はてなキーワード: 動物園とは
はてなーは公立中学は動物園って言うけど、東大合格者ランキング上位の中高一貫校、たとえば灘とか開成高校のような学校だって、意外に思うかもしれないが十分に動物園である。トイレでタバコを吸う、近所の女子高の生徒の胸を触る、痴漢をする、授業をサボってラーメン屋にいく、授業聞かずに私語、修学旅行先の旅館の大浴場でカップラーメンを作って遊んで汚す、走行中の車にゴミを投げつける、万引き、もうあげていったらキリがない。
俺は公立動物園の方のサルだったが、超難関私立動物園の方のサルたちとは塾が同じで、そこで意気投合して遊んでいた。俺は最初真面目なサルだったが、彼らと遊ぶうちに真面目なことがカッコ悪いと思うようになり、犯罪行為こそしなかったがタバコを吸う、授業をサボってそいつらと遊ぶ、教師を見下すなど堕落していった。勉強は続けていたが東大には落ちた。一方で、一緒に遊んでいた超難関私立の奴らは全員余裕で受かっていった。
浪人という辛酸をなめ、大学、大学院、就職先で才能のある奴らと競争してやっと俺は気がついたのだが、真面目に生きよというのは凡人のための知恵である。凡人に遊んでいる時間などないのである。ふざけず、サボらず、目の前の師に教えを乞うてがむしゃらに努力し続けることでやっと、才能のある怪物みたいな奴らの背中が見えてくる。凡人が堕落した生活をしたらただ堕落するだけだから、とにもかくにも真面目に生きよというのを、昔の人は教訓に残したのである。
楽しかった〜
今年読み始めたもの、ずっと読んでるけど今年特に面白かったもの、今年読み返したものなど思いついた順
・千年狐
絵がうまい
・女の園の星
孤島の鬼の作中舞台劇良かった
面白かった!
作者同い年で震えたね…
・天国大魔境
映像で見るの楽しみ〜
なんとなくデッドマンワンダーランド読み返したくなった
SCPも出てくる 令和の小学生羨ましいな〜
絵が上手い
・全部ぶっ壊す
一生続いて欲しい
・アンテン様の腹の中
・サエイズム
自由を感じる
今満を辞して主人公が強くなろうとしている
頑張って欲しい
・じゃあ、君の代わりに殺そうか?
・往生際の意味を知れ!
怖い
絵が上手い
中学の頃…って語り出すやつを毎話やる
・ブランクスペース
今年完結!超良かったです
・花野井君と恋の病
高校生達のカウンセリング能力とコミュニュケーション能力が高すぎる
今年一番好きなラブコメ
主人公の成長に伴いコメ欄書き込み層がエチに興奮するキッズ(概念)から少年少女の成長を見守るおばさま(概念)に移行していくのも見所
・湯神くんは友達が少ない
なんか品がいい
・氷の城壁
絵が上手い 楽しみ
まだジェットコースターのタメの部分
ずっとロックフェスやってるけどもしやそろそろ終わってしまう?
絵が好き
・宝石の国
作者の人3年くらい音沙汰なかったから再開してうれしい
最新刊はア〜〜〜となったけど最新話は好き
・ひとりでしにたい
ためになる
Twitterで感想見ようとすると毎回東京自殺防止センターが話きこか?してくる
・まじめな会社員
普段目を逸らして生きてること全部書いてあって嫌だったけど怖いもの見たさで全部読んだ
・模型の町
淡々とほぼ毎年出してくれてありがたい
足摺り発売時からずっと唯一全巻紙で買ってるかも
・血海のノア
第二部に続く!と思ったら続かなかった…
クソデカ船と人外に追い詰められる人間とっょぃょぅじょはなんぼあってもいいですからね
・裏バイト
質が良い
・昨日、君が死んだ。
なんかすごい世界観だった
・鬱ごはん
他人事とは思えない
こんな話だったな〜と思った
・モブサイコ100
読み返した
・ちいかわ
あのこ
・あかね囃
大変なことになったけど元気そうで良かった
・みなそこにて
お母さんがずっと優しい回の話が本当に辛かった
絵が上手い
読み返したくて全巻大人買いした
大変なことになってきた
完結した 良かったな〜
できれば人外(もしくは人外レベルに破天荒な人間)と普通人間のバディものがもっと読みたいですね〜
科学的事実と社会学的通説は異なると言いたいんでしょうかね、本質的には「便宜上こうであるという取り決め」「科学的妥当性」「社会的妥当性」です
この一文から、正しさとは「便宜上こうであるという取り決め」「科学的妥当性」「社会的妥当性」のいずれかを満たすものである、と定義されたと読み取らせてもらう。
まず全般的に、あなたの言う正しさは私の言う正しさより狭義であり、私の言う科学があなたの言う科学よりも狭義であることは同意を得られるだろうか?
