はてなキーワード: いつまでもとは
母親は神に祈れだの神の勉強しろだの、俺のことを見る気がない。俺の辛さをわかる気がない。
他の家族も、俺を見ているというより、家族が死ぬというのが嫌なだけ。俺のことなんて見ていない。
周りの福祉関係の職員も仕事だから自殺されたら困るから止めてるだけ。俺のことなんて本当はどうでもいい。仕事だから仕方なく構ってるだけ。もし俺が死んだとしても次の日には忘れてる。
他の人もそうだ。どうせ俺が死んでも面倒なやつが死んでくれてせいせいするとしか思わない。
こんな人生を続けるのはしんどすぎる
早く死にたい
長生きしたところで苦しみが長く続くだけだよ。意味がない。誰も俺のことなんて詳しく知らないし、知る気すらない。別にいいけど。俺だって俺に興味ないし。無価値だから早く死ねばいい。人生の消化試合がこのままダラダラと続くくらいなら、まだ若いうちにさっさと死んでしまったほうが儚くていいだろう。年老いて自殺しても醜いだけだ。このままこの苦しみが続くのなら、死んでしまいたい。どうせまともになれないんだから、死んだほうが早い。人とまともにコミュニケーションがとれないゴミは人間社会にとってどう考えても邪魔で、不要な存在だよ。健常者はみんな障害者なんて醜くて汚くて面倒臭くて邪魔だと思ってるだろう。だから税金を障害者に使うのもこれからどんどん減っていく。どのみち社会的に死んでる存在だ。このまま惨めに終わっていくのなら、早く死にたい。
これ以上歳をとって醜くなる前にさっさと死にたい。
これでもまだ誇りを捨てないでおこうという気概が自分に残っていることに少し驚いた。なんでだろう。今の時点で相当終わってるのに。わからない。何気に自尊心がまだ少しは残ってるのかもしれない。俺がまだ高校生なら、もう少し生きていようと思えたのに。もうあの頃には戻れないし、もう完全に取り返しがつかない。全てにおいて終わってる。どうせ人は死ぬんだから、死ぬタイミングは自分で決めたい。自分の納得の行くタイミング、死に方で死にたい。小汚い死に方はしたくない。死ぬなら景色のいいビルの屋上で飛び降り自殺。そう決めてるんだ。こんなに死にたいのに、死にたいはずなのに、死ぬのが怖い。人間の本能というものが本当に憎たらしい。
結局「自殺するな」というのはどこまで行っても他人事で、自殺を止める側の自分勝手な考えに過ぎない。当人の苦しみなんて当人以外にはわからないし、止める側の立場上死なれるのは困るという以上の理由はない。社会の混乱を生むからだとか、残された家族が困るからだとか、結局そういう経済的な理由から自殺予防というのは存在する。結局当人の苦しみなんて関係なくて、「金」の問題でしかない。人の命なんて所詮そんなものだ。みんな社会を維持するために限界まで働かされて、老いぼれになって人生を楽しめなくなってからようやく開放される。人間というのは惨めな生き物だ。所詮社会に使い捨てにされるためだけに存在する。
何が言いたいかというと、人間の命は無価値だからいつ死ぬかも自分で決めていいということだ。止めるのは本人の自由を妨害することに他ならない。
自分の内面の話に戻るが、外に出ると不安で不安で仕方ない。特に何もしていないのに、自分がなにか重大な失敗をしてしまったんじゃないかと不安になる。周りが全員敵に見える。バスに乗ると全員俺を邪魔な存在だと思ってる感じがするし、死ねと思われてそうで死にたくなる。この世界のどこにも居場所がないような気がして、家に帰っても喪失感、虚無感でいっぱいになる。歩いててすれ違う人が俺の容姿をみてバカにしているように感じる。変な奴、気持ち悪いやつだと思われてるんだと確信している。所詮どこにも自分の居場所はないし、ただ暇をつぶすためだけのものがあるだけで、オレの心を救ってくれるものはない。宗教などで救われようとする気力もない。ただ薄っぺらい娯楽で、死ぬまでの時間をダラダラと食いつぶしているだけだ。