はてなキーワード: 自由恋愛とは
岡田斗司夫の元愛人を名乗る人物がtwitter上で暴露漫画を描いたことでネット上で物議をかもしている。
これが非常に面白いのだ。
そもそも岡田斗司夫は80人近くの女性と彼氏彼女の関係をもっていたと発言したのだが、ふたを開ければというかあけるまでもなくわかっていたことだが、それは愛人契約以外の何ものでもないということがわかった。
もちろんその事実がわかった段階では岡田氏を擁護する者は少なかったし、消極的に岡田氏を擁護する者はいても、全肯定したり、女の自業自得だ自己責任だと切り捨てる者は感覚的に少なかったように思われる。
しかし、この暴露漫画がtwitter上で話題になると岡田氏批判と擁護が拮抗しているように思われるのだ。(勝手に思っている)
何故なのか?
この疑問こそが僕の出発点だった。
僕の立場を言えば岡田氏のやっていることは100%間違っている。全否定派である。
のにだ。何故か批判派の論理はどこか矛盾しているように感じ擁護している側のほうにも正当性があるように感じてしまったのだ。これは考える価値のある疑問のように思われたので拙い知識で少し論じてみようと思う。
何故、岡田氏擁護側のほうにも論理的正しさを感じ、批判している側に矛盾を感じたのか。
これこそフェミニズムとネオリベラリズムのねじれ現象だと思うのだ。
批判派の論理はフェミニズム的思想によって行われ。擁護派の論理はネオリベラリズム的思想によって行われているのだ。
しかしこの二つの思想は僕にとっては共闘関係にあり手と手を繋ぎあっている仲間だと思っていたのだ!(書いてる途中でしったのだが、どうやらフェミニズムとネオリベラリズムはの関係性は大昔から論じられてきたらしい)
もちろんフェミニズムもネオリベラリズムも一枚岩ではないということは重々承知なのだが、もともと自由平等博愛という世界観を生み出した自由主義者たちが資本主義者と手を結びその中でで男女同権男女平等を唄うフェミニズム思想が生まれたのだと思えば、フェミニストは基本的に自由主義者だしネオリベラリスト達が掲げる国際化グローバリズム的思想とも
フェミニスト達は手を組めてしまうのだ。なぜならネオリベラリスト新自由主義者達は歴史、伝統、文化、国家などを解体し国境や国籍をなくし市場を開いて自由に! 平等に! 競争し貿易し取引し資本を儲けるという考え方なのだとしたら、
フェミニズムにとって邪魔な伝統や文化、家や血、身分や階級からの開放と非常に親和性の高いものだということがわかる。
つまりフェミニストの大半はおそらくグローバリストでありネオリベラリストなのだ。
ネオリベラリストたちの多くは自分のことをフェミニストだと思っている事だろう。
岡田氏擁護の論法はこうだ岡田氏はちゃんと見返りを与えている、それに選択肢も与えている、だったら女性の自己責任であろう、と。
これは男女の関係を金や権力または見た目の美しさかっこよさのみで取引できるという考え方が染み付いているのだろう。
さらに付け加えれば金や権力、美貌以外の価値観こそ女性を抑圧し束縛するものだと思っている可能性すらあるのだ。
最近togetterにまとめられていた「フェミニズムを拗らせた結果、レイプものや売春もの等しか受け付けなくなった人達(と、百合しか受け付けなくなった人達)」というのを読んだのだが、彼らは金、権力、美貌以外のもので男女が恋愛できるということを信じられなくなっているのだ! これは歴史でも伝統でも文化でも宗教でも国家でも家でも血でも身分でも階級でもなんでもいいんだけれど、そういったものにまったくリアリティを感じられない人たちに起こる現象ではないか? 彼らが異性と共有できる価値観なんてもはや金しかないと信じているのである。
そんな彼らがフェミニズムを拗らせたと名乗っているのだから面白い。
フェミニストがネオリベラリズムに正当性を与えネオリベラリストがフェミニズムの理論を武装したのである。
ネオリベラリズムの思想のなかには間違いなくフェミニズム的思想を取り込んでいるし。フェミニズムのなかにもネオリベラリズムと共有する価値観はあるということは間違いない。