そこで定義の狭さを争っていても仕方がないとは思うけれども、そちらが科学的正しさは思い込むことではないと言う主張をされているので、あなたが主張する科学的正しさであるところの「便宜上こうであると言う取り決め」「社会的妥当性」と「科学的妥当性」のうち、科学的妥当性の方は自然現象から導き出されるものなので思い込まなくても正しさが担保されているが、「便宜上こうであると言う取り決め」「社会的妥当性」は人間の意識から導き出されるものなので、それが正しいと思うことに一定のコンセンサスが得られないとその正当性が担保されない正しさであると指摘している。
なので、あなたの理解の尺度に合わせて言うと、科学的事実と社会的通説は異なる。これに尽きる。
でも正直、水が凍る温度を摂氏0度と定義すると言うことを水を0度で凍ると定義すると言い換えてしまう人に科学的事実が何なのかをを分かってもらえる気がしない。
また、暗黙知や経験知にはアップデートが必要だと言う話と、あなたがそうしたアップデートを怠った人々のことを「動物園」と呼んでしまっためちゃくちゃ失礼な感性の間には論理的な繋がりはなにもないよ。
さらに言わせてもらうと、このツリーの流れは私の主張に対してあなたが疑問を投げかけてきたので私が答えているという流れだと思っていたよ。私の質問はあなたの疑問に答えるために必要な質問でしかないのに、
「水を0度で凍ると定義する」ことも傘も殺人も医療も化学も他もすべて、「これを正しいとする定義や指標を作った」という意味でしかなく、同じものだと言ってるんだがな。
これは明確に違う。
傘の窃盗や殺人については社会的な必要に求められた「正しいとする定義と指標を作った」というのには同意するが、医療や科学については必ずしもそうではない。固体が温度が上がると液体になる現象やさらに温度が上がると気体に変化する現象は確かなものだと観察されているが、この現象が人間による定義や指標により作られたということはあり得ない。
そうした科学的検証による妥当性は人間の定義とは関係なく存在している(観察には関係しているが)。そうした現象を基にした判断と人間が作り出した正しいとする定義と指標を基にした判断を同列に扱っている点は看過できない。
ここで一度問うけれど、正しいということは
と、
のどちらなのか。
定義が破綻しているように見受けられるので、その気があるなら再度定義を明確にしてほしい。
またこれは余談ではあるが、他の人が持っている暗黙知や経験知を動物園的な正しさと呼んでしまう感性にはとても共感できない。
他人をなんだと思ってるんだ。本当に。
動物園的な正しさのことは、前に言ったような太古の法や幕府のおふれやスローガンやプロパガンダなど時代遅れの古ぼけた知識、周辺知識の抜け落ちたかつて「もともと正しかったかもしれないもの、はるか昔に正しいとされたこと」が断片的に生き残ったおさがりを、なんとなく正義として主張してる人たちの無知ゆえの一体化、と定義しよう。
そして世の中のほぼ99%の「正しさ」「指標」は、元を辿り中身を解きほぐしていけば、上記動物園的なおさがりと、下記の取り決めのどちらかにいきつく、と言わせてもらう。
「水を0度で凍ると定義する」ことも傘も殺人も医療も化学も他もすべて、「これを正しいとする定義や指標を作った」という意味でしかなく、同じものだと言ってるんだがな。
ウイルス感染を君は科学的検証から得られる妥当性というが、その妥当性という概念自体が「正しさ」という概念なのだよ。過去の膨大なデータから行ったとしても「未来予測」「予想」が確実な100%になることはありえない。99.999999%の確率だとしても。過去の観測から相当程度に確からしいと言えることを今回の事象に当てはめることでしかない。確率と定義をどう扱うかの基準を正しさというんだ。医師がデータをもとに目の前の患者に対して「ほぼ確実といえる程度に正しい治療を選択する」営みはただの科学的観察の結果以上に、何をもって正しいとするのか、正しいとされる指標に基づいた正しさの判断と選択だ。科学的検証をどの程度信頼するか、判断をどの程度信頼するか、得られたデータをどの程度信頼するか、定義と取り決めだ。
そして傘の件も上記と全く同様である。どれを妥当とするか、過去の事例の観察や観測や分析から相当程度に確からしいと言えることを今回の事象に当てはめ、どの程度信頼するか、確度と定義をどのように扱うかの話である。
この例からは傘を盗んだ人を特に意味もなく死刑にするのは正しくないとあなたが考えていることが窺える。
では、傘を盗んだ人は正しいだろうか?
