はてなキーワード: フェイスブックとは
授業が一緒になって隣り合って座らなきゃいけないのが面倒くさい
そのあと一緒に飯食ったり次の授業まで雑談しなきゃいけないのが面倒くさい
通りすがりでも顔を合わせたら挨拶なり何なりしなきゃいけないのが面倒くさい
いちいち一緒に昼飯を買いに行かなきゃいけないのが面倒くさい
電車に乗っても本も読めず、スマートフォンもそこそこに話さなきゃいけないのが面倒くさい
飲み会に誘われて断るのが面倒くさい
「飲み会に誘われるのは嬉しくて当然」みたいな態度が面倒くさい
行ったら行ったで声が一番デカくてお喋りな人間の話に相槌を打つ会になったりして面倒くさい
興味ない話題でもじっと我慢してお開きになるのを待たなきゃいけないのが面倒臭い
話を振られたらある程度の量の意見を口にしなきゃいけないのが面倒くさい
冗談の言い合いになった時、「お前も何か冗談言えよな」みたいな空気が面倒くさい
好みの女や恋愛の話など、「食いつかなきゃ正常な人間じゃない」話題があるのが面倒くさい
好きなマンガや音楽の話題を振られて、誰か知らない奴が「どんなの?」と聞いてきて説明しなきゃいけないのが面倒くさい
酒を飲んでその場かぎりの話題をするのはすごく楽しくて当たり前、みたいな圧力が面倒くさい
本を読んでたら「何読んでいるの?」、MacBook開いてたら「何しているの?」と聞いてくるのが面倒くさい
誕生日を祝ったり、祝われたりするのは楽しくて当然で参加しないやつは頭おかしい、みたいな空気が面倒くさい
「お前と飲み会したい女がいる」みたいな話には前のめりで食いついて当然、口説かなきゃ頭おかしい、みたいなのが面倒くさい
いきなりかかってきた電話や、いきなり送られてきたメールに対応しなきゃいけないのが面倒くさい
ツイッターやフェイスブックで返信がきたら、何か応答しなきゃいけないのが面倒くさい
一人の時間を作るのに苦労していて本当に面倒くさい
私も一時期3年ぐらい専業主婦してたけど(小梨)飽きるねーあれは
自分が稼いでないからか、性格なのかはわからないけどお金使わないようにするから趣味っていうほど趣味もできないし、家もそれほど広くないから掃除も洗濯もすぐ終わるし。
食事は時間はかけられるけど、かければおいしくなるわけじゃないからどっちかっていうと時間かけずにおいしいものをって方面にいってしまうし。
レンタルビデオはすごい助かる! 時間つぶせる! でも2,3本みたらもう集中力が続かなくなるw
mixiもフェイスブックもツイッターも投稿することなくて(毎日同じことの繰り返しだし)ほとんど放置で気づいたらパスワード忘れてた。
最近、フェイスブック等を使って「ソーシャルランチ斡旋サイト」とか
「飲み会斡旋サイト」「コーヒーミーティング斡旋サイト」が流行っている。
いわゆる「ソーシャルマッチングサービス」だが、これをうまく「男女の出会い」に生かして、
「出会いサービス」というと、「結婚まで至らない、お遊び・いかがわしい不純交際」的響きがあるが、
恐らくフェイスブック系マッチングサービスでも、「真剣男女交際系」なサービスはあるとは思うが、
フェイスブック自体が、偽名でも登録可能なザルサービスであり、あまり期待できない。
※フェイスブックに某有名「男子校」出身の「女性」登録があって、思わず吹いた。
ところで、航空会社は搭乗する際に、乗客の氏名・年齢・性別情報を要求する。
国内線の場合は、身分証明を要求していないので、偽名での搭乗を100%阻止できないが、
比較的、「本当の氏名年齢性別」を乗客の皆さんは記入しているようである。
そして、クレジットカード決済搭乗の場合は、実名・実年齢・実性別確率はほぼ100%となる。
