はてなキーワード: ホモサピエンスとは
見たと言うか、とあるコミュニティにそいつはいた。とにかく喋る。人が喋ってるのを遮ってまで喋る。何かと言えば自分語りだ。
前向きに頑張ろう的なぬるいコミュニティなので直接苦言を呈する人間はあんまりいない。
自分は喋るのが苦手なコミュ障なので、聞いていようがいまいが勝手に喋り続けるそいつは、適当に間を潰してくれるので当初は気にしてなかった。最近は顔を見るのも鬱陶しいけど。
こないだ2セッションを自分語りで埋め尽くしたそいつについに切れた別の会員がかなりオブラートに包んでたしなめたが全く堪えないどころか、それに対する反論からまた自分語りをはじめる始末だ。見てて吹き出しそうになってしまった。頭ゴキブリかお前。首から上なくても喋り続けられるだろ。殺虫剤でも死なないあたり耐性ゴキブリっぽくはあるが。
あまりに自分と違いすぎる反応回路を持つそれはもはや同じ人間と思えず、何らかの珍獣だと思ってる。多分通年性の鳴くゴキブリかなんかなんだろう。1年中鳴いてるセミみたいなもんだ。セミにうるさいから自重しろと言って自重するかと言われたらしない。つまりそいつは日本語に似た鳴き声でなく虫なのだ。うん、虫だから鳴き続けるのは仕方ないね。特にセミは捕まえてもうるさいからね。
相手が何を言わんとするのかを理解する能力がない。相手が自分の話を聞いているのかにも興味がない。もちろん他人が自分に対して何を感じているかなんて全く関心がない。自分の発言に対して何かしらの意見を求めることもないし、意見されても全く意に介しない。ただひたすらに共有の時間を自分語りに浪費する。いや、コミュニティにとってはずいぶんな害虫じゃないかな、あれ。知らんけど。運営はおおらかなので特に目くじら立てないが規律に厳しいところだったら警告食らうだろう。もう個別セッションやメインセッションでもとにかく喋り続ける。
多分1時間で、自分がそのコミュニティで1年間の間に発言した単語数の3倍は喋る。何を喋ってるのかはよく分からん。自分でも喋ってるうちに混乱するとか言ってた気がするが混乱しながら混乱した言葉を発し続ける為、聞いてる相手はさらに混乱する。結果、無為に時間だけが浪費されていく。
ルーピー鳩山大総統閣下と喋ってるとあんな感じかなと思える。腹案はなさそうだが。
少なくともセミは異性に対するアピールとして鳴く。他者を求めて鳴く。ついでに素揚げにして食える。そいつのそれはただ自分のために鳴いてるだけだ。おまけに種族的にはホモサピエンスだから殺処分もできないし食えもしない。同席者がみんなちくわになってても多分気づかず喋り続けるだろう。ちくわ大明神。
本人曰くADHDだかなんだかの発達障害持ちらしいが、障害の特性ではないような気がする。なんだろうな。もっと悪質な病的な何かを感じる。コミュニティ入る前に頭の病院いけ。そのまま帰ってこなくていいから。あ、虫は動物病院では見てくれないか。
まぁなんにせよああ言う奇妙な動物が世の中には存在すると言うことが分かったのはそのコミュニティに入った一つの大きな成果だろう。当初の目的は果たせてないまま退会したが。
今でもあのゴキブリはどこかで鳴き続けているのだろうと、秋の虫の涼し気な声色を聞きながら思っている。
どっちも高くないで
単純に読む必要性を感じないだけ
あというほど読書家か?ブクマカどもは増田程度の文量も読めないよ
2020-07-11
ブクマカさんはてなーの大好きなクオリアおじさんこと茂木先生の本が出るよ
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クオリアと人工意識 (講談社現代新書) (日本語) 新書 – 2020/7/15
その「鏡」の中には、果たして、「クオリア」に満ちた私たちの「意識」もまた、映っているのだろうか?
人工知能をつくることは、「人工意識」を生み出すことにつながっていくのだろうか。
<本文より>
〇眠る前の「私」と、目覚めた後の「私」はなぜ同じなのか?
〇私たちは、「ホモサピエンス」(知性を持つ人間)である以上に「ホモコンシャス」(意識を持つ人間)である。
〇物質に過ぎない脳から、「意識」や「クオリア」が生まれてくる不思議。
〇人工知能をめぐる議論に、ときに驚くほど終末感が漂うのはどうしてなのか?
