はてなキーワード: クリエーターとは
ごときとか言うんじゃないよ。
クリエーターへのリスペクトが欠如してる以前に、普段から他人を舐め腐っているんじゃないか?
せめて自分が同等以上の作品をつくる監督くらいの立場になってからそういう言葉を使うべきだね。
そうすれば制作やマネジメントの難しさ、業界のままならなさ、過去の自分が視えていなかった部分が分かり、
想像力がどれだけ欠如していたか、どれほど自分の都合のいいように考えていたか、そして傲慢であったかが、脳に問題がある人でも身に沁みて理解できるだろうから。
まあ俺はケムリクサは見てないんだけど、だからといって「俺の御眼鏡に適わなかった作品だしどうせゴミだろう」みたいな考え方はしない。その理由がなぜか分かったろう。
もともと吉崎の中ではイラスト=吉崎、アニメーション=ヤオヨロズという棲み分けを想定していた。
でも実際は「JRAコラボ」や「もりのおんがくかい」などでイラストが必要になり、たつきはアニメーション作成の傍らで必死にその仕事も受けていた。
存在意義が無くなった吉崎としては当然面白くないわけで、KFPAに2期以降は前述の棲み分けを迫ったわけ。
ヤオヨロズとしてはそんな条件は飲めないと断り(そもそも吉崎はアニメ版かばんちゃんを描く気なんて毛頭無い)、KFPAとしては2期はヤオヨロズに依頼する事は出来ません、となったわけ。
クリエーターがエゴを持つことは悪いことではないけれど、その事情を伏せてファンを裏切るのはダメ。この件については吉崎とKFPAが叩かれても仕方ないよ。
https://twitter.com/irodori7/status/1024303801606397956
「おまえのオーダーに従ってこっちが動いたにもかかわらず、なぜ今俺は捕食されようとしている。約束が違う」「そういう約束だったじゃないっすか、そういう約束で作業INしたじゃないですか。なんでここでリメイクがでますん」「ガって噛まれるわ、蹴られるわ、なんやったら向こうに行かれるわでどういうことですのん。弊社が触りたがったみたいになってるやん、御社が触られたがったんですやん」
-小休止-
「どうですか、具合は」「おかげさまでだいぶ調子戻ってきたな」「筆折っても、おかしくないレベルで、いろいろありましたからね」「ほんまやで。ほな、スタジオ戻ろか」
その理由はおそらく、マーケティングに営業的なオラオライメージがあり、
またコンサルに関しても馬鹿を騙す手段を身に着けたクソというイメージがあるのだろう
なぜそのような考え方になってしまうのか?
先端技術を尊重する進歩的な素養があるのに、なぜ他分野を認めないのか?
逆に認めている分野は何だろうか
分野で言えば、工学、医学、文学、脳科学、アニメクリエーターあたりの人は尊重されている
なのである程度の答えは出ている
その答えの出す方法は統計学的で有意差が出ているなもの…だったら納得してもらえるのだろうが、
社会学の扱いは難しい
私は30代なので詳しくは知らないが、少なくとも2004年パオロ・マッツァリーノの「反社会学講座」は
こないだ増田で「年下のクリエーターの創作物に熱くなれない」ってエントリがあったけど
自分はそういうのはないんだけど、逆に最近若い女の子のアーティストを猛烈に好きになってしまって
それをどこまで表に出していいのかなってことにちょっと悩んだりしてる 今のとこリアルでの知人には言ってない
私は30代前半の女なんだけどそのアーティストはアイドルとはちょっと違う所謂「ガールクラッシュ」と言われる
女の子たちをキャーキャー言わせるような実力派の女の子4人のグループで、私が好きになったのはその中の1人でまだ23歳
歌も踊りも最高にうまくてセクシーでグラマラスな体つきに長い黒髪、でも(表に出している)性格はさっぱりしていて男っぽくて
笑い声が低いんだけどかわいらしくてグループ内で最年少なのに他のメンバーの誰よりも「お姉さま」オーラを醸し出していて
お化粧したそのお顔が「お姉さま」という概念のまさに権化という感じの美しさ凛々しさで
でもそのお化粧をする前の自分のあっさりした素顔も平気で見せてるもうとにかくめちゃくちゃに素敵な「お姉さま」で、
彼女の新しい動画や新しいステージパフォーマンス見る度に私は歳を忘れてドキドキしてしまう 9歳も下の「お姉さま」に
ほんと30代の立派なババアと言われてもおかしくないくらいの年齢の女が何を23歳の女の子にお姉さまだよって自分でも思うし
ファンの子たちも圧倒的に彼女と同年代かそれ以下の年齢の女の子たちで占められてるからリアルネットに関わらず
私も彼女を好きだ!ってことをなかなか言えないなあと思う
良くてすごく才能あるよね~!若いのにかっこいい!くらいの距離感からしか好意を表す事が適切ではないように自分で思ってしまう
