はてなキーワード: 外国人とは
輸出を増やそうとするとアメリカなどが怒るが、日本国内に来て勝手に消費する分にはいいだろうということだったのかもしれない。
一番外国人訪問客が多かったのは東京・大阪ということで、不動産、交通を重視するところでも良かったのだろう。
コロナでパタッと途切れてしまい、益々何で稼いで食っていくのかわからなくなった。
クローサーの国際収支の発展段階説では、
の6段階で、日本の状況は5段階目になっていた。
訪日客によって6段階目になるのは先になると言われていたが、コロナで途絶えてしまった。
今、勢いがある中国も2022年から先は生産年齢人口は減っていく。
規模の拡大が難しくなる。
人数が増えないのに負債の量を増やさないと、パイの奪い合いとなる。
しばらくは海外への投資で稼いでいくしかないが、国内への投資が回らな以上、
電子データ上は資産があるように見えるが、現実では一部しか良くならない。
Webは注目されるが中間マージンを取って稼ぐのでないと持続できていない。
外国人向けのはずだったんだがな
・正直初めは見た目に惹かれる
しかし段々やり取りが増えると、所詮同じ人間であることを理解する。
海外のコメディを一緒に観ると何が面白いか全く理解できないところでウケてて共感できない(特にトークで笑いを取る系はきつく、こちらが感覚の違いに自信を無くす)
基本的にヨーロピアンは異性の友達でも距離が近い上に彼氏がいても二人で遊ぶことを躊躇わないので今日は○○と約束したから出かけるねときちんと言われても夕食とかまで一緒だと気になる。
・クラブ好き
そんなに陽キャに当たらない人でもクラブへ行ったりする。他の男に話がけられがちで笑ってやり取りしてるの見ると嫉妬心が湧く。
結論:俺の器が小さいので難しい
日頃から差別や偏見を撒き散らしているせいで、周囲の人々から何も打ち上げてもらえない
実は中国ハーフだったとか、内部傷害があることだとか、帰国子女だったとか、親戚がヤクザだったとか、今は息子が中耳炎で通院してるとか、週末はジャニーズのコンサートを見ただとか、家族旅行でどこにいくかとか、あの映画が好き、あの女優が好き、あの作家が好きーーーそういうあらゆる話をして貰えない
プライベートはひた隠しにされる
日頃から全てをdisり、差別するような奴にうっかりバレようものなら何を言われるかわかったものじゃないからだ
みんな違ってみんないいとは思わない
みんな違ってどうでもいいとも思わない
みんな違うことにも気づかない
仮面の下の顔を見せてもらえることはない
言葉は交わしても心は交わしてもらえない
仮面を被らない人と接したことがないから大きな主語しか使えない
誰も彼も皆、誰でもない。特別ではない。ただの他人。ただの背景。解像度の低いぼやけた人の群れ
愛すこともない、愛されることもない
そうして1人、偏見に殺される
障害比率については極度の晩婚化があり、また最も注目を集める脳の器質異常を
確かに。ご指摘の通りかも。
自分が公立学校に行ってた頃は障害児は学年に数人程度だったが、これがクラスに数人とかの
レベルにまで上昇して、より身近な存在になって今より見慣れた存在になるかもしれないな。
とは言え、少子高齢化は爆速で進み続けるので、社会的な受け皿が拡大するわけでもなく、更に分断が進むかもね。
何のスキルもない状態でしたが熱量だけは買ってもらえ、マレーシアのメディア業界で急速に成長しているM-townという企業で営業に携われることになりました。
こうして、マレーシアで飛び込み営業の毎日が始まったのですが、1ヶ月経っても契約は獲得できませんでした。しかし、事業主に中華系の割合が多いことに気が付き、中国語を勉強してみることに。これが功を奏して、初めて中華系レストランチェーンから契約を獲得することが出来ました。
この経験から、マレーシアで事業を作る為には中国語が必須だ、という気付きを得て、1ヶ月後には北京にいました。現地大学の短期コースに参加し、4ヶ月間中国語を学んだ後「これでマレーシアで勝負できる」そんな自信を片手にマレーシアに戻りました。
転機が訪れたのは、それから2ヶ月ほど経った頃です。マレーシアでどんな事業を興すべきか考えた末、賃貸仲介に関する事業に決めたのですが、何から始めれば良いのか分かりませんでした。そこで、片端から話して周れば誰かが助けてくれるだろう、という安易な結論に至り、その通りに動くことにしました。
