はてなキーワード: 事故物件とは
記憶が完全に薄れてしまう前に、弟の誕生日なので、時効と嘯いて、書き留めます
朝から教習所に向かい、どうにか車を運転し終え、「まあ多分受かっただろ」と思いながら確認したスマホには、親からの「家の鍵持ってる?」「なかったら裏の鍵開いてるから」「昼適当に食べて」といったようなLINEが届いていた記憶があります。
「何かあったのかな」と思いつつも、家の鍵は持っていたのでそう返しておきました。
合格をその日のうちに伝えられたかはよく覚えていませんが、とにかく昼頃には終わっていたため、家に帰りました。家には誰もおらず、親に電話をすることにしました。
「■■(弟)、死んじゃった」
涙声で伝えられたその情報に、まず出たのは驚きでした。現実において
「え??????????本当????????マジで?????????は???????????」
ぐらいの勢いで叫んだのは、後にも先にもここぐらいでしょう、というような混乱でした。
弟は、私が寮にいる間に、突然家出をし、自殺未遂をし、保護されたあと病院施設に入り、メンタルケアを受け、進学も家から遠く離れた施設から通える高校に行って、また自殺未遂をしたりしていました。その間弟は、家族を完全にシャットアウトしており、1年半の間誰も会えていませんでした。
自殺未遂をしていたことから、それが成功したんだな、ということは簡単に察することができるはずなのですが、私は「次会ったとき『よう……5年ぶりだな……』って一言目に言お」などと考えていたぐらいには弟の死への願望を非現実的に捉えており、まさか本当に成功させるとは思ってもいませんでした。
なので、正直なところ「マジかよあの野郎ッ やりやがった」ぐらいの気持ちで報告を聞いていました。
親は「帰りはいつになるかわからない」というので、まあそれはそうと思いつつ、電話を切り、家に常備してあるパスタを食べました。パスタはいつも通り美味しかったので、美味しいなぁ、と思いました。
薄情な兄だと思われるでしょうが、1年半前以前から私はほとんど寮におり、弟と会うのは帰省した時の食卓ぐらいでした。弟は部活をしており、土日も練習するため学校に出ていたからです。そのため、「昔よく遊んだが、最近会っていなかった遠い親戚が死んだらしい」程度の質感でした。薄情ですね。
お昼を食べたあとは、前から見たかった時をかける少女のアニメを見ました。正直なところ特に面白くもなく、内容が記憶にありません。ただし、流石に内心ではそれなりにショックを受けておりまともに見られていなかった可能性もあるかと、内容を調べてみました。しかし、やはりつまらなそうでした。
(今回はつまらなかったわけですが)、美味しいご飯を食べることも、面白い作品を摂ることも、生きている人間の特権です。
実は死んでもそれらはできるのかもしれませんが、本筋から逸れてしまうのでやめます。ただし、死ぬことで人間の活動に付随する空間の縛りがなくなるなら、死んだ方が楽しそうですね。
ともかく、それができなくなるのはもったいない選択だなぁ、と思いながら親の帰りを待っていました。
ゆっくり人生をしていけば違った世界を見られたかもしれないのに、その可能性を排除して不可逆の選択を選んだのは、私には理解できないことでした。得られたかもしれない幸せを放棄しているから。
ただまぁ、私はまだ人生に幸せを感じる余地はあると思っているから、なんとなく幸せになれそうな方向を探して生きています。全力で死ぬよりなんとなく生きる方が簡単なので。
だから、全力で死ぬ決断を下せた弟は、ある意味ですごいなぁとも思っています。
後から知ったことですが、弟の財布に入っていたレシートには死ぬ前日のものがあり、そこではたくさんのお菓子が買われていました。弟にとっては、それが世界で一番幸せな時に近づくための手段だったのかもしれません。最期の晩餐がそれであることを私は可哀想とは思いません。もったいないと思います。
親が帰って来たのは17時半とかで、まあまあ早かったなと思いました。記憶は朧げですが、遺体は布団に包まれていた気がします。それを車から下ろすときに足を持ったのですが、まだ温かく、しかし感触は確かに〝終わっていた〟ので「肉の塊だな」と思いました。死体に触るのはもちろん初めてでした。
仏壇のある部屋に遺体を置き、改めてそれを見ると、首には縄か何かで頸った跡がくっきりと残っており、顎の辺りまでが紫色に染まっていました。服装は私服だったか既に死装束だったかいまいち覚えていません。私がファッションに興味がないからでしょう。ましてや死んでからお洒落しても何もないです。
