はてなキーワード: デザイナーとは
http://hosyusokuhou.jp/archives/45043247.html
デザイナーは素材として売っているものを使用してもなんら間違っていないのだ。
使用料はらっていないなら話は別だが。
「アーティストは政治的主張を行うべきではない」、「作品で語れ」。
なにもかも職人偏重文化のせいだとおもう。与えられた枠内で技術を研ぎ澄まし、寡黙にプロダクトを作り続ける「職人」への憧憬。それをアーティストにも適用してしまったことがそもそもの悲劇だ。
日本のアーティストは根っこの部分で表現者であることを求められてはいない。製造者たれ、ということだ。なんだってプロダクト扱いしてしまうのだ。美術品は金銭に還元できるものであり、究極的にはコンビニで売っているヤマザキのクリームパンと等質であると信じて疑わない。
なので、先日のオリンピックエンブレム問題を見てもわかるとおり、高度に訓練されたデザイナーやデザインはリスペクトされない。
日本人の美意識は今後百年、楽天の通販サイトから一歩も前へ出ないだろう。
ところで「アーティストなら作品ですべてを語れ」という言説は一見かっこ良く、筋が通っているように思われる。
ひとつは、表現活動はストレートに言語化できない領域を扱っている場合が多い、ということ。
明確なテーマや社会的政治的なメッセージやイデオロギーが作品内で直截的に説明されている作品や作家も世の中にはある。
しかしエンターテイメントの分野においてはリーダビリティの都合上、そうした主張は糊塗されていることが多いし、アート作品ならばそもそも既存の言説言語では語りえない(表現者自体の言語能力はさておき)ことを表現したがったりする。
ありきたりな言葉でいえば、数行のセンテンスで説明できる内容ならそもそも小説や絵や漫画や映画や写真や音楽などにせず、論文なりtwitterなりで発表するはずだ。そして、現にそうしている作家も少なくない。政治的なアーティストたちは、単に媒体ごとで最適かつ合理的な伝達形態を選択しているにすぎない。
だというのに、バカは不合理を強いるのが好きだ。
もうひとつは、作者にはテーマが選ぶ自由がある、ということだ。
あなたが政治的なレベルでピーマン嫌いだとして、戦国時代を扱った作品でピーマンの栄養学的劣位を述べる必要はまずない。
表現者の義務は自分のすべてを伝えることではけしてない。むしろ、自分の要素のうち何を削ぎ落とすかが重要になってくる。これも伝達における最適化の問題だ。さきほども言ったように、簡単に言語化できる政治的言説を人びとに伝えたいのであれば、それはそのまま作品を通さずに主張するのが合理的なのだ。
ぎりぎりまで絞った作数を重ねるうちに、全体を通じてひとつ芯の通ったテーマが浮かび上がってくることもある。その芯は作家性とも呼ばれる。だが、残念なことに作家性はたいがい作家個人のコンプレックスやトラウマに直結している。社会性などない。
選ぶのは自由なので、もちろん、社会的なメッセージ、政治的なメッセージを作品を通じて生に近い状態であれオブラートにうまく包んであれ発信する作家も多い。それは彼らがそうした方が受け手に伝わりやすいと判断したからだ。やはりそれも作家個人における選択の問題であって、乱暴なアフォリズムで普遍化されるべきものではないんですよね。
ブコメの
woodnotexx お友達だからブクマ、お友達だから褒めちぎる、お友達じゃないからこき下ろす、・・・そういうのをコミュ力って言うらしいですよ あとで読む
これ、全然違うでしょ。
単に金になるから。
まあ、そういう意味では社会における「コミュ力」により近い。特にイシキタカイ系の。
で、一番の問題はステマに通じるものだけど、良いものでなくても自分にフィードバックさせるためだけに相手を「褒める」こと。
それによって、他の人が騙されること。
今問題になってる某オリンピックのロゴを考えたデザイナーとかも、デザイナー同士で賞をあげ合う、と言う互助会。
http://ryotaroneko.ti-da.net/e7828075.html
