「官僚制」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 官僚制とは

2015-10-23

ネット進化はすごいけれども

ここ20年のネット進化・一般化はものすごい。

人類ちょっと主語大きいかな、少なくとも日本人)が急速に技術的な進歩をしているように感じる。

私は今年30歳になる。こういう技術革新のど真ん中に生きている。

顔はアジアンビューティーの超失敗したような顔だよ。顔が残念からだと思うけど、脚はすらっとしてるねってよく褒められる(脚フェチの人、触りたい? ふふ)。自分でも脚のきれいさにはちょっと自信ある。背結構高いしね。

でもきっと、多分だけど、大化の改新のころもすごかったと思う。

大和言葉外来漢字にどう当てはめるか。すごく議論があって、そしてああい結論になった。今に繋がる音読みと訓読みの二本立てにした。

官僚制がようやく大和朝廷でも進展して、文字日本語を記録する必要があった。そして二本立ての和文がうまれた。その後ほどなく『万葉集』や『古事記』『日本書紀』ができた。

多分カタカナ発明も驚くべきことだっただろう。おいおい短縮しちゃうの? すげーな! って当時の人も思ったはずだ。特に僧侶

そして紫式部清少納言。1000年残るものを書いた。

書き言葉と話し言葉、微妙距離感を保ちつつ鎌倉室町を経て、江戸出版文化。これもインターネット並みに革命的だったはずだ。

明治維新以降の西洋文化の流入もインターネット並みに革命的だったはず。高度経済成長も驚くべきものだ。

そして、今。今私たちインターネットに驚いているが、多分100年後もの100年後並みの革新があり、日本人はそれを享受し驚いていることだろう。

私は150歳くらいまで生きたいなーと思う。こういうパラダイムシフトを感じることができるだろうから。今起点で考えると150年前はまだ江戸時代だ。150歳まで生きたら大きな「構造」の変化を見ることができるだろう。早くUSBに全人格コピーできるようにして、アイボなりペッパーなりファービーなりに刺して無限の生を生きたいです。

風呂入ってきます

2015-06-28

議院内閣制」を廃すれば解決

世襲を廃止」というのは官僚制度において、機能している。すなわちフルオープンな試験制度による人材登用。歴史的に見れば中国科挙に始まりフランスバカロレアイギリスのGCE、アメリカSAT、そして、それらを越えて遥かに客観的で公平な制度として日本センター試験があった。

官僚制度はうまく機能しない場合もあるのだが、それはおおむね選抜方法を変えることで解決できたりもする。

たとえば科挙。千年にわたって有能な人材を引き上げる役割果たしてきたが、あくまで「古典」への知識のみを重視したため、近代の急激な世界情勢への変化に対応できなかった。ちなみに、いま日本センター試験制度を大きくいじろうとしているのは、おそらくそういう配慮だと考えられる。

さて、よく「自治体首長政治家は、選挙によって選ばれているので民主主義だが、公務員はそうではない。よって官僚権力をもたせてはいけない。」と、いわゆる「政治主導」を正当化する意見があるが、いわゆる三権分立のうち、立法民主主義原則に基づくことは当然のこととして、他の二つ、すなわち司法行政は、いずれも「法」に拘束されるという時点で既に民主主義を基盤としているであるから、その担い手必要資質は、それぞれの「法」に関する専門家である、ということだけではないだろうか。というか、そうでなければ物事はうまくいかないのではないか。従って、その構成員試験によって選抜されることが重要だと思う。

従って、行政における「政治主導」というのは、個人的には百害あって一利無しだと考えるし、特に行政」においてその根幹を成す議院内閣制というものには、大変納得がいかない。たとえて言えば、与党の長(しか法律のこと何も分かってない)が最高裁判所長官を兼ねて、政治の都合であんな判決やこんな判決を出せと言っているようなもので(まあ「任命権」を通してそれに近い状況は事実あるのだとしても)、極めて不健全であるし、何より、「立法」の府がかくまで世襲に覆われている現状において、深刻な機能不善をきたしているのではないかと考えている。

というわけで、世襲より先に「議院内閣制」をやめ、現状のような立法府の極端な優越を避けることで、ゆるやかに「世襲うまみ」を削っていくことの方が重要ではないかと思うのだがどうか。もちろん、「試験に受かっただけの公務員権力を増やすのは反対」という意見は、それとしてあるだろうが、それなら「公務員」の選抜方法・育成方法も、合わせて検討し(それはどうせ必要なことだ)、適宜改革すればよいと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20150628144540

2014-07-01

嫌悪」の政治家 石原慎太郎橋下徹

まず、冒頭に述べると、私は石原慎太郎橋下徹という政治家は嫌いではない。

特に橋下氏には大阪府民ではないが彼らの行動力や構想力、討論力そして徹底的に民主主義者たる有り様に好感をもつ。

少なくとも「ハシズム批判をしている自称・識者よりははるか社会にいい影響を与えていると思っている。

その橋下氏が先日の「たかじんのそこまで言って委員会」に出演されて熱い議論をされているのを見てある小説の一節を思い出した。

その小説とは、石原慎太郎氏の「嫌悪の狙撃者」である

なぜ、いまさら袂を分かった石原氏の小説を持ち出すのか、と訝しむ声もあるだろうがまずはその一節を引用したい。

===

嫌悪」こそが今日人間が生きるための情念である。「嫌悪」だけが、自らを正しく見出し、己の生を生きるための情熱を与え得る唯一の術だ。「嫌悪」の遂行こそが現代における真の行為なのだ。それが遂行される時にのみ、真実破壊があり、革命があり、創造があり得る。「嫌悪」に発する、精神的に凶悪な思考だけが真に知的ものであり得る、等々、私は私なりにその主題を発展させていったのだが。(石原慎太郎・「嫌悪の狙撃者」より)

