はてなキーワード: デザイナーとは
どんな業界でも圧倒的多数は搾取される側。搾取する側はほんの一握りのさらに一握り。
そして搾取される側は搾取する側に完全にキ××マ握られてるから一切反抗できない。
できるのは自分のいる業界をデザイナー業界に仮託して叩くことだけだからそうしている。
それだけのことだ。
パクリ云々言われているが、デザイン業界の端くれにいる身として、
佐野研二郎氏は、グラフィックデザイン界の最高の名誉とも言える、亀倉雄策賞を受賞している。
それでもこの騒ぎ。
で、同じように亀倉雄策賞を受賞した植原亮輔氏。
彼は昔、シアタープロダクツの一連のグラフィックでこの賞を受賞している。
特にロゴに関しては、私はかっこいいな、やっぱすげえなと思っていた。
でも。。
シアタープロダクツのロゴって、ドイツの食器メーカーのLINDNER KUEPS BAVARIAのロゴとそっくりなんですけど。。
参照↓
http://www.theatreproducts.co.jp/
LINDNER KUEPS BAVARIAのロゴ
http://www.marksandlibrary.com/marks/ceramics/mark-6435_lindner-kueps-bavaria-sun
なんか。。結構みんなパクっているのか?
二次創作する権利=当然あるべき権利と考えていて、外圧でその当然の権利が侵害されようとしている!と必死なのを見るとさ。
「えっ漫画とかアニメのキャラ勝手にパクったエロ漫画描いて堂々と売っていいの?そんなの許されるの??」ってのはごく普通の反応だと思うんだよね。
海賊版とか芸能人アイコラ(懐かしい。つか今でもあるのか?)と同じ扱いでしょ。
でも同人界隈って、それが「ごく普通の反応である」と言う認識すら無くなってるよね。
そういう反応をする「一般人」は頭がおかしい、オタク差別をしている、創作に対する知識が足りないだのと言う。
それって件の五輪エンブレムだのトートバッグの件で「一般人」に叩かれまくってるのに擁護しているデザイナー連中と何が違うの?
美術的素養がない人が観客のほとんどを占める場所で美術的素養のあるデザイナーが作った美術的作品であるデザインを使う理由がまったくわからない
こういうこと書き込む人ってどんな仕事してるんだろう
もしデザイナーだとしたら負け犬感半端ないからまさかデザイナーではないと思うんだけど
そうだとしたらデザインの仕事してるわけでもないのにドヤ顔で業界語っちゃってることになるし
いずれにせよ恥ずかしい人なんだろうなーとしか。
えーっとそれはあのロゴを作った人だけでなく、
⑥電通博報堂の連中が我々庶民に敗北するのをみたい そしたらスッキリ
⑦自称センスのいい連中が我々センスの悪い連中に敗北するのをみたい そしたらスッキリ
他になんかある?
エンブレムの件以来、いくらなんでもデザイナーやデザイン業界がバカにされすぎてて腹が立ってしょうがない。
普段デザインのデの時も興味のない、センスも何もない奴らがなんで上から目線で叩きを続けてるんだろう。
【互助会とか言ってるけど、互助会に入るためのハードルがどんだけ高いと思ってんの?】
多摩美武蔵美を出てもほとんどはカスみたいなデザイン事務所に就職してる奴らだらけで、
電博に入れるのなんてエリート中のエリートなの。その時点で「選ばれた人たち」なわけで
センスのかけらもない一般人のお前らが叩いていい相手じゃないの。
どうせしょうもないデザイン専門学校とか出てるクソみたいなデザイナーなんだろうけど、
お前らのせいでデザイン全体のレベルが下がってるのでデザイナー面しないでもらえますか?w
お前らなんて建築家に対しての土建屋みたいなもんなんだからしゃしゃり出てくんな。
【まさか普段デザイン展に行ってもいないくせに叩いてないよね?w】
あんだけ上から目線で叩いてるってことは、デザイン展とかもきちんと見に行っている
そういうのを見に行ってないくせに叩いてるやつは自分を恥じたほうがいいと思うけど。
まとめてくれてありがとう
しかしなぜ、匿名の自称デザイナーって文章下手なのかね。(観測例2件目)
テーマがあって造詣していくもんだと思うんだが。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150814-00000242-sph-soci
すげーな、面の皮が厚いっていうかなんていうか。
こいつの妻が「あれは部下が勝手にやったもの健次郎くんは悪くないもん!」って
いみわからない発言しちゃったもんだからもうそれに載ってくしかない、と思ったのかな?