それによって、知らない人達は「〜賞受賞者!」ということで凄い人だ、と勘違いする。
http://d-lounge.jp/blog/2014/09/7565
の様に、特定の新人賞を採ってると申し込み条件に入るのに、その本賞をとっても条件に入らない、という、明らかな意図的な物もある(今話題の人は新人賞をとってる)
この様に、いくら内輪で何らかの賞をあげあったり褒めあったりしても
外から見るとそれがまるで一般化されたもの、として見られることもある。
もちろん、はてブは一つのコメントでは誰だかわからない人がコメントしてるだけなので余り意味は無いが、
これが10人、数十人となっていくうちに、それだけの人が同じように褒めてるなら内容も正しいに違いない、素晴らしい物に違いない、と思ってしまう人もたくさんいる。
いまやお母さんどころかお祖母ちゃんでさえスマホを使うようになった時代だ。
逆に小学生でも持ってる。
一方でそれらに関する教育は一切ない。
だからこそ「ネイティブ広告」といった人を騙す様な手段が流行ってるのだ。
広告業界の人間は「PR」と書いておけば問題ない、書いてないネイティブ広告は悪だ、みたいな正義ぶってる阿呆もいるが、
「PR」と隅に書いてあったら広告だ、と認識出来る人間が実際のスマホユーザーのどれだけ居るか。
さらに言えば「広告」と大きく書いてあったとしても、その記事部分を見て「広告記事だ」と理解できる人間だって恐らく半数も居ないだろう。
なぜなら彼らは「広告記事」という存在自体を知らないのだから。
はてブを使うような人たちはそのような最下層の人よりは一歩進んだ人出はあると思うが、やはり大半は取捨選択をできる様な人ではない。
TwitterやFacebookに比べればまだましな傾向はあるが、ユーザーが膨れるにつれその傾向は薄れつつある。
それは仕方ないことではあるが、はてブ側のシステムとしてなんとか出来ないものか?
一つ出来るコトとしては、やはりブコメ数にカウントしない(新着、ホットエントリーに入れない)"ブックマークコメント"を作ることだろう。
ユーザーの中にはこれをホットエントリーに上げたくない、でも一言言わないと気がすまない、と言う人が多数いる。
また、上にもあるように、ホットエントリーに入って全てが賞賛コメントだと見た人が疑いを全く持たなくなってしまう。
そんな時に、明らかな反論や、正しい指摘があると、こちらとしても、あ、やっぱりこの記事はおかしかったんだ、あ、この部分やっぱり間違ってるよね、
とか、さらに間違いの指摘部分を自分で調べて、逆にやっぱり正しいとか、やっぱり間違ってるとか考えることも出来る。
が、反論コメントをブックマーク数にカウントしてホットエントリーに入れるのは明らかに間違っている。(本来、そのような間違った内容を否定するためのコメントなのに逆に広めるのに役立ってしまう)
なので、ブックマークの機能として、「あとで読む」とかそんな機能を追加してるひまがあったら、
「このブックマークはカウントしない」と言う機能を入れて欲しい。
「いいね」の代わりの「ダメだね」、というネガティブなカウントを導入するのが理想的だが、
これをすると、今度は逆にアンチによる攻撃の的になる可能性もあるのでネガティブカウントは危険かもしれない。
一方で、単にカウントに入れないだけであれば、少なくともそれ程詳しくない人から見れば、
賞賛コメントの数が減るわけではないし、一方で間違ってる、という訂正コメントを躊躇することなく入れられる。
はてなさん、ほんと、これ導入できませんかね?
例の東京オリンピックのロゴさー、そりゃあデザイナーから見れば全然違うじゃねえかって思うかもしれないけど。
現状マスコミ含め日本人の大半はデザインに無知無知だし、パッと見でパーツや配置が似通ってれば「似てるよねパクリかな」って感じると思うんだ。
そしてそういう人を相手にあんたらは日々商売してるんじゃねえの?
当然だけど君らは内輪で駄サイクル形成して褒めあってるたけじゃないんだよね?
