はてなキーワード: 学童保育とは
俺は典型的な多動性障害を持った子どもだった。コミュニケーションが下手な故のトラブルは絶えず、貧乏ゆすりは止まらず、目線は常にあちこちを飛んでいた。発達障害の子どもに多く見られる体幹が弱いっつー特徴も持っていたから、周りからはふにゃふにゃのがちゃがちゃの変なやつだと思われていただろう。冗談だか本気だかわかんないが、「背中にものさしを入れとけば」なんて言われたこともある。
そんな俺でも、幸運なことに、友人や学校の先生、家族には恵まれ、ある程度の自己肯定感を持って生きていくことが出来ていた。親が転職し、学童保育に預けられるようになるまでは。
オモチャがあって、マンガがあって、オヤツがあっても、あそこは俺にとって苦しい場所だったと思う。
仲良い子で学童に通ってたのが自分だけで、そんでちょっと虐められただとかか、学童のセンセイがイジワルだったとか、色々あったけど。
時間になったら、みんなオモチャを仕舞い、マンガを片付け、、席に着く。
センセイ達がオヤツを広げ、紙皿やスプーンやフォークを並べる。
そして、その日のオヤツ係が2人、窓際のホワイトボードの前で今日のオヤツを読み上げたら、次は、選別タイムだ。
長机に10人くらいずつ、それを何班か、分けて座ってるトコの、「お行儀のいい」班を選んで呼ぶ。
呼ばれた班の子たちから、オヤツを盛りに行っていい。そういうシステムが作られていた。
「あそこは、みんなせすじをよくしてるから、よぼう」
「あそこは、あのこがきたないすわりかたをしてるから、あとにしよう」
オヤツ係の2人が、そう小声で相談している。あのこってのは、俺のことじゃないだろうか。こわい、こわいな。ちゃんとまっすぐ、すわれてるはずだよな。そうだよな。息を止めて、まばたきをがまんして、キレイな姿勢を保とうと必死になる。前を見りゃ、対面に座ってる子も、同じ顔をしている。
そうやって、よく分かんねえ、けど確かにくそ重い重圧を、楽しい楽しいオヤツタイムの前に味わわされるのだ。
今になって考えて見りゃあ、なんとも残酷な事をしているなぁ、と思う。ジャンケンでもさせて、勝った順に取りに行くって方が随分マシだろと思う。
何が辛かったって、俺がふにゃふにゃがちゃがちゃになる時ってのは結構ムラがあって、そんな時は自分で頑張ろうとやってみたって、ちゃあんと座ることが出来なくなることだ。そんな時は、最後に呼ばれた同じ班の子たちから、恨みを買うことになる。
その子たちからしても迷惑だったろうが、そんなん俺が1番つらいんだよな。どうしろってんだよ。お行儀をよくするためのしつけなんだかわかんないが、ただそばで黙っているだけのセンセイ達は、冷たい目をしていた。
ある日、いい姿勢ってなんだっけ、まっすぐってなんだっけ、ってわかんなくなった。そんで、どうにか、首の角度、手の置き方なんかを調節していたら、がちゃがちゃしてると思われたのか、
「俺さん以外、行ってください」
とオヤツ係に宣告された。
覚えてねーけど。
つらかったな、って思う。
だから高学年になって鍵っ子にランクアップして、学童をやめた時は開放感が凄かった。鍵を忘れて家に入れなかったりしたこともあったけど。
あれから成長して、歩き方だの座り方だの、そういうのはだいぶマシになったと思う。たくさんスポーツをやって、人前に出るための努力もしたりして、もうふにゃふにゃのがちゃがちゃの子ではなくなった、と思う。
けど、やっぱ人間ってのは不安になってしまう生き物だ。ふと自分がマトモな人間であれているか、おかしいヤツに見えてないか、不安になってしまう時がある。今変な動きしなかったかな、今あの人に変なことしなかったかな、大丈夫かな、こわいな、ちゃんと出来てるよな。考えれば考えるほど分からなくなっていく。意識が溶けて、保てなくなっていく。
「俺さん以外、行ってください」って。
幼くて、残酷な声が。
残業したくねぇはまだしも勝手に時短で週4で〜とか言ってるのにナメてんの?
