はてなキーワード: 卵かけご飯とは
妻が飲み会に行く
それはいいが、俺は夕飯に何を食べればいいんだろう
結婚するまで一人暮らしで自炊してたし、「俺の夕飯は?」なんて聞く気はないんだが、夕飯用意してくれないのに米以外は勝手に使うと文句を言われるので困っている
冷蔵庫に入ってる食材を使っていいか聞けば、妻が献立に使う食材だからと拒否
「あなたは買い物行かないからわかんないよね」と小言を言われ、自分で食材を買って帰れば「こんな高いもの買って」「こんなにいっぱい買って」とか言われる
別に豚肉150gくらいいいじゃん、スーパーで1番安かった肉だぞ
妻が飲み会の時に、自分の小遣いでコンビニやファミレスに行くのも嫌がる
一緒に炒め物用野菜パック買ったって数百円だぜ?
多分「私がいつも1人でやっている節制」を俺に体験させたいんだろうな
「旦那が飲みに行ってるけど、私はご飯と味噌汁だけです」を、お前もやれよということなんだと思う
てか、妻に週2で買ってこいって言われるコンビニスイーツ(食費から捻出)の回数減らしたら節制になるんじゃね?とか、俺が不在の時にお義母さんに良いもん買わせてもらってんじゃんとか、お金気になるならパートじゃなくて正社員にすればとか思うけど怒ると面倒だから言わない
卵かけご飯にするかな
なんか… 。
皆さんの話聞いてて、温度差の違いに青ざめてきたわ…。
うちはお金の余裕がなくてカツカツだけど、相談して子どもを作った。
生まれてくる子が自力で大学目指すなら止めないけど、特に援助する気は無い。
どちらかというと文系の私と、ITエンジニアの夫は、いまいち納得がいかず。
あるところに双子がいました。弟さんは大学進学で。お姉さんは高卒です。
弟の方が豊かな人生を歩むでしょうか? 幸せでしょうか。高等な人間性を備えてるでしょうか。
「必ずしもイエスとも言えずノーとも言えない」
って結論になりました。
大学進学の結果、弟は姉より豊かな人間性を持った、とはならない。
選択肢のどちらを選んでも、優れた人格になるとも劣った人格になるとも言えない。
病気とかで実質時間停止してるならともかく、時は平等に流れる。
高卒だろうと続きの人生で経験は積むし、それが大学の講義に比べて劣ってますね、とか優れてますね、とかは言えないんだ。
ポイントは、選択肢は実は人生のどこにでもある、という点だったと思う。
大学出の方がカネを稼ぎやすいかもしれないけど、ウチが貧乏でもむっちゃ幸せなのは、お金がないからこそ幸せに過ごすにはどうすれば良いかを目的に据えて色んな選択をしてきたから。卵かけご飯と素麺を美味しくいただく方法をふたりで沢山考えた。レシピのバリエーションはどの家庭にだって負けないさ。
学者夫婦の両親の昔の写真見せてもらったけど寝てなさ過ぎらしく、ゾンビのようにやつれてて趣味の映画も我慢してたらしい。先端に追いつくためには常に勉強して前に進んでなきゃならない、だとか。
まるで終わらない大学受験みたいだな、と私は思いました。
「選択肢がないように思えるのは、他の選択肢を見ようとしてないだけ。視野狭窄の証拠です」
…夫のこの発言が決め手だった。
いいお米とあわせて卵かけご飯にすると最高だよ
「自分ひとりが忙しい」「どうも割を食っている」「自分の選択が悪いから今こんなに大変」みたいなネガティブ忙しいときに現れる。
雑ごはんの基本は卵かけご飯。パカッと炊飯器を開けてごはんよそって上から卵割って醤油かめんつゆかごはんですよをかけて食べる。台所で。3食これ。
あとはインスタントラーメン。一週間とか食べ続ける。いい年した大人の食事ではない。
最近は子供が残した食パンの耳が雑ごはん会の雄。ぼそぼその耳をもそもそと食べているとどんどん自分なんかどうでもいい人間なんだ…という気持ちになっていき、ネガティブに拍車がかかってとても気に入っている。
普段は3食ちゃんと食べる人間なので、食に興味がない人からしたら大したことではないのだろうけど自分のなかでは大問題なのだ。
良くないな~ちゃんと食事の支度して食べないとな~と思えば思うほどどんどん雑にしてしまう。
良くない。
