はてなキーワード: 不要論とは
そもそも寿司屋に必要な技術が、魚切って酢飯と一緒に握るだけだと想定してる時点でバカ丸出し
この程度の業務分析レベルじゃ、さぞIT企業時代もロクなシステム開発ができなかったでしょうね
客が目の前で見る職人の仕事って、寿司屋の業務全体で10%もない
単純に寿司という商品を製造する工程だけみても、良いネタを仕入れる目利きの技術やコネクションが必要だろ
有名なすきやばし次郎は、ネタの仕入れに糸目をつけないため、魚の卸業者が良いネタを仕入れたら、真っ先に次郎に営業連絡がくるという
まず良いネタを仕入れることが美味い寿司を作る第一歩だが、そんなのYoutubeで学べるわけないだろ
もうこの時点で、ホリエモンの理屈が如何に浅くてナンセンスかわかる
更に実際の寿司屋には、一般的な店舗経営のノウハウや、客へのプレゼンの仕方、独立した時の潜在顧客を獲得するチャンス、
本や、Youtube動画では学びきれないほどのネタが詰まっていて、これを全て吸収するには1年、2年で収まらないであろうことは想像に難くない
更に更に、そもそも半年ぐらいで寿司屋を開業することが可能だったとして、それが本当に経営する側として幸せなのかという問題もあろう
誰でも簡単に開業できるということは、市場競争が激化するということでもある
(今すぐ起業して儲けられる商才や人脈や信用があれば)手持ちの金は不要
(相手より十分強ければ)殺気は不要(中途半端な戦士が常に殺気をみなぎらせてるっていうアレ)
おれはこれをもっと早く知るべきだった
https://b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Fmatomebu.com%2Fnews%2Fetv-kameishizuka%2F
でも結婚せずパートナーシップを契約等で築くと実質結婚を否定しパートナーシップが機能的にうわまわれるなら、その上で年金納付が意味なく不要だというのならそこを突くとかありなんじゃないかな?
結婚できない意味ないではなく結婚してないけど上回っていると示したほうが意見としては効果的だと思うわけだけど、どうだろうか。
天皇の子ってのも戸籍とか血縁とかなんの定義もない雰囲気だけの言葉でしょ。それが日本人だみたいな言い方であって、いいかたもまあイマイチだけども。
だれでも気軽に結婚をっていうより、パートナーシップって制度を確立する方向で現状取り組める事があれば取り組んで、そのうえで結婚の不要論から結婚に内在するパートナーシップで補える部分を抜いていってスカスカになった結婚論を不要としたほうがスマートなんじゃないかと考えたりする。
いつのまにかTVerがめちゃくちゃ進化して、androidテレビにもインストールできるようになってる!
この日をどれだけ待ち望んだことか!
我が家のテレビはandroidテレビなので、もうこれで好きなだけテレビ番組を見られるようになった。
テレビ番組なんて別にリアルタイムで見る必要ないし、何なら放送終了後にすぐに見られるようになるし、これはもうアンテナ線いらないでしょ。
そもそもテレビなんてたいしてみてなくて、もともと契約なんてするつもりはなかった。
嫁さんもそれには同意してたんだけど、契約しろってやつらがとにかくうるさい。
あまりにしつこいから頭にきて本当にアンテナ線を抜いてテレビなんて何年も見られないようにしてあった。
今度来たら間髪入れずに家に招き入れて、アンテナ線のささってないテレビを見せて二度とくるなと言ってやるつもりだった。
ところが、嫁さんが妊娠してちょうど産休にはいったタイミングでまたこいつらが来た。
身重だし色々とデリケートなものも部屋に置きっぱなしだったので、アンテナが抜けたテレビを見せるために部屋に入れるわけにはいかなかった。
妊娠中で体調が優れなかったこともあって歯切れの悪い対応になってしまったからか、たちの悪いことにこいつらは日中を狙って何度も来るようになった。
わりとつわりも重かったこともあって、何度も何度も、時にはやっと昼寝できた頃とかにも来たりして、軽くノイローゼになってしまって嫁さんがとうとう折れてしまった。
「こんな思いするくらいなら契約しちゃおうよ。これから子育てで家にいる時間も伸びるし、教育番組も役に立つし。」と。
妊娠中の体にこれ以上ストレスをかけるわけにも行かず、渋々承諾。
それこそ子供を寝かしつけた頃にインターホンなんて鳴らされたらたまったものじゃない。
こんなの恐喝以外の何物でもないと内心では思いながら、「次来たときに契約していいよ」と承諾。