学童保育(児童クラブ)使え。学童保育(児童クラブ)の利用料金は、母子家庭向けの減免助成制度を使え
あと、殆どの地域では、子育てヘルパーが使えるし、一部地域では24/365でベビーシッターが公費で利用できるので、
というかなんで自宅で出来るITみてーな仕事を選ばないのよって話
まぁやりたくないからなんでしょうけど、公助ではどうにもすることができませんし、する必要性もない
自分の前提
昔はひろゆきSUGEEEEって思って他人を論破(笑)する事に喜びを感じてた子供時代を過ごした事があるのと
今の小学生と話す機会がよくあり共通点こんなとこなのかなーと思ったところをつらつらと書いてみます
とは言ってもそんな長い話でも無く結論から言うと「周りの大人(教師親等)がちゃんと子供の話を聞かない」なんじゃないかと思ってます
子供が何を言ってもまともに取り合わずちょっとでも反論したりすると「屁理屈」「言い訳」「揚げ足取り」等の言葉を多用し、何がどう屁理屈なのか等を一切説明しないまま
お前が悪いと言って会話を終わらせる
こういう事を繰り返されると会話をするんじゃなくて相手を言い負かす事に対して価値を見出すようになり
子供生むのなら食習慣・生活習慣はいますりあわせても無駄な気がする
子供はミルクや離乳食しかたべられない時期が一年以上つづき、それ以降も甘口カレーとのつくりわけなどがあって非常に大変
6歳になってご入学して1学期おわるまでは子供の3食をだれかが用意しないといけない
あと夜なきはうちは3歳くらいまで続いた 夜眠れないのけっこうつらいのでパパが保育園の送り迎えをしてた
(保育園という手で1食はおまかせできるが結局朝夜おやつは用意したり、アレルギーがあれば給食に頼れなかったり)
なら保育園や学童保育に余裕のある(LINEとかできめこまかくふぉろーしてくれる)地域に
ご実家にどれだけ救援を頼めるかもふくめてご挨拶にいくのが一番最初ではないか
どうしても人的援助が公的援助だけではたりなくなってこの増田に「保育園落ちた日本死ね」と書きに来た先輩を他山の石とすべき
今までの延長線じゃない対策って意味なんだろうけど、補助金拡充程度じゃ今までの次元だよな
出産と5歳くらいまでの育児が何とかなれ産んでくれるって国は思ってそうだが、実際は子どもが独立するまで育てられるのか、という不安のほうが大きいので人生計画ちゃんとしてる人ほど敬遠するよね
それを踏まえて、僕が思う異次元的な少子化対策はここらへんだと思う。
財源?しらん
障害児への介助だったり災害ボランティアだったり老人ホームのボランティアだったり子ども食堂だったり
そういう人たちに生じたいろいろなドラマを「善意では長続きしない」と冷笑するエピソードが好きな人はたくさんいるだろうけど。
ラーメンハゲの「対価の無い仕事に責任は発生しないホニャララ」の画像を貼って、悦に浸ってる奴とかね。(大体漫画の切り抜きって前後の文脈完全無視してるよね)
でも別に半分当事者としては「善意(単純な感情でもいい)では長続きしない」の連続でいいと思うんだよね
学童保育や子ども食堂みたいな零細の現場では、夢に溢れて学童に携わろうとしてきた教育課程のバイトとかボランティアもそれなりに来てたけど
当然「理想」と違って本当に物事の途中で去っていく者もいるわけだ。
子どもというリアルの生き物相手だから自分が抱いていた子どもの観方が圧し折られていなくなるひともいる。
力量の入れ方を間違えちゃって一週間で一ヶ月分の働きをしちゃって、疲れちゃって辞める人とかもいる。
で、そういう所だけ切り取ってすぐに制度の問題がどうとか「仕事には対価が必要!」とかいう人もいるけど違うんだよね。
それで周っている。そしてそれにとくに問題は感じない。