時間内に食べきれないと担任だった保育士の先生に怒られて、給食室(調理室?)にいるおばさんに「残してごめんなさい」と謝りに行かされる。今になってみるとおばさんに謝ることより担任に怒られることの方が怖かった気がする。謝りに行くとおばさんは「いいのよ〜頑張ったね〜」とフォローしてくれたけれど、片付け中なのに本来やらなくてよさそうな園児のメンタルケアさせられてたと考えたら少し気の毒な感じがする。
小1の担任は「とにかく好きなものから食べていい」「ご飯から食べてもいいし、デザートのゼリーから食べてもいいよ」と言っていた。保育園とのギャップかもしれないが、小1の子供心にも結構驚かされた。残したからといって怒られもしなかった。
高学年になると飼育小屋でニワトリの世話をしたり、裏庭の畑や田んぼで野菜やお米を育てたりした。ニワトリの世話係は当番制で、自分が当番の時に卵があったら持ち帰って食べていいルールがあった。以前当番をしていた兄弟の時はいつまでも卵をありがたがって保管していたせいか、食べる段になって卵を割ったらヒナになりかけのブツが出てきて母が悲鳴をあげるというちょっとした事件があった。それを知ってるので自分が持ち帰った時はさっさと卵かけご飯にして食べたし特に何ともなかったけど火を通した方がよかったかもしれない。
中3の担任が「うちのクラスは残飯ゼロにするぞ!」と1人で意気込んで、全員に配膳が済んだ後の食缶に余ってた食べ物を生徒たちの皿に勝手に盛りまくる奇行をしていた。中3の時、午後になるとしょっちゅうお腹痛くなってたのは間違いなくあの奇行のせいだと思う。担任も教室で食べる学校だったけれど、担任は自分の皿にだけは絶対盛らなかったのが本当にムカついた。残飯ゼロとか言うならまず自分の皿に盛るべきだろ。他の所業でも自分の理想ばかり先行してたから今振り返ってもロクな教師じゃなかった。
本当の貧乏ならご飯は用意しないだろうし卵も贅沢品だろうしソースやマヨもかけたがらないだろう
・卵一個を用意し、割る
・次に割った卵の入った器に水を入れる
・フォークで卵黄と卵白をぶっ刺す(しないとレンチンの時に破裂する確率が上がる)
・レンジでチンしてゆで卵にする(500wか600wで一分程度、固くしないなら+30秒で様子見、でないとそれはそれで破裂する)
・おこのみソースとマヨネーズを円を描くようにかける(円を描くのに意味はない)
結果:雑に美味い
感想:今までは卵とご飯が揃ってるなら醤油をかけて卵かけご飯一択だったが、レパートリーが一つ増えて良かった
ちなみにどうやって発見したかというと、唐揚げをご飯に乗せて面倒だからとご飯にかかる勢いでその上にソースとマヨをかけたら意外にいけたので
現代の若者は結構自炊をする。それもキャベツと豚肉の塩コショウ炒めとかではなく、ふろふき大根とかしぐれ煮とか、まぁちゃんと文化的な料理だ。
おそらく今の30代40代の主婦よりも料理ができる人が多いと思う。金がない、という理由もあると思うが。
その功労者と言えば、料理人・料理研究家系youtuberのおかげだろう。若い人に何を参考にして料理を作っているの?と聞くと5割が参考にしているレベル。
特に料理研究家リュウジという人は、youtubeやSNSで流行ったレシピを盗……じゃなくて改良し、あたかも自分で考えたかのように語るyoutuberだ。
悪口を言ったが、彼の作る料理は「俺でもできそう」かつ「俺でも買えそう」のギリギリを行く料理で、今まで総菜やコンビニ飯を買っていた層を自炊へと促したのは評価すべきだろう。
怠惰な人間を自炊へと向かわせ、料理の楽しさに目覚めさせる。まぁただ同時に、「舌のおかしい若者」を大量生産してしまっているのも事実だ。
料理研究家リュウジは、とにかく「味の素」もとい「うま味調味料」を使いまくる。
味の素は主成分をサトウキビから作るらしいが、その他イノシン酸や核酸、がどういう製造方法でどこから来ているか、サトウキビがどのように作られているかは謎の調味料だ。
まぁこの調味料がかなりの曲者で、調味料として完成され過ぎている。
フランスやスペインなどでは、完成された調味料、例えばデミグラスソースなんかは多用されない。
