はてなキーワード: 奨励とは
http://anond.hatelabo.jp/20120131171308
一致っていうか要するに
その件の話し合いに真面目に応じない(ように彼氏には見えた)のが
原因になった。
話し合いの風通しは悪くなかったと思うけど
どう話し合っても「1食に二号ずつ米を食え」みたいな話には応じきれない。
(1日に2回しろって言われて)
なんか現代って
そういうのが嫌だな。
第1条
ひとりでいられる能力を意識して開発する。親は子供が十分に安心してひとり遊びに励めるよう、ついつい過干渉になりがちな自分を抑えつつ、子供とはいつも一緒にいて心地よい環境作りと十分な保護に努める。子供にテレビやビデオを見せる時間はなるべく短くしたい。
第2条
親は、子供が病気の時こそ、何が何でも子供のそばに居てやるようにし、子供を十分に甘えさせてやる。
第3条
子供をきちんと叱る。そして何故叱られたのか理由を十分説明する。叱った後は、子供にいらぬ不安を抱かせないように十分なケアをする。
第4条
自立した家族として日々の生活を重ねて行くことこそ人の幸せであるということを、言葉でなくて毎日の静かな生活そのものによって子供に伝えて行きたい。そのために親自身が毎日を楽しんで暮らせるようになる。見せるべき親の背中とは、楽しんで生きている親の日常だと思う。仕事の愚痴などは子供の現実逃避を助長するだけなので決して家庭に持ち込まない。
第5条
家庭の中で、どんどん子供に仕事と責任を与えて行く。また、子供をボランティアなどに参加させることで、実社会の中でも、徐々に仕事と責任を得る体験をさせて行く。
第6条
独立自尊の精神を養うため、子供には、自らの限界を推し進める喜び、成長を実感する喜びを出来るだけ沢山経験させる。
第7条
家に本棚を作り、広い分野の本を集め、図鑑など気軽に親子で本を手に取ることで、子供が読書に親しめるような環境作りに配慮する。子供が自主的に一人で本を読めるようになるまでは、意図的に読書をしている親の姿を子供に見せるようにし、読書は生涯続けて行くべき大切な習慣であるということを、身を持って伝える。子供が小さい頃は、子供が読書に慣れ親しめるよう、絵本の読み聞かせを日課とする。
第8条
現実として人間社会の厳しい競争に打ち勝つという視点を大切にしつつも、相対的な問題として、物事に対して「楽しみながら自発的に」チャレンジして行くという姿勢に価値を置いた教育をして行きたい。そのために、子供の内発的な好奇心を刺激することに努め、いわゆるアメとムチによる脅迫を前提としたコントロールをなんとか最小限としたい。
第9条
人生の本質である「退屈」と向き合い、自ら「楽しさ」を発見して行く機会を子供から奪わない。子供が何かへの熱中を示したとき、それが中毒ではないかを気にかける。子供がある程度の年齢になったら、刺激との付き合い方に関して、きちんと親子で話せるようになりたい。
第10条
教師と生徒の間に生まれるピグマリオン効果を利用するために、積極的に多くの教師と子供を出会わせる。子供には自分を「ひいき」してくれる先生をたくさん発見してもらいたい。また、こうした家庭の外にある社会とのポジティブな接触の体験を増やすことで、子供の自立を促して行きたい。
第11条
子供が親に反抗したときには、子供に「今、自分はどんな価値を守ろうとしているのか」を意識させる。それがテレビを見たいだとか、おもちゃやお菓子が欲しいといった自分勝手な価値であれば、親としてはそれに厳しく当たり、リスクを取った結果としての罰を慎重に判断して与えたい。子供が守ろうとしている価値がそれなりに意味があるものである場合、子供に親を説得する機会を与え、ときには十分に子供に反抗をさせてから、折れてやるようにする。いかに子供に説得力があっても、人間社会はロジックばかりではなく情緒によっても運営されているのだから、ロジックだけでは折れないように注意したい。
第12条
子供がケガをしたときは、焦ったり泣いたりしてもどうにもならないことを伝え、出来る限り子供自身にケガを観察させる(もちろんケガの程度にもよるが)。
第13条
きちんと自分の意見を持ち、衝突を恐れずにそれを主張することを奨励しつつ、同時にその怖さも伝えていきたい。何かを得るということは、多くの場合、何かを失うことでもある。
第14条
