はてなキーワード: 公娼とは
今回対象とする男は所謂KKO(好きな言葉じゃない)を主な対象とするけどそうじゃない男も書け。
まず何があればお前は救われたと感じる?適当に上げるぞ。
最初は金だな。これがないと何も始まらない。賃上げ要求をもっと激しくしろ。デモストはマイナスのイメージが強くなり過ぎたが本来は必要なものだ。
最終的にはベーシックインカムを求めろ。5000兆円欲しい!とかおふざけで消費しないでもっと真剣に金を求め続けろ。
次に自分を愛してくれる人間か?これは難しい。なぜなら他人の意志が関係してくるからだ。他人をどうこうすることは国にも出来ない。
婚姻は両性の合意のみに基いて成立する。他人の意志には自分は関与できない。辛い話だ。
だからその辛さを大手を振って受け止めてくれる存在が必要だ。カウンセラーだな。
そもそも何故そこまで「愛されたかったか」を考えることもできる。カウンセラーはそこらへんのプロフェッショナルだ。プロフェッショナルのサービスを求めろ。
しかしカウンセリングというものは高い。保険適用外だと金が無いと近寄りたくすらない。
というわけでそこも変えるように国に要求しろ。優しくしてほしいと国に叫べ。今なら叶えられる。
安く、質が高く、気軽なカウンセリングサービスの設置を求め続けろ。
セックスも必要だ。今でも金が多少あればセックスはしかるべき場所で出来る。
貧富の差はどこまででも存在し、物欲と性欲がある限り売春は絶対に消えない。
しかし持続可能なセックスを考えれば娼婦の地位の向上を考えたほうがいい。
公娼を育成し高給と安定と社会ステータスと引退後の進路をセットにするよう求め続けろ。
他に欲しいものがあったら書け。
もっと具体的に求め続けろ。
占領直後の性的暴行や強姦の件数については確定していないが、藤目ゆきによれば上陸後一ヶ月だけでも最低3,500人以上の女性が連合軍兵士によって被害をうけ、その後も1947年に283人、1948年に265人、1949年に312人の被害届けが確認されているがこれらは氷山の一角であり、藤目は占領とは「日本人女性に対する米軍の性的蹂躙の始まり」でもあったと述べている[8]。
その後も在日米軍による犯罪は続き、1952年5月から1953年6月の警察資料でも殺人8、過失致死435、強姦51、暴行704など合計4476件の犯罪が報告されており、1954年2月には宇治市大久保小学校4年生の女子児童が強姦されたあとに陰部から肛門まで刃物で引き裂かれる事件が発生し、ほかにも4歳の幼児が強姦され、危篤状態になった事件や、突然狙撃されて死亡した事件などが多発した[9]。
日本占領後、多くの市民は連合国軍の上陸によって日本女性が強姦されることを恐れていた。こうした懸念から、内務省警保局をはじめ各省庁および都道府県庁は、女性らに自宅待機、避難、日本人男性から離れずいるようにとの注意喚起、また米兵との接触を回避するよう勧告をしている。
米軍が最初に上陸するものと推測された神奈川県では、県警は若い女性や少女に避難勧告をしている[10]。内務省警保局の情報にも「神奈川県ハソノ特質上敵ノ最初ノ上陸地点タルベシトノ想像モアリ「敵ハ十八日ニ神奈川ニ上陸スル」ノ流言多シ」とあり、戦争関連の諸文書が一斉に焼却廃棄されるなか、行政機関当局にも相当の混乱があったことが窺える。主要港湾を擁する横浜市では、幹部職員の全員逮捕処刑を前提として、緊急措置として市民のうちの婦女子の疎開避難、女子職員の全員解雇などを決定し、これをきっかけとして丹沢方面への疎開騒ぎが広まっていた。