まあ多分、こいつがまともにデザインやってるわけじゃなくて部下なり外注なりで適当にやってたんだろうけど
(つまりはデザインなんて誰がやっても同じだし別になんてもいい。ただただ名前だけ。その名前も博報堂関係の汚いものから持ってるだけ)
どんどん盛り上がって楽しいね!
その中で飛び交う「駄サイクル」というワードは考えさせられる。
今の美大生は本当にアニメ・漫画で育った層ばかり。デザイナーや画家の名前を全然知らない子の方が多い。
知っている子は大抵裕福な家庭に育った教養ある子(美大に入るだけでも裕福だけれど……)
入ってから学べばいいのだけれど、昔以上に美大生も時間に追われて悠長に時間が作れない現状。
ここで、アニメ・漫画を卑下するのは違うと思う。それは一昔前にされつくしたし、
批判の矛先は、美術・デザインに関する日本の教育のずさんさに対してではないだろうか。
裕福で教養ある子だけで、デザイナー・作家にもてはやされてたら、そりゃ駄サイクルになる。
戦後のグラフィックデザインは、一時日本が世界をリードしていたくらい力があったみたいだけれど、
これを知っている若い子は美大に入った子でも僅か。世間一般では本当に極々一部だと思う。
決してデザイン・美術を"高尚な側"に置きたくはないのだけれど、
(漫画・アニメの知識だけで漫画・アニメを作ってしまう内々のサイクル。もちろん全てがそうではない)
に対して美術・デザイン教育を見直す事が、デザイン・美術業界ないしはサブのカルチャーである
クールジャパン戦略も、このくらい包括的に計画して実行して欲しい。
でも、国や学校教育が柔軟に対応するという、絶望的な可能性にかけるよりは
美術教育を受けた人間が、お高いところ(実は高くない)から降りてきて、噛み砕いて啓蒙するのが一番ではないか。
デザインに限らず美術の賞(もしかしたら文学とか文化系全体?)ではコネは大きいと思う。とは言え、能力のない人間では賞は取れない。コンペで勝ち残った作品はやっぱり美術的に見たら素晴らしいよ。スポーツと違って数字では計れないから説明するのは難しいけど。
「素人には分からない」って言われると腹たつかもしれないけど、何十年も自分の目でAB判定してたら流石に見る目は出来る。自分は武蔵美多摩美でもないし電博でもないデザイナーだけど、コンペで勝つ作品はやっぱり素晴らしいと思うよ。
そのあたりはまだ何とも言えないと思う。ソース2ちゃんだしね。
気になっているのは2点
十分な数の賞があれば、都合の良い賞だけ選び出す事で偽のダサイクルを捏造できる。
ノストラダムスの大予言みたいのでも良くある手法だよね。
せめて、デザイナー関連の賞の総数とそれに関わる審査員延べ人数がわからないと何とも言えないと思う
例えばノーベル賞とフランクリン・メダル、ディラック賞あたりの受賞者、審査員を適当に組み合わせれば
偽のダサイクルを捏造できると思う。
私は大昔に美術大学グラフィックデザイン科を卒業し、デジタル以前から現在まで、デザインで飯を食ってきたが、
いつの時代でもデザイナーというのは(就業人口の少なさという意味で)マイナーなので、
一般からは業務の実際を知られていないなあと思う。
オリンピックのエンブレム問題から派生した諸問題に、周囲のデザイナー界隈は今、みんなウンザリしている。
そんな中で、とある記事のブコメに典型的な「普通の人」の意見を見つけ、
ああ、残念だなあと思った。
曰く、「デザインという感性の世界の作品に、コンペで優劣を付けることが可能か?」
私の答えは「はい。優劣の評価は可能です。点数を付けることだってできます。
ただし、一定の得点を越えると”感性”の差ではなく、一種の”政治的判断”で得点が変わります。」となる。
デザイン=感性みたいなふわっとした物言いに、とても違和感がある。
「感性」とは置き換えればカッコイイ・美しい・訴求力があるものの選択能力だが、
商業デザインのプロは、それらを理論化・数値化・データ化して考えるものなんだ。
上記のブコメのような質問は、プロフェッショナル否定論につながる。
デザインを構築する要素の大部分は、実は厳密な理論や、歴史から学んだハック、
わりと理系寄りな教養とトレーニングの積み重ねがないとプロになれない。
また、そうでなければ、安定した職業として成り立たない。