笑う側ではなく、笑わせる側にあることの重要性を伝えたい。誰かに「明るくしてもらう」のを待つのではなく、積極的に「明るくある」こと、そして誰かを「明るくさせる」ことに喜びを感じてもらいたい。
第15条
すでに「ぼんやり」と認知しているであろう「システム」という概念を固め、レバレッジ・ポイントとボトルネックの存在を感じさせつつ、あらゆるシステムの構造(機械論的世界観)への好奇心を刺激したい。
ttp://nedwlt.exblog.jp/i13/ カテゴリ:我が家の教育論 ( 20 )
まだ途中らしい。これが完成する日が来るのだろうか。興味深い。書籍になったらまた読み返したい。
そうすりゃ産みまくると思うんだな。
闇コンドームの製造販売をヤクザが手がけたりして、ヤクザが正義の味方みたいになりそうだけど。
発泡酒とか第三のビールみたいに、「ゴムじゃなければいいんだろ!」とメーカーが新素材開発にしのぎを削ったりするんだろうな。
おもしろす。
65歳で自ら死を選ぶと、もらえるはずだった年金から500万くらいポンと出るという制度。
臓器も売り払いたいけど(病気の肝臓だって使うくらいだから年寄りの臓器だって買い手がつくだろう)、さすがにそれを国がやると問題な気がするのでそれはやめといたほうがよさそう。
生前贈与に比べて死後相続のほうが安いから、みんな死ぬまで遺産をわけないわけで。
老人から老人に相続じゃないと、現役世代に金がまわらん。金を使わん。子供も産まん。
とりあえず5000万まで控除って仕組みをやめよう。
最近シーシェパードなど海外の活動家の間で話題の海洋関連国際条約ですが、
はたして彼らが期待するように南極海で日本の調査捕鯨が行えなくなるのか?という件についての備忘録。
彼らの主張は調査捕鯨の母船日新丸が南極海を航行すると条約違反になる、というもの。
彼らによると、その根拠は二つ。
1)2011年8月1日から南極海での重油の運搬・使用が禁止された。
2)同時に二重船殻(ダブルハル)でない船の流氷海域航行が禁止された。
日新丸が南極を合法的に航行するためには大幅な改造が必要になり、金も時間もかかるので無理だろうから、
今年日新丸が南極に来ることがあればそれは条約違反に当たるという主張。
これが事実なら大変、というわけで少し調べてみるとこれは全くの見当違い。
まず関連ソースを示すと、以下の二点。
SPECIAL REQUIREMENTS FOR THE USE OR CARRIAGE OF OILS IN THE ANTARCTIC AREA (RESOLUTION MEPC.189(60))
GUIDELINES FOR SHIPS OPERATING IN POLAR WATERS (MSC/Circ.1056-MEPC/Circ.399)
http://www.tc.gc.ca/media/documents/marinesafety/IMO_Polar_Guidelines.pdf
1)重油の使用について
マルポール条約の新しい条項に引っ掛かるのは日本で言うところのC重油のみ。
日新丸はもともとA重油(C重油より約3割高い)も併用しているので、
燃料費が多少増えることは確実だが南極海を航行することは当然可能。
2)二重船殻について
序文でわざわざ書かれているように、これはそもそも奨励であって強制ではない。
また、二重船殻化を奨励されているのは2011年1月1日以降に建造される船のみ。
既に建造された船について改造を強制するような性質のものではないので、
今後こういうことを口実に日本の調査捕鯨がIMOの規制違反であるというようなことを言う人がいたとしたら、
その人は国際法やら南極海の航行規則などをほとんど知らない素人さんということですね。
例えば、以前逮捕されたピート・ベスーン(当時シーシェパード)とか。
http://www.facebook.com/Capt.Pete.Bethune/posts/214302368629769
政治サイトに投稿するにはあまりにエロ過ぎるので、ここ増田に投稿する。
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西暦2030年、C華人民共和国は深刻な社会問題に陥っていた。
若年男性人口に対して、若年女性人口が極端に不足し、多くの男性が「女日照り」に陥ったのだ。