親は泣いてるし、同居している祖母ももちろん泣いていました。私は涙も出てこないし、なんなら別に悲しくもなく、「へー死んだんだ」ぐらいの兄としては最悪な所感を以てその場にいました。流石に酷すぎるだろ、とも思いますが、勝手に死んだ弟如きのために感情を曲げて自分に嘘をつくのは嫌でした。
整理してて思ったんですが、マジで弟のことほんとになんとも思ってないですね。ぶっちゃけ弟のことはあんまり好きじゃなかったです。ポケモンカードの強カード全部捨てられたり、買った本勝手に読まれてしかも折り目つけて返されたり、DSのソフト勝手にやられたり、いろいろありました。悪い思い出が。
ただ、一度距離感をとって、年をとって、互いに価値観を確立して、その上でゆっくり話せば、あのときの最悪な話も思い出話になると漠然と思っていました。私は、自殺未遂も含めた弟の哲学について知りたかったし、弟が何を考えていたのか知りたかった。
遺書はなく、スマホのデータは消されており、わずかにカウンセラーさんと弟の友達から漏れでる情報によると、「自分に生きている価値はない」「消えるしかない」などと考えていたらしいです。
それはつまらない考え方だ、と私は思うのですが、それに至るまでの積もる話も、私は何も知りません。
独りで考えて、独りで完結して、そんな生き方を自分もするのでしょうが、さらに独りで死を実行して独りで死ぬのは、流石にどこかネジが外れていたような感じはしています。私が寮にいる間に、いろいろとあったようです。実は私のことも恨んでいるのかもしれません。私には私のことしかわかりません。
弟は朝を食べたあと、9時ぐらいに首を吊り、そのまま1時間ぐらい発見されなかったようです。春休みだったので無理もないですね、見つけた施設の人はさぞ驚いたと思います。事故物件作りやがって……と私は思いました。
しかもどうやら発見時は舌が口から出ていたらしく、なかなかグロみがあったそう。
私が教官に監視されながら車を走らせているときに、弟の生命活動が終わっていたのは、後から知るとちょっと面白いなと思いました。何が面白いのかは自分にも説明できませんが、「世界のどこかで人が死んでいる」という実感なのかもしれません。解像度が高くなって、知らない感覚を知れたという。
もう記憶があまりないです。呆然としすぎての方ではなく、興味がない方の記憶の無さだと思います。親の親戚も来て、もう片方の祖父祖母も来て、皆泣いていて、自分は二階でいつも通りインターネットをしていました。それこそが私の正しさでした。
あっという間に出棺の日が来たらしいです。棺には、一つの他愛もないメッセージを書いた紙を入れました。「また会おうぜ」、みたいなやつです。
火葬場に向かう川沿いの道に、満開の桜が並木となって咲き誇っていました。親がずっと覚えておこうと言いました。私もあれは確かに綺麗だと思いました。
いよいよ焼くときになって、最後に何か、というタイミングで、親が膝から崩れ落ちすがり付いて哭いているのを見て、弟に「何やってんだよ」という気持ちが沸きました。
結局私は今まで泣けていません。これからもないかもしれません。
ともかく、人が一人死んだ、そういうお話でした。
「穢れ」という考え方がある
それは事故物件であったり、自殺した家系だったり、水子供養を怠ったり、時効になった殺人犯であったり、
つまり、今回のオリンピックの発端は石原チン太郎であるわけだが、そこから穢れていたのではないだろうか
その穢れが脈々と受け継がれ、コロナという悪運を引き寄せ、今の混乱にまで続いているのである
しかし、よくよく調べてみると、それは首を吊った死体の着物の帯が畳を擦る音であり、その穢れが脈々と受け継がれてきた、
アホーが今回のオリンピックは呪われていると語っていたが事実なのではないだろうか
今すぐ、私のような優れた霊能力者に相談することをオススメしたい
誰かがこのオリンピックの穢れを断ち切らなければ、今度は関係している日本全体が穢れ、日本全体が呪われてしまうのである
そして、これは帝都が霊的に護られていないということも関係しているのではないだろうか
東に青龍、北に玄武、西に白虎、南に朱雀の🐘を建造する必要があるのではないだろうか
帝都に巣食う鬼神を祓うために陰陽師の助けが必要な事態にすでになっているのではないだろうか
そんなことをトイレで考えながら踏ん張ってみたが、期待した💩は出なかった
便秘がつらい
昔、中学受験をやった
当時の担任に「勉強だけできてもろくな人間にならない」と怒られたのを覚えている
だったら親に言ってくれよと、そればかり願っていた
家にいれば勉強しないといけない
こんなどうしようもないジレンマからも、暴力と監視の日々からも
「第一志望に合格すれば今後はゲームをして良い、学習塾も強制しない」という約束を親と交していた
やった!自由だ!