〇記憶を「外套」だとすると、脳は、その外套を引っ掛けておくための壁に打たれた「釘」に過ぎないという考え方。
〇「私」という「意識」は、この宇宙の全歴史の中で一回だけのものであり、一度死んでしまえば二度と戻らないという「セントラルドグマ」は正しいのか?
僕らの人生はどこから始まったのかと言えば、当然二十年前であり三十年前であり四十年前なんだけど、僕らの祖先はどこからやって来たのか、という話をした時に、辿ることのできる歴史には果てがない。僕らは遺伝子のボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。
僕らの中にある遺伝子の声を聴く時に、そこには声にならない声がある。僕らはその声に耳を澄ませ、そしてある程度言語化された呻きを聴くことができる。僕らは、その微かな声を頼りに、歴史を辿ることができる。
人のルーツを辿る時、その歴史上最も古い霊長は(今のところ)七百万年前のサヘラントロプス・チャデンシスである。我々ホモ・サピエンスが分化したのは今から二~三十万年前とされており、我々はアフリカから世界の各地へと足を伸ばし、集落を作り、文明を伝えてきた。
当然ながらその歴史は暴力と共にあった。共通の利益としての安全を求める性質が、かつての我々にあったことは否定しないが、恐らくそこには絶えざる暴力の連鎖があった。
ここで言うところの「暴力」とは戦争や軍事力を媒介にした暴力の行使を指しているわけではない。
ごく身近に、あるいは、我々の中に存在している。
繰り返すように我々がホモサピエンスとして遺伝子を繋いできたのは今から三十万年程前からのこととなるのだけれど、当然そこに至るまでにシームレスに旧人類種のグラデーションが存在している。我々の遺伝子のレースはきっかり三十万前に始まったわけではない。あるいはそれは五百万年前かもしれないし、一千万年前かもしれないし、一億年前かもしれない。あるいはもっと前かもしれない。
例えば、我々の遺伝子のレースが百万年前に始まったと仮定して、そして、我々の世代の継承が十五年毎に行われていたと仮定する時、我々にはこれまで六万から七万の世代が存在したということになる。仮に、たった百万年前から我々にとっての遺伝子のレースが始まったと仮定してさえ、そこには膨大な数の関係者が存在することとなる。
そしてそこには必然的に、暴力の行使がまとわり付くこととなった。
それは自明のことと言って差し支えなかろう。暴力が無ければ人間は生きて来れなかったからである。
例えば、鋭い牙と爪、そして圧倒的な膂力を持つ獣に襲われた時に、我々に最も必要なものとは暴力である。
例えば、そんな事態においては武器が必要になり、そして、獣を殺す為の殺意もまた必要になる。そこには、暴力を振るうための道具と、暴力を振るうための膂力と、暴力を振るうための意志が必要になる。
無論、我々に暴力を振るう可能性があったのは獣だけに限らない。例えば、同族である人類が暴力を振るうことも大いにあったであろう。そのような人類に対して、暴力を振るわなければならない場面もあったであろう。
更には、そのような暴力が防衛や自衛のみを目的としていたと仮定することは恐らく不可能であろう。そこに積極的な暴力の行使の可能性があったことを、認めなければならないであろう。
そんな時、我々の振るってきたであろう暴力は――あるいは、我々が振るわれてきたであろう暴力は――どんな種類の暴力であろうか。
まず挙げられるのは、殺人。
強盗。
強姦。
傷害。
恐喝。
その他に何があるだろう? すぐには思いつけない。
何らかの種類の搾取があったかもしれない。詐取が存在していたかもしれない。
我々の祖先はそれを不断に行ってきただろう。恐らくそれを止めることはできなかったであろう。
それを止めることによって、周囲の遺伝子のキャリアに対する対抗手段を失ってはいけなかったからである。我々はそれを止めるわけにはいかなかったのである。それを止めた途端に、我々の遺伝子のキャリアは頓挫し、今日という日に辿り着くこともできなくなるからである。
恐らく、ありとあらゆる種類の暴力の行使は、我々の遺伝子のレースにおいて切り離すことのできない要素だったであろう。
つまり、この文を通じて僕は何を言わんとするのか。
それはつまり、恐らくだけれど、貴方のかつての父親は、あるいは貴方のかつての母親は、誰かを殺したことがあるということである。