それというのも、C国の「一人っ子政策」の悪影響で、
「女の赤ちゃんだと堕胎する」「産み分けで男子を希望する」という夫妻が多かったせいで、
そのツケが、赤ちゃんが成人した頃にやって来ている次第である。
折角一人当たりGDPは、落ち目の隣国、N本国を追い抜いたのに、
「経済的に満たされても、性的に満たされない」状態に、若年男性の欲求不満が爆発しているのである。
結婚目的誘拐やレイプが横行し、深刻な社会問題を化す中、K産党指導部は秘密会議を行った。
「習同志、我が国では何本のチ●ポが余っているのかね?」
「はい、若年男子が2.5億人、若年女子が2億人、なので5千万本のチ●ポが余っています」
「隣のC鮮民主主義人民共和国の若年女子を、『歓び隊』として我が国が全員接収すればどうか?」
「C鮮は経済破綻国ですから喜んで女子を差し向けるでしょうが、それでも500万個のマ●コしか用立てできません・・・」
「あの計画はどうした?男性同性愛を奨励して、マ●コ需要を抑える計画は?」
「そんな、毛主義、K産主義を汚すようなことをするのですか、温同志?」
「仕方あるまい、このままでは社会不安が横行して、K産党一党独裁が崩壊してしまう。
鄧同志も言っていた、『白猫でも黒猫でも、鼠を取るのがいい猫だ』」
「・・・しかし、それでも同性愛に走るのは、多くて2千万人程度でしょう。
あと2,500万本のチ●ポが、どうしても余ってしまいます・・」
「・・・やむをえん、周辺国のマ●コを求めて、戦争を仕掛けよう。
で、どこがいい?」
「D韓民国やVェトナムは、我が国同様、性比バランスが男性優位過ぎます。
なにせ、「産まれるなら女の赤ちゃんが欲しい」という、女性優位の国ですから・・・」
・・・ということで、C国は、S閣諸島とか歴史問題を口実に、N本国本土へ攻めに入った。
本来、Aメリカが安保条約で守るハズだが、GDP世界一のC国との全面戦争を嫌がり、
マトモに防衛しなかった。
「N本国のマ●コを一部分けてやるから」という甘言に、ゴルファー出身の
Tウッズ大統領が引っかかった、とも言われているが、真偽は定かでない。
「いけー、お前ら~、マ●コが待っているぞ~
くれぐれも女は殺すなよ~、殺すのは男だけにしろよ~、貴重なマ●コだぞ~」
その後、ニート男性やオタク男性を「退廃的」としてどんどん死刑に処し、
めでたし、めでたし。
「江同志、どうしましょう、ついにマ●コストックが切れて、再びチ●ポ余りになりました・・・」
「あれ以降結婚したカップルが、また男子産み分けを実施して、性比バランスが次世代も崩れてしまいました」
「なんというバカな民衆だ・・・
でも、本名でググると、大学時代のサークルの名簿なんかがでてきて、趣味つながりの人にあんまり知られたくないので
ハンドルネームに切り替えることにして、その集まりでも「こんどからは○○(ハンドル)って呼んでください」ってお願いしたんだ。恥ずかしかったけど。
それ自体はたまにあることらしく、みんなそうしてくれたんだけど
ほかのやつがそいつを制止したんだよ、明らかに俺を意識したかんじで。
そんときは「ん?」と思っただけだったけど
ちょっと思い当たることがあって、帰宅後もっかい本名ググってみたら
その趣味つながりの名簿とかよりずっと上位に
「創価大学 奨励賞受賞者名簿」っていうのがでてきて、そこに俺と同姓同名のやつがいるんだわ。
完全にコレのせいで創価と思われてるっぽい…。
たしかに、元増田の文章に「頑張らないことを奨励」なんていうことは書いていないが、確かに、貧困層の中には頑張らないことを奨励する文化がある。
俺もかなり田舎の育ちで、幸か不幸かそういう文化には染まらなかったため、田舎を抜け出して都会のそこそこ偏差値の高い大学に進むことが出来た。
しかし、中学時代、高校時代、周囲の殆どは頑張らないことを奨励し、何かに向かって頑張ること(それが学問であれば尚更)否定する文化があった。
彼らは、一部の人間(幼少の頃から頭がずば抜けて良い人間)以外が努力して頭が良くなることを非常に嫌っているようだった。
「努力して一流の人間になった奴よりも、努力せずに二流の人間の方が素晴らしい」
そういう文化を持っているようだった。
彼らの思考回路は長年理解出来なかったが、最近は、自分が現在認識しているヒエラルキー(大抵、自分が上位層或いは中堅層に位置している)が崩れることが怖かったのだろう、と認識している。
S市は大きな都市で、周辺から人口を収奪しながら今も大きくなっています。その中心部が私の生まれ故郷で、小学3年生の秋に、私の一家は郊外のH町に移りました。私の父は、そこそこ社会的に成功した人で、広い庭が欲しかったらしく、彼の希望に合致する約600坪というまとまった土地がたまたまH町で購入できたので、私もH町を第二の故郷にすることになりました。
H町は旧炭鉱地で、私たちが越した頃から急速にベッドタウンとしての開発が進みましたが、私がH町民になった頃はまだ開発が本格化する直前で、住民は貧しい人がたくさんいました。私が大学生になって、東京に出ていく頃には、町の人口は私が来た時の3倍になっていて、今ではH町の一部の地域は高級住宅地として知られています。
引っ越した頃、私は「お高くとまっている」と言われて軽いいじめをうけました。でもそこで、正面からぶつかっていったのでかえって仲良くなって、みんなに溶け込むことが出来ました。私は他の人たちを見下していたわけではないのですが、H町の同級生の目に「お高くとまっている」ように見えたとしても無理はなかっただろうと思います。男子も女子もジャージを着ているような土地で、かわいらしいフリルのついた服で登校していればそれは異質感がきわだちます。私はS市では当たり前だったことをそのまま当たり前に続けていただけだったのですが、それらがすべてH町民への批判になってしまっていたのでした。
とは言っても、私もそうですし、うちの家族は基本的にだらしないというか、ずぼらな人たちなので、すぐにH町に染まってしまいました。「お屋敷みたいな家に住んでいて、どんな人たちかと思っていたら、気さくな人たちで良かったわ」とはよく言われたものです。
私は学校の勉強は出来たのですが、H町の子供たちの学力はS市に比べればずっとずっと劣っていました。そして意外かもしれませんが、子供たちはそれを自覚していました。なんとか頑張ろうとしている子もたくさんいて、でも、出来ない子が多すぎるので授業の進みは遅いし、家に帰っても勉強を教えてくれる人もいないし、塾とかもまだH町にはありませんでしたし、あったとしても、経済的には行けなかったりで、私が勉強を教えてあげると、「増田さんっていい人なのね」ということになって、私はすぐにクラスのまとめ役みたいになりました。
放課後には一緒に原っぱをジャージで走り回って、楽しい子供時代を過ごすことが出来ました。
でも、その頃から、町のあちこちで住宅開発が本格化して、それが本格化する直前にH町民になった私は、「原住民」の立場から町の歴史の移り変わりを眺めることになりました。ある日突然、遊び場だった山や原っぱが立ち入り禁止になって、重機が入って、造成していくのです。しばらくして瀟洒な家が立ち並ぶようになって、こぎれいな格好をした人たちが大量に「入植」してきました。
遊び場を奪われて、自分たちとかけ離れた生活をする新住民とその子供たちに、原住民の子供たちが素直に好意を抱けるでしょうか?
中学の頃にはずっと新住民と原住民の子供の冷たい対立がありました。大量に入ってきた新住民の子供たちは町に溶け込むこともなく、自分たちの色に塗り替えてしまいました。私はそれを原住民の立場から、でも、社会的な立場としてはむしろ新住民に近い人間として、対立や調停に巻き込まれることになりました。どちらからも自分たちの側の人間だと思われて、なおかつどちらからも疎外されるような、そういう難しい立場に立たざるを得ませんでした。私の苦悩はむしろ先生たちと共有できていたと思います。
新住民と原住民では利害が完全に異なるので、新住民は「出来ない子は切り捨ててどんどん授業を進めてください」と言うし、原住民は教育を学校に丸投げしてそのくせ自分たちの子にあわせろと主張します。先生は間に入ってかなり大変だったろうと思います。
けれども年を経るごとに新住民は数的に圧倒的になって、原住民やその子供たちは自分たちのホームタウンにいながら、次第次第に切り捨てられるようになりました。高校生の頃にはもうこの種の問題は私の日常生活では見えなくなっていました。というのは、そもそも私が通っていた高校は地域ではわりあいレベルが高かったので、そもそも原住民の子供はほとんどいなかったからです。
小学校の頃からの原住民であった同級生の多くは、今はおさだまりの底辺生活者になっています。フリーターだったり、肉体労働者だったり、18歳で子供を産んだりして、私が勉強を教えた子たちもほとんどは結局、貧困の連鎖から抜け出すことは出来ませんでした。
ロンドンの暴動を見ていて、なんとなく感じることがあります。あの生活費の高い都市で、高度に都市化された生活がかいまみられる状況で、決してそれには手が届かないことを知っている子供たちがどんな風に感じているのだろうと。
「頑張れば抜け出せる」
それは確かにそうなのでしょうし、そのためのアシストもあるのでしょうが、日本の、一億総中流幻想があった頃でさえ、実体験から言えばやっぱり貧乏人の子の多くは貧乏人になったのでした。それがどれだけ難しいことなのか「新住民」の人たちは分かっていないと思います。母親でさえ四大卒の家庭で育てられた人に、九九も満足に言えないような親に育てられることがどういうことなのか、わからないと思います。
頑張らない、頑張らないことをむしろ奨励するのが貧困なのです。親や周囲を敵に回して、そういう中で子供ががんばるのは無理です。
なんかこう、原発問題の時に「くるまだってあぶないじゃないか、きぃーー」って言い出す人のように見えるな。
通常の二次創作だって、「エロを嫌う人」とか「商売人(同人ゴロ)を嫌う人」とか、普通にいるし、議論もされてる。
ファン活動の範囲を超えた物を「同人」とか「二次創作」とか呼んでもいいのかなんて議論もあるし、当然にして「ファン活動ってどこまで」みたいな議論も派生してる。
カオス*ラウンジも、当たり前のように批判のまな板に乗ったね。表現物はそうあるべきだ。
カオス*ラウンジは特別炎上してる(攻撃されてるだけの)ように見える?
それは残念だったね、カオス*ラウンジは味方をあまり得られなかったようだ。
表現物に問題があったのかもしれないし、ニーズの問題かもしれないし、素行の問題だったのかもしれない。
権利者が誰一人としてメリットを見いだせない二次創作や盗作は、そりゃ批判されるだろう。
しかし、メリットの度合いによっては、奨励されたり公式になったりもする。
で、それらの例を積み重ねていけば、今回の件について俯瞰できるとでも?
暇人\(^o^)/速報 : 【速報】少子高齢化が加速しすぎて、あと数年で日本破綻が判明 - ライブドアブログ
ドラッカーが言っているように、社会において最も重要かつあらゆる社会指標の中で「ほぼ確実に」予測できるものがが人口問題だ。
2012年に世界が滅びるかどうかはわからないが、2030年に日本の人口構造がどうなっているかは、ほぼ確実に予測できる。
はっきりいって日本の人口問題はもはや手遅れで、30年前にとりかかるべきだった問題なのだが対策しないわけにはいかない。
生涯未婚率が上昇し、単身世帯がかつてないほど増えるなかで、今の日本で人口問題を解決するべき方法は2つしかない。
移民受け入れか、未婚女性出生率(事実婚率)の上昇か。それだけだ。
本当にそれだけ。
なぜなら、保守にとって、これは受け入れることのできない政策だからだ。
アメリカのティーパーティー系保守が脊髄反射する論点として、"3G(God,Gun,Gay)"と呼ばれるものがあるが
それとほぼ同じくらい、日本の保守にとって譲れない論点が、「移民・家族制度」だ。
「売国法案」「日本解体法案」でググれば、いくらでも見ることができるだろう。
外国人地方参政権が日本を滅ぼすのであれば、移民政策などもってのほかだ。
選択性夫婦別姓が日本の家族制度を崩壊させるのであれば、事実婚奨励などもってのほかだ。
こうして、人口問題は絶対に解決されない。
日本を誰よりも愛する人たちによって、日本は超超高齢化とともに縮小していく。
いまや「保守」というのは、形骸化した「左翼」のようなものになってしまっている。
保守を自称するのであれば、腐ったホシュと手を切ることから始めなければならない。
ここでいう腐ったホシュとは単なる情念で結びついている奴らのことだ。
今の日本の「ホシュ」と、アメリカの「ティーパーティー」とはあまりにも類似点が多い。
________
こういう人ね
増田やはてなにはそういう権力者が維持してきた性愛術が恋愛世界を支配してたことに鬱屈したり嫉妬してきたキモいおっさんの集まりだからここでいっても無駄だよ。ここにいる奴らはむしろ性愛を否定して戦争を奨励したいんだから。まあその戦争も失敗したがな。2006年ごろがこいつらの活動の全盛期だったが、その後色々な事件のせいで、こいつらのエネルギーは破綻した。今は死体。リアル社会はまた昔のようになりつつある。増田やはてなブログに影響力はもうない。finalventの日記なんかも2005年ごろまでは輝いていたけど今はゴミでしょ。はてなも増田も終わコンだよ。悪は滅びた。
・1990年刊。直訳すれば「豊かさのてこ」だが、内容を勘案して邦訳するなら「技術革新の文明史」かな。日本にはあまり紹介されていないが、著者は経済史分野では世界的に著名な研究者。「THE LEVER OF RICHES」はその代表作で、世界経済史に対する独自の解釈と、包括的なサーベイとしてのまとまりのよさを両立させている名著だ。
・「なぜ近代の技術革新が西洋(特にイギリス)で起こって、他の国々ではなかったのか」がテーマ。この問題を解明するためにまずは過去2500年分の人類の文明史を振り返って検討する。次に、このテーマについて検討する。
・西洋世界の勃興に関しては、様々な人が様々な観点から評論しているが、本書では技術革新というファクターを重視する。なぜならば経済学の研究がしめすように、技術革新こそが経済成長の主たる要因であったからだ。イノベーションは、労働や資本などの具体的な資源制約とは無関係に人々の富を拡大させる「フリーランチ」なのである。
・古代(B.C.500~A.D.500)。ローマ、ギリシャ、ヘレニズム文化の時には革新的な発明はあった。たとえば紀元前に活躍したアレクサンドリアのヘロンは今でいう蒸気機関や自動ドア、自動販売機に近い装置を発明して、オーパーツとすら言われている。しかし、そうした発明の多くは未発達のままにとどまったか、破壊されたか、忘れられた。ローマ人は高度な文明をもっていたと言われるが、その技術はかなり未発達で、革新速度も遅かった。
・中世(A.D.500~1150)。農業面での革新は、農業効率を向上させる重すきと三圃制。エネルギー利用も多様化し、水車や風車も工具の研磨やビール醸造や皮のなめし用などいろんな分野で使われた。11世紀の南イギリスには、50世帯にだいたい1つは水車があったというから驚きだ。馬や船はそれまで戦争の道具としてつかわれていたが、商業目的にも利用されるようになった。そのため蹄などの馬具の改良や積載能力の向上が図られた。
・紙は西暦100年頃に中国で生み出され、イスラム社会には8世紀頃に到来し、西洋にはそのあとに伝わった。時計や冶金などの金属加工技術も、東洋→西洋への技術移転の流れだった。この頃は自らがあみ出した技術というよりも、ローマ期の技術の遺産か、東洋の技術を拝借したもも多かった。ヨーロッパ世界はそうして先進技術を異文明から柔軟に吸収し、それを自己流に応用していた。ヨーロッパの中世は停滞といわれるが、実はその後の技術発展に向けた種まきがされていた時代でもあった。
・近世(1500~1750)。ヨーロッパの技術レベルはだいたい1500年頃に中国など東洋文明圏に追いついた。その後、中国などとの差を徐々に広げていった。この時期のヨーロッパは、若干の航海術の発展と、トマトやポテトなど新たな作物の導入などぐらいで大きな技術革新はなかったが、人々の間で技術進歩の可能性を信じ始めた時代でもあった。(※言っておくとグーテンベルクの活版印刷(1450年)なんかは世界史的にみると革新的ではないから。紙への印刷(木版)は7世紀には中国で始まっていた)
・近世期は技術的ブレークスルーというよりも国民国家の発達が、その後の近代技術革新を準備したことの方が大きかったかもしれない。たとえば今でも有名なリヨンにおけるシルク産業の発展はもともと、ルイ11世がイタリアの専門職をそこに住まわせたことに端を発する。このように各国のトップは次々と、産業振興策を打ち出した。他国から有能な専門職人材を呼び寄せるだけでなく、新しい技術を奨励するため補助金を与えて開発を促し、寡占を奨励した。また特許権の制定もこのころなされた。たとえばイタリアのベニスでは16世紀には特許権がある程度は普及していたと言われる。もちろん、こんな”民間活力”をいかした技術進歩の奨励なんかは、イスラム社会や中国社会では到底考えられないことだった。
・近代(1750~1830)。そんな下敷きをすでにひいていたから、この頃、次々と新たな技術が実用化されたのは自然な流れだった。むしろ、この頃には、まったくのゼロから生まれた技術なんて何一つなかったと言っても言い過ぎではないかもしれない。たとえば、ワットが蒸気機関の発明にはたした役割はせいぜいコスト低減や耐久性向上などの実用的な貢献であって、蒸気機関の元アイデア自体は17世紀ヨーロッパにすでに存在していた。ただ、そうした数々の新技術の卵が社会全体に広まったことに大きな違いがあった。繊維産業で言えば、教科書でも取り上げられているような数々の綿加工技術の機械化による生産性向上はめざましく、イギリスにおける綿布の値段は1780~1850年の間になんと85%もダウンしたという。
・蒸気機関の発展・普及によってその後から熱力学が生まれたようにその頃の技術とは、科学的知見を基礎としたものではなくて、もっぱら経験的にもとづいて進められたものであった。1850年より前は、科学と技術は別の存在だったと言ってよい。1850年以降、科学や数学、物理学が技術分野に本格的に応用され始めた。
・技術革新自体はランダムとも言える現象で、特定の新技術がなぜ他でもない西欧でおこったかを具体的に説明するのは難しいが、どんな条件が西洋近代の飛躍的革新を可能にしたかを検討するのは意味のあることだろう。もちろん「必要は発明の母」なんて諺を持ち出す気はない。当然、革新的技術のニーズはいつでもどこでもあるのであって、要はそのニーズを発明によって掬い上げ、実用技術として広めるのに、何が効いていたのか、である。
・「化石燃料資源の豊富さや、地理的要因」に西欧世界の勃興を求める「環境決定論」はナンセンスだ。たとえば北ヨーロッパはよく雨がふるから水車の技術が発達したという意見がある。しかし、これではなぜ水車がイギリスでよく普及したのにアイルランドではまったく普及しなかったかを説明することはできない。同じようにイギリス国内にあった豊富な石炭資源が産業革命を可能にしたという意見がある。しかし、そもそも石炭資源を上手に利用出来るようになったこと自体が技術革新の果実ではなかったか。この説明は物事の原因と結果を取り違えている。木炭資源の枯渇による価格上昇がイギリスでの石炭利用の革新をもたらしたという議論もある。しかし、木炭から石炭への代替自体は16世紀からすでに模索されており、部分的に成功をおさめていた事実を無視している。第一、その頃の中国だって森林資源は枯渇していたのに石炭利用は19世紀になっても進まなかったではないか。
・「産業革命前の科学技術の発展」を求める意見もある。しかし、前もいった通り(真理や総合的把握を求める)サイエンスと(実用を求める)技術は1850年以前にはほとんど別々のものだった。たとえば製鉄法や食料保存法などの技術は人々がその仕組みを把握するずっと前から使用されていた。発明家に科学の知識はなく、科学者は実用の世界に降りてこなかった。両者の融合が始まったのは1850年ごろからだ。たとえばトマスエジソンは科学的知識がなかったため、自己のインスピレーションを補強するために数学者を雇った。
・むしろ重要なのは、新技術にたいする政治や社会の寛容さ。人々が技術進歩に向けて継続的に取り組めることを社会が担保できているかどうかにある。この意味において、専政的政治制度よりも多元主義的なものの方が好ましい。ダグラスノースの言う所有権の制定も、この意味では一面の真理がある。
・中国と西欧を比較した場合、その差は際立つ。それは、中世まで技術リーダーだった中国が近世になって急速に停滞した理由を説明する。中国はもともと”one-party state”で、技術進歩は漢の時代からほとんど”お上”主導で行われていた。宗の頃は農民の創意工夫活動を促すための金融インセンティブも行われていた。しかしこうした活動は近世頃から弱まっていき、清の時代になってからは中国政府は技術の進歩につながるような政策(度量衡の基準化、商業法、警察、道路)をとりやめてしまった。一方で社会的にも明(14c~17c)代からとくに中央集権的要素を強めていき、多様な民の活力はますます脇に追いやられた。このために中国の歴史には、新たな技術が十分に伝播しなかった例で溢れている。たとえば複数の車輪を搭載した紡ぎ車はカラムシ繊維産業では見られても、それが綿産業に伝播することはなかった。社会構造の上部に官僚があり続けたこともまずかった。成功して裕福になった実業家はだいたい子供を官僚機構に入れたがり、天才やエリートが(一般的にコンサバな立場を好む)官僚機構に吸い込まれていった。
・これに対して欧州はちがった。前述のとおりヨーロッパの技術開発は民間が主であって、政府は従であった。第一、(言語や宗教、生活様式や歴史などいろんな意味で共通点があるにも関わらず)複数の国家が乱立し中国のような中央集権ではなかった。それぞれの国が富を張り合っていたから、結果的に技術の世界でも競争が促された。人の移動も頻繁だった。だから技術の才ある人は、彼の国で抑圧的な政策が取られたら、別の国に移るだけでよく、西欧全体で見たら一つの技術は断絶せずに繋がりを維持することができた。こうした好条件にある社会は西欧を除いて他はなかった。まさしく、世界の技術リーダーになるべくしてなったと言えよう。
http://twitter.com/#!/zaway/status/66580272551968769
コイツはとってもイイヤツだ。上背があって手がデカい。グローブみたいな手だ。
だが、ナニは小さくて、メンソールライト見たいな味のスースーした包茎らしい。
グローブ見たいな手でシコるとチンポコがヒリヒリして痛いから内股でいつも歩いている。
普段からテンションが高いやつだが、ここ2、3日はおりからの計画停電の影響で学校も暗いから、気持ちだけでも明るくしようと頑張ってるけどその効果は大体豆電球大。可愛いやつだ。
円周率だって13桁覚えたし、好きな子(15人位いる)の誕生日だって覚えた。
どっちかと言うと、頭はいい方だ。
好かれる人だし、教師からは口の上では注意されているけど、本当は末端の教師からも人気の教師からも、どこかでいてくれて感謝されている。
面と向かってしゃべれない、前の席の白いブラウスから透けている青いブラジャーで抜いているよくあるシャイな高校生だ。
美沙子はそんなヒロシをちょっと気に入っている。美沙子は筋肉も発達しているが、天性が味方したスラリとした陸上部の女の子。
ヒロシからは気づかれていないが、基本的に大体ヒロシの顔かたちと性格の調和平均が、彼女のプロフィールに書かれた”好きなタイプ”であるジャニーズの2.5軍の子のそれに大体一致している。最近はジャニーズでもトーク力は重要だから、流行りのタイプとも言える。
いいネタにされて、性欲で湯気の出そうな思春期の男の子から好奇と精子の入り交じった目線を送られるに違いない。
美沙子は今年限りは陸上に打ち込むつもりだし「女子力」も少し上げたいと思っていて、まだ準備不足。
どうせヒロシは女子とそう近いうちに付き合うことはなさそうだからと踏んでいる。
折から地震で最近は学校が早く終ることも多い。そんな中、「お前らは早く帰ってもロクな事が無い」が口癖の眉毛の繋がった体育教師の”サクライ”の猛烈な校長へのプッシュもあって、奨励されていて、美沙子も毎日陸上に励んでいる。
余震も多くて、ガラスがビリビリいる教室で退屈な計算式を聞いているよりのがウザくてたまらないから美沙子はマユゲのサクライに少し感謝しながら、アシックスの蛍光色に塗られたトレーニングシューズに履き替える。
一歩走りだすと、もうそこは日常だ。走っていたら地震なんて関係ない。
美沙子は殆どの陸上に打ち込む人間と同様に、個人的な世界が好きだ。
都会では中々一人だけでいられる時間が殆ど無いから、行き帰りの電車の中、雑踏の中、狭い家での家族との会話、めんどくさい女子との会話。それら全てがとけてなくなる。
多分、一つ一つ吐く息が自分を包んで、点となって風景が周りを通り過ぎていく。
走る時間が長くなると、抽象画のように風景画ダラーっと目の前から原形をなくして、セロトニンとレセプターが反応してランナーズハイの時間が続いていく。
美沙子は美人で、多くの物を与えられているけれど気付いていない。同様に、ヒロシからの好意にも。
ヒロシはヒロシでとても適当な性格だが、美沙子も美沙子で適当で、大雑把だ。
部屋は物が無いから幸いにして難を免れているが、大体ご飯の食べ方もきたないし、服も適当に脱ぎ捨てて、親まかせ。
よく似たもの同士で、一人っ子。
大体、携帯をのアドレスを交換するには、それなりのきっかけや、もっともらしい理由付けがあるものだが、この2人は本当に適当な適当な。
現実的な解として、今できることと今後することをつらつらと考えてみた。