ。
細分化、多様化によりユーザーを置いてけぼりにするのではなく、ユーザーに遍く受け入れられるインターフェイスやデザインが重要だ。そして、何よりも資源の選択と集中こそが重要だ。今までと同じような散漫な多様化、細分化を追い求める業界に未来は無い。あらゆる資源は枯渇するだろう。宿命のように、選択と集中を迫られる。それは、三本の矢を一本にまとめるように、進化の過程を逆に辿るように、ロングテールを圧縮するように。
http://soulwarden.exblog.jp/6469132/
ニセモノの良心 テレビ局はアニメのお金の中抜きをしているか?
のコメント欄に興味深い記述があった。
端的に言えば、2,30年前の水準と比べて10分の1くらいしか商品価値がなくなってるのに、下手に(迂闊に)昔と比べて高水準のコンテンツ出してるから、馬鹿は絶対錯覚してるんですよ。アニメは発展してるって。
そんなわけネーだろと。
20年前の10分の1の商品価値しかないものに20年前と同じくらいの水準の資金提供してるんだから、現場が博打感覚になるのが当たり前だろ、っていうか。上っ面の数字だけ見て流行ってると錯覚してる馬鹿は死んでください。
週刊ジャンプやマガジンなんかの少年週刊雑誌全般が、今どの程度の売り上げなんだか分かってる? って感じ。最盛期('80年代??'90年代初頭)の3分の1くらいしか無いんですけど。
市場が一極寡占化してるから、一部を除いて全部ダメが普通なんですけど。
アニメの大元になる漫画ですらそういう状況なのに、なんでアニメが流行るんだ。そんなわけネーだろ。常識的に言って。
(中略)スマップの兄ちゃんが「僕たち毎日アニメ見てます」ってテレビで連呼しても絶対増えないくらいアニメ離れが進んでるんだっつうの。
そういう状況で派手に豪華にストイックにやっても、ホントに自分の首絞めてるだけなんだよ。そこが分からない限り、何やっても無駄よ。
そもそも市場規模が大きくなってないんだから派手にも豪華にもする必要はまったくないのに勝手にやって進歩だ前進だって喜んで、いざ気が付いたら自分(オ・タ・ク)ら以外誰も見てないの。アニメは。元々そういうもんだし、これからもずっとそういうもの。
一般家庭の一般的な心理として、どんな内容のものが出るかよりも、家族揃って見られないものが、一番嫌われるんだよ。みんなで食卓囲んでるときにひとりだけテレビ観てたらダメなの。だから、ゴールデンタイムのアニメだって人気は全然無いの。実際のところ。何を放映するかの問題じゃなくて、そもそもその時間帯に流すな馬鹿と思われてると。そういうレベル。ゲームでも、高性能のPS3より家族で遊べるwiiのほうが人気でしょうが。それにしたって、ご飯時になってもやり続けたら取り上げられるよ。世の中そんなもんでしょ。普通に。
そういうレベルで(それでいいよと諦めて)ガチッと安定しない限り、発展だ進歩だと偉そう言っても、絶対に通用しないの。しよう・させようと思うなら自分らが「30分視聴で拝観料1万円出す」くらいの覚悟で見てろと言うに。
タダで好きなだけ見て文句垂れて現場が貧しければ「誰かが銭盗んでる」とか、どんだけ自己中なんだって笑われてお仕舞いですよ。そんなもん。世間知らずもいいとこ。
趣味でアニメ作って勝手に流してるわけじゃなくて仕事でやってそれで生きてる人が居るんだから、そもそもタダで見ること自体が不遜の極みだっつう。スポンサー頼みでいいじゃな??い、なんて甘いこと言ってられるのは昔の話で、人気無いからスポンサーが撤退しましたなんつう事態になって、自分らで制作費から何から面倒見れないんだったら、そんなもんに何の意味も無いんですっての。
>「30分視聴で拝観料1万円出す」
↑(冗談ではあるけど)冗談じゃなく、本気でこのくらいまで性根据えてからモノ言えよって感じなんですけど。
タダで見られること自体、どんだけ有り難いんだよって話だわ。それをわざわざ横取りするネット界隈が、正味どんだけ嫌われてるか考えてみろっつうに。
これだけ引用してしまうと、本文の方を相当長く書かないと「正規の引用」にならないので大変だが、
一連の議論において本質的な部分だと思うので、敢えて長く引いた。
アニメ雑誌は買わないし声優のラジオも聞かないし、アニメのDVDは『エヴァ』と『時かけ』と『トップをねらえ』しか買ってないし、
9年前に見られた環境にあったのに今時『カウボーイビバップ』初めて見て「すげー面白い」って思ってる程度の人間だ。
何より『宇宙戦艦ヤマト』も『機動戦士ガンダム』もまだ全話通しては見てない。
その程度の人間だから冷たく言い放つけど、アニメ業界なんて滅ぼしてしまえば?