例えば、話題の多摩美術大学の、2014年度履修科目の中から『共通基礎教育科目』を見てみるといい。
絵ばっかり描いているわけじゃないのだ。
一部抜き出すと、
心理学/芸術心理学/造形心理学/歴史学/日本文化史論/文学/美学概論/美学/考古学/文化人類学/民俗学/芸術と科学/図学/日本美術史概論/東洋美術史概論/西洋美術史概論/宗教学/人間工学/色彩論/芸術材料学/近代デザイン史/染織史/文様史/写真論/社会心理学/マスコミ心理学/映像メディア論/情報論/情報工学演習(コンピュータ基礎、情報機器の操作、3DCG)/総合講座デザイン論/現代工芸論/服飾文化論
基礎学問を学んだ上で、自分の手を動かして作品を作る実践授業を受ける。
(特に「造形心理学」「色彩論」あたりは、自分が学んだ頃よりずっと進化している学問分野だろう。)
すると、おのずと他人の作品を見て、「こういう背景をふまえて、こういう意図で作ったな」という
「プロなら分かる」って、どこの分野でも同じだろう。
プログラマならコードを見ればわかる。八百屋なら野菜を見ればわかる。
でも「何をどうわかってるか」を他人に伝えるには、膨大な説明が必要になる。
しかもいざ説明しようとすると「長い、3行で」となって聞いてくれない。
多くのデザイン関係者が今でも「オリンピックのエンブレムは盗作に当たらない」と断じているのは
まさに上記のような、職業人としての訓練の結果(及び法的手続きの結果)だが、
現役美大生です。
いろんなまとめサイトやそのブコメなどで「多摩美やムサビは同じ出身校同士の結びつきが強い」「電博(電通・博報堂)とのつながり」というコメントがちらほら見受けられました。それを一言で「身内褒め」でピシャリと言い切ったものもありました。
今まで僕はギャラリーでサノケンや佐藤可◯和、森本千◯、長◯りかこなど、美大生の間では名の知れたデザイナーの作品を数多く見てきました。その作品を見るとたまに、またか…と思ってしまう自分がいました。まだデザインの仕事に深く携わっていませんのではっきりと言い切ることはできませんが、色々な人達が指摘した通り、身内褒めは存在すると思いました。
まず電博のエリート派閥にいるのはほとんど芸大ムサタマです。そして電博に就職したいと思っても面接を受けられるのは学校が決めた成績上位者の極一部だけです。ゾシビやゾーケーが電博にいないわけではないと思いますが、芸大ムサタマ以外でドカンと売れるデザイナー(野田凪、吉◯ユニなど)は電博出身ではなく、電博出身で独立したデザイナーの事務所に所属したのちフリーになるという流れです。だから電博と芸大ムサタマの結び付きが強いと言われるのです。
またエンブレムの件で言えば、前作の亀倉雄策のデザインが圧倒的というのもありますが、美大や芸大や専門学校とかの美術的な素養がある人達の間だけでウケるグラフィックってやはり存在します。ではなぜ芸大や五美大にいる人達が見たものが良いとされるのか。一目エンブレムやロゴなどを見て「ここが良い、ここにメッセージが含まれてる、ここが足りない」といった、デザインに隠された欠点やメッセージを読み解く訓練をしているからです。「デザインが分かる人」のイメージは概ねこれだと思います。美大生の間でもそれは同じです。
しかしこの目が肥えていくうちに、美術的素養がない人の作品の見方に大きく差が開いてきます。これが身内褒めを促進させるのではないかと思っています。
デザイナーや専門の批評家同士、ワカッテル人達に絶賛されたりお墨付きも貰えたりする。この身内褒めがあってこそデザイナーは自身にとって簡単には揺るがない評価を手にすることができます。デザインに詳しい人が良いと評価すればデザイナーとしての評価に直結するでしょう。これは絵画でも同じです。(他にそういう例えができるものがあるかどうか探してみてください)こうしてデザイナーのキャリアは作られます。
今回みたいにとことん目立つところで、美術的素養がない人達に発表するということがそもそも少ないのです。一般人にはどうせ分からないだろうけど、凄く良いんだよこのデザイン、と褒める人達は美術が分かる人達、つまり身内に限られてきます。わかる人が分かればいい!という独り善がりのデザインに向きやすいのです。