何かを盗んだことがあるということである。
その他の、無数の暴力を与え、そして、与えられてきたということである。
我々のかつての父は殺し、盗み、傷つけ、犯し、騙してきただろう。
我々のかつての母は殺し、盗み、傷つけ、犯し、騙してきただろう。
我々のかつての父は盗まれ、傷つけられ、犯され、騙されてきただろう。
我々のかつての母は盗まれ、傷つけられ、犯され、騙されてきただろう。
例えば、百万年前までの歴史を辿れば、我々一人につき六万から七万の世代が存在することになる。そして、当然そのような世代は必ず一人の人間が継承し続けてきたわけではなく、無数の兄弟や姉妹が存在していたことであろう。そのことも勘案すれば、我々にはおよそ無数の関係者が――無数の肉親が存在していたということになる。
我々には関係者があまりにも多すぎる。そう考えた時に、我々の関係者の内に、一人たりとも、百万年の歴史において暴力を振ったものなどいない、と言い切ることのできる可能性は、どれほどあるだろうか。恐らくはその可能性は限りなくゼロに近い。我々は無数の暴力をはたらいてきたし、恐らくは無数の暴力に晒されてきただろう。
でもサボったりポッケナイナイしてわざと不採算のブラックホールを作るカスが焼け太っていくから皆んながどんどん供出しないといけなくなる
不遇な状況で困ってる人にお金が回るようにすることを断固拒絶するホモサピエンスはそんなに居ない
でも不遇なフリをしたり困ってる人につけ込むやつが間に取り入ってブクブク太るから払う気を無くす
あと、いっときは頑張ったのかもしれんけどいい椅子に座ってどんどん老いて太って全然勉強も努力もせずそこに居座って、振り返ったら人生の大半は他人を踏みにじって利益を出すのが本業だった生き様みたいな人も多い
やっぱマイナンバーと口座紐付けして全部管理したほうがディストピアとかいろいろ云う以前にとりあえずカスを排斥できる
でもカスが素朴な善意と恐怖心を焚きつけてディストピアを煽って民意と共通理解が変な方向にいく
このままだとこれを解決するのにあと250年くらいかかりそうだけど、そのころまで日本か地球かアメリカか存続してるのかはちょっと疑問
俺は種の話をしているのだから比較すべきはホモサピエンスじゃなくて別種
他のホモ種、哺乳類、雌雄のある種などと比較すべきであってアマゾネスとかどうでも良いんだよ
なぜお前が俺に女について言及してくるのか文化について言及してくるのか全く理解できない
せめて種の生態の話をしてくれ
主流になってない時点でそれはホモサピエンスにとって過去のシステムなんだよ
過去のシステムが運用できてるってことは倫理も過去のものなんだよ
ホモサピエンスは愚かにもホモサピエンスとして平等に生きていけるかもしれないシステムを捨てた
捨てたあとも度重なる倫理のアップデートがあり現在のホモサピエンスがある
良いか?俺は女も働ける、男のほうが優れてる、男女平等、その他の性別優劣論みたいなもんは一切していない
俺はホモサピエンスの話をしてんだ黙ってろ
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クオリアと人工意識 (講談社現代新書) (日本語) 新書 – 2020/7/15
その「鏡」の中には、果たして、「クオリア」に満ちた私たちの「意識」もまた、映っているのだろうか?
人工知能をつくることは、「人工意識」を生み出すことにつながっていくのだろうか。
<本文より>
〇眠る前の「私」と、目覚めた後の「私」はなぜ同じなのか?
〇私たちは、「ホモサピエンス」(知性を持つ人間)である以上に「ホモコンシャス」(意識を持つ人間)である。
〇物質に過ぎない脳から、「意識」や「クオリア」が生まれてくる不思議。
〇人工知能をめぐる議論に、ときに驚くほど終末感が漂うのはどうしてなのか?
〇記憶を「外套」だとすると、脳は、その外套を引っ掛けておくための壁に打たれた「釘」に過ぎないという考え方。
〇「私」という「意識」は、この宇宙の全歴史の中で一回だけのものであり、一度死んでしまえば二度と戻らないという「セントラルドグマ」は正しいのか?
~~~回想~~~
たまには肉を食おう。
おばちゃん!袋要らない!バッグに直接入れる!
家ついた!
肉!焼く!……美味しくない!!!