ぼくもご多分に漏れず頭が悪いから、「テレビまんが」から独立し、あたかもアニメが高尚な表現の可能なメディアだと思いこみ、
おもちゃ屋の宣伝から独立し、彼らから半ば金だまし取るようにして『王立宇宙軍』作っちゃったり、OVAで『パトレイバー』を
売ったり、おもちゃ屋のスポンサー無しに『エヴァ』を放送したりして、ハイクオリティなアニメが当たり前のように空から
降ってくるのを、ある意味当然だと思ってたわけだ。
そういう人間が多くいたから、アニメ業界の方も引き時が分からずに、分不相応なハイクオリティなアニメを作ってたわけだ。
結局第二次大戦の時やバブルの時と同じで、攻勢点の限界を全然見極められなかったわけだね、またしても。
要するにもう誰もアニメなんて見てないんだし必要ともされていないんだから、アニメなんて作り続ける必要ないよね。
少子化の時代に見合った規模でおもちゃ屋からスポンサード受けられるごく一部のアニメをロークオリティで作り、
それと、既に巨匠と言われている人たちがこれからアニメ作るための環境だけ残して、後は総撤収すればいいんだよ。
だって、アニメーターとしての待遇上げる事に成功したって、結局韓国中国への流出が加速するだけなんだし、アニメーターとしての
稼ぎより、バイトで稼いだ方が儲かるでしょ?
どうしてもアニメを作りたいなら、それこそ自分でアニメ作ってニコニコに投稿すれば、神と崇められるだろうし、プライドは満足させられるんじゃない?
もちろんそうなれば、業界に入る事自体が著しく困難になる。
本当に描きたい人は、必死に言葉覚えて、韓国中国に渡ってそっちのアニメ制作下請けに雇われる道もあるだろうけど。
そうして後継者不足になり、日本のアニメ文化絶滅の危機となれば、もしかしたら国が「保護文化財」として
金を出してくれるようになるかもしれない。
出してくれないかもしれないけど、どうせならそうやって国に保護させた方が、かえってアニメの保護のためには
いいかもしれないと思うよ。
国家に保護されない文化なんて、ある意味大したこと無いわけで。
アニメ業界についての批判が集まっていますが、お笑い芸人なんかも売れるまでは相当悲惨な生活ですし、深夜アニメより安い制作費のバラエティーなんて、ざらにあります。そっちは批判しないのかな?
アニメ業界が苦しいのは、もともとパイが大きくないからなんです。
http://blog.radionikkei.jp/star/index.php?ID=54
一般家庭で食べているお豆腐、油揚げ、納豆、などで6000億円、外食などすべてふくめますと1兆円市場、また卸の市場は3500億円から4000億円と言われています。
豆腐業界の人がリッチだという話は聞いたことがありませんが...
アニメってそんなに儲かるんですかね?
こんな零細産業を分不相応に見せかけてるんだもん、そりゃバブルも弾けるでしょ。
一回潰しましょうよこんなん。