美術に素養がある人達でも、良いと言われているものが何故良いとされているのかを見抜けない、また理解できないことは多々あります。例えば大◯卓也がデザインしたHungry?というキャッチコピーとゾウを使ったカップヌードルのCMはとにかく業界内で絶賛されていますが、僕にはよく分かりませんでした。更に見抜く力が少ない一般人が「見る側」として圧倒的な人口を誇る中で、素養ある人達だけが分かる世界を見せてこれが優れたものですって言われてもねって感じかと思います。
もちろん十人十色で感じ方は違います。だけど美術的素養があって各々評価の基準と見方を分かってる人にはいいデザインだと見抜けても、まったくそういう知識もなしに初めて見たときには物足りなく見えたりするデザインはどうしたらいいのか。考えているデザイナーはいるでしょうか。コンペで選ぶのはみんな素養のあるサラブレッド達だから尚更です。
こんな事情だったのではないかと想像できなくもなかったので、少し書いてみようと思う。仮定の上に仮定を重ねたものなので、もちろん盛大に間違っている可能性は大いにある。諸賢には割り引いて読んで欲しい。答え合わせは、現在調査中とされるMR-DESIGNの結果報告を待とう。
今回のトートキャンペーンは、オールフリーの常飲習慣化の推進が目的だろう。習慣化してしまえば、ビールと似ていることが幸いして、ケース買いへの抵抗も少ないだろう。
ビールテイスト飲料は、夏場の渇いた咽を癒すには、ビールより適しているとも言える(個人の感想)。渇きに任せて一気飲みしても酔わないし、最も暑く咽が渇く昼間でも飲めるからだ。しかし現状はまだ、ビールテイスト飲料はあくまでビールの代替飲料としての側面が強い。シェアNo1のオールフリーとしては、ビールとは別の、大人の麦茶のごとく夏の常飲飲料化できれば、シェアの奪取ではなくパイの拡大で売り上げ拡大を見込めると踏んだ(以上妄想)。
サントリーとしては、続けて飲んでみてもらうことさえできれば、習慣化できるという自信があるのだろう。そこで「何十本か飲み続けさせること」をキャンペーンのミッションとしたのだろう。ただし、何十本=何千円分も買い続けさせるには、消費者に対してそれなりのインセンティブを用意する必要がある。「本当に欲しい・使ってみたいと思える景品」でないと、何千円も使ってくれない。そこで、「デザイン性の高さを優先して、ださくなりがちな商品訴求を排除、デザインの好き嫌いでターゲットを取りこぼさないように多様な図案数を用意した景品」というコンセプトを立てたのだろう。「佐野研次郎デザイン」を謳うのは、タレントADのブランドでデザイン性の高さを保証するため(結果的にこれがクリティカルであり、今となっては皮肉ではあるが)。トートなのは、夏に使うことの多いアイテムで、いくつ在ってもあまり困らないものとして。そして、どれかはきっと気に入るだろう30のデザイン。
問題は、30という図案の数だ。準備期間に半年もあれば問題は起こりにくかっただろうが、機動力が物を言うセールスプロモーション施策にそんな時間が与えられることなどほぼない。上記の通り、この施策は夏に行うことに意義がある。キャンペーンサイトを見ると7月頭に応募受付開始だから、広告を打つのは6月末から。トートのデザインを含めた制作が始まったのは、贅沢に時間を取れたとしてもゴールデンウィーク前、場合によっては…考えたくもない期間しか与えられていなかった可能性もある。
30の何が問題かというと、その短期間にこなすには数が多いことと、数が多い分、図案ひとつ当たりの予算が低いだろうこと。
デザイン作業そのものについて簡単に言うと、タレントクリエイターたる佐野研次郎がすべてデザインしている時間はないし、それでは割に合わないのだ。ましてや、東京オリンピックのエンブレムも並行して走っているし、きっと他にも案件を抱えていて、彼や彼の子飼いの主力デザイナーをこの案件だけに注力させるわけにはいかない。となると、デザインをするのはまだ主力を張れるほどではない若手のデザイナーたちで、彼らが挙げる山ほどの案の中から使えそうなものを佐野がピックアップし、ディレクションする、という形になる。あるいは、佐野の管理の効かない他の制作会社にもデザイン案を頼んだかもしれない。