だったらデザイン業界への無理解で頭が痛いとかブコメで蔑んで優越感に浸ってる場合じゃねえぞ。理解されようとしない、でも理解してくれなんてお前らはアレなのか。「何で自分をわかってくれないんだ」って他人にエスパー技能求めるタイプの阿呆なのか。
世の中のリテラシーを引き上げたかったら教育だ教育。義務教育の中にデザインの要素をぶち込んでいけ。
あと、デザイナーにとって、今回みたいにデザインのプロセスとか意図とかを公衆の面前で説明させられるのってどういう気分なんだろう。単純に興味がある。
ちょっと変な人なんじゃないかと思い始めた。
今回のオリンピックのロゴで、劇場のロゴと同じく「盗作なんじゃないか」と言われたスペインのロゴがあったけど、
「大イベントのエンブレムに着想を与えたのならば誇らしいことだが、恐らく偶然の一致だと考えている」
なんだよね。同じデザイナーだったら、普通はこういうコメントに落ち着くもんだと思う。
正直、デザインという仕事をしていたら偶然一致してしまうことなんて多々あるし、それをすべてチェック出来ないことだって理解しているはずだ。
(まして今回の劇場のロゴは著作権登録されていないわけで、明らかにベルギー人側にも手落ちの部分がある。)
今回のロゴをデザイナーという目線で見たら着想から違うのがすぐわかるし、ロゴの根幹の考え方が違うことも感覚として理解出来ているはず。
今回のような類似の仕方で「盗作だから使用停止しろ」って言い出すとデザイナーである自分たちの首を締めることになるのに、
あのベルギー人は今回「使用停止」とかまで求めていて、デザイナーの感覚からするとすごい違和感を覚える。
大体使用を停止することで何のメリットがあるのかと考えると、
「騒ぎ立てることで売名できる」「騒ぎ立てることで示談金を釣り上げることができる」ぐらいしか思いつかないんだよね。
正直あまり大したデザイナーじゃないんだろうなとは思ってたんだけど、ワークスを見て確信した。
http://www.debie.com/logo.html
作家性やこだわりが薄く、流行りの要素などを無節操に取り入れるスタイルの人みたいだ。
確かにこのレベルのデザイナーの感覚からしたら「俺の作品の盗作だろ」と思っちゃうのかもしれない。
盗作って、ビジュアルの類似よりも考え方の類似の方がマズいと思う。
なぜなら、デザイナーだったら考え方をパクった上でビジュアル上はさもパックっていないかのように上手い具合に修正することができるから。
一見ちょっと違って見えるけど、実は考え方を丸ごとパクってますって方がはるかに悪質だと思う。
逆に言うと、パクろうと決めたデザイナーは元ネタとぱっと見の見た目が被らないようにビジュアルを修正したがるもんだと思うから、
同じような見た目のロゴが出てきた場合は、逆に偶然の一致の可能性が高いとすら言える。
そういう目線で見ると、ベルギー人デザイナーのこのロゴだって「盗作」と言われる可能性がある。
http://www.debie.com/display.php?JobCatID=1&JobID=0112
同じ文字を反転させて、重ねてハートを形作るという全く同じ考え方のロゴが昔からある。
http://ks.c.yimg.jp/res/chie-0/46/529/i3/AVOY______3.jpg
色を2色にしたりしてぱっと見の見た目は多少違って見えるけど、考え方は全く同じ。
でも、これも偶然の一致だろうけど。
自分で考えたオリジナルのデザインである事を主張するのは良いよ。
同じようなデザインを複数の人間が思いつく事もあるでしょうさ。
でもね、普通の感性だったら似てると思うし、類を見ない独創性に溢れたデザインなんて感想は誰も思わないよ。
はてなブックマーク - 五輪エンブレム制作者「全く似ていない」 記者会見:朝日新聞デジタル
記事を読めば分かるが、
要素は似ているがデザインの考え方が全く似ていない、という言葉の最後だけが抜き出されているんだよ。
まぁ、朝日の要約が下手なのもあるので、もっと詳しい記事を見てみよう。
「まったくの事実無根」 東京五輪エンブレムのデザイナーが会見、盗用疑惑を強く否定 書体など詳細も説明 (1/4) - ITmedia ニュース
ベルギーのリエージュ劇場のロゴは「TとLを主軸に作られていると思う」と佐野さんはみており、Tと円をモチーフにした五輪エンブレムとは考え方が異なる。「要素は同じものがあるが、デザインに対する考え方がまったく違うので、正直全く似ていないと思った」。
例えば、五輪エンブレムはTの縦棒と横棒が接しているが、劇場のロゴは離れていたり、エンブレムは正方形を9分割したグリッドをベースに作っているが、劇場のロゴはそうではなかったり、色や書体も違うなど、「デザインの考え方もまったく違うので、出来上がりも自ずと変わってくる」と指摘。
「似てる」って言ってるブックマーカーはここまで突っ込んで観察した上で「似てる」って言ってるのか?
