はてなキーワード: ティファニーで朝食をとは
オードリーヘプバーンで有名な「ティファニーで朝食を」にはユニオシっていう妙な名前の日本人がおってな。
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もう何周遅れの話題だよって感じだけど書き留めておく。
「差別とは思わない」が約5割、“浜ちゃん黒塗り”騒動での視聴者意識
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180116-00000322-oric-ent
・差別にあたると思う……7.9%
・差別にあたると思わない……55.6%
・どちらともいえない/わからない……36.5%
明確に差別だと断ずる人は7.9%と少ないが、どちらとも言えないと判断を保留する人が36.5%もいるのを見て、これはと思った。両者を合計すると44.4%。過半数に近い。
こうなった以上、日本においても黒塗りは表現方法として「死んだ」と言っていいだろう。昨年の年末にエディ・マーフィに扮する浜田を無邪気に笑っていた人たちも、今年も同じ画を見せられたとして笑うことができるだろうか。きっとできない。それは「これは差別表現なのではないか」という問いかけが「ノイズ」となって絶えずまとわりつくからだ。過半数の人はもう無邪気に笑うことはできなくなった。差別にはあたらないと強固に信ずる人であってもこの「ノイズ」からは完全に逃れることができるだろうか。日本人はもう無知ではいられなくなった。
(「死んだ」と言ったが、もちろんこの「ノイズ」を知った上での表現は終わっていないし、そういうことをする表現者が出てくればいいなと思う)
黒塗りは何故ダメなのか?ぶっちゃけるとそれって「コンプレックスだから」だろ。
人種のカリカチュアがいけないとか色々言うけど、白人の真似をして金髪にするのはOKで付け鼻をするのはNGなのはそういうことだろう。高い鼻に憧れがある日本人にはピンとこないかもしれないが、白人にとって高すぎる鼻っていうのはコンプレックスであり美容整形の対象である。一方の金髪はもう説明不要だろう。
『ティファニーで朝食を』のユニオシに我々日本人がイラッとさせられるのは出っ歯が醜いという基準があるからだろうし、細い目を強調されて嫌なのは目はぱっちりしている方がいいっていう信仰があるから。しかし、日本人であっても糸目が美しいと感じる人ならば、何怒ってるの?となる。
引用になるが(http://wezz-y.com/archives/51171)、黒人自身が黒い肌を忌み嫌っていることが実験で示されている。
Q:「醜い人形はどっち?」
Q:「なぜ?」
A:「……わたしに?……」
また随分前のことなので一体何の文章だか忘れてしまったのだが、「僕たちは君たちのように黒い肌を洗い流すことができないんだ」と黒塗りへの嫌悪感を説明している人がいたのが衝撃だった。洗い流す…?
こうした背景で、黒塗りの安易なタブー化って、むしろ黒い肌=醜いという刷り込みの再強化に加担するだけなんじゃないか?むしろ、黒い肌に扮することをセクシーなもの、カッコイイものとしてガンガン消費していくべきだ。実際に、美しい黒い肌ってあるだろう。
浜田の件だが、美肌でも何でもないおっさんだったのが運の尽きとしか言えない。メイクが雑だったのもあるかもしれないが、あれは美しくなかった。意図せず黒人のコンプレックスを刺激してしまった。
海外では、褐色キャラのコスのための黒塗りが差別的だと非難されるケースがあるとか。上記の通り、英米スタンダードに組み込まれつつある日本でもその日は遠からずだろ。
何を聞きたいのかいまいちよく理解できないけれども、出っ歯って日本人のステレオタイプの一つです。なので私が例に上げた扮装は日本人の真似という範疇に十分収まると考えられます。(この例は「ティファニーで朝食を」の日本人設定キャラクターをモチーフにしました。)
このブコメで言いたかったのは、こちらに差別をするつもりがなくても、ステレオタイプを無理に(扮装のような形で)具現化することによって、誰かを傷つける可能性があるっていうことです。当事者の気持ちを少しでも感じてほしいと思い、百文字以内で表すには無理がありましたが、このようなブコメを書きました。
そもそも、差別かどうかって、とても白黒はっきりできないと思います。実はグレーゾーンで、自分の内心でもわからないのではないでしょうか。この番組の製作者や出演者は黒人差別をしたつもりではないと思います。しかし一方で黒塗りにした浜田さんの顔を見て笑いものにしています。ここに、必ずしも黒人を馬鹿にする思いがなかったと言えるでしょうか。