Aが去ってもBが来る。Bが去ってもCが来る。私もやめた側だけど、「善意の現場」はそれでいいと思う。
問題になるのは本当に場所が無くなる時だけで、言い換えれば「貢献」の場所がある限りはそこの人員がどう周っていてもいい。
それで助かる人がいる限り。
似たような例で、前に「老夫婦が長年経営して減価償却も済ませて学生に安く食わせてるとんかつ屋は地域経済を破壊する!」みたいな記事があったけど
あれなんか実際学生が助かって喜んで老夫婦も嬉しい以上そこに経済がどうとか、危機感がどうとか、ダンピングがどうとか言いくるめるのは無理なんだよな。
あの時も賢しらなコメント一杯ついてたけど、冷笑なんか、目の前の笑顔を知っている当事者にはそもそも意味をなさない。
車は一人一台。うちは分譲地で駐車場4台。建売でも3台分は大体ついてる。
敷地60坪、建坪33坪の建売が3000万ぐらい。
ほとんどの人が車通勤30分以内。通勤で1時間ぐらいかかるとかわいそうと思われる。
保育園の待機児童はいない。大抵第2希望ぐらいの保育園に入れる。
保育園のときは夕方6時、学童保育は夕方7時まで延長料金なしで見てくれる。
保育料も一人目4万ぐらい。(世帯年収は800)
それほど自治会の大変さはない。役員じゃなきゃ年2回ぐらいの清掃作業ぐらい。
東京から電車で2時間ぐらいだからライブとか行こうと思えば行ける。
スーパーは夜9時に閉まるところが多いけど、24時間営業や夜1時までのところもある。
買い物にこだわりがなければあまり困らない。
20年は前の話なんだけど。弟が小学校低学年のとき、夏休みの自由研究で賞をもらった。
全校集会の際に表彰された。自分のことのように…自分のこと以上に、私はうれしかった。
私の弟だよ!!すごいよ!!って叫びたいぐらいうれしかった。叫ぶ代わりに手が痛くなるくらい思いっきり拍手したのを覚えている。
っていう、ほのぼの話をさぁ……両親にしたらさぁ。実はその裏話が過酷だったらしい。
セミが脱皮する様子を一晩中見守って、写真にとって感想と一緒に提出したものだった。そこまではいい。
「写真だけじゃなく絵に描き直してくれ。もちろん本人の手書き」
「文字も(略」
「家でやってくれ」
突如発生する夏休み1ヶ月並みの(は過言だけどまあそれなりの)作業量。
低学年の元気男児に。共働き家庭で、学童保育、食事や風呂…のあと寝るまでの時間。
「毎日、(弟)につきっきりになって。あなたには、ごめんねごめんねって言いながらやったのよ」といわれた。お、覚えてない…。
割と校風良かったのに……そうか……自由研究の賞ってそういう、大人ウケ・コンクールウケのために組み直されることもあるんだね。そりゃそうだ。
…いやまて。そりゃそう、か?それでいいのか教育よ。しんどいわぁ。
件の日、私は先に寝たけど、脱皮したてのセミの写真はとてもきれいだった。見知ったセミが、真っ白だと別の生き物みたいに見えた。覚えてる。
弟と両親で固唾を呑んで、カーテンに留まらせたセミを見守っていた背中も、覚えてる。
小学校低学年の頃学童保育で、トイレ行くたびに男子に鍵を開けられそうになって怖かったな
女子トイレ1つと男子トイレそれぞれ1つしかなくて、ドアを隔てて遊ぶ部屋がある
女子トイレの集まったスペースとか無かったから、ドアにいたずらし放題だった
外側から鍵を開ける方法、どうやったかわからないけど本当に開いちゃうんだよね
ドライバーの代わりに何か硬くて薄いもので外側から開けたんだと思うけど
便器とドアの距離がちょっと離れてたから、用を足しながら鍵を抑えることもできない
すごい力なんだよ。トイレの内側のほうが方が鍵を回しやすいのに、それを上回る力で鍵が開こうとするの。マジでどうやってたのかわからない