===

嫌悪の狙撃者のあらすじ等は他におまかせするとして、嫌悪の狙撃者において石原慎太郎氏が述べようとしたのは「嫌悪」という感情純粋性と創造性であった。

そして嫌悪けが真の感情だという。

その石原慎太郎氏が嫌悪を向けた対象は①左翼リベラル主義者中華人民共和国アメリカ日本支配④硬直した日本官僚制、の大きく分けて4点であった。(その昔は田中角栄による金権政治にたいする嫌悪も強かったといえるだろう)

石原慎太郎氏を「右翼」とみる向きがあるがそれは違う。

右翼」とは日本の古くから伝統重要視し、「保守」し、必要に応じてそれを改革していく思想である

そして、日本の古くから伝統というのは皇室であり、戦前に「國體」とよばれたもののことである

まり右翼」ならば皇室に対する強い尊崇と、それを維持しつつ日本改革を進めていく姿勢必要なのである

しかし、石原慎太郎氏は日の丸については並々ならぬ思い入れを語る一方で、ご皇室に対しては「皇室日本の役に立たない」「皇居お辞儀するのはバカ」(http://biz-journal.jp/2014/03/post_4279.html)と語る。また、君が代についても斉唱する際は冒頭の部分を「わが日の本は」と替え歌して歌う旨をのべている。

この姿は日本右翼の姿とはかけ離れている。石原氏自身も自分のことを「真ん中よりちょっと左」とかんがえているようだ。

それでは、なぜ石原慎太郎氏は「右翼」と勘違いされるのだろうか。それは、上記①②への並々ならぬ「嫌悪からである国民の印象の中には石原氏が①②へ強いレトリックを用いて批判するのを見て石原氏は「左翼」の逆、つまり右翼」と勘違いしているのである

石原氏を知るには右左の切り口ではなく、「嫌悪」という切り口で考えなければその本質は見えてこないのである

そして、同じ構図は橋下徹氏にも当てはまる。

橋下氏は「たかじん…」において、自分保守だとかリベラルだとかの「思想がない」と批判されることを歓迎している。

そのおかげで「必要とき必要政策うつことができる」からだという。

しかし、その「必要」か否かを判断することに「思想」が必要なのであって、無思想というのはありえない。

橋下氏の「思想」は石原氏と同じ「嫌悪」なのである

橋下徹嫌悪するものは①左翼リベラル主義者②硬直した中央官僚制メディア王手から週刊誌まで)の3点あった。

橋下氏はこれらの人々にたいして徹底した論戦を挑む。論戦において彼らを叩きのめすことで嫌悪のはけ口とする。

彼を右左という切り口でみることもまた、本質を見失うことになる。

石原慎太郎橋下徹には上記のような共通性がある。橋下徹石原慎太郎の二人をつなぐものは「嫌悪」という感情以外の何物でもないのである

まり、この二人は「嫌悪政治家」といえる。

最後に忘れずに申し上げたいのは、「嫌悪政治家」というとなにかとても悪いものに聞こえるが、私はそうは思わないということである

フランス革命を成し遂げたのはプロレタリアートによるブルジョアに対する「嫌悪」以外の何物でもない。嫌悪があったからこそマリー・アントワネットを断頭台に導いたのである

しかし、その結果として「創造」されたのはフランス人権宣言という人類の宝であった。この例からも「嫌悪」によって創造されるものが悪とは決して言えない。

また、仮に「平和政治家」や「思いやりの政治家」と呼べる人がいたからといって、彼らの生み出すもの日本世界にとって素晴らしい物になるとも限らないのは日本過去政治家を見ればわかる。