しかし、ビジョンが大きいだけでビジネスモデルはめちゃくちゃ、白い目で見られることばかりでした。そんな中、横山さんは「すぐにやろう」と言って支援してくださり、気付けばマレーシアに自分の会社ができていました。あの時、何もない私の背中を押してくれた横山さんには頭があがりません。
会社が立ち上がった頃は、マレーシアの賃貸問題を解決できればこんな大きな事業になる、ついに起業家としての人生が始める、と期待に胸を膨らませていました。
物件集めから始めるも、事業経験も人脈もない19歳を相手にしてくれる不動産企業はマレーシア中探しても見つからず。それでも連絡し続けた結果、気の良い中華系マレー人が条件付きで提携してくれることになり、事業がスタート。しかし、契約数が増えるにつれて、オンライン完結のサポートは難しく、スケールの展望は見えませんでした。最終的には、コミッション支払いの期日、提携していたエージェントの連絡が途絶え、消息不明になる始末でした。
会社を立ち上げてからの5ヶ月間、一人で走り続けて残ったものは、挫折感と口座残高が家賃3ヶ月分(約13万円)だけでした。
当初描いた事業を作れる道筋は一向に立たず、それでもどうにか現状を突破しなければと必死で、常にイライラしている嫌なヤツだったと思います。この頃、カフェで横山さんと会う度に、何も良い報告が出来ない自分が情けなく、このままでは失望されるんじゃないかと不安でたまりませんでした。
そんな人脈も資金もない時に見つけた唯一の活路が、クラウドファンディングでした。賃貸契約を根本から変えるシステムの構築は難しくても、入り口となる場所が世界中にあれば外国人の住居探し問題は解決出来るのではないか。そう考え、1つ目のゲストハウスを作る為にクラウドファンディングの挑戦を決めました。
関連記事を読み漁り、成功した類似プロジェクトの共通項を洗い出し、事業計画を練り、物件を探し、プロジェクトページの作成からPRまで。残された時間はあとわずかでした。一緒に奮闘してくれた当時の相方には本当に感謝しています。
結果、幸いなことに178万円以上の支援をいただき、クアラルンプールの中心地にゲストハウスPotHubを作ることが出来ました。世界中で使われる事業を作る、という夢に近付いていると初めて実感した瞬間でした。
ゲストハウスには様々なゲストが行き来し、東南アジアのノマドコミュニティーやゲストハウスのネットワークが広がっていきました。その後、2軒目もオープンし、事業は順調に進んでいる様に見えました。
しかし、実際はゲストハウス2軒の運営だけで手いっぱいとなり、思い通りに事業をスケール出来ていないことに葛藤していました。目の前の自分を見つめて「こんな小さな事業を作る為にマレーシアに来たのか」そう悶々とする日々が続きました。
結論から言うと、正規軍が勝った世界線に住んでる人かわいそう。
橋本真也は日頃の不摂生が祟って病死。長州力は小力とユニットを組むも爆死。両者の首は大阪城ホールの入り口に晒される。蝶野正洋は「笑ってはいけない」のビンタ芸人となり実質引退。
その後新日には何人かインディー出身のレスラーが移籍するが誰も定着せず不人気のまま。
新日なんて今もほとんど誰も見ていないマイナーなリングの話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。
G1 CLIMAX終了後、越中詩朗が新団体の代表になるも5年で引退。その後は後藤達俊が代表代行になる。日本格闘技界は平成維震軍、NOAR、全日、大日本などが乱立していたが、
総合格闘技ブームが起こらず、外国人レスラーの招聘も進みエンタメ化が発展していったので時代遅れなアンコ体型のレスラーは次第に消えていった。
その代わりにYouTuberとして人気を博した一般人がエンタメレスラー化していく。というわけでこちらのプロレスの授業ではいちいち技の名前なんて覚えない。
そちらではやたらとストロングスタイルがもてはやされているらしいが、こちらではガチンコ(シュート)は前田アンドレ戦まではともかく、小川橋本戦以降はZERO-ONE旗揚げを引き起こした元凶で、野蛮で恥ずかしい存在でしかない。
事前にシナリオが完成しているので、佐々木健介みたいなしょっぱーいレスラーがベルトを長州するなんてことはなくなった。