その制作会社でも、低予算短納期の案件に主力を充てるわけにもいかず、こちらも若手が主な担い手だったろう。自由度は高いので、「修業にちょうど良いし、楽しんでやってみてよ」というような塩梅で振っていたのではないか。ではその若手はというと、まだ権利関係の意識も低いまま、短い時間で案の数を出そうとするあまり、ついついインスタにプールしてある資料からアイデアや画像そのものを拝借、みたいなことをやってしまったりしたかもしれない。あるいは、アイデアを形にする素材探しに、フリー素材を当たる時間もなく手っ取り早くググって出てきたものを使ってしまったり。パンやサングラスの件は、そんな感じでカンプ(完成イメージ)制作の段階で使ったものが、予算的に本制作用の撮影もできない中、そのまま本番に行ってしまったんじゃないだろうかと想像する。
さらに、数は多く時間が短く予算もないと、広告代理店の権利関係の裏取りも当然粗くなる。すべてのデザインのフォローをしている余裕はなかったんじゃないだろうか。
もし佐野がデザインしているのでないのならば、そもそも「佐野研次郎デザイン」と銘打つことも欺瞞なのではないかという批判も出ると思う。確かに、本来は「佐野研次郎ディレクション」であるべきだっただろう。けれども、英語がさっぱりの人も多くいるだろう一般消費者にとって、横文字として「デザイン」と「ディレクション」のどっちが取っつきやすいかというと、答えは自明だ。つまり、「デザイン」のほうがわかりやすく、訴求力が強いのだ。そんな広告表現上の理由で、「佐野研次郎デザイン」を謳ったのだろう。
我ながら長い。こんなに長く書くつもりはなかったのだが。
佐野研次郎を擁護するつもりはない。誰がしでかしたのであっても、どんな理由や経緯があったとしても、「佐野研次郎デザイン」として広告主に案を買わせて世に出したのだ。その不正についても「佐野研次郎」の名の下で引き受けるのが筋というものだ。気の毒だと思う面もあるにはある。が、同じ業界で飯を食う者として、一定の責任は果たした上で決着を付けてくれることを切に願うものである。
なんでだめなの。
なんでみんなやってないっていうんだろう。
パクってるって言えばいいじゃん。
フリッパーズ・ギターだってパクってるっていってたじゃん。
いろいろ言われてるけどさ、本音のところは博報堂が第二の佐藤可士和を作りたかっただけじゃないの?
恩知らずな彼はさっさと全部自分の手柄みたいな顔して見向きもしなくなっちゃったもんだから。
佐野研二郎って見た目の押しも強そうだし。プレゼンスっていうんだっけこういうのって。
大手の仕事回すだけ回して、本人の名前でデザイン起こすだけ起こして実績作ってみたいな。
サントリーのトートに至っては本人がデザインしたかどうかすら怪しい。
アシスタントに山ほどつくらせて本人が選べば別に監修ってことになるわけでしょ。そりゃ素材の出元なんていくらでもグダグダになるわ。
それで満を持してオリンピックロゴデザイナーとして世界的デビューを果たそうとしたところでまさかの横槍から馬脚が薄皮一枚でなんとかつながってる状況って感じ?
華々しい顔出しデビューが釈明会見とか残念杉夫wwwwwwってか研二郎よりこっちの名前のほうが似合うんじゃねwww
又吉さんに飛び火させるわけじゃないけど、本にせよ芸術にせよ今の世の中ってなんだかんだ言っても偶像崇拝ないと物が売れないじゃない。
テレビがメディア牛耳ってた頃ならそれで良かったんじゃないの。
大手テレビ局が一斉に「流行ってます。」流せば流行ったんだから。
それでも最近のニュースはネットで話題になってる以上触れないわけにいかないみたいなノリでコメンテーターの顔見てるだけで笑えるよね。
擁護せず突き放して見ている側にそこまで言わなくてもって思わせるのって、クレーム対応の常套手段ですから。
この一件はいよいよ大手広告代理店カタストロフィの時代突入って感じですげぇワクワクしてきた。
イチゴシェーク飲んだら勝ち組みたいな風習は本当になくなればいいと思う。
それにしても東京オリンピックは自浄作用高すぎwww私腹肥やそうとした老害どもが総涙目wwww
今後の顛末をどうやって形付けてくのか本気で楽しみだ。期待してるぞ杉夫くんwwww
こんなクソみたいな内容はこんなクソみたいな文章でかけば十分だろ。アホくさい。