しかし、航空会社は、せっかくの個人情報を、航空保安以外の面では、あまり「活用」していない。
そして、伝統的航空会社(レガシーキャリア)は、格安航空会社(LCC)に価格で押され、
サービス面でなかなか対抗策を打ち出せない。
ということで、レガシーキャリアの活性化と、少子化対策の一石二鳥策。
「マッチングシートを希望する、(20歳~34歳)女性には、マッチングシート窓側を指定させ」
「マッチングシートを希望する、(20歳~34歳)男性には、マッチングシート窓側の隣の席を指定させる」
これによって、「マッチングシートを希望する女性」と「マッチングシートを希望する男性」は、見事「隣同士」に着席することになる。
隣に座っている人は、「多少は出会いを期待している異性」なんだろうから、勇気を持って声掛けしやすい。
マッチングシートを希望する場合はクレジットカード利用に限定することにより、
性別・年齢の虚偽申告をほぼ0%にすることができる。
つまり、「マッチングシートを希望すれば、かなりの確度で、20~35歳の異性が座ってくれる」ことになる。
※もっとも、残念ながらマッチングを希望する異性が現れない可能性も、あるにはある。
その際は「マッチング不成立でした」と伝えることになる。
フィーリングが合えば、お互いにメアドやケータイ番号を交換すればいい。
或いは、「お互い一緒に北海道旅行」なんて発展系も、あるかもしれない。
※そもそも、同じ方面の航空機に搭乗している、ということは、「趣味が一致する」可能性が高い訳であり、
フィーリングが合わなければ、そのまま別れればいい。
時間として「たったの2時間弱」なのだから、「合ってる時間が勿体無い」なんてことはない。
※そもそも、何もしなければ「退屈な機内のムダ時間」でしかない。
「ムダ時間の有効活用」と考えれば、得することはあっても、損することはあまりない。
「関係を深める」のにも2時間弱は適切な長さだし、「別れても後腐れない」と言う点でも、2時間弱は絶妙な長さである。
「北海道に行くのに、LCCじゃなく、レガシーキャリアを利用するだけの経済力の持ち主」なんだから、
いかがわしい出会い系サイトの場合、参加のハードルが低いが為に、「真剣じゃない」参加者が質を下げている。
レガシーキャリアの航空券代を要求することで、「マッチングシート参加者の選別」が図れる。
そして、このサービスは「レガシーキャリアならではのサービス」であり、LCCとの差別化が図れる点でも、ポイントが高い。
なぜなら、LCCの場合、座席指定が効かないケースが多いからである。
シートマッチングサービス参加希望者からしても、これは「そんなに気恥ずかしくない」サービスである。
どうしても「結婚相談所」とか「お見合いサービス」というと、「気恥ずかしい」「気後れしてしまう」キライがあるが、
このサービスの場合は、「レガシーキャリアの航空券購入時に、サービス付帯を申告するだけ」なので、気が楽である。
あと、細かい配慮として、「どの席がマッチングシートなのか?」は、他の乗客には「バレないよう」にする。
マッチングシートを固定してしまうと、「ああ、あの席に座っている男女、マッチングシートに座ってやがる」と好奇の目で見られてしまう。
「10時のフライトでは、マッチングシートを7組設定」とフレキシブルにするのがいいだろう。
このようなマッチングシートフライトサービスが成立するには、一定以上のフライト時間が前提となろだろう。
やはり、羽田~北海道、羽田~九州・沖縄、中部・伊丹・関西~北海道程度のフライト時間は必要になってくると思う。
国際線でも設定してもいいが、日本~アメリカ、欧州のような長時間フライトだと、
1分につき1人と話せば、16.66時間で1000人と出会う事ができそうです!
