はてなキーワード: 張り紙とは
・感染予防のため!!といってバリケードを張りお手洗い使用禁止をずっと続けていた。
・新商品ののぼりを出してるくせに朝イチから「それうちではやってないですねー」立てるなのぼりを。
・チケットとかうけとれるやつ、不定期に「今は使えません!」と張り紙が貼られる。
・地元のクーポン券発券を「一日○枚までです!」と勝手に制限。
・客はうちの職場の人間か関係者しか考えられないからなのか駐車やマナーで職場に苦情電話鬼電。
・店員、全員髪洗ってなさそうな前髪。爪もオシャレではなくただ長い。間に土はさまってるやつもいた。何してきた。
みなさんの近くのヤバかったコンビニもぜひ教えてほしい。
まぁ全く理解できないは言い過ぎた。そうなんだろうなとは思ったけども。
じゃあ人と喋るのはいいのか?(その店はいいっぽい。「コロナだから喋るな」という張り紙はあるのに)
本を読むのはいいのか?(スマホはダメだけど本は読んでも怒られないバーはある)
なぜスマホだけダメなのか。スマホは視覚的に美しくないから?ラーメンを食べる礼儀を欠くのか?
まぁ美しくないんだろうけど、現代社会でスマホ触れない店って?日常的に使うラーメン屋で?すき家とは違うと。
なんでいつの間にか「富良野市のイメージアップに繋がったかどうか」が争点になってるんだ?
違うだろう。
「この行政はこのアニメに協力しました」と言ったことに対して頭のおかしい市民から苦情の電話が殺到しても「お前の頭がおかしいだけですよ」で突っぱねられるかどうかが争点だろうが。
違うのか?
儲かるかでも、正しいかでも、人の役に立つかでも、社会に利益があるか、でもないんだよ。
叩かれずに済むか、叩かれたとしても反論が簡単か、この2点だけが重要なんだよ。
最も恐ろしいとされる会計検査院からのガサ入れだって結局はそこが守れてるかどうかが大事になるからな。
「おんどれは親方日の丸様の顔に泥塗ろうって輩が来たときに一撃で論破して『コイツこそが馬鹿』の張り紙貼って突っ返せるようにしとんのか!」だけが日本の公的機関が従うべき絶対的命題だから。
「このアニメって内蔵売りたい人が内蔵売ることは問題ではないって作品なんですよね?それに協力するってことは、富良野市は内蔵を売りたいって人達に協力的ってアピールでいいんですか?」と言われたときに「は?馬鹿かテメーは」で完璧に終わらせられるような作品に作り変えればよかっただけだろ。
馬鹿だな。
どっちも馬鹿だ。
この国での仕事の在り方が分かってねえわ
おしりふきはCOSTCO、おむつはムーニーLサイズ、ゴミ袋はBOSです。
実話です。
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今月半ばに37歳になる。子供は二人。
朝からバタバタと子供の送迎を済ませ、よく使うスーパーに買い物に行った。
野菜精肉コーナーの冷気にあてられた腹はじわじわと活動を盛んにし、ウンコを直腸の方へと押し出し始めた。
清掃中の看板ならまだ入れてくれと頼む度胸もあったが、上下水道が壊れているとの張り紙に絶望。
そこそこ広めの後部座席の床にしゃがみ込む。だいぶ楽になったが動きようがなくなってしまった。
ふと、車内常備しているおむつバッグに目が行った。おむつ、おしりふき、ビニール袋。
完璧だ。
私はさっきの買い物で取ったビニール袋を一枚広げおむつを底に敷き、尻にあてがった。
ええい、ままよと肛門からウンコを解放した。ズルズルズルどすんとウンコはおむつの上に落ちた。
自分が悪いんだけど。
今日は自宅から少し離れた場所にある児童館Aに初めて息子2人(ともに未就学児)を連れて行ってみた。
児童館Aには縄が編まれたアスレチックがあり、それで2階に上がれるようになっている(それでしか2階に上がれない)。
上の子はスイスイ登れるのだが、下の子は父親の自分も一緒に登って、体を支えて上げないと2階に上がれない。
だけども、自分は縄に体重を乗せると体重の重みで足がかなり痛く、とてもではないが登れない。
そこで、児童館Aの職員の方(職員A・70代くらい)に「スリッパ借してもらえないですか?それを履いて登りたいんですが…」とお願いをした。
というのも、いつも行く、自宅から最寄りの児童館Bでは、足が痛くて登れない自分に、職員の方がスリッパを持ってきて「これ使っていいですよ〜」という感じで使わせてもらえたからだ。