俺の苦しみなんて価値もないし、誰にも見せる気もないから、ただ一人で苦しんでいくだけだ。所詮人間なんてそんなものだろう。みんな救われたいと思っていても、誰かが救ってくれるわけじゃない。そんなに他人は暇じゃない。この苦しみをわかってくれる「何か」が欲しくて、自殺関連のものを読み漁ったりするが、やっぱりどこか自分と違うし、何か足りない。この苦しみを分かち合うコミュニティがあればいいが、だいたいそういうものはネット上では規約違反になり、「漂白」される。死にたい人間の苦しみなど、世の中の決まりを決めている側にとっては、邪魔でしかないということだろう。
所詮幸せも苦しみも全て過ぎ去っていくなら、さっさと無に還ったほうがいい。諸行無常という言葉のとおりだ。生きる意味なんてないんだ。どうせ人間は一生孤独なんだから、死んでしまったほうがいい。こんな空虚で無意味で無価値な人生など、さっさとおわらせてしまったほうがいい。どうせオレ一人死んだところで何も変わらないし。
世の中の「常識側」にいる人間が嫌いだ。常に自分たちは正義で、間違いなんて犯したことはなく、清廉潔白だと言わんばかりの態度が嫌いだ。その他人の苦しみを屁とも思わないその姿勢が嫌いだ。もちろん悪いことをした人間は糾弾されるべきだが、正義側にいたら罵詈雑言を浴びせてもいいとか、嘲笑ってもいい、嫌がらせをしてもいいというのは違う気がする。人はもっと人に優しく有るべきだ。なんでこんなに人間社会は憎しみと嘲笑で満ち満ちているんだろう。気持ち悪い。もちろん俺もそういったものに参加して、誰かをバカにすることがある。それをやっているうちはちょっと何かに対しての復讐心のようなものが満たされるが、所詮一時的なものでしかない。それを続けていると、段々とその矛先が自分に向くんじゃないかというのが気になっていって、段々と人間不信が強くなり、苦しくなる。そんな醜いことをやっている自分のことも嫌いになっていく。悪循環だ。だが、なかなかやめられない。他人のことを考えていると、自分のことを考えなくて済むから楽なのである。その時だけは苦しみから開放されるのだ。俺はこの自分の癖を、非常に問題だと思っていて、できるだけ早くやめたいが、なかなかやめられない。ゴシップというのは、「何も行動していない」というのが武器になる。なかなかそういった趣味は存在しない。創造的な趣味はだいたい自分が努力していないと駄目だ。創造的な趣味でない場合も、知識が必要になってくる。ゴシップというのは他人から競争することから逃れられる数少ない娯楽なのだ。こんな醜い娯楽はさっさと消えたほうがいいが、社会の構造上消えることはないだろう。そういう人間の醜さも嫌いだ。段々と自分が人間であることが嫌になっていき、自己嫌悪で満たされていく。何にも挑戦する気がない人間は、何も得ることができない。匿名でなにかを書き続けたところで、何も得ることはできないのだ。名前がない投稿は、社会制裁を受ける可能性が低い代わりに、得られるものもない。まさに空気だ。存在する価値がない。人を攻撃したところで、何も得られないのになぜ人は人を攻撃するのか。やっぱり人間の本能なんだろう。争うことで人は社会を構築し、進化させていく。本当に気持ち悪い生き物だ。だが、そうするしか方法が見あたらないのも事実だ。だから人間は滅びたほうがいい。俺が人間を滅ぼす方法を実行できるなら、もうとっくに滅ぼしてるだろう。核爆弾を管理する人間がなぜこういった考えにならずに済んでいるのか、わからない。人間社会はどこまでも空虚で、無価値で、醜いのに。