これに呼応し、政府は内務省警保局長名で特殊慰安施設協会(RAA)の設立について全国都道府県に打診し、東京都下の料理飲食業組合、芸子置屋同盟、待合業組合連合会など7団体代表者により、特殊慰安施設協会が急きょ設立され、協会を通し「性の防波堤」となる志願女性を募集した[11]。これにより、各所に「進駐軍将兵慰安施設」が設置され、一例として横浜の大阪商船ビル、日本造船大丸谷寮、箱根、江ノ島の新設施設などがこれに利用された。GHQ当局は1946年1月に、「非民主的であり、女性への人権侵害である」との理由から施設の閉鎖と公娼の禁止を宣言したが、占領軍兵士を相手とする「私的」売春は継続され、兵士たちの間で性病が蔓延した[12]。
ジョン・ダワーによれば、特殊慰安施設協会設置の効果もあり、占領軍の規模と比較すると日本政府の想定よりは強姦の発生率は低かったが、同時に性病の集団感染も引き起こした。一例としては、検査の結果1個師団の70%が梅毒、50%が淋病の陽性反応を示したため、これを主因として売春施設は閉鎖されることとなった[12]。
公娼施設の廃止後、強姦の発生率は約8倍に増加し、ダワーの調査によるとRAAが活動終了した1946年以降、日本人女性に対する占領軍将兵による強姦件数は一日平均40件から一日平均330件に急増した[13]。これに対してブルマは、「毎日40件以上の強姦が行われた可能性があるが、ほとんどの日本人は、アメリカ人は恐れていたよりも規律的だと認識していただろう」と述べている[14]。
テレーズ・スヴォボダは、慰安施設閉鎖後に強姦の報告件数が急増した事から、兵士に対する慰安婦の提供が強姦事件抑制に一定の効果があった事を認めている。スヴォボダはまた、一例として慰安施設の営業開始前に、待ちきれなくなった数百人の米軍兵士が二棟の施設に乱入し、そこにいたすべての女性を強姦した事件についても言及している[15]。 また、スヴォボダによると特殊慰安施設協会の廃止後少なくとも二件の大規模な集団強姦事件が発生している。
東京都の事例
スヴォボダおよび田中の調査によれば、1946年4月4日の深夜、3台の軍用トラックに便乗した米兵50人が東京都大森区(現・大田区)の中村病院に侵入し、号令の笛とともに約一時間の間に女性患者40人、女性職員37人を回姦凌辱した[16]。被害者のうち、2歳の幼女は事後床にたたきつけられ死亡したほか、止めに入った男性職員一名が殺害された[16]。
名古屋市の事例
また、田中によると、同1946年4月11日に名古屋市の住宅街に侵入した30人から60人の米軍兵士が地域内の電話回線を切断後、各家屋に同時に侵入し、10歳から55歳の女性を強姦している[17]。
マイケル・S・モラスキー(日本文学、日本語学研究者)によると、日本の警察の報告を読むかぎり、強姦やその他の重大犯罪は海軍を中心に広まっており、横須賀基地と横浜周辺における占領後最初の数週間の犯罪件数が突出しているが、日本本土全体では一般的ではなかった[18][19]。
上述のように、駐留米軍兵士による拉致、強姦、殺人は日本全体には波及していないものの、警察記録と報道記録が示している通り、凶悪犯罪を犯す兵士の多くが、1945年に日本に上陸し、最初の数週間の間に記録的件数の犯罪行為をおこなっており、占領最初の10日間だけで1336件の強姦事件が報告され、その後も9月一か月間の横浜市内での強姦事件は119件にのぼっている[20]。ダワーによれば、被害者が数人以内の場合には警察に報告すらされなかった。[21]
北海道の事例
歴史家の竹前栄治、ロバート・リケッツらは、米空挺部隊が上陸後、札幌市内において略奪、強姦、酔ったうえでの日本人への暴行などを働くことはまれではなく、強姦被害者の中には自殺した者も少なからずいたと述べている[22]。
ロバート・アイケルバーガー第8軍司令官は、非番の兵士から女性を保護するために日本人が自警団を組織した際、第8軍の装甲車に協力を命じ、事件の首謀者を逮捕したことを記録している。しかしダワーによれば、一方で強姦事件の中には警察に報告されないものもあった。