しかし、我々有権者が、彼らが「嫌悪政治家であるということを理解し、その観点から政治活動を見守るのは意味があると思う。

以上

2013-07-29

最近成り上がりとか革命とか好きになれない。

それは在日民主党イメージしか湧かないかである

この国の秩序を在日民主党が乱すことは完全に間違いである。

革命家がある体制を転覆させて国家を支配するなど愚の骨頂である

この国はこの国を治めるに相応しい家柄の長が治めることが望ましい。

それがこの国家社会地域の秩序を保つことになるからである

まぁ、官僚制度については破壊しても構わないと思う。

例えば、能力があるからとか金持ちからとか

そんな理由だけでこの国を治めてもらっても困るのである

その点からすると民主主義制度と言うものも否定されるものなのかもしれない。

能力がないもの国家企業を治めることは問題があるかもしれないけれど

やっぱり、家柄が代々ある家系がこの国の長になることが相応しい。

新参者革命を起こしてもロクなことにはならないし

外国人の思う壺になるだけだからである

革命なんて日本では起こす必要はまったくない。

安定した暮らしがほしいのであれば

出来る限り安定した国家体制社会体制や経済体制を長期的に維持する必要がある。

それを作るための革命ならばまだしも、長い間、家柄すらも長く守り続けた経験のない家系の者に

国家を預けることはナンセンスなことである

自然名家の生まれが政治家になり、経営者になることが

国家のためであり、社会のためであり、そこに生きている民のためになる。

日本がどんな国家よりも常識的で倫理感が強く整然としているのは

天皇家が何千年も続いていて、この国を治め続けてきたからであります

安心感と安定感は革命家成り上がりには創れるはずがない。

2012-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20120924175225

そーゆー専門知識に乏しくとも政治家がその分野にコミットするための仕組みとして官僚制があるのではなかろうか。

2011-09-24

日本人搾取構造を作る天才

http://anond.hatelabo.jp/20110924124133

日本人って搾取構造を作るのに関しては世界一なんじゃないかとこれを読んで思いました。

古くは徳川家康公の江戸幕府武士による搾取構造から、維新後に、進歩して官僚制度による搾取構造に変わりました。

東大の元は、昌平坂学問ですが、ヨーロッパのように学問研究教育する場というよりは、エリート官僚育成所でした。

エリート、つまり搾取する側が都合のよいように国の制度を変えていきました。

東大以外の大学は、東大劣化コピーとみてよいでしょう。

しかし、大学の数が多すぎて、エリート官僚育成所にはなりえず、社畜養成所になっています

新卒の一括採用も、あれは、官僚の一括採用を真似て生まれました。

SI業界の多重下請けもそうです。下請け業者を使って儲ける搾取構造エリートが作ったわけです

日本ベンチャー経営するのが難しいのも、既得権益を持った人達搾取される構造が出来上がっているかです

アメリカ場合は、問題が起きたときに、批判精神が起こり、是正されますが、日本場合は、搾取構造が強すぎて是正できません。東電の例を見れば明らかでしょう。

日本アメリカに勝てないのは、経営技術力の問題ではなく、搾取構造を作り守る文化が出来上がっているかです

2011-05-08

世界歴史 ヨーロッパ近世の開花 中央公論新社

(気になったところだけメモ

スペインハプスブルク家の2重の契り

統合したばかりのスペインの国力を強化し、国境を挟んで緊張関係にあったフランスと対抗するために、ハプスブルク家に近づいた。フェルナンドとイサベルは生んだ子供のうち2人をハプスブルク家の人と結婚させた。その子供の1人がヨーロッパのかなりの領土を支配したカルロス1世(カール5世)だった。スペインは思いがけぬ形でハプスブルク帝国もいただくことになった。

カルロス1世が用意した官僚制

→多民族、多文化、多言語、他宗教国家だったスペイン(4分の1はスペイン語が話せなかった。ユダヤ人社会。またイスラム系住民はまだ底辺労働力として居残っていた)。毎日開かれる王の諮問会議。報告書、稟議書などの大量の文書。数千人の役人が働いていた。スペイン大学役人養成機関として発展し、16世紀始めに11あったカスティーリャ大学はその後の100年で33にも増えた。イギリスはそれと比べると官僚制を発展させず、大学の数も19世紀にいたるまでオックスブリッジの2つだけだった。

ポトシ銀山から銀を持ってくる能力

→銀塊をリャマの背に乗せて港近くまで運び、そこから小舟に移して北上パナマ縦断するためにまたラバに載せ替えて陸上移動、大西洋からやってきた、トレジャーフリートと呼ばれる船団に載せてスペインに向かう。季節、季節風も加味してこうした計画を周到に用意する。信じられないほど高度なオペレーション能力が必要とされる。

16世紀価格革命真相

→16世紀を通じて西ヨーロッパ物価は平均して5倍に高騰。スペインヨーロッパにもたらした銀が原因とされているが、違うとされている。原因は王室貨幣悪鋳・公債発行。そして人口がこの時急速に増えたものだから食料価格が高騰したことが原因。

印刷

金属活版印刷は1450年にドイツ発明。そこから1476年にイングランドに導入。カスティーリャには1473年に導入。わずか20年で違う国にまで技術が伝播した。この技術移転スピードほとんど現在と引けをとらないのではないか

イングランドスペイン産業システムの類似性。

→同じ羊毛生産を主力産業にしていて、フランドルへの原料供給国だった。イングランドロンドンの独占商人組合が一手にそれを集め、アントワープに出荷。カスティーリャでもおなじような独占組合が羊毛の生産・出荷を支配。北部の内陸都市ブルゴスに集積、フランドルに出荷していた。

スペイン経済的衰退の理由

アメリカから得た富を装飾や豪遊につかったというのは誤解。むしろ、絶えず起こっていた戦争オスマン帝国との戦争フランスとの継続的な戦争宗教改革の勢力、独立を目指す北イタリアネーデルラントの勢力などなど)への出費のせいだった。

アルマダの経緯

→同じ新宗教国家として、イギリスエリザベス1世はネーデルラント独立紛争に介入。7000人の兵を送る。1588年、スペイン王フェリペ2世は英国作戦を計画。大量の兵力を送り込み、ロンドンを一気に制圧する予定。当時スペイン領土も富の綿でも大国。小国イギリスに勝ち目なし、と当時銀行家たちは踏んでいたが、まさかの敗戦

オランダ発展の経緯

→16世紀半ばから新教によるオランダ独立運動が始まって30年。南部アントワープスペインの焼き討ち→北部アムステルダムに大量の人口移動、資本商業もここに集約。スペインの劣勢も追い風となりこの地の発展が促された。貿易国家として栄えた上、アントワープ以来の繊維産業も追随を許さない。