以来、いつも児童館Bではスリッパを借りて縄を登って息子を支えて登っていた。
というわけで児童館Aでも普通に借りれるものと思っていたら、「スリッパはお貸しできないんです」とのこと。
きっと児童館によってルールが違うんだろう、それならしょうがないと納得し、今日は1階で遊ぼうね〜と下の子を促そうとしたところ、「なんで!登りたい!パパ支えて!!」と泣きじゃくる状態に。
さすがに困ってしまって、「なんとかスリッパ借りられないものですかね?」と再度訪ねたら、職員Aは奥でPCに向かっているもう一人の職員の方(職員B・40代くらい)を不安気にちらっとみやって、「一度だけでしたら…」という感じでスリッパを持ってきてくれた。
で、やはりもう一度登りたいというので(また泣きじゃくる寸前)、「すみません、もう一回スリッパを借りることってできますか?」と職員Aに聞いたところ、かなり困った様子で「私では判断できかねますので……」と言って、奥の職員Bに聞きに行った。
奥の方で、職員Aをかなり叱責する声が聞こえた。あまりの剣幕に戦慄したほどだった。
ほどなくして、職員Aが戻ってきて、「やはりスリッパをお貸しすることはできなくて……」と涙目で自分に伝えて来た。
ここで初めて自分は察した。
スリッパで縄を登るのは、万が一事故が起こるのを防ぐため、貸すことはできない(そう伝えられてはいないが、そんな雰囲気だった)。
児童館Aでは、ルールはかなり厳格であるらしい(注意を促す張り紙が児童館Bに比べてかなり多いようにも見えた)。
自分の見た目や語気が怖い人のように映り、有無を言わさぬ雰囲気を出していたかもしれない(たまに言われる)。
職員Aは、職員Bに日常的に叱責されていそうである(不安そうに見やった目線が怯えそのものだった)。
もう謝ることしかできなかった。
自分の中では、ルールを逸脱することを強制させるつもりはなかった(結果的にそうなってしまったが)。
児童館Bでは日常的に借りれていたので、スリッパで縄を登ることが危険であるという認識すらしていなかった。
そのため、子供が泣いてどうしようもない状態なら融通をきかせてもらっても良いだろうという気持ちはあった。
本当に申し訳ない、という旨を伝えて、おとなしく1階のおもちゃで遊ぶことにした。
ところが、その後奥に戻った職員Aを叱責する声が再び聞こえ始めた。「伝え方が悪い、なぜだめなのか理由をきちんと伝えなさい、一度でも貸したら絶対にだめだ」といった内容だった。5分ぐらいだろうか。
さすがにこれは当事者の自分に責任があると思い、職員のいる奥に向かい自分がスリッパを借りたこと、最初に断られたのに再度自分が強要したことを詫びた。
叱責を繰り返していた職員Bは、叱責時とは打って変わって猫なで声(言い方は悪いがこのような印象を受けた)で、「こちらこそ申し訳ありません、聞こえてしまいましたか?当館ではこれこれこういう理由で〜〜」と、叱責の声が届いた謝罪とともに長々とどのように安全面に配慮しているかを述べ始めた。
職員Aは、「本当にごめんなさい、悪いのは全部自分なんです…」と繰り返していた。
その後は全員が謝罪を繰り返して終わったが、気まずさは半端ないものがあった。
しかし、子どもたちは特に気にしていないようだった(もっと遊びたいと言っていた)ので帰らずに遊ぶことにした。
その後も職員Aが児童館のおもちゃの遊び方を都度都度教えてくれたのだが、ずっと涙目で、手も震えていた。俺はいたたまれなくてずっと帰りたかった(1時間くらいで子どもたちが飽きてくれて帰れた)。
スリッパを借りれることをさも当然のように強要した自分が悪いんだけど、、
こんなにいろんな人を不幸な気持ちにさせるほどの出来事だったのだろうかと、自分を棚に上げてしまうがそう感じてしまう。
こう言っては悪いが、児童館Aには、ゼロリスク症候群に冒された、1mmの緩みも許さない狂気のマネージャーが支配する恐怖政治の世界を感じた。
スリッパを貸してくれる児童館Bは、職員は皆わきあいあいとしていておおらかだ。だけども、その姿勢がいつか事故を起こすのかもしれない。
どちらが正しいのかわからないが、どちらを選ぶとしたら、自分は児童館Bの世界に住みたいと思う。
正しいのは児童館Aなのだろうか?厳格に安全を守り抜く姿勢が事故を防ぎ、結果的に全員が幸せになるのだろうか?
