ここまで気付いてるなら、考えの根底にある「経済的安定は幸せに不可欠」という考えに何か欠陥があるのではないか、というところに行きつきそうなものだが。
流石に迷惑行為であって、受け入れられない人が
「協調性無い」「地域に溶け込めてない」って言われるような行動じゃないと思うんだ。
自分の好きで弾いてるんだから自分の家で最大限防音処理して、それ以上限界で漏れ聞こえるのを
周りが我慢するか音楽耳栓等でマスクするかが最低限であってほしい
音量最大窓全開はやめてほしい
NHKの「縮小ニッポン」が話題になっていた。ついたブコメもほぼ絶望しかなかった。みんなが言う通り、この国の将来は悲惨なものにしかならないだろう。そんな中で、私はこの日本で「子供を作る」という選択をしている人はなんて罪作りなんだろうと思っている。
これから生まれてくる子供は、絶望しかない日本で暮らしていくことになる。この日本で子供を作るということは、子供を地獄に突き落とす行為となんら変りないように思う。本当に子供のことを考えるのであれば、日本で子供を作るべきじゃない。海外に移住してから、もしくは海外に移住できる目処を立ててから子供を作るべきだし、日本を離れる意志のない夫婦は子供を作るべきじゃないと思う。相当な資産があるならまだしも、普通の人は衰退する日本で子供を作るべきじゃない。
なぜ相当な確率で不幸が約束されている状況で子供を作ろうとするのか、私には理解できない。それは単に「子供が作りたい」「子供がいる生活がしたい」「子供を生きがいにしたい」という親の身勝手なだけで、地獄に放り出される子供はたまったもんじゃないと思う。
5億円やるからお前とだけは入れ替わらないで欲しいって、三葉が言ってた
今、ぶつけられた足首を見てみたら、めっちゃ青あざができてた。
ガツッと勢い良くぶつけられてかなり痛かったんだけど、その母親は何も言わずに目を合わせずに電車を降りていったんだよね。
http://anond.hatelabo.jp/20160927040319
現在:P304-
比翼は傷付き飛べなくなるか
「高坂からのエロスにより卵を大量に植え付けられ、苦悩がなくなったりしないかなあ」と思ったり
相変わらず自分はゲスであるが、自らのダブルスタンダードを許すのは仕方がない
これも自分だ
さて、読了、読み終わり、読み終わった
死一宇なら、生きていれば、否、生きるしかない、生きる理由は生きる以外にはない、つまり無であるという結論を持つが故に
自分にとって、この後がいくら死だったとしても、生き汚く生に延びて欲しい、延びるべきであると思ってしまうのはどうなのだろうか
主観幸福を優先するといいつつ、死を根拠なく否定するダブスタっぷりに、呆れるばかりである
まあ、なんでもいいか
意図したわけではないが、章数と同じだけこちらもエントリを書いた
これから、2chとげんふうけいのtwitterでも覗いてみようかと思ったが
わたしはもう、ねむい
人を選ぶ作品であった
正に、悲哀と苦悩を持たない、それも同じ質でない場合には触れ得ぬ作品であった
げんふうけいは、同じ時期に同じ体験をしたものを惹きつける何かを持っていると思う
しかし、あの当時のvip、そのネット文化、というよりその背景にあるなにかしらの共有物を持っているあの当時の人間として
そして、リアルタイムで進行するこの世代として、この経過がどうなるのか、一緒に流れていきたい
もう ねゆ はしってねゆ(ときかけ)
小説はもと/\毒のあるものです。苦悩と悲哀を母胎にしてゐるのだからね。苦悩も悲哀もない人間は、小説を読むと、毒蛇に噛まれるばかり。読む必要はないし、読んでもムダだ。
小説は劇薬ですよ。魂の病人のサイミン薬です。病気を根治する由もないが、一時的に、なぐざめてくれるオモチャです。健康な豚がのむと、毒薬になる。
http://anond.hatelabo.jp/20160925060352
辻褄あってるというか「整合性の塊」なんてコメントもでるくらいだけど、やっぱ辻褄あってないんだよなー
映画の始まり、彗星が落ちてくる場面のあと、瀧と三葉がそれぞれ東京暮らししている家で目覚めて、
2人とも「何かが消えてしまったという感覚だけが、残る」という意味のことを言って、出勤。
電車に乗って、それぞれドアの近くに立って外を見ながら、
「ずっと誰かを探している、そんな気がする」「そんな気持ちになったのは、たぶんあの日から」となる、
そして、瀧は、自宅団地というかマンションの屋上っぽい場所で割れている彗星を見上げている場面の回想シーンになる。これはいい。