オランダによるイギリス嫉妬から名誉革命に至る経緯

→海洋商業国家オランダを潰す目的で制定したクロムウェルの航海条例(1651年)→翌年から20年に渡る断続的な戦争。→1672年にはルイ14世が陸・海で攻撃、オランダパニックに陥り経済も壊滅的打撃。数々の緊張が続く中、オランダイギリス侵攻を計画する。1688年、500隻の船、2万人の陸軍兵を伴ってオラニエ公ウィレムがロンドン上陸イギリス国王の座に収まった。これが、名誉革命のもうひとつの側面である

2011-01-19

小林正先生論文より

昨年放送されていた、マイケル・サンデルNHK白熱教室は非常に面白かった。そんな折、NHKの白熱教室番組で解説をされていた小林正弥氏が、「サンデル政治哲学」という新書を出されていたことを知った。早速読んでみたところ、あまり理解が及ばなかったカントの部分であるとか、サンデルより他のコミュニタリアンと呼ばれる思想家たちのことも書いてあり、とても勉強になった。

そのうちにサンデルよりも氏がどのような研究をされているのか興味が出てきて、他に書かれているものを大学図書館で調べてみた。小林氏はどうやら「公共哲学」というものを日本に根づかせようとされているらしい。堅苦しい哲学というよりも、実践を本分とする「公共哲学」にも興味を持った。そこで、昨年出版された「アクセス公共学」という本を図書館で借り、小林正弥氏の論文を読んでみた。「日本政治の公共学」という興味をそそるタイトルである

だが読み進めていくと・・・

そこには驚くべきことが書いてあった。

少なくとも、以下に引用する文章(それは論文の最終節にあたる)が、サンデルのjusticeを解説されていた人の書くものとは到底私には思えなかった。私には以下の論文のjusticeがよくわからいし、これが日本公共哲学なのであればそのようなものは・・・とも思わないでもない。少々長くなるが、はてなユーザー賢明なるみなさんに、ご意見を賜りたい所存である

この民主党中心の連立政権社民党国民新党との連立)は、脱官僚政治主導、そして地方主権を主張し、対等な日米同盟公約に掲げた。また、成立した鳩山政権は「友愛」と「新しい公共」を理念として掲げて、地球温暖化問題についてCO2排出量の25%削減1990年比)という鳩山ビジョンを提起して世界の喝采を浴びるとともに、東アジア共同体ビジョンも提起した

これらの政策公約の多くは、自民党政治、特に55年体制におけ二重十恩顧主義政治体制や家産官僚制の問題を摘出し、その抜本的改革を企てるものである鳩山首相は「友愛」の理念を掲げていたから、それは「友愛公共革命」への期待を生んだ(小林2010)。そして、その所信表明演説や施政方針演説は、「友愛」と「新しい公共」の理念を掲げる拡張いものであり、いわば政権公共哲学を宣明したものだった。これは、理念政治を動かすという可能性を示したという点において戦後日本政治においてほとんど初めての出来事であった。政治において、「善」に関わる理念が明示されたという点において、この公共哲学は、マイケル・サンデルが主張するような意味において、コミュニタリアニズム的な性格を持っていた。

(中略)

さらに、日米関係においても、新政権総選挙マニフェストで「緊密な日米関係」を掲げていた。鳩山政権は、普天間基地移設問題について、自民党政権が合意していた沖縄県内の辺野古移設案を変更して、鳩山首相は可能な限り県外・国外移転の可能性を探った。これは、永年にわたる日米恩顧主義における対米追従外交に代わって、沖縄の負担を軽減するために主体性を持った政策を提起しようという試みだった。

(中略)

しかし、鳩山政権首相自らが設定した2010年5月という期限までにそれを実現することができなかった。県外移設の可能性を追求したもののアメリカに拒まれて、結局は辺野古案に回帰して日米合意を行い、反発した社民党の連立離脱を契機にして、発足後8ヶ月余りという短期間で崩壊したである。その主因は鳩山首相小沢幹事長をめぐる「政治とカネ」の問題と、普天間基地問題をめぐる混迷だった。しかし、普天間問題において外務省防衛省は、いわば米官連携に即して、県外移設案の追求に対して非協力的だった。ここにも現れているように、鳩山内閣においては「政治≒公共」に対する「国家≒官≒公」の反発や抵抗があったということができる。残念ながら、こうして「公共的公」は確立せず、「公共」的な政権は「官」の抵抗に遮られて崩解してしまったのである

2010-12-05

君主制民主制について考えた

天皇制とか王制というのは、政府外交の一部を天皇家や王家に外注してるようなもんだと思う。

あるいは、こうもいえるかも。

ニッポン放送フジテレビの関係みたいに、子会社政府)のほうが大きくなっちゃって親会社はお飾りになってしまったと。

外交システムの一部としてみるなら、まあまあ効率がいいシステムであるわけだし。

上場会社だったらニッポン放送の株を買われたらフジテレビも傘下になってしまうとかそういうのがあるんだろうけど、天皇家が惨殺されてしまったら日本という国がなくなるというわけでもなさそうだし。

別に神様を信じてなくたって神社で手を合わせたりするのと一緒で、なんとなく尊敬してるふりして、なんとなく日の丸君が代に敬意を払ってもいいんじゃね?

(敬虔なクリスチャン神社で手を合わせたりしないそうだ。神前式結婚式に参列したときとかどうするんだろう?なんか大変だなぁ。)

たぶん、中高の教育のせいだと思うのだけど

君主制vs民主

たいなノリで歴史を語るじゃん。

でも、君主制民主制かなんて政治システムたいした違いじゃないような気がする。

たとえばギリシャ連合vsアケメネス朝だって、どっちのほうが国家としてのシステムが優れてたかっていったらアケメネス朝のほうが近代国家に近い政治システムを持ってたと思う。

都市、あるいは村みたいな小さな単位で話し合いで政治をしてたところと、官僚制が整備されて腐敗防止に中央直属の監察官がいて、軍制が敷かれ、統一通貨制度がある国の戦争をとりあげて、「民主主義専制君主制の戦い」と言うのはどうしたものだろう?

