はてなキーワード: 認知とは
これまで怪しい時に何回もPCR検査や抗原検査して陰性だったのに……
子供は治り、親が順番で感染している途中でいきなり親の嗅覚がなくなってコロナ発覚
当初は台風のせいで寒暖差でやられた&抗原検査で陰性でてたから油断していた
その間に子供は学校行くし学童も行くし、バラまきしまくりんぐやんけ
検査で早期にコロナ陽性を淘汰していった結果、遅いタイミングで陽性になる株が残ってしまったのか
インフルに感染で40度の時ですら食欲がなくならなかったこの俺が、コロナ感染した39度で何も食べられなくなりました
コロナやべぇ……
嗅覚戻るのいつだよ……
どうしたらいいのだろう。本当にわからない。
Google先生も知らないらしい。というより、モンスター社員を相手にする側の事しか教えてくれない。
大学生活後、新卒入社。最初こそガムシャラに働いて評価も上々だったはずだが、すぐに精神的に患って心療内科の通院生活。その時に発達障害の傾向があることは認知した。以降は最初ほどの熱意はないにしろ、求められている業務をこなし続けていたつもりであった。今思えば、いつまで経っても電話応対が下手くそなままだったが。
患ってすぐの頃に配属や業務内容は調整していただき、最初は簡単なタスクや期限が厳しくないタスクを割り振っていただいた。当時の会社や上司・先輩にはかなり配慮していただけたので、環境としてはとても恵まれたものと言える。心身の不調で休みがちな状態は続いたが、それでも小さな成功体験を積み上げて人並みの自信を取り戻すことはできた。おかげで個人的に楽な道ではなかったが、それでも新卒入社から現在のアラサーになるまで、自分なりに頑張り続けることはできた。
仕事に慣れてきて、普通のタスクも任せてもらえるようになった。それも問題はなかった。問題は、最初の計画になかった中期的なタスクが上乗せで積み上がった時だった。タスクの総量としてはそれでも、業務時間中の余裕が減っただけで、週40時間の範疇で捌けたかもしれない。ただ、後から追加されたタスクが計画に無かったものなので自分のペースが崩されたこと、そして、若干理不尽な経緯で増えたタスクだったこと。それ故なだけで、精神的に参ってしまったのである。先輩だと最初だけ愚痴って捌いたのかもしれないが、それが自分にはできなかったのである。
今思えば、この段階でタスクの拒否なり相談なりすればよかったのだが、それを自分1人で抱えてしまった。パフォーマンスが落ちている状態なので、タスクの処理は間に合わない。そしてそれを説明する能力もなく、「事前に報連相もないままタスクが遅れている」ものとして処理されていった。結果、余計に病んで休みがちになり、タスクがさらに遅れる悪循環に陥った。無理に時間外で取り戻そうとして、大して戻らない挙句に身体を壊すこともやってしまった。
社会人として仕事をしていれば、仕事仲間に悪意がない環境に恵まれてもなお多少のストレスは避けられないものだとは思う。そして繰り返すが、一応は週40時間でなんとか収まるようなタスク量だったのである。最悪40時間を溢れるとしたら、誰かに相談はできたはずである。だが何もできなかった。社会人1年目のエピソードとしてならばまだ良くある話なのかもしれないが、新卒採用から働き続けてアラサーとか中堅とか言われるようになってもなお、これなのである。成長していたつもりで大して変われてなかった自分に、久々に嫌気がさした。
通常の業務で起こり得るような、軽微なストレスにも耐えきれず精神的に参ってしまう。そして絶望的にコミュニケーションが苦手で報連相ができず、勝手に1人で抱えて手遅れになってしまう。これが、自分がモンスター社員かもしれないと思った要因である。世の中には色々な系統・程度の問題社員がいると思われるが、自分のこれも大概厄介なのではないかと思ってしまった。
ただこれを認知できたところで、自分にはどうしていいのか本当にわからない。人事や上司に「自分は問題社員ですか」と聞くのが正解なのだろうか。聞くにしても、上手く経緯を口で説明できる自信はない。転職するにしても原因がこれなので、同じことの繰り返しになってしまうだろうと思ってしまう。というより、最初に配慮してもらったように、会社自体はホワイトな方なので、下手に転職したら悪化する気がするのだ。
世の中は多様性がどうとか謳っているが、社会に適応しきれずに悩んでいる人がここに1人いるのだ。果たして、どうすればこの人は幸せに生きていけるのだろうか。本当にわからない。
自分も匿名じゃないブログを書く身で、その日も何気なくはてなブログランキングを見ていた。そこで気になった匿名ダイアリーが、事の発端である。詳しくは当該記事を見ていただきたいが、モンスター社員に振り回される人たちの話だ。SNSでも話題になってたのかもしれない。
今週のはてなブログランキング〔2023年9月第1週〕 - 週刊はてなブログ
自分としては記事本体や記事への反応、その後のGoogle検索で初めて「モンスター社員」という言葉を知ることになった。そして悲しいことに、自分のことで心当たりのあるような記述が何度も出てきてしまったのだ。幸か不幸か頭は回る方なので、単なるバーナム効果ではないとも、なんとなく理解してしまった。モンスター社員の特徴自体もこたえるものがあるが、それ以上に周りの社員や人事の苦労話を見るのが辛かった。泣いちゃった。
それでも、迷惑をかけてる現状を打破したかった。少なくとも、自分がそういう社員だと気づけたことは大きな一歩なのだろうと信じている。そう思い込みたいだけかもしれないが。
しかし残念ながら、こんな相談をできる相手が身の回りにはいなかった。人事としても、特段親しいわけでもない社員からこんな話をされても反応に困るだろうし、逆に退社の相談だと受け止められたらこちらが困る。人付き合いが苦手で親しい人は社内におらず、相談できる親しい人は別要因で退職してしまっていた。プライベートの友人もそこまで真剣に考えてくれるとは思い難い。心療内科等のカウンセリングなら気持ちが楽にはなるだろうが、今回ばかりは楽になるだけでは足りない。
1週間ほど悩んだ挙句、このままでは結局何も進まないので、ひとまず言語化した次第である。社会に適応した人たちからはどうしようもない人間に見えるかもしれないし、共感できる人がどれだけいるかはわからないが、こういう人間が自身でも悩んでいるというのを知っていただけるだけでも御の字である。
原発の処理水放出のあたりで、野党支持者周りが揚げ足取りで反対していくのをみて、なんとも頭が痛くなってくる。
嫌いなことを反対したいためにいろんな”証拠”を探しているんだろうけど、よくないですね。
例えばAさんっていう偉い人がいて、その人が不正や性犯罪を行っていたということが明らかになれば、当然Aさんを批判して、Aさんが不正に得た利益を元に戻したり、被害者を救済したりしますよね。これは当然。
Bさんっていう偉い人がいて、なんか悪いことやってる風かもしれないが、実はやっていない。けど不正や性犯罪をやっていたと批判して、Bさんの影響力を削ごうとする。これはBさんは被害者ですよね。
冷静に考えれば後者はやっちゃいけないことっていうのはわかるでしょうけど、Bさんが悪だという認知に固執して、それを否定するのが不可能になっているんだろうね。
そういう捏造するタイプの人にとって事実というのは、「信じるか、信じないか」の二択でしかなくて、与太話でも「じゃあ、個人的にメリットある信じるほうをするわ」っていう考えて信じたりする。
これらの批判を止めようとすると、「表現の自由だ。我々の批判を否定するのは言論弾圧だ」という被害者ムーブをかます人がいる。
人はどんなことを思うのも自由だし、表明することも自由だが、表明するには説明する責任もあるし、何が正しいか第三者に評価されるし、嘘だと分かれば断罪されるということをちゃんと理解していただきたいですね。
ジャニーズの性問題は国民レベルで認知されていたにも関わらず、弱者男性は上から目線でジャニオタを叩いているからです。
またAKB性被害問題も浮上し始めましたが、そちらには何の興味も示しておりません。
ジャニオタを責めるならAKB問題へも激しく責任追及するのが筋です。
こういった点から弱者男性は常にダブルスタンダードな立場で相手を侮辱する姑息なクズと言えます。
アイドル問題だけではなく、電車やアニメ、ゲームなどの趣味には多くの弱者男性と思われる方が関わっています。
弱者男性は金銭や容姿へのコンプレックスから他者とコミニケーションを必要としないオタク文化をフューチャーします。
こいつanond:20230911152956の言ってるのはもっと包括的な失敗者による成功指南的アドバイスだからなあ…
それって別に失敗してる人の成功指南アドバイスじゃないしなあ、もう迷いなく基準が共有された上での奈良漬はアルコールに入るって話だし
特に甲子園に行けてない人による甲子園に行くためのアドバイスとか、大学五浪して撤退した人による合格アドバイスとか、そういう類のあれだよね
その証言を読んでいると、ジャニー喜多川という人は性依存症だったのではないかと思えてくる。
その勝手な印象について書いていく。
ジャニーの行為は、あまりに執拗で、強迫的に反復され続けている。
対象が未成年の少年という問題を抜きにしても、病的な印象を受けてしまう。
そんなことを考えていたら、調査委員会の報告書で、ジャニー喜多川氏自身が幼少期から性被害を受けていたという話が出た。
その話は報告書のメインではないが、これを読んだ時、さもあらんと思った。
ジャニーも性被害者だったのならば、彼もPTSDを抱えていたのかもしれない。
「だから免責だ」ということではない。
そうではなく、性依存症ではないかという疑いの裏付けを得た気がしたのである。
であるなら、なぜ被害者たちが加害者たるジャニー喜多川に純粋な憎悪を見せず、
「それでも尊敬している」
「感謝している」
と述べるのかも、わかる気がしたのだ。
あくまで印象だが、ジャニー氏は少年たちに依存していたのではないか。
というか、成長できずに、彼自身のメンタリティは少年のままだったのではないか。
愛想がよくても、精神的には大人の社会に対して孤立を感じ、真に仲間と言えるのは少年たちだけだと感じていた。
つまり、彼は少年たちに依存していたのではないか、と思うのだ。
そのあたりが、ジミー・サヴィルやハーヴェイ・ワインスタインと、ジャニーの違いではないか。
ジミー・サヴィルの被害者は、ジミーの番組に出た際に記念のバッヂを渡すと言われて楽屋に連れて行かれ、ドアを閉めるや否や、暴力とともに性行為を強いられたという。
しかしジャニー氏の暴力性は、精神的な依存の延長線上にあったのではないか。
だからわかりづらい。
ジャニー氏が少年たちのために、食事をつくってやったりなんだりと、ごくまめに面倒を見てやっていた話はよく知られている。
(もちろん性加害がそれで減じられるわけはない)
彼は、少年たちの前に、きらきらしい世界への導き手として登場する。
すごい人である。
雲の上の人だ。
そのすごいジャニーさんが、無名の自分にせっせと心を砕いてくれる。なんて良い人なんだろう、と少年たちは感動する。
それはいわゆる単純な「グルーミング」だけではなく、ジャニー氏にとっても楽しみだったのではないか。
いま、自分は少年たちに喜ばれている。好かれている。その仲間になっている。
彼らの魅力を引き出し、輝かせることも、天職と思っていたかもしれない。
言うなれば、彼は、少年たちの魂と一体化したかったのではないだろうか。
性行為がその手段だったかどうかまではわからない。単純な性欲もあっただろう。
しかし少なくとも、性行為は、ジャニーにとって精神的な苦痛を忘れる行為ではあったのではないか、と思うのである。
もちろん、性加害は許されない。
彼自身、性加害でこわされていたジャニー喜多川は、その苦しみを忘れられる行為として、性行為に依存した。
相手は「変な人がいるな」と横目で見ただけなのに、「目で誘ってきた」と思ったりする。
ジャニー喜多川もまた同様ではなかったろうか。
単に自分が「NO」を言える環境を与えていないだけなのだが、そのへんの事実は無視したのではないか。
考えたくなかったからだ。
少年たちを愛している。
彼はそう信じていただろう。
これは愛だと少年たちに信じさせようともしただろう。
実際のところ、ジャニーがやったのは、相手に依存し、傷つけ、侵略する行為だった。
しかし、それを愛と呼んだ。
その依存は、まるでほんとうに愛されているような一体感を少年たちに与えただろう。
被害者たちがジャニーを否定できないのは、意識的に計算されたグルーミングのためというよりも、そのためだと考えると、理解できるのだ。
それを癒すことを少年との関係に求めていた。少年たちに愛情を注いでくれていた。求めていた。
ジャニーの苦しみに巻き込まれただけだが、繊細で優しい者ほど、そんな相手を捨てることに罪悪感を持ってしまうものだ。
性愛でなくても、自分の問題にこどもを巻き込み、押しつける大人はけっこういる。
毒親と言われるのはそういう人たちだ。
ジャニーにとって、孤独の苦しみも、愛されたい・愛したい、という願いも、真剣なものだったかもしれない。
しかし実際のところジャニーが愛したのは、目前の少年たちではなかった。
彼が見ていたのは、少年たちに投影したジャニー喜多川……喜多川擴という、孤独な少年だったのではないか。
自分では愛しているつもりだったにせよ、ジャニーはただひたすら、「自分が」、救われたかっただけだった。
おそらく心底では、愛されてなどいないとわかっていたはずだ。
依存を深めれば深めるほど、孤独も深まり、それを忘れようとなおいっそう依存していき、性加害はやめられなくなっていっただろう。
そして被害者は増え続けた。
それは愛ではない。
それを愛だと思ってしまうと、「愛された」人間の苦しみはふくれあがる。価値観が歪む。呪いになる。
「あわれだけれど、愛ではない」と言わなければならない。
かつては、ジャニー自身が、プレデターのためにおなじように苦しめられた少年だったのかもしれない。
誰も彼には「それは愛ではない」と教えてくれなかったのだろう。
そして歪んだ結果、彼自身も、少年たちを歪めるプレデターになってしまった。
だが時代的にも、年齢的にも、メリー氏にはできなかっただろう。
当事者の会は、声に出せてよかったと思う。
彼らは少なくとも、少年を歪める者にならないですむだろう。
だがいま、声を出せない被害者もいるはずだ。
それでも、カウンセリングなどをうけて、ジャニーの呪いを解いてほしいと思う。
あわれに思ってもいい。憎めなくてもいい。
それでも、あれは愛だと思う必要はない。
「インターネットキャバクラ」「弱者オタクの巣窟」などと散々な言われようなVTuber界隈。
自分も例外に漏れず、VTuberにあまりいいイメージを持っていなかったが、
とあるVTuberの、自分もやっているゲーム実況配信がたまたまオススメに出てきたのをきっかけに見るようになった。
気づけば歌枠や雑談配信を楽しみにしたり、絡みのある他のVTuberのチャンネル登録をしたりと
5~6年ぐらい前までは声優や歌手ユニットなどのイベントやライブに行ったりと追いかけてたけど、
仕事や身辺が忙しくなってパッタリ遠ざかっていたので、明確な推しができたのはかなり久しぶり。
「インターネットキャバクラ」とはいうものの、「認知されたい」等の欲求がなければ
ただ聞いているだけ、コメントを残すだけでスパチャを投げない自由がリスナーにある。
メンバーシップ配信でしか聴けない配信もあったりするが、概ね月500円ぐらいと良心的だと思う。
自分は買った事ないけどボイスやグッズ等、リターンがある形で推しを応援できるのもよい。
また、1時間単位の配信を見る時間がなかったら、有志の作った切り抜き動画で見どころだけ見てもいいし、
自分の資力や持ち時間に応じて楽しめるお手頃な趣味だなと思った。
破産するレベルで金を突っ込んでる人はヤバいと思うけど、ゆったり楽しむ分にはお金も出ていかない。
組織全体で犯罪を認知しつつ黙殺し続けて、この期に及んで無かったことにしようとあの手この手でやってきてるのが捲れて、ついに一部のみ認めてまだ現体制維持しようとしてるんだから、潰した方がいいと思う人がいるのは当然やろ。
一つでも否定されると全人格否定される気分になって落ち込んだり。
それが、毒親に対する考え方をも捻じ曲げてると思う。
「親だ。親が悪いんだ!親のせいだ!!」っていう感じに。
健常な認知なら、そこで一歩引いて、じゃあこの先どうしようか、憎むばかりでなくどう対処しようかの方に観点が行くはずなのに、
「いかに親が悪いか」「どれだけ憎いか」のほうに思考が(それと合わせるようにスレの流れも)いってしまいがち。
これは一概にいっちゃだめだと思うけど、「絶縁」っていう対策もすごく0か100思考に基づいてるように感じる。
毒親が悪いのは当然明白な事実として、むしろ大切なのはそれは置いといて、今の自分を変えていくまあ努力ってやつなんだろうと思う。結局
社会が会社が女をヨシヨシしてくれるから、何も成長しなくても勝手に給料上がっていくし勝手に昇進していく
まあ本人としてはそれなりに仕事してるつもりなんだろうから、広い視野を持って自分とその他の男を比較できる女じゃないと気づかないのはしょうがないかもね
だからたまに現れる「私は残業だらけの旦那と同じ額稼いでるけど、毎日定時で帰宅している。そこで家事を私がやるのは不公平だ。」って女に言いたい。
でもそれは女優遇社会の結果であって、あなたの能力が優れているわけではありません。
男の犠牲を下駄にして不当に得ている報酬であることを認識してください。