快楽、喜び、楽しみ、苦しみ、悲しみなど何もかもが過ぎ去っていくなら、すべてのものに価値はない。価値がないから、滅ぼしてしまってもいいだろう。俺はずっと昔からこういう考えで生きてきたが、なかなか同じような考えの人間に遭遇しない。なぜなんだろう。俺も周りにこんなことは言えないが。自分では真に迫っていると思うのだが、どうせ世間から見たら愚かで、頭がおかしいと嘲笑されるだけだ。ニヒリズムと言わておしまいだ。でも、合理的に詰めていったら、そういう結論になると思う。「ニヒリズム」というのがおそらくレッテル張りのために存在するんだと思う。社会にとって良くない考え方は、そうして潰されていくんだと思っている。そういう社会を維持することを結論としていて、それ以外の考えは一切受け付けないという風潮も嫌いだ。結論が先に決まっているから、何を言っても無駄だからだ。とにかく俺はひねくれていて、惨めで馬鹿だから、そういう考え方になるんだろう。こういうことを書いていると、早く死ねと思われるんだろうな。そして死んだら、こういうやつは死んでも仕方ないと片付けられるだろう。結局俺は社会に捨てられた存在だし、社会に貢献する気もない。だいたい社会ってなんなんだ。ただ俺は人間として生まれただけだ。社会の一員になると決めたわけじゃない。だがたしかに社会なしには人が生きていくのは困難だが、社会の重圧に耐えて生きていくのも苦しい。人間は欠陥だらけだ。本当に空虚で惨めだ。社会に属さなくてもどっちみち苦しいんだろう。こういうのを完璧主義というのかもしれない。ひねくれすぎて、自爆しているだけなんだろうな。俺はどのみち満たされることはないんだろう。ただ苦しみながら惨めに死んでいくだけだ。アホくさい。俺は変なところで正義感が強い。他人を馬鹿にしたくない、だからバカにしているやつを許したくない。でも結局それは自分に返ってきて、自分が苦しくなるだけだが。誰かの意思を感じると、それに従いたくないという強い意志が湧いてくる。昔からそうだ。逆張り思考なんだ。だから俺には対して意思がない。自分がない。空虚なのだ。昔からそうだ。他人ありきの考え方しかできない。逆張り思考とはそういうものだ。未だに自分が何をしたいか、どう生きたいのか分からない。ただ嫌なことから逃げているだけだ。俺にはなりたいものもないし、やりたいこともない。空虚な人間なんだ。ただ人の反対をやっているだけで、別に強靭な考えのもと行動しているわけじゃない。だからすぐ自分に自信をなくすし、すぐ途中で諦める。惨めな生き物だな。おれはこのままずっと素直に生きられないんだろうな。何重にもひねくれた思考が俺を苦しめてくる。自分で自分を苦しめているんだ。愚かで馬鹿だが、やめられない。癖になってしまっている。考え方を変えるというのは非常に骨の折れる作業だ。俺はそれを成し遂げられる気がしない。だから俺は一生このままだろう。一生惨めなままなんだろう。このまま醜くなっていくなら、今死にたい。25歳というのは一種の区切りの時だろう。俺はそれまでの時間をダラダラと無駄に生きてしまった。もう取り返しがつかない。早く死にたい。損切りをするなら今だろう。これ以上醜態を晒したところで、惨めなだけだ。愚かなだけだ。やっぱり首を吊って死にたい。自殺といえば首吊りだろう。暗く、おぞましい感じがまさに「自殺」のイメージぴったりだ。飛び降りは少し爽快感がありすぎる。陰湿でジメジメとした感じがほしい。やっぱり首吊りだろう。ただ、首吊りは縄とか、結び方とか、色々面倒なのが玉に瑕だ。飛び降りは高いところから飛び降りるだけだ。これから死ぬというときに、細かいことを考えてられない。やっぱり飛び降りかもしれない。死にたいけど死ぬのが怖い。なんて臆病なんだろう。惨めだ。死にたいのに。この死にたさは本物なのに。外に出ると、空虚で空っぽな感じが加速する。人生に意味がない感じが加速する。誰も俺に興味がなく、みんな俺の命に価値がないと思っているように感じる。透明だ。透明人間だ。限りなく透明に近い存在だ。外に出るのが怖いのは、単純に今の春の空気感が嫌いというのと、それにウキウキしている人間が多い感じがするのが嫌いなのだ。春というのは色々と新しくなる。場所も人間関係も変わる。それがとてつもなく苦痛だ。心が外側に、虚無側に剥がされるような感覚に陥る。