はてなキーワード: うつとは
散歩中に近所のテイクアウトの店に入ったんだけど、その時マスクをしてなかったのよ
最近は暑いし近所を散歩するぐらいならマスク付けないことが多い
顔を見るなり露骨に嫌そうな顔になって、めちゃくちゃ接客態度悪いの
社会の衛生意識にただ乗りするバカ野郎に売る物はねえみたいな態度なの
お前さあ、お前の思想的に俺は気に食わねえバカかもしれねえけど、接客業でその態度はねえよなって
でも、考えてみれば今時個人経営で店やってるめんどくさい生き方してるようなやつは
自分のやりたいことをやりたいようにやって生きていきたいという根の人間だから、
朝からノドが猛烈に痛く、ほぼ眠れなかった。睡眠アプリのログをみると、咳の回数が多すぎていびきと判別がつかなくなっている。いよいよこれは感染したにちがいないと土曜日に診察してる病院に電話した。てっきり受診の手順を無機的に案内されるだけだと思った。予想に反して、熱がないなら来なくていいですよと言われた。いやいや、熱は下がったけど経験したことないほどの咽頭痛があって気管支喘息もあるので診察を受けたいと申し出た。しかし、発熱がある方が優先なので今日はPCRや診察はムリですと言われた。肩透かしをくらった。そうですか、わかりましたと答えると電話口の向こう側が畳み掛けてきた。「PCRを受けても結果が出るのは火曜日ぐらいです。その頃には陽性反応が出ても無症候性か軽症扱いでしょうし、治療薬は処方できないです。保健所から10日間ぐらい健康調査や確認連絡が頻繁に来て行動制限を受けるのでかえって不便ですよ?」と諭された。たしかに軽症だ。ここまで言われて検査を受ける理由なんて特にない。あきらめもついて、受診はやめることにした。その後、着替えて近所の王将で昼ごはんを食べ、ドトールにコーヒーを飲みに行った。3連休の中日でまあまあ賑わっていた。ドトールのミルクレープがまた細くなっていた。少し前ならば混雑している飲食店で過ごすなんて怖くてできなかった。今は現在進行系でウイルス保持者であるに違いない。でも感染が確定したわけじゃない。感染はしているけど、診断がついていないだけなのだ。人にうつす可能性はあれど、罹るリスクはない。わたしは自由だ。
そう思うと、コロナウイルス陽性なのに外に出歩いている人もいるだろう。コロナ陽性と診断されていながら外出する人間の道徳心や倫理観を疑う。
友達とは高校の時からの付き合いなので、かれこれ8,9年の付き合いになる。友達になろうと声をかけたのは私の方からだが、私は最初っから相手を下に見ていたし、多分相手もそうだろう。どちらもオタクの陰キャでクラスのカーストは最底辺同士だった。女のオタクなんて相手にマウントを取らなきゃ生きていけない悲しい生き物である。
それでも私達は仲良くやって来た方だろう。高校生の頃は互いの家に泊まったり、勉強を教え合ったりしたし、大学が別の県になって遠くに住むようになっても、どうでも良いLINEをして、舞台は連番をして、コロナになってからは通話を繋いで酒を飲むなどした。
大学4年の時に友達が大学を休学した。友達は美術系の大学であり、なんか色々と限界だったらしい。私はふぅんと思いながらも淡々と就活をして、卒論を書いて大学を卒業し、就職した。友達は大学に復帰したものの、就活はあんまりしなかった。当然内定もない。
私は普通の人のような当たり障りのない人生を歩んできた自覚がある。その普通がどれだけ得がたいものかも知っている。友達は私の見る限り普通のレールには乗れなかった。でもモノを創る側の人間として、とても真摯に向き合ってきたのは知っている。
私も趣味で創る側の人間をやっているが、彼女ほど真摯でもないし、努力もしていない。頑張れない私を友達は見下している。努力を積み重ねて来た人間を好ましく思っているから。
普通になれなかった友達を私は見下している。普通でいるのにも努力が必要で、それが出来ない彼女を有り得ないと思っている。
でもそれと同じぐらい、自分の好きなことを仕事にして、血反吐を吐きながらも努力をしてモノを創り続けようとする友達を尊敬している。単純に凄いと思う。私にはなれないものだから。
矛盾した感情だが、決しておかしなことではないと思う。お互いに見下した感情しかないのならここまで友達でいられなかっただろう。いつかどこかで破綻していた筈だ。