塩振る!美味しいいいいいいいいいいい!!!!
(異世界の人ってこういう気分なのかなあ
~~~回想終わり~~~
たしかアウストラロピテクスから数えると400万年ぐらいだったはず。
ホモサピエンス・サピエンスから数えても15万年ぐらいだと聞く。
その中でいつ、塩を食材、調味料、保存料として用いるという手法が生まれたのだろうか。
流石に古代人はウホウホ言いながらマンモスの肉を焼いて食っていただろう。
だが、紀元前4000年頃にメソポタミア人はビールを当たり前のように作って作っていし、パン作りはそれより更に1万年遡った頃から始まっている。
一方で人類史の先駆者の一角であるはずのイギリス人がまともにカラトリーを使いだしてからまだ500年程度という。
分からぬ。
保存まではいかずとも肉に塩を振ると美味いという事に気づいたのはいつなのか。
そもそも、味覚を危険予知のためでなく快楽追求の手段として用いるようになったのはどこからなのか。
分からぬ。
とりあえず、肉は塩を振ると美味いということを今日覚えた。
少しだけ賢くなった気がする。
クオリアと人工意識 (講談社現代新書) (日本語) 新書 – 2020/7/15
その「鏡」の中には、果たして、「クオリア」に満ちた私たちの「意識」もまた、映っているのだろうか?
人工知能をつくることは、「人工意識」を生み出すことにつながっていくのだろうか。
<本文より>
〇眠る前の「私」と、目覚めた後の「私」はなぜ同じなのか?
〇私たちは、「ホモサピエンス」(知性を持つ人間)である以上に「ホモコンシャス」(意識を持つ人間)である。
〇物質に過ぎない脳から、「意識」や「クオリア」が生まれてくる不思議。
〇人工知能をめぐる議論に、ときに驚くほど終末感が漂うのはどうしてなのか?
〇記憶を「外套」だとすると、脳は、その外套を引っ掛けておくための壁に打たれた「釘」に過ぎないという考え方。
〇「私」という「意識」は、この宇宙の全歴史の中で一回だけのものであり、一度死んでしまえば二度と戻らないという「セントラルドグマ」は正しいのか?
ブームが沈静化しません。ホームセンターでヒメダカを買おうとしたら、どんどこ売れていきます。みんなそんなにめだかが大好きなんですかね。お店の人になかなか声がかけられず困りました。
さて、表題の通りなのですが、めだかが急にいなくなることがよくあります。去年もあったので、2回目です。鳥とかヤゴとか猫とか狸とかいろいろと考えたのですが、網をあけてまで食べるかと思うとホモサピエンスの仕業なのではないかと思います。変なブームのせいか、どこかで売れるのか、ホモサピエンスの線が濃厚です。カラスやカワセミの線が濃厚という意見も聞きました。
今年は、レアめだかはやめてヒメダカ路線で楽しみたいと思います。
この連休中は、水槽のリセットを地道に続けておりました。水槽の移動も行いました。以前の日記で、水槽の配置場所でめだかの育ち方や生き残り数が違うというお話を書きました。今年はそのセオリーを重視して、良い場所にしか水槽を置かないことにします。東と南が開けている場所、午後から日陰になり、西日が当たらないところという条件に会う場所に水槽を移動しました。それ以外の場所は撤去します。素人考えと断っておきますが、昼から日が当たらない場所は、適度な水温上昇でグリーンウオーター化がしやすいのではないかと思います。日が当たりすぎる場所は、水温が上がりすぎてグリーンウオーターにならないのような気がします。このエサの自然発生がメダカの生育のカギなのではないかと思います。撤去と同時に小型の容器から戦力外通告。素焼きの植木鉢ボウルの穴をセメントで埋めた容器が冬の間に寒さや凍結で割れたり、外から剥離が起こりました。今年でこの容器は引退です。
いままでメダカの養殖場と化していた庭の南面ですが、ここからメダカは撤退。畑にするために庭の隅から土を運び畝を作りました。
・アマガエルが現れる
アマガエルが塀を飛び越えてやってきました。鉄腕ダッシュならば、10分くらい尺を稼げるイベントです。アマガエルかわいい。定住されても困るので、捕獲して近所の用水路へ放流。
・カナヘビが現れる
毎年、出現するカナヘビ。今年もいました。乾かしていた容器にはまり込んで困っていたようなので、逃がしました。