違うだろ?
「ぱっと見でパクリだと思いまーす」ってだけだろ?
A.デザイナーの佐野氏は、ベルギーの劇場のロゴが表す「TとL」ではなく「Tと円」をモチーフにデザインしたと発表してます。Tの背後に巨大な円のシルエットを表すために右下に銀色の△が必要となりました。この巨大な円は1964年の東京五輪のエンブレムにあやかったものです。
A.会見で公表された「A」~「Z」のデザインは、あくまでエンブレムの拡張性を示したものであり、最初に「Tと円」のエンブレムありきのものなので何もおかしくないです。この拡張性は最初からデザインの一貫として含まれていたので、今回公表された「A」~「Z」や数字のデザインは盗作疑惑以後に後出しで作成されたものでもありません。
A.今回のエンブレムのオリジナリティは、単に見た目だけではなく、エンブレムを分解して「A」~「Z」としても使えるといったデザインの拡張性にあります。この展開の分かりやすさが評価されるところです。一方ベルギーの劇場のロゴはそれができません。
ほんとそうなんだよね。
招致の桜のやつより佐野さんの案の方がどう考えてもレベル高いから。
・偶然似てしまうことはよくあること(特に佐野氏のようなシンプルでボールドなデザインは似てしまいがち)
・世界中のロゴマークを確認するなんて無理(何千万ものロゴマークがある中で、商標登録すらされていないロゴを確認しろというのは無理過ぎる)
・桜の招致ロゴの方が良かったという意見があるけど、あのロゴは造形のレベルが低い(学生のデザインだからしょうがない部分はあるけど、明らかに国際的な基準に達していない)
等々思うことはたくさんある。
でも、多くの人とっては今や真実なんてどうでもよくて、気持よくオリンピックに関することを叩けるということだけが
大切なんだと思うよ。悔しいけど、日本の文化レベルでは「所詮デザインなんて」としか思われていない。
オリンピックのエンブレム盗作疑惑の件、
盗作かどうかの判断はおいておくとして、
なんで即日回答を求める人がこんなにいるんだろう。
で、「いつからあの状態だったか不明な」デザイナー氏のサイトやらSNSやらを見て
「バックレた」とすぐさま結論を出す。
おかしくない?
対応が遅いこと自体は指摘があって当然とは思うけど、責めるのは筋が違うだろう。
そもそもデザイナー氏が今どこにいてどんな状況かも分からないのに。
デザイナー氏の発言を待ってからその内容を吟味して、
評価やスタンスを決めても全然遅くないよね。一分一秒争ってんじゃないんだから(それとも一日二日対応が遅れると盗作だってことが証明されるの?)。
twitterやLINE、facebookといったメディアの登場は、互いのレスポンスを迅速に行う事を可能にしたけれど、
「いつでもそれが可能な状況にいなければならない」という制約は意味しない。
休日にLINEで仕事の呼び出しくらうなんて個人的にはごめんこうむりたい。
技術的に可能だからといって、他人にそれを要求していい、ってことにはならないと思うんですよね。
こういう「すわ不祥事!」って時に迅速なレスポンスを期待するのは人情だと思うし、正確で適切な対応ができるならなるべく早く対応するに越したことはないけど、
状況も良く分からない他人の、しかも確定すらしていない疑惑について、
即答を求めるっていうのはさすがにちょっと違うんじゃないのかな。
明らかに緊急じゃないのに救急車呼ぶような人と同列に見える。
本当にそれ他人のリソース使って最優先に実行すべき事なのか?落ち着いて話そうよ。
書いてて気付いた。これネットバトルの「最後にしゃべった方が勝利宣言する」の亜種なんじゃないかな。反論が即答で出ないと負けにするやつ。
仮に日本人の20代そこそこの無名のデザイナーが、オリンピックのロゴは商標登録していないけど私のデザインしたロゴの盗作です!!ってTwitterで騒ぎ出してたんだとしたら
お前らどうせ訴えた方を叩くだろ。
> 可能な限り低コスト
本気で低コスト追求したら仮設住居みたいになるぞ?