昔から、環境が変わるたびに、ひどく精神的ダメージを負っていた。今もだ。俺は環境の変化に敏感で、心が弱い人間なんだろう。生まれつきだから、おそらく治せない。治すとしてもかなり苦労するだろう。この焦燥感に満ち満ちた季節が嫌いだ。非常に気持ち悪い。心が削られていくような感覚に陥って、自分が自分でなくなってしまうんじゃないかと怖くなる。今の自分でさえ不安定なのに、新しい環境にあてられて、更に今の自分が揺れ動いて、消えていってしまうんじゃないかと不安になる。自分というものがハッキリしてないから、自己紹介もうまくできないし、自己PRもうまくできない。新しい環境というのは、俺にとって強風だ。俺はろうそくに灯された弱々しい炎だ。すぐに消えてしまう。消えてもまた炎はつけ直されるが、前の自分に戻りたいという欲求が強く、再び炎が灯っても苦しみは強く残る。前の自分に戻りたいということばかり考えてしまう。俺はいつも過去に生きているんだろう。惨めで愚かだ。だが、前に進むのが怖い。変わるのが怖い。ずっと変わらないでいたい。変わってしまうくらいなら、死にたい。死にたくて仕方ない。もう取り返しがつかないと考えてばかりだ。いつも過去に戻りたいとばかり考えている。最近とかではなく、昔からそうなんだ。小学生の頃は幼稚園に戻りたいと考えていたし、中学生の頃は小学校に戻りたいと考えていた。高校の頃は中学生に戻りたいと考なえていた。大学生の頃は、高校生の頃が苦しかったから、大学生になれて嬉しかったが、大学が苦しくなってくると、小学生の頃に戻りたくなっていった。今も小学生の頃に戻りたい。いい年こいた大人が、何を言っているんだろう。いつまでも過去のことばかり考えて生きているからこうなったんだろうな。今に生きていない。よく、俺は本当にこの世界に生きているんだろうかと不安になる。なにか自分だけ別の世界に生きているかのような、切り離されたかのような感覚に陥る。俺が俺である証明なんてなにもない。とにかく不安感で満ち満ちているんだ。なんでもないようなことにすぐ不安になる。これはもう治すとかいうものではないんだろう。生まれつきの癖のようなものだ。早く死にたい。「死」という絶対的に動かない、固定されたものになりたい。どのみちこの苦痛からは逃れられないんだ。忘れている期間があったとしても、思い出している期間のほうが圧倒的に長い。これで生きていろとなると、中々の生き地獄だ。早く死にたい。不安は人間にとって大切なものだとかいうのをよく見るが、俺にとって不安は苦痛を与えてくる存在でしかない。不安をほんの少ししか感じない人のほうが人生楽しいのは明らかだ。世間から断絶した生き方をしたい。全く他人の顔を伺わずに生きたい。他人という存在は不安を与えてくるほうが多い。人間社会は比較の連続だ。どこまで行っても比較は止まらない。趣味に没頭しようが、比較からは逃れられない。むしろ、趣味こそ比較で苦しみやすい。何かを作り出すと特に比較の対象になる。それ以外でも人間は比較したがる。婚活なんていうのはその極みだ。結局、比べることが人間の本能なんだろう。比べて、比べて、その先にあるのは苦痛だけだ。だからといって勝負を放棄すると、俺みたいに落ちぶれて、何も残らなくなる。なにも持っていないというのは、安心とは程遠い。何も持っていない人間は、環境の変化にとても弱い。真っ先に切り捨てられるとしたら、そういう人間だ。いてもいなくても変わらないどころか、いないほうが都合がいいので、かんたんに切り捨てられる。ゴミ同然だ。早く死にたい。社会のお荷物だという自覚があるからこそ、早く死にたい。人間社会というものがどうでもいいと思っているはずなのに、やはり他人の目というのが強烈に気になってしまう。俺は本当に自分の意志で生きているんだろうか。結局、「社会人とはこうあるべき」という生き方に囚われている気がする。そんなのは俺が一番嫌いなものなのに。不愉快だ。