この日本メディアでの黒塗り問題は深刻に受け止める必要があると思います。海外メディアには見つかってはいませんが、もしredditなどに貼られたら、日本人が世界中でバッシングされる事態になってもおかしくはありません。それぐらい、世界の常識から考えると異常なことなのです。ちなみに数十年前のハリウッドも同じ間違いを何回も犯しており、未だにネット上でバッシングを受け続けています。(googleやyoutubeでhollywood, black faceなどの言葉で検索してみてください。いかに黒塗りが人を傷つけているのかがわかると思います。)
拙い文章ですみません。私の意図することが少しでも伝わると幸いです。
追記
外国人の行うつり目行為ですが、あれも多くはアジア人を馬鹿にする意図はなく、ただ真似をしただけだと思います。しかし私はすごく馬鹿にされた気持ちがするし、あれは大嫌いです。あれを気軽にやる人を心底軽蔑します。今回黒人の方がツイッターで傷ついたと言っているのは同じような心理だと私は思います。
アラサー女性が恋愛に悩む漫画やドラマを見ると、性的にとても興奮する。
「東京タラレバ娘」とか「いつかティファニーで朝食を」とか、そういうのって最近増えているけど、男からしたらあんなんポルノだ。
美人のアラサーがまだ売れ残っていて、誰と恋愛するかで悩んで、年下とヤッちゃったり、元カレとワンナイトしたりって、それってもうAVじゃん?
しかもそれを「わかるわかる〜」って大勢の女性が共感しているんでしょ?
え? みんなそうなの? そんな簡単にワンナイトしたりしているの? この漫画買っているあいつもこいつも?
タラレバでは既婚者の男と愛人関係になるキャラがいるけど、それも普通なの? 結婚していても独身アラサーとバコバコやっていいってこと?
そういうものがベストセラーになってドラマ化するってことは、そんな人ばっかってこと? エロエロ列島だな、日本!!
内容もそうだけど、あれに共感する人がいっぱいいる、めちゃ人気出ているっていう状況にめちゃくちゃ興奮する。こんな人は多いと思う。
正直、予想していたよりずっと良かった。
ニューヨークに渡ったとき、μ'sボケ勢が「ティファニーというところで朝食を~」なんていうシーンでは『ニューヨークと言えばティファニーで朝食を』なんて中年思考を無理にぶっこんでくる製作者(花田?)のことを少しい愛おしく感じたりもした。
テレビシリーズで欠点だと思った部分が改善され、長所だと思った部分が伸ばされていたのである。そりゃあ評価せざるを得ない。
というわけで楽しく見ていたのだが、終盤のラブシーンで欠点の改善はまやかしだったことを突きつけられるわけである。
テレビシリーズのラブライブ(大会の方)でμ'sは、他の出場者などいないかのごとくアンコールをやってのけた。ラブライブは全国のスクールアイドルが競い合う場ではなくそこで生まれる他校のドラマも無く、あくまでミューズが夢をかなえる場に見えてしまう。それが本当に座りが悪かった。
この度の劇場版では、それ以外のスクールアイドルのドラマを垣間見せてくれた。それが非常に嬉しかった。しかしである、終盤、やってくれるだ。秋葉原でスクールアイドルが集結し、スクールアイドルのための歌を歌うという圧巻のシーンだ。これが映像的に、どう見てもミューズとバックダンサーのみなさんにしか見えない。
ああ、やはりそうかと、このシーンでは本当に落胆した。確かに正しいのだろう。周りのアイドルと一緒になってた映像より、μ'sが大きく取り上げられていた方がファンは嬉しい。商業的に正しいつくりをして、狙った通りの評価と収入を得るのであろう。
熱心なファンがいる作品というやつは、それ以外のファンが見ても面白いと思わせるクオリティを持ち合わせていることが多い。ラブライブの評価がファンとそれ以外の人間とで乖離しているわけは、根源的な部分を信者に向けチューニングしたことにあるのだろう。
というわけで、ファンでなかったので楽しめなかった。くやしい、という話でした。周囲が絶賛ばかりで冷や水をぶっかけるのもなあと思ったのでここに投下しておく
髭を整え、いつもの眼鏡をかけて、寝癖をニットキャップで隠したら準備はok
お気に入りのNew balanceを履いてLet's go
お目当ては「いつかティファニーで朝食を」で紹介されていた、あの店の美味しい朝ご飯。