しかしこの岡田斗司夫問題で、一見、僕からすれば同じグループの人間たちが喧嘩を始めるという奇妙さによって、フェミニズムとネオリベラリズムには価値観の多くを共有しているが、決定的に相容れない全く共有できない価値観があるということが浮き彫りになったのだ。(岡田氏本人がネオリベかどうかはよく知らない)
そんなの当たり前だろとおっしゃる方もいるだろうが、僕にとってこれは発見であり、フェミニズムという思想には大きな矛盾と逆説を抱えているように思ったのだ。
もちろん岡田氏を批判している多くの人は別にフェミニストなどではなくただ直感で不愉快に思ったからだろうが……。そのなかに紛れているフェミニスト達を見ていると(岡田はパワハラで性暴力で女性の敵! といった意見)岡田氏の様な恋愛資本主義的な思想に正当性をもたせたのはフェミニズムなんじゃないのかと思わずにはいられないのだ。
これまでフェミニストはどう考えてもネオリベラリストたちを利用してきたように思われる。
歴史、伝統、文化、国家からの開放という理念、男性社会からの開放という思想は
国家主導の経済政策ニューディーラーやケインズ理論のような社会主義的な政策を嫌うネオリベラリストをフェミニストは利用し、
男女同権をネオリベラリズムによる労働規制の緩和と非正規雇用や外国人労働者などを使った低賃金化といった改革によって達成した。
そして行き着いた先これである。
自由と平等を過激に極端に推し進め規制は悪であるという考え方が導き出した論理こそ弱肉強食なのだ。
クルーグマンもスティグリッツも最近話題のピケティも言っている格差問題はネオリベラリズムによるところが大きいが、
フェミニスト達にも米国におけるトップ1%が金融危機以来95%の富を得ている等の責任があるように思えてならない。
ネオリベラリズム的政策に正当性を与えたことは言うまでもない。
僕は今フェミニストがネオリベラリズムを利用したといったが、もちろんネオリベラリストがフェミニズムを利用したことも疑いようのない事実だとは思う。お互いがお互いをうまく利用してやろうとしたのだろう。
だからこそフェミニスト側が、ネオリベに裏切られた! 私達は被害者だというのはやめてもらいたい。ネオリベラリズムの思想によってフェミニズムの目的の大部分は達成したのだろうから。それが仮に弱肉強食にさらされるという事であっても……。
別に男と女が対立するのも結構だが、格差問題が深刻になりつつある今、フェミニストがやることはネオリベラリズム批判ではないだろうか?
フェミニスト達が今回の暴露漫画における岡田氏擁護派の論理、つまり弱肉強食という考え方を否定し資本による自由平等を批判しても、恐ろしいことにそれを望んでいたのは(少なくともそう見えた)フェミニストなのだから自分で自分を殴っているような滑稽さ、それが僕の違和感であり矛盾であり、擁護派にもそれなりの正当性があるように思えた理由なのだ。
家や見合いを否定し自由恋愛が生まれ、今度は家庭を否定し、恋愛資本主義にまでいきつき男女ともに恋愛による価値観は金と権力と美貌しかなくなるのも頷ける。
金と権力があればモテルやただしイケメンに限るなんてのもネオリベラリズムに毒されれば必然的な帰結だろう。
このような思考回路を持つ、岡田氏を擁護する人間や岡田氏の様な人間を作り上げたてしまった責任の一部にフェミニスト達が関係していることを考えるとなんともいえない気持ちになる。
男女の平等を達成するためにネオリベラリズムを利用したらネオリベラリストによって性的被害を受けた、なんと皮肉なことか。
弱肉強食と男女平等が共存する社会が仮にあるとすればそれは旧石器時代のようなものではないか? それこそがフェミニストとネオリベラリストの理想郷であることは疑いようもない。
思考メモとあるとおり、従来の男性ロールが別に男にとって素晴らしいものではない理由が並べられながら、だからどうするという結論が存在していないのだが、この増田は恐らく「男らしさ」の物語に強い憧れを抱いているのではないだろうか。増田は巷に溢れる「待ちの姿勢で居る高嶺の花的な美貌の女性と、その女性を捨て身の献身でもって落とした男性」のストーリーに対し、
