はてなキーワード: カーテンとは
オレは、以下に掲載される疑問に対してただちにお答え申し上げるとともに、このようにまっすぐな方が世におられることを、心から嬉しく思います。
こんにちは、はてなのおじさん。わたしは35さいのおとこのこです。じつは、ともだちがオレのヨメはいないというのです。えらいひとは、わからないことがあったら、はてな、というので、ほんとうのことをおしえてください。オレのヨメはいるのですか? 増田
増田、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、増田、大人でも子どもでも、何もかもわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
じつはね、増田、オレのヨメはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、オレのヨメもちゃんといるし、そういうものがあふれているおかげで、ひとのまいにちは、いやされたりうるおったりする。もしオレのヨメがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。増田みたいなおっさんがこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。オレのヨメがいないってことは、にんげんらしいすなおな心も、つくりごとをたのしむ心も、ひとを好きって思う心も、みんなないってことになる。見たり聞いたりさわったりすることでしかたのしめなくなるし、世界をいつもあたたかくしてくれるかがやきも、きえてなくなってしまうだろう。
オレのヨメがいないだなんていうのなら、サンタクロースもいないっていうんだろうね。だったら、えらいひとにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶを見はらせて、サンタクロースをまちぶせしてごらん。サンタクロースが入ってくるのが見られずにおわっても、なんにもかわらない。そもそもサンタクロースはひとの目に見えないものだし、それでサンタクロースがいないってことにもならない。ほんとのほんとうっていうのは、子どもにも大人にも、だれの目にも見えないものなんだよ。オレのヨメが画面からで出てきたところ、だれか見たひとっているかな? うん、いないよね、でもそれで、ないってきまるわけじゃない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、だれにもはっきりとはつかめないんだ。
あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、目に見えない世界には、どんなに力があっても、どれだけたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがかかってるんだ。すなおな心とか、あれこれたくましくすること・したもの、それから、なりきる気もちや、キャラを好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、そのむこうのすごくきれいですてきなものを、見たりえがいたりすることができる。うそじゃないかって? 増田、いつでもどこでも、これだけはほんとうのことなんだよ。
オレのヨメはいない? いいや、今このときも、これからもずっといる。増田、何ぜん年、いやあと十万年たっても、オレのヨメはいつまでも、オレたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。
ご主人さまは私を去勢した。 私はそう、子供を産めない体。 散歩には毎日朝晩行く約束だった。でも私の散歩をしてくれるのは違う人みたい。食事を毎日くれるご主人さま。 私に行動の自由は無い。鎖。固い鎖に繋がれている。夜は窓の中、カーテンの向こう側に楽しそうな雰囲気だけ感じていた。クゥーンクゥーン。私の体を。去勢して。子供を産めない体にしたご主人さま。私自身の命。行動。一生は全てご主人さまにゆだねられている。私を飼うと決め去勢する事を承諾し私の一生の全てに関わってきたご主人さまが私の死んだ姿を目の前にして泣きじゃくっている。長いようで短いような10年くらいの一生だったと思う。私は生きた。生かされた。限られた範囲の中で。そして私を去勢したご主人さまが私の事を惜しみながらとてもとても悲しんで悲しんでもう涙も止まらないくらい一晩中泣き続け私の死を悲しんでくれた。私の気持ちを解ってくれるひとはだれ?
@awaikumo
車で行くならホテルグリーンプラザ大阪一択。
http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/372/372.html
駐車場付きでこの値段。
LAN付の部屋有り。
電車でちょっと歩いていいなら
http://www.hotelosaka-world.com/
http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/67114/67114.html
部屋のカーテンを開けて見える風俗にドキドキしながら眠ったらいい。
近所にはラブホテル、ホテヘル待機所、中国式マッサージなどいくらでもある。
っていうか楽天トラベルでも見たら?
洗濯物を干す→取り入れる→掛ける。それだけにしろ。
鴨居やカーテンレールに物干し竿を渡したり、突っ張り棒式の物干し竿でこれをやってどんどん服を掛けてたら、服の重さで物干し竿がだんだんたわんできて最終的には落下してくる危険がある。
…というかついこの前そうなった。真下に置いてたものが破壊されたりとんでもない事に。
突っ張り棒式で落ちてきた事はあったが、鴨居に渡した状態から落ちてくるのは想定外。
落ちてきた竿が弓のように曲がっていたので、たわみすぎて鴨居から外れてしまったらしい。
ズボラゆえに整理もせず、夏服でも冬服でもオールシーズン掛けっぱなしてたのがそもそもの原因。
服って意外と重いし。竿には24時間265日負荷がかかるし。そりゃひん曲がるわな。
時々は整理したほうがいい。肩に埃が溜まってる服(ずっと掛けてて着てない)は捨てろ。
>死にたくて 死にたくて そっと
>間違って 傷をつけた手首は
>締め切ったボクの瞼
>カーテンの隙間に朝が来ても
>キヅカナイヨ
>そんな日が そんな日が ずっと続くんやって嘆いても
>何かが 癒えるわけじゃ無い
>癒える筈無い
>キエテシマオウ
>うん、消えてしまおう
死にたくても死ねなくて
牢獄のような「生」の中で
少しでも逃げたくて
傷を付けたら汚点に変わって
そんな自分が可愛くて
ずっとずっと不幸であると悲しんでも
けれども、救われるわけではなくて
消えてしまいたくて
消えれなくて
大切な人を殺したくなる、死んでしまえば良いと思う
何故だかわかるか?
誰も不自然に思わない
殺したい
巻き添えだな
夜中、急に激痛に見まわれた。夜の3時半。
例えるなら、おしっこ我慢してるとき膀胱とかアソコとか
ずぎゅぅぅぅぅんって痛くなる、あれ。それがずーっと続く。
とにかく痛い、棒の内側のどっかだけど痛い。
呼応するように、肛門や膀胱も痛い気がしてくる。
う・う・う・う・うぅぅぅ。。。。
排尿しても痛みが続く。
とにかく医療情報センターにで電話してみる。
救急病院でも泌尿器科はそうそう無い。県の情報センターで
紹介をお願いする。
さすがに、車で飛ばしても30分以上かかるところに、
この痛みではイケナイ。
GoogleMap!
「地名 泌尿器科」で検索。
夜中で申し訳ないと思いつつも、一軒一軒電話する。
さすがに繋がらないところがほとんど。で1件だけ繋がる。
「バファリンある?」
どうやらバファリンは鎮静剤として効くらしい。
幸いあった。飲んだ。何とか眠り様子を見た。
先生、ありがとう。
「どらどら・・。ちょっと見せて」
おおおおおお、いきなり来ました。看護婦さん横にいるよぉぉぉぉぉ。
(シャーーーーーーーー)
カーテンしまる音ねw。
さすがに閉めてくれた、ほっ。
「おしっこは赤く無いんだよね?」
「はい、普通です。今朝は何とも無かったです。」
実は、今朝はもう痛みは消えて普通だった。でもちょっと違和感はある。
「んー、とくにただれては無いんだよねえ。」
「先生、ほぼ毎日、寸止めオナニーしてるんですけど、関係無いですか?」
「全然関係ない。キリッ」
「そ、そうなんですか!?いや精管が腐るとか・・・」
「でも前立腺とかそのあたりも痛くないんだよねえ」
「まあ・・・」
「とにかく尿とってきて!」
「は、はい・・・」
「じゃぁこれにおしっこ入れてきて~♪」
「最初の方も入れてよ!」
(ほいきた!)
「んーやっぱり何にも混ざってない」
「え~~~~~~~~~~」
(何故だか、がっくり)
「慢性前立腺炎というのはありうるかもしれないけれど
ま、痛み止め出すから様子見て!」
「でも先生、とりあえず仕事もあるんで痛み止めは欲しいんですけど」
「そうかぁー、んーまあいろいろ面倒だからロキソニン3日分な!朝晩でいいか。」
(ほっ)
「あと酒は飲むなよ!」
というわけで、あの痛みは何だったのだろう。
仕事帰ってきた今も痛みはない。
2chとかで、テクノブレイクや寸止め危険とか書かれてたけど、
とりあえず大丈夫らしい。
でも、朝起きて気がつくと、手がいってるので、
止めようにも止められないんだよ、これが。
もう10年くらいそんな感じだけどいいのかな?
薬代と合わせてしめて3500円。みんなも気をつけようね!
1、 出不精で週末・連休一歩も出ないのが普通。ネットすら出不精になりほぼ2chのみに
2、 部屋が汚い。片づけ方が分からない
3、 一日中カーテンを閉めてるので埃がすぐに溜まり掃除を諦めた
5、 本棚は触らないから綺麗だが、ラインナップが15年以上変化がなく色落ち埃まみれ
7、 なので清潔かと思われ過去に友人を自分の家に入れて幻滅されたことがある
9、 自慰でティッシュを使うのすら面倒でそのまま下着に出す(男性のみ)
10、服はタンスに入れず、母親が置いていった洗濯物から無限ループ
11、家に帰ると即効色落ち虫食いTシャツ等、完全家用の処分服に着替える
12、ヘアバンド等で前髪も癖がついた状態で、服装含め急な来客に既に対応できない
13、ギリギリまでやらない。それで冷や汗をかいたのに直せない
14、トラブルがあるとすぐ謝る。外では絶対に自分の不機嫌な感情を見せない。言われる一方
15、自分のプライベートを話せない。恋愛や卑猥な会話が一切無理
16、常に気を遣い真面目でいい人と思われている。でも実際は唯の無気力で怠け者
17、元々はテレビっ子だったが最近ニュース以外ほぼ見なくなった
19、育ちは保守的で品が良く、酒・煙草・パチンコ・性風俗等を嫌う。飲み会・カラオケが怖い。要は子供
20、店員や他人のちょっとした品のない行動、キツい態度にすぐ傷つき人間不信になる
21、友達がいなかったために飛行機の乗り方旅行の仕方、冠婚葬祭マナー、携帯等常識を知らない。それを知られるのが怖い
22、楽しいと感じることがなく趣味がない。ゲームやアニメももうやる気力が無い
23、服のセンスはあるのに自分でそのセンスを実現する能力がない
25、手帳に予定を書くなんて信じられない。想像しただけで疲れる
26、美容院にいけない。自分で切るか行けて無言10分1000円カット
山際にだいだらぼっちのような入道雲が沸いていて、それが流れてきたのだった。
バタ、バタ、バタ。数粒の斥候が、乾いた大地に降り注ぐ。
パタ、パタ、パタタ。薄暗くなった空に、落雷もどんどん近づいてくる。
パタタ、パタ、パタタ。どこからともなく雨のにおいが立ち込め始めた。
一転して一粒も雨が降らなくなった曇天の下を、冷たい吹き降ろしの風が通り抜けていく。
ああ、いけないいけない。大変よろしくない。不穏な気配に、いそいそと用意にとりかかり、間もなくしてからだった。
衝撃で家財が細かな音を立てる。大きな柱や梁などは、みしりみしりと小さく軋んで、まるで家全体が震え上がったような錯覚にとらわれる。
急いで洗濯物を取り込んだ軒先から恐る恐る外の様子を伺ってみると、遠く山の向こう側から、いよいよ本隊が攻めこんでくるところだった。
上空から長く垂れ下がった篠突くカーテンが、ゆらゆらと風に煽られながら、破竹の勢いで迫ってくる。
やっと来た。そう認識するが早かったか打たれたが早かったか、大粒の雨粒群は瞬く間に辺りを覆い尽くすと、空を切りありとあらゆる物々を打ち鳴らし始めた。
さながら滝のような降り様である。空気は刹那に潤いを満たし、庭先はたちまち浅い海へと変貌していく。屋根に連なる雨樋からは濁濁と水が溢れ始める始末だ。
一瞬のうちに、山間の古民家は荒波に揉まれる船舶の如き状態に陥ってしまった。
冷たい風はびゅうびゅうと吹き荒び、屋根を持ち上げ雨戸を叩いては、僅かな隙間からうなり声を上げて入り込んでくる。
駆け抜ける紫雷は、どうにも虫の居所が悪いらしい。閃光を迸らせては癇癪を爆発させたかのような怒号を響かせ、ビリビリと辺りを振動させている。
予想外に激しい夕立だった。一人住まいであるために戸締りにあちこち走りまわらなければならなかった私は、すべての戸をきっちし閉め終えたことを確認してから、再び縁側に戻った。
閉じた雨戸をそっと開く。勢いよく吹きこんできた風雨に顔をしかめながらも、荒れ狂う灰色の海原を見上げてみる。
ふと、どうしていつも猛々しい様子に見惚れてしまうのだろうかと不思議に思った。
煽られて大きくしなった杉の木や、ころころと方向を変える雨粒、思い出したように瞬いては轟音を響かせる紫雷などから、どうしてこんなにも目が離せなくなってしまうのだろう。
ドキドキともワクワクとも違う静かな興奮が、泉のように噴きだしてこんこんと滲み出してくるのである。陶酔と微かな狂気。焚き火を見ていると似たような感覚に陥ることがあるように思う。
圧倒されるだけじゃなく、呑み込まれそうになってしまうのだ。呑み込まれて、夕立や海と、水と、一緒になってしまえる気さえするくらいだ。
それは、生物が皆、水に抱かれて産まれてきたからなのだろうか。身体が細胞が遺伝子が、遠い太古の記憶を伝えているからなのだろうか。
あるいは私という生命の半分以上が水によって生成されているからなのかもしれない。夕立や海原には同化するために、炎のゆらめきには霧散するために、惹きつけられてしまうのかもしれない。
開けた雨戸の隙間から、雨は容赦なく降りかかってくる。世界は最早、水一色に染まっている。天も地も、二つをつなぐ空さえも雨が満たし、むっとするほど濃密なにおいで満ち溢れかけている。
深く冷たい深層を流れていたにおいだ。ぐるりぐるりと地球をめぐって、こうして再び空と海との循環を繰り返している。
生命の血液として。あるいは生命そのものとして。延々と続く循環を繰り返し続けている、そういうもののにおい。
ぱしゃりと庭先の浅瀬で何かが撥ねた音が聞こえた。見れば、無数の波紋に下に、小さな魚影がちらりちらりと見え隠れしている。
分厚い雲の向こう側では鯨が尾びれを打ち鳴らしているようだ。轟音に誘われて、何百何万ものものどもが嘶き、咆哮を上げ、囀りながら、威風堂々たる行進を続けている。
生命として廻るために。
山間の集落には、いよいよ潮のにおいが満ち始めている。
ゲイだと自覚したのは4才の時だった あんたらが想像してるとうりだ 幼稚園の年少の時だった 男にしか興味が持てなかった。
小学校に入学してついたあだ名は「ホモ」だった。でも「オカマ」よりはマシだった。
家に帰ってワンワン泣いた 「ケツが痛ぇ」妹に慰められた 「これ見て」「うるせえほっとけよ」「お尻痛いの?」「ボラギノール買ってこようか?」
「いらねえよそんなの」「出てけよ」「ノーマルなお前にはアブノーマルな兄ちゃんの気持ちは理解できないだろうな」
マジで凄かった 部室で強引に突っ込まれた まさにクレイジー 狂ったように腰をシェイクした 俺はまるで赤ちゃんだった。
翌日の授業中、、俺は席に座ってられなかった、、俺は席に座ってられなかった、、「さすがラグビー部だな」なんて思ってた、、苦笑いするしかなかった。
ああ可愛い妹よ、、どうか許してくれ、、アブノーマルに生まれた兄ちゃんを、、君に罪はない だから悲しまないで、、 あの後よく考えて 覚悟を決めたんだ 思い切って母親にカミングアウトしようと
でも 妹が慌ててるんだ 「ママなんで泣いてるの?」妹はまだ理解できる年齢じゃない 「いつもの・・」 「嘘だ。またいつものジョークでしょ?」
俺は言う「嘘じゃない。俺は真性のゲイだ」掘られたんだ そして唇を奪われて、部室でブチ込まれたんだ 「もういい!もういい!やめて!」優しい妹はポケットから何かを出した
大事なネックレスだ 「お兄ちゃん。これを肛門に詰めて」鏡にうつる自分を見て情けなくなった。
気持ちは抑えられず
「取れなくなったらどうすんだよ・・」「副部長ともう一回・・」「もう一回したい、、」「今夜」妹に申し訳ないと思いながら、、
再び俺は、、部室のドアを開けた、、そこには、、まるでスポットライトが当たったように全裸の副部長が仁王立ちしてた、、見事な肉体だった、、「さあ、キックオフだ」
タッチダウン 激しくゆれる身体妹のことを考えると胸が痛かった、、でもケツの穴は副部長を求めていた 抑えられない快感だった
そして思春期が終わり、、時は経ち、、俺はいつの間にか20歳にもなっていた、、淡いケツの痛みを残しながら 6000人以上の男に掘られてきたけど
尻のカーテンはもう閉まったみたいだ あの頃の、、副部長を超えるトキメキは誰と寝ても、、一度もなかった
尻の穴に竜巻が入って来るような快感は、、目を閉じると妹の忠告を思い出す「お兄ちゃん!ママが自殺したの!」「自殺、、自殺!なんでだ!」「あんたがオカマだからじゃない!」「このホモ!」
「6000人斬りのセーちゃんって!」「地元じゃすっかり有名よ!」「だから言ったじゃないのよ!」「これをお尻の穴に詰めろって!」「こんなの入ると思うのかよ?」「今だったら簡単に入るでしょ!」
「ガバガバのあんたの尻なら!」「でももう遅いわ!」「もう遅い」「パパは出て行った!」「あんたが家庭をブチ壊した!」「あんたなんか兄じゃないわ!」
それっきり俺は妹を見ていない、、でも妹よ、、一つだけお兄ちゃんに言い訳をさせてくれ 俺は、リアルゲイであることを恥じてない
それに俺は見ちまったんだぜ お前と母ちゃんがレズってるところを!これが現実だ、、初めから幸せな家庭なんかなかったんだ
その瞬間、今までの半生がフラッシュバックしてきた 天国から地獄へ突き落とされたみたいに 思い返せばうちの一家はブランコみたいな
ゆれる、、複雑な一家だった 俺はホモだったし 妹と母はレズだった!親父は浮気してたし 俺はママとよく寝てた
妹はレズで、女の友達とデキてたし 親父の浮気相手は男だった、、これが現実だ、、涙声になっちまうよな、、ホモの兄ちゃんとレズの妹、、フィリピン人の男と
http://anond.hatelabo.jp/20110611171325
10数年前かな、実家は風呂とシャワーがなかったのでお湯をわかして水を貯めて玄関で体をあらってましたよ。
当時のコツをいくつか。
・玄関で水を浴びるなら、排水構造はあらかじめしっかりと作って防水もしておきます
・ホテルのシャワールームの防水カーテンように周りにシートを貼っとくといいです
・蛇口に付けられるシャワーの口があると好ましい
今ならより便利に節約できると思います。マンションでは設備に手を加えられなかったり、排水がうまくできないと玄関を使うのは難しいし、実際にやるならかなり工夫のしがいがあると思う。
日付が変わる前に寝ようとしてみて起きたら今日のAM1:42分ごろに目が覚めて寝れない
夜食?朝食?代わりに祖母が切ってくれてたオレンジを食べながらNHKのBS1でインテル対どこかのチームのサッカーを5分位見てた。その前に地上波のNHK総合で爆笑問題の番組でホスピスを訪問してたのを30秒位見て即座にBSに変えた訳だ
PCの前に座って、でもスリープから復帰はさせずにラジオでNHKFMを少し聞いて最近受験勉強してないなと思いながらマウスをクリックしてPCを眠りから覚ます
昨日か一昨日に少し触ったFPS「AVA」をなんとなくやり始めた。このゲームは基本無料の癖に一人でAI相手に練習出来るので、クロスヘアを見なくても画面の真ん中に敵キャラクターの頭部を捉えられるようになるまでひたすらやる
調子が出てきたところでAVAを一旦落として休憩。
それからカーテンの外の世界が青白くなるまでだらだらAVAれる。
それからStarcraft2のIGNプロリーグをJustinTVで観戦。実況解説や配信ページも全部英語なので英語の勉強になってるはず。
ずっと英語の実況を聞いてると眠くなってくる。ヘッドホンをしたままPCとほとんど離れていないベッドに潜り込んで実況を聞きながら試合の様子を想像してると更に意識が遠のいていく。
ヘッドホンを外しても開放型のHD595なので強調された単語は耳に入ってくる。その声を聞きながら眠りに落ちる。AM8時前
起きたのはPM2時40分ごろだったがPCのファンノイズが五月蝿いし、いつの間にか試合も全部終わっていたのでPCをスリープさせる作業が途中で入った。
起きてから今までGoogleリーダーやTwitterを読んでいた。
少し腹の虫が騒いでいるので何か食べてから散歩に行こうかな この後6時10分から韓国で行われてるStarcraft2のスーパートーナメントを見たいのであまり長くは歩いたりブックマーケットに立ち読みに行けない。
ついき。
遮光カーテンには等級があってピンきり。高いのは効果あるよ。
あと、遮光レースっていう遮光と通気を両立できるのもある。
どっちもうちで使ってるけど、つかってないときとの温度差は歴然だよ。
遮光カーテンというのがあって、普通のカーテンより確実に日光を遮るから、妙なものを張るより簡単でましだと思う。
ここからは余談。
うちは元々一般家庭にエアコンないのがあたりまえの北海道なんだけど。
こっちじゃふつうの家にエアコンないから、夏は窓を全開にして風をいれる。
レースのカーテンとかで適度に日光をさえぎりつつ、部屋の複数方向の窓を開けて家の中を風が通るようにする。
寝てる間も網戸引いて窓全開があたりまえ。
なんでそんなあたりまえのことをわざわざ書くんだと言われそうだが、
先日、首都圏に住んでる知人と話してて「そうか!窓あけるという発想がなかった」といわれてびっくりしたのだ。
生まれた時から冬は寒いから春は花粉だから夏は冷房だからで、窓をあけることは一切ない環境でずっと育ってると。
なんというかカルチャーショックを感じたのだ。
夏も計画停電は必至、という事でうちは西日の対策をしなければいけない。
今住んでる所の西の部屋は西向き壁がほぼ全面窓(以前は事務所だった名残?)で夏の午後には西日をいっぱいに受けて、ほっといたら43度まで室温が上がる。
うちの夏の暑さの半分以上はこの部屋から発生していると思って間違いない。
この部屋の前に来るとドア越しにでもムッとした熱気を感じるし。
エアコンがなく、まともに住めない部屋なので物置部屋として使っている。
窓ガラスは網入りなので、ガラス密着式の熱遮断シートみたいなものは貼れない(網入りだと割れる心配があるのだそうだ)。
コタツの下に敷くような銀色シートをカーテン代わりに吊るせば多少は室温の上昇を防げるだろうか?
電力需要をどうするか。
2000年夏のカリフォルニア大停電以後、北米西海岸では、時間当たりの電気料金に変動制が適用される地域が発生した。夜間等の需要の少ない時間帯と、冷房需要のピークとなる時間帯とでは、1KWh当たりの価格が違うという制度である。発電量不足から大停電が発生したことから、発電事業を自由化するとなり、それを実現する為に、その時点の電気の相場が作られ、この相場の価格に、送電業者の取り分を乗せた分が、一般家庭が購入する単価となる。この制度を実現する為に、消費電力計に時計機能と記録機能と現在の電気相場価格を示すインジケーターが組み込まれたSmartMeterが使用されるようになっている。クーラーの電源を入れる前に、今の電気相場がいくらなのかを確認し、コストパフォーマンスを考えるようになる事で、省電力という行動を取るように仕向けている。
しかし、これで省電力をやるのは個人の家庭だけで、商業施設の場合、営業時間内はいくら高値になっていたとしても、つけっぱなしにせざるを得ない。こうなると、営業経費における電気代のコストが読めなくなる。そこで、電気代は上限価格で商品に転嫁し、実際のコストとの差額を利益として確保するという手法へと、変わっていっている。ここで重要なのは、上限価格があるという点である。この上限価格制度は、発電業者が自由化されているアメリカにおいては、大規模需要者に自社の電気を買ってもらう為のサービスとなっていて、一般家庭には適用されない。大規模需要者にプライスキャップをつけた分、一般家庭や小口消費者向けの代金が高くなり、結果的に、一般家庭では節電しているのに高くなった電気代を請求されるとなっている。電気相場がいくら高値に上がっていったとしても、大規模需要者である商工業者は痛くも痒くも無いというのが、この制度の本質なのである。電気相場が高騰すればする分だけ、上限価格契約の価値は高くなり、需要家を囲い込む事が可能になる。
一般家庭の消費電力よりも、商工施設が使う電力の方が、大きいし波が激しい。商工施設が使う電力は昼間の冷房のピークに集中し、一般家庭の消費電力は夜に集中する。需給の波を大きくしているのは、昼間の商工施設の消費電力であり、設備投資という観点からみれば、商工施設の為に真夏の冷房需要の為だけの余剰設備を抱え込んでいるというのが、電力業界の現実なのである。
持続発電に適した原子力発電を民間発電業者が運営するのは、リスクが大きすぎるので、火力発電が主体となる。火力発電業者にとっては、昼間の営業中にのみ大量に使ってくれる商工業者の方が、設備の運営の面において、メリットがある。このために、一日中ほそぼそと電気を使う一般家庭の相手は、メリットが無い。
大口消費者に売電する方が、一口あたりの成約金額が大きくなり、歩合制セールスマンにとっては、美味しい話となる。売電量を大きくする事で、設備投資の回収期間を早め、市場での競争に勝ちやすくなる。もっとも、その先で独占企業となってしまったら、再び規制産業に逆戻りしてしまう。目先の金、出世の為に、間違ったインセンティブを設定してしまうというのは、よくある事であるが、SmartMeterは、理念は立派だけど、それをやるのが生身の人間だという点で、失敗に向かっている。
で、考えつく対策として、時計を進ませるサマータイムを主張する者が現れてきているが、電気の主たる使用先が照明用であったならば、昼間の明かるさを最大限利用しようというサマータイムは有効である。しかし、現状、電気の主たる使用先は昼間のオフィスや売り場の照明であり、工場を動かす産業用電力であり、冷房である。
冷房のピークが来る時間帯には工場を止めて、夜間を主たる生産時間とする、労働時間の逆転という手法もあるが、夜勤を主体とすると、深夜割増賃金・夜勤手当を出さなければならないので、コストが跳ね上がってしまうという欠点がある。時計を早めるサマータイムのような、電気のピークを抑制するどころか、長引かせて電力消費量をふやしてしまう施策よりも、電気を必要とする産業に対しては、深夜割増賃金・夜勤手当についての特例を作る方が、効果的と言えるかもしれない。もっとも、夜勤で帰ってきて、暑い昼間にカーテンを閉めて寝る為にクーラーをガンガンつけるとなれば、電気の需要はかえって増えてしまうであろう。
この日記では、昼間の明るさよりも朝方の涼しさと日没後の涼しさを利用する、時計を遅らせる逆サマータイムを提案している(cf.[2007.6.3])。逆サマータイムの方が、冷房電力需要に対しては効果が期待できる。
東日本巨大地震が起き、福島の原子力発電所が被災したことから、東京電力は計画停電を行っている。この計画停電が始まって以来、妻が変わってしまった。
日中はともかく、夜の時間帯であれば、停電中にセックスをするようになった夫婦はさして珍しくもないと思う。明かりも消え、マンションによっては水も止まるから料理もままならず、パソコンもテレビも使えないとなれば、自分たちの肉体だけあればできるセックスに向かうのは必然だろうが、あくまで電気が届かない空白を埋めるためにパンツを脱いでいるのではないかと思う。
どちらかといえば誰も歓迎しない計画停電を、妻は待ち遠しく感じて日々を過ごしている。とくに外も暗くなる夜の時間帯に停電になるのが好ましく、第一希望は18:20から22:00の時間帯だそうである。どうしてそんなに停電がよいのか首をかしげていたが、よくよく聞けば、「完全な暗闇」と「簡単には明かりが手に入らない状況」が燃えさせるらしい。そして、我が家では、計画停電のないときにも、妻の手によってブレーカーが落とされるという不思議な事態に陥っている。
初回の停電中にセックスをしていたときに、味を占めたらしい。周囲のマンションの明かりや街灯が消えるため、カーテンを閉め切ると、部屋では目を凝らしても、互いの顔すら見えぬ闇が訪れる。いつもより、妻の毛むくじゃらの奥は、おびただしい量の蜜であふれ返っていた。「いつもよりえらく濡れているじゃないか」と驚くと、「死と隣り合わせのセックスのようで感じちゃう……」と、艶っぽい声で教えてくれた。明かりという生命の象徴を奪われ、視界が完全になくなり、触れ合う肉体の触覚が否応なしに鋭敏になることから、かえって強いエクスタシーを感じるようである。
計画停電が中止になったある日、それでも暗闇のセックスをしようと妻が提案した。私は、暗くすればいいのだろうと、部屋の明かりをリモコンのスイッチで切ったのだが、それではだめだと怒り出す。「ちゃんとブレーカーを落として」と言うのである。いやいや、ブレーカーを落とすまでもなく、部屋の明かりを消せば暗さは同じではないか。それに、余震が続いており、「もしブレーカーを切っている間に大きな揺れが来たら、明かりがつけられなくて逃げ遅れるではないか」とたしなめた。妻はすぐさま、「簡単に電気がつけられるなんて、甘え!」と、吐き捨てるように言った。
「大きな揺れが迫ってくるとするでしょう?そこでセックスを中断してリモコンに手をかけて、ぱっと明かりをつけたくなる気持ちはわかるよ、気持ちは。けれど、そこで電気をつけたくても簡単につけられない、こんなに揺れているのに裸だし暗いし……っていうもどかしさと無力感と絶望がいいのよ」 妻の目は冗談を言うときの目ではなかった。こいつは何を言っているのだと一蹴しようとしたのだが、それもたしかにスリルがあるなとぼんやり考えた。もっとも、本当の停電ではないから、向かいのマンションの明かりが少し入ってきてしまうのが妻にはちょっぴり不満なところで、ブレーカーを落とした人工的な停電は次善の方策であるらしかった。
私たち夫婦はそれまで週に一回くらいだったのだが、暗闇のセックスを知ってからは妻が異常に求めてきて毎日愛し合っている。3月11日の地震直後、震災の現場が映し出されるテレビを見た妻はふさぎ込んで元気がなかった。しかし、たとえふしだらな遊びであっても、妻が生活の中に愉楽を見出したのを確認して、私は今となっては安心しているのである。
今夜もまたブレーカーに妻の手が伸びようとしている。
即刻やるべきでしょう。RT 東京電力は鎌倉や熱海など20数カ所に保養所を持っている。そこを福島県民のための避難所に提供すべき。
自分は『保養所』って聞いても、ピンとこなかったからググってみたんだ。
厚生施設とも言うらしいね。
http://www.qkamura.or.jp/nasu/
温泉の露天風呂がついて1万2千円。。。安いね。うらやましい。
でも、これって……リゾートって言うんじゃないの?
そんなとこに避難民入れてどうすんの?
いや、入るのはいいよ。
「いやだ、ここから出たくない!」って思う人もいるだろう(自分なら思う)けど、
それはまあ、楽しんだんだからね、やることやりに戻らなきゃ、って頑張るよ。
でもさ。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110316/trd11031619150013-n1.htm
このニュースによれば「約43万人を超える」だよ。
どうやってその中から、この保養施設に泊まる人選ぶの?
どう選んだって「あいつは入れたのに、なんで俺は!」ってなるよね。
まあ「俺」ならいいよ。「俺」が我慢すりゃいいや、って割り切れるからね。
でも、入れなかったのが自分の友人や家族なら、大人は黙っちゃいないよね。
「隣のナントカちゃんは保養施設に行ったのに、うちの娘はドラム缶風呂だ。
アタシがカーテン持ってなきゃ『怖くて入れない』なんて言うんだよ」なんてさ。
泣けてくるよね。何が悪いのか、誰が悪いのか、わかんないから涙が出るよねえ。
そういうのがさー。
神戸の時もあったんだよ。
それまで仲良しだったのに、たまたま運が悪くて、あの子だけチョコを食べた、ってね。
必死だったからさ、何年経っても、そのまんま、仲直りできなかったんだ。
特別な話じゃないよ。
あの時はネットも無かったのに、こんな話があちこちで転がってたんだ。
援助は必要だと思うし、自分も出来ることはないか、って仕事終わってから情報漁ってる。
これでも、いい年した大人だから壁パンも叫んだりもヤケ酒もしないよ。
笑って話せる日がくるなんて思わない。
いい年したおばちゃんなんだけどね。スーツ着たまま机の下に隠れて震えるんだ。
どうすればいいか分からないから「大丈夫ですよ」って笑ったり、
わざと大げさに緊急用のヘルメットかぶったりして、笑ってもらったりしてる。
どうすればいいか分からない人なんて、きっと日本中にたくさんいる。
「何かしたい!」って気持ちはちょっとは分かるよ。
でも「何かしたい!」から「何か出来る」ってわけじゃないんだ。
被災にあった人、困ってる人たちはさ。
決して、誰かを責めたり、困らせたりする為の道具じゃないんだよ。
ちょっとそれだけ言いたくてね。
業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。
人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。
地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。
一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。
生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。
本を買うより、身の安全の確保が第一だ。
店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。
激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。
だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。
目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。
あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。
まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店の入り口近くにある金属の柱にしがみつく。
建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。
何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。
一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。
もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。
視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。
地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。
銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。
勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。
その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。
私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。
長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、
だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。
そうだ、職場に行かなければならない。
揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場のビルへと向かった。
エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。
階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。
それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。
ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。
「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。
オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した。
自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。
それから、階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難した。しかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。
その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板が地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話で写真を撮っていた。
本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。
地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。
携帯電話を操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。
それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。
車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。
仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから、渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。
正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。
そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から、仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。
最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。
移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。
同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。
私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。
被災直後であるから、携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから、機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。
車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式の最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパーのビニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。
1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。
これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。
しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。
3時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。
外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。
この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。
さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。
我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。
何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜のスープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから。
4時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。
最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。
家族は全員、茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。
意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。
家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震で家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。
自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。
そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかに、ゲームセンターのUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球ではなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。
本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした。
また、その時の私は、黒いタイツにストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した。
茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事の可能性が低くなったのでひとまず安心した。
余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度も何度も地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。
母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしい。テレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。
兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。
父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。
ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した、津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。
私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。
この時、電話はまともに使えなかったが、メールやインターネットならば使用可能な状態にあった。
機械音痴らしい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい。
娘さんの勤め先は、長町にある。我が家は仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。
午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。
先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから。停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点で水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。
しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。
とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。
夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。
形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールやネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画やユーストリームでNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。
日の出まであと6時間。ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。
3時か4時になった頃、NHKのラジオが音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。
長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。
被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。
携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。
これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災の体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。
また、普段は趣味で小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。
私が住んでいる仙台市泉区のとあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した。