竹前とリケッツらによると、オーストラリア、英国、インド、ニュージーランド軍の一部によって構成され、中国及び四国の9県を占領していたイギリス連邦占領軍 (BCOF)も、また多くの強姦に関与していた。
オーストラリア軍は1946年に広島県呉市に上陸するとすぐジープで若い女性を拉致し強姦していた。被害者がほぼ毎晩助けを求めて泣き叫ぶのを聞いていたが、占領軍による犯罪行為の報道は封殺されていた[22]。中には、一人の少女が20人以上の兵士に回姦される事件もあった[23]。
イギリス連邦占領軍の公式報告では軍所属の将兵が1946年5月から1947年までの期間に57件、1948年1月から1951年9月の間に、さらに23件の強姦を犯し、有罪判決を受けたされる。しかしながら、1946年2月から4月にかけての英連邦占領軍による占領当初の重大な犯罪の公式統計は存在しない[24]。オーストラリアの歴史家ロビン・ゲルスターによれば、イギリス連邦占領軍の重犯罪公式統計は米国と同様に過小評価されているが、これには日本の警察が被害報告を占領軍に提出していない場合があり、これにより英憲兵隊が調査を行わなかった事も少なからず影響していると述べている[25]。
ジョン・ダワーによれば、GHQ当局は1945年9月から1952年の占領終了までの間、幅広い検閲(プレスコード)を日本のメディアに対して実施しており、開始当初には左翼活動や軍国主義、超国家主義的な思想といった思想分野が差し止め対象となっていたが、占領開始から数か月後にはこの範囲を大きく逸脱し、占領軍による強姦などの重大犯罪や社会問題も幅広く検閲の対象となっていた[26]。
竹前栄治とロバート・リケッツによると、占領軍は、1945年9月10日付連合国軍最高司令官総司令部令「占領活動に敵対的な全ての報告・統計発行物の違法化にむけた報道発表と事前検閲に係る規則」を定め、強姦などの重大犯罪に関する報道を統制していた。占領終了後、一部の日本の雑誌はアメリカの軍人が犯した強姦件数を発表している[22]。
つまり、慰安婦は皆自らの意思で売春していたただの公娼であり、
日本軍は彼女らにちゃんと正当な対価と離職の自由を与えていた、
って主張を信じてるってこと?
軍隊の性病防止や性犯罪防止のために、軍隊慰安所が開設されたことは事実。あくまで公娼の範囲内での話。
そして、必要悪であったとしてもやはり女性の気持ちを傷つけたとして、河野談話や安倍談話として日本政府は公式に謝罪した。
それを政治利用して、日本から更なる謝罪を引き出そうとする頭のおかしい国が日本のそばにあるけど、まあこれは無視すればいい話。
ただし、日本軍が占領地の女性を誘拐して慰安婦に仕立て上げたことについては、3年前に朝日新聞が誤報であると認めた。
一度だけ、インドネシアでオランダ人女性を日本軍人が誘拐して慰安婦にしたことがあったけど、これは軍規違反で関係者は日本軍の軍法会議によって処分されている。
女性の社会的地位を上げろというが、実力があれば誰でも社長になれる。
それが実力もないのに役員のイスに座らせろ、というのがフェミニストの論だから感情論以外の何物でもない。
実際、女性活躍の先進国であるノルウェーでは実力のない女性役員が増加して業績が悪化しているといった事例が報告される始末だ。
フェミニストの目は一体どこに付いているのだろうか。
不満はそれだけではない。
一種の病気でもあるが、女性専用車両に代表される女性の怠慢の象徴であるかのような税金の無駄遣いを推進し、他方レディースデーなどに反対すると排外的だからと取り合わず
自分たちの境遇を外国の例を湾曲して都合の良いように主張する。
主張が通らない時は喧しく騒ぎ立てては、まるで児戯ではないか。
女性の人権を守るべく主張するのは結構だが、社会的地位云々を主張する前に歴史的背景や当時の女性の社会的地位についてもう少し勉強してみてはいかがか?