・ヤゴ
容器をリセットしていると底の泥からヤゴが出現。20匹ほどいたと思います。ヤゴも捕獲して近所の用水路へ放流。
今期最大の投資案件。大型タライ。これまで最大の45Lタライ2個分のスペースを占有します。オーバフロー用の塩ビパイプをセットして現場投入です。ここに100円均一で購入した防風ネットを洗濯ばさみでとめてヤゴ対策としました。
以前は木枠をつくり、網戸の網を貼っていました。作るのが面倒なのと保管場所に困ったので、今年はシンプルにいきます。
・雪囲いネット
100均ネットの丈夫なものとして、防風ネットを探していたのですが、大きすぎました。調べてみたら、雪囲いネットという小ぶりものがあることが判明。こちらを採用することにしました。ネットで店舗の在庫を調べて、いつもより少し遠いホムセンへ行ってきました。雪囲い用品なので、春夏には在庫がないようで、昨秋の売れ残りだったようです。こちらのほうがサイズと強度的にベストでした。
・ヒメダカを購入
適当にホムセンで買ったのですが、最強に強まった個体が当たりました。産卵用個体が年老いたので、放出したのか、選別漏れなのか、初期状態からステータスが高そうな個体です。とりあえず、睡蓮鉢の番に投入しました。
・ヤマトヌマエビを購入
ミナミヌマエビくださいと頼んだところ、さっそうとバイト君が間違えて、ヤマトを詰めてしまったようです。翌日に帰宅してから紙袋を開けてびっくり。お店も遠いし、値段も同じだし、まあいいや。入れる場所がないので、睡蓮鉢の番に投入しました。ヤマトくんは、えさ不足になるとめだかの寝こみを襲うんだよね。混泳可能と言われていますが…。
なぜかコアにホビー商材が多いセリア。めだかでも面目躍如です。今回発見したものは、めだかの産卵床という直球な商品。これまで、汚れ落とし用のスポンジを流用していた産卵床づくりでしたが、めだかの産卵床に特化した商品でペット用品売り場にありました。どのあたりが特化しているのかというと、色がダークグリーンで地味。ピンクとかイエローとか派手さがなく落ち着いた色使いです。さらに産卵床一つ分の大きさにあらかじめカットされています。12枚入っています。これだけでは、固定できないので、ホームセンターの電材売り場に行き、エアコン工事用の配管にかぶせる真ん中に穴の開いた保温材を買います。因幡電工耐熱パイプカバー エンボス表皮付丸棒タイプ 10mm厚 PME-13-10という商品です。セリアのプールバーでもいいのですが、小さい直径とエンボス加工のおかげでカッターでのカットがしやすいです。産卵床用のスポンジ材にはさみで切込みをいれ、耐熱パイプカバーをちくわの輪切りのように切り、穴の中に丸めたスポンジ材をねじ込みます。これ売れるんじゃね?と思える品質の産卵床が完成します。簡単かつ高品質です。
2週間ほどして、再度見に行ったら、穴の開いた浮きの部品も12個100円(税別)で売っていました。見つけたら即買いです。
・防犯用品
めだかのために投資するのも本末転倒なのですが、一応検討してみました。
防犯ダミーカメラ
ソーラータイプや無線タイプとかスマホに飛ばせるのとか楽しそう。
防犯砂利
踏むとじゃりじゃりと音が鳴る砂利。
門扉の施錠
部署が異動してから久しんだけど、そういえば前に居た部署の日本人を謳っているホモサピエンスの係長と仕事してて度々日本語通じなくていつしか自分自身が日本語理解してないじゃないかって思ってすごく落ち込んだ時期があった。
一年前に異動願い出したら受理されて新しい部署にいるんだけどすごく仕事が捗る。嘘じゃないかってくらい捗ってる。正直自分でも驚きを隠せない。
新しい部署の人間達はすごい優しいし、 OJTもめちゃくちゃうまくてすんなり入ってくる。
やはりホモサピエンスではなく、日本語が通じる人間と働くべきだしそういった環境に居られるのは一種の福利厚生何だなってしみじみ感じている。
よく「部署が変わったらめちゃくちゃ成長したやつがいる」とか「転職したら鬱が治った」とか聞くけどその人間自身が悪いのではなく、その人の上についている日本語の通じないホモサピエンスが悪いんだなって最近は思うようになった。
そこはもうホモサピエンス基礎力でしょ