はてなキーワード: 不要論とは
私「唾を飛ばさないようにするって考え自体はいいと思うけど、インフルエンザが流行ってるときにマスクしてなかったじゃん。急にどうした?」
コ「インフルエンザはワクチンも治療薬もあるから。全然違うから。」
私「全然違うね。インフルエンザの方が致死率高いし、子供の方が重症化するし、脳に後遺障害が残ることもあるもんね。」
コ「で、でも…コロナはまだ未知のウイルスだから…日本は抑え込めてて致死率低くなってるだけで…」
私「抑え込みなんかで致死率が変わるかよ。インフルエンザより怖くない病気なんだよ。そこは認めろ。」
コ「でも世界中でロックダウンとかして、抑え込もうとしてる病気なんだよ!?」
コ「今もそうだよ。」
私「なんで2月で情報止まってんの?毎日新しい情報出てんだろ?入れてけよ。流行り出した時は、味覚異常が出ることとか、持病がある人だけ重症化することとか、子供は症状がほとんど出ないこととか、知らなかっただろ?でも今は知ってんだろ?」
私「それは従来のコロナウイルスも同じ。風邪って種類が多すぎて、ひとつひとつがどんなものなのかなんてわからないんだよ。わからないまま生きてる。わからないから、重症化・死亡リスクを低くするために、免疫力を高めたり、普段から健康に過ごすことが大事なんだよ。」
私「逆だ。家に引きこもってたら身体が弱る。学校や体育の授業が何のためにあるか知ってるでしょ?外で身体を動かしたり、みんなで笑ったり、趣味に没頭したり、美味しいご飯を食べたり。そういういつもの生活が免疫力を高めるんだよ。」
私「そうなのよ。わかっていただけてよかった。」
コ「でもマスクはいるでしょ。マスクさえすれば旅行も行き放題!ライブもイベントもセクキャバもオールオッケー!」
私「マスクなんて雑菌まみれだし要らんと思うけど…まあ今日のところはそれでいいや…。」
前回は平行線からの敗北逃亡をしてしまったので、無理矢理感はあるけど勝利に持っていってみました。無理がありますね。『洗脳完了思考停止マン』を説得するのって難しいですね。
「新型コロナウイルス治療薬は既に2つある。名をレムデシビル、デキサメタゾンという。」ということだけでも覚えて帰ってもらえたら幸いです。
夜桜たまは偉大であった
彼女の動画によって、麻雀という(ルールが複雑でとっかかりにくい)ゲームに多くの新規ファンを呼び込んだのだ
当然楠栞桜も同様に偉大であった
その偉大さ故
「”麻雀がきちんと打てて”可愛くて麻雀新規層に発信力のある女の子」
そんな偉大な彼女ではあるが、ecがどうこう裏でざわざわしている最中に今回のnote事変が起きた
現実に示されたアドレスの文字列に、夜桜時代の疑惑を重ねてみると、非常に残念なことだ擁護の余地が限りなく少ない
では、麻雀業界(というか一部の企業)は、そのような人物を広告塔に据えたままでよいのだろうかという疑問が出てくる
もし今回の疑惑が全て事実だとしたら(事実の可能性がとても高いが)、
情報漏洩や虚偽発言をする人物を業界(というか一部の企業)でプッシュしていくことは、
麻雀業界そのものへの信頼を揺るがしかねない(ただでさえ麻雀のイメージはよくないのだ)
だが、楠栞桜には代わりとなる人材がいないという事実があり、仕方のない側面がとても大きいのだ
本当にそうだろうか?