と書いているが、男性は「美貌の女性」に憧れてそうしたストーリーを消費するわけではない。むしろ、「待ちの姿勢で居る高嶺の花的な美貌の女性を捨て身の献身でもって落とした男性」に憧れるのである。特攻隊についても言及されているが、彼らは別に"天皇および祖先のため"だけに死んだわけではない。家族や守るべきもの、あえて言えば自分が「男らしさ」を発揮できる対象(≒自分より弱い者)のために死んだのだ。死で終わるこの手の物語は言うまでもなく「捨て身の献身」の物語として最上のものである。そしてこの手の物語に最も惹きつけられる人間は、自らの命の価値に自信が持てない人間である。なぜなら、誰かのために死ぬことは、少なくともその誰かの命の価値を自らの生に与えることだから。
だが現在では、男であるというだけでそうした物語の主人公になることはできない。自由恋愛の下に女性と付き合い、結婚し、家庭を持つ必要がある。しかし自由恋愛の下では、男性内での強者/弱者という構造が発生する。「男らしさ」規範を内面化した弱い男にとってこの構造は大問題である。「男らしさ」の物語に憧れているのにもかかわらず、自分はその物語の主人公にはなれないのだから。
降りてしまえば楽になる。だが、降りる自分と「男らしさ」の物語に憧れている自分との折り合いをつける必要があるから、「男らしさ」の物語の酷さを並べて物語を崩そうとする。あるいはフェミに傾倒したりすることもあるだろう。
ただねえ、そう上手くはいかないんだこれが。強いて言えば老いが解決してくれるんだが、そんなこと今悩んでる若い子に言ってもしゃーないか。
晩婚化のせいで、ブサメン、ブスが結婚しにくくなった可能性って指摘されてるかな?
昔はお見合いでほぼ100%結婚してたけど、自由恋愛で結婚してね!ってなると、戦後とかなら、イケメン美女は早々に売れて、残りの中でまた上位が結婚して、ってなって30くらいの売れ残り同士でそこそこきれいに売れ残りが消えていった。
でも、今って30くらいまでに結婚とか、27までに結婚とか、昔と比べて晩婚化なわけで。『晩婚化』ってのはつまり25までに結婚とかが普通っていう意識の中で出される言葉なわけで。
そうすると、そのくらいまでは男女とも結婚しないとなると、イケメン美女が売れ始める時期も後退しちゃうわけだ。(むしろ30近くギリギリまで結婚しなくてもイケメン美女なら余裕だから残り続ける?)
そうすると、未婚のイケメン美女のラインがいつまでも下がらない。フツメン、フツウ女が妥協しなくなる。だって、未婚のイケメン、イケジョがいるんだから実際。
こりゃ、フツメン、フツ女は結婚しなくなる。当然下層も結婚しなくなる。
オタクが自由恋愛市場の鼻つまみ者というわけではないと思う。自由恋愛市場は出入り自由だ。
オタク活動に熱心で髪を切らず風呂に入らず服を洗わず、二次元の男性や女性を観察してきた経験だけで本物の人間と対峙しようとする者の需要が今のところ極端に少ないだけだよ。
オタク差別がまるでないとは言わんが、恋愛を持ち出すのは的外れ。
少なくとも、オタク属性のせいで自由恋愛から排除されてるってのはない。
非コミュ差別、容貌差別、収入差別の結果、相手を見つけにくいということはあろうだろう。
しかし単にオタクというだけならば、容貌が平均以上だったり、収入が多かったり、コミュニケーション能力に秀でた者は恋愛や結婚を経験している訳で…。
また、オタクでない人間が、それだけで恋愛できたり結婚できたりしているわけもなく。
性格に難があり過ぎたり、不快感を与えがちな容姿だったり、収入が低かったりすれば、恋愛が上手く行かなかったり結婚市場で売れ残っている。
以上のことから、大体は別種の差別が関わっていると判断するべき。
ただ、オタクが趣味に邁進しすぎて、機会を逸してしまうというのは大いにあると思う。
付き合う相手に金銭や時間をかけるより趣味を優先したり、趣味に関連したところしか行かないので行動範囲が狭く出会いがないとか。
「趣味のことしか話す内容がない」とか「趣味に詳しくないと判断した相手に対してマウンティングをやってしまう」とかいうのは、コミュニケーション能力の問題なので省く。
超エリート過ぎて、あのお年まで挫折したことがなくて、引責辞任しても懲戒免職ではなく辞任なら