それから10年。どうせ払うのだからしっかりもとを取ってやろうと、教育番組には大変お世話になりました。
小学生に上がった子供は、もはや教育番組なんて見向きもせずyoutube。
youtubeで話題になっているアニメやバラエティを、逆検索して見るような感じでしかテレビを見ていない。
嫁さんも最近では韓国ドラマをabema TVで見ている程度で、特にテレビにも興味はなさそうだ。
それでもたまーに、バラエティなどテレビで見たい番組があるらしく、以前のようにアンテナを抜くのはやんわりと反対をされた。
受信料は契約である以上、虚偽の申告で解約してその上でテレビを見続けていた場合、契約をしないで見ていた立場と比べてものすごく立場が弱い。
だからこそ彼らはどうにかしてでもとりあえず契約をしたがるのは知っていたつもりだった。
その、週にたった何時間かのバラエティやアニメを見たいがために、解約ができないでいたのだ。
最近やたらと民放がTVerを推しているので、どんなものかとつかってみたらものすごく使いやすかった。
フジテレビだけは別アプリが必要だが、その辺の受け渡しもスムーズで特にストレスもない。
聞くところに寄ると、違法アップロードで収益にならないくらいなら、使い勝手良く期間限定で録画を流すことで広告収入をダイレクトに受け取れたほうが良いだろうという判断らしい。
まさにその通りだと思う。
しかも旧態然とした受信料なんて仕組みのおかげでテレビ離れが加速しているだなんて、民放にしてみればそんなのはとんだとばっちりでしかない。
違法アップロード対策と言いながらも、NHKの受信料システムから脱却できる素晴らしい仕組みだと感心すらするほどだ。
すでに家族内の決議は取れている。
アンテナも引き抜いた。
なんて晴れ晴れした気持ちだろう。
人の弱いところにつけ込んで取った契約で食った飯はうまかったか?
「我が家はアンテナは差し込んでおらず、オンデマンドでしか番組を見ていませんのでお引取りください。」
いまからあいつらにこのセリフを言ってやりたくてうずうずしている。
テンションにまかせて書き終わってハテナ見たら似たような内容の増田が上がっててものすごく恥ずかしい気持ちになりました。
これだけあらゆる医療従事者があちこちで発信する中で、小林よしのりコロナ論推しには心底がっかりだが、
日本の医療サービスの特性についての認識は、この上もなく正しい。
そういえば石破は加計学園問題でも獣医師会の利益を代弁する存在でもあった。関係ないか。
一方どうしようもなくダメだと思ったのはこの辺り。
かくなる上は、感染者数ばかりに注目することなく、限界ある国家資源や医療資源を、重症者と死亡者を減少させることに重点化して配分すべきなのではないでしょうか。
「どうすれば重症化・重篤化しないか、どうすれば死に至らないかが重要であり、対策も情報発信も、このことを重視すべき」と昨年の感染初期よりテレビなどでも何度か申し上げてきたのですが、なかなかそうはなりません。
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-3bb9f8.html
感染者数のみが増大し、重症者数が横ばいであるならこの手の戯言も許されようが、感染者増に伴って重症者も増えてるんだよ。(https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/)
検査拡大のせいー、とか、何でそこだけそんな愚かやねん。理由なんかどうでもいい。事実、重症者は増えている。
軽症者とは「いつ重症化しするか分からん患者」のことだぜ?まさに日本の医療サービスの優れている点は、こういう軽症者を入院させて経過を観察すらことに他ならないのは、石破も分かっているだろうに。
結局のところ、「重症者と死亡者を減少させる」ために、感染者を減らす以外にどんな方法があるの?という話なのよ。
だからといって、完全に破綻した理由で行動制限不要論をかますのは、さすが緊縮論者石破の面目躍如といった所だ。これ以上の補償だけは死んでもやりたくないんだろう。
話の中身はタイトルそのまんま。内容としては「字だけでずっとやってきたけど、絵描いたら人の苦労が分かってコンプレックス消えたよ」って話。おわり。
あとは腐女子のお気持ち長文。気持ち悪いと思う輩は散れ散れ。帰ってココアでも飲め。時間の無駄や。
字書き10年やってて交流無しでもボチボチ感想もらえるようになってきた。
自分の書く話好きだし、2~3年前から正直メキメキうまくなったなーと思う。当社比だけど。