1000人規模のイベントで全員と話すには、1日かからないようです。
4日間かけてのイベントなので、1000人と繋がれる事は夢ではないみたいです。
言及しなくても分かる人には分かると思うので具体名は出しませんが、
コミュ障で引きこもり体質で根暗な僕にはこのようなリア充イベントはお断りなのですが、
僕じゃなくても違和感を覚える内容を見つけたので、
紹介だけして僕は再びインターネットの闇に消えていこうと思います。。。
運営している学生によると、
そこで、諸悪の根源であろう、
○クルートや○イナビなどのお偉いさんのゲストを呼ぶらしいです。
僕にはこの時点でよく分からなかったです。
もし、そこでバトルロイヤルのようにお互いの会社をつぶしあうのならいいのですが、
若者の生き方についてを豪華なおじさん達が語り合うらしいです。
学生のマインドを変えてしまった方が確かにコストはかからないですね。
当日が楽しみです。
سمَـَّوُوُحخ ̷̴̐خ ̷̴̐خ ̷̴̐خ امارتيخ ̷̴̐خ
友達がいたんだけど、リア充自慢がうざいので付き合いをやめた。
学生の頃からの遊んでいた友人で、社会人になってからはちょくちょく一緒に合って話す程度の仲だったんだが
それまで仕事以外では家にこもりがちだった俺に、別の友人が出来て、非リアからちょろっとリア充にジョブチェンジしたのがきっかけで豹変しやがった。
もともとリア充な友人で社会人になってからも充実した生活送ってたみたいだが
それまで非リアだと思っていた俺が新しい友人が出来て遊びにいった話をしたら、下克上されたと思ったらしく
やれ引きこもりのくせにだの、コミュ症が無理するなだのとバカにしてくるようになった。
最終的にそいつの彼女の前で、引きこもりが来たみたいな笑いものにされたのでこっちから付き合いをやめてやった。
見ろ見ろうるさかったフェイスブックを見てみたら、俺はこんなにリア充なんですってアピールばっかり。
結局そいつの中での俺の存在はリア充ステータスとして必要な非リア友達の一人で、非リアっぷりを見下ろして安心するための精神安定剤だったわけだ。
一生リア充友達と「誰が一番リア充か競争」でも続けといてくれ。
俺は選手として登録されたくないし、そんな競争に参加したくもないわ。
誰が一番楽しそうかを競う競争なんて絶対楽しくないだろ。
十数年来の友人がいる。正確にはいた。
その友人とは学生の頃からの付き合いで、一時期は頻繁にあってよく遊んでいた。
社会人になり同じ学校に籍を置く身でなくなってからは多少疎遠にはなったものの、それでもたまに会って飲んだり何かあると電話をして近況を伝えたりそれなりの交友は続いていた。
僕は、まあ学生の頃も今で言うリア充なんかとは程遠いような生活だったけれど、社会人となってからはその頃にも増してどこかに出掛けたり、誰かと遊んだりということは少なくなり
たまに知り合いに誘われればどこかに出かけるという程度の非リアな生活っぷりなのだが、上記の友人は社会人となってからもそれなりに遊んでいるようで、よくそういう話を聞かされた。
出不精ば僕としてはどこどこへ遊びに行ってこんな事がありました、という話は別に不快ではなくむしろうらやましいなーくらいに思っており
友人の、おまえも引きこもってばかりいないでどこかへ遊びに行けよーの言にも、はいはいと答えていた。
ある時、僕にふとしたきっかけで近い職場にプライベートでも遊ぶ知り合いができた。
趣味が同じだったことや、気が合ったこと、彼がどちらかというとアウトドア好きだったので、仕事終わりや休日に彼や他の複数人とも遊ぶことが多くなった。
そうして、問題の友人にその事を話したのだが、これがきっかけで友人との関係が大きく変わった。というか僕の友人への見方が変わったのかもしれない。
休日遊びに出かけたことを友人に言うと、友人は誰とどこへ行って何をしたのか、その誰かとはなぜ知り合ったのかを根掘り葉掘り聞いてきた。
その知り合いとはどれくらい仲がいいのか、一緒にいた奴は誰の知り合いなのか、誰が誘ったのか、どんな頻度で遊ぶのか、また行くのかといった感じである。彼女かおまえは。
僕だって、友人の友人がどんな人なのかと興味を持つことはあるし、それを質問としてぶつけることもある。しかし度合いというものがあるだろう。
