2013-09-03

友人のリア充自慢が嫌で付き合いをやめた


友達がいたんだけど、リア充自慢がうざいので付き合いをやめた。

学生の頃からの遊んでいた友人で、社会人になってからはちょくちょく一緒に合って話す程度の仲だったんだが

それまで仕事以外では家にこもりがちだった俺に、別の友人が出来て、非リアからちょろっとリア充ジョブチェンジしたのがきっかけで豹変しやがった。

もともとリア充な友人で社会人になってからも充実した生活送ってたみたいだが

それまで非リアだと思っていた俺が新しい友人が出来て遊びにいった話をしたら、下克上されたと思ったらしく

やれ引きこもりのくせにだの、コミュ症が無理するなだのとバカにしてくるようになった。

最終的にそいつ彼女の前で、引きこもりが来たみたいな笑いものにされたのでこっちから付き合いをやめてやった。

見ろ見ろうるさかったフェイスブックを見てみたら、俺はこんなにリア充なんですってアピールばっかり。

結局そいつの中での俺の存在リア充ステータスとして必要な非リア友達の一人で、非リアっぷりを見下ろして安心するための精神安定剤だったわけだ。

一生リア充友達と「誰が一番リア充競争」でも続けといてくれ。

俺は選手として登録されたくないし、そんな競争に参加したくもないわ。

誰が一番楽しそうかを競う競争なんて絶対楽しくないだろ。


以下、最後の方まで書いてから、なんで匿名場所でまで気使って書いてんだと思ったのに加え、読み返したら冗長だったので上の文章を新しく書いたのですが
別に何に再利用できるわけでもなし、折角書いたのだから消すのも勿体ないので貼るだけ貼っとくかと云うことで貼っときます

友人のリア充自慢が嫌で付き合いをやめた


十数年来の友人がいる。正確にはいた。

その友人とは学生の頃からの付き合いで、一時期は頻繁にあってよく遊んでいた。

社会人になり同じ学校に籍を置く身でなくなってからは多少疎遠にはなったものの、それでもたまに会って飲んだり何かあると電話をして近況を伝えたりそれなりの交友は続いていた。

僕は、まあ学生の頃も今で言うリア充なんかとは程遠いような生活だったけれど、社会人となってからはその頃にも増してどこかに出掛けたり、誰かと遊んだりということは少なくなり

たまに知り合いに誘われればどこかに出かけるという程度の非リアな生活っぷりなのだが、上記の友人は社会人となってからもそれなりに遊んでいるようで、よくそういう話を聞かされた。

出不精ば僕としてはどこどこへ遊びに行ってこんな事がありました、という話は別に不快ではなくむしろうらやましいなーくらいに思っており

友人の、おまえも引きこもってばかりいないでどこかへ遊びに行けよーの言にも、はいはいと答えていた。

ある時、僕にふとしたきっかけで近い職場プライベートでも遊ぶ知り合いができた。

趣味が同じだったことや、気が合ったこと、彼がどちらかというとアウトドア好きだったので、仕事終わりや休日に彼や他の複数人とも遊ぶことが多くなった。

そうして、問題の友人にその事を話したのだが、これがきっかけで友人との関係が大きく変わった。というか僕の友人への見方が変わったのかもしれない。

休日遊びに出かけたことを友人に言うと、友人は誰とどこへ行って何をしたのか、その誰かとはなぜ知り合ったのかを根掘り葉掘り聞いてきた。

その知り合いとはどれくらい仲がいいのか、一緒にいた奴は誰の知り合いなのか、誰が誘ったのか、どんな頻度で遊ぶのか、また行くのかといった感じである彼女かおまえは。

だって、友人の友人がどんな人なのかと興味を持つことはあるし、それを質問としてぶつけることもある。しかし度合いというものがあるだろう。

更に聞き方がいやらしい、引きこもりのおまえにどうしてそんな友人ができたんだだの、おまえはインドアからホントは外で遊ぶのは嫌なんだろうだの、こんな調子だ。

最初は笑いながら答えていたが、だんだんうざくなってきて、次第になぜこいつはこんなにことを聞くんだろう、もしかして僕に新しい友人ができたことに嫉妬してるのかと考えたりもした。

まあホント嫉妬してくれているのなら可愛いものなのだが、その後の会話や以前からの友人の考え方を踏まえて、これは嫉妬ではなくもっと違う感情なのだという結論に至った。

要は、その友人は僕のことを下に見ていたのだ。

友人は常々、僕の前でも、職場の非リアな人間を何が楽しくて生きているのか分からない人間だとバカにしていたし

この友人の中には人の価値とは如何に遊び、如何に楽しむかである。のような価値基準があるのだろう。

その価値基準において遥か下方に位置すると思っていた人間、つまり僕という彼にとっての友人が、そのランクを上げる行動にでてきたので

それが自分の地位を脅かすほどのものなのか推し量る意味で、探りをいれてやり、ついでに牽制もしておこうというのが上記の質問攻めの真意であったわけだ。

それからというもの友人は合うたび、話すたびに、俺は先日どこどこへ遊びに行ったのだがお前は例の知り合いとどこかへ行ったのか、というような質問をするようになり。

話の合間合間に、僕はやっていないと言っているのに、俺のFacebookを見ろ、俺のFacebook写真がある、俺のFacebookに遊びに言った時の面白い動画がある、と

おまえはFacebookの業者がと言いたくなるくらいにFacebookをすすめてくるようにもなった。

加えて、言葉のふしぶしで、引きこもりのおまえがとか、おまえはコミュ症体質なのにとか、もはや悪口としかとれないことを挟んでくる始末であった。

正直もはや嫌気が差していたが、ある日新しく出来た彼女を紹介されることになり、友人と彼女とその知り合いの女性の4人で会ったのだが

その折、基本家に引きこもっていて外に出て遊ぶのが嫌いな奴だけど今回は俺に彼女が出来たってことで来てくれました、というような紹介のされ方をしたのが極めつけであった。

その日、もう友人とは付き合いをやめることを決心した。

振り返って見ると、昔から友人は僕のことを格下に見ているきらいがあり

僕の見方が変わってしまたからではないかとも思うが、当時はネタとして流していた引きこもりだのの言動を思い出すだけでムカムカする。

彼と僕との友人関係学生の頃のように互いの交友範囲がほぼ被っていればこそ良好に保てたもので、今のように多少疎遠になってしまえば今回の事がなくてもいずれ崩れていたのだと思う。

彼が変わったのか、僕に知り合いができたことで変なプライドが生まれ、僕のほうが変わってしまったのかは分からないが楽しいと感じなくなった時点で互いに終わりだ。

後日、彼のFacebookを見てみたが、とても楽しそうな記事で溢れていた。端的いえばこういう人をリア充と言うんだろうなと思った。(結論に続く)

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