とまあ、そんな風に思っている友人と喧嘩した。そもそも喧嘩と呼べるものかも分からないが。
発端としては私がふとTwitterで呟いたことが彼女の中の地雷だったらしい。鍵垢でハチャメチャにキレられていた。ただ私の発言にキレるだけならまだしも、私自身を貶す発言をしたのでそこは私もキレた。そこは彼女も後で頭に血が上っていたと謝ってくれたが、その他の発言については撤回する気はないようだ。
何だか一方的にキレられて距離を置かれたので、私はぽかんとしている。友達のツイートを読んで、私の発言の何がそこまで逆鱗に触れたのかは理解したが、ちょっと私の意図してない部分だったので、余計にはぁ、という感じである。
そんなつもりで書いた訳ではなかった。だが、友達にはそう読めてしまったのだから、私の書き方が悪かったのだろう。そこは反省である。だが、このなんとも誤解ともどちらに非があるとも言い難い状況をどう納めれば良いのかが分からない。
こういうつもりではなかった、なんて言い訳じみている。仮にも私は文字を書く人間である。そういう風に読めてしまったのだから、誤解を招くような書き方をした私が悪いだろう。でも私が謝って済む問題ではないのだろうし、彼女も何も納得しないだろう。私だって私が謝るの?と思っている。
彼女の逆鱗は仕事としてモノを創り続ける人間とそうではない人間の差異にあったような気がする。寝ても覚めてもモノを創ることを考えている人間が最も大事にしているものに対して、"趣味でお遊び半分でモノを造っている"人間が無遠慮に踏み込んでしまったようだ。
だが、そんなことは私の知ったことではない。友達の人生と創作が引っ付き過ぎていて、過剰に反応されたような気がしないでもないし。
でもなんだか一方的にキレられて面倒になり、該当のツイートは消してしまった。これまで作ってきた作品も消そうか考え中である。
そもそも私が創作をするようになったのも、その友達の影響である。楽しくてここまで続けてきたが、正直怖くなってしまった。私の呟いた一言が誰かをあんなにも怒らせるなんて知らなかったのだ。
今これを書いているのも気持ちの整理の為なので、他の人から見たら大層纏まっていない文章だろう。そもそもここまで読む物好きが居るとも思えない。どうか読まないで欲しいが。
こんな感じで友達とは絶賛冷戦中である。私はマジでそんなつもりじゃなかったことでキレられて、気持ちがぐちゃぐちゃになっている。今これまでの文章を読み返して、何が言いたいの?と思っている。
友達とは仲直り(?)するかもしれないし、もしかしたらこのまま疎遠になってしまうかもしれない。どちらでも、まあ仕方がなかったな、と思うだろうが、長年馬鹿やってきた友達とこんな形で終わるのは少し寂しいと思う。
私はメンズもレディースも好きで着るけど、トップスもボトムスも明らかにメンズのほうがポケットあるし使いやすいよ
https://hukushi.hatenablog.com/entry/2016/07/13/221057
精神障害だと取れない資格や出来ない仕事がこんなにあるなんてショック過ぎる
文系の資格ならいけるやろと思って勉強していたけれど、弁護士も司法書士も社労士も無理かあ
なんでこった
もうこれ、欠陥人間には働いてもらっちゃ困るから障害年金だけもらってニートしてろってコト!?でも到底足りないですけれど…
186 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2005/10/04(火) 15:51:29 ID:TeHCqLUM
高校の頃、英語の授業に20代前半の結構イケメンなアメリカ人教師が来た。
授業は一人一人アメリカ人先生に名前を呼ばれ、前に出てマンツーマンで話をするっていう形式。
先生には授業前に生徒の名前をローマ字に直したプリントを渡してた。
授業が始まると片言の日本語で挨拶をする先生に女子連中はキャーキャー言っていたけど
それを結構厳しい口調で注意するような真面目な先生だったので、みんな真剣に授業に臨んでた。
授業は順調に進み、結構人気のあった女子の「新保(しんぽ)さん」の番になった。
先生はそれまでやってきたように大きな声で彼女の名前を呼んだ。
「ジャアツギノヒトネ。ンーーアーー・・・ちんぽ!ちんぽサン!」
生徒は一瞬凍りついた。教室にいた全員が瞬時に「笑ってはいけない!」と思った。