安けりゃいいってもんでもないと思うが。
ザハは安く作れるって言ってるぞ?
> 絆を感じるもの
そんなもんが最大公約数か?
デザイン費は無駄じゃない。デザイナーをなんだと思っていやがる。
日本人の形のないもの(クリエイティブ)に金を払おうとしない習性は異常だよ。
随分メチャクチャだな。
例のデザイナーさん、炎上前からtwitterやFacebookを消していたという話なのに、
すっかり「逃亡」ということにされている。
いろんな人が「炎上前から消えてたよ」と言っているのに、もはや誰も聞いちゃいない。
一度炎上したらもうどうしようもない。事実ではなかったとしても一生叩かれ続けるだろう。
そもそも、なんでみんなSNSなんてやるんだろう。
何か起こったら大炎上、過去の言動を深掘りされ重箱を突かれる、
乗っ取られて変な書き込みをされる、中身を知って幻滅と言われる、
政治的な論争に巻き込まれる、会社にばれて処分される などなど
はっきり言ってリスクだらけだよね?
今やSNSってどう考えても費用対効果の薄い、リスキーなものだと思うのに
今回の国立競技場とエンブレムの件で思ったのは、税金をかけて作る建築物やデザインは多くの人の好みの最大公約数であるべきだということだ。
建築物なら
・可能な限り低コスト
・日本の伝統をモチーフに竹とか和紙を取り入れた和を感じるデザインをアクセントとして取り入れる
デザインなら
・オリンピックの場合は桜や富士山、日の丸をモチーフとしたもの
・絆を感じるもの
・どこにもない独創性のあるデザインに
といった風にすべきだと思う。
プロが好むよくわからない玄人受けデザインなんて、所詮建築家やデザイナーの内輪受けしかしないのだから、税金を使う意味はない。
日本で今人気なのは、AKBやEXILEや三代目JSoulBrothersやセカイノオワリであり、
パクリだの何だのと言われてるけど、パクリではないと個人的には思う。
デザイナーがロゴを作る考え方のプロセス上で、必ず一度は考えうる形なので。
(それは独創性無くてダメじゃね?という話は一旦脇に置いておく)
案外気づいてる人少ない気がするけど、あの形にはTとLの形が共存してる。
2文字以上の要素をロゴマークに共存させる考え方はデザインにおける常套手段で、
2人のプログラマーが似たような動作を要求されるソフトウェアを開発するときに
プログラムのプロセスが似ていたとしてもパクリとは言われないだろう。
所謂ゴシック的(※1)なサンセリフ体を元にしてあの形を組むとただの罫線だ。
色分けするのもアリだが、白黒で使われるシチュエーションを考えるともっと
パっと見て判る物がいい。
そうなると、もっと書体として判り易いセリフ体を元にしたツメ方になっていく。
形を組み合わせ、出来る限り余計な線を排除し、シンプルに、シルエットでも判るように。
どこかに日の丸を組み込むと64年の亀倉先生へのリスペクト(※2)にもなる…。
と考えて行くとあの形にたどり着くのは容易に想定される。
このプロセスと似たような形をベルギーのデザイナーも踏んだはずだ。
中村勇吾が言う「すごく基本的な形態の組み合わせのシステム」というのはこういう事だと思う。
言わないよね。デザインを説明するなんて、芸人がボケを説明するくらい恥ずかしいもの。
だから精神論に走ったり、凄い人だからパクらない!みたいな言い方になる。
それでは少しも擁護になっていないのだが、どうしても一言言いたかったのだろう。
こういう時は黙っておくべきだ。本人のように。
まあ、本人自身は「パクリではありません」の一言くらいはあるべきだけど。
そんな訳で「ありがちなアウトプットなのでパクリではない」が答えだと思う。
(この"ありがち"っていうのも同業者が変な擁護論に走ってる一つかな)
同じ答えを誰かが言ってた気もするけど、自分も書き出してみたくなった。
以上。