素直にキャーキャー好きだと言い募るのはその子達から見ればBBAが調子乗ってて痛いと思うだろうし
それでできあがってるファン間の空気を壊すのも本意ではないのでまあやっぱりこれからもきっと表に出すことはないだろう
まあそれはともかくとしてキャラクターとしての「お姉さま」という概念に
実年齢ってあんまり関係ないものなのかもな、という実感をした昨今
吉野朔実という人の描いた漫画で小学校5年生のしっかりした女の子にその同級生である主人公の少年の母親が
「キリリとしていて素敵ねえ(略)なんかお母さんドキドキしちゃった お姉さまみたい…」ってときめくシーンがあったんだけど
まさにその感覚で、二次元三次元問わずそれを認識する自分という存在を度外視して考えるとき
対象の持つ屹立したキャラクター性というものは年齢性別を超えて確実に存在し他に波及するのだなあという気がする
概念において年下でも「お姉さま」、年下でも「先輩」という状態があってそれに萌えるのは
そんなにおかしいことではないのかなという気がしてくる
勝手にキャラクター性を当てはめて消費していると言われればその通りだし
ふと自分を同じ土俵に上げてしまうと現実に返ってしまうのがつらいが、
心の中でそう思ってる分には許されるのではないか、許してほしいと思いながら
推しが死んじゃったらしい。
推しを好きになったのは、2年くらい前「隣に人が座ってる状態で、口から出せるお茶の限界は?」っていうバカみたいな動画を見た時だった。
今思えば推しらしい誰も傷つけない頭のおかしい企画で、今でも大好きな動画の一つだ。拘った編集で、5分間ずっと笑っていられる動画だ。1年経って、その動画を好きって行ってくれるクリエーターがいて、グループの代表作品だって言われたとき、推しはそんなことないって首を横に振ってたけど、私は推しの魅力がたっぷり詰まったあの動画が、私だけじゃなくて、再生回数以上に人に評価されてるんだって知れて、推しが考えたその動画が誇らしく見えた。ねえねえ、私の推しこんなに面白いことやってるんだよって。
大好きですなんて単純なことしか言えなかったけど嬉しそうにありがとうって一言返してくれたことが嬉しくて嬉しくて仕方なくて、ああ、私の推しなんだって確信した。
それから福島、鹿児島、静岡、岡山、北海道。沢山沢山大好きって伝えた。本当に本当に大好きなんだもん。大好きすぎて前に行くと大好きしか出てこないんだよ。有限な時間が憎かった。今は時間は本当に有限だったことに気づけなかった自分がもっと憎い。もっと話したいことあったのに次は次はって思ってた。
今年の11月大好きな先輩とやっと一緒になれた日。
これからもっともっと楽しいことが増えるって確信したのに、今年はあのステージに推しはいないのかな。
推しは笑ってた。
終わった後には先輩とお酒を飲んでいて、そうそう、愛されるんだよなあ推しは後輩力が高いから。って思ってた。
その後、12/22大きな舞台に立っている推しには運が悪くて会えなかったけど、中継を見て、優しい推しが優しさに救われているのを見て、優しさは巡るんだななんて思ったのはつい最近の話。次は優しい推しが好きだよって伝えたいなって思ってた。
1月は福岡で、私はこうやって色々な場所に連れて行ってくれる推しが好きだった。
2018年は遊ぶ年って言ってたけど、推しは比較的会える機会を設けてくれたし、そもそも私は推しに会えるだけで嬉しかった。
確かに、動画は毎日投稿のように頻繁に上がらないけど、一本一本が面白くて、推しの良いとこが詰まっていて、全部大好きだった。推しの良いところを存分に生かしてくれるメンバーも大好きだった。
皆、続けてくれるかな。続けてくれると良いな。
推しが大好きだった場所がなくならないでずっと続くと良いなあ。
次のイベントはどこかな。ねえ、何名義かけたら推しに会える?いくら払ったら推しに会える?でも推しに会えるチケットが一枚も出回ってないよ。私このままじゃ推しに会えないよ。
ガチ恋ほど拗らせてないけれど、推しへの感情は、likeやtrustじゃなくてloveだった。
推しがいなきゃ生きていけないってほど、執着はしていなかったけど、生まれ変わったら、もっと身近な人になって結婚したいなって思ってた。だから今世は、せめて友達になりたかった。
生まれ変わらないで戻ってきてよなんていうんだっけ転生?転生してよ。
天国ってさ時間止まるのかな。推しずっと今のかっこいいまんまで天国にいるのかな。
ええじゃあ私も早いうちに天国にお迎えに行きたいなあ。
でも天国まで追っかけたら、そしたらきっと私のあだ名は牛丼女で天国の警察に捕まっちゃうんだよ。
ねえねえ、もうとっくに8時過ぎてるよ。今日も動画あげないの?