僕は事なかれ主義なんで、流される。

躊躇なく流される。

神社拍手を打つし、卒業式では君が代を歌うし、キリスト教式の結婚式では賛美歌を歌うし、宴会ではゴム手袋を頭からかぶって鼻息で割る。

2010-11-21

Max Weber は装置国家といったか

官僚制行政が優越性を獲得した偉大な手段は専門知識である。専門知識が全く不可欠のものであるということは、財貨調達についての近代的な技術と効率的運営との結果であり、この事態は、財貨の調達が資本主義的に組織されていようと、あるいは社会主義的に組織されていようと―社会主義的な組織は、同一の技術的成果を達成しようとするかぎり、専門官僚制の意義を途方もなく高めるということを意味するだけであろう―、全く異なることはない。被支配者は、通常、自分自身の―これまた官僚制化の運命に曝された―対立組織を作り出すことによってのみ、既存の官僚制的支配に対抗しうるわけであるが、これと同様に、官僚制装置(アパラート)自体も、自分自身の物質的および純粋にザッハリッヒな―したがって理念的な―抗しがたい利害関係によって、みずから機能しつづけることを余儀なくされている。要するに、官僚制装置が欠如するときは、官吏・職員・労働者行政手段から分離され、しかも規律と訓練とが不可欠であるような社会においては、生計手段をまだもっているようなひとびと(農民)を除いて、他のすべてのひとびとにとって、近代的な生存可能性が停止してしまうということになるであろう。官僚制装置は、権力を獲得した革命のためにも、占領敵軍のためにも、従来の合法的政府に対すると同様に、通常はそのまま機能しつづけるものである。問題はいつも、現存の官僚制装置を支配するのは誰かということなのである。そして、それを支配することは、非専門家にとっては、常にごく限られた限度でしか可能でない。例えば、専門家=枢密顧問官は、大臣としての非専門家に対して、自分の意思を貫徹する上で、長期的にみれば多くの場合に優位にある。