不本意だ。俺は他人の言われるとおりに生きたくないんだ。かといってこうしたいという意志もない。だからただ無能であることに固執している。無能でいれば、他人からどうこう言われないし、他人とあまり比較されることもなくなる。ただ、社会から見放されたゴミとしての扱いになるが。社会のレールから外れると、なにかに挑戦したり、何かを得ようとするのに非常に苦労するはめになる。なにも得る気がない生き方をし続けないといけなくなる。ただ惨めに、無様に底辺を這いつくばって生きる羽目になる。こんな状態から、まともな人間になろうとすること自体が間違いなんだ。何もかも足りていないから、何もかも努力しないといけない。そもそも努力しても補填できない穴もある。アスペがまさにそれだ。コミュニケーションに問題があるのは発達障害だから、どうしようもない。そのどうしようもない穴が、社会で必要不可欠だからとんでもなく苦痛なのだ。どのみちまともになれないなら、死んだほうが早い。俺は根っこから終わっている。それをどうにか隠そうとしたところで、それが露呈するのは時間の問題だ。結局みんな離れていき、誰も残らない。俺には冗談が通じない。馬鹿だからだ。馬鹿だから、面白い話ができない。馬鹿だから、話してて苦痛になる。生きてるだけで邪魔な存在だ。そこにいられると迷惑になる存在だ。馬鹿だから、なにもかもうまく行かない。馬鹿だから、まともに努力できない。ゴミみたいな人生がこのままずっと続くと考えただけで、非常に嫌になる。クラクラする。結局他人に迷惑を掛けるだけで、邪魔にしかならないし、自分も楽しいと思えない。生きてるだけで迷惑だ。邪魔だ。生きてるとどんどん苦しみが積もっていき、呼吸がどんどん苦しくなる。生きれば生きるほど、逃げ場がなくなっていく。段々希望が見えなくなっていくのがよくわかる。待ち受けているのは深い苦しみだ。将来に希望なんてないし、なりたいものもない。もし仮にこのあと頑張ってまともになったところで、別に何かあるわけでもない。俺みたいな人間が受け入れられるとは到底思えない。そもそも他人とコミュニケーションを取るのが怖い。怖いのを乗り越えたところで、アスペは治らない。どっちみち積んでるのだ。俺が誰かに求められるなんていうのは、結局幻想でしかない。俺はどこに行っても迷惑なだけの存在なのだ。邪魔でうっとおしくて、いるだけで空気が悪くなって、気を使わせてしまう。わかってはいるが、どうすればいいんだ?コミュニケーションというものが俺にはわからない。人間社会がコミュニケーションを重要視する以上、俺みたいなのははじき出されるだけだ。俺みたいな人間は一生孤独に生きていくしかないんだろう。ゴミみたいな人生だ。ただ、時間を浪費するだけの無意味で無 Permalink | 記事への反応(1) | 03:08
いつまでも尾を引いたりして、それが解消されることが殆どないからどんどん根暗になっていく。
◆なんで電子化しないの?
一読してなるほどと思ったけどなんかよくわかんない。
これ、本を作る人の思考だよね?
整理すると
1. 女オタク(ジャンル・界隈)の創作者は自作物を消して消えることが多い(実質消せるのは自己コントロールできるwebのもの)
2. 女オタクの読者は、作品が突然消えることに備えて創作者が後から手出しできない物理的な創作物が欲しい
…この…3番目は誰なの?ってなるよね。
創作者さんへ「なんで電子化しないの?」と聞いたら「(消されない他者の)作品はとにかく物理で持っておきたい」となぜか消費者の側で回答されてるようにも読めてしまう。pixivなどが突然閉鎖で自作物が消えるとかのパターンまではほぼ考えてない回答でしょ。
まあ当然、「創作者かつ消費者」という立場でしょうね。本を作るし買うし。
んじゃあさ、この部分の本を作る動機としては「消費者として物理の流れが好ましいのでそれを後押しするために創作者として物理で作る」…ってコト!?