あの当時の女性たちの境遇を現在の女性たちの境遇に重ね合わせるには無理がある。
経済とか境遇とかは今は何とでも変えられるが、逆にあの当時はああいう体でしか女性は社会的地位を得られなかったのは事実である。
また、フェミニストお得意の海外の例に目を向けると、ドイツやイタリアでは古くから公娼という市民権を与えられた特別待遇の慰安婦が存在している。
彼女らは参政権も与えられているので選挙に立候補したり投票権が与えられたりもしていた。
これは歴史背景が為せるものであって、差別されてきたとは必ずしも言えない。
ただ、日本の場合仏教伝来によって男尊女卑の思想が根付き、それはイデオロギーとなって現在までに至ったわけだから
フェミニストはそれを何とか改善すべきだと働いているのは知っているつもりだ。
しかしながら、海外の事例を基に身勝手な思想をフェミニストでない一般の人に植え付けるのはどうかと思われる。
そもそも慰安婦などというのは便宜上言われた記号でしかなく、娼婦あるいは売春婦が正式な名称だ。
歴史の何を以って強制性を語り政治的なニュアンスでこれに反対だと主張するのだろうか。
彼女たちは一体何と戦っているのだろうか。
この観念ですらも女性が女性である事を利用した証ではあるまいか。
女性の社会的地位の向上を求めるのであれば、従軍も女性は率先して積極的に志願すべきであった。
今日の女性が不遇という風潮はその昔からデモも何も行ってこなかったツケではあるまいか。
また、現在の実力制が女性の地位向上の足枷になるのであれば、それを撤廃すればいい。
女性専用車両にしても自分で自分の身を守る位の事が出来ないから痴漢されるのだ。
痴漢が嫌なら痴漢を滅多刺しにしてでも身を守れ、自己防衛が過剰防衛にならない程度にだが。
それに痴漢だと叫べばいいじゃないか。
男に守って欲しい女になろうとするな。
何でもかんでも自分の思い通りになるとは思わない事だ。
また、個人観も重視すべきだ。
朝日新聞の記事以外で明確な証拠はあるんだろうか。
あくまで日本側が提示した談話や謝罪から始まっているため自作自演である可能性も当然ある。
さて、民潭および朝鮮総連を介さない部分で従軍慰安婦は問題として存在したのか。
慰安婦はあるいは存在したかもしれませんが、それは強制的にされたものなのかの事実確認は朝日新聞の記者を介してのみしか判断されておらず客観性に乏しい。
また、維新の中山成彬議員も指摘したように朝日新聞の記事には決定的な矛盾がある。詳しくは彼の答弁が出ているつべ等を参照。
英国やドイツでは20世紀まで公娼という国が認可した国家公務員的職業としての慰安婦が存在していました。
日本、というより朝鮮では恐らくこれが採用されていたのではないでしょうか。
日本はとりわけ欧米式に拘っていたので公娼制度が採用される可能性があったと思われます。
そうなると、強制的な慰安婦というのは存在しなかったのではないでしょうか。
少なくとも私はそう考えています。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/130519
そもそも、第2次大戦が行われていた1940年代には、軍隊用の売春施設は特に珍しいものではなく、
世界各国に存在していた。なぜなら、「戦場におけるセックス」の問題は、
どの国の軍隊にとっても重要かつ解決困難な課題だったからである。
(1)ソ連
世界難民問題研究会協会のドイツ課長であるライヒリンク博士によれば、ソ連赤軍がベルリンまで侵攻してくる間に、
190万人の女性が強姦されたという。そのうち140万人は旧ドイツ東部領など、50万人は後のソ連占領地域において強姦されたとされる。
ライヒリンク博士は、強姦の結果として生まれた子供の数をつかむことは不可能\だとしつつ、その数を29万2000人と推定している。
数値の相当性の問題はおくとしても、こうした戦場の現実が「慰安所」の存在を要求するのである。
(2)アメリカ
アメリカ軍は1945年5月8日時点で、160万人の兵士がドイツに駐留していた。ハイデルベルクの米軍司令部は、
45年3月から4月の間に裁判所で 487件の強姦が扱われたとしている。
1943年のシシリー島占領後、米軍はドイツ・イタリア軍が運営していた慰安所をシステムと人員ぐるみ引継ぎ、軍医とMPが規制した。
アメリカ軍が日本に進駐したとき、最初の1か月、それも神奈川県下だけで2900件の強姦事件が発生した。
7年の占領期間中には2536件の殺人と3万件の強姦事件を起こした。事態を憂慮したGHQは、
ついに東京都に慰安所の設置を要求した。これはうわさや誇張ではなくれっきとした事実である。