こっちはパンツ脱いでるのに、ドア一枚隔てて複数人がギャハギャハ笑いながら「おい開けろよ」って怒鳴ってドアドンドンして鍵ガチャガチャしてくる
それがいつまで続くかわからない
怖かった。やめてって何度も言ったけど無視された
先生たちも知ってか知らずか助けてくれないしね
先生に言っても何も変わらなかった。増田ちゃんのことがが好きだからよってなだめられておわり
1回開けられれば、なにか証拠が残るような暴力を振るわれれば、違った結果になってたのかな
でも親に心配かけさせたくなかったんだよ
女子トイレを無理矢理開ける楽しさなんて、男子達はどこで覚えたんだろう
本当にギャハギャハ楽しそうだったんだよ
当時そんなアニメは放送されてなかったと思うし、アニメやマンガの影響だけじゃないよ
子ガチャひいて攻撃性の高い個体が出たのならその分ちゃんと躾けろ
子ガチャ引いたのはてめえだろ
はー
思い込みで突っ走りすぎ
書いてないことを読み取らないで
さて、最新のジェンダーギャップ指数が公表され、男女論で盛り上がりがちなはてなでも話題になるはずが、統一教会の話題で持ちきり。
ってことで、ジェンダーギャップ指数の要素にもなっている女性議員、また惜しくも落選してしまった女性候補について、今回の参院選比例代表の結果を見ていきたい。
選挙区も見るべきでは?という意見もあるだろうが、選挙区では支持政党から出馬する候補はせいぜい一人か二人、まして当落線上にいる候補に投票を、と考えると性別を考えている余裕はないでしょう。
比例代表であれば基本的には近い考えをもっている候補たちであり、仮に投票した候補が落選したとしても党の票としてカウントされるため、性別を考慮しながら投票することは十分可能です。
ちなみに特定枠の考慮はしてないです。比例当選者数順で見ていきます。
・友納理緒(看護師会)
・山谷えり子(元拉致問題担当大臣、あ、この人も統一教会との関係が噂されてるんだっけ)
政治キャリアの長い人、組織が付いている人、知名度がある人って感じ。
このうちの男性は尾立源幸候補、元民主党で実績といえば蓮舫と事業仕分けしたくらい。
連合のバックアップを受けながら2016年参議院選挙大阪選挙区で民進党候補として1人しか出てないのに共産党にすら負けるという惨敗をした男。
女性候補の資質が足りなかったか?イヤイヤそんなことないです。
28位のえりアルフィヤ候補は両親はウイグル自治区出身で、日本生まれ10歳から中国、そこからアメリカ留学、日銀、国連職員という超エリート
30位の向山淳候補はハーバード大学公共政策大学院出身で元三菱商事。これまた超エリート
31位の有里真穂候補は青年海外協力隊としてフィジーで活動、豊島区議として2期活動と政治家としての実績もある
自民党支持者なんてミソジニーしかいないから女性に投票しない?
いや日テレの出口調査によれば自民党に投票したのは男性37%、女性36%でほとんど同じです。
https://www.ntv.co.jp/election2022/exitpoll/index.html
マチョイズムなイメージがある割に意外と頑張ってるな、と思ったのが維新。
当選した女性2人は石井苗子(元女優)と松野明美(元陸上選手)とややタレント臭がするけど、松野明美は熊本県議の経験があるし石井苗子は保健学博士でもある。
惜しくも落選したけど次点の9位、10位、12位と比較的上位に女性がいる。
個人的には12位の森口あゆみ候補の「忍者文化協会理事」って言うプロフィールがめちゃくちゃ気になる。
世代交代が進めば2期後くらいには半分くらいが女性になってたり?と思わなくもない。
まぁ維新の場合9割くらいが党名で投票しているから、個人得票が少なくても当選圏内に入るから、って言うのもあるんだけど。
お、当選者のうち過半数が女性、候補者もちょうど半分、頑張ってるじゃん!
