はてなキーワード: 大袈裟とは
「正義のための戦いなんてどこにもないのだ。正義はある日突然逆転する。正義は信じがたい。」
日本の正義を信じて21で戦争に行き、弟を特攻隊で亡くし、戦後に全ての価値観がひっくり返されたやなせたかしの思想だ。
逆転しない正義があるなら献身と愛だそれも大袈裟なことではなく、目の前に飢えた人が居れば一片のパンを差し出すことだ。
演劇にするときに悪役もいた方が盛り上がると作られたのがバイキンマン、彼は乱暴で説得が通じないしアンパンマンをやっつける為にこの世界にいるので戦わざるをえない。
だからアンパンマンは当初の使命のパンを食べさせる事も減り、何度も何度も戦い続けている。
しかしバイキンマンの有害さをジャイアン程度に留めて、あの世界で皆が戦わず過ごす話でも成り立つ気がする。
アンパンマンのトイレや掃除などのしつけ目的で作られたアニメを見ると、バイキンマンがキャラ崩壊してほぼ無害だ。
どれくらい崩壊しているかと言うと石鹸で手を洗って喜んだり、アンパンマンと電車ごっこで遊んだり、子供たちに食べさせてあげようとパン工場でクッキーを焼いて出掛けるが忘れてしまい、アンパンマンが忘れてるよーとクッキーを持っていき、子供たちが喜んで食べてバイキンマンも喜んでいる後ろでアンパンマンが(バイキンマンのクッキーは黒焦げだったからジャムおじさんに焼いてもらったんだ、ないしょだよ)とささやきバイキンマンは「あのクッキーは俺様のじゃないみたいだが後でじっくり聞かせてもらおうか」とアンパンマンを睨む。
バイキンマンはまるでメシマズヒロインのように無害でアンパンマンと仲良くしているが、話として見れないことはないし子供も喜んでいる。
子供が見たいのはバトルではなくアンパンマンや美味しそうなご飯だ。
戦わない路線に舵を切ることもできるのではと思う。
Windows 10搭載マシンが逝去されたので、予備として買っておいたMacBook Air(11-inch, Early 2015)を開封しました。
意識の高いPCユーザーなので、いつマシンが壊れてもいいように買っておいたのですよ。
意識が高いので、スタバではなく増田でWindowsとMacの良し悪しを比較したいと思います。
後期FINAL FANTASYのダンジョンみたいです。
テキスト打ちたいの? じゃぁ、これ。動画編集したいの? じゃぁ(ry
計算機の概念を根底から覆すかのごとく、拡張性に乏しいです。汎用性を欠くコンピューターなんて、コンピューターじゃないゾ……
何か変わったことするなら、App Storeで貧弱なラインナップからアプリケーションを選ぶ必要があります。
ユーザーの足元を見てか、有料アプリが多いです。お布施が捗ります。
ローカルアプリケーションではなく、Webアプリケーションの使用を迫られることもあるので、種々のサービスに否が応でも詳しくなれちゃうYO!
すいません。Boot Campと仮想化はまだ試してないです。ムチャクチャ面倒くさそうじゃないですか。
2、3年経っても高値で売れるので、実質的にはもっと安いことになります。
ステッカーべたべた貼ったり、裸のままバックに投げ入れる(傷つく)のは賢明ではありません。少しでも高く売ろう……な?