(3)フランス
フランス軍は45年4月21日にシュツッツガルトを占領した。福祉・保険関係の責任者になったガウブ教授はこう報告している。
「女性住民はこの災難に十分な準備がなく、多くの場所で強姦事件が何百件となく起こった。
60歳以上の女性も16歳以下の少女もこれを逃れることはできなかった」。
(4)ドイツ
ソ連に侵攻したドイツ軍は、ソ\連ではスターリンが売春を禁じていたので、慰安所を新設せざるを得ず、
慰安婦はしばしば強制徴用された。ドイツ本国への強制労働を拒否した若い女性は、
ノルウェー、デンマーク、ベルギー、オランダ、フランスではドイツ兵の子供が約20万人生まれたといわれる。
(5)韓国
ベトナム戦争に参加した韓国軍は、現地の慰安婦を米軍同様に利用し、ベトナム人との混血児がたくさん生まれている。
そして韓国では、第2次大戦後も長期にわたり、米軍専用の売春施設が存在し、これを国家が管理していた。
日本軍は確かに慰安施設を戦地に誘致し利用していたが、これは専ら強姦事件の発生を最小限に抑えるための措置であった。
日本の軍隊公娼システムにおいて、慰安所を運営したのは民間業者であり、軍の関与は生活物資の供給や衛生管理等にとどまる。
こうした軍隊公娼システムは当時の世界各国に普通に存在していたものであり、
日本だけがことさら非難をされる筋合いは全くない。》
世界各国にもあった慰安婦・慰安所
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/130519
そもそも、第2次大戦が行われていた1940年代には、軍隊用の売春施設は特に珍しいものではなく、
世界各国に存在していた。なぜなら、「戦場におけるセックス」の問題は、
どの国の軍隊にとっても重要かつ解決困難な課題だったからである。
(1)ソ連
世界難民問題研究会協会のドイツ課長であるライヒリンク博士によれば、ソ連赤軍がベルリンまで侵攻してくる間に、
190万人の女性が強姦されたという。そのうち140万人は旧ドイツ東部領など、50万人は後のソ連占領地域において強姦されたとされる。
ライヒリンク博士は、強姦の結果として生まれた子供の数をつかむことは不可能\だとしつつ、その数を29万2000人と推定している。
数値の相当性の問題はおくとしても、こうした戦場の現実が「慰安所」の存在を要求するのである。
(2)アメリカ
アメリカ軍は1945年5月8日時点で、160万人の兵士がドイツに駐留していた。ハイデルベルクの米軍司令部は、
45年3月から4月の間に裁判所で 487件の強姦が扱われたとしている。
1943年のシシリー島占領後、米軍はドイツ・イタリア軍が運営していた慰安所をシステムと人員ぐるみ引継ぎ、軍医とMPが規制した。
アメリカ軍が日本に進駐したとき、最初の1か月、それも神奈川県下だけで2900件の強姦事件が発生した。
7年の占領期間中には2536件の殺人と3万件の強姦事件を起こした。事態を憂慮したGHQは、
ついに東京都に慰安所の設置を要求した。これはうわさや誇張ではなくれっきとした事実である。
(3)フランス
フランス軍は45年4月21日にシュツッツガルトを占領した。福祉・保険関係の責任者になったガウブ教授はこう報告している。
「女性住民はこの災難に十分な準備がなく、多くの場所で強姦事件が何百件となく起こった。
60歳以上の女性も16歳以下の少女もこれを逃れることはできなかった」。
(4)ドイツ
ソ連に侵攻したドイツ軍は、ソ\連ではスターリンが売春を禁じていたので、慰安所を新設せざるを得ず、
慰安婦はしばしば強制徴用された。ドイツ本国への強制労働を拒否した若い女性は、
代わりに慰安所で働かされた。ユダヤ人も同様であった。
ノルウェー、デンマーク、ベルギー、オランダ、フランスではドイツ兵の子供が約20万人生まれたといわれる。
(5)韓国
ベトナム戦争に参加した韓国軍は、現地の慰安婦を米軍同様に利用し、ベトナム人との混血児がたくさん生まれている。
そして韓国では、第2次大戦後も長期にわたり、米軍専用の売春施設が存在し、これを国家が管理していた。
このように、戦場における性の問題は世界的な普遍現象である。
日本軍は確かに慰安施設を戦地に誘致し利用していたが、これは専ら強姦事件の発生を最小限に抑えるための措置であった。
日本の軍隊公娼システムにおいて、慰安所を運営したのは民間業者であり、軍の関与は生活物資の供給や衛生管理等にとどまる。
こうした軍隊公娼システムは当時の世界各国に普通に存在していたものであり、
日本だけがことさら非難をされる筋合いは全くない。》