私もしてるんだからさって同調圧力とまではいわないけどそんな要素もありつつ物理がどっさりな界隈になってるの?私が物理で作ることで今後オキニの創作者が物理で出してくれるチャンスが上がるかも…!って気持ちの人たちのスタンドアローンコンプレックス現象なの?
ないこともないし不思議でもないしわからなくもない。界隈を盛り上げるために自分も参加するってのはwebでもあるよね。ニコニコ動画の好きなジャンルの動画が増えて欲しくて自分も動画を作るとか。
そこはわかるんだけど。「盛り上げ」という点はわかるんだけど…。
「将来、web上から創作物を消すメンタルの創作者が物理で作りたくなるような雰囲気を醸成する」って点だけはニコニコの例とかとはかなり違うよね。どんなウルトラCがあれば繊細メンタル人がうっかり消せない物理本を残したくなるのか。そんな空気感を作れるとほんのわずかでも思いながら物理を作ってる(という文章を書いた)のか。
もうひとつ。
「女はよく創作物を消したくなる」とほぼ両者とも書いてるわけだけど(前者は作者の性別書いてないし増田だって泣いた経験あるが)、じゃあそんな自覚、界隈の傾向があるのにどうして自分は消せない物理を作るの?ってならない?
みんな自分だけは絶対に将来創作物を消し去りたくならないと確信しながらしょっちゅう創作物を消す他者の作品をアーカイブするために他者をだまくらかして物理で残させようとする一環として自分も物理でアーカイブされちゃう状況に身をおくの?
女性は創作物を消したくなる傾向になるのに男性向けに比べて電子化が進んでいない。って文章に矛盾ちゅうか違和感あるよね。じゃあ物理で作んないでしょ。消費者として傾向が感じられるなら創作者として予防するんでは?
まーこれもね。千部も数百もいかない物理本といつでもいつまでもなwebを同等扱いする詭弁ではあるのだけれどね。
この疑問を解消する仮定として。
女はDNAにでも刻まれているのか突然変異である日急に作品を消したくなる人格に変貌してしまうことが多発する。生物学的要素な理由で(女オタクって肉食っぽいよね)。しかも他者のそれを観察しても発症までは自分はそうならないだろうと楽観視している生き物。ってことになる。失礼~。
まーね。ほんとはわかってる。
女性界隈はwebから消える消えないなんてのは本を作る理由のまー10%あるんかないか。物理がいい装丁が楽しいイベント最高ー!とかのほうが99割を占めてるってことは。
でもねー。この話題は毎回しょっちゅう消えるから物理が欲しいって言う人が出てくるわけじゃん。今回みたいに。
どの立場で言ってるのですか?ってのが「女オタク」への印象。いや高圧的に言ってるんじゃなくて創作者か消費者かってね。
今回みたいにナチュラルにミックスした文章をお出しされるとどの口がって思っちゃう。同人は全員参加者みたいな建前はえーから。
50:50じゃないよね。創作者はほぼイコール消費者なわけだけどこういう感じの言及をするときのメンタルはどれぐらいの割りあいで自分の属性を置いているんだろう。消費8創作2ぐらい?わかんないけどね。
作り手はそうとして100%消費者の人だとしてもどういう気持ちで消すから物理で欲しいって言うんだろ。電書の営利的サービス終了じゃなくて個人が消したいとしょっちゅう願う界隈で消えてもいいからモノは残せ、かのように見える言動を男の増田でもちょくちょく見かけるのはあまりにも対症療法的っちゅーか。なんか恐い。web失踪が頻発する界隈ですることが全体的に物理を求めていくことなのか!?なんか違くね!?…男女問わずどんなに環境がよくっても消える人は0人にはならないけどさ。じゃあなんだ。リスクマネジメントが強ぇ奴らなのか。界隈の特徴になるぐらい。
つまり俺は女オタクよくわかんないってこったよ。消える傾向が高い原因もその中で本を作る人も消える人が多いから本が欲しいと公言する人も三者三様俺とは考え方が違ってぜーいんわっかんないっ!ぜーいんわかんないってことはニアリー女がわっかんないってこと!まとまらないしどうでもよくなった練る!