・辻本清美(言うまでもない)
こういう人たちは言っちゃ悪いけどあくまで組織を代表して発言するスピーカーなんで、組織の利益に反して自分の意見を言ったりしない
明らかに女性が多い組織の代表なら女性のための活動も増えるだろうが、別にそういうわけではない
ちなみに下位を見ると、6人中4人が女性なんだけど、これはからくりがあって、1人のフリーアナウンサーを除けばあとは県連職員
ちなみに、公明党は上の日テレ出口調査で女性支持先-男性支持先が一番高い(つまりより女性に支持されている)党です。
これでも6年前はそもそも女性候補すら0人だったから進歩したというべきなのか。
ちなみに、当選最下位(6位)の得票数が26.8万票で、次点7位の得票数が9,695票なんだから、まじで票読みと票割が完璧だね。さすがとしか言いようがない。
日テレ出口調査で男女支持先の差が一番高かったのは公明党だけど、比率で言えば同等かそれ以上なのが共産党。(支持率が1%以下の政党はよくわからんが)
ただ、こうやって女性投票が多い共産党ですら、もしもう少し得票が伸びてあと1議席とれていたら、次点は男性なんで男女比五分五分になっちゃうのよね
やる気あんのか?って感じだな
次点で女性の矢田稚子候補(電機連合)まで当選を見込んでいたのかもしれないが・・・たぶん80万票くらい足りないな
すでに当選を何回も重ねてるような人を除けば
立憲民主は票も入らないし層も薄い
そりゃ女性議員が増えるわけないよ
http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50568929.html
親子で楽しく一つの目標に進むってたしかにそれ自体が得難いゲームだよなと思いつつ、最近うちでも似たようなことがあったので書き殴り。
子どもを預けている学童保育はちょっとした学習塾のような要素も兼ねていて、毎日日替わりで漢字や英語、算数などのカリキュラムがある。また、算数検定や英語検定、漢字検定などもカリキュラム内で受験させている。
うちの子は算数についてはそこそこ得意なものの国語が苦手で、学校で行われたテストなどを見ても漢字についてかなり苦手意識を持ちながら過ごしているよう。
そんな中先日、漢字検定を受けるのに先立って子どもが過去問題を学童で受けてきたのだけれど、合格点には程遠い点数となってしまいがっかりした様子だった。
試験自体に落ちるのは仕方ないとはいえ、自信がなくなってしまうのはよくないよなと妻と話をしていたのだけれど、次の日妻がノートに漢字検定の問題を写し始めた。そして帰ってきた子どもと一緒に、そのノートに写した問題をつきっきりで解き始めた。
そうして数日経つ頃には、別室でリモートワークしている自分の所に「今日はこれだけ漢字答えられたよ!」と嬉しそうに子どもがノートを持って入ってくる様になった。頭をなでてやるととても誇らしげに笑っていて、子どもは続きの問題を妻にせがむ声を上げながら部屋を出ていく。そしてオンライン会議中の同僚に笑われる、そんな日々を過ごしていてやがて昨日。また漢字検定の過去問題を学童でやってきたと、笑顔で子どもから報告があった。
結果は間違いが2問だけ。とても悔しそうにしているものの、嬉しそうでもあった。
子どもを思い切り褒めてあげて、妻にも感謝を伝えた。妻は頑張ったのは子どもであって自分は何もしていないと言っているが、まんざらでもなさそう。
今回のことでは自分は何もできなかったけれど、これからいくらでも機会はあるだろうと思っている。
学校へ出かけるとき、試験合格できるかなと心配そうにしていた子どもだが、これまで頑張ったんだから同じように楽しむといいよ、頑張ったのは間違いないから結果はついてくるよと励まして送り出した。
同和地区に生まれ育ち、多分『それなり以上の同和教育を受けた最後の世代』だと思っている私。
私は昭和の終わりかけに、関西の大都市に生まれた。自営業の父と専業主婦の母のあいだに生まれ、1歳児の頃から公立保育所に通った。
現在は幼児をもつ親でもあり、『保活』『保育園落ちた』などのワードをネットで見るにつけ、自分の育った地域や時代か現代のどちらがおかしいのかわからなくなるのだ。
まず、私の母は専業主婦だ。母方の祖父と同居だったが、その祖父が要介護だったとか、母自身が病気だとか何もなかった。1ミリも『家庭での保育に欠け』てなどいない私が、普通に公立保育所に通った。
