はてなキーワード: 寒いとは
幼いころ、何かのイベントでフェイスペインティングをやる機会があったのだけれども、当時の僕は顔に何かが付着するのが不快に思われて、断った記憶がある。
それ以来、身体に何かを塗ったことはない。皮膚科の薬くらいか。女性の場合、ファウンデーションを使うので、フェイスペインティングは男性よりも抵抗が少ないと思われるのだがどうだろう?
それはともかく、同様の理屈でボディペインティングはやったことがない。とはいえ、ドラえもんの学習漫画で、水着を忘れたのび太が絵の具を塗ってごまかそうとするが、前だけを塗って尻を塗り忘れて恥をかく場面があり、それが自分の野外露出・CFNM願望とマッチしていたのを思い出す。気づいたしずちゃんが顔を覆って赤面しているのも高ポイント。
実際に水着やショートパンツを描いて野外を全裸で徘徊する女性の動画は、各種動画サイトで閲覧可能だ。
人々が顔や身体を様々な色彩で飾ってきた歴史は長く、世界中で見られる。ブラックベリーやサフラン、粘土や木炭などで様々な色合いが用いられてきた。つまり、赤、黄色、青、黒、茶色などが利用できたわけである。
欧米では、顔や腕を塗ることが多かったし、今でも大道芸人やピエロなどもそうだ。全身をカンバスとして用いるのがメインストリームの芸術やファッションに導入されたのは、1933年のシカゴの万国博覧会でだった。Max Factorがバーレスクの大女優Sally Randを映画のためのモデルにしたが、裸を公衆の面前に出すのは同時としては当然挑発的に過ぎたし、社会的通念からは外れていた。そして、全裸のアートは人気にならなかった。
これが60年代から70年代のヒッピー文化の時代になってくるともう少し人気が出てくる。花やピースサイン、その他サイケデリックな模様を、大義を信奉していることを表現するために描いた。今でも海外のヌーディストたちがワークショップか何かで全身にそうした絵を塗っているのを確認できる。くすぐったそうである。この時代もまだ、カウンターカルチャー的なもので、主流ではない。
革新的であったのが1992年、Vanity Fair誌をDemi Mooreが飾った時だ。彼女は全くの裸であり、芸術的でかつタイトなスーツを着ているようにみえるペイントをしていたのである。今までこうしたものがメインストリームの前面に現れたことはなかった。
一応、乳首が見えているので、直接のリンクは張らない。Demi’s Birthday Suitで検索してほしい。
身体に名画を直接描いたり、人体の形を活かして生き物の姿を描いたりする。全裸も多いのでリンクが晴れなくて申し訳ない。中には会田誠の作品のように、セクシーさというよりはシュールさで有名なものがある。漫画のすごい顔の絵を描いていて、おっぱいに目がある。たぶん現代美術好きな人だったら見たことあると思うのだけれど、ものによっては普通に割れ目までも見ているのでリンクしない。女性器は猥褻だとは思わないが、残念ながら規約違反になってしまうおそれがあり、ブルマーの記事まで削除されてはたまらない。
例えば「アバター」なんかの映画で用いられるメイクアップで用いられる。他にも、Playboy誌が時折ボディペイントを使うことがある。2005 年のカレンダーでは皆がビキニを着る中で、Karen McDougalやHiromi Oshimaはボディペイントだった。そのほか様々な広告でも用いられる。
フットボールの試合、レイヴパーティー、その他の祭りなのでボディペインティングが行われる。また、国際的なボディペインティングのフェスティバルもあるようだ。World Bodypainting Festival(1997年より開催、50か国以上より3万人が参加)など。
Fantasy Festなるフロリダのストリートパーティでも用いられるようだ。おそらく、全裸・半裸になりたいけれどもファッションは楽しみたい、という需要にボディペインティングは応えている。
PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)が動物の模様を身にまとって抗議することがある。また、全身を様々な色で塗っている写真も英語版のウィキペディアで確認できた。
いい機会なのでPETAについての記事を斜め読みしたのだが、増田ではよく叩かれているとはいえ、捨てられたペットの保護や、ヒツジの臀部から皮を剥ぎ取るミュールシングの代替手段の模索に向けての活動については知らなかった。もっとも、セクシーな抗議がフェミニストの怒りを買っていたり、殺人・虐殺の犠牲者と屠畜された動物を同列に並べて猛反発を受けていたりしてもいるようだ。
一番安全。すぐに落ちてしまう恐れがあるが毒性がなく、アレルギーもほとんど引き起こさない。加えて、石鹸と水ですぐに落とすことができる。手入れが必要で長続きしないが、皮膚の敏感なひとや妊娠中の女性に適している。
汗や水に強いのが特徴なので、夏の音楽フェスやパフォーマンスに適している。落とすときには専用のリムーバーを使うか、アルコールで拭く必要がある。ただし、少し時間がかかる。
ラテックスや油性の画材は全身を塗るのに適しており、目を引く視覚的効果を上げられるし、芸術的な目的にも使われる。取扱説明書を事前にしっかり読む必要があり、塗る前に全身の毛をとり除くひつようがある。毛が残っていると脱毛ワックス的になって痛いためだ。
多くの化粧品に含まれているのと同じもので、前衛的な外観を作りやすく、長続きするが、割れたり摩耗したりしやすい。利点としてはアルコール系と同じように汗や水に強いことが挙げられる。しかし、完全に乾燥することがないので、仕上げのスプレーやパウダーで駄目になるのを防がないといけない。
アジアやアフリカの熱帯地域の植物から採れる色素で染める。髪を染めたり、ボディペインティングの材料にしたりするだけでなく、繊維を染めるのにも用いられる。落とせるタトゥーとしても使われる。
Brown hennaは基本的には天然素材で毒性はないが、black hennaは金属が含まれており、長期にわたって使われると皮膚を害する恐れがある。
多くの人がボディペインティングのときに実際に何を着ていくか迷うらしい。特に野外で行うときには最低限、皮膚の色に近い紐パンや、ペイスティース(乳首の前貼り)だけを身にまとうことがある。トイレに行くときにはローブが必要であり、加えてペインティングスタジオは寒いことがあるとのこと。
WNBR(ワールド・ネイキッド・バイク・ライド)なんかだと普通に全裸に人もいるし、そういうイベントでだったら全裸も普通にOKだろう。
今回は、野外露出目的ではないボディペインティングについて調査した。今後は、ヘナタトゥーなどについてももう少し情報を得たい。
また、ヌーディズムそのものの歴史、ストリーキング、ムーニング(尻を見せる行為)などについて調査予定である。すなわち、身体が自然と触れ合う喜び、抗議・無防備さの象徴としての全裸、宗教的な全裸、それから、祝祭としての全裸についても調査したい。
Significance and Origin of Body Painting - Lynn Schockmel Body Art
History of Body Painting - Facts and Types of Body Painting
History of Body Painting - Ancient Body Paint Art
経験上、「今日は人身事故がありそうだな」と言う日はある程度決まっていると思う。
ちょっと明日辺りは人身事故が多発しそうな気がするので、自分が思う「気の迷いで電車に飛び込みがちな日」の特徴を説明したい。
頭の片隅にでも覚えておいてもらって、気の迷いでふらっと死んでしまわないように気をつけてもらいたい。というか頼むから電車止めないで。
1.寒い
寒いと気が滅入る。気が滅入るとマイナス思考がちになって目の前にある電車に突発的に……という流れだろうか?
私は飛び込んだことがないのでわからないが。
2.前日との寒暖差が激しい
機能まで平年より暖かかったのに急に冷え込んだな……と思っていると案の定電車が止まる。
そういう日は特に人身事故が起こりそうな予感がするので、乗務員的には「やっぱり飛び込みましたか……」という気持ちになる。
3.晴れ
加えて雲一つない空っていうのは意外と気が滅入るものらしい。
あまり多くない。
代わりに雨の日は路線によっては野生生物との衝突が多い気がする。鹿とか。
4.月曜日
結局これかよと言われそうだが月曜日はやっぱり多い。
体感としては 月>超えられない壁>日≧金>その他といった所。
今更感がある内容だが、実際にこういう日に人身が多く発生する。
個人的な意見だが、寒くてネガティブになっている状態での飛び込むというのは、ちょっとした気の迷いに身を任せるようなものだ。
言い方が悪いが同じ死ぬにしてももうちょっとマシなものがある。勿体ないことこの上ない。
そのどちらかに貼っておけば全身が温まる。
通勤前にコンビニでも寄って貼るカイロを買ってカイロの力を感じてほしい。
もっというとよく寝ろとかちゃんと朝食べろとかそういう話になってくるが、寒さは本当に気が滅入るので最悪でもカイロだけは買ってみてくださいお願いします。
とりあえずは以上です。
これで明日何も起こらなければ笑ってもらって構わない。
ちなみに先週は同じ路線が朝夕人身で止まったりとか色々ありました。マジ月曜は気をつけてね。
・追記
反応の数が意外に多く驚いています。
その中で、補足したいと思った点が3点ほどあるので追記します。
補足1.晴れの危険性についての補足
私個人の推察ですが、晴れの日が危ない理由については、ほかの3点とは異なった理由があると考えています。
対して、晴れの日は「ストレスが取り払われた状態」であることが危険なのではないかと考えています。
駅のホームに立っている状態で、後ろから押してくる圧力が「ストレス」です。
普通の人は後ろから押されると、落ちるまいと踏ん張ると思います。
その時あなたの目の前に存在する、落ちたくないと思わせるような心理的な壁を取り払ってしまうのが晴れの日であり、「ストレスが取り払われた状態」なのではないかと思います。
俗にいう「線路に吸い寄せられる」感覚というのがこれにあたるでしょうか?
補足2.本当に余裕がない人はカイロを買う余裕もないのでは?という話について
ご指摘は全くもってその通りで、私はそういったギリギリの所で耐えている方に対して気の利いたアドバイスをすることができません。
もうその段階の人に対しては、電車に乗るな、無断欠勤でもなんでもいいから飯食って風呂入って寝てろ、としか言えないと思います……。
私がカイロの購入をお勧めしたいのはむしろ、ちょっと嫌なこともあるけどそれなりに生活を送れているレベルの人です。
「辛いが死のうとは思わない」レベルから「飛び込んでみようか」と思うぐらいには冬の寒さはメンタルに影響を与えます。
人は魔が差す生き物です。自分は大丈夫だという人ほど、予防のつもりで試してみてください。カイロは効きます。
補足3.「暴落」「市況板」について
率直に言いまして、わかりやすく人身に影響を与えるという意味では無視できない要素です。
私も人身といえば……で思いついてはいましたが、今回の内容では省略しました。何故かといいますと、「気の迷い」で死ぬとは少々ニュアンスが変わってくるからです。
少なくとも、暴落に関係して「辛いが死のうとは思わない」人が突発的に死を選ぶことはほぼないと思われます。その為割愛しました。
なお、仮に暴落した影響で死を選ぶとしても鉄道で無理心中は避けるのをお勧めします。
運転士曰く、一人は我に返って離れようとしたが、もう一人が手を掴んで……なんて話もありますが、想像したくもないでしょう?
余談ですが私は、電車に飛び込むぐらいならそのまま反対側のホームに回って逆方向の電車に乗ってほしいなーと思っています。
鉄道ってほかの公共交通機関の数倍「そこに路線が通っている理由がある」乗り物なんですよ。
さむいよ〜、さむいです。
体が縮こまっていけない。
朝から湯を張りました。
足をゆったり伸ばせるお風呂が恋しいです。
畳一枚あるかな?って小部屋に、正方形の小さなバスタブと、残りが洗い場。
別に機能に問題は無いし、ガス代は安上がりだし、あったまるのに変わりはないから良いんだけど、時々やっぱり、足をグーンと伸ばせるお風呂で優雅なひと時というやつに憧れる。
温泉行きたいよ〜
とかなんとか書いてるうちに、沸けたみたい。
むしろなぜ我慢するんだ。そんなに寒いのに。一日部屋にいるなら一日中つけてりゃいいじゃないか。そのためのエアコンだろ。下手につけたり消したり繰り返すほうが電気代の無駄だぜ。
苗字は、強そうな雰囲気がします。剛田とか剛力ほどではありませんが、そういった雰囲気の攻撃力が高そうな漢字が入っています。「なんかゴツい苗字だね(笑)」とよく言われて、その度にすごく腹立たしい思いがします。
名前は、ちょっと古風な感じです。トメさん、などといった名前の方ほど昔ではありませんが、今の時代には少し珍しい名前です。これまで数十年生きてきた中で、知り合いで同じ名前の人は一人しかいませんでした(漢字は違う)。もちろん、苗字+名前の場合は該当者ゼロです。「私の名前ちゃん+名付け」でググると、確かに古風だけど雅な感じがするし珍しいし良いと思う、という意見と、古臭くてかわいそう、という意見に二つに分かれていました。実際、初対面の人に「古い感じの名前だね」と面と向かって言われたことがあります。ちなみに、海外でも有名かつ国語の教科書にも載っていたりする昔の小説家(もうとっくに亡くなっている人です)の妻と同じ名前です。あとは、比較的有名な女優さんで読みが同じ人が一人いらっしゃいます。
私には姉がいて、私も姉も一般的には少し変わった名前なのですが、姉の名前は個性的で素敵な名前なのです。意味もちゃんと込められていて… 本人もすごく気に入っていて、ずっと羨ましかったです。
物心ついた時から、気に入った苗字や名前をコレクションしては、もし自分で選べるならどの名前にしようかなといつも考えていました。あるいは、自分で小説家の真似事をして、登場人物に好きな名前をつけて、その時一番気に入っている名前を主人公に付けたりもしました。その当時から今に至るまで、自分の名前が嫌でしょうがない、なんでこんな名前にしたんだ、こういう名前に変えたい、などと親に訴えたことはありません。そんなことを言えば、彼らがひどくショックを受けるだろうということはわかりきっていたからです。しかし、誰にも言えないせいで、フラストレーションはますます溜まっていったように思えます。
そもそも、どうして私は自分の名前が気に入らないのかということを考えると、いくつかの理由が浮かび上がります。まずは、単純にその名前自体が好きじゃないということ。それと、色々な人から名前をけなされてきたこと。そして、私が自分で選んだものではないから、ということです。
私は寒い地域の田舎で育ちました。今の季節はもう雪が降っているようなところです。イオンすらありません。両親は優しかったですが過干渉で、子供の頃は、数少ない服もおもちゃも家具も全部親が選んだものでした。
10年以上前に故郷を出たときに、これからは全部自分で選んだものに囲まれて生きたいと思いました。それで、携帯電話の連絡先を家族以外全て消しました。それまでの知り合いにはその時から今まで誰にも会っていません。ごくたまに帰省したとしても2日ほどしか滞在しません。
今は、自分で選んだ家に住んで、自分で選んだ家具を部屋に置き、自分で選んだ洋服を着て、自分で選んだ食べ物を食べて、自分から好きになった人を恋人にして、自分が選んだことをやって暮らしています。自分の選んだものごとに囲まれて生きています。
大人になれば、自分の名前が気にいらないという気持ちからは逃れることができると思っていました。そういうものだと受け止めることができるようになったり、諦めの境地に達したり、あるいはそんなことがどうでもよくなるくらい人生が充実したりすることによって。
私は今年30歳になって、自分では人生が充実していると思っているのですが、いまだに名前をコレクションし続けています。
いつになったらこの執着を手放せるのでしょうか。