マカーは「トラックパッドがいいんだぁ〜」とか言いながら、Macの素晴らしさを滔々と語りますけど、そんな大袈裟なものじゃないです。
安定性・アプリ・カネ。ほとんどのユーザーにとって、重要なポイントはこの3点ではないでしょうか。
まぁ、何かこだわりがある人は好きな方使えば良いと思うよ。
チョコが食べれない、クリームも苦手(なので洋食系のお菓子はほとんど食べれない)
梅干しやレモンも苦手だし香草(しそとかハーブとかパクチーとか)のたぐいも駄目。
親に言われる度に苛々してしょうがなかった。
そして大人になった今でもその類の食べ物は食べれない。
なぜか「ざまぁみろ!」と言ってやりたくなる。
なぜだろうか。
わからなかった。
けど、今思うと人の個性を許容しないその考え方に苛ついていたのかもしれない。
※追記
チョコレート、クリームあたりが嫌いなのは割りと困るんだよなぁ。
無理矢理くって一人で吐きそうになってるけど。
あと、まぁ個人的な心情から言えば少々言うくらいなら構わんと思うよ。俺が好き嫌い多いのもあって言われまくったから苛ついてたのもあるからね。出る度にいわれたらたまらんよ。
※追記2
主張したりはしない・・・
危ないよね。やめた方がいいよね。私もそう思います。
入場行進は肩車です。私は一番背が高かったので、一番大きな子を肩車していました。
相手の子は背は低かったけどとても重くて、ヒョロヒョロで体力のない自分にはそれすらも辛かった記憶があります。
私は背が高かったので、もちろん、ピラミッドの一番下でした。
タワーは大変そうだったけど、練習中も本番もピラミッドが失敗したことはありませんでした。
もう何年も前のことだからあまり覚えていないけど、せいぜい4段程度だったし。
でも、練習中、上の段の子がジャンプして降りてきたときに私の足に着地したことがありました。
痛くて痛くて号泣したら、隣のクラスの先生に怒られました。泣いたら練習が中断されるだろうとのことでした。
でも担任の先生は心配してくれて、歩けない私の肩を持って保健室まで連れて行ってくれました。
骨折はしていなかったけど大きく腫れてしまっていたので、次の日、足に包帯をして学校に行きました。
私の足にジャンプしてきた子は、あれくらいで泣くなんて大袈裟だと言って怒っていました。
心配してくれる子もいたし、馬鹿にしてくる子もいて、半々でした。
YahooやNHKの組体操のニュースにたくさんコメントがされていて、見ました。
いくつか見受けられたのが、「生徒にばかり危険な思いをさせるな。先生もやれ」ということです。
女の先生はピラミッドをしていたし、男の先生はタワーをしていました。
先生たちもやっていたから、私の小学校は良かったのでしょうか。
体育の時間だけ練習していた私たちより、先生たちはずっと大変だったと思います。
先生たちの方が大変だったんだから、私たちが怪我をするのは許されたんでしょうか。
違うと思います。
組体操をしなければいいだけのことです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20150910/k10010224521000.html
私も昨今の釣りタイトルの多さには辟易しているが、この件は違うと思うので解説したい。
まず最初に、アルツハイマー病とアルツハイマー型認知症は違う。
アルツハイマー病は、極めて稀な遺伝性疾患で若年性認知症を引き起こす。
映画「私の頭の中の消しゴム」の主人公が罹患した病気。
原因はβアミロイドという異常タンパク質が膿の神経細胞に蓄積して細胞死を起こすことによる。
ゴミが溜まりすぎて死んじゃった状態。神経細胞がどんどん死んじゃうから認知症になる。
アルツハイマー型認知症は、老人性認知症の約半数をしめるもので、
よくある病気というかむしろ正常な老化現象のひとつとも言える。
なぜアルツハイマー型認知症と呼ばれるかというと、βアミロイドが脳の神経細胞に蓄積していて、
クロイツフェルト・ヤコブ病や狂牛病はプリオン病と呼ばれ、異常プリオンが脳の神経細胞に蓄積して細胞死を起こす病気。
正常プリオンは成体に必須の大事な分子で、用済みになると分解されるのだが、
異常プリオンは分子のたたみ方が違うので分解できずに蓄積してしまう。
基本的には遺伝性の代謝異常で起こる病気だけど、外来性に異常プリオンを多量に摂取することで遺伝性背景のない人でも発症する。
狂牛病やクールー病のように異常プリオンを含むものを食べたり、
医原性ヤコブ病のようにヒト由来手術材料(脳の手術をした後に穴を塞いだりする)とか成長ホルモン投与などで起こる。
アルツハイマー病は従来ではβアミロイドの合成・分解に関わる遺伝性の代謝異常と考えられてきた。
しかしながら、このたび医原性ヤコブ病の脳を調べた結果、プリオンだけじゃなくてβアミロイドも蓄積されていた。
ということは、プリオンのみならずβアミロイドも、外来性のものが蓄積する可能性があって、
間違えないでほしいのは、ヤコブ病でも認知症をきたすことは知られているが、今回の研究はその認知症の仕組みを探ったものではなくて、
あくまでもアルツハイマー病の原因となるβアミロイドの蓄積が顕微鏡的に認められたという現象論だということ。
「βアミロイドも人から人へ伝搬されうるよ」っていうのがもの凄いインパクトで、Natureに載るのもうなずけるぐらい凄い研究。
ここでまた補足するけど、病原物質が個体から個体に伝搬されることを感染と定義する。
感染というと飛沫感染とか空気感染とか接触感染とかをイメージするかもしれないけど、ヒト材料による医原性感染も立派な感染だ。
したがって、上記の現象をまとめると、
「アルツハイマー病の原因物質であるβアミロイドが、人から人に感染する可能性が示唆された」ということになる。
それをさらに要約して、「アルツハイマー病の原因物質 人から人に感染か」
というタイトルをつけるのは、医学的・生物学的に正しい表現だし、的外れでも大袈裟でもない。
「バカがこのタイトルだけ読んだら『呆けた年寄りの近くに寄ったら自分も呆けちゃう』と勘違いして差別に繋がる」
なんてことを勝手に危惧してNHKを叩くのは、余計なお世話だしパターナリズムじゃないか。
余談だが、昨年にアイスバケツチャレンジで話題となった筋萎縮性側索硬化症(ALS)の原因は、
10代の頃は嫌いで仕方がなかった。納豆がね。味覚の変化に気が付いたのは、20代に入って暫く経ってのことだった。
とりわけ、あの匂いが堪らず、旅館の朝食などでは食べるものがなくて困ったものだ。(魚もダメなら生卵もダメで、その当時は何を食って生きていたのかも覚えていない)
ところが、あることをきっかけに、納豆嫌いが治ったばかりか魚も頂けるようになった。人生の転換期など、思はぬところでやって来る。今では干物が好物で、特に鯖やアジの開きには目が無い。
どうしてこれほどの変化が起こったかと言えば、それは不思議な出会いがあったからだ。こう書くと大袈裟に聞こえるが、それは紛れもない偶然だった。
ある日、テレビを見ていると、当時人気の芸能人が出演していた。彼女が納豆を食べるとき、ある調味料を使ったことがインスピレーションを与えてくれた。
「私をスキーに連れてって」ならぬ、「私にマヨをふりかけて」とでも言ったところか。ときはバブルの全盛期、日本中がマヨネーズの消費に狂った時代であった。(ウソよ、ウソ)
いやしかし、このマヨネーズが納豆嫌いを克服するきっかけになろうとは、神ならぬ拙者には知りも得ぬ事にて候。醤油だけでは拭えぬ匂いが、マヨネーズを加える事で大幅に軽減されたのだ。
これには実際驚いた。驚きついでに色々な食材に使うようになった。ただ、やはり合うものと合わないものはあるようで、マヨマヨ~とひねってかけて行く度に、食さなくなった食材もいくつか出て来た。
とは言え、納豆が食べられるようになったのはありがたいことで、レトルトの白米をチンして納豆をぶっかければ、はや納豆丼に大変身!これは重宝することの行ったり来たりで、非常に感謝している。勿論、マヨと醤油はご一緒に。
拙者にとっては(誰やねん?)生卵が依然として反シビライズドであることから、卵かけごはんが食べられない。そこへ来るとこの納豆飯は、見事にその代役を果たしてくれている。
シーチキン丼にもマヨネーズ、豆腐丼にもマヨネーズ、時折マヨネーズスパも作るぞ!何に付け便利なマヨネーズ。私の人生を左右するマヨネーズだ。
ただ、自宅の昼飯以外では、マヨくんをこの手に握ることはない。
をしてみようと思う。
色んな考えの人がごっちゃになって対立しているこの今の状況を個人的に整理したくなった。
まず賛成でも反対でも、そこへ至るまでのプロセスを無視して良いと考えているならばちょっと危ないと思う。あるいは最初からプロセスというものが頭の中に存在しない人もいるように見受けられる。それは大袈裟でもなんでもなく世界中で行われた軍事革命の土台固めや内戦の原因になりかねない考え方で、社会の安定という意味では間違いなくマイナス要因、いや要員であろう。
次にプロセスを経ているかいないか、についてだが、法学者は相当部分この点で反対している。安保法制の内容自体には賛成であり、必要だと考えていたとしても、明らかに違憲と判断される法案を通そうというのはやはり彼らの持つ論理性へのプライドが許さないだろう。念の為に、ここでは「民主的か否か」が問題なのではない。
私は見たことがないが、あえてプロセスを無視してでも必要なのだと主張する人もいるかもしれない。残念ながらそれは日本で許されるべきことではない。
最後のはまぁ、うん。