母は私を幼稚園に入れたいと思ったそうだ。しかし、親族を含む周りの多くの人たちが、いつ保育所に預けるのか、保育所の申し込みをまだしてないのかとものすごくうるさかったらしい。『保育所が当たり前だった。同じ小学校に行く子は町内のどこかの保育所出身で、幼稚園に行く子なんていない』と言われたらしい。
母は心配しながらも私を保育所に入所させた。まず、町内に公立保育所がいくつもあった。1学年1クラス、私が通った保育所はその中でも人数が少ないところだったので、年長クラスで一緒に卒園したのは12人だった。最近の『保育所が足りない』どころか、どう考ても当時の子供の数を考えれば保育所が多すぎるくらいだった。
運動会や宿泊保育、遠足、卒園式などは合同で行われた。保育士さんはどうだったか忘れたが、市の公務員である給食調理員さんたちは、その町内の保育所のどれかにしか転勤しない。(当時給食調理員だった知人が近所にいたため、知っている)
今、雨の日でもお昼寝布団セットを自転車で運んでいる保育園パパママさんを見かけるが、私が通った保育所ではお昼寝布団の他、給食で使うスプーンや箸など、肌に触れるものや口に入るものも持参する必要はなかった。かばんに入れて持って行ったものは連絡帳以外思い出せない。
私は二人の子供を私立幼稚園に通わせた。ひとりは卒園し、ひとりは在園中。まあ、これでもかというほど指定用品を買わされ、毎日スライド式のカトラリーセットを始めあれこれ通園鞄いっぱいに持って行く。最初は自分の子供時代とのあまりの違いに驚いたが、『あ、こっちのほうが普通なんだ』と最近では思うようになった。
保育所時代はほぼ同和教育はなかったが、小学校に入ると一変した。
まず、入学時に必要なもののほぼ全てが無料支給だった。ランドセルまでタダだった。母と一緒に入学用品を近所の『会館』に取りに行ったことを覚えている。鉛筆や消しゴムまであった。筆箱は自分のものを使えたかな。それが最初の一回だけではなく、『とくしゅうひ』というものがあって、冊子が配られて必要な学用品に丸をつけて提出すると支給された。これはいつの間にかなくなった。高学年になる頃にはもうなかったかと思う。
私の実家は貧乏ではなかった。後に書くが、学用品を無料支給してもらわないと就学できないほど生活に困窮している同級生などいなかった。
ランドセルはデザインも何もかも皆同じ。ほとんどの学用品が全員同じだった。出どころが一緒だからそうなるんだろうけど、他の学校のことを知らないのでそれが普通だと思っていた。給食で使うお箸、食後に使う歯ブラシまで皆同じ。歯ブラシの色選びでじゃんけんをしたことも覚えている。
それから『子供会』というものがあった。放課後に行くところで、別に親が働いているからとか何もなく、ほとんどの同級生が在籍していた。行くか行かないかは自由だったが、小学校の下校時に集団になって歩いて行ったことを覚えている。おやつが出たり、遊んだり、土曜日は昼食も出た。学童保育のような感じだったが、違いは『(ほぼ)全額無料』で『まあまあゴリゴリの同和教育機関でもあった』こと。そこで働く人たちのことは、先生やさん付けではなく、『指導員』と呼んでいた。(例 田中指導員)
主に教えられたのは狭山事件のことで、歌まであった。私はその歌をなぜか今でも覚えている。小学校1年生のときから教えられる。それから、何の日だったかは忘れてしまったが、5月23日と10月31日が近づくと、狭山事件のことをいつもより色々聞かされた。
大人は集会もやっていた。たまに祖父について行ったことがあったが、集会の最後はシュプレヒコールがお決まりだった。後になって祖父はその集会になぜ参加していたのか母に聞くと、『お父ちゃん、その年確か町内会の役しとったからちゃうかな』そんな理由だった。
小学校の名札のところに『差別裁判をゆるさない』とかワッペンをつけて登校する期間があったりもした。『ワッペン登校』と呼ばれていたが、今考えるとすごい。小学生の制服に、別にその子の意思でもなくそういうワッペンをつけさせていたのだ。
学校の道徳の授業は、同和問題を始め、とにかく何かと差別を絡めた内容だった。在日コリアンの問題とか。私の子供が入学して教科書に名前を書いていたとき、道徳の教科書を何気なく見ると、『金の斧 銀の斧』の話が載っていたりして、自分のときとの違いにまた地味に驚いた。