でも、たぶん「シンポ」と言っているんだろうけど、どう聞いても日本語の「ちんぽ」だったし
「それまで片言だったのに、なぜよりによって「ちんぽ」の発音だけがこんなにもネイティブなのか」とか
「なぜか「ちんぽ」に敬称を付けている」とか考えだすとみんな耐えられなくなった。
結局新保さん以外の全員が爆笑。新保さんは顔を真っ赤にしてうつむいていた。
その様子を見ていたアメリカ人先生は状況が飲み込ていないようなのだが、
生徒の一人がみんなの笑いものになっている状況だけは理解できたのだろう
突然般若のような顔になりその爆笑をかき消すかのような大声で「シャァァラッップッ!!」と全員を一喝した。
その表情とテンションの凄さに、教室は水を打ったように静まり返った。
新保さんの肩に手を置くと「ナンデ?ナンデミンナちんぽをワラウ?ちんぽガナニカシタ?」
全員が「まずお前のせいだ。あと男性生殖器の名称を連呼するのをやめてください」と思っていたと思う。
その後、慰めようとしたのだろう、先生はやさしい口調でうつむいて座っている彼女に語りかけた。
「ちんぽゲンキダシテ。マエニキテクダサイ。ちんぽスタンドアップ!」
新保さんも笑った。
「うつは心の病気ではなくて脳の病気だ、心の病気だと言うから怠けや甘えだと思われる」って……
いや、そんな事言ったら胃や腸の病気だって臓器の問題だと認識されているけれど
当人の食生活や運動不足の問題だとして自己責任論で責められてるじゃん
甘えだと言われるかどうかは「心の病気」か「脳の病気」かで左右されるものではないと思うよ
寧ろ「うつは脳の病気」だという認識が広まればなおさら、「薬だけ飲んでいればそれでよし、労働環境や社会の改善は必要無し!」という方向に向かって危険だと思うんだけど。
「うつは甘え」に繋がりやすいのはどう考えても、「うつは心の病気」よりも「うつは脳の病気」の方だと思うし、
ましてや「脳が萎縮して一生治らない」などと言われたら、危険人物として社会から排除する方向になると思う
「心の病気」だからこそ、周囲も優しくしようと思うしいずれ治ると思って受け入れてくれるんだよ
「心の風邪」という言い方で、根性論を押し付ける人が増えたというのも疑問だなあ…そういう人達は身体の風邪に対しても同じ態度なんだろうから、まことに「心の風邪」という言葉の問題ではないのでは?
どこが違うのかわからない
最近やたらと「うつは心の病気ではなくて脳の病気」という言い回しを聞く。
まず第一に、現状では身体の臓器の病気こそ、「甘えや怠け」という自己責任論は適用されているからだ。
「うつは心の風邪」という喩えに対して甘えや怠けだと言ってくる人達は多分、身体の風邪に対しても同じように言ってるでしょ。自己管理不足だとか何とか。変えるべきは身体の風邪に対する扱いの方であって、うつを風邪にたとえる事の方ではないと思う。
現に胃や腸や心臓の病気に対し、世間は食生活の乱れや運動不足やアルコールといった原因を見出だし、生活習慣病として自己責任論で個人を責めているじゃないか。
婦人科疾患はもっと酷くて、適切に婦人科を訪れてピルを飲みさえすれば全ての不調は解決するのでそうしないのは自己責任と言わんばかりの風雪が流布されている。
「心の病気」とされているうつは、現状まだマシなんだよ。長時間労働やら職場の人間関係やら将来への不安といった外部的事情も、一応は考慮してもらえているから。
これがもし、完全にただ「脳という臓器の病気」としてだけ扱われるようになったなら、おそらく外部的な事情は完全に無視されるようになると思う。
今の生活習慣病のように食事や睡眠、運動といった物理的事情のみが原因とされて、
うつ病になったのは脳に悪いものばかり食べていたからだとかゲームばかりやってて十分な睡眠を取らなかったからだとか、当人の自己責任のみで見られるようになると思う。
治療についても「脳の病気」という言葉でもって物理的な面のみが強調される結果、薬を飲む事だけが解決法とされて職場環境改善へのモチベーションは失われるだろ。
まあ、上記だけならまだ大したマイナスじゃない。もっと問題なのは下記の点。
第二に、脳という臓器に対する偏見やスティグマの強さを理解していない。
さて、「脳に異常がある人」と聞いた時、あなたはどんな印象を受けるだろうか?