更に聞き方がいやらしい、引きこもりのおまえにどうしてそんな友人ができたんだだの、おまえはインドアだからホントは外で遊ぶのは嫌なんだろうだの、こんな調子だ。
最初は笑いながら答えていたが、だんだんうざくなってきて、次第になぜこいつはこんなにことを聞くんだろう、もしかして僕に新しい友人ができたことに嫉妬してるのかと考えたりもした。
まあホントに嫉妬してくれているのなら可愛いものなのだが、その後の会話や以前からの友人の考え方を踏まえて、これは嫉妬ではなくもっと違う感情なのだという結論に至った。
要は、その友人は僕のことを下に見ていたのだ。
友人は常々、僕の前でも、職場の非リアな人間を何が楽しくて生きているのか分からない人間だとバカにしていたし
この友人の中には人の価値とは如何に遊び、如何に楽しむかである。のような価値基準があるのだろう。
その価値基準において遥か下方に位置すると思っていた人間、つまり僕という彼にとっての友人が、そのランクを上げる行動にでてきたので
それが自分の地位を脅かすほどのものなのか推し量る意味で、探りをいれてやり、ついでに牽制もしておこうというのが上記の質問攻めの真意であったわけだ。
それからというもの友人は合うたび、話すたびに、俺は先日どこどこへ遊びに行ったのだがお前は例の知り合いとどこかへ行ったのか、というような質問をするようになり。
話の合間合間に、僕はやっていないと言っているのに、俺のFacebookを見ろ、俺のFacebookに写真がある、俺のFacebookに遊びに言った時の面白い動画がある、と
おまえはFacebookの業者がと言いたくなるくらいにFacebookをすすめてくるようにもなった。
加えて、言葉のふしぶしで、引きこもりのおまえがとか、おまえはコミュ症体質なのにとか、もはや悪口としかとれないことを挟んでくる始末であった。
正直もはや嫌気が差していたが、ある日新しく出来た彼女を紹介されることになり、友人と彼女とその知り合いの女性の4人で会ったのだが
その折、基本家に引きこもっていて外に出て遊ぶのが嫌いな奴だけど今回は俺に彼女が出来たってことで来てくれました、というような紹介のされ方をしたのが極めつけであった。
その日、もう友人とは付き合いをやめることを決心した。
振り返って見ると、昔から友人は僕のことを格下に見ているきらいがあり
僕の見方が変わってしまったからではないかとも思うが、当時はネタとして流していた引きこもりだのの言動を思い出すだけでムカムカする。
彼と僕との友人関係は学生の頃のように互いの交友範囲がほぼ被っていればこそ良好に保てたもので、今のように多少疎遠になってしまえば今回の事がなくてもいずれ崩れていたのだと思う。
彼が変わったのか、僕に知り合いができたことで変なプライドが生まれ、僕のほうが変わってしまったのかは分からないが楽しいと感じなくなった時点で互いに終わりだ。
後日、彼のFacebookを見てみたが、とても楽しそうな記事で溢れていた。端的いえばこういう人をリア充と言うんだろうなと思った。(結論に続く)
かなり以前に「戦争は会社が始めた」というトゥギャッターがあった。
自分もその意見に同意で、「戦争は財閥が始めた」と言い換えた方がより文意は伝わると思った。
(それも三井三菱住友の在来財閥よいうより、鮎川や中島のような新興財閥が始めた)
戦前は企業人がそのまま多数閣僚や代議士になってたりしてるし、
当時の関係者の日記や回想録の類を見たら企業人と軍人政治家の「近さ」を実感できる。
で、この背後にあるのが、
「戦前はエリート層(財閥幹部・軍人・官僚・学者)の人数自体が現代よりも遥かに少なくて、
全員が『知り合いの知り合い』に収まっていたからでは?」と思う。
感覚論だか、戦前はエリート層人口が1万人程度だったのが、現代では100万人程度に肥大化しているんじゃないか、と思う。
人間、知人友人の数は100~200人程度が上限らしいが、戦前のようにエリート人口が1万人に収まっていれば、
「●●さんは▲▲さんの知り合い」という感じで、割とエリート同士で「一体感」が醸成されていたと思う。