問題はいつも、現存の官僚制装置を支配するのは誰かということなのである。

マックス・ウェーバー。世良晃志郎訳。『支配の諸類型:経済社会第1部第3章ー第4章』。(創文社。1970年。)。27ー28ぺーじ(底本128ー129ぺーじ)。

2010-11-16

官僚お気に入り自民党以外は、与党が出来ない国って異常でしょ。

民主党オワッテル。世間は、ネコも杓子も与党批判でかまびすしい。たしかに民主の使命は政権交代で終わったのね。

しかし。

60年、自民党が支配していた政権が、民主党に変わったというのは、新卒社員会社経営するのと似てないか。そりゃ無理だ。

でも仮にも国民が付託した政権与党が、ココまでダメなのは、そもそも環境的に、構造的に、おかしいのじゃないか。

手足となるべき官僚たちが、足を引っ張っているのは明白だろう。クーデターだろ。

これはむしろ、自民党以外は協力しません、という日本官僚制の異常さの表れでないか。

自分たちのお気に入り政党以外は協力しませんという、日本役人たちは狂ってないか。

自民党以外は、与党が出来ないというのは、(無論、新与党の実力不足もあるが、それを役人が支えないというは)この国のシステム異常の証拠だろ。

政治家なんか、ただの御用聞き。日本独裁しているのは、自分たち官僚だ、という自己主張の表出。

官僚たちは、今の姿勢自分たちの異常さをアピールしていることに、気がつかないのか。

2010-10-20

シンガポールの「すごい」官僚制度について

という記事が、ブクマを集めてる。

肯定否定は、半々といったところだろうか。

自分は、10年くらい前に、ほんの少しのあいだ、

シンガポール政府ではたらいたことがある。

末端の官庁で、元記事にあるようなスーパー官僚に会ったのか会ってないのか、

よくわからなかった。気になってしらべてみたんだけど↓、

http://countrystudies.us/singapore/48.htm

http://sunzi.lib.hku.hk/hkjo/view/50/5000233.pdf

30年前の数字しか見つからないが、人口が250万人のところ、

官庁の公務員が8万人弱、

公団とか各種団体のみなし公務員が5万人。

公務員は4つのランクにわかれていて、

トップのDivision 1が公務員の10%から15%。

さらにそのうちの、Administrative Serviceに属するのが、

別名"supergrade"で、これが実数500人以下。

日本でいうと局長クラスらしいが、、、

これが、20代前半の若僧が、入省してすぐになれるのか、

それとも、数千人はいるはずのDivision 1から、

年功と業績で適宜選抜されるのか、そこが大事だと思うんだけれど、

どうもよくわからない。

で、くりかえしになるけど、自分がいたのは大した役所じゃなかったんだが、

最高学府国立大出が何人かいた。たぶん、Division 1だったんだろう。

若い人たちは素直で優秀。四六時中ニコニコしていて、なんだか頼りない感じ。草食系

中年以上は、英語は下手になるけれど、精悍な仕事のできる人が多かった。

だからね、元記事にあるように、公務員試験で厳選して給料バンバンやれば、

国がうまくいきますよ、というのは、ちょっと違うような気がする。

シンガポールシンガポールなりに、太平洋戦争中は犠牲者も相応に出して、

マレーシアとも半分戦争のようになったりして、ずいぶん苦労してる。

日本もそうだけど、地道な努力の結果に、経済発展があったわけで、

官僚制度がよかったからです、で片付けたら、普通シンガポール人は怒るんじゃないか。

とりとめもなく書いていくと、シンガポール公務員天国だったね。

役所にもよるだろうが、仕事は楽だった。あの国での成功者の証のひとつは、

車を持つことなんだ。狭い国だから、いろいろ規制があって、

どんな小さな車でも一千万円くらいかかっちゃう。部下を自家用車に乗せてランチにいくのが、

管理職醍醐味なわけです。もちろん毎日じゃないけどさ、日本じゃありえないでしょう?

大臣クラスだっていう組織のトップの家にも、招待された。ジャングルのなかの一軒家で、

もちろんフィリピン人のメイドさんもいて、アメリカとかヨーロッパ金持ちほどではなくても、

いい暮らしぶりだった。

シンガポール官僚制度がいいのかわるいのか、あるいはそれなしに経済発展は無理だったのか、

自分はちょっと居ただけだし、経済専門家でもないし、よくわからない。

ただ、いいことづくめではないよね。ガラガラの箱モノとか、計画の失敗らしい痕跡もずいぶんあった。

首相世襲したでしょ? 役所のなかでもね、あいつはXXさんの息子だからとか、あったようですよ。

官僚が完全に能力ベースで選抜されてるか、自分はかなり疑問に思う。給料GDPと連動しようが、

人事はどんな組織だって、試験なんかである程度足きりをしたあとは、主観的な評価で決まっちゃう。

どの国もそうだが、富裕層とか指導者層がだんだん固定化して、一種の貴族制度ができている。

シンガポールの町並みは、立派なところは立派だけれど、貧困を感じさせるようなエリア、人々を見る機会は

少なくとも10年前は、東京なんかよりずっと多かった。日本格差社会といわれてるけど、

シンガポールで中流以下の「はじかれ具合」は、気分のいいもんじゃないですよ。官僚天国とは無縁の世界

意味のない選挙とか、政府批判できないとかは置くとして、英語の発音聞いて姿格好みただけで、

どの程度の人間か、inなのかoutなのか、一目瞭然なわけだから。

官僚も庶民も、同じユニクロ着て同じアクセント言葉しゃべってる日本という国は、

まあ貧相だし、どんどん沈んでるけど、それなりに価値はあるわけですよ。

それをね、もうちょっとなんとかしたいから、スーパーエリートに任せちゃおう! ってのは、

やっぱり、安易な考えじゃないだろうか? 人間の質は、どの国の官僚政治家も、そう変わらないと思いますよ。

200人だかの優秀な人間ナントカできるもんなら、アメリカでもどこでも、

今みたいなアホな世の中にしてるわけないし。安定的で迅速な政策決定ができる政治体制選挙制度の構築とか、

起業家を増やすとか、今の日本に見合った方法が、なんかあるんじゃないでしょうかね。すごく地味だけれど。

自分はあまり、わけのわからないエリート様にゲタを預けたくない。

2009-12-31

天皇制というか君主制について考えている

君主制正当化される理由は何だろう。

  • 合議制は慎重性を、独任制は迅速性を旨とする。

日本ではハイブリッド議院内閣制国会-内閣-首相)が取られている。

世界的には直接選挙大統領間接選挙首相を両立させる国も多い。

直接選挙では国民の意志が反映され、間接選挙では専門家である政治家の意志が反映される。

国民が減税してくれる大統領を選んでも、増税やむなしと思っている政治家増税する首相を選ぶかも知れない。

逆に、歴史民族の分断がなければ、君主制を廃することは、君主が象徴してきた歴史民族国家から切り離すことになり、民族国家では抵抗があるだろう。

歴史民族の象徴を国家と切り離して、千家や市川流みたいに名誉ある市民として残せば、歴史民族は保たれるという考え方はありうる。

  • 帝王教育については、今それを使える国と使えない国がある。

日本天皇に実権がないから帝王教育を受けても使いようがない。

ただし外交文化歴史に関する教育が違い、それによって君主だけが高度な外交政策文化政策歴史政策を実行できるということはありうる。

ただそれは外交プロ文化プロ歴史プロ高級官僚として育成して代表すればいいのであって、それを一人に圧縮するというのは、やはり人類の脳は象徴、擬人化という分かりやすさから逃れられないのかも知れない。

とにかく、専門教育の度合いだけ言えば、君主首相大統領より高い教育を受けられる立場にある。

  • 表にするとこんな感じ。
制度民主迅速性慎重性専門性象徴性
合議制
首相
大統領
君主制
官僚制

こうして見ると、専門性と象徴性を生かすことが出来れば、君主制を残す意味は大いにある。

  • あるべき君主制はどんなものか
    • 政治と政策以外の全ての国家関連機能に関する教育を集約し、特殊な官僚として国家を代表させる。この場合政治や政策とそれ以外の領域を厳格に分ける必要が出てくる。
    • 外交はともかく、文化歴史はとりあえず政治や政策以外と言える。そうした機能を集約し、国家と切り離し、民間における第一人者にする。この場合政治や政策以外の機能を国家管理できなくなる。
    • 結局「政治とは何か」「政策とは何か」「何を持ってそれ以外と言えるか」ということを考えなければならない。