http://www.comicbunch.com/comicinfo/itsuka_tiffany/
Googleマップでナビったら、いつか彼女が読んでいた&Premiumに載っていたコーヒーショップも近いようだ。
最近コンビニでコーヒーにハマったから、スペシャリティコーヒーとやらも試しに飲んでみようかな。
http://magazineworld.jp/premium/premium-13/
とりあえず、お店に着くまでの電車ではZINEでも読みますか。
この無印良品のリュック、本が入れやすくて最高だな。買って正解だった。
夜はライターやらイラストレーター、スタートアップ界隈と合コンだし、今日はテンションあがる。
クラフトビールかー。どんな味なんだろ。楽しみ。
たかが訳ひとつで、ここまで変わるものか。
『ティファニーで朝食を』(カポーティ)を読んだ。感動した。これってば、すごく面白い話なんじゃん。知らなかったよ。前ちょっと読んだときは、名作とか言われているけど全然おもしろくないじゃんって、途中で積読行きしてたから。
いや違う。前読んだ時もちゃんと最後まで読んでいたようだ。ようだってのは、今回読んでみて改めて気づいたから。あ、私この本のあらすじ知ってんじゃん、そう思いながら読んでいって、最後のおちまで知ってたことに気づいたのは、そのまさにおちを読んだとき。そう、すっかり記憶から抜け落ちるほどに、以前読んだ時には感動も何もなかった、面白みもなにも感じていなかったわけです。
同じ新潮文庫、同じ作者、同じ話。何が変わったって、訳が変わった。
以前読んだのは、龍口直太郎訳。今回読んで、感動したのは、村上春樹訳。
何が凄いって、訳一つでここまで変わるのか、と。文学ってのはコンテンツに依存するものだとおもってた、そりゃあ文体なり表現なりはコンテンツの一部だけれど、そもそも外国文学ってのはその微妙な表現を理解するには、原語に長けていないと無理だし、名作と呼ばれるものは訳にたがわず名作なのだと、そう思い込んでいた、今までの私よ!無知であった。訳って重要だ。何はともあれ重要だ。物語の再構築じゃん。
たとえばさ、私が共感した一文がこれ。自分のことをずうずうしい女だとおもってるでしょ?という問いに対し、そんなことないよ、と返されたときの返しの一文。
(村上春樹訳)
「ふん、思ってるわよ、みんなそうなんだから。でも別にいいんだ。そう思われてるほうがらくちんだもの」
(龍口直太郎訳)
「いいえ、そうよ。だれだってそう思うもん。でもあたし、気にしないわ。それが役に立つんだもんね」
ぜんぜん違うよ!春樹訳は圧倒的に共感しちゃうんだよ。それから、これ。
(村上春樹訳)
「人は誰しも、誰かに対して優越感を抱かなくてはならないようにできている」と彼女は言った。「でも偉そうな顔をするには、それなりの資格ってものが必要じゃないかしら」
(龍口直太郎訳)
「だれでもだれか他の人に優越感を感じないではいられないもんよ」と彼女はいった。「でもその特権を使うまえに、ちょっとした証拠をみせるもんなのね」
もうさ、春樹すげーよ。共感しまくりんぐだよ、私。龍口さんの役だと、意味はとれるけど共感とカ感動からは程遠いですよ。
訳者によってこうまで変わるか文学!と思った。なんだろう、読んだ時の私自身の状況とか環境とか、考え方の差はもちろんあるんだろう、あるんだろうけどでもね、その差を差し引いても、この感動は以前にはなかった。あんまりおもしろくない話だと思い込んでいた。それがここまで変わるかおまいさん、だよ。
あぁ、日本の編集者の皆様、名作といわれる作品を、もっともっと訳してください。きちんとした訳者で。物語を再構築できるような、適切な言葉を選べるような、そんな素晴らしい訳者をつかってください。そう強く思ったので、自分の日記に書いても誰も見ないし、ちょっとここに呟いてみた。
超名作
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名作
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良作
北回帰線 赤と黒 阿Q正伝 ボヴァリー夫人 失われた時を求めて 1984年 キャッチ22
ゴリオ爺さん ガラス玉演戯 ユリシーズ 響きと怒り 城 アンダーワールド 異邦人
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佳作
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