伝説っていうのはさ、初代の人がなるものだと思うんだよ。初代仮面ライダーとか、初代ウルトラマンとか、初代のドラえもんの声とか。
そう言った点では、初代アバンティーズの推しは伝説のYouTuberとして、名を残していくかもしれないね。相変わらずかっこよくて斜め上でついていけないなあ。
もっと言葉が欲しかった。もっと推しの作る動画が見たかった。もっと笑顔が見たかった。もっと生きていて欲しかった。
推しは私の光だったのにな
推しが死んじゃったらしい。
推しを好きになったのは、2年くらい前「隣に人が座ってる状態で、口から出せるお茶の限界は?」っていうバカみたいな動画を見た時だった。
今思えば推しらしい誰も傷つけない頭のおかしい企画で、今でも大好きな動画の一つだ。拘った編集で、5分間ずっと笑っていられる動画だ。1年経って、その動画を好きって行ってくれるクリエーターがいて、グループの代表作品だって言われたとき、推しはそんなことないって首を横に振ってたけど、私は推しの魅力がたっぷり詰まったあの動画が、私だけじゃなくて、再生回数以上に人に評価されてるんだって知れて、推しが考えたその動画が誇らしく見えた。ねえねえ、私の推しこんなに面白いことやってるんだよって。
大好きですなんて単純なことしか言えなかったけど嬉しそうにありがとうって一言返してくれたことが嬉しくて嬉しくて仕方なくて、ああ、私の推しなんだって確信した。
それから福島、鹿児島、静岡、岡山、北海道。沢山沢山大好きって伝えた。本当に本当に大好きなんだもん。大好きすぎて前に行くと大好きしか出てこないんだよ。有限な時間が憎かった。今は時間は本当に有限だったことに気づけなかった自分がもっと憎い。もっと話したいことあったのに次は次はって思ってた。
今年の11月大好きな先輩とやっと一緒になれた日。
これからもっともっと楽しいことが増えるって確信したのに、今年はあのステージに推しはいないのかな。
推しは笑ってた。
終わった後には先輩とお酒を飲んでいて、そうそう、愛されるんだよなあ推しは後輩力が高いから。って思ってた。
その後、12/22大きな舞台に立っている推しには運が悪くて会えなかったけど、中継を見て、優しい推しが優しさに救われているのを見て、優しさは巡るんだななんて思ったのはつい最近の話。次は優しい推しが好きだよって伝えたいなって思ってた。
1月は福岡で、私はこうやって色々な場所に連れて行ってくれる推しが好きだった。
2018年は遊ぶ年って言ってたけど、推しは比較的会える機会を設けてくれたし、そもそも私は推しに会えるだけで嬉しかった。
確かに、動画は毎日投稿のように頻繁に上がらないけど、一本一本が面白くて、推しの良いとこが詰まっていて、全部大好きだった。推しの良いところを存分に生かしてくれるメンバーも大好きだった。
皆、続けてくれるかな。続けてくれると良いな。
推しが大好きだった場所がなくならないでずっと続くと良いなあ。
次のイベントはどこかな。ねえ、何名義かけたら推しに会える?いくら払ったら推しに会える?でも推しに会えるチケットが一枚も出回ってないよ。私このままじゃ推しに会えないよ。
ガチ恋ほど拗らせてないけれど、推しへの感情は、likeやtrustじゃなくてloveだった。
推しがいなきゃ生きていけないってほど、執着はしていなかったけど、生まれ変わったら、もっと身近な人になって結婚したいなって思ってた。だから今世は、せめて友達になりたかった。
生まれ変わらないで戻ってきてよなんていうんだっけ転生?転生してよ。
天国ってさ時間止まるのかな。推しずっと今のかっこいいまんまで天国にいるのかな。
ええじゃあ私も早いうちに天国にお迎えに行きたいなあ。
でも天国まで追っかけたら、そしたらきっと私のあだ名は牛丼女で天国の警察に捕まっちゃうんだよ。
ねえねえ、もうとっくに8時過ぎてるよ。今日も動画あげないの?