楠栞桜の価値とは、「”麻雀がきちんと打てて”可愛くて麻雀新規層に発信力のある女の子」という点であった
これを完全に満たす人材は今のところいないが、これの半分を満たす人材は既にいるのである
これは主ににじさんじ勢が大きく担ってくれていた
にじさんじで行われた雀魂の大会によって、麻雀を新しく覚えてネット麻雀を始めた人はかなりの数存在している
新規層に発信力のある人物は、もはや楠栞桜に頼らずとも十分にいるのである
これも今や咲乃もこや千羽黒乃が十分に担えている
にじさんじの大会によって間接的に日の目を浴び、インフルエンサーもそれを後押ししてくれたし、
今のライトプレイヤーも時間を経ることでしっかり打てる人は今後増えていくことだろう
麻雀をしっかり打てるバーチャルの女の子も、もはや楠栞桜に頼らずともきちんといるのである
楠栞桜のポジションを今すぐにとって換われるクラスの人は未だにいないが、
使いどころをきちんと選べば換わりは十分にいるのである
当初楠栞桜を起用した冠番組を作っていたYostarは、群道美玲を起用した新たな番組を立ち上げているし、
最近、ノーコードが流行っていますね。誰でもコーディング不要でWebサイトやアプリが作れちゃう。
中には、それで収益を上げている人もいるようです。
ただ、ガートナーのハイプ曲線で見ると、今ノーコードは流行期だと思います。
なので、これから反動期がやってきて「やっぱノーコードはダメだ!」という時期がやってきます。
なので、少し気が早いけど、ノーコードの次に流行りそうなモノを予想したいと思います。
私はノーコードの次にクラウド開発環境が流行ると思っています。
今って殆どの場合、ローカルでターミナルやVSCodeを立ち上げて開発しています。そ
れらを全部SaaSが提供するサービス上で開発する流れがくるんじゃないかと思っています。
私が思うに、開発環境って全然クラウドネイティブじゃないんですよね。
プログラミングをやるためには、ハードウェアもちゃんとしたものを揃えないといけません。
少し前、メモリ16GB以下のPCだと人権がないというツイートがバズっていました、まだまだハードウェアに依存している部分が多い感じです。アプリ開発だと、未だにPCとスマホをケーブルで接続するか、同じネットワーク環境に接続する必要ありますしね。
そこで、もし開発環境がクラウド化してSaaSとして使えるようになれば、ハードウェア的な問題には悩まされず、家ではノートPC、移動中はスマホみたいな感じで開発できるようになる時代がくるかもしれません。
https://speakerdeck.com/twada/understanding-the-spiral-of-technologies
こちらのスライドは、 Developers Summit 2018 でベストスピーカー賞を取った和田卓人さんのスライドです。
技術の変化は流行り廃りの振り子のように見えて、実は螺旋状に進化しているということが書いてあります。
このスライドでは、集中と分散が例として上がっていますが、ノーコードにも同じことが言えます。
実は、数年前にノーコードによく似たMDAという技術が登場したりしました。
登場した当時は今のノーコードっぽい持ち上げられ方をしていて、エンジニア不要論がでたりしてました。
しかし、残念ながらMDAは開発の主流になることはありませんでした。
ツールが高いなど、いろいろ敷居が高かったことが原因だと思います。
じゃあ、ノーコードはMDAと何が一番違うのかというと、SaaSとして提供されていることだと思います。
誰でも、そのサイトにアクセスして、アカウントさえ作れば、開発をスタートできます。料金も無料から初められるものが多いです。この手軽さが、MDAにあったエンプラ感を解決し、今のノーコードの流行を後押ししてるんじゃないかと思います。
先程の技術の進化は螺旋理論で行けば、ノーコードで取り入れられたSaaS化の流れが、今のコーディング環境に取り入れられる未来も想像しやすいと思います。
ネットに繋がりさえすれば、すぐにどの言語でも開発をスタートすることができるようになれば、多くの人にプログラミングの門を解放すると思います。
先日、GitHubがオンラインエディタとしてVSCodeベースのエディタが使えるようになることを発表しました。
すでに、GitHubはActionやPagesなど、ビルド環境やホスティングのサービスを展開しています。
そこに、エディタも登場してきて、いよいよGitHubだけで全てが完結してきそうな流れがでてきました。
オンラインのプログラミング教育サービスのPaizaやProgateもクラウドで開発環境が用意されブラウザでアクセスするだけで、すぐに使えることを売りにしています。
この流れで、toB向けの開発環境も、どんどんクラウド化していくんじゃ何でしょうか?