しかし、戦後日本が農業国家から工業国家、企業国家に転換し、技術者や中間管理職が多数必要になったから、
エリート層の人数も増えてきて、1万人じゃ収まらず100万人程度は必要になってしまった。
こうなると、戦前の「旧き良き時代の、エリートインナーサークル」という訳には行かない。
100万人ともなると、「知り合いの知り合いの知り合い・・」という感じ程度でしかなくなる。
一回、戦前の旧東京帝大の学生数と、今の東大の学生数を比較したい。
今の方が相当学生数多い気がする。
で、最近「低学歴と高学歴じゃ、住む世界が違う」的ホッテントリがあるが、
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
高学歴側(エリート側)がいまいちこの内容にピンと来ない一因として、
「エリート層が肥大化してしまい、戦前のような一体感が喪失しているから」じゃないか、とも思う。
戦前も現代も、「エリート層とそうじゃない層だと文化も言語も違う」という点では割と共通しているが、
1.見ず知らずの女性からフェイスブックで「友達申請」が来たが、承認していいものかどうか悩む。
先日フェイスブック知人(リアルでも知人)の「友達」から申請来たが、そのまま申請を放置してたら友達申請削除されてた・・・
2.自分は出身大学を伏せてツイート&フェイスブックしている。
皆出身大学を明かしてフェイスブックしてるのが信じられないのだが、
自分もたまに出身大学ネタをツイート&フェイスブックしたくなるのが困る
3.フェイスブック知人の友達見てたら「菅直人」がいて笑った。菅直人宛に友達申請していいのかどうか悩む
4.夫婦とか親子でフェイスブック友達になってるケースを知人で見かけるが、自分には真似できない・・
■東大教授が「拉致被害者を帰国させるべきだ」と言った→言ってません
「「帰国した5名の拉致被害者は直ちに北朝鮮へ帰すべきだ!」という発言で有名な藤原帰一教授」
→藤原教授「そのような発言をしたことも、書いたこともありません」
http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20121223
「メキシコの様な親日的な国との首脳会談は、NHKも報道しないので、フェイスブックでお知らせします」
http://blog.livedoor.jp/slowter-news/archives/25463279.html
■左翼が演説妨害→TPPに反対してただけ。数か月前から予約していて、後から乗り込んだのは安倍晋三側
「聴衆の中に左翼の人達が入って来ていて、マイクと太鼓で憎しみ込めて(笑)がなって一生懸命演説妨害してました〔略〕」
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1306/11/news030.html
http://blogos.com/article/66026/
あまりの嘘っぷりに訴えられる
http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11574298649.html
http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11574300090.html
■憲法9条《の》1項は変えていない→変えている
「(自民党の憲法改正草案の)9条の1項2項どこを変えたかご存知ですか?」「1項については我々変えていません」→変えている
http://anond.hatelabo.jp/20130722020213
ちなみに、条文の条数の増やし方も知っていない
ほぼ同意。
「政治に対する発言権を自ら放棄しているに等しい」とか言われたりするのだろうけれども。
果たして「よりマシ」程度の考えで票を入れるべきなのだろうか。
それならば行かずして投票率を少しでも下げた方が「意見の反映」になるんじゃないだろうか。
(無効票がもっと大々的に取り上げられるのならそっちのが良いが)
結果として、反対派の抵抗がむしろプラスに働くのではないだろうか。
反対派が投票しなかったらもっと酷いマンセーになりかねないけど。