社会的な取り決めからすると、人のものを盗むのは正しくないとされている。
これは2000年も昔から問われていることがわかる問いだ。有名な「罪のない者だけが石を投げよ」だ。
ここで迷いなく石を投げられてしまうメンタリティを、私は「自分を正しいと思い込む」と呼んでいる。
つまり、私が批判する「正しさを盾にした他責思考」というのは、奇しくもあなたが例に挙げた傘を盗んだ人を特に意味もなく死刑にする社会を招くものでもあるのだ。
その、2000年前の「罪のないものだけが石を投げよ」云々、石投げメンタリティ~~云々は、前述した時代遅れの周辺知識の欠落した太古の法が勝手にことわざとか標語になってなんとなく大衆に伝わってなんとなく大衆が信じ込んでるおさがり、つまり動物園的大衆的正しさとここでは定義している。私がずっと返してきた大衆的正しさのツリーを見てもらいたい。言いたいことはおそらくミルグラムの実験等で見られた傾向のようなものの話だろう。それは人自体の傾向のようなものだ。個人が批判するしないの問題ではない。
それを踏まえた上で議論を続けた結果が現代の(私の言う狭義の)正しさである。正しさとは、現在進行形ではあるが、今現在の最も確実に目的を達成する方法の探求と言い換えて差し支えない。
傘を盗んだ人が正しいかどうかの議論の結果が単純に傘を盗んだ人を死刑にする社会を招くことはない。(大衆的動物園の正しさではそのようなことわざや美談や道徳があるかもしれないがこれに深入りするのは「正しさ」の議論からは遠ざかるので割愛。報道や別の分野の話になるだろう。)どうすれば簡単に人を死刑にする社会が起こるのかと傘の件は全く別の議題で議論が重ねられて今に至っている。これも観察と確度と扱いや取り決めによる。傘を盗んだ人をどうするか、人を意味もなく死刑にする社会は正しいのか、殺人を正しいとするのか、100%の確率は到底求め得ないが、どのように扱い何をどの程度信頼するのか。そういうことを取り決める確度と取り決めの積み重ねが現代社会には存在しており、議論と改善を繰り返している。これは他の正しさと全く異ならない。
狭義の正しさについて話してくれてるみたいなので、広義の適当な動物園大衆的正しさ(前述)については議論の対象外とするわ
動物園的な正しさは要するに時代遅れの古ぼけた知識、周辺知識の抜け落ちた下記のような「もともと正しかったかもしれないもの、はるか昔に正しいとされたこと」が断片的に生き残ったおさがりを、なんとなく主張してる人たちの無知ゆえの一体化だから
1+1=2は正しさ(便宜上の仮定)、水が凍る温度は0度なのは正しさ(指標)、殺人を非難するのは正しさ(社会の運営方針)
風邪の原因がウイルスに感染したことなのは正しさ(非常に高い確率)、そこで行われる治療の正しさ(最も確度の高い治療法)
人が正しいと思っているものってこういうことだよね
人が正しいと思っていること全てを指して、正しさと呼んでいる。
正しいという思い込みってのがそもそもよくわからん、正しいというのは必要があって仮定していることとか、社会に必要だから便宜的に定義したものとかのことであって、思い込みというよりは取り決めですし他責思考って言うけど上記正しさに無根拠に違反した人に投げかける非難や疑問は正当では?
風邪ひいた人間におかしな治療をしたらその確率の壁を超える選択をした合理的な理由を求めるでしょう
風邪をひいた人に何の意味もなくいきなり高血圧の薬を無根拠に投与したら下手すると死ぬよ
傘盗んだ人を特に意味もなくいきなり死刑にする社会が爆誕するのもやばいと思うよ
一人一人の人生とか正しい側だと思い込むとか侮蔑とかの気分的な正しさ(?)とかいう概念のことを、一般大衆的正しさって呼んでるんだけどわかる?
もともと現代日本人はほとんどが正義や正しさについて教育を受けていないので、ほとんどの人は当然のごとく正しさや正義を知らないという話
現代日本人はほとんどが義務教育でバイオリンを学ばないので日本人のほとんどはバイオリンを弾けないとかそういう感じの話でしかねえ
正しさは学者や実務家が丁寧に議論を重ねて修正を繰り返して作り上げていくもので、自分を守るとか盾とか侮蔑とか思い込みとかの入り込む余地はないの
そんな単純で人をさげすむような変な概念じゃないの
君の言ってるタイプの正しさは動物園的な一般大衆的正しさで、殆どが元をたどれば明治のスローガンだの幕府のおふれだの太古のローマ法の一部が慣用句とかことわざになって周辺知識が抜け落ちたナンチャッテだとか、法の一部の聞きかじりのおさがりだって言ってるの
兵庫民なので、
と、こんな感じなんだけど、東京の人ってどんな生活してるんだ?
県内の酒造・醤油・ソース・味噌メーカー調べて飲み比べ・食べ比べもしてなさそうだし、
おかきの播磨焼き見て、ヤバそうやけど朝日揚げ美味しいからまぁえっかって過ごしてないやろ。