近い将来、GitHubのアカウントさえ開設したら、アプリやWebサービスの開発から公開まで行える時代がくるかもしれませんね。
今のノーコード系ツールって、コーディングは不要にしたかもしれないけど、設計力は求められるんですよね。
むしろ、ノーコードでアプリを作るほうが、実装のサンプルが少ないぶん、普通のプログラミング言語より、設計力求められるんじゃないでしょうか?
今どきは、どの言語でも少しググれば、やりたいことを実現する方法はでてきますしね。
なんというか、今のノーコードは、NewsPicksの記事がでたあたりから、バズワードになっちゃった気がします。
「コーディング不要でアプリが作れる!」という言葉だけ一人歩きして、プログラミング能力自体が不要と勘違いさせちゃってます。
たぶん、もうちょっとしたら「コーディング不要」につられてやってきた大量の人が「やっぱダメじゃん」って言い始める時期が来ると思います。
多くの人は、アプリやWebサイトを作る設計力は持ち合わせていないと思うので...。
次にノーコードが流行り始めるとしたら、設計も面倒見てくれるようなツールが登場するころだと思います。
そのときに、ノーコードいう名前か、別の名前で呼ばれているかはわかりません。
というわけで、ノーコードの次はクラウド開発環境が来る!という予想でした。
もし、この予想を信じてくれる人は記事を「いいね」してくると嬉しいです。
最後に、ノーコード自体は、多くの人にアプリ&サービス開発の扉を開かせる大変素晴らしいツールだし、無料で始められるので、気になっている人は片っ端からやってみることをオススメします。
それでは。
おけパや読書感想文必要不要論争で、様々な増田やツイートが上がった。
おけパの夢女子になる人、誰かのおけパだったと言う人、七瀬/友川の気持ちが分かると言う人、長文感想の書き方をまとめてくれる人。
でも、根本的に感想が書けないというツイートはほとんど見かけなかった(あくまで私の目の届く範囲だが)。
「長文の」感想が書けない、(解釈違いが怖い、長文が気持ち悪いと思われたら…と不安になる、などの理由により)送るのが憚られるから書けない、は見かけたが、そうじゃないのだ…。そうじゃ、ないんだ…。
共感してくれる人がいるといいな、と思ってこれを書いている。
学生時代、大好きな小説を読んだにも関わらず、読書感想文をあらすじと概要で埋めてきた。
自分の好きなシーンを細かく説明して、「良いと思った」「素敵だと思った」と付け足すだけ。
これを5セット~7セットくらい繰り返すと1600字が埋まった。
長文感想の書き方の「感想とは」の項目で、次のような書き方が載っていた。
①「どの部分に」
②ーa「どう感じたか」
③「そのように思った理由」
① 「どの部分に」
これは分かる。
②ーa 「どう感じたか」
これは分かる時と分からない時がある。感情が動いたことは分かるが、何を感じたかは分からないことが多い。
「エモくなった」「嬉しかった」「悲しかった」くらいしか自己の感情を認識できない。
感情の分類が5歳児である。(昔よりは分かる様になったけどね)
ここは完全お手上げである。何も解釈していないし、理由なんてない。本当に勘弁して欲しい。
そんな私が感想を書こうとするとこうなる。
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○○さんの新刊、読みました!
イチャラブっていいですね…。
次作があれば楽しみにしています。
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…こんなん、本読んでなくても書けるやん?!?!
私は本当に読んだことを伝えたいし、どれだけ悶え狂ったのかを伝えたいのに、1ミリも伝わらない。なんだこの文章は。