2009-09-27

当面は民主党に任せようと思えるブログ

 

 円高になるたびに「大変だ」と騒ぎ立てる人達の言動に違和感を持っていた。何故、円高のメリットも並べて報道しないのか、

 とも思っていた。このブログを見てすっきりした。

http://tanakanews.com/090925japan.htm

反米のはずの岡田は、反米を許さないタカ派のはずのクリントン国務長官と会談して笑顔写真を撮り、鳩山政権インド洋での海上自衛隊の給油活動を中止しそうなことに対して、クリントンは容認する姿勢を見せた。東アジア担当の国務次官補であるカートキャンベルは、日本民主党が望む日米の対等関係は、日本が自信を持って自律的に行動することを意味するので悪いことではないとFT紙に語っている。

戦後日本は、多極主義と英米中心主義が暗闘する米国中枢の、英米中心主義(冷戦派)の方から強い影響を受けている。冷戦派は占領軍として、政治家より官僚機構が力を持つ戦後日本の体制を構築したが、その結果、官僚機構は対米従属や冷戦体制の永続化を望む傾向が強くなり、米国日本に対米従属を求めているというプロパガンダを深く国民に植え付けた。民主党が、官僚制度の解体再編を方針として掲げているのは、日本冷戦型思考や対米従属への中毒状態から引き離そうとしているからともいえる。

経済面では、民主党政権は円高ドル安を容認し、従来の日本の「円安ドル高が日本には良いんだ」という善悪観から脱却していきそうだ。これを書いている間にも、藤井財務相が「円安政策はとらない」と米国で宣言した。民主党は、大蔵省財務官出身の榊原英資経済顧問としているが、榊原は昨年、ドルが崩壊していく過程を見越したらしく「安い円が望ましい時代は終わった。資源高騰の中、今後は強い円が日本国益に合う」と主張し、その後は「強い円は日本国益」という本も出している。('Mr. Yen' sees U.S. policy makers as behind the curve)

日本人の多くは従来「米国に嫌われたら日本はひとたまりもない」と恐れてきた。しかし今、日本人が「日米関係を変える」とは自覚せずもっと漠然とした危機意識から8月末にとった投票行動によって民主党政権に転換して考えてみると、日本は対米従属一本槍の国是を静かに離れることによって、実は意外にも米国に対して強い立場を持てる事態となっている。

 官僚機構の内部にいる人々も、米国無理心中せずにすむかもしれないということで、今回の日本の転換に安堵しているのではないかと思われる。まだ今後、逆流的などんでん返しがあるかもしれないが、少なくとも日本がひさびさに国際社会プレイヤーとして復活したことは、ほぼ間違いない。日本人として生きるのがうれしい時代が戻ってきた観がある。

2009-09-03

官僚主導の何が駄目なのか分からない?

漢字を読み間違ったと言われれば怒り狂い
ホテルのバーで酒を飲んだと聞けば嫉妬に狂い
カップ麺の値段が分からないと聞けば庶民派がどうだとぬかす
そんな連中が一斉に口にする言葉官僚はけしからん」ってのが、今ひとつ理解できない。どんなメリットがあって政治家が局長級の人事権にまで言及し、仕事の幅を狭めようと言うのだろう。

ISDN普通だった時代に「光ハイウェイ計画」で光回線の敷設を唱え10年かけて世界を置き去りにしたのは官僚仕事だ。サミットに出席しようにも彼らが書いた台本がなければ、何一つ出来ない赤子の様な政治家に任せて何が出来るというのだろう?外資準備高を短期的に半減させて予算を確保する等という政治家に任せて、経済の回復など実現できるもんだろうか?
官僚制に功罪あったとして、叫ばれるのは罪ばかり。短所を直すのではなく、壊そうとする様な短兵急な意見ばかりに快哉が叫ばれるのは何故なのだろう。テクノクラートは、その国のパワーエリートだと言っていい。実際に、彼らの功績の大きさは戦後数十年で我々が享受した豊かな生活が証明しているのではないか。


どこをみても官僚制の打破が前提の議論ばかりだが、本当に「官僚」が本質的な問題なのか?官僚給料を減らして局長が総辞職天下りを廃止すれば、GDPは右肩上がりに回復し、800兆円の借金が一気に解消され、政治家の質があがるのだろうか。そうであれば実にすばらしい。
なぁおい。誰か何が問題なのか?
俺にも分かるように、官僚だけが槍玉にあがる明確で論理的な理由を教えてくれないか?官僚を叩けば支持率が上がるような理由があるんだろ?



漢字を読み間違ったと言われれば怒り狂い
ホテルのバーで酒を飲んだと聞けば嫉妬に狂い
カップ麺の値段が分からないと聞けば庶民派がどうだとぬかす
そんな連中が一斉に口にする言葉官僚はけしからん」ってのが理解できない。

2009-08-04

年功序列起源

2009-08-04 / Economics

城繁幸氏のブログに、台湾メディア日本年功序列が理解できなかったという話が出ている。年功序列儒教の「長幼の序」の影響だと思っている人が多いが、違うのだ。儒教の本場である中国にも台湾にも、年功序列はない。中国科挙は、基本的に試験だけで昇進を決めるので、10年以上受験勉強して中年になってから合格する人も多かったから、年齢で人事を決めることは不可能だった。韓国には日本以上にきびしい年功序列があるらしいが、日本のように入社の年次ではなく年齢による序列だという。