職員Aの涙目や手の震えを思い返すたびに、そうは思えない自分がいる。
本当に悲しい気持ちが、今でも渦巻いている。
自分の行動が一番悪いということは重々承知している。でも、こうやってもやもやしている時点で、自分が悪いと思っていないのかもしれない。
荷物の配達に行くとたまにマンションで自転車を室内保管してはならないという張り紙とかプレートがあったりする。
多分、クロスバイクとかスポーツ寄りの自転車のことだと思うんだけど理由が書いてないからなんで駄目なのかわからない。
そもそも部屋に何を置くかは常識の範囲であればいちいち禁止される理由がない。
自転車が高いから部屋に入れたいというのもそんな突拍子も無い話でもないと思う。
「部屋が汚れるから」という理由なら油ものを料理したりタバコのほうが部屋へのダメージは大きそうな気がする。
エレベーターに乗せると中が傷つくから とか 他の住人に当たるとかなら「自転車はエレベーター使用禁止」で良いはず。
18:00退社
今日は寿司でも食うかと一つ前の駅で降りて回っていない寿司屋へと行った
おやおかしいな、暖簾は掛かっておらず提灯が光っておらず店内も暗そうだ
おいおいそりゃないぜ
俺は昼から寿司食べようと思って仕事してわざわざ一駅前で降りたというのに
下手したら1週間は寿司食えないかも知れないな、念のためというのが何とも言えない
そんな覚悟も抱きつつではどうするかと通りを見渡すと斜向かいに居酒屋がある
中に入って一名だと告げると店員が戸惑っていた
3名ほどで話し合って店内に入れてもらえることになった
なんだ?ここは一見さんお断りなのだろうか、この間僅か1分に満たないが入り口で何もすることなく待たされるというのは永久の時間に感じられた
案内されたカウンターを見ると両サイドに女二人組、反対に男二人組がおり、その間のニ席の空間が俺の居場所となった
席につきメニューを開いていると店員がやってきてスマホでメニューを頼む方式だと告げられた
これ嫌なんだよなぁ〜店内の備品ではなく自分のを使うというのともしスマホの電源切れてたらノーオーダーでフィニッシュよ
もし電源ついてても待ち受けがエグい虹絵だからあまり外でスマホ使いたくないんだよね
嫌だなぁと思いつつも承諾してメニューを再度見ようとしたら再び店員が話し出し飲み物をどうするか聞かれた
そりゃそうか、俺は寿司屋で寿司を食べる気だったからアルコールを摂取する気分ではなかった
居酒屋なら酒を飲むか聞いてくるわなぁ
水で、と答えると店員は去っていった
あぁこれはスマホじゃなくていいんだ、、
味はなんだろうな
両サイドの二人組たちの話が耳に入ってくるが単なる仕事の愚痴なので特に記憶に留めておく必要はないだろう
注文を待っている間に常連が一人来たようだがカウンターが埋まっているのを見て去っていったようだ
常連がカウンターに来るかどうかわからないけど一人の客に四人掛けテーブルを使わせたくないという葛藤で硬直してたのか
両サイドに気を使いながら晩飯を食べるということをしなくても済んだのに
しばらくするとまた別の常連が来てそれは入店して四人掛けテーブル席へとついたようだった
『俺は寂しく四人テーブルに座るよ」「さっきAさんが顔覗かせてカウンター見て帰って行ったのよ」などとカウンターが埋まっていることについて何やら会話をしている
カウンター越しの目の前の厨房にいる店員と背後の四人テーブルの常連が俺を挟んで会話をしている
俺邪魔じゃね?普段カウンターで話しているのを俺がいるからこうなってんだろう
なんか嫌だなぁと思い待っていた
野菜は右、肉は半生でいい、鉄板で焼けるから、油は沢山かけるとか色々とコツを伝えていた
俺の目の前で
なんか嫌だなぁと思いながら聞こえ声を聞いていた
消費金額ではなく来店回数によるポイント加算で5ポイントごとに特典があり、ポイントカード提示時点で500円引きになるという説明を受けた
また来てくださいと言っていたがなんだ急に接客モードになったな、と落差にビビった
帰路は走って帰った
靴がちょいと痛いが一駅区間ならまぁええだろう
マスクの息苦しさがなんか嫌だなぁと思いつつ家まで走って帰った
朝起きたら直ってるかなと思ったが、まだ断水中。
まあすぐ直るかと。
川の水汲んできてとりあえずトイレを流す。
近所の小学校に給水所があるというので
ポリタンク1つ持っていく。
自衛隊の給水車かと思いきや、小さいステンレスタンクを積んだ給水車。
あのクルマのサイズで好き放題やってたらそりゃそうだろ、と思う。
帰り際に、民家に井戸水で飲料水ではないですがお使いくださいと
張り紙がある。
数人並んでいたので、ありがたく頂くことに。
入れ終わったくらいで家主も水を汲みに出てこられたので
お礼を言って帰る。
帰ってテレビをつけたら、テレビは通常通りワイドショーやってて
なんだか訳がわからない。
SBSとかテレシズとか一体何しとんねん
ちなみに静岡市のページはクソわかりにくい。
清水区民の水はどうでも良いのだろうな。
そして市長も何も出てこない。
どうなる!静岡!