1年してほとぼりが覚めたら天下り先は見つかる。という日本の官僚機構的な人事制度に気が付かなかったんだろ。
氏の場合は本当に引責というより事故なんだから、事が片付いたら、全て僕の責任ですって責任ひっかぶって、引責辞任すれば。
1年したら、見えない力が働いてポストが用意される(とはいわないが、立派だと評価される)のが日本だろ。
ほとぼりが覚める前に、就職活動(所員含む)してもいま正にHOTなSTAP細胞関連の話題で引取先が見つかるわけがない。
小保方さんの件が片付いて、ほとぼりを冷まして、それからという日本的な事なかれ人事の問題だと思う。
それと、理系の研究職に女性を増やすことは難しいだろうし、理系は自由恋愛にはそもそも向いてないから。理系専門のお見合いサービスが必要なんだとおもう。
理系は固いからな。いわゆる魔性の女タイプが紛れ込まないことを保証してくれる身元のしっかりしたお見合いサービスがもとまれる。
まー、大筋では女と子供を保護するためにあるんだとは思うけど<結婚
でも男社会の方も、色んな事が結婚を前提に組み上げられてるので、男も影響なくはないだろ
結婚して女を養うって前提無かったら、男の給料はたぶん今より安いし、女は逆に今よりもっと給料を得ようと働くだろうし
そうなると風俗行く金も稼ぎづらくなるかもしれんし、かといって自由恋愛でも、保護を期待できない相手には女がそう簡単になびかないだろうからなあ
自活のために春を売る女が増えたりもするかもだけど、トータルでは結婚制度がなくなると、男は今より相手に困るようになるんじゃなかろうか
自由恋愛においては競争原理が働くわけで、以前はお見合いで結婚できていた恋愛カーストで下に来る人達がどうしようもなくなるという話もある
少子化対策に一番いいのは自由恋愛の作法を欧米人から学ぶことじゃないかと。
俺らって自由恋愛が必須な世の中に生きてるのに、未だに昔ながらの親同士が持ち合った相手と結婚することを前提とした学生生活送らされるじゃん。
自由恋愛が自然な流れで発達する文化の中で生きれてないじゃん。
俺ら学生時代ダンスパーティとか男女でメシを食うなんて表向きご法度だったじゃん。ごく少数のいきがってる奴だけが裏で女と付き合ってた感じでさ。
それでいきなり適齢期になったら自由恋愛を始めろなんて無理な話よ。
やっぱさ、学生時代に大勢の男女が形式的に戯れられる機会があるってすごく大事だと思うわけよ。
日本でも昔はあれだろ?農村地帯はお祭りで男女が一緒に踊ってたんでしょ?夜這い文化もあったわけで。
草食系とか恋愛ベタって言っても結局は男女で触れ合う機会が少ないのがそもそもの原因でしょ。
普段から女と近づいて楽しく触れ合う機会があったら男はどうしたって女に向かっていくようになるよ。そういう生き物だから。
それも街コンとか婚活パーティとか最初から付き合うことを前面に押し出したものじゃなくて、表向きはこの地域じゃだれでも参加する遊び、って感じにしておく。
そうしないともしうまくアピールできなかったり相手ができなかったりしたら男はカッコ悪くて誰も参加しなくなる。
そりゃ、「世間の重圧が怖い」と言っているだけで、自分から彼氏彼女を探すモチベーションもコミュニケーションスキルも持ち合わせてない男女同士が、放っておいて勝手にくっつくわけ無いじゃん。
そういう男女を半ば無理矢理にでもくっつけるマッチングシステムがないと、カップルは成立しないと思う。
昔はお見合いもあったけど、今や結婚も自由恋愛前提で、結果非婚少子化まっしぐら。
もっと非モテっぽい言説でツッコんだこと書くと、リアルでの声のデカさ故に社会的影響力の大きい「彼氏彼女なんて自然とできるよ」勢は、それが当たり前すぎて、放置していたら一生独りという人間への想像力がなさ過ぎると感じるし、それこそが、元増田みたいな人間を生み出す根本原因だと思う。
「彼氏彼女なんて自然とできる」とか、そんなの全然当たり前じゃないことは、もっと広く世間に認知されていい。
まあ、「世の中には自分の想像を絶するくらい、色んな人がいる」という事実を認めろと綺麗事を言ったところで、認めることで即座に何かメリットがあるわけじゃないので、かくして「お前変」「あいつ変」「要は勇気が(ry」という視線はなかなか揺るがない。