わかんないけど主人公の一人キャリーがエイダンっていう男性をひどく傷つけたエピソードとかで自分と重ねて泣いちゃったのかも
同じように過去にひどく傷つけてしまった誰かがいて、もうそのときには戻れないし後悔しても今はひどいことをした、
間違ったことをしたとわかっててもどうしようもないし許されもしないことを引きずっててそれをいつまでもいつまでも心に持ってるのかもしれない
続編でその彼と〇〇(ネタばれ回避)するからそこがまた複雑な気持ちにさせられるし それで「痛い」って気持ちになるのはわかる、それはもう登場人物じゃなくて自分に言ってるんだよね
まあお母さまの本当のところはわからないけどさ
でもそういう作品ってあるよね、私にはある
私は難病患者ですが、マッチングアプリで恋人を見つけました。結婚も考えてくれています。
避けては通れない結婚や出産の話題で、わたしが思うことを書きます。
まず前提として、SLE患者だけでなく難病患者の恋愛はかなり難しいものだと言えます。
わたし自身、マッチングアプリを使用している際に、病気であることを告げるとフェードアウトする男性がほとんどでした。
中には、「一緒に支える」と言ってくださる方もいらっしゃいましたが、それでもほんの少数派なのは確かです。
実際問題、介助者がいない状態での難病患者の1人暮らしは、不安が付きまといます。
体調を崩した場合も、家のことや入院する場合は手続き等、すべて自分でおこなわなくてはいけません。
両親もいつまでも元気ではありません。そんな時、近くで支えてくれる誰かがいるのといないのでは、全く心の持ちようが違うと思います。
わたしは幾度と入院と退院を繰り返して、1人で生きていくことの大変さを思い知りました。
人は、1人では生きていけない。
だから、結婚するためにマッチングアプリを使用し、恋人を見つけたのです。
もちろん、結婚がすべてではありませんし、1人で生きていけるほどの強い方がいるのも理解しています。
ここではあえて「結婚したいけどどうせできない」と諦めている方にお伝えしたくて書いています。
寝たきりの方でも、全盲の方でも、結婚している方はいらっしゃいます。
地元駅弁大学の理学部と理学研究科を経て地元の中学教師をやっていた。
俺「なるほど」
俺(生徒ガチャ外れ!いじめとかどないしろっちゅうねん!主犯格転校でもさせるか?そんなのできるわけねえだろ!注意するか?主犯格の親もDQNで怖い…主犯格の彼氏も暴れると手のつけられない奴だしな…)
俺「実はかくかくしかじかで…」
生徒1「学校に来れません」
生徒1親「どうすればいいんですか?」
俺「どうすればいいんですか?」
俺「ははは〜さあね〜それより全校集会までに髪の色戻してね〜1のこと気になるの?」
母「あんたの前のお父さんが死にました。再婚相手との間に子供はいません」
俺「閃いた!」
校長「増田先生が大学院の博士課程に進学するため退職されます!いつまでも学び続けようとする姿勢は皆さんも是非見習ってください!」
俺「お世話になりました!(よっしゃ!逃げるが勝ちだぜ!)」
ー完ー
13時頃 電話で起こされる
父関連の件で心臓がキュッとなる。
電話の内容を父に伝達しなければいけない。と思ったら血圧と脈があがっていくのを感じる。緊張とムカつきのような、父のことを考えると後ろから突然谷に突き飛ばされような感覚になる。
まず、この件に関して電話しなきゃと思う。
そこまでの緊急性はないが、即日伝えた方がいいか? 件についての対策をねってから簡潔に伝えられるようにしてからの方がいいか?
そもそも父のいまの機嫌はどうだ?冷静に話せるタイミングか?電話の前にメッセージを1報するか…?