放課後、自習に使おうと思っていた時間を、身の丈に合わない高レベルな授業に費やされた
サボって連絡でも行くと後が怖い
嫌々通った
自由が遠かった
しかし実際は、努力をして更に自分を苦しめる状況に身を置いただけだった
勉強させるために親が使う文句が「ゲームを壊す」から「学校を退学させる」になった
学校は学校でクソみたいな校則と精神論で溢れた受験少年院だった
手に入れたものがゴミだったのに、ただただプライドからそれに縋った
死にたかった
いとも簡単に約束を破る親の元に生まれた自分から解放されたかった
努力が実を結んでも、それが自分を救う結果にならない星の元に生まれた自分から解放されたかった
好きな物を作らなかった
好きな物は母親にバレると、自分を勉強させるための脅迫材料になる
ならば何も趣味を持たなければよかった
趣味で脅せないなら、次は自分を捨てると言い出すだろうなと思った
それならそれでよかった
死んでやろうと思っていた
どうせ生きていても、生きていたいという気持ちを利用されるだけなら死んだ方が幸福だった
これは死ねると思った
自分が死んだら事故物件になるマンションの、その管理人があまりにいい人だった
その人を困らせる真似はしたくなかった
他にいい場所もなかった
自堕落に生きた
派手さも名誉もないが、自分のやりたかったゲームに埋もれた幸せな日々を送れた
こうやって一生、努力を避けて生きていくんだろうなあと思った
毎日好きなゲームをして、最低単位で卒業して、目先の幸せだけ齧って生きていく生活だった
これからもきっと、子供時代の幸せの追求と最低限度の努力だけで生きていくんだろう
それから涙が出た
事故物件つかみたくないだけでは?
最近いろいろとかつかつなので、固定費を浮かそうと引っ越そうとした。
審査通るかなと思ったけど落とされた。信販系の会社(オ〇コ)だった。
言っておくが家賃も公共料金もきちんと払っている。貸与型の奨学金ももらっていない。金融機関から借金もしていない。
そもそもクレジットカードも持っていない(過去に二度審査おちした)。
IQ69の大学病院に通っている精神障害者だったのがいけなかったのだろうか。今となってはわからない。
ただ、5年前無職だったころ普通に審査に通ったので謎ではある。
審査に落ちたことはデータベースに記載されるのだろう。だから今ほかの審査会社で審査通してもらっても落ちる可能性が極めて高い。
今住んでいるところは3度目の更新を迎える。審査もあるだろうしそこでも落とされるに決まっている。
2回の審査は健常者のころ研究所に勤務していた時受けたものだ。
他の物件も保証会社必須のところばかりで審査おちするだろう。公営住宅も一人で入居できるところはない。
実家は実家で荒廃しきったくそ田舎だし帰ったら精神状態が悪化する。
上の階は人入ってないってさ事故物件で
事故物件に住んでると大変っすね😎
何かと事故物件が話題になっているので自分が過去に住んで本当に怖かった物件を紹介する
3位 傾いた家
過去に自殺者の出たアパート2Fの角部屋、白を基調とした小綺麗な2Kの部屋で、駅は少し遠いがバス停は近く、都内にも関わらず家賃2万8千円の破格だったので入居することに。
自殺と言っても室内ではなく、居住者が駐車場で練炭自殺をしていたそうなので本来は事故物件扱いではないそうだが、立て続けに新規入居者が早期で解約しただけでなく、他の部屋の入居者まで出ていってしまったそうだ。
その結果仕方なく全体的に家賃を下げて、特に該当の部屋は安く貸し出すことにしたそうだった。
入居当初は何も問題無かったのだが、1ヶ月ほど経つと身体が重く、疲れが取れない日が続くようになった。
まさか…と思いながら生活していたが、ある日相談していた物件好きの友人が遊びに来て床に座るなり一言「ここはできる限り早く引っ越した方がいいよ」と言った。
驚いて理由を聞くと、友人は「ほら見て」と言ってエアコンのリモコンから単3電池を抜いて床に置くと、電池はなかなかの勢いでそのまま転がり続けていった。