しかし、三葉のほうは、浴衣姿で、割れている彗星を眺めているシーンを回想する。これは明らかにおかしい。
彗星落下日に浴衣姿だったのは、【彗星が落ちて500人死んだ時】のものだ。
考えてみて欲しい、彗星落下日に避難訓練というテイで奇跡的に三葉も四葉もテッシーらも死なずに住んだあの日、
中身が瀧の三葉は、朝、制服姿で学校に行って、「このままじゃ全員死ぬ」とか言って作戦を練るも、
中身が瀧の三葉は、「俺じゃダメなのか」ってなって例の酒のある場所に行って三葉と会う。
あの日、中身が瀧の三葉も、中身が三葉に戻った真三葉も、一度も浴衣姿にはなってない。
制服姿で街中をあちこち走り回って、彗星落下のグラウンドゼロ周辺から住人を避難させたわけで。
だからこそみんな生き残って東京で電車に乗れて、そして最初の場面が最後の場面につながるわけで。
世界線が変わって2人が入れ変わって奔走したわけでない浴衣姿の時にも被害でなかったってなら、
東京の電車に乗ってる2人は入れ替わりもなく出会うこともないし。
浴衣姿で空を見上げていた世界線でさえ2人が出会うならそれはもう単なる運命でしかなくて、
辻褄合ってるとかじゃなく、辻褄合わせようとして設定とかあれこれこねくり回しているレベルにすぎない。
「運命だとか未来とかって言葉がどれだけ手を伸ばそうと届かない場所で僕ら恋をする」ってことと真逆のことにもなるしね。
落ちてくる彗星、死んだはずの人々、そういう運命を、互いを好きだという2人の行動で変えたからこそ、その2人がラストで出会うことに意味があるわけだし。
個人的にこの作品大好きでだから何度も劇場に行ってるわけだけど、辻褄合っている、整合性の塊みたいなのは言いすぎかな。
自分の大好きで最高だと思う作品が、完璧で誤謬も矛盾もない素晴らしい作品だ、
あるいはほとんど矛盾もなくほぼすべてのことに説明がつくんだ、と思い込みたい気持ちや、
自分の大好きな作品へのツッコみや批評を、まるで自分が否定されたかのような気になってイラついてしまう気持ちはわかるけどね。
設定ゆるゆるだしツッコミどころやおかしなとこともあるけれど、俺は好きだよ、おもしろかったよって言ってる人たちはずっと真摯だよね。
バイトや学校行ってるのにまったく時間のズレに気づかないとか、都合のいい部分だけ忘れる、とか、
そういうあれやこれやのご都合主義解釈や、スピンオフ小説や、監督の後説でツッコみどころもなんとか説明できないことはない、
くらいのレベルのお話って、少なくとも「辻褄合ってる!すごい!」って言えるレベルのものではないと思うよ。
盛り上がる印象的なシチュがまず第一で、それらのつながりの辻褄はこの映画はお世辞にも上手いものじゃない。
でも俺はおもしろかった。俺はあわなかった、そういうことでいいじゃない。
・最低でもMARCHぐらいの私立難関大1,2年生(カースト低め)
何故か?というと、自分が経験した確実なデータがその層のものしかないからです。
具体的な統計とか一切使わずに経験則や周りの実情のみ参考にし、
あくまで私が
「万が一、人生2周目プレイが可能なら過去の自分にどうアドバイスするか?」
なので、筆者のスペックが
・志望業界:ブラックでなければどこでもいい、総合職も一般職も見る
という大学名以外カスみたいなレベルであることを念頭に置いてください。
似たような感じの人ってたぶんいっぱいいると思いますが
私がそうでした。
どうにかこうにか就活を終えて思ったことを箇条書きにしてみました。
<総合編>☆世間は思った以上に陰キャに冷たい、学歴だけで勝負できる世界じゃない
・余程のスキルがない限り、就活で陰キャが陽キャに勝つのはほぼ不可能
→中高から体育会系の部活入ってるような陽キャはほぼ確実にさっさと大企業に決まっていきました。
逆に、文化系カースト底辺民で唯一早めに就活終わらせた人は帰国子女でした。
見る限りオールラウンド系パリピは資格の有無で明暗くっきり分かれるイメージがあります。
→まず面接で「なんでこの大学で総合職で応募しなかったの?」って聞かれまくります。
大手商社の一般職なんてゆるふわキラキラ美女しかほぼ通りません。エリート様の嫁候補なので。
ビジュアルに自信がない人は最初から総合一本に絞ったほうが無難だと思います。
自分や似たようなスペックの周囲も含めて一般職に内定貰えた子は0でした。
→就活やってると「ありのままの自分で勝負!」とか、説明会なんかで飽きるほど言われます。
企業側の欲しいキャラの判別を簡単にするためにこういう誘導をしているわけです。
でも、経験上大企業や人気企業の総合職で陰キャが欲しい企業なんて殆どありません。