まぁ、どのタイミングで話しても、私が最善だと考える結論にはいたらないだろうし、話が通じるわけもないか。とバババッと考えたあと、(父とは時差があるので時計を見て)冷静になり一旦、このことは寝かせて、対策を考えてから電話することにした。
脳のフル回転、胸と喉のしめつけ感、呼吸が浅くなるのと動悸、脱力に貧血のようなふらつきを感じて安定剤を飲む
頭はなぜか冷静だったので
この件について関わりたくないし、父とも話したくないのに、窓口が私になっている件だから関わらなければいけないことにストレスを感じているのがよくわかる。
そもそもなぜこの件に関して、私が窓口にならなければいけないのか。
さっさと対処してしまえばいいのに、父の執着心かなんかしらんがいつまでもいつまでも引き伸ばしてホント理解できん。
自分で管理できないものをいつまでも所有するなよ。という気持ちで怒り感情が増幅していき、そこから今回の件についてを中心に父への恨みつらみが湧いてくる。
情緒や体調とは裏ハラハラに頭は冴えたままなので、あれよあれよと具合が悪くなっていく自分がおもしろい。
頭にダメージがないので、「家族に対してこれ程の拒絶反応がでるの我ながら可哀想だな」などと巻き起こってる不調を客観視したりした。
あー。自分は可哀想なんだ。と思ったら音速でネガティブスイッチがはいってしまい、死にたくなった。死にたいというか消えたい…
全ての繋がりを切って、誰も自分のことを知らない、誰とも繋がらない世界にいきたくなった。
家族のことで精神を追い詰められてること、そんな自分が可哀想と思ってしまう事がつらすぎて、涙が溢れてきた。
感情はネガティブなのに、頭では泣いちゃってるよ。と失笑していた。
感情も冷静さも脳の機能のひとつなのに、同時に動かすことができるのおもしろいなと思って、増田にまとめることにした。
胃が刺激を感じぐにゅぐにゅと動くのがわかる。
なにも食べていない、かつ横になっているので食道に逆流してくる感覚をつかむ。
泣いたせいか瞼が腫れぼったくて手にしてるスマホの画面のキーボードが見えるぐらいにあけるのがやっと。唇が異様に乾いてる気がするけど、これは関係ないかな。
なにか飲みたいけど、口元にもってきてくれれば飲めるぐらいの動きしかできない、したくないぐらい体が重い… 安定剤の効果かな。
せっかく天気がよくて、昼に起きれてるのに… なにもできないのは残念だけど
去年の名字ランキング(参照元:https://news.mynavi.jp/article/20220331-2308405/)で5本の指に入るくらいには平凡な名字である
上の資料によると全国およそ132万6千人。日本の人口を1億2500万人とすると大体100人に1人くらいは田中がいる(はず)
今まで生きてきて田中さん(仮)に出会ったことがないって人はそういないんじゃないかな~と思う。まだ10年くらいしか生きてないようなこどもだったらいるかもしれんが
が、増田こと田中(俺)は一度も同姓の人に出くわしたことが無い。御年30。何故なのか
限界集落の過疎村生まれってわけではない。都内じゃないというか関東ですらないが地方都市とは呼んでいいくらいのそこそこ大きな街育ちである
小学校は1学年4クラス、中学は6クラス、高校は10クラスあった。大学は県外の田舎F欄大学なのでさておき。職場(県外)も全従業員50人くらいの小企業だがさておき。
一度たりとも田中という名字の人に会ったことが無い。この前帰省した時同窓会名簿確認したので間違いない。田中、一人もいない(俺はいる)(兄弟親戚はノーカウント)(同窓会名簿で数年遡ればそりゃ数人はいるが会ったこともないのでノーカン)。
ふと思いつくといつまでも気になってしまうもので、コンビニとかレストランに入った時とかに店員さんの名札を確認するようになったんだが、未だに出会えていない。何故なのか
名字は結構地域性があるとは言うが、「田中」だぞ?!全国トップランカーの名字だぞ?!そんな頑張って探さないと見つからないような名字じゃないだろ?!と思うんですがどう