90年代後半に入ると各インディー団体のレスラーやファンが蜂起して有刺鉄線電流爆破マッチなどが漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って新日の強権的な支配がないのでゆるやかにリベラル化していく素地があった。
UWF勢もUWFインター・RINGS両派が認められ、パンクラスとあわせて三大勢力になっている。その後、プロレス八百長説を信じる人も増えていく。
2000年になると前田日明がオランダ勢やロシア勢と手を組み法律で禁止されていた総合格闘技の普及を始める。全国各地のライブハウスや潰れたパチンコ屋などが地下格闘技場となり、連日そこでダークマッチが開催された。
00年代後半になるとアメリカで金網ゲージの中で「なんでも有りルール」で闘う形式が人気となる。エンタメプロレスが主流となっていた日本人レスラーも何人か参戦するが全く歯が立たない。
そんな状況を一気に変えたのが三沢光晴だった。こちらの世界の三沢は斎藤彰俊のバックドロップをくらって死んだりはしていない。全日離脱後にNOARを経て初代タイガーマスクである佐山とともにタイガープロレスを旗揚げしていた。
得意のエルボーを武器に海外の総合格闘家相手に次々と勝ち進む三沢。タイトルマッチでブラジル人柔術家相手にエメラルドフロウジョンを極め戴冠した試合は最高視聴率91%を記録し、大河ドラマの題材にもなった。
海外にも日本オタクみたいな女子はちらほらいる。アニメ漬けでフィギュア集めてゲーム好き、その上でヨーロッパの白人は、はっきりいって可愛い子は多い。俺はそれなりにアニメも見るし漫画も読むしゲームもするし、英語も日常会話なら問題ないので彼女らとの共通項が多く、更に中国人と比べたら日本人は比較的珍しい扱いされるので仲良くなりやすかった。
二人で街を歩いたり、カフェで漫画やアニメの話をして静かに盛り上がる。
しかし夜になると彼女らに抱いてたイメージがぶっ壊されることが何回もあった。そしてオタトークしてた時は、あわよくばこのままと思いきや、やはりその文化の違いから付き合うのは難しいと思った。
それは向こうではインドアなタイプの人でもクラブへ行くし、酒を飲めばめちゃくちゃ、はっちゃけるのだ。根っからのパリピー。インドアタイプでもパーティなどの集団で自分を出す方法を知ってるようだ。彼女らは昼間は俺とカフェでジョジョとかハイキューとかについて語って笑ってたが、夜のクラブではガラの悪い男の絡みにも難なく対応し、リア充エピソードで笑いを取りあい、俺は後ろで縮こまるだけになる。
彼女らは確かにオタクだが、そのオタク趣味は単なる全体のごく一部でしかないようだ。部屋の本棚が漫画やフィギュアで埋まってるような女の子でも完全に別物と分けて活動できている。
だから案外、学校の友人相手やクラブで見せる姿はカフェで俺とオタトークしてたのとは全く別の、ちゃんとコミュニケーションを取る女性でいた。寧ろみんなギャル寄りだった。その落差に根はクラス内ヒエラルキー最底辺だった俺は戸惑うしかなかった。
俺はもはや彼女らと二人きりなら話せるが、他に数人加わると会話の速さとジョークのセンスの違いについてけない情けなさだった。
あと根も葉もないことを言えばオタク女子はみんな実はガタイのいい彼氏持ちだった。(二回目当たりのお出かけでMy boyfriend が〜って会話に出てきて彼氏持ちだと察する、つまり向こうは彼氏彼女持ちでも異性と出かけるのはためらわない)
ってか日本はもう普通に移民増えとるしこの手の議論今更すぎるやろ。
ネットでどんだけ反発する奴がいてもこの流れが止まることはないよ。
俺も行ったことないけど、外から眺めてる限りいつも繁盛してるみたいだし、そんな悪い店ではないんでないの?
あれでサイゼリアの料理にケチつけるやつでも、これはイタリア料理ではないというだけでまずいとは言わないやろ。
おいしいけどイタリアンではないというだけで。
本家本元がそう言うんだから日本人が食べたらきっとおいしんだよ、多分。
あと、あれでしょ経営者が理系の人ですごく論理的に考え抜いてお店や料理を作ってるんでしょ。
あと安いけど、それは食材調達に秘訣があるからで決して安い素材を使ってるわけではないんでしょ。
きっとすごくいいお店じゃないのかな。行ったことはないけど。
そうだ、この際だから一度行ってみるか!
よかったら、一度行ってみたら、増田も。
きっと気にいるんじゃないかな。