伝説っていうのはさ、初代の人がなるものだと思うんだよ。初代仮面ライダーとか、初代ウルトラマンとか、初代のドラえもんの声とか。
そう言った点では、初代アバンティーズの推しは伝説のYouTuberとして、名を残していくかもしれないね。相変わらずかっこよくて斜め上でついていけないなあ。
もっと言葉が欲しかった。もっと推しの作る動画が見たかった。もっと笑顔が見たかった。もっと生きていて欲しかった。
推しは私の光だったのにな
さっき途中であげちゃって消したので書き直した。だから文章違ってると思うけど言いたいことは同じ。
BL界の片隅で生息してる。好きな作家がいて、あんなふうに書きたいと思った。
最近ちょっと放置しといたら自分らの存在も抹殺されそうな気配がするので書いておく。
BL研究の偉い人が「周りに配慮することは作品の質に役立つ」みたいなとんでもない発言があってこれは黙ってたらまずいと思った。
そもそも、クリエーターの作品を描きたい、作りたいという強い動機がどんなものか全くわかってない。
BL作家だって ある一定の人たちが毛嫌いする男のオタク絵師と何にも変わらない。
どこまでいっても自分の欲望なんだよ。自分が描きたいと思うものを自分が納得いくレベルで描きたい。だからみんな日夜ゴリゴリ書いては消すを繰り返す。
自分の欲求に忠実でありたい。だから自分が納得できるまで、もっと綺麗に見えるように、もっとかっこよく見えるように、もっとエロく見えるように必死で腕を磨く。
もちろん、エロいことだけを書きたいわけじゃない。切ない瞬間を描きたい、一番美しいストーリーを書きたいという欲求はもちろんある。だけどエロいものを書きたいという欲求と同じで優劣はない。何を書きたいかという欲求は等しく書き手のモチベーションだから。
たとえ自分が丹精込めて書いたものが評価されなくても自分が生み出したものは自分の子供みたいにどれも愛しい。
それが私が描く動機だし、程度の差こそあれ、作家なら似たような気持ちのはずだと思う。
だから
これは子供に読ませたくないから隠せ みたいな論調に嫌気がさす。
子供が隠れてこそこそ読みたくなるようなものを書きたいんだよ!
女の子たちがこっそりクローゼットの中に隠してとっておきたくなるようなエロいものを書きたいんだよ!
ただそれをどう評価されるかは評価する人に任せるしかないのは当然なことで。
そこそこ活躍するようになった作家でさえ、突然ぽっと現れた編集者の一言で連載中止になったり、ストーリーをかえろと言われたりする。
そういう理不尽な目にあって涙をのむ作家や、そもそも人に見てもらえるスタートにすら立てない作家はわんさかいる。
だけど、どんな目に遭っても自分の好きなものを好きなように書きたいという欲求がそれを支えてる。
だれかのために、社会のために書いてるんじゃない。自分自身のために書いてる。
そして一人ひとりの表現することの欲求を守ってくれてるのが表現の自由だと思ってる。
価値観は一つじゃないし、綺麗なもの、醜いもの、性的かどうかの感性も一つじゃない。
それをなんかどこかに社会のみんなが合意できる基準があるかのような考えは個人の自由すら否定してる気がする。
うまく説明できてないと思うけど、こういう最近の動きを見てて、自分の好きなものを書く自由すら否定される世の中になりつつある気がしたので言いたかった。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
私は自分の書いたものが怪文書だと思ったことは一度もないが、君がそう思うことは尊重しよう。
興味本位でマネをするためにかける労力と、それで得られる快感は割に合わないからだ。
ここ匿名ダイアリーには様々な常連の書き手がいるが、彼らの真似をすることは難しくはないだろう。
当然、私のFAQだって例外ではなく、やろうと思えば誰でも出来る。
そして、それを継続して、相応の精度で出来る根性があるかとなったとき「何でそんなことしないといけないんだ」という答えに誰もがたどり着くだろう。
今回、学ぶべき教訓は「誰でも出来ることは、誰もがやりたいことではない」といったところだ。
出来たところで何の還元もないなら尚更な。
魚が食べられない者でも、何回かは食べるときだってあるし、食べたいかもと思うこともあるだろう。
だが、そのために綺麗な魚の食べ方を学んだところで大した意味がない。
魚を食べずに生きていけるよう努められるなら、そっちのほうが遥かに良いだろう。
短期的な興味本位は身を滅ぼすことになるというのに、それでも知りたいのか。
まあ、勿体つけるようなノウハウは何一つないので答えよう。
私が意識しているポイントは「個々の点に関しては一定の理があるが、繋がりは抽象的であること」かな。
例えば私がクリエーターだとしよう。
そして薄給だ。
そのことに不満を抱いている私は、ある日「私たちクリエーターに金が降りてこない」という告発記事を書くことにする。
その証拠として、スタッフ、スタジオやスポンサー企業などの問題点を散りばめていくんだ。
なぜなら、それを書いた私は“金の流れは分からないが、流れが止まっているのだけは分かっている状態”だからだ。
にも関わらず、自分が問題だと思っているものを挙げまくって、無理やり繋げ合わせる。
当然、傍から見れば「なんか問題提訴したいのは分かるけど、とっ散らかってて漠然としすぎている」という印象を抱かれるわけだ。
だが、そういう抽象的かつ不当な内容の文章でも一定の効力はある。