台風到来とは思えないほど風も雨も無いので近所の小さなショピングモールに車で出掛けた。目当ての散髪屋に行くと台風のため早目に閉めますと張り紙。あちゃーと思いつつ館内を回るとユニクロも本屋もスーパーもマクドナルドもぜーんぶ閉まってる。
ここでやば、おれ電子マネーで決済するつもりでスマホしか持ってきてない…と気付いた。
店内を見回しても無理にお金を使おうにも流石に…みたいなほんま要らんもん買うしかないという状況。
みんなならこの状況ならどうする?
俺は仕方なく、駐車券の精算機に横にある受話器を取って目当ての店が閉まってたこと、現金の持ち合わせがないこと(駐車料金は300円)、可能であればタダにしてほしい、無理ならなんか買うけども…
8年前、下町に引っ越して驚いた。狭いスペースの植え込みや家の前に植物を大量に育てる家だらけだった。
特に玄関前の道路脇スペースと街路樹の植え込みは、完全にその家の私有地だった。
我が家はビルの三階だが、ビルの前の植え込みは隣の家のおばちゃんが世話する庭木スペースになっていた。
椿、薔薇、いちじく、夏はひまわり、かぼちゃなどが所狭しと植えられ、同時に雑草も勢いよく繁茂し、都内とは思えぬワイルドなガーデンだ。
私と夫は都会のジャングル空間が結構好きで、帰宅する際にはどんな雑草がどれぐらい育っていたか、見たこともない謎の草が生えてきたら画像にとって調べたり、日々楽しんでいた。
区の管理でシーズンごとに、雑草は刈られ丸坊主にされてしまうが、例年旺盛な生命力で春先から夏にかけてどこからともなく復帰する。
おばちゃんが我が物顔で植えたイチジクやバラの成長を見守るのもワクワクだ。
一度たわわに実ったイチジクが、心なき夜盗被害によりすべて失われた際には、おばちゃんと怒りを分かち合ったものである。
街路樹以外の植木を、期日内に全て撤去する張り紙が貼られていたのだ。
おばちゃんが管理していた超密スペースにも、例に漏れず張り紙が貼られ、私と夫は大きく育ったイチジクの木や見事な椿の木はどうなってしまうのだろうと、陰ながら心配した。
5月になると町内の街路樹の植え込みは、街路樹以外全てキレイに雑草ごと引き抜かれ、丸坊主にされてしまった。
あとに残ったのは、ひょろひょろしたヤマボウシのみだった。
しかし雑草の生命力はすさまじく、9月現在、我が家の前にはどくだみとノウゼンカズラが猛然と幅を利かせむくむくと育っている。
まったく釈然としない。
町の人たちが狭いスペースを利用して緑を楽しむささやかな幸せを奪った区に対して、猛然と抗議すべく。
7月の半ば、私はスペアミントとレモンバームの種をネットで大量に買い、雑に全力投球スタイルでばらまいた。
そして今、雑草のみでジャングルとなった街路樹の植え込みには、レモンバームとスペアミントが育ちつつある。
ま、これも立派な雑草だ。
いつ終わるとも知れぬ夏は未だ続いているので、粛々とミントが育つ雑草ジャングルを、これからも夫と日々見守り続けようと思う。