料理と言うのは芸術で、芸術には多様性が必要だ。「完成され過ぎている」ものを芸術家は忌避する。なぜなら画一化の先に自分たちの価値は無いからだ。
しかし日本人は完成されたものが好きである。その結果、日本料理はかつおと昆布の合わせ出汁、醤油味だけになった。
話を戻すと、この「完成された調味料」を利用すると、どんな不味い料理でもそれなりに味がまとまる。強烈な旨味が全てをチャラにするからだ。
そしてリュウジの作る料理は全てこの「うま味」がベースになってるのである。
その結果何が起きたかと言うと、強烈な「うま味」が無いと「美味しい」と感じられなくなったバカ舌の誕生である。
現代の80歳くらいの、なんにでも味の素をかけるおばあちゃんに似ている。ただあの世代の野菜や肉は不味かったからまだわかる。
現代は肉も野菜もかなり美味しい。食材それ自体が持つ香りや甘み、旨味を生かす食材が得られる恵まれた世代だ。
だがリュウジで自炊した若者は、バカ舌なため食材の味がわからない。なんにでも醤油をかける世代から、何にでも味の素をかける時代に逆戻りだ。
わざわざ高い料理屋に行って、食べ物を食べて「コクが足りない」「うま味が足りない」とか言い出すのである。
料理とは情報量である。旨味という成分は、その情報量を打ち消すには十分強力だ。
菓子業界は旨味調味料(アミノ酸やタンパク質加水分解物)に支配された結果、香料と着色料でしか差別化できなくなった。正直不味い。
ポテチはジャガイモをスライスして油で揚げて塩欠けるだけで十分美味しいんだよ。
これからこの先、外食でも家庭料理でも、毎日「リュウジのレシピ」を食べたいならそれでもいい。
ただそれが嫌なら、旨味を求めるのは家だけにして、わざわざ外に行って「リュウジのレシピ」でないことを求めるのはやめてくれ。
旨味と旨いは違うことくらい気付け。
親はあの手この手で食べさせようとするが、今思い返せば悪手ばかりだった。
ビンタの痛みと恐怖の方が口腔内に広がる腐敗物に等しい味覚臭覚に勝る。
お蔭で今もセロリは食べられない。
臭いと味が嫌いなのもあるがビンタされた時の不快感をあの青臭さを嗅ぐたびに思い出すからだ。
更に父親と食事すると叩かれるかもしれないという恐怖や不安から他人に笑われるぐらいの早飯の悪癖までついてしまった。
母親が試みた古典的な手法は細かく刻んで好物のカレーやハンバーグに入れるというものだ。
子供の味覚を甘く見過ぎだ。
余談だが、太平洋戦争時に殺処分命令を下されたかわいそうな象のジョン、トンキー、ワンリーは毒入りジャガイモに手をつけず飼育員達はその賢さに驚かれた。
果たして巨獣達は毒殺を人間が企図したと認識しての抵抗ではない。
単純に臭いが変わるのだ。
なぜ相殺できると思うのか。
賤しい人間共が実に短絡的で愚かだったのだ。
話を戻すが、ハンバーグに明らかに嫌いなピーマンのエグみが充満して食えたものではない。
よくも好物を美味く食べるという喜びを奪い、穢したな!
湧き上がる憤りと悲しみは至極当然の感情であり、抗議は正当なものである。
母親は自らの浅薄な企みを恥じ、謝罪とともに不純物のないハンバーグを作り直して赦しを請うべきだ。
結果は
「文句があるなら食べるな!」
大学進学時に親元を離れたが、仕送りもなく困窮した学生生活を送っていた。
いい加減飽きてきた。というより明らかに体が拒絶反応を起こしている。ウンザリだ!と。
一応カロリーは保っていたが飢えていた。
そう、飢餓であったのだ。
生卵も大嫌いだった自分だが、その学生が食べる卵かけご飯がとても美味そうに見えたのだ。
値段もカップ麺と変わらなかった事もあって、翌日勇気をだして頼んでみた。
ご飯の真ん中に玉子を乗せる穴を箸でほじくり、玉子の殻を割ってのせる。
昨日まではただ気持ち悪いネットリとした生卵が今や米の一粒一粒に纏う金色の衣だ。
若干の逡巡の後に貪り食う。
なんて美味いんだ!
今も進んでは食べようとは思わないもの、やはりどうしても苦手なものは残れど、あれよあれよと偏食を克服できた。
体が大人になって味覚が変化したという要素も多分にあるとは思う。
ところで、かなり後の事であるが、久しぶりに母の料理を食べて衝撃の事実を知った。