では日本年功序列は、どこから生まれたのだろうか。笠谷和比古氏によれば、徳川幕府にも年功序列はなかったという。武家の序列の基準は石高だったが、幕末には財政が苦しくなり、管理能力の高い下級武士が昇進するようになった。たとえば勘定奉行として日米修好条約を結んだ川路聖謨の家は「御家人株」を買って武士になった町人だった。勝海舟の家も、無役の最下級武士だった。このような能力主義を可能にしたのは、徳川吉宗のつくった足高制度だった。本来の石高とは別に足高として加算され、形式上の序列(石高)とは別に、実質的能力主義による俸給制度になっていた。つまり年功序列は、家柄とは別の経験や功績による序列だったのである。

ところが明治時代官僚制度ができたとき、高等官/判任官の身分制度や15段階の俸給制度ができ、昇給は年次によるものと(非公式に)定められた。これが戦後実質的継承され、Ⅰ種(戦前の高等官)は6級に編入され、「キャリア」と呼ばれる。民間では、長期雇用の定着と年功賃金は、ほぼ並行して広まったと考えられる。特に戦後、労使紛争が激化した1950年代に、安定した賃金を求める労働側の要求に対して定期昇給制度採用したことが年功賃金につながったとする説が多い。

つまり年功序列日本の伝統でも儒教の影響でもなく、官僚制度によって原型がつくられ、戦後の労使紛争の中で両者の妥協として大企業で成立した雇用慣行なのである。これは結果としては若い労働者に「強制貯蓄」させることによって、その忠誠心を高めてモラルハザードを防ぐ役割を果たした。しかし老人に生産性以上の賃金を払い続けることができるのは、企業が成長し、若者が増え続けるときだけである。賃金原資が減り始めると、ノンワーキングリッチに「配当」を払うことはできなくなる。

これは年金財政破綻と同じ構造である。日本企業組織財政も、戦後の高度成長を前提にしてつくられ、それに適応して相互補完的なシステムができ上がっているのだ。その結果、老人と若者の利害の対立する問題では、つねに組織内の権力を握っている老人の既得権を守る決定が下される。この構造の前提となっている成長が止まった今は、官民ともにシステムを見直さなければならないのに、問題を先送りしてきたのが「失われた20年」の根本的な原因である。

2009-04-14

G20の問題。

G20の問題。

 人口がピークに達していてこれ以上増えない国家と、人口はピークに達しているが貨幣経済が不十分な国家人口が増加傾向にある国家とが、一緒になっている点に問題がある。前者は、国民一人当りの貨幣量を一定に保つ必要があり、財政出動ではなく、制度の変更による景気刺激をしなければならないのに対し、後者は、人民国債を買ってくれるのであれば赤字国債の発行による国民一人当りの貨幣量を増加させるという手段で景気刺激が可能である。

 先進国と中進国・後進国とでは、対応策が正反対なのだが、G20として統一した見解を出そうとしている点に無理がある。

 人口がピークに達しているが貨幣経済が不十分な中進国は、国家官僚制度に対する信頼を取り戻さなければならないし、そのための手段として、洗脳ではないまともな教育民主化が必要になる。

 人口が増加傾向にある国家は、老若を問わず適正な教育を行い、民度を上げていかなければ、失敗国家である中進国になってしまう。学校教育だけに偏るのではなく、放送やインターネット等を使った全年齢教育を常に行わなければならない。

 先進国は、国家財政健全化させ、国家支出に寄生している人員を削減し、担税能力のある雇用へと転換していかなければならない。少子高齢化が進んで労働人口の減少が急激に進むのであれば、それは急務となる。財政出動雇用を生み出しても、税金に寄生する人間を増やすだけで、担税能力は増えない。

 多数決で決めるのであれば、後進国・中進国の意見が通るが、正しい処方箋は、それぞれの国家の内情によって別々であり、それは多数決では決まらない。

 G20として統一した宣言をまとめようという行為自体が、時間無駄である。

 ただし、G20に参加していない国家に対する方針を調整し、20カ国がまとまって一つの意見を持つというのであれば、役に立つかもしれない。ならず者国家に対するコンセンサスを作るとか、テロ組織に対しての統一した見解を作るといった行為であれば、効果があるのだ。G20がG7並みの有効な集まりであることを証明するには、北鮮を血祭りに上げる同意が形成されるというのが、一番手っ取り早いのであるが、中国ロシアが反対に回る可能性がある。それならば、北鮮と軍事同盟条約を結んでいる事を自白させる所まで追い詰め、旗幟を鮮明にさせる所まで行かないと、外交的な得点にはならないのだが、日本外交能力は、そこまでやれるであろうか。ODAをばら撒くしか出来ないのであれば、外務省通訳の集団であると定義しなおす必要が出てくるであろう。

 参加国の内情についてどうこうやる話し合いは、いくらやっても無駄であり、非参加国や団体についての方針を話し合う会議にしない限り、無意味な集まりでしかない。G20の参加国は、世界の代表者となる国家として選ばれた20カ国であり、自国の事は自国でけりをつけなければならない。経済援助やIMFからの融資先進国からの投資をねだるようでは選ばれる資格は無いし、また、それに答えるようにばら撒きを口にするようでは、国際政治のセンスが無いと判断するしかないのである。

2009-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20090404234340

官僚賄賂取らないって

結構レベルが高い事

官僚自分の権限を金に換えない事が官僚制が腐敗してないかどうかの目安だって

ウェーバーのじっちゃんが言ってた!

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん