はてなキーワード: 横綱とは
長年大相撲を見てきた私の祖父も、このことに大いに喜んでいた。
先日のことだった。日課の晩酌の際に「日本の国技なんだからこのまま日本人力士だけで横綱・大関のポストを独占するべきだ。モンゴル人なんか見たくない。」といった旨の発言をしていた。
その言葉を聞いた私は、思わず「メイク・ジャパン・グレート・アゲインかな?」とこぼしてしまった。
食卓の空気が止まり、十数秒後話題は別のものへと変わった。祖父は少し素面に戻ったような気がした。私も言い方がまずかったと反省した。
祖父のような老い先短い高齢者に、自国籍の人も他国籍の人も平等に扱う態度を要求するのは酷であるとは思う。
それでもせめて、強い日本出身力士がなかなか出てこなかった角界を支えてきた外国出身力士たちへと、今一度思いを馳せるくらいのことはしてもらいたかったのだ。
今回はとなりのヤングジャンプ
もう最初の絵の時点で惹かれなかったんだが、ここまでシンマンの感想書いてきたということで読んだ。
うーん、なんだろう、薄味に感じてしまう箇所がいくつかある。
相撲をやっていた主人公がバスケをやろうとするまでの過程だとか、親友との友情物語だとか、試合だとかにそれぞれのページ配分の結果、薄味に感じてしまうのかなあ。
作中のいずれかの要素や設定を削って、残ったものでしっかり描けば印象も変わってくるかもしれない。
まあ、絵とかテーマの第一印象に引きずられて、私の中での評価が上がらないってのは間違いなくあるだろうけれども。
さて、第二回のシンマン総括。
読みきりとしてみた場合の完成度もそうだけれども、連載権を手に入れるためでもあるから、そういう観点を意識して描かれた作品があまり多くないのは気になったかな。
まあ、私の中では、コマ割を工夫していた「10'sプレイヤー」は地味に評価したいところだけれども、ここを評価する読者って少ないだろうしなあ。
ストーリー漫画としてなら「彼女のホントウ。」、「陽だまりメモリーグラス」、「Drive」はそれぞれ評価できる所がある。
「TAMATA~黒タイツで蹴ります~」は、キャラで物語を動かそうという意識がしっかり反映されていると感じたし。
でも、総合的には設定とかテーマとかのウケがよさそうな「ホームレスエージェント」あたりが投票数多そうなのかなあ。
冗談で「様付けしろ」と言ったのを律儀に付けるところに始まり、田中さんのことを財布と呼ぶだけに飽き足らず、とうとう本名みたいに扱う場面とか。
お宅訪問からの、流れるようにお医者ごっこをしたりとか、青木のノリが終始よすぎる。
今話、トップクラスに好きかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20160830190925
意外と多くのブックマがついた。
皆が浮世絵に興味をもってくれてうれしいような、浮世絵ではなくて浮世絵にハマってる自分を面白がってるだけなのでそんなに嬉しくもないような。
資料アップしてもいいんだが、どうせなら自分なんかよりももっと浮世絵にハマったとんでもない人間たちを数名紹介する。
最初は横綱級の男、何度かネットでも騒がせているイギリス生まれカナダ育ちの男性。
ネットで話題になったゲームキャラの浮世絵のプロジェクトで彫り摺りを担当した男性。
その経歴がすさまじい。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/cover/foreigner/080909_mokuhanga1/
簡単に言えば、ある日浮世絵にハマり、39歳で日本に移住して独学で浮世絵の復刻をはじめたそうな。
その前から何度か日本を訪れては木版画用品を買い漁ったり職人のところに突撃を繰り返していたらしいが、居てもたってもいられずに日本移住というあたりが凄い。
日本に移住して最初の本格的な作品は、100枚揃いの浮世絵を、10年かけて彫り、摺りあげたというぶっ飛び具合が桁が一つ違う。
ちなみに、上の記事は浮世絵に捧げた彼の人生のうち、過激で記事にできないところを上手に隠している。
記事のなかのあんな思慮深く落ち着きのありそうな男ではなく、かなり沸点が低い。
まず、彼はコレクターでもある。
彼は浮世絵とそれに続く伝統木版画を気持ち悪いほど愛しているが、オリエンタリズムには興味がないし、歴史も興味がない。
美術品としてのいくらの価値があるとかいうことにも興味がなく、単純に「綺麗だから欲しい」、その延長でコレクションをしてる。
不思議なもので、「浮世絵が好きで、職人になりたい!人生を捧げたい!」という人はけっこういるのだが、そんな人たちが浮世絵を買ってるかというと、ほとんど買ったりしていない。
版画作りが楽しいから入った人、彫りや摺りの技術に感動した人、という人が多いような印象である。
一方で、浮世絵を買っている層はというと、描かれているものの歴史的な背景について熱く語ったり、江戸の文化風俗について興味があるとか、あるいは一種の財テクなのか有名な絵だから買うという人が多い。
単純に、絵の美しさだけに心奪われて、おかしくなってついには技術面にも興味が出てしまったのは、彼と自分くらいかもしれない。
今も大相撲を見ることあるけど、仕事の関係上休みの日にしか見れない。だからいつの間にか新しい力士が頭角をあらわしたりしている。
子どもの頃、祖母の家に預けられていた私は、曽祖母と大相撲や甲子園を見ることが日課になっていた。
今日はGWの振り替えでお休み。本当に久しぶりに3時過ぎから見ている。
曽祖母は1908年生まれで2007年まで生きた。最後までボケず、俳句をたしなみ、足腰は不自由だったが聡明な女性だったと思う。
北海道の開拓の第二世代として大正~戦前戦後、平成まで生きた。すごい時代を生きたもんだ。
最晩年、病院で曽祖母の手を握った感触は今でも忘れない。私も、時代は変われどあのように生きたいと思える人間だった。
中入りとか土俵入りをじっくり見ながら、また当時の力士が親方になったことを改めて感じながら、昔の、あの、祖母の家での日々を思い出した。
しっかし相撲ってのは非常にゆっくりとしたもんだ。慣例でほとんどの場合時間いっぱいまで仕切る。
だから冗長になる。お相撲さんたちは塩を撒くは四股は踏むはやりたい放題である。
で、取り組みは一瞬だ。
職場の女の係長なんかは相撲(豪栄道)が好きなのに、仕切りのところで「ほらまた豪ちゃんが準備運動みたいなことしてるよ!」とか言ってる。仕切りだっつーの。
そういう所作がまた大相撲のいいところだと思うし、解説がじっくり聴けたり、前の取り組みのダイジェストなんかが見れたりして、それなりにメリットがある。
だがやっぱり冗長だ。
例えばテニスの殿堂ウィンブルドンはコートが19あるという。これに倣って土俵も5個ぐらい有ると面白いのではないか。
幕内・十両の力士が取り組むセンター土俵、幕下の土俵、観客が自由参加の土俵なんかを配置すべきだと思う。
幕内でも同時に三番くらいやっちゃうのも面白い。コートを分けるように、土俵も分けるのだ。
もしかしたら両国には場所がないのかもしれない。その場合は国技館を改造して、縦に5段土俵を作ればいい。上の土俵は中空に浮いているわけだ。国技館を立体化すべきと言うこと。領国で無理だったら蔵前でも良い。
もちろん白鵬ら横綱陣は最上級の土俵で相撲を取る。最新鋭の土俵設備はもちろん、伝統やバリアフリーに配慮した土俵にすれば、批判は起こらない。塩も深海のものを使用しよう。
かつて角界は、江戸の場所と大阪の場所があり、それぞれ横綱があった。このように相撲は伝統的と言いながら、賭博問題などさまざまな課題も抱えつつ、激動の変遷を経ている。
そして漫画などでわかるとおり、相撲はなぜかSFと親和性が高い(『五大湖フルバースト』など)。ヴァーチャルな相撲は、実は角界の未来を考えるためにも役に立つ。
今テレビで見てる相撲が、未来もそのままであるわけではないだろう。どんどん相撲も変わって行っている。立ち合いの際の手を十分につくルールなんかもそうだ。ちょっと前までそんなことなかった。
近年、なでしこジャパンや
全世界に多大な感動を与えてきましたが、
名を刻もうとしております。
彼の名は、、、
「岡崎 慎司」
優勝など夢のまた夢と言われた弱小チーム、
「レスター・シティ」
に所属し、並み居る強豪チームを抑え、
とうとう優勝を目の前にしております。
これがどれだけ凄い事かと申しますと、
現地イングランドでは様々な賭け事と比べられ
「エルヴィス・プレスリーが生きていた」
とまぁ冗談はさておきと言いたい所ですが、
それぐらい凄い事が、今や現実になろうと
そんな“ありえない話”が今まさに、
起きようとしているというのに、
来ないのではないのでしょうか。
それもまぁ仕方がない事なのでしょう。
スポーツ・競技を取っても
比べようがないのでございます。
島国にはなかなか伝わりにくいのでしょう。
この話の痛快さは、その感覚を肌で感じて、
その凄さが腑に落ちてくる所にあるわけで、
するのが難しい話でもございます。
しかし、しいて上げるとすれば、
団体競技と個人競技の差はあれど、
大相撲を例に話を聞いて頂くと、
とまぁ、前置きが長くなりましたが、
少々お付き合いを。。。
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「まったくこの忙しい時にあいつは
なにやってやがんだい。
もう昼にもなろうってのに、あの野郎は。
まったく。。。
やっと来やがった。
何してたんだい!
それに狐の紋なんて入れちまって。
それになんだい、月も沈んでるってのに、
目の下にクマなんてつくっちまって、
その眠そうな顔は!」
「いゃいゃ大将、“ツキ”が沈んだどころか、
“ツキ”が回ってきたんですよ!」
「何言ってんだい!
それになんだい、
そのいでたち、そのトゲトゲしい履物は?」
「これはスパイクってもんでして」
「あぁもういい! スパに行こうが、
八百屋に行こうが構いやしねぇ!
えぇ!しかしなんだい、
こんな遅くに来やがって。え?」
凄い事が起きたんですよ!」
「近い近いよ!なんだい!なんなんだい!
そんなに興奮して!え?
狐を馬に乗せたような」
「え?何処ですか?
馬の上に狐が乗ってるなんて
サーカスみたいですね!」
「馬鹿野郎。“狐を馬に乗せたような”
ってことわざがあるんだよ。
ほんとにお前は。。。
で、何があったんだい?」
「そうなんですよ!大将! とうとう
“れすたあ関”が今場所で
優勝しそうなんですよ!
あれよあれよと、
「そりゃあ凄いじゃねえか!
俺も相撲には興味ねえが、
その“れすたあ関”っつう横綱は!」
「大将はわかっちゃいないなぁ〜」
「なんだい、虎の威を借る狐みてえに!
何が違うってんだい!」
「大将!虎の胃を刈るなんておぞましい、、、」
「お前のその、人の話で威張った態度を
表したことわざだよ、、、
で何が違うってんだい?」
「大将この“れすたあ関”ってのが、
実は横綱じゃないんですよ!」
「そしたら、大関か?」
「いゃいゃ」
「それが、前頭!
それも、この“れすたあ関”は、
それはそれは長い下積み時代を
足袋すら履く事を許されない年が何年も続き、
履けるようになり、、、」
「それで、そのトゲトゲしい履物を
履くようになるのか?」
「・・・」
「話の続きなんですが、前頭に上がっても、
なかなか日の目を見ない日々が続いた、
苦労人なんですよ。
それが今場所は違いましたよ!
半分を折り返した時点でも、
なるだろうと、、、
待遇差があった“れすたあ関”が、
幕下になってまだ間もない
“れすたあ関”が!」
「次の大一番で優勝が決まるかも
しれないんですよ!」
「おう!それは目出度い!
それで!それで!、
それで次の相手は誰なんだい!」
「雷電関なんですよ!」
「雷電関って、、、
雷電関、、、」
「大将!やだなぁ、まだまだ早いですよ!
優勝を決めた後にして下さいよ!
そんな“きつねにつままれる”顔するのは。」
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いくつかあるそうです。確率で比べると、
がしっくりくるのではないでしょうか。
結果を残してきたと理解していただければと
思います。
この文書が1人でも多くの
サッカーに詳しくない
老若男女の方々の元に届き、
今世紀最大と言っても過言ではない
共有するキッカケになれば幸いと存じます。
せっかくの夢物語。
青い狐軍団に化かされるのも悪くないのでは?
いいのではないでしょうか?
あなただけのウリはと訊かれ)
4・それでも負け越すぐらいなら引退
普通の相撲ファンなら全員がわかってることだし角界も全員合意してる
ほんとこれ
見てるの伝わってくる人も大人しい感じの人ばっかだからなあ
見てない人がでたらめ言ってても突っ込まれにくい
という当たり前のことをいじめだとかモンゴルサベツだとか大騒ぎしてるバカどもは
どうせ相撲なんか見てない奴等だし今後も見ない奴等だからどうでもいいよ
「コンテクストを全く知らないし勉強する気もないけどぼくの直感的な感情は正しいはずデブゥ」
相撲に限らずな。
それにしたってお前らにわかが口挟んでどうなることでもねーよ。
大相撲春場所千秋楽の白鵬バッシングに感じた違和感は主語を思いっきり大きくとると「日本社会のルールというものに対する意識のユルさ」なのではないか?
http://watto.hatenablog.com/entry/2016/03/28/143551
地球は揺れず、世界も止まらず ベテラン同士の攻防はメイウェザーの勝利
http://blog.goo.ne.jp/saupon/e/13c9c097fe12f5ac3e2d46e7315a74b5
メイウェザーは玄人好みの技巧的なボクシングで世紀のタイトル戦としては見応えがないが最終ラウンドまで戦った
しかし超高額チケットを買ったボクシングマニアとはいえない富裕層やパッキャオならあのビッグマウスを倒してくれると期待のPPV視聴者からは不興を買った
日馬富士と四つに組んでも8:2で勝てるだろうに
大一番を期待した観客が怒って帰るのも不文律を重んじる関係者から文句がでるのも納得できるのだが
どうも日本社会が悪いらしい
なでしこジャパンかな?
これもし日本人力士が同じことをして勝ったらどうなってたんでしょうね?
ましてや優勝していたら...
id:kodebuya1968 間違いなく称賛されていたと思いますよ。命を賭けてもいいくらいに確信しています。
ブログ主も間違いなく称賛するんじゃないですかね
白鵬の変化についてニュースがかしましいものの、相撲ファンではない自分がなんか言ってもトンチンカンになるよなあ、と思っていたのだが、そのトンチンカンになりそうな理由がちょっと分かった。
自分は横綱が変化すべきでない不文律って「フェアネス」の問題だと思っていて。
格上が手段を選ばず闘えば、格下は勝つのが益々難しくなるので、すべきでない、という話なのかと捉えていたが。
でも今回は相手も横綱であって、その「フェアネス」でいったら、同格なら何でもあり、縛りなしの真剣勝負じゃんかと。
で、そうなってくると、次の言葉が、「負けた方こそ、真剣勝負でなんで相手が手段を選んでくるなんて思ってるんだよ、それ、甘えてない?」ってなるんだよね。
「相手も、やっと真剣勝負ができる相手がきたと思って、すべての手段でお前を倒すぞで来てんじゃん」と。
でも、違うんだね、「らしさ」の問題なんだね。
横綱になるには強さの基準としての勝ち星だけじゃなく、「品格」って基準があって、要するにこれが「らしさ」で、
要するに横綱は「最強の称号」という「チャンピオン」ではなく、
勝負の場も、2人の世界だけじゃなく、「らしさ」を憧れの目で見てる第三者がいるんだね。
で、「会長は会長らしくせんかい」という話と、「え、フェアネスの話してたんじゃなかったの?」みたいな噛み合わなさが自分の中であったから、よくわかんなかったんだなぁ、と。
「会長は会長らしくせんかい」みたいな話って、不文律だの背中を見せるだので、外国から日本に連れてきた人に通じる?
「土俵を降りた後の振る舞いも見られてるぞ」みたいのは、海外のスポーツなんかでもキャプテンクラスには言われるんで、通じるかなって思うけど、それが土俵の上での戦術の選択にまでかかわって来るとなると、すげえ独特だなって思うし。
人間、喋っても伝わらんものを、「言わなくてもわかれ」みたいな話に見えて、それはそれで理不尽じゃねーの?とも。
横綱になったということは一種の大スターになったと言っていい。
ぞろぞろとタニマチを連れ歩き、大勢の付き人やマネージャーが付く。
横綱というのは力人の最高位であって、全てを圧倒する強さを持って、清潔なイメージを保っていた頃のベッキーのように人気を誇っているのだ。
横綱に昇格したと言うことは大関以下とはまた別の競技性をもつスポーツをしているようなもので、全盛期のジャイアント馬場のような
先日の横綱の相撲に批判が集まっているのを見て、うわぁやっぱり相撲ってわけわからんわ、という感想を持った。
あらゆる技を駆使できる器用さも求められていて、そして小技がこれでもかというくらい小気味よく決まって見事だと思ったからだ。まあ確かにあっけなかったけどね。
今回のことでちょっとは興味を持ちはじめてた心が引いてしまった。そのわけのわからなさに。
逆に、複雑で奥が深くて面白いと思う人もいる、のかな。
どっちかというとダルビッシュが小学生との「プロ野球選手に挑戦」的なイベントでほんとにギリギリのコースや、ワザと危険なコースに投げてびびらせるような大人気ないプレーをして、「真っ向勝負したれや」と見てる人になじられてる感じ。
こうしてファンやメディアが袋叩きにしてる時点で「みんなが変化するなってうるさいから」変化しない横綱もたくさんいると思うぞ。
今の白鵬以外の横綱やこれから横綱になるかもしれないお相撲さんも内心思ってるだろな「こえ~俺は変化しないでおこう」って。
そういうのもまた美意識ですか?
そう、そのように腹を括っているのならば胸を張ってスポーツ界、エンタメ界から退場すればよい。
たちが悪いのは「横綱の変化なんてつまらんからダメだ。白鵬みたいなけしからん横綱のせいで相撲は衰退する!(しかしルールは変更しない)」というタイプ。
日本人がメジャーリーグに進出し始めたころ、点差があるときの盗塁とか、派手なガッツポーズしたらダメで、やったら報復のデッドボールがくるとかそういうルールが取りざたされてた。
で、今回の相撲で横綱は立ち合いの変化をしたらダメだとか猫だましはダメみたいな話。
そのスポーツのファンにとっては当たり前だったり重要だったりするかもしれないけど、知らない人間からしたら微妙っていうか変な感じ。
それで人気なくなってええの?
相撲衰退しても?(もうかなり衰退してるが)
「つまらないが何もしない、何も変えない、ただ横綱を個人攻撃、人格攻撃するのみ!」ねぇ
理解できん。
おれは「つまらないから変化はなし」って言い分に反論してたらからちょっとまた話が変わってくるけど。
まあいいや。
日常生活でもあるよな。法律には定められてないけど守るべき事柄、守ったほうがいい事柄って。マナーと言うのかな。
あるいは「男らしさ」「女らしさ」なんてのもそうだな。「大人らしさ」ってのもあって「らしさ」から外れる言動すると批判浴びたりするよな。
今回でいうと「横綱らしさ」か。変化は横綱らしさに欠ける行為だとされているから批判されてると。
これについては俺は対案を示したけどな。そんな横綱らしくない横綱は引退させろと。
それでいいじゃん。
「明文化されてないコードを守ることに価値がある」とする立場も守られる。
「つまらんから変化するな」というやつもさすがに引退をかけた変化なら黙るしかない。というかエンタメとして最高に面白い。