小学校1年生に狭山事件のことを話してこれは差別だ!とか言われても正直よくわからなかったし、狭山がどこかもあまりよく知らなかった。『かなり昔、遠い関東で無実の人が逮捕されて、裁判が何か差別らしくて………』といった感じで記憶している。
他にも後で特殊だと気づいたことがある。天皇制の否定、国歌を教えない、卒業式の定番『仰げば尊し』はなぜそこがダメなのか忘れたが『我が師の恩』のところに文句がついていたっけ。
ある日の子供会の集会のとき、『天皇制はおかしい』という話を聞いたのをおぼろげながら覚えている。『天皇誕生日が祝日なのはおかしい』と力説されたが、子供心に『学校が休みになるんだし祝日にまで差別とか言うのか』と思った。
洗脳レベルの教育だったが、低学年頃にはなくなっていった(後述)こともあり、『差別に負けない大人になってほしい!!』だとか『(何にか忘れたが)誇りをもってほしい!!』と言われても全くピンとこなかった。
ワッペンをつけたり、子供向けの集会があったりというゴリゴリの同和教育は私が高学年になるより前くらいから一気になくなった。そのため、冒頭に『最後の世代』だと書いたのだ。
理由は、狭山事件の容疑者とされた人が仮出獄となったからだと思う。学用品がタダとかそういうのも、その頃からだんだんなくなっていった。
一世代上、私の母世代は、狭山事件が起こった頃に小学生くらいなので、大人になり、子育てをする頃までずっと続いたということになる。
母は私立高校を卒業しているが、『タダだった』らしい。無料だから私立高校を選んだわけではなく、公立高校に行く学力がなかったかららしい。高校の無償化なんてつい最近一部の地域で始まったことだが、これも『同和特権』のひとつだろうか。それよりも驚いたのが、自動車教習所の授業料も『タダだった』と言うのだ。私も運転免許をもっているが、確か教習所に入るときは30万円くらい払ったと思う。それもタダ?
それから、これは自分の家族にはいないが、市の公務員になれるルートみたいなものもあったそうだ。失礼な話だが、『この人、どうやって公務員になったんだろう?』と思うような人が、市の職員だったりした。
母も私と同じで、そういう環境で周りもそれが普通だったし、他のところのことを知らないので、疑問をもったことがなかったらしい。大人になってから、『あれは普通じゃなかったんだ』と思ったという。
江戸時代の身分制度の名残で同和問題や差別があるわけではないと、成長するにつれわかった。私が背負ったランドセルも、入学試験で特待生だったわけでもない母がタダで通った高校も、税金から…と考えたら、嫌われるようなこともしてるよなあ、知らなかったとはいえ…といつからか思うようになっていった。
その後、高校、大学と進むうち、部落差別っぽいものは時々あった。というより、特に悪気のない、同和地区に対するイメージを誰かが話しているのを聞くことがあったというくらい。
まず、『あのへんは治安が悪くて行くもんじゃない。どんなやつがいて何をされるかわからない。最寄駅で降りないほうがいい』と言っていたバイト先のおじさんとか。
確かにイメージとして、ガラ悪いとか治安が悪いとか思われがちだが、これが意外とそうでもない。麻痺してるのか慣れきってるのかとも思ったが、夜になると人通りはほぼなく、ガラの悪い人や治安を乱しそうな人もいない。夜の町は、『ここ?本当に関西の大都市?』と思うほど人通りもほぼなく静か。逆にそれが不思議だとか怖いだとかで動画サイトに載っていたりするが。
確かに治安がよくて人が住みたいイメージではないよなと長年思っていたが、最近では転入者も増えて、昔はボロボロの団地ばかりだったところに一戸建ての家が建ち並ぶようになった。相変わらず市営住宅が多く、整備されているものの見た目がほぼ同じ。スマホのマップが普及するより前は、宅配ピザの配達員さんが迷って電話をかけてくることもあるくらいだった。
そういう街はここだけではない。似たようなところをたまたま電車などから見ると、『あ、ここ…同和地区かも』とわかるようになった。
人生で、『あ、これが部落差別?』と思ったのは一度だけある。結婚のときだった。目の前でやりとりしたわけではなかったが、夫の両親は同和地区の嫁が来るのは嫌だと言っていた。私に直接言ったことはなかったが、義母から夫へのメールを見たら結構すごかった。
結局結婚したのだが、10年経っても『ほら、同和地区の人となんか結婚するから』みたいになったことはない。結婚を反対されたことを知った両親も、『まあ、そりゃ、どうぞどうぞ大歓迎ですってことはないよな』というような反応だった。従姉妹たちも同和地区出身でない人と結婚している。親である伯父と伯母は、娘の結婚相手の両親に出自を話したらしいが、それを理由に反対や差別はされなかったという。
私が昔受けた同和教育の題材にもよく結婚差別が出てきたり、同和の子は貧乏でいじめられて排除されて…みたいな内容が多かったが、思い出してみれば小学校の同級生には食べるのにも困るような生活をしている子は誰一人いなかった。それでも色々支給されたり…あれは何だったんだろう?と思う。
これもまた同和地区特有の話だと知ったのだが、とにかく近所の人達の情報を何でも知っている。私達世代はそうでもないが。今時隣の家の人のこともあまり知らないのが普通みたいな世の中だが、母より上くらいになると、『全くの他人のことを何でそこまで知ってるの?』と驚くほどだ。
私は聞いているだけのことが多いが、たまたま何となく会話にAさんという人が出てきたとする。たとえば私が『Aちゃんのお母さんが入院したんやって、Aちゃん大変そうで心配やなぁ』とか言ったとする。
すると母と伯母が、
『A?ああ、あの子な!うちの一学年下の子で旧姓増田やろ?増田のおっちゃんとこは立ち退きなる前は◯◯に住んでて、今団地入ってるやろ?おばちゃんは滋賀から来た人やったわ。Aは高校出て化粧品屋に勤めとって、学会の男の人連れてきて結婚して西宮のほう行ったけど、結局別れて娘二人連れて帰ってきてたなぁ。増田のおっちゃん怒ってたわ。あの子入院したんや、それは心配やな』
『増田のおっちゃん覚えてるわぁ、Aちゃんて姉ちゃんの一個下やったら、うちの二個先輩やろ?その子の弟がうちと同級生やねんけどな、中学の同級生のCと結婚して、夫婦で市に勤めとったから、お金持ってんで。団地出て関空とかあの辺りに家買うたらしいわ。増田のおばちゃん不倫しとったん覚えてる?近所同士でようやるわぁとかみんな言うとったなぁ』
こんな感じ。一体何の話だったかこちらが忘れそうになるが、私の友人の母親の実家事情を、同学年で仲が良かったわけでもない二人が知り尽くしている。
これは、同和地区出身者同士の結婚が多かったこともあるからかなと個人的に思っている。大人になってからは、では近所に住む誰かの会話に『私』が出てきたとすると、ここまで知られているのかとゾッとして、母に聞いたこともある。
『まあ、このへんやったらそうやろうな。でも、若い子らはそこまででもないと思うけど。うちの娘ていうことはみんな知ってるやろうし、行ってた学校ぐらいは知ってるやろな』
と、当たり前のことのように言われた。
同和地区も、私のように町並みでわかる人でなければあまり他の町と変わらないようになってきた。それに、顔を見たら同和地区出身者とわかるわけでも、戸籍を見たらわかるわけでもない。有名な同和地区が現住所や本籍であった場合はわかるかもしれないが。
解放会館も人権センターとか名前を変えた後、いつの間にかなくなった。『部落差別をなくそう!』『差別落書きを見つけたら云々』という文言が書かれた町内会のポスター掲示板もなくなった。私が少し通ったあの子供会もなくなった。
今でも、『住まないほうがいい町』とかググると私の地元が出てきて、理由に同和地区がどうのこうのと書かれているが、外から人はたくさん来ている。市営団地の入居者は全員知り合いだとか、市会議員や解放同盟のコネで団地に簡単に入れるという話も聞かなくなった。
実際、24年ほど住んだが、事件らしい事件のひとつも見たことがない。通り魔やひったくりに遭った人が近所にいようものなら3分で噂になるはずだが、これも聞いたことすらない。いや、別に『B地区とか犯罪がとかヤクザがどうの、治安悪いとか言われてるけど、全然怖くないですよ、町も綺麗で平和で、他のとことそんな変わりないですよ』とここで主張したいわけはない。
イメージしかない同和地区と、そこに生まれ育った私とでは、全く違うだろうなと思って書いたに過ぎない。
改めて、自分の生まれ育った場所を考えてみたとき、そこがたまたま特殊なところで、確かに差別されたり嫌われたりしても仕方のない面をもっていて、でも何だか『普通の生活の中で出さないほうがいい話題』のひとつであって…
何かそんなことを思って書いてみた駄文だ。