営業なのにコミュ障でどうやって他社と交渉するの?って話です。
営業もできる陽キャを取って配置転換すればいい話ですし狭き門なので…)
ありのままで適性検査(性格診断)受けてた頃はバンバン落とされてましたが、
・ストレス耐性がありそう・社交的そうな選択肢を露骨に選んで、
面接でも陽キャのエピソードパクって辻褄だけ合わせて話してたら通るようになりました。
→言われなくても知ってると思いますが一応。
中高時代の友人でなんの取り柄もないのに採用人数1桁の業界大手に決まった子は
同様のケースをいくつも耳にしているので、
コネ無しで採用人数1桁の大手を本命1本に設定するのは諦めたほうが良さそうです。
・第一志望の業種を絞るのはやめろ
業種絞ったカースト底辺民がその業種に決まったところを正直見たことがありません。
労働条件や雰囲気以外に興味がなかったことに尽きると思います。
<大学編>☆会話の引き出し、社会の動き方をなんとなく理解する、英語のスキル、コネを作る時期
評価なんてどうでもいいので、4年前期にしかとれない必修を残さないことが大事です。
運動神経がない人はランニングがほぼないアーチェリーとかどうでしょう。
ガチ体育会系が無理ならなるべく歴史あるイベント運営系サークルに入るのが
→バイトの経験はESや面接のエピソードで一番使いやすいです。
なぜなら部活やサークルみたいに調べたらブログとメンバー表が出てきて…
短期で1日だけ経験したバイトのことでも、いくらでも盛れます。
期間とかやったことは全部盛って、会社によって使い分けてました。
いろんな業種のバイトをしたことで、社会の動き方の一片を学べたのか
・資格を取れ
→特にTOEIC。700点とかないとエントリーすらできない企業がままあります。
・縁を大事にしろ、中高時代の部活の先輩とかコネの宝庫になりうる
→中高時代の先輩とほぼ連絡とってなかった自分と、コンスタントに付き合いを維持していた友人とでは
あと同じ大学の友人が自動的に多いのは本当にメリットでしかない。
大学からの友人を1から作るのはコミュ障には本当に骨が折れます。
→TOEICは本当に大事です。現状でカースト底辺民が逆転できる切り札かも。
英語と体育会系部活に全精力を注ぐと就活においてかなりの成果が見込めると思います。
以上です。
あくまで自分の経歴に当てはめての後悔であり、極めて狭い知見の中からの結論なので
嘘は書いてないけどソースも示しようがないので。
とにかく過剰に学歴に期待するのはやめましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20160927034346
続き
現在:P298
終盤になるに連れて、他のことを考えることが多くなった
性格には、他のことを書くことが多くなったように思われた
そして、内容は終盤である
だめだった、ようだ
2chでの若干のネタバレ、後味が悪い、モヤモヤするという予感が実現しようとしている
そして、連想が進む
戸田誠二を思い出す
幸福の背景は不幸
「私、突出していたの」
前触れもなく、そんなことを言い出した年上のおばさま。
私はといえば、頭の中に「?」がひとつ。
「学生の頃、教科書とかもう早くに読み終えちゃって、授業が退屈で仕方なかったの。だからサボったこともあったわ。先生は、テストの点数さえよければ何も言わなかったしね」
うん十年前の懐かしい思い出なんだろう。
でも、普通、突出してたとか自分で言う?というより、本当は突出って悪い意味で使うんだっけ?(念のために調べたらいい意味だった)
「授業サボったこと、後悔してるんですか?」
すごいですね!とか言ってほしかったのかもしれないが、どこもすごいと思えなかった。
彼女は頭はいい人だったが、精神的に問題を抱えている人で、私はよく攻撃対象になっていた。
ええと、多分続く。
http://anond.hatelabo.jp/20160927025207
続き
現在:P280
前作まででも、ここまで丁寧だったかな
変な客が来たとおもったら自宅に引き返されて
(おそらく)自室に見送って待ってたら帰ってこないとか
20分分のタクシー料金をもらうために待ってたんだろうなあとか思ったら可哀想
私は時折思う
小説のメタ読みとして「男性が論理や道義を主張する、女性が感情を主張する。はじめは男性が正しいとされるが、次に女性が正しいとされ、感じる者、感じたものをそのまま信じ受け取ることこそが大事である。それが賢いのである。それに男性側も気づく」という展開が
あれか?なんだー?実存主義の席巻かー?
いや、私もそれで良いとは思うが