自CPの布教のために書くのが楽しかったし、自分の作品で少しでもABにハマってもらえたら……と思ってずっと書いてきた。
けどクオリティを上げれば上げるほど、どうしても絵には敵わないって気づいてしまうんだよな。
絵や漫画が1万RTされてるのは見たことあっても、小説のリンクが1万RTされてるのは見たことなかったから、
「どんだけ頑張っても小説は絵と比べて伸びないな」「アンソロ小説不要論とかもあるし、小説っていらない子扱いなんやな」と
勝手に思い続けてきた。
だから絵を描き始めた。少しでもコンプレックスを消したかった。
描けないとか言ってわけのわからん僻みをこね回してるよりかは、そっちの方が建設的だと思ったからだ。
そしたら神絵師の人はどれだけ絵を描くのに頭を使ってるか、実感として分かるようになった。
なんやねん、この線の強弱。影の付け方。瞳の描き方。表情の豊かさ。完璧すぎるわ。
それがササッと描けてるなら、ササッと描けるようになるまでどれだけの枚数を描いてきたんや。
絵を描こうとしてみるまで分からなかったことが、絵を描こうと試みたことでたくさん分かるようになった。
それと同時に自分も小説を書くときに同じぐらい頭を使ってることに気づいて、
「なーんだ、かかってる手間はどっちも同じなんじゃん。小説だからって卑屈になる必要ないんだ」って思えた。
私かてキャラの心理描写するのとか、おおまかなストーリー組み立てるのも三十分ぐらいでサーッとやっちゃってるけど、
それはこれまでの積み重ねがあるからで、小説を書き始めたころはそんな風には絶対できなかったと思う。
というか、ハイクオリティなものを作ろうと自分に挑み続けてる全ての人を、心から尊敬してる。
けどやっぱり相手のやってることの解像度が上がるだけで、こんなにも尊敬する気持ちの質がより深いものへと変わるんやなとメチャクチャ意外な気持ちになった。
あとオマケではあるけど、自分のコンプも消えて嬉しい気持ちでいっぱいになった。
絵は中学生以来描いてないし、ホンマにマジで下手くそなんだけど、楽しいから字を書く傍らボチボチ続けていこうと思う。
どっちもかけたら、それが一番強いと思うし。
学生時代からの友人がかなり過激なマスク不要論者・コロナはただの風邪派になってしまった
twitterでもコロナ脳はアホ、マスゴミは悪!マスク警察自粛警察乙ww堀江に潰された餃子店は自業自得wみたいなことを本当に原文ママ投稿したりリツイートしたりと大層うるさいのだが、
ついでに電通氏ね!飯塚は死刑にしろ!鬼滅ブームうんざりだの単なる正義厨や逆張りガイジなだけでは的な発言も増えてきて、人の思想は自由だとは思うが流石にウザすぎて最近ミュートにしている
失礼な話だけど元々アスペ気質で(本人はアスペではないと主張しているが)、いまいち空気が読めない上に我が強いのでいじめられては職場を転々としていたり
公衆の場でちょwwだのマジキチだのキタコレ~だのネットスラングを口に出して大声で言っちゃうタイプで一緒に居ると少し恥ずかしくなるため友人グループ内で遠巻きにされていたが、
傍目から見てそう接されているばかりなのも可哀想だという感情からウザい所に目をつぶって根気よく付き合っていた子ではあった
結局自分も彼女に付き合いきれずにフェードアウトしてしまうのかと思うと少し寂しいが、
もしコロナに罹ったら彼氏くんの職場に迷惑がかかるから自殺するしかない…と真剣そうに語るなど最近輪をかけて香ばしくなってきており
ドクターの数が半減ってやつ、一番多かった頃って産めや増やせやでただドクター増やしてた頃でしょ。
結局ドクター取ってもポジションがないからって増やすのやめて、ドクター取る人も減って。
そもそもドクターが増えたら勝手に科学技術全般が向上するのか疑問だから件の見出しは釣りっぽくて嫌いなんだけど(というか釣りだと思ってる)、ドクターが活躍する場が増えたらいいのだろうなとは思っている。
で、日本でドクターがありがたがれない理由の一つは敬意ではないかと思う。
欧米だったら敬称として会話でもDr.とかPh.D.を使うけど、日本人が日本語で話す時はまず付けない。文章でもまあ付けない。
それこそノーベル賞を取った時くらい。
ちょっと前に将棋のひふみんが棋士は引退しても棋士であって元棋士ではないとツイートしていたけれど、日本は敬意を表すことにうとすぎる。
そういった意識が回り回って、企業でのドクター不要論に繋がる一因になっているのではないか。
ドクターの数がピークだった頃だって自民党政権で、あの頃はあの頃で批判があって、その批判を無視してなのか単に知らないのかわからないけど、減ったことだけに文句言ってもね、って思ってしまう。