おそらく、「何をしでかすか分からない人。暴行や殺人などの犯罪者予備軍」という印象を受けるのではないだろうか?
勿論、脳以外の、消化器や循環器といった臓器の不調にだってネガティブなイメージは付き物だ。だけど脳に特有なのはそれが意志決定機関だという事。
「腸に異常がある人」だったら、「すぐ下痢になって仕事に穴を開けるかもしれない」。「心臓に異常がある人」だったら「仕事中倒れて死んでしまうかもしれない」。という、あくまで消極的なネガティブイメージにすぎない。「脳に異常がある人」のような、犯罪に直結する積極的なネガティブイメージはない。
そして、「心」といった場合には脳の機能のうち、内面的な部分が主に想起される。
「うつ病」と言われて人々が想像するのってあくまで、無気力な引きこもりや自殺といった自傷的なイメージであって、突然暴れだすとか人を殺すというイメージを持っている人って多分ゼロじゃない?
それはうつ病が「心の病気」と思われているからであって、「脳の病気」となったら多分変わると思うよ。
現状、うつ病が精神疾患の中でも比較的好意的に見られているのは、「心の病」というイメージから来る内向的・自傷的な印象によるものだろう。自殺や引きこもりはしても他害はしないというイメージ。
「うつは甘えや怠け」と思われるのと、「うつは犯罪者予備軍」と思われるのと、どっちがマシかといったら前者では?
それに、「心の病気」という言葉には、「あくまで一時的なものであり、適切な治療をすれば完治する」というイメージがある。「脳の病気」と言い切ってしまう事で、「一生治らない」というイメージに繋がりそれが社会的な排除に繋がると思うよ。今の『発達障害』がそうであるように。
こんなのは「俺はそういうつもりで書いたのではない」で済む話なのに
そういうことを訊いても自分が勝手に構築した文脈で相手に妙なレッテル貼って相手を絶対悪として本題を続けるのを拒んでしまうって…
夏休み?
確かに、「うつは心の風邪」という割にはすぐ病院行って!薬飲んで!を強調する意見ばっかりだったね
https://toyokeizai.net/articles/-/263698?page=2
──製薬会社による「うつは心の風邪」といううつ病の啓発活動が安易な受診を助長すると批判されたことがありました。
あのフレーズは、今思うとある意味正しかったという気がします。風邪の発熱などが体を休ませるための指令なら、脳の活動の低下も同じように疲弊した体を休ませるための指令かもしれない。
問題は、心の風邪や、それ以前のちょっと疲れていて眠れば回復するような人まで病気と診断して投薬してしまうことです。本当に必要な休息を取らないで薬だけ飲んでも治りません。その結果、「よくなりませんね、重症ですね」と薬が増え、副作用で患者が本来できることもできなくなってしまう。副作用に鈍感な医者はとことん鈍感で、症状の悪化と投薬の関係を疑ったりしません。
これ、本当にそうで、
うつ病って大抵は環境が原因だろうから薬を飲んだところで根本的な改善は否めないのにそこを無視して
「うつは脳の病気」と言い切る医師がやたら増えているのが怖いと思う
「発達障害」と同じなんだよねー。どう考えても環境の方に問題があるのにそこを無視して全部を脳の問題にしたがるっていう…
https://toyokeizai.net/articles/-/263698?page=2
──なぜ、考えられないような医療が続いているのでしょう。
医療は医者の見た目(視診)と検査の数値に基づいて行われますが、精神科は見た目がすべて。iPS細胞による治療がスーパーカーなら、精神医療は人力車。人力車だからダメ、ではないんです。患者の話を聞いて癒やせればいい。例えば「眠れてますか」に始まって、「そんなに仕事が大変なら会社と交渉しましょうか」というのが本来の精神科です。ところが、ろくすっぽ話も聞かずに「眠れない? じゃあ薬飲んで」となっちゃう。ここに大きな問題がある。
お金に困ってない精神科の重鎮が開業して、1時間かけて患者の話を聞くと、大して薬を使わなくても1〜2カ月でうつ病が著しく改善したりします。じっくり患者に向き合っても報酬は変わらないので、ある種ボランティア。ここに矛盾があるのは確かですが、1人当たりの診察時間を5分から10分にして患者が半減してもやっていける報酬はもらっているはずです。逆に、稼ごうと思ったら数をこなして投薬になる。