そう、この部屋は盛大に傾いていたのであった。
友人曰く、歪んだ床の部屋で暮らしていると、段々と身体に不調が出始め、精神的にも不安定になる傾向があるそうで、事故物件と呼ばれる部屋の多くは「床が歪んでおり、かつ風通しの悪い部屋」だそうだ。
仕事の都合で大阪に半年ほど滞在することになり、とにかく安さと利便性だけで物件を探していた時に見つけた部屋。
駅近くの繁華街の中ある相当な古さの木造アパートで、コの字形に居酒屋や飲食店に囲まれているので騒がしいという難点があると説明を受けたが、1Kながら家賃2万円という驚愕の安さもあり即決した。
どこでも寝れるという特技があるので騒がしさは気にしていなかったが、本当の事故物件の理由は住み始めた夜に判明する。
周りの飲食店も閉まり始めた深夜2時頃、ガサガサという異音がやけに近くに感じられ、電気を付けると晩飯のコンビニ弁当のゴミに大小のゴキブリが十数匹群がっていた。
慌てて袋を縛ってゴキブリごと部屋の外に投げ捨てたが、耳をすませるとあちこちから這いずる音が聞こえてその日はしばらく眠れなかった。
翌日、ゴキブリ対策のグッズをあれこれ買うも絶対数が多過ぎたようで、ホイホイが一瞬で満杯になりホイホイごと動き出すという奇怪な現象を見るに至った。
(因みにこのホイホイを燃やしたらキーキーと音がしたがゴキブリの鳴き声だったのだろうか)
とある夏の日にはトイレの網戸の外が真っ暗だったが、よく見るとゴキブリがびっしり張り付いていたということもあった。
職場で夜を明かすことも多かったので結局我慢して半年間住んだが、それ以来飲食店の近くは避けることにしている。
1位 枕元に老人が立つ家
再度都内の話に戻るが、そこは築年数こそ長いが比較的小綺麗にされている木造アパートの一室で、仲の良い老夫婦が住んでいたものの旦那が先に痴呆になり、奥さんが面倒を見るも先に部屋内で病死し、旦那はそのまま施設送りになってしまったという部屋だった。
頭はボケていたものの婆さんが倒れているという通報は早かったために死体の腐乱などもなく、部屋はキレイなままだったが、家賃は2Kで2万円という驚異的な安さだった。
理由として「痴呆症の元居住者が施設を抜け出して訪ねてくる」という説明を受けたが、基本的に仕事が忙しく部屋にいる時間が少ない自分には関係無いので大喜びで契約した。
住み始めて数日後、居心地も良くすっかり住み慣れて気持ち良く眠っていた夜のこと、ガタガタという物音と気配を感じて目を覚ますと、80過ぎの爺さんが枕元に立って自分を見下ろしていた。
寝惚けて悪い夢か何かだと思っていると、その爺さんはそのまま部屋をうろつき始め、冷蔵庫や戸棚を開け出した。
ようやく覚醒して、恐る恐る話し掛けると「うちの婆さんを知りませんか」という言葉で不動産屋が話していたことを思い出した。
その日は結局警察に連絡して迎えに来てもらい、それからは施錠をしっかりすることで解決したと思ったのだが、その数日後にも鍵が掛けてある窓のガラス戸をあっさりと外して入ってこようとする爺さんを慌てて止めるなどのトラブルが多発した。
どうやらこの爺さんはかなり腕利きの大工だったらしく、鳶の仕事も全て自分でやっていたため、建物の2階だろうが平気で抜け出していってしまうらしかった。
加えて、このアパートも爺さんが建てたものだったため、どうすれば部屋に入れるかを熟知しており、戸締まりをどう頑張っても爺さんが入ってきた痕跡があるという状況で、金目の物が取られるということは無いが冷蔵庫の中身を勝手に食べられるという地味にストレスが溜まることをされ、次に来たら流石にどうにかしてやろうと考えていた。
とある日、しばらく爺さんの侵入の痕跡が無い日が続いたのだが、ある日テーブルの上に和菓子と大工道具が置かれており、持っていくだけでなく忘れ物までするのかと施設にクレームの電話を掛けたところ、
「ご迷惑をお掛けしており申し訳ございません、ただ入居者様は先週に